早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2020年04月

谷口美代子『平和構築を支援する-ミンダナオ紛争と和平への道』名古屋大学出版会、2020年3月20日、381頁、6300円+税、ISBN978-4-8158-0985-0

 問題が複雑で、長期にわたるとき、基礎研究が重要になる。基礎研究者は、それを意識して、問題の解決にあたる実務者の役に立ちたいと思う。だが、現実には、目の前の問題に追われる実務者に基礎研究者の研究成果をじっくり読む余裕はなく、基礎研究者もそのような実務者の実態を充分に理解せず、一方的に発進し続け、現場にフィードバックできないことが多い。歴史的背景は、せいぜい近現代史のなかで理解され、前近代まで遡って考える実務者はそれほど多くない。しかし、本書の著者は、歴史学を基礎研究とする者にとって、まことに嬉しく、このミンダナオ紛争の解決のためには、前近代史も重要であることを理解している。

 帯には、「リベラル平和構築論を超えて」とあり、つぎのように説明している。「15万人に及ぶ犠牲者を出し、日本もかかわるアジアの代表的地域紛争の和平をいかに実現すべきか。現地支援の豊富な経験と徹底した調査により、分離独立紛争とその影に隠れた実態を解明、外部主導の支援の限界を示して、現地社会の視点をふまえた平和構築のあり方を考える」。

 本書は、はじめに、序章、全5章、終章、あとがき、などからなる。「序章 リベラル平和構築論とミンダナオ紛争」で、まず問題意識を明らかにし、その問題意識をもとに「平和構築論とミンダナオ紛争に関する先行研究とその問題点を指摘し、本書の位置づけと意義を示して」いる。

 第1章から第3章までは、時系列に歴史を追う。第1章「海域イスラーム社会から米国による国民国家形成へ」は、「前イスラーム期からイスラーム王国期、米国統治期までのミンダナオ・スールーの基層社会に根づいた統治制度と社会構造の関係を検討し、外部・内部要因によって国家がどのように形成・発展してきたかを歴史的視点から分析することで、この地域の文脈における「国家」の実態を明らかにする」。

 第2章「フィリピン独立後のミンダナオ統治-イスラーム系反政府武装勢力の生起と発展」では、「フィリピン独立後、MNLF[モロ民族解放戦線]がどのように生起・発展し、この勢力と国家、そしてクランがどのような関係にあり、その結果、これまでの国家とクランの間の関係と、さらには「モロ」の社会構造・関係がどのように変化したかを明らかにする」。

 第3章「バンサモロによる平和構築への展開」では、「MNLFから分派したMILF[モロ・イスラーム解放戦線]が分離独立を目指すイスラーム反政府武装勢力として、「バンサモロ」という新たな言説のもとで、どのように国際社会とモロ社会において政治的正統性を高め、部分的ながらも「平和構築」を実戦してきたのかをたどる」。

 第4章「複雑化・多様化する紛争・暴力の構造-ムスリム・クラン間抗争と分離独立紛争の関係性」では、「分離独立紛争の影で人びとの日常生活に深刻な影響を及ぼしているムスリムの有力クラン間の抗争(「リド」)を事例として取り上げ、多様化・複雑化するミンダナオでの紛争・暴力の構造的要因の実態を解明する」。

 第5章「下からの平和構築-マギンダナオ州ダトゥ・パグラス町とウピ町の事例」では、「町レベルでの平和構築の「成功事例」を取り上げ、これら首長による実践と成果の本質的意味を検討し、ミンダナオの文脈における「下からの平和構築」のひとつのあり方として再解釈する」。

 そして、終章「リベラル平和構築論を超えて」では、「ミンダナオにおける紛争・暴力・平和の構造的メカニズムについてまとめた上で、新たな平和構築への視座、平和構築の未来と支援のための示唆を述べる」。

 そして、「バンサモロ闘争は、国家による「モロ」への「歴史的不正義」を正すためのものである」とし、「歴史的不正義」をつぎのように要約している。「「米国植民地政府が開始した同化政策と土地登記法の導入、キリスト教徒の再定住政策によって民族構成が変化し、それに伴い、「バンサモロ」の人びとが周辺化したことを端緒とする。こうした統治技法が独立後のフィリピン政府にも継承され、分離独立紛争開始以来、国家が構造的・組織的な暴力によって人的被害を与え、人びとから生の尊厳や福祉拡大(=よりよく生きる)のための機会を継続的に奪ってきたことである」。

 「本書が着目したのは社会制度としてのクランである」。ミンダナオだけでなく、海域東南アジアは、「村落国家」といわれるように、自然集落を基本とする首長制社会で、資料などが比較的充分にある国や州単位ではなく、市町村単位で考察する必要がある。しかし、実際に考察しようとすると、統計資料等が不充分で、あっても信用できるものかどうか疑わしいため、なかなか考察の対象にできなかった。本書では、それを「実務を通して現地を知っている者にしか書けない」市町村単位での考察を可能にした。

 また、ミンダナオ紛争をイスラームという宗教問題だけでなく、フィリピンという国家とクランとの問題として論じた。キリスト教徒フィリピン人を中心とするマニラの政府に受け継がれた「歴史的不正義」は、クランを利用することによって紛争を助長し、クランもマニラの政府を利用することによって私(氏)益を維持・拡大した。両者の持ちつ持たれつの関係に、イスラーム原理主義運動、密輸、麻薬などが絡み、泥沼化していった。

 著者は、その解決策として「公共空間の創出」をあげ、つぎのようにまとめて、本書の結論としている。「本書では、ミンダナオにおける平和構築の事例研究を通して、多様なアクターによる「親密性から公共性への転化」の実践例を描き出した。それらをふまえて、ミンダナオの文脈における「平和構築」とは、「私(氏)益誘導型の政治文化が支配的なこの地域で、公共性・公益性という新たな価値・規範のもと、統治者・主体が多様なステークホルダーと協調関係を構築し、それぞれが多元的に応化することによって複数の公共空間・公共圏を創出すること」と整理することができる。ミンダナオの事例は、今後の紛争後社会の平和構築研究において、平和構築の本質的意味を地域の文脈に沿って解釈することの必要性を提起している」。

 本書で明らかにしたことのひとつに、「ミンダナオでの紛争と暴力の根源的要因が国家による直接的ないし構造的暴力にあり、国家がムスリム有力氏族と結託して犯罪・不正を黙認し、不刑罰の文化を定着させることでクラン間抗争が増加した」ことがある。「歴史的不正義」は、フィリピンという植民地国家、独立後の国民国家で生起し拡大したのであれば、ミンダナオのイスラーム教徒は世界のなかのイスラームや地域のなかのイスラームではなく、フィリピンのなかのイスラームを基本として、解決を見出さざるを得ない状況になっているということができる。ならば、ミンダナオ問題は、イスラーム教徒にとってのフィリピン問題が解決しないかぎり、解決しないことになる。マニラの政府が、ミンダナオ問題を解決することが国益に通ずると認識することが重要となる。孫の半数がイスラーム教徒であるドゥテルテ大統領は、そのことがわかっているかもしれないが、ドゥテルテ大統領の政策が次期大統領に引き継がれるとは限らない。ミンダナオ紛争を泥沼化させた原因のひとつは、マニラの政府に一貫性がなく、これまでの解決策が「不履行」を繰り返していることである。ドゥテルテ政権も後半に入り、これから影響力が低下し、2022年に予定通り新たなバンサモロ自治政府が設立される補償は、どこにもない。まずは、マニラのキリスト教徒を中心とする政府が安定し、経済的に発展することが、前提条件となる。

 「フィリピン国家法、ムスリム法典、慣習法が併存している」ミンダナオでは、「異民族間の紛争解決メカニズムがなかったため」、「慣習制度を応用して合議制による独自のハイブリッドな法的枠組みを確立し、紛争解決と正義実現のための仕組みを構築して、治安改善を図」るしかない。かつて優れた首長は、複数の言語を理解し、民族言語集団間の争いごとを話しあいでおさめた。いま、国家法、宗教法、慣習法を熟知し、話しあいでおさめるメカニズムが必要である。これまでカリスマ的リーダー(英雄)が現れずに解決が長引き、その出現が期待できないのであれば、まずは対話の機会をつくり増やすことが、解決への着実な一歩となる。

 そして、本書が、解決への大きな一歩となる。
 

橋本彩『ラオス競漕祭の文化誌-伝統とスポーツ化をめぐって』めこん、2020年2月29日、286頁、5400円+税、ISBN978-4-8396-0319-9

 1997年に東南アジア競技大会(SEA GAMES)の正式競技になって以来、「伝統的ボートレース」は2年に1度開催されるこのスポーツ大会で、これまで9度実施された。本書の副題に「伝統」と「スポーツ化」がある。東南アジア競技大会の正式競技の「伝統的ボートレース」は当然「スポーツ化」されたものだが、「伝統」ということばを冠している。この「伝統」は欧米起源のボートレースにたいしてのことばなのだろうか。「伝統」といっても、その意味するところは、さまざまである。本書では、「先祖代々に伝わる古い歴史をもつもの」としているようだ。

 本書の目的は、「序章 スポーツ人類学における競漕祭研究の意義と目的」で、つぎのようにまとめている。「本書では、スポーツ研究におけるスポーツカテゴリーをあえて踏襲すれば、非西欧社会における「伝統スポーツ」と捉えられるラオス・ヴィエンチャンの競漕祭を対象とし、競漕祭が社会との相互作用の中でどのような歴史的変容を経て、現在の状況に至っているのかを明らかにすることを目的とする」。

 著者橋本彩は、本書におけるキーワードの「伝統」と「スポーツ」に関連して、先行研究を検討した結果、つぎの6点の課題があることを認めた。「1)「近代スポーツ化」ならびに「伝統再帰」が起きた原因は何か」。「2)「伝統再帰」がなされた後も、競漕祭の中の1つのカテゴリーのみに再帰化が図られ、他のカテゴリーが続行された理由は何か」。「3)競漕祭における「伝統」は誰が何を「伝統」と見なしているのか」。「4)当該地域の人びとが競漕祭を「伝統」と見なしているのであれば、その「伝統」を重視する傾向はあるのか」。「5)「競技化」する競漕祭は当該地域の人びとにとって歓迎されるものであるのか」。「6)民俗的な競技文化はどのように伝統化されるのか」。

 本書は、はじめに、序章、3部全5章、終章からなり、つぎのようにまとめている。「「はじめに」では、本書に関係の深い3つのキーワード、「伝統」、「スポーツ」、「タイ」に着目するに至った2007年時点の調査状況を概説した。続く「序章」では本書の主題と関連する先行研究をまとめるとともに、本書の目的を示している。続いて調査地の概要を示したあと、第1章から第5章にかけて時代を区分し、競漕祭の変容における「伝統」と「スポーツ」の関係について新聞媒体を中心に考察を行なう。そして「終章」が考察および今後の課題・展望となる」。

 「第1部 フランス植民地政府の影響下で創造された競漕祭」は第1章と第2章の2章、「第2部 王国から社会主義国へ移行した激動期の競漕祭」は第3章と第4章の2章、「第3部 21世紀の競漕祭における伝統論争」は第5章の1章からなる。時代ごとに考察を進めているのだから説明するまでもないと考えているのか、各部の説明はないし、考察の対象にもなっていない。

 「終章 考察と展望」では、「(1)スポーツ化」で「先行研究にて残された課題1)2)5)」に関連し、「競漕祭の「スポーツ化・競技化」について考察」し、つぎのようにまとめている。「少なくとも、1960年代の王国時代において競漕をスポーツと見る動きは、競漕祭が西洋諸国にも劣らない合理性を持った祭りであり、ラオス独自の文化であるといった誇りと結びつき、積極的な意味を与えてきた。競漕祭に「キラー[スポーツ]」という語彙を用いることは歓迎されこそすれ、忌避されるものでなかったと言える」。

 「(2)伝統化」では、「残された課題3)4)6)に関連し、「伝統」とは誰にとっての「伝統」であり、「伝統化」とは何を指すのかについて改めて分析」した。その結果、つぎのようにまとめている。「長い舟の形状変化から2000年前後におきた「伝統」を巡る議論は、長い舟の形状に「伝統」を見出し、数年をかけて「伝統舟」の規定を詳細化していくことで決着をみたが、そのおよそ20年後の現在は、競漕祭が実施されるのが当然であった時期と場所に関する抗いがたい変化の波が押し寄せている。自然環境が相手であるだけに、差し迫る変化に対応せざるを得ない当該地域の人びとが、次は競漕祭の何に「伝統」を見出していくのか、今後も注視していきたい。ワット・チャン競漕祭は、1940年代に「創造」もしくは「復活」させられて以降、絶え間ない変化の波に晒されてきたからこそ、「伝統」を問われ続ける舞台であった。そして、競漕祭の伝統とは何かを当該地域の人びとが解釈するプロセスこそが、競漕祭を「伝統化」してきたとも言える」。

 「伝統」がつねに変化するのは、観る対象が変化するからである。ローカルなもの、国家を意識したもの、周辺地域を巻き込んだもの、世界的なもので、同じものでも観る者にあわせて変化する。ここでも、ローカル、ナショナル、リージョナル、ワールドの枠組で、それぞれを考えることができる。また、そのなかで制度的に縛られるものは、どれか。同じリージョナルなものでも、国際親善のを目的として多様性を重視するものもあれば、東南アジア競技大会の正式競技になって平準化が求められるものもある。著者がいうように、「絶え間ない変化の波に晒されてきた」ものからは目が離せない。

川中豪・川村晃一編著『教養の東南アジア現代史』ミネルヴァ書房、2020年3月31日、360頁、3200円+税、ISBN978-4-623-08667-2

 タイトルに「教養」があり、帯に「国々の胎動をイシューから捉えるテキスト」と「テキスト」があることから、本書は大学の教養課程のテキストとして編集し、出版されたことが想像できる。だが、これまでのテキストが「国家単位で歴史の経過を見るもの」であったり、「時代区分による見方」であったりしたものとは違い、「国家建設、経済発展、政治体制、民族、宗教といったテーマで各章を区分し、それぞれの視点から東南アジアの現代史を理解しようとするものである」という。

 本書は、序章と15の章、9つのコラムからなり、序章「東南アジア現代史を学ぶ」で、「東南アジアのおおまかな歴史の流れを示した」後、つぎの15のテーマ別に章立てしている:「植民地支配とナショナリズム、国家建設、経済発展、民主主義と権威主義、法の支配、軍、民族、宗教、地方、社会階層・格差、メディア、ジェンダー、人の移動、国際関係、日本と東南アジア」。

 表紙見返しでは、つぎのようにまとめている。「19世紀後半から現代までを射程に、各国史ではつかめないナショナリズム、民主主義と権威主義、経済、民族、宗教、メディアなどのダイナミックな地域全体としての動きを捉える。図版や資料を多用して、学びを助け、一冊で東南アジアの政治史、経済史、社会史、国際関係史が学べる入門書」。

 本書は、「2017~18年度に実施した「東南アジア政治の比較研究」研究会(独立行政法人日本貿易振興機構アジア経済研究所)の成果の一部」で、教養課程をもつ大学ではなく研究所の研究会が取り組んだという点でおもしろい試みである。執筆者のなかには、教養課程の授業を担当している者もいるだろう。

 テーマ別の個々の章を理解するには、道筋をつける「序章」が重要になってくる。序章および各章の冒頭には、「この章で学ぶこと」という欄があり、数百字で章の概略が示されている。「序章」では、「統一された地域秩序のなかった東南アジアはもともと地域としてのまとまりはなく」ではじまり、「19世紀以降に進んだヨーロッパ諸国による本格的な植民地化」、「第2次世界大戦終結後、順次独立を果たし」、「国民統合や統治機構を整備して」国家建設に務め、「1980年代になって民主化と経済自由化」がもたらされ、「1990年代以降にはグローバル化が進行し、社会経済の急速な変化が生まれている」と、「大まかな歴史の流れを示し」ている。

 「統一された地域秩序のなかった東南アジア」は、まず「1 東南アジアとは」で「地理的概念」を説明する必要があった。弥生時代には日本という国・地域がなかったので「日本の弥生時代」を説明するには、日本という地理的枠組を越えざるを得ないように、東南アジアという枠組がなかった時代の「東南アジア」を語るには、現在認識されている「東南アジア」という枠組を越えざるを得ない。それは、歴史だけでなく、テーマごとに東南アジアという枠組でいつから語ることができるようになるのかをはっきりさせる必要がある。テーマによっては、いまだに東アジアや南アジアという地域的枠組や、世界史やグローバル史として語ったほうがいいものがあるかもしれない。なぜ「東南アジア」という枠組が、世界にとって、日本にとって、東南アジアのそれぞれの国家にとって必要なのかという素朴な疑問が出てくる。

 教養課程で「東南アジア現代史」について2度学ぶ機会があれば、2冊目のテキストとして本書はその特徴を発揮することができるだろう。そのためには、「序章」を拡大して、1冊目のテキストを準備する必要があるように思う。それは、「序章」の最後で紹介されている「参考文献」「基本文献」で示したということだろうか。東南アジアにかんする予備知識があっても、テーマ別の各章はなかなか難しく、予備知識のない教養課程の学生にとってはとっつきにくいだろう。

坂野徹『<島>の科学者-パラオ熱帯生物研究所と帝国日本の南洋研究』勁草書房、2019年6月20日、356+30頁、4700円+税、ISBN978-4-326-10274-7

 本が執筆できるかどうか、いろいろな偶然がつきまとう。本書の「あとがき」では、この研究テーマに出会った偶然と、研究所に勤めた研究者の同窓会誌(『岩山会会報』18号)が閲覧できたことが語られている。いい資料に出会うと、その資料を活かしたものが書きたくなる。だが、資料を活かすだけの力量のある研究者はそれほど多くない。著者、坂野徹が活かせたのは、それまでの研究の蓄積と共同研究をおこなってきたからだろう。

 本書「プロローグ <島>にわたった科学者たち」の冒頭で、著者はつぎのように述べている。「本書は、戦前、日本の統治下に置かれたミクロネシアの島々-当時は南洋群島、内南洋(裏南洋)などと呼ばれた-で調査研究をおこなった日本の研究者(科学者)の群像と、彼らが経験した<島>での研究生活を描こうとするものである」。

 著者は、本書の3つの課題を挙げ、それぞれつぎのように説明している。「本書でまず考えてみたいのは、日本統治下のミクロネシアを調査研究のために訪れた研究者にとっての現地経験の意味である。彼らは、内地とは大きく異なる熱帯の島々で、その自然や人間、社会を対象にそれぞれの調査や研究をおこなった。帝国日本の研究者はミクロネシアで一体何を調べようとしていたのか。そして、現地で調査研究をおこなった経験は、彼らの人生にとっていかなる意味をもったのか。かかる研究者のミクロネシア経験の意味について考えるのが本書の第一の課題となる」。

 「次に本書で考えたいのが、戦前、ミクロネシアで実施された調査研究とそれを取り巻く政治状況との関係である。先に述べたとおり、日本のミクロネシアにおける学術調査は海軍による占領直後から始まったが、ミクロネシア(南洋群島)は、当時、外南洋(表南洋)と呼ばれた東南アジア地域への進出の拠点ともみなされ、ミクロネシアで経験を積んだ研究者は、アジア・太平洋戦争中、東南アジア占領へも動員されていく。このようなミクロネシアをめぐる知の政治性について考えること。これが第二の課題である」。

 「そして、本書のもうひとつの関心は、研究者の目を通してみた、当時のミクロネシア社会そのものにある。戦前、ミクロネシアを訪れた研究者の多くは、自らの研究テーマにもとづく論文や著作にとどまらず、紀行文や調査日誌などの詳細な記録を残しており、そこには現地住民やミクロネシアに暮らす日本人-多くは沖縄からの移民労働者であった-の姿が書き記されている。研究者が書き残した、一見些末にもみえるさまざまな記録を通じて、植民地状況下にある二十世紀前半のミクロネシア社会とそこに生きる人びとの姿を描き出すこと。これが本書の第三の課題となる」。

 本書は、プロローグ、全11章、エピローグ、あとがき、からなり、プロローグの最後で、「本書の構成」をつぎのようにまとめている。「前半の第一章から第四章では、主としてパラオ熱帯生物研究所創設以前におこなわれたさまざまな学問分野の調査研究を検討する」。「本書が特に注目するパラオ熱帯生物研究所(一九三四-四三年)の活動と、研究所周辺における調査研究の展開について考えるのが、続く第五章から第九章までである」。

 そして、第十章「パラオから遠く離れて-パラオ研関係者のアジア・太平洋戦争」では、「戦時下におけるパラオ研関係者の活動に検討をくわえる。多くが若手だったパラオ研の研究員のなかには徴兵された者もいるが、ここで特に注目したいのは、ミクロネシアでの経験を買われて、日本軍の東南アジア占領にかかわった研究者である」。「以上をふまえて、帝国日本の南洋研究の遺産と、戦前、ミクロネシアで調査研究に携わった研究者の「戦後」について検討するのが第十一章[<島>が遺したもの-南洋研究と岩山会の戦後]とエピローグ[科学者が歴史を記録するということ]である。およそ三十年に及ぶ帝国日本の南洋研究の成果は戦後社会にどのように伝えられたのか。かつてミクロネシアで調査研究を実施した研究者、なかでもパラオ研の元研究員はいかなる後半生を送ったのか。そして、彼らはもはや帰ることのできない<島>での日々をどのように振り返っていたのか。こうした問題について本書の最後で考えたい」。

 残念ながら、著者は3つの課題の結論について、まとめたものを書いていない。研究者は帝国日本に利用されたが、研究者も帝国日本を利用して研究していたことが本書からわかる。そして、研究者は現地社会にたいして甚だしい偏見をもっていたことが、所員と現地女性の恋愛からわかる。「島民の女を相手にすることは統治に害ありとして罪悪視」され、所員のひとりと首長の娘とが恋仲になったことを知った所長は、激怒し、研究所の紀要に論文を発表することを禁じたという。そして、「乱脈を極めていること」にたいして「粛正」した。また、「文化の低い沖縄移民」が多く入ってきたことを、「「島民」が邦人に対し尊敬の意を表さなくなった」一因と考える者もいた。このようななかで、第三の課題であった「ミクロネシア社会とそこに生きる人びとの姿を描き出すこと」は、『岩山会会報』を通しては無理だっただろう。

↑このページのトップヘ