早瀬晋三書評ブログ2018年から

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2020年02月

岡部恭宜編著『青年海外協力隊は何をもたらしたか-開発協力とグローバル人材育成50年の成果-』ミネルヴァ書房、2018年5月15日、326頁、4500円+税、ISBN978-4-623-07621-5

 本書は、2011年末にはじまったJICA研究所のプロジェクト「青年海外協力隊の学際的研究」の成果である。その概要は、表紙カバー見返しにつぎのようにまとめられている。「国民参加型ODAであり、国際協力機構(JICA)が実施している青年海外協力隊。この事業は、途上国の人々に変化をもたらす開発協力と、グローバル社会で活躍する日本人の育成という二つの顔を持ち、1965年の発足から50年を超えた。本書は、様々な学問的視点から、隊員への意識調査やインタビュー、参与観察や一次資料等を駆使し、隊員の実際の活動のほか、事業の制度や組織を総合的に分析。協力隊の役割を捉え直し、その意義を検証する」。

 「本書は、協力隊の事業目的に焦点を当て、その成果を分析する研究書である」。協力隊の事業目的は、1965年の発足当初から3つあり、「この50年間ほとんど変わっていない」。「3つの目的とは、①開発途上国の経済・社会の発展、復興への寄与、②友好親善・相互理解の深化、③国際的視野の涵養とボランティア経験の社会還元である。要するに、「隊員」である日本人ボランティアを海外に派遣し、技術協力を中心とした開発協力に従事してもらうと同時に、それによって国際交流を深め、国際的視野の涵養に代表される隊員の人材育成を行い、さらにその経験を日本国内に持ち帰って還元してもらうという、多様な目的を持つ事業である」。

 本書は、はじめに、序章、4部全12章、9コラム、終章からなる。「序章 青年海外協力隊の学際的研究」(岡部恭宜)では、「1 青年海外協力隊の成果を分析する」「2 国際ボランティアとしての協力隊」「3 開発協力と人材育成を分析する視点」の3つの節で、「まず協力隊の概要を紹介した後、それが国際ボランティア事業であることを改めて確認する。次に開発協力と人材育成という2つの事業目的に関する従来の研究を整理しつつ、制度、歴史、他国の事業例を含め、協力隊の成果を分析するために必要な視点を検討する」。最後に、「4 各章の概要」で「各章の簡単な紹介を行うことで、読者の便宜に供したい」。

 「第Ⅰ部 歴史と制度・組織」では、「主にJICA現地事務所、調整員制度、短期派遣制度に焦点を当てて、その影響を論じるとともに、協力隊創設の歴史を辿っている」。第Ⅰ部は、つぎの3章からなる:「第1章 青年海外協力隊の50年-起源と発展」(岡部恭宜)「第2章 ボランティア事業における現地事務所の役割」(山田浩司)「第3章 青年海外協力隊短期派遣と「グローバル人材育成」」(藤掛洋子)。

 「第Ⅱ部 隊員は何をしたか-開発協力の担い手」では、「協力隊の活動において双方向の因果関係や連鎖的な因果関係が存在することを念頭に置いた上で、定性的でプロセスを重視した、いわば動的な分析アプローチを採用して開発協力の効果を分析する」。第Ⅱ部は、つぎの3章からなる:「第4章 青年海外協力隊とキャパシティ・ディベロップメント」(細野昭雄)「第5章 「心」にはたらきかけた隊員たち-バングラデシュの予防接種、ホンジュラスのシャーガス病対策から考える」(上田直子)「第6章 青年海外協力隊隊員の役割と可能性-バングラデシュ国初等教育分野における活動事例」(馬場卓也・下田旭美)。

 「第Ⅲ部 隊員について知る-人材育成の成果」では、「独自に実施した隊員への意識調査に基づく定量的データやインタビューによる定性的データを用いて、人類学や心理学の観点から青年育成に対する効果を分析している」。第Ⅲ部は、つぎの3章からなる:「第7章 協力隊員の類型化-参加動機から見る隊員像」(須田一哉・白鳥佐紀子・岡部恭宜)「第8章 落胆と「成果」-太平洋島嶼の地域性と青年海外協力隊」(関根久雄)「第9章 「めげずに頑張り続ける力」はどこから来るのか-パネルデータおよびインタビューによる分析」(佐藤峰・上山美香)。

 そして、「第Ⅳ部 国際比較」では、「欧米とアジアの比較分析を行うとともに、先輩格である米国と英国の事業を取り上げ、協力隊と比較することから示唆を得ようとしている」。第Ⅳ部は、つぎの3章からなる:「第10章 アジアの国際ボランティア事業-欧米との比較研究」(岡部恭宜)「第11章 政府系ボランティアのパイオニア・米国平和部隊の非政治性-ラテンアメリカ地域の事例を中心に」(河内久実子)「第12章 英国VSOとJICAボランティア事業」(松本節子)。

 9つのコラムは、「12の章で扱えなかった協力隊の様々な側面を取り上げている。そのうち6本は各章のテーマに関連したものだが、残る3本は、障害と開発、野球の指導と普及、難民問題という独自のテーマを論じている」。

 3つの事業目的のなかでも、「とくに本書が重要と考えるのは、①の開発協力と③の人材育成で」、「終章 国際ボランティアとしての青年海外協力隊-成果、提言、展望-」(岡部恭宜・三次啓都)では、開発協力と人材育成を中心に、「協力隊事業がどのような成果を上げているのか、また成果を高めるためにはどのような制度や政策が必要なのか、という問題を検討した」。

 その結果は、つぎのようにまとめられている。「1965年当時、創設者たちは開発協力と人材育成の両方を目指していたのである。それによって幅広い専門分野から多数の国民が参加することが可能となったのであり、現在の協力隊の派遣数の規模や活動分野の広がりは、この双面の事業目的なしには達成できなかっただろう」。「要するに、開発協力と人材育成という目的は、協力隊の事業レベルでも同時に追求されてきたし、ボランティア個人レベルでも彼らの活動の過程で相互に影響を及ぼし合ってきた。いずれのレベルでも、協力隊は「開発協力と人材育成のあいだ」に位置しており、2つの目的が相乗効果を生んで発展してきたのである。協力隊が途上国にボランティアを派遣する事業である限り、開発協力と人材育成は今後も車の両輪であり続けるだろう」。

 青年海外協力隊は、「途上国にボランティアを派遣する事業である」。多くの者が「教える」ことを目的に行くが、帰国時には「教えたことより、教わったことの方が多かった」という感想をもつ。そこから、これからの協力隊のあり方がみえてくるような気がする。「ともに生きる」という視点で、対等な関係のなかで教えたり教わったりすることである。政府系の事業だけに、その成果や効率性が求められるのは当然で、本書もJICA研究所のプロジェクトだけにそのことを抜きにしては語れないだろう。しかし、日本が経済的に圧倒的に優越した時代は終わった。「ともに生きる」視点で、ともに開発協力し、人材育成する時代に来ているのではないだろうか。「教え方」より「教わり方」が上手になることによって、「教え方」に変化をもたらすことができるだろう。

竹田いさみ『海の地政学-覇権をめぐる400年史』中公新書、2019年11月25日、267頁、900円+税、ISBN978-4-12-102566-1

 「陸地が分断支配され領地とされてきた歴史があるように、海にも同様の歴史がある」。しかし、その歴史的長さ、地理的範囲には大きな違いがある。本書は、約400年前にはじまったヨーロッパ人による「海洋の歴史を振り返り、海洋秩序や海洋ルールの変遷に焦点をあて、近現代史を海から捉え直す」ことを目的に書かれた、あくまで陸地から見た「海の地政学」である。

 本書の限界について、著者、竹田いさみは、つぎのように「まえがき」で述べている。「本書は、おもに近現代の国家を対象にしている。また、海洋秩序のあり方に大きな影響を及ぼす中国の動向に焦点を絞ったため、日本と排他的経済水域(EEZ)を接するロシア、韓国、北朝鮮、台湾などを取り上げていない。ただ今後、北極海航路の重要性が高まる中、ロシアが重要な役割を演じることは間違いないだろう」。

 本書は、まえがき、全6章、あとがきからなる。

 第1章「海を制した大英帝国」では、「国家が海と向き合うようになった「大航海時代」に少し触れ、主に一七世紀から一九世紀における、イギリスの海洋パワーとしての発展を分析していく」。

 第2章「クジラが変えた海の覇権」では、「一九世紀における新たなプレーヤーとして、捕(ほ)鯨(げい)業を軸に海の覇権競争に参画したアメリカを俎上にのせる」。

 第3章「海洋覇権の掌握へ向かうアメリカ」では、「パナマ運河建設、海軍力の強化を図ったアメリカが、二つの大戦を通じてイギリスに取って代わる海洋パワー(シーパワー)としての地歩を固めていく姿を明らかにする」。

 第4章「海洋ルールの形成」は、「二〇世紀における海洋革命と謳われた「トルーマン宣言」を中心に、アメリカ主導の新しい海洋秩序の形成、ならびに国連海洋法条約の制定過程を詳(つまび)らかに見ていく」。

 第5章「国際ルールに挑戦する中国」では、「世界の海洋秩序に挑戦する中国の動向を検証し、第6章「海洋秩序を守る日本」では、「「海上法執行」の主役を演じる日本の対応を考察する。法執行とは、国内法である海上保安庁法や警察官職務執行法などに基づいて警察権を行使するとともに、国連海洋法条約をはじめとする国際ルールを踏まえて、領海警備や排他的経済水域の保全・管理、さらに海賊対処行動をすることである」。

 そして、著者は、「「自由で開かれたインド太平洋」を目指して」の見出しの下、つぎのように述べて、最終章である第6章を閉じている。「「海の憲法(国連海洋法条約)」を戴く、秩序と協調を前提とした二一世紀の海洋世界構築に対して、中国という不安定要因がある。そのようななかで、日本が国際社会をリードしつつ外交・防衛・法執行(外交力・軍事力・警察力)という海洋秩序の装置を強化し、海洋秩序に挑戦する中国の進出に歯止めをかけなくてはならない。一九世紀の海の覇者イギリスや、二〇世紀を代表する「海洋パワー(シーパワー)」アメリカとは異なるアプローチをもって、海上法執行の分野で、日本は大きな役割を演じることができる」。

 このような結論に至ったことは、「あとがき」のつぎの謝辞からわかる。「脱稿までの長いプロセスでは、実にさまざまな方々にご教示をいただいた。海上保安庁、防衛省・海上自衛隊、外務省、国際協力機構(JICA)、国際交流基金、日本船主協会、全日本海員組合、日本郵船、郵船クルーズの方々からは、多様な学習の機会を頂戴した。厚くお礼を申し上げたい」。

 著者は、「領海警備の最前線である石垣島、宮古島、那覇、鹿児島、福岡、門司、対馬、舞鶴、新潟を訪れた際には、巡視船艇を見学しながら、現場での活動を大勢の保安官からうかがうことができた」。また、つぎのように述べている。「海上自衛隊の練習艦「かしま」に乗艦して地中海から紅海への航行中、あのスエズ運河を通航できたことはまたとない希少な経験であった。横須賀、呉、佐世保、舞鶴、大(おお)湊(みなと)にある海自の地方総監部、さらには那覇、岩国、厚木の航空「基地」、さらに陸上自衛隊や航空自衛隊の駐屯地を視察するたびに、防衛力の重要性を認識した」。

 これだけの旅費が捻出できたことは羨ましいかぎりだが、その財源は、見落としていなければ、どこにも書かれていない。

小川真和子『海の民のハワイ-ハワイの水産業を開拓した日本人の社会史』人文書院、2017年11月10日、286頁、4000円+税、ISBN978-4-409-53051-1

 英語の前著Sea of Opportunityを読んでいたが、その「翻訳に留まらず、内容を大幅に加筆、修正した上で、新たな研究の成果を多く取り入れたものが本書である」というので、新たな発見を期待して読みはじめた。よくあることだが、専門とする人にとっての大きな違いも、専門外の者にはそれほど感じないことがある。専門外のわたしが期待したものはそれほど多くなかったが、随所にこれまでの研究に欠けていたものが示されていた。

 前著との違いや本書の目的について、著者の小川真和子は、つぎのように述べている。「前著と比べ、第三章の後半以降は頁が進むごとに加筆、修正事項が増加する。さらにより多くの関係者への聞き取り調査によって得た情報をふんだんに取り入れることによって、本書は文献史学の枠組みを超えた民族誌(エスノグラフィー)としての特徴も持つ物語となっている。そうして多くの生の声に触れることによって、なぜ日本の海の民がハワイの海において、陸の常識、陸の論理が及ばない、独自の政治的・経済的秩序を作り上げることに成功したのかという問いに対する答えを模索する。昨今、太平洋における人と人、そして人以外の生き物や植物などの交流に関する研究の進展は目覚ましい。太平洋に浮かぶ島である日本とハワイをつないだ人々を描くことによって、本書もささやかながらその一端を担うことを期待している」。

 本書は、序章「なぜハワイの「海」なのか」、全5章、終章からなる。

 第一章「ハワイへの路」では、「日本の漁業文化と歴史について、ハワイに多くの海の民を送り込んだ和歌山県、山口県、広島県を中心に描く」。「これらの漁村の国内外への出漁の歴史を踏まえた上で、やがて数ある出漁先の中にハワイが組み込まれていった過程について詳説する」。

 第二章「ハワイにおける日本の海の民」では、「草創期におけるハワイの日本人漁業の様子と、やがて日本人が中心となって近代的な水産業を構築する過程を扱う」。「一九世紀末における日本人漁業の草創期から業界における日本人の指導的立場が確立する一九二〇年代までを主に扱う」。

 第三章「サンパン漁業の最盛期」では、「日本人漁業の黄金期とも言える一九二〇年代から一九三〇年代を取り上げる」。「主に一九三〇年代を中心に、ハワイにおける日本の海の民の漁撈の様子やその生活、社会的、文化的、経済的な活動に言及しつつ、この時期に官民挙げて行われたハワイの漁業振興策についても述べる」。

 第四章「太平洋戦争とサンパン漁船の消滅」では、「一九三〇年代以降、日米開戦に至る日米関係の悪化と、開戦後におけるハワイの水産業の状況について論じる」。「戦争がハワイの水産業へもたらした影響や、戦時中における漁業制限をめぐる議論に触れた上で、終戦後間もなく日本人漁業が復活する下地が、既に戦時中に作られていたことについて明らかにする」。

 第五章「漁業の復興と沖縄の漁業研修生」では、「戦後におけるハワイの水産業の復興、および日本の海の民の生活の変容について論じる。戦前、業界を牽引していた指導者層が強制収容所からハワイに戻ると、直ちに水産業の再構築に取り掛かった。しかしその時、大きな問題となったのは、戦前から操業していた漁民の高齢化と後継者不足の問題であった」。「戦争直後から二〇世紀後半におけるハワイの漁業の変遷と漁村の生活の変化[に]ついて述べる」。

 そして、終章「今日におけるハワイの水産業の現状と日本の海の民の文化」では、「経済的、民族的、社会的、そして文化的に大きな変化を遂げた二一世紀のハワイにおける多様化、多民族化したハワイの水産業の現状について論じる。二一世紀に入ると日本人漁民の姿はほとんど消えてしまったが、百年以上前に日本人が導入した漁法や魚介類の行商、消費、そして信仰や人々のつながりといった日本の海の民の文化は、現在も形を変えながら存続している。時代とともに大きく変貌しながらも、日本の影響を今日まで色濃く残すハワイの水産業や海の文化に触れつつ、本書の締めくくりとする」。

 「あとがき」冒頭で、「かつて私は海とは縁の無い生活を送る、いわば陸の民であった」という著者は、「海と深い関わりをもつ生活を送る「海の民」を中心に、その生業の実態のみならずその社会や文化について、ジェンダーの視点も加えながら考察」し、終章をつぎのように結んでいる。「日本の海とハワイの海を介した会話が始まったのは、今から一三〇年以上も前のことである。ゆうに一世紀を超える時間の流れの中で、海の民は海にまつわる様々な情報や道具、モノを交換し、海を舞台として、時には人種やエスニシティの相違故の反感を生み出し、また時にはそれらを乗り越えた共感を育んできた。こうして海の民が紡ぎ出してきた色とりどりの歴史の糸は、今日もなお、新たな頁、そして新たな章を付け加え続けている」。というよりも、流動性あるグローバルな時代が、ひとびとを「陸の常識、陸の論理が及ばない、独自の政治的・経済的秩序」をもつ「海の民」の社会に近づけさせている。

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