津田浩司『日本軍政下ジャワの華僑社会-『共栄報』にみる統制と動員』風響社、2023年2月20日、780頁、6000円+税、ISBN978-4-89489-331-3
ていねいに、ていねいに原資料『共栄報』の記事にもとづいて考察を積みあげ、議論を展開している。このような議論ができるのも、ひとつにはインドネシアの日本軍政に実際にかかわった者が戦後その体験に基づいて研究した成果がいくつかでているからだろう。本書でも、それらを参照しながら議論を進めている部分が少なからずある。もうひとつには、インドネシアで大きな戦闘がなく比較的平穏であったことがある。日本人戦没者数は、フィリピン51万8000、インド・ビルマ16万7000などに比べ、インドネシアは2万5400で、現地の人びとの犠牲者もフィリピンやビルマに比べ少なかった。それだけに、軍政にかかわった日本人の生存率は高く、現地の人びとにたいする後ろめたさも少なく、「平然」と自分自身の体験を語ることができた。このような「恵まれた環境」について、インドネシア研究者はあまり気づいていないようだ。
本書は、「日本軍政期(1942年3月~1945年8月)のジャワで華僑向けに発行され続けた唯一の日刊紙である」『共栄報』を読み解くことによって、つぎのことを問おうとしている:「ジャワを総力戦体制へと巻き込んだ日本軍政期にあって、この地の華僑社会はいったいどのような統制を受け、またどのような動員を経験したのか、ということについてである。実は、この後の序章で述べるように、分厚い蓄積がある日本軍政期のインドネシア研究全体のなかにあって、当時人口70万ほどを数え経済構造上も枢要な地位を占めていたはずの華僑社会に対する注目は、意外なほど希薄であり、歴史記述も極めて粗いままに留まっている。本書は上述の基本的な問いに対し、この時期ジャワにおいて華僑向けの情報統制・発信を一手に担い続けていた日刊紙『共栄報』を主要な資料として分析することを通じ、具体的に答えていこうとするものである」。
本書は、はじめに、序章、4部各部3章全12章、終章、あとがき、などからなる。第Ⅰ部「資料としての『共栄報』」は、「本書で中心的に依拠する日刊紙『共栄報』の史料批判に割かれる」。第Ⅱ部「日本軍政の開始と華僑社会の混乱」第Ⅲ部「華僑総会の成立と展開」第Ⅳ部「強まりゆく統制・動員の諸相」では、「その『共栄報』を主要資料として用いつつ、日本軍政期ジャワの華僑社会の動向をおおむね時系列に沿って記述していく。日本軍によって南方全体の兵站基地として位置づけられたジャワの歴史過程は、3年半という占領期間を大局的に見るならば、人々を総力戦体制へと巻き込む形で統制と動員が次第に強まっていった過程として捉えることが可能だろう」。
そして、終章「『共栄報』から見えること/見えないこと」で、見えることは以下のように答えてから、「日本軍政下の華僑社会とインドネシア人社会との関係」「二項対立を超えて(1)-日本軍政の対華僑政策の性質をめぐって」「二項対立を超えて(2)-日本軍政下の華僑指導層の再評価に向けて」の見出しの下にまとめている。「これまでほとんど実態解明が進んでいなかった当該対象をめぐって、おおむね時系列に沿いつつテーマごとに明らかにしてきた、本書各章の記述自体がまさにそれである、ということになろう。本書の記述によって、1942年3月から45年8月ないし9月までの間に、この地の華僑社会が経験した過酷な歴史過程が、単なるインドネシアのネーション・ビルディングの前史として目的論的に還元されるのではなく、また抗日武勇伝を語るための舞台として後景化されるのでもなく、3年半の間に時々刻々と変化するコンテクストのなかで課された具体的な諸施策、そしてそれに対する華僑らの応答の過程として、ヴィヴィッドに見えてきたのではないかと思う」。
見えないことでは、「資料的制約」の見出しの下で、いくつもの課題にとって重要と思われるつぎの3点を挙げている。「ひとつは、本書においては、軍政下のジャワの華僑社会が経験した歴史過程を、各地の華僑社会で一定の役割を担ったリーダーたちの名を挙げつつ具体的に記述してきた。ただし、こうして展開してきた記述は、同時代のいわゆる市井の人々-ここには本来、華僑社会内でもしばしば周辺化されがちな女性・子供・貧困者等の存在も含まれねばならない-の暮らしを活き活きと伝えるような社会史記述とは依然距離がある、という点である」。「ふたつ目は、ひとつ目で述べた点とも一部重複するが、『共栄報』が当時のジャワ華僑-仮にそのようにひと括りにできるとして-の言説空間のなかでいかなる位置を占めていたのか、個別具体的な検討が未着手である、という点だ」。「最後の3つ目であるが、それは、本書がジャワの華僑社会を総体として描いている、という点である」。
そして、「今後いかなる研究の展開があり得るか」と問いかけ、「ひとつは、『共栄報』をさらに細かく読み込んでいく、という方向性」、「もうひとつの方向性は、比較の視点を導入することである」と答えている。さらに、「日本軍政下のジャワの華僑の経験は、たとえばスマトラ、ボルネオ(カリマンタン)やセレベス(スラウェシ)、あるいはシンガポールやマラヤ、それにインドシナ、フィリピン等におけるそれと比較した際に、何が共通し何が異なっていたのだろうか」と問いかけている。その答えは、すでに復刻されている日本軍政期の日本語を中心とした新聞の「解説」から見えてくるものもあるだろう。たとえば、『復刻版 ボルネオ新聞』の索引から共通することばを拾っていけば、その一端がわかるだろう。
著書の指摘するようにジャワ研究に特化した研究はマイナス面もあるが、研究蓄積、資料に「恵まれた」面を活かして、比較研究をリードするにはいい位置にある。インドネシアのほかの地域や、関係者が多く戦死し資料が焼失・散逸したほかの国や地域の研究の指針となることもできる。日本占領期の東南アジア研究を戦前からの延長、戦後への延長と捉えると、近現代日本・東南アジア関係史研究全体の発展にもつながり、ジャワを相対化することによってジャワ研究も深化・発展するだろう。
本書でいいのは、「わからない」「不明である」と実直に書かれていることである。わかることだけを書いたものと違い、わからないことを含めて全体像を理解しようとする著者の真摯な姿勢がみえて好感がもてるだけでなく、今後の研究への示唆を与えている。
これだけ大部なものにもかかわらず、誤植がほとんどない。コロナ禍の影響で海外出張などができず、ゆっくり時間がとれたことが幸いしたのかもしれないが、逆にコロナ禍でなんとなく落ち着かずミスを犯しやすい状況にあったともいえる。そのようななかで、著者の集中力が完成度を高め、『共栄報』の読み解きにも細心の注意を払ったことが伝わってくる。「画期的な労作」ということばは、まさに本書にふさわしい。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。
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