谷口美代子『平和構築を支援する-ミンダナオ紛争と和平への道』名古屋大学出版会、2020年3月20日、381頁、6300円+税、ISBN978-4-8158-0985-0
問題が複雑で、長期にわたるとき、基礎研究が重要になる。基礎研究者は、それを意識して、問題の解決にあたる実務者の役に立ちたいと思う。だが、現実には、目の前の問題に追われる実務者に基礎研究者の研究成果をじっくり読む余裕はなく、基礎研究者もそのような実務者の実態を充分に理解せず、一方的に発進し続け、現場にフィードバックできないことが多い。歴史的背景は、せいぜい近現代史のなかで理解され、前近代まで遡って考える実務者はそれほど多くない。しかし、本書の著者は、歴史学を基礎研究とする者にとって、まことに嬉しく、このミンダナオ紛争の解決のためには、前近代史も重要であることを理解している。
帯には、「リベラル平和構築論を超えて」とあり、つぎのように説明している。「15万人に及ぶ犠牲者を出し、日本もかかわるアジアの代表的地域紛争の和平をいかに実現すべきか。現地支援の豊富な経験と徹底した調査により、分離独立紛争とその影に隠れた実態を解明、外部主導の支援の限界を示して、現地社会の視点をふまえた平和構築のあり方を考える」。
本書は、はじめに、序章、全5章、終章、あとがき、などからなる。「序章 リベラル平和構築論とミンダナオ紛争」で、まず問題意識を明らかにし、その問題意識をもとに「平和構築論とミンダナオ紛争に関する先行研究とその問題点を指摘し、本書の位置づけと意義を示して」いる。
第1章から第3章までは、時系列に歴史を追う。第1章「海域イスラーム社会から米国による国民国家形成へ」は、「前イスラーム期からイスラーム王国期、米国統治期までのミンダナオ・スールーの基層社会に根づいた統治制度と社会構造の関係を検討し、外部・内部要因によって国家がどのように形成・発展してきたかを歴史的視点から分析することで、この地域の文脈における「国家」の実態を明らかにする」。
第2章「フィリピン独立後のミンダナオ統治-イスラーム系反政府武装勢力の生起と発展」では、「フィリピン独立後、MNLF[モロ民族解放戦線]がどのように生起・発展し、この勢力と国家、そしてクランがどのような関係にあり、その結果、これまでの国家とクランの間の関係と、さらには「モロ」の社会構造・関係がどのように変化したかを明らかにする」。
第3章「バンサモロによる平和構築への展開」では、「MNLFから分派したMILF[モロ・イスラーム解放戦線]が分離独立を目指すイスラーム反政府武装勢力として、「バンサモロ」という新たな言説のもとで、どのように国際社会とモロ社会において政治的正統性を高め、部分的ながらも「平和構築」を実戦してきたのかをたどる」。
第4章「複雑化・多様化する紛争・暴力の構造-ムスリム・クラン間抗争と分離独立紛争の関係性」では、「分離独立紛争の影で人びとの日常生活に深刻な影響を及ぼしているムスリムの有力クラン間の抗争(「リド」)を事例として取り上げ、多様化・複雑化するミンダナオでの紛争・暴力の構造的要因の実態を解明する」。
第5章「下からの平和構築-マギンダナオ州ダトゥ・パグラス町とウピ町の事例」では、「町レベルでの平和構築の「成功事例」を取り上げ、これら首長による実践と成果の本質的意味を検討し、ミンダナオの文脈における「下からの平和構築」のひとつのあり方として再解釈する」。
そして、終章「リベラル平和構築論を超えて」では、「ミンダナオにおける紛争・暴力・平和の構造的メカニズムについてまとめた上で、新たな平和構築への視座、平和構築の未来と支援のための示唆を述べる」。
そして、「バンサモロ闘争は、国家による「モロ」への「歴史的不正義」を正すためのものである」とし、「歴史的不正義」をつぎのように要約している。「「米国植民地政府が開始した同化政策と土地登記法の導入、キリスト教徒の再定住政策によって民族構成が変化し、それに伴い、「バンサモロ」の人びとが周辺化したことを端緒とする。こうした統治技法が独立後のフィリピン政府にも継承され、分離独立紛争開始以来、国家が構造的・組織的な暴力によって人的被害を与え、人びとから生の尊厳や福祉拡大(=よりよく生きる)のための機会を継続的に奪ってきたことである」。
「本書が着目したのは社会制度としてのクランである」。ミンダナオだけでなく、海域東南アジアは、「村落国家」といわれるように、自然集落を基本とする首長制社会で、資料などが比較的充分にある国や州単位ではなく、市町村単位で考察する必要がある。しかし、実際に考察しようとすると、統計資料等が不充分で、あっても信用できるものかどうか疑わしいため、なかなか考察の対象にできなかった。本書では、それを「実務を通して現地を知っている者にしか書けない」市町村単位での考察を可能にした。
また、ミンダナオ紛争をイスラームという宗教問題だけでなく、フィリピンという国家とクランとの問題として論じた。キリスト教徒フィリピン人を中心とするマニラの政府に受け継がれた「歴史的不正義」は、クランを利用することによって紛争を助長し、クランもマニラの政府を利用することによって私(氏)益を維持・拡大した。両者の持ちつ持たれつの関係に、イスラーム原理主義運動、密輸、麻薬などが絡み、泥沼化していった。
著者は、その解決策として「公共空間の創出」をあげ、つぎのようにまとめて、本書の結論としている。「本書では、ミンダナオにおける平和構築の事例研究を通して、多様なアクターによる「親密性から公共性への転化」の実践例を描き出した。それらをふまえて、ミンダナオの文脈における「平和構築」とは、「私(氏)益誘導型の政治文化が支配的なこの地域で、公共性・公益性という新たな価値・規範のもと、統治者・主体が多様なステークホルダーと協調関係を構築し、それぞれが多元的に応化することによって複数の公共空間・公共圏を創出すること」と整理することができる。ミンダナオの事例は、今後の紛争後社会の平和構築研究において、平和構築の本質的意味を地域の文脈に沿って解釈することの必要性を提起している」。
本書で明らかにしたことのひとつに、「ミンダナオでの紛争と暴力の根源的要因が国家による直接的ないし構造的暴力にあり、国家がムスリム有力氏族と結託して犯罪・不正を黙認し、不刑罰の文化を定着させることでクラン間抗争が増加した」ことがある。「歴史的不正義」は、フィリピンという植民地国家、独立後の国民国家で生起し拡大したのであれば、ミンダナオのイスラーム教徒は世界のなかのイスラームや地域のなかのイスラームではなく、フィリピンのなかのイスラームを基本として、解決を見出さざるを得ない状況になっているということができる。ならば、ミンダナオ問題は、イスラーム教徒にとってのフィリピン問題が解決しないかぎり、解決しないことになる。マニラの政府が、ミンダナオ問題を解決することが国益に通ずると認識することが重要となる。孫の半数がイスラーム教徒であるドゥテルテ大統領は、そのことがわかっているかもしれないが、ドゥテルテ大統領の政策が次期大統領に引き継がれるとは限らない。ミンダナオ紛争を泥沼化させた原因のひとつは、マニラの政府に一貫性がなく、これまでの解決策が「不履行」を繰り返していることである。ドゥテルテ政権も後半に入り、これから影響力が低下し、2022年に予定通り新たなバンサモロ自治政府が設立される補償は、どこにもない。まずは、マニラのキリスト教徒を中心とする政府が安定し、経済的に発展することが、前提条件となる。
「フィリピン国家法、ムスリム法典、慣習法が併存している」ミンダナオでは、「異民族間の紛争解決メカニズムがなかったため」、「慣習制度を応用して合議制による独自のハイブリッドな法的枠組みを確立し、紛争解決と正義実現のための仕組みを構築して、治安改善を図」るしかない。かつて優れた首長は、複数の言語を理解し、民族言語集団間の争いごとを話しあいでおさめた。いま、国家法、宗教法、慣習法を熟知し、話しあいでおさめるメカニズムが必要である。これまでカリスマ的リーダー(英雄)が現れずに解決が長引き、その出現が期待できないのであれば、まずは対話の機会をつくり増やすことが、解決への着実な一歩となる。
そして、本書が、解決への大きな一歩となる。
帯には、「リベラル平和構築論を超えて」とあり、つぎのように説明している。「15万人に及ぶ犠牲者を出し、日本もかかわるアジアの代表的地域紛争の和平をいかに実現すべきか。現地支援の豊富な経験と徹底した調査により、分離独立紛争とその影に隠れた実態を解明、外部主導の支援の限界を示して、現地社会の視点をふまえた平和構築のあり方を考える」。
本書は、はじめに、序章、全5章、終章、あとがき、などからなる。「序章 リベラル平和構築論とミンダナオ紛争」で、まず問題意識を明らかにし、その問題意識をもとに「平和構築論とミンダナオ紛争に関する先行研究とその問題点を指摘し、本書の位置づけと意義を示して」いる。
第1章から第3章までは、時系列に歴史を追う。第1章「海域イスラーム社会から米国による国民国家形成へ」は、「前イスラーム期からイスラーム王国期、米国統治期までのミンダナオ・スールーの基層社会に根づいた統治制度と社会構造の関係を検討し、外部・内部要因によって国家がどのように形成・発展してきたかを歴史的視点から分析することで、この地域の文脈における「国家」の実態を明らかにする」。
第2章「フィリピン独立後のミンダナオ統治-イスラーム系反政府武装勢力の生起と発展」では、「フィリピン独立後、MNLF[モロ民族解放戦線]がどのように生起・発展し、この勢力と国家、そしてクランがどのような関係にあり、その結果、これまでの国家とクランの間の関係と、さらには「モロ」の社会構造・関係がどのように変化したかを明らかにする」。
第3章「バンサモロによる平和構築への展開」では、「MNLFから分派したMILF[モロ・イスラーム解放戦線]が分離独立を目指すイスラーム反政府武装勢力として、「バンサモロ」という新たな言説のもとで、どのように国際社会とモロ社会において政治的正統性を高め、部分的ながらも「平和構築」を実戦してきたのかをたどる」。
第4章「複雑化・多様化する紛争・暴力の構造-ムスリム・クラン間抗争と分離独立紛争の関係性」では、「分離独立紛争の影で人びとの日常生活に深刻な影響を及ぼしているムスリムの有力クラン間の抗争(「リド」)を事例として取り上げ、多様化・複雑化するミンダナオでの紛争・暴力の構造的要因の実態を解明する」。
第5章「下からの平和構築-マギンダナオ州ダトゥ・パグラス町とウピ町の事例」では、「町レベルでの平和構築の「成功事例」を取り上げ、これら首長による実践と成果の本質的意味を検討し、ミンダナオの文脈における「下からの平和構築」のひとつのあり方として再解釈する」。
そして、終章「リベラル平和構築論を超えて」では、「ミンダナオにおける紛争・暴力・平和の構造的メカニズムについてまとめた上で、新たな平和構築への視座、平和構築の未来と支援のための示唆を述べる」。
そして、「バンサモロ闘争は、国家による「モロ」への「歴史的不正義」を正すためのものである」とし、「歴史的不正義」をつぎのように要約している。「「米国植民地政府が開始した同化政策と土地登記法の導入、キリスト教徒の再定住政策によって民族構成が変化し、それに伴い、「バンサモロ」の人びとが周辺化したことを端緒とする。こうした統治技法が独立後のフィリピン政府にも継承され、分離独立紛争開始以来、国家が構造的・組織的な暴力によって人的被害を与え、人びとから生の尊厳や福祉拡大(=よりよく生きる)のための機会を継続的に奪ってきたことである」。
「本書が着目したのは社会制度としてのクランである」。ミンダナオだけでなく、海域東南アジアは、「村落国家」といわれるように、自然集落を基本とする首長制社会で、資料などが比較的充分にある国や州単位ではなく、市町村単位で考察する必要がある。しかし、実際に考察しようとすると、統計資料等が不充分で、あっても信用できるものかどうか疑わしいため、なかなか考察の対象にできなかった。本書では、それを「実務を通して現地を知っている者にしか書けない」市町村単位での考察を可能にした。
また、ミンダナオ紛争をイスラームという宗教問題だけでなく、フィリピンという国家とクランとの問題として論じた。キリスト教徒フィリピン人を中心とするマニラの政府に受け継がれた「歴史的不正義」は、クランを利用することによって紛争を助長し、クランもマニラの政府を利用することによって私(氏)益を維持・拡大した。両者の持ちつ持たれつの関係に、イスラーム原理主義運動、密輸、麻薬などが絡み、泥沼化していった。
著者は、その解決策として「公共空間の創出」をあげ、つぎのようにまとめて、本書の結論としている。「本書では、ミンダナオにおける平和構築の事例研究を通して、多様なアクターによる「親密性から公共性への転化」の実践例を描き出した。それらをふまえて、ミンダナオの文脈における「平和構築」とは、「私(氏)益誘導型の政治文化が支配的なこの地域で、公共性・公益性という新たな価値・規範のもと、統治者・主体が多様なステークホルダーと協調関係を構築し、それぞれが多元的に応化することによって複数の公共空間・公共圏を創出すること」と整理することができる。ミンダナオの事例は、今後の紛争後社会の平和構築研究において、平和構築の本質的意味を地域の文脈に沿って解釈することの必要性を提起している」。
本書で明らかにしたことのひとつに、「ミンダナオでの紛争と暴力の根源的要因が国家による直接的ないし構造的暴力にあり、国家がムスリム有力氏族と結託して犯罪・不正を黙認し、不刑罰の文化を定着させることでクラン間抗争が増加した」ことがある。「歴史的不正義」は、フィリピンという植民地国家、独立後の国民国家で生起し拡大したのであれば、ミンダナオのイスラーム教徒は世界のなかのイスラームや地域のなかのイスラームではなく、フィリピンのなかのイスラームを基本として、解決を見出さざるを得ない状況になっているということができる。ならば、ミンダナオ問題は、イスラーム教徒にとってのフィリピン問題が解決しないかぎり、解決しないことになる。マニラの政府が、ミンダナオ問題を解決することが国益に通ずると認識することが重要となる。孫の半数がイスラーム教徒であるドゥテルテ大統領は、そのことがわかっているかもしれないが、ドゥテルテ大統領の政策が次期大統領に引き継がれるとは限らない。ミンダナオ紛争を泥沼化させた原因のひとつは、マニラの政府に一貫性がなく、これまでの解決策が「不履行」を繰り返していることである。ドゥテルテ政権も後半に入り、これから影響力が低下し、2022年に予定通り新たなバンサモロ自治政府が設立される補償は、どこにもない。まずは、マニラのキリスト教徒を中心とする政府が安定し、経済的に発展することが、前提条件となる。
「フィリピン国家法、ムスリム法典、慣習法が併存している」ミンダナオでは、「異民族間の紛争解決メカニズムがなかったため」、「慣習制度を応用して合議制による独自のハイブリッドな法的枠組みを確立し、紛争解決と正義実現のための仕組みを構築して、治安改善を図」るしかない。かつて優れた首長は、複数の言語を理解し、民族言語集団間の争いごとを話しあいでおさめた。いま、国家法、宗教法、慣習法を熟知し、話しあいでおさめるメカニズムが必要である。これまでカリスマ的リーダー(英雄)が現れずに解決が長引き、その出現が期待できないのであれば、まずは対話の機会をつくり増やすことが、解決への着実な一歩となる。
そして、本書が、解決への大きな一歩となる。