早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2020年01月

蘭信三・川喜田敦子・松浦雄介編『引揚・追放・残留-戦後国際民族移動の比較研究』名古屋大学出版会、2019年12月10日、341頁、5400円+税、ISBN978-4-8158-0970-6

 2000年にはじまる20年におよぶ共同研究は、ついに「ヨーロッパと東アジアにおける引揚・追放・残留の比較研究の新展開をもたらした」。「東アジアにおける人の移動に関する共同研究」に、「ドイツの戦後の被追放者の社会統合政策」を研究する川喜田敦子、「フランスにおけるピエ・ノワールやアルキの研究を掘り下げてきた松浦雄介」を加え、「東西の事例を冷戦やソ連の民族政策もふまえて世界史上に位置づけ、地域や帝国の枠組みをこえた引揚・追放・残留の知られざる関係性」が浮かびあがった。折しもヨーロッパは、第一次世界大戦100周年を迎え企画目白押しで、つぎつぎに優れた研究書が出版され、国際会議で議論が闘わされた。その成果が、本書にもおおいに貢献したことだろう。

 「本プロジェクトは、ヨーロッパにおける追放/引揚研究との比較から、東アジアにおける引揚研究の視野の狭さを打破するために始めたもので、当初はドイツの追放やフランスの引揚と東アジアの引揚との国際比較を企図するにとどまる、どちらかといえば単純な比較研究であった。しかし、川喜田さんが、ドイツ人の追放政策と日本人の引揚政策が政策としての連関をもつことをローリー・ワット氏の2017年に刊行された論考(略)から明らかにしたことで、各事例の比較研究のみならず、それぞれの連関を意識した共同研究へと展開していった。しかも、吉川[元]さんの長年の研究蓄積によって、引揚や追放が、近代ヨーロッパで繰り返されてきた戦争のなかで蓄積されてきた民族問題の長大な系譜に連なるものであることが明らかになり、それは本書の分析枠組みの要となった」。

 本書の執筆陣については、つぎのように「あとがき」で紹介されている。「韓国の引揚研究の牽引者である李淵植」、「沖縄における台湾引揚研究を切り開いてきた野入直美」、「樺太からの引揚研究を推し進める新進気鋭の中山大将」、「ヨーロッパにおける引揚研究を担いうる西脇靖洋」、「ヴェトナム難民研究に新生面を開いてきた佐原彩子」、「東アジアの引揚研究に新展開をもたらしつつあった、引揚時の性暴力研究にジェンダーの視点から挑んでいる山本めゆ」、「炭鉱における引揚者と在日朝鮮人の交錯という古いテーマに新たな視点から切り込む坂田勝彦」、「東アジアの引揚研究を世界的な視点でとらえなおしつつあった崔徳孝」、「日本における「戦争と民族問題研究」の大御所である広島平和研究所所長の吉川元」。

 これらのメンバーを得て、目指したのは、「日本を中心に日本人の移動を考えるという引揚に対するイメージを、研究の最先端からどう変えていくかということだった。そのために本書がとったのは、国際比較という方法である。その際、比較の対象をどう選ぶかという点からは、二つの観点が考えられた」。「ひとつは、引揚が第二次世界大戦終結直後の現象であったという時代的コンテクストを重視して比較対象を定めるという観点である」。「二つ目の観点としては、植民地支配の終焉と脱植民地化という文脈に注目するというものがある」。

 本書は、序章、4部全12章、終章からなる。各部はそれぞれ3章からなる。第Ⅰ部「引揚・追放・残留の国際的起源」は、「本書の原論であり、第1章は、民族マイノリティ問題の系譜が東アジアにどのように継承されたかを手がかりに、戦後の強制的な民族移動の国際比較に関連する課題を論じる。ついで第2章では、20世紀において、東中欧での国際平和と民族マイノリティ問題の処方として、住民交換などの民族移動が行われてきたことを政治学の視点で解き明かす。第3章では、ヨーロッパとアジアで展開された民族の強制移動が連合国側の思惑に基づくものであったことを実証的に明らかにする。以上をもって本書の導入とする」。

 「第Ⅱ部 欧米」以降では、「第Ⅰ部での原論をふまえて、欧米、日本、日本帝国での興味深い事例についての研究を新たな視点で展開する。まず第Ⅱ部では、第4章でヨーロッパにおける引揚の代表であるフランス人のアルジェリアからの引揚を、第5章ではポルトガル人のアンゴラ等南部アフリカからの引揚を、そして第6章ではアメリカのインドシナ介入で生じたインドシナ難民への支援政策を明らかにする」。

 「第Ⅲ部 日本」では、「日本人の引揚の諸相として、第7章で引揚時の性暴力被害者とその検疫体制のジェンダー化を、また第8章で炭鉱という場における帰還する朝鮮人と引揚者の交錯を、そして第9章では沖縄における戦後復興のアクターとしての台湾引揚者を「引揚エリート」というキーワードからクローズアップする」。

 「第Ⅳ部 日本帝国圏」では、「朝鮮や樺太といった旧日本帝国圏での引揚・残留を扱う。第10章では帝国崩壊後の人の移動が旧宗主国と植民地における引揚・送還政策を規定したことを国際比較から明らかにする。第11章では韓国における引揚者の定着につき日本との比較から解明し、第12章ではソ連軍が「解放」したサハリンと満洲における残留のあり方についての比較から、戦後の国民国家のありようと民族マイノリティの関連を解き明かす。最後に、終章では、引揚・追放・残留の国際比較の残された課題について論じる」。

 3人の編者のひとり、蘭信三は、「序章 引揚・追放・残留の国際比較・関係史に向けて」を、つぎのようなパラグラフで終えている。「このように、本書は戦後東アジアで生じた日本人や朝鮮人等の引揚と残留(定住)を問題の出発点としつつ、第二次世界大戦後の東アジアで生じた諸事例とヨーロッパで生じたドイツ人の追放、フランス人やポルトガル人の引揚等の事例の連関を明確に意識しつつ比較する。このことによって、戦争と民族マイノリティの強制移動および残留(定住)の関わりについて時代と地域をこえて全体像を描き出すことを目指すものである」。

 また、もうひとりの編者、川喜田敦子は、「終章 国際人口移動の新たな理解のために」をつぎのパラグラフで閉じている。「日本の事例を国際比較のなかに位置づけて理解することは、日本の引揚に関する理解を深めるだけでなく、その他の各地の事例の理解をも深めることにつながるだろう。それは最終的には、戦後人口移動のとらえ方の全体におのずと本質的な変更を促すことにもなるはずである。引揚の国際比較は最初の一歩を踏み出したにすぎない。本書を通じて見えてきた、これから取り組むべき多くの課題、研究のさらなる発展への期待と展望とともに本書の記述を閉じることにしたい」。

 「新展開」をもたらした本プロジェクトは、多くの課題を残すことになった。「東アジアにおける引揚研究の視野の狭さを打破するため」には、地理的にはヨーロッパとの比較だけでなく、当時南方と呼ばれた東南アジアや南洋群島からの引揚研究をも視野に入れる必要がある。欧米の植民地であった東南アジアはその宗主国によっても政策が違っていた。また、独立を目指す民族運動が進展していた東南アジアと日本人入植者が人口でもマジョリティになり島民が主体性を失っていた南洋群島とではずいぶん違う現地の状況があった。後者では、本書でサハリンが加わったことで、ずいぶん広がりのある議論になった。この「新展開」が、今後の共同研究や個々の研究にどう反映していくのか楽しみだ。

山内由理子編『オーストラリア先住民と日本-先住民学・交流・表象』御茶の水書房、2014年8月22日、299+23頁、3000円+税、ISBN978-4-275-01081-0

 ラグビーワールドカップ2019で、ニュージーランド、オーストラリア、南太平洋の島じまなど、オセアニア地域に強豪がひしめいていることがわかった。選手のなかには、現地の人びとと入植してきたヨーロッパ系の人びととのあいだのハイブリッドな人びともいた。かれらの血のなかに、日本人も含まれているのだろうか。もし含まれているのならば、それは公然と語られるのだろうか。オーストラリア先住民と日本との関係は、日本側、オーストラリア側、双方で語られていないものがあるような気がする。

 本書の目的は、「はじめに」でつぎのように説明されている。「この本は、日本にいる読者を対象にオーストラリア先住民研究の最新の成果をまとめたものであるが、それは単に専門的研究の内容を伝える、というものではない。複雑に錯綜した網の目、この世界を構成する多様な繋がりの中にいる我々、という存在を、オーストラリア先住民、という切り口から解きほぐしていく試みでもある。オーストラリア先住民に限らず、何かに関して知る/知っている、ということは決して中立的な営みではない。多様なモノやコトの流れるチャネルは、この世界を構成する様々な力により成立している。我々がそれについて触れるようになったのも、その一部としての社会的行為なのである。この様な多様な繋がりの網の目の中にいる我々、現在日本に住み、おそらく育ち、日本語を母語としているような人々、その我々がオーストラリア先住民と呼ばれる人々について知るということはどういうことか、そして更に、知る、ということにより、何ができるか、をこの本は関心の根底としている」。

 本書は、はじめに、3部全13章、3つのコラム、おわりに、からなる。その内容は、「はじめに」の「本書の構成」でつぎのようにまとめられている。「まず第一部で、「オーストラリア先住民-学とその現在」と題し、オーストラリアにおいて当たり前な背景事情が自明ではない日本社会に向けて、まずオーストラリア先住民及びそれに関する学問に関して、そのコンテクストを示す。第一、二章ではオーストラリア先住民の入植以来の権利回復運動を通じた基本的な歴史的情報を提供する。本書全体の枠組みとなる章であり、他の其々の章同士の関係を把握する際にも参照して欲しい。第三、四章では、それを踏まえて、日本とオーストラリアにおけるオーストラリア先住民に関する「知」の生産と流通をひもとく。第三章では、多文化主義社会オーストラリアでの文化人類学とその実践を論じ、第四章では日本におけるオーストラリア先住民の表象の歴史を追う。双方とも、其々の知の生産は決して中立的なわけではなく、「入植」というコンテクストを初め、さまざまな力の中で形成されてきたことをうかがうことができよう。以下の第二部、第三部で展開される「知」も、この三、四章であらわされた構造の中で生産され、同時にそれを再帰的に見直す中で生まれてきたものである」。

 「次いで第二部「日本とオーストラリア先住民」で、両者の関わりを研究史及びライフヒストリーと言う形でまとめる。日本人とオーストラリア先住民の関係は現在という時間、国家という空間概念を越えた広がりを有してきた。現在の政治的状況で使われる「先住民」概念の出現よりも以前から、現在までも続く交流の歴史があるのである。戦前からの日本人移民、戦争、そしてウラン採掘という三点から、ここではその一環を示した。ウラン採掘問題については、福島第一原発事故を契機として開催された、福島大学、慶應義塾大学におけるシンポジウムの報告も収録した」。

 「第三部「オーストラリア先住民の日常と文化」では、視点を変えて、都市生活、教育、博物館展示、美術、映画、音楽という側面から、オーストラリア先住民の現状を紹介する。第一部、第二部で見たような歴史を踏まえる私たちが、オーストラリア先住民の姿をどのように受け止めて、関わっていくのか、それを考えてゆく際のさらなる参考となるべくまとめられている」。

 本書は、「オーストラリア先住民を研究する若手の文化人類学者たちの話し合いから企画された」。研究蓄積がある分野では、外国人研究者が研究する意味を問われる。それにたいして、編者は「おわりに」で、つぎのように自問している。「単に興味を持ったから、単に「知識」を増やせるから、だけでは不十分である。「なぜ」興味を持つのか、「なぜ」知ることに意味があるのか、そもそも「知る」とはどういうことなのか、少なくともそこまで掘り下げなければ、彼我の圧倒的な蓄積の差に飲み込まれて終わってしまう可能性すらある」。

 その答えが、つぎの本書の3部構成だった。「まず第一部にオーストラリア先住民に関する学問の構造を扱った章をおき、「知識」を生産してきたその仕組みが見えるようにした。そして第二部に、日本にいる我々がオーストラリア先住民と形成してきた様々な交流の姿を、そして第三部に前二部を潜り抜けた上でのオーストラリア先住民に関する研究の成果を紹介する、という形で、この問題に本書なりのやり方で向き合ってみた」。

 本書を出発点として、すでに中堅になっている「若手」が飛躍し、さらにグローバル化、多様性のなかで、これから生きていく日本人若手研究者が現れ、育つことを期待する。そして、新しい時代、社会で生まれ育った研究者が、近代では語られなかった人びとの営みを語り、新たな社会を切り開いていって欲しい。それが、国債が伸び悩み、うつ病患者が増え自殺者が増加したオーストラリアに貢献することになる。

小谷汪之『中島敦の朝鮮と南洋-二つの植民地体験』岩波書店、2019年1月17日、222+4頁、2400円+税、ISBN978-4-00-028386-1

 「シリーズ 日本の中の世界史」は、つぎのような目的で企画されたことが「刊行にあたって」で説明されている。「今日、世界中の到る所で、自国本位(ファースト)的な政治姿勢が極端に強まり、それが第二次世界大戦やその後の種々の悲惨な体験を通して学んださまざまな普遍的価値を否定しようとする動きにつながっている。日本では、道徳教育、日の丸・君が代、靖国といった戦前的なものの復活・強化から、さらには日本国憲法の基本的理念の否定にまで行き着きかねない政治状況となっている」。

 「私たちは、日本の中に「世界史」を「発見」することによって、日本におけるこのような自国本位(ファースト)的政治姿勢が世界的な動きの一部であることを認識するとともに、それに抗する動きも、世界的関連の中で日本のうちに見出すことができると確信している。読者のかたがたに、私たちのそのような姿勢を読み取っていただければ幸いである」。

 「主としてインド史を研究対象とする」著者、小谷汪之が、本書を書くことになったきっかけについて、「高校時代に中(なか)島(じま)敦(あつし)の小説「光と風と夢」を読んで、強く心惹かれ」、大学院生だった1967年にサモアを訪れたから、と「プロローグ」で説明している。

 本書の目的は、つぎのように述べられている。「私の関心はポリネシアのサモアからミクロネシアのヤルート島、そこからさらに西にポナペ島、トラック諸島、パラオ諸島などへと広がっていった。その関心の中心には、日本による南洋群島統治とそこにおける中島敦の存在という問題があった。南洋群島は実質的には日本の植民地で、中島は一植民地官僚としてそこに一年弱在任していたのである。その間に、中島は何を感じ、何を考えたのか」。

 そして、「刊行にあたって」で説明された「戦前的なものに回帰しようとする「復古主義」的な動きが極端に強まってきている」なかで、「二〇世紀の前半に多くの日本人が植民地支配とかかわったということの意味を問い直すために、日本人の植民地体験を追体験してみたい、という思いが強く湧いてきた。それも、満洲移民のような極限的な植民地体験ではなく、多くの日本人が体験したような、「日常的な」植民地体験を追体験してみたいと思ったのである。中島敦の二つの植民地体験を本書の主題としたのはそのためである」。

 「しかし、中島敦には南洋体験以前に、朝鮮での植民地体験があった」ため、「第Ⅰ章 中島敦の朝鮮(一九二二-三三年)」からはじめ、「第Ⅱ章 南洋庁編修書記、中島敦(一九四一-四二年)」「第Ⅲ章 「光と風と夢」-サモアのスティーヴンソンと中島敦」「第Ⅳ章 南洋に生きた人びと」「第Ⅴ章 中島敦の南洋」とつづけ、「エピローグ-植民地体験の追体験」でまとめている。

 「エピローグ」で、著者は朝鮮と南洋とで大きな違いがあることを、つぎのように説明している。「中島の「朝鮮もの」と、「南洋の日記」や南洋からの手紙との間の本質的な違いは、「朝鮮もの」が反芻された朝鮮体験の表現であるのに対して、「南洋の日記」や南洋からの手紙は「生(なま)」のままの南洋体験の表現であるという点にある」。「そこには中島が日本から携えていった月並みな「南洋の土人」像がそのまま入り込んでいた。そこに、両者の間の本質的な違いが存在する」。

 最後に、著者は「一つ疑問が残る」と述べ、「中島は、南洋庁職員として、日本帝国主義の植民地支配(南洋群島統治)に直接荷担した自分自身の存在をどう考えていたのであろうか」と問うている。そして、つぎのように解釈して「エピローグ」を終えている。

 「たしかに、中島が病弱のために南洋統治にほとんど役立たなかったこと、南洋庁の役人たちの間で孤立して、疎外感を強くもっていたこと、これらのことが中島の「植民地的権力関係」への「共犯」の意識を弱めていたということは、ある程度、いえるであろう。中島の「南洋の日記」や南洋からの手紙、あるいは「南洋もの」には、自らの「植民地的権力関係への共犯性」を自覚していたことを示す明白な表現は見当たらない。しかし、南洋群島の「近代化」に懐疑的であった中島には、日本の南洋群島統治は「未開」の人びとを「文明化する使命」civilizing missionを担っている、といった考え方もなかった。中島には、南洋群島統治(植民地支配)を正当化する論理もなかったのである。だから、中島のうちに、自らを「植民地的権力関係への共犯性から無罪化」しようとする主体的意思まで読み取ろうとするならば、それは行き過ぎというべきであろう」。

 日本が「支配した」南洋群島の総人口は、129,104人(1939年12月末現在)、その内訳は、日本人(台湾人・朝鮮人を含む)77,257人、島民(チャモロ人・カナカ人)51,723人、外国人124人であった。日本人が多数を占めるなかで、島民は周辺に追いやられ、日本人には主体的に生活する島民の姿が見えなくなっていった。中島の「南洋の土人」像も、見えなかったからこその「生」であった。そこには、「自国本位」の現在につながるものがある。

古川光明『スポーツを通じた平和と結束-南スーダン独立後初の全国スポーツ大会とオリンピック参加の記録』佐伯印刷、2019年3月31日、193頁、1500円+税、ISBN978-4-905428-96-1

 「スポーツの力」を信じていない人びとがまだまだいる。2014年にJICA南スーダン事務所長に就任した著者は、赴任した早い段階で南スーダン共和国文化・青年・スポーツ省を訪れ、スポーツ担当局長に面会した。局長は、「以前、JICAには相手にされなかった」が、「わざわざ会いに来てくれた」と喜んだ。スポーツは、もはや趣味や健康のためだけでなく、「平和構築」のためにも大いに貢献することを本書は伝えている。

 本書の概要は、つぎのように裏表紙でまとめられている。「半世紀に及ぶ内戦、独立後も続く民族紛争など、日本にとって南スーダンは、アフリカの危険な小国の一つである。そんな国がなぜ、2016年8月のリオ・オリンピックに国家として参加できたのか。スポーツには、民族や地域を超えて人々を一つにする力がある。オリンピックへの道筋をつけた「全国スポーツ大会(『国民結束の日』)」開催を中心に、JICAスポーツ支援の険しい道のりを描く」。

 本書は、はしがき、プロローグ、全7章、エピローグ、あとがきと謝辞、参考文献・資料、略語一覧からなる。プロローグの最後で、章ごとにつぎのようにまとめている。

 第1章「南スーダンの概要と紛争の歴史」では、「最も新しく独立した南スーダンがどのような国なのかを知ってもらうべく南スーダンの概要を記載する。そして、その南スーダンの紛争の歴史について紹介することにより、南スーダンのおかれている状況を伝えたい」。

 第2章「なぜ、紛争は繰り返されるのか」では、「なぜ、南スーダンで紛争が繰り返されるのかを筆者の経験も踏まえて解説する。紛争が南スーダンの社会文化とも密接につながっていることや、民族と紛争との関係、紛争と若者との関係についても触れていく」。

 第3章「なぜ、南スーダンで「全国スポーツ大会(『国民結束の日』)」支援なのか」では、「なぜ、南スーダンで『国民結束の日』支援なのかをひも解いていく。最初に、世界でも最も開発の遅れた国の一つである南スーダンにおいて、展開してきたJICA支援の概要を伝え、その後に、紛争が繰り広げられる同国において、なぜ、新たな取組みとして『国民結束の日』の開催支援が必要なのかを解説する」。

 第4章「着眼点と構想と『国民結束の日』に向けた準備」では、「『国民結束の日』を開催することになった着眼点と大会に向けた準備までの道のりを説明していく。その道のりは我々の想像以上に多くの課題を抱えた取組みだった。その課題をいかに関係者が乗り越えたのかも紹介していく」。

 第5章「独立後初の『国民結束の日』の開催」では、「南スーダンにとって独立後初めての『国民結束の日』の開催の模様を伝える。そして、関係者がいかに対応したのか、どのような思いであったのかなどについても伝えていく」。

 第6章「邦人を含むJICA関係者の国外退避とリオデジャネイロ・オリンピック」では、「2016年7月に勃発した紛争により国外退避した状況がどのようなものであったのか、そして、それを乗り越えて南スーダンの国としての初めての参加となったリオデジャネイロ・オリンピックまでの道のりを記載する」。

 第7章「初めての『国民結束の日』とリオデジャネイロ・オリンピック参加はなにをもたらしたのか?」では、「独立後、初めての『国民結束の日』と初めての参加となったリオデジャネイロ・オリンピックは、南スーダン人にとってどのような意味を持つものであったのかを選手たちや観客たち、そして文化・青年・スポーツ省の声などを通じて振り返ってみる」。

 「そして、最後に全体の振り返りと東京オリンピック、そして、2030年をゴールに設定されているSDGs16(持続可能な開発目標16は、「平和と公正をすべての人に」が目標)に向けた、関係者の思いを記載して本書を締めくくる」。

 本書のタイトルをみて読み進め、「スポーツ」がなかなかでてこず、「南スーダンの概要や紛争の歴史」が延々と説明されていることにいらだった読者がいるかもしれない。しかし、それがなければ、「スポーツの力」は充分に理解されないだろう。著者は、「あとがきと謝辞」で、つぎのように説明している。「記憶が薄れていく中での作業となったため、書ききれなかったことも多いと思う。そして、『国民結束の日』の実現に向けて立ちはだかった難問を活字に落として読者にお伝えすることは想像していた以上に難しい作業となった。独りよがりの文書として捉えられているかもしれない。しかも、南スーダンは日本人にとって遠く離れた国である。未知の国の出来事について理解することは極めて困難なことである。そのため、南スーダンの概要や紛争の歴史などについても触れることにした。その中でなぜ、スポーツを通じた平和構築なのかの記載も試みた。そして、『国民結束の日』に至った経緯や『国民結束の日』の開催、リオデジャネイロ・オリンピック参加支援への関係者の悪戦苦闘ぶりも描いたつもりである」。

 著者は、ただたんに危険をも顧みず、がむしゃらに「国際貢献」していますという「独りよがり」のものとは違い、その社会を基層から理解することによって、その国の人びとの力で「平和構築」をめざす方向づけを考えていることがわかる。「平和構築」は失敗したとすれば外部からの干渉や横やりが入ったからであり、成功すれば内部に帰するというのが基本的な考えで、ゆめゆめ「国際貢献」の成果と考えてはならない。

 著者は、2014年に一橋大学から博士号を授与されている。その直後の現場での成果が、本書から見え、安心して読むことができた。この分野だけではないが、もはや世界で活躍するためには、もちろん個人差は大いにあるが、修士号では不充分で博士号まで必要なことがわかる。なにより、現地では軍隊の称号より、「博士」が威力を発揮する。成功のひとつに、著者が「ドクター」と呼ばれたことがあることは明々白々である。

 ただ気をつけなければならないのは、かつてスポーツはファシズムや植民地主義など、権力者に悪用されたということである。「スポーツの力」が認められれば、それを権力強化のために使いたくなる。JICAが、現地の人びとにとって、その「権力者」になることだけは避けなければならない。

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