早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2020年06月

布施将夫『近代世界における広義の軍事史-米欧日の教育・交流・政治-』晃洋書房、2020年1月30日、216+4頁、3500円+税、ISBN978-4-7710-3282-8

 帯に、「細分化されてきた従来の研究を「広義の軍事史」研究によって「人文学」のなかで新たに綜合する可能性を拓く」とある。「広義の軍事史」とは、具体的になにをさすのだろうか。著者、布施将夫は、「序章 軍事史の立場と本書の構成」で、その概念をつぎのように説明している。「戦略や戦術、戦闘だけでなく政治や経済、技術、思想などの要素も包含した幅広い歴史観」で、「幅広い史観を採用する方が、こまかすぎる史実にとらわれることなく、興味深い歴史を掘り起こせそうに思えるからである」。

 本書は、序章、3部全8章、終章などからなる。第Ⅰ部「ドイツ篇」は3章からなり、第一章「軍事と鉄道-普墺戦争までのプロシア陸軍に注目して-」では、「一八六六年に起こった普墺戦争までのプロシア・ドイツ陸軍に注目し、その鉄道利用法を検討した」。第二章「軍事と鉄道をめぐる思想的伝播-一九世紀後半のドイツから日本へ-」では、「普墺戦争の直後から明治期(一八六八年-)に入った近代日本が、ドイツ式の軍事制度やドイツ陸軍の鉄道利用法をどのように受容していったかを検討する」。第三章「アメリカとドイツにおける陸軍将校教育の比較文化史」では、「将校教育の点で、一九世紀以降のドイツ陸軍がアメリカ陸軍に影響を与えたかを考察する」。

 第Ⅱ部「アメリカ篇」は4章からなり、第四章「アメリカの太平洋戦略と幕末の日米関係-外交には何が必要か-」では、「アメリカ海軍の北太平洋測量艦隊が、幕末の日本開国にどう貢献したかを検討する」。第五章「米軍将校エモリー・アプトンと明治初期の日本-社会と軍隊における近代化の相違-」では、「海軍から一転、アメリカの陸軍将校エモリー・アプトンが見た明治初期の日本社会と日本陸軍を比較考察する」。第六章「一九世紀アメリカ海軍の教育制度-海軍兵学校の規律重視から海軍大学校の効率重視へ-」では、「アナポリス海軍兵学校とニューポートの海軍大学校の創立期における教育制度を検証する」。第七章「第一次世界大戦期のアメリカ海軍による対日戦争論-補給に基づく戦略-」では、「第一次大戦前後のアメリカ海軍が、日本海軍に対してどのような作戦計画を練っていたかを検証する」。

 第Ⅲ部「二〇世紀の世界政治篇」は第八章「二〇世紀の世界における戦争と政治-ナショナリズム、軍縮条約、賠償政治-」の1章からなり、「第一次大戦の開戦原因や両大戦間期のひそかな軍拡、第二次大戦後の賠償政治などに関する研究をいくつか紹介し、分析する」。

 そして、「以上のように本書各章の概要を見てくると、次のような結論が引き出せそうだ」として、序章を終えている。「一九世紀後半当時、ドイツ陸軍から日本陸軍には、参謀本部制度や鉄道利用の点で影響が強かった。だがドイツ陸軍からアメリカ陸軍には、参謀本部制度や将校教育の点で影響が乏しかった。一方、同じ頃、ドイツ陸軍の参謀本部制を勧告した例外的なアメリカ陸軍将校のアプトンと、アメリカ海軍士官のルースは、海軍大学校教育における「戦略」教育を共に重視した。後者の衣鉢を継いだ海軍大学校教官マハンの思想が、日独の海軍にも影響を与えていく。それゆえ陸軍と異なり、戦略思想が世界中に普遍化した海軍では、日米両海軍のように作戦面で類似したのだ。加えて、ナショナリズムのような政治思想が世界中に普遍化するとより危険である。各国の国内政治が世界戦争を招き、第一次大戦後でも国際政治は戦争を抑止できず、第二次大戦後には過去の戦争が賠償をめぐる政治問題を世界中に引き起こしているからだ。したがって近代世界では、戦略思想や政治思想といった「広義の軍事」思想があまりに普遍化すると互いに摩擦しあい、大惨事が起こりやすいのではないかと推定できる」。

 終章「現代世界における「広義の軍事史」-政治への提言をめざして-」では、つぎのように「提言」している。「「人文学」を、歴史学や政治学、経済学といったいわゆる文系の人文・社会科学を隣接領域と共に大きく包含するものとして捉える。以前の諸「科学」に分割された研究体制は、熟成した研究成果をあげてきたものの、各々の成果を一つに統合しそこねてきた。「広義の軍事史」研究は、熟成した各研究成果というメリットを結びつけ、一般社会への知識の普及に役立つのではないか。ひいては、既存の学問によりディシプリンが異なるという難しい問題はあるが、もしそれを乗り越えられれば「人文学」という新しい巨視的で総合的な研究体制を確立しうるのではないか。このように新しい研究・教育体制ならば、専門的な個別研究のスペシャリストだけでなく、彼ら研究者全体を統括しうるスペシャリスト兼ゼネラリストをも養成できるであろう」。

 本書のなかには、論文というより書評論文のような章がある。それは、著者の学ぶ姿勢の表れということができる。本書のような蓄積の多い研究分野を統合するという意味では、この学ぶ姿勢がなによりも大切だ。原資料に基づいた実証的研究が必要なマイナーな分野とは違う。研究者には、蓄積の多い分野に向いた人もいれば、マイナーな分野に向いた人もいる。原資料に基づいた研究で優れた業績をあげている人でも、学術書の書評がまったくないか、あっても自分の意見・感想を一方的に述べ、本自体は理解していないのではないかと思える人がいる。著者目線で、本が読めないのである。そういう人は、本書のような議論はできなく、提言もできないだろう。

見市建・茅根由佳編著『ソーシャルメディア時代の東南アジア政治』明石書店、2020年3月20日、165頁、2300円+税、ISBN978-4-7503-4996-1

 本書を読むと、東南アジア政治にソーシャルメディアは「百害あって一利なし」のように思えてくる。それにたいして、ふたりの編著者は、「序章 ソーシャルメディアと東南アジアの民主主義」の最後のパラグラフで、このような現状に至ったことをつぎのように説明している。「東南アジアにおいてソーシャルメディアを先行して活用したのはおおむね非権力アクター(市民社会)であったが、次第に権力エリートや多様な社会勢力が活用-あるいは「悪用」-手段を洗練させつつある。その結果、民主主義への負の効果がより目立っているのが現状といえる」。

 「本書の内容」については、同じく「序章」でつぎのようにまとめている。「東南アジア地域には比較的自由な民主主義から一党独裁や軍政の権威主義体制まで、幅広い類型の政治体制が存在しており、各国の民主化の度合いはさまざまである。しかし共通して、多くの国で人々によるソーシャルメディアの利用が選挙をはじめとする政治的競争のあり方を大きく変えている。本書では、自由の度合いに差はあれ、選挙が行われ、オープンな政治的競争が存在する5カ国(インドネシア、フィリピン、マレーシア、ミャンマー、タイ)を対象に、ソーシャルメディアと民主主義の関係について分析する」。

 本書は、「序章」と対象とする5ヶ国6章(インドネシア2章、ほかの4ヶ国各1章)、「軍」1章の全7章からなる。各章の内容に入る前に、全体をつぎのように概観している。「各章では、ソーシャルメディアを利用する政治アクター(行為主体)とその利用方法に注目し、民主主義へのインパクトを検討する。それぞれの章で焦点を当てられるアクターは、世論を操作したり、統制しようとする政治指導者や国家機関の権力エリート、あるいは民間のインフルエンサーである。各章の順序は、選挙の公正さや政治参加の包括性を基準とした選挙民主主義の度合いに対応している。すなわち選挙を基準として、最も民主的なインドネシアから始まり、最も非民主的なタイに終わる」。

 インフルエンサーについては、つぎのような註を付している。「ソーシャルメディア上で影響力を持つ人物。消費者の行動に影響を与えるインフルエンサーを使ったマーケティングは政治においても一般化しつつある」。

 第1章「インドネシア・ジョコウィ政権にみる情動エンジニアリングの政治」(本名純)と第2章「2019年インドネシア大統領選挙におけるオンライン・イスラーム説教師の台頭」(茅根由佳)では、「これまで民主化の成功例とみられてきたインドネシアの事例を検討している」。

 「第1章では、ジョコウィ政権の「麻薬戦争」、2019年大統領選挙における対抗馬プラボウォ・スビアントへのネガティブ・キャンペーン、そして汚職対策の後退を事例として、政権の権力エリートによる世論操作の実態とその効果を明らかにしている」。

 「第2章は、2019年の大統領選においてプラボウォ陣営のインフルエンサーとなったイスラーム主義説教師アブドゥル・ソマドに注目し、一部の地域でプラボウォへの支持が集中した理由を分析している」。

 第3章「ソーシャルメディアのつくる「例外状態」:ドゥテルテ政権下のフィリピン」(日下渉)では、「フィリピンのドゥテルテ大統領が政権発足直後に掲げた麻薬撲滅対策によって、1万人以上ともいわれる犠牲者を出しつつも、8割もの国民から指示を受け続ける理由を明らかにしている」。

 第4章「治安部門のグッド・ガバナンス:どうすれば軍を監視できるのか」(木場紗綾)では、「ソーシャルメディアの普及と軍を中心とした治安部門ガバナンスの関係を検討」し、「2017年に起こったフィリピンのマラウィにおける戦闘」を例に、「人々がソーシャルメディアを通して軍に感情移入するような状況になれば、軍という権力への監視はまったく機能しなくなってしまう」ことを明らかにしている。

 第5章「ナジブ・ラザクとマレーシアのソーシャルメディアの10年(2008~2018年)」(伊賀司)は、「ナジブ・ラザク前首相を中心に、与野党や市民社会組織のアクターによるソーシャルメディアの利用がマレーシアの民主主義に与えてきた影響を分析する」。与野党ともにソーシャルメディアを積極的に活用した結果、2018年の長期政権の崩壊につながったが、「一度地に落ちたナジブではあるが、ソーシャルメディアによるイメージ戦略を通して虎視眈々と権力への復帰をうかがっている」。

 第6章「自由とソーシャルメディアがもたらすミャンマー民主化の停滞」(中西嘉宏)は、「2011年の民政移管によって、長年の軍政から解放されたミャンマーにおけるソーシャルメディアの役割を検討している。ミャンマーでは民政移管後、国民の「表現の自由」が急速に拡大した。当初、ソーシャルメディアは長く抑えこまれてきた市民社会を活性化させた」。民主派は、2015年の総選挙で勝利し、政権を奪取したものの、「政府はソーシャルメディアなどで広がる批判を懸念して、表現の自由を抑圧し、民主化が停滞するようになっている」。

 第7章「権威主義体制下のサイバー空間:タイ軍事政権による情報統制」(外山文子)は、「軍が権力を握るタイ政府によって、情報統制がいかに行われているのか、陸軍サイバーセンターをはじめとするその制度と運用の実態について検討している」。軍は、「選挙制度の変更と情報統制を進めた結果、2019年3月に実施した総選挙でも政権を維持した」。

 そして、以上の事例から、「序章」の最後の問い、「ソーシャルメディアは東南アジアの民主主義を後退させるのか?」について、「多くの国ではソーシャルメディアのさらなる浸透の過程にあり、また技術革新も著しい。民主主義への中長期的な影響について明らかにするためには、さらなる「経過観察」が必要だろう」と答えている。

 いまから50年前に、試験に合格してJH3G**というコールサインをもらい、世界中に電波を飛ばせるようになった。年長の人たちからいろいろなことを教えてもらい、自由にコミュニケートすることは「すばらしい」ことだと思った。いまや試験を受けることなく匿名で発信することができ、50年前には考えられなかった「すばらしい」ことになったが、その弊害が目立ちはじめている。「経過観察」とともに、ソーシャルメディアの活用方法を考え、提言しなければ、われわれはその「すばらしい」ものを失うことになりかねない。

 また、本書で取りあげられなかった東南アジア11ヶ国のうちの6ヶ国(ベトナム、カンボジア、ラオス、シンガポール、ブルネイ、東ティモール)についても、コラムなどの簡単なものでもいいから知りたかった。ソーシャルメディアの利用度が高い地域で、地域としてどのような特徴が現れるのか、ナショナルを超えた議論をする必要も出てくるだろう。その意味で、ひとつでもナショナルを超えた「軍」を扱った章があったのはよかった。

小松みゆき『動きだした時計-ベトナム残留日本兵とその家族』めこん、2020年5月25日、317頁、2500円+税、ISBN978-4-8396-0321-2

 2017年に平成天皇・皇后がベトナムを訪問したとき、残留旧日本兵の妻子と対面した。インドネシアの残留日本兵や前年の16年に天皇・皇后がフィリピンを訪問したときに対面した日系人については知っていても、ベトナムについては知らない人が多いのではないだろうか。あまり知られていないが、ほかの東南アジア各国・地域にも、百人単位で現地に残留した旧日本兵・住民がいた。

 ベトナムには、1945年8月の日本の敗戦後、「少なくとも六〇〇人以上が帰国せずに、ベトナムに残留したと言われている。日本軍の兵士だけでなく、商社や金融関係など勤務の民間人の中にも残留する人がいた。その多くが、ベトミン(ベトナム独立同盟)からのリクルートを受けた」。かれらは「兵士、軍事教官、軍医などとして働」き、「新しいベトナム人」とよばれ、「ベトナム名を名乗り、周囲に勧められて家庭を持ち、ベトナムに根を下ろして暮らしていたようだ」。「しかし九年後の一九五四年に、ベトナム政府が残留日本兵の帰国を促してその生活は一変する。この時、家族の帯同は許されなかった」。ベトナムに残された子どもたちは、「日本ファシストの子」と「後ろ指をさされ、有形無形の差別を受けたという」。

 1992年に日本語教師としてハノイに赴任した著者の小松みゆきは、教室で「私ノ父ハ、日本人デス」と「つっかえながら言った」中年男性に出会って戸惑った。それがきっかけで、「父が日本人」という人びとに次々に出会い、夫や父を想う気持ちに圧倒されて、「残留日本兵の家族探しにのめりこんでいった」。本書は、「人の縁の濃いこの国[ベトナム]で暮らしてきた一人の日本人である私[著者]が、歴史の狭間に埋もれかけた人々をたずね、一緒に泣き笑いしながら歩んできた記録である」。

 本書は、10のストーリーと4つの「解説」、4つの「資料」からなる。そのなかには、3つの家族のストーリーと、著者の認知症の母との13年間のハノイ暮らし、が含まれている。4つの解説のうち2つは、「一九四五年、彼らはなぜベトナムに残留したのか」「一九五四年、彼らはなぜ日本に帰国したのか」の疑問にたいする「ベトナムの政治・社会史の専門家」によるものである。3つめは残留日本兵のひとりのお墓探しの顛末記、もうひとつはNHKドキュメンタリー担当者によるものである。これらの「解説」でもわからないことの一部は、「資料」の残留旧日本兵の手記や手紙などが答えてくれる。

 本書の発行が可能になったのは、著者の「残留日本兵とその家族のことを書きたい、知ってもらいたいという一心」、さらに「単なる記録ではなく、未来に向けてのひとつの指針となるようなものにしないといけない」という強い思いが第一であるが、それだけではない。著者が残留旧日本兵とその家族に関心をもつようになった時期は、東西冷戦終結(1989年)とソビエト連邦崩壊(1991年)後の歴史の政治化と一致する。日本と中国あるいは日本と韓国との関係が、日本の首相の靖国神社参拝問題などで悪化するなか、日本は東南アジアとの友好関係を築こうとし、中国や韓国が戦争中日本に占領・支配された東南アジアを含むアジアの問題にしようとしたのに対抗した。とくにフィリピンやベトナムにたいしては、南シナ海の領有権問題で中国と対立していたことから、安全保障上の問題でも連携しようとした。2016年の平成天皇・皇后のフィリピン訪問のときに戦後残された日系人(日本人父とフィリピン人母の間に生まれた子どもたち)や17年のベトナム訪問のときに残留旧日本兵の家族(ベトナム人妻およびその子どもたち)と対面したのも、日本人ゆかりの人びとを通して友好関係を築こうとした外交戦略として理解できる。いっぽう、ベトナムは1980年代半ばから新経済政策を採用し、日本からの投資に期待した。ともに、その手段として日系人を通した親善・友好に関心をもつようになった。

 インドネシアの残留日本兵はかれら自身が1979年に「福祉友の会」を設立し、戦後フィリピンに残された日系人は宗教団体や戦前・戦中にともに日本人小学校で学び戦後引き揚げた二世たちが70-80年代に支援に乗り出した。はじめは見向きもされなかったが、歴史問題の深刻化とともに日本の外交戦略のなかに位置づけられるようになった。そして、日本国籍の取得や日本での就労に繋がっていった。それらに比べると、ベトナムの場合ははじまったばかりである。時計は動きだした。もうその動きは止めようがないところまできた。著者の功績は、限りなく大きい。本格的な研究が待たれる。

 なお、フィリピンにかんして、つぎの論文を書いた:早瀬晋三「アキヒト皇太子・天皇のフィリピン訪問-『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』[岩波書店、2018年]補論-」『アジア太平洋討究』第34号(2018年10月)、17-30頁https://waseda.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=42056&item_no=1&page_id=13&block_id=21(早稲田大学リポジトリ)
;早瀬晋三「引き続く「ベンゲット移民」の虚像-植民地都市バギオ、移民、戦争、そして歴史認識のすれ違い-」『アジア太平洋討究』第37号(2019年11月)、1-48頁 https://waseda.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=48123&item_no=1&page_id=13&block_id=21(早稲田大学リポジトリ)

デイビッド・ブラック、曽根幸子編著、有吉宏之・曽根幸子監訳、追手門学院大学オーストラリア研究所協力『西オーストラリア-日本交流史[永遠の友情に向かって]』日本評論社、2012年2月20日、391頁、3000円+税、ISBN978-4-535-58613-0

 本書は、2009年に出版された英語版(David Black and Sachiko Sone, eds., An Enduring Friendship: Western Australia and Japan - Past, Present and  Future)の日本語訳である(一部改稿されたものを含む)。

 出版のきっかけを、発案者は、つぎのようにつぶやいている。「私[有吉宏之]は、2004年4月に在パース日本国総領事館総領事としてパースに着任しました」。「私は『日本・オーストラリア関係の歴史』という本に遭遇しましたが、もっとも失望した本でした。私の失望はこの本のなかで日本と西オーストラリアの歴史についての情報が非常に少なく、280ページの本全体のなかでわずか2ページしか記述されていなかったことでした。さらにこの本を詳細に調べると、日本と西オーストラリアの文化的、政治的、経済的関係についての資料が豊富にあるにもかかわらず、ほとんど記述されていないことに気付き、疑問をもつようになりました。このことが私をすばやい行動に誘い、日本と西オーストラリアの強い関係について述べた本を作成すべきだという結論に至」った。

 そして、編著者のひとり、ブラックは本書の「内容と主題について」、つぎのように述べている。「本業を教師・歴史家とする私は、本書を刊行する目的を、日豪関係史、なかんずく日本と西オーストラリア州の関係史に一つの視座を提供することと考えています。両者関係の特定の一面や、一時期に注意を集中しすぎると、そのような視座が失われてしまうことが多いのです」。

 「本書に収められた物語は、ブルーム真珠産業への日本の関わりから、第一次世界大戦における協力、1930年代から1940年代初頭にかけての友好関係の頓挫をへて、鉱物資源の開発と貿易における日本と西オーストラリア州関係の目覚ましい発展までを記述しています。ここで語られるのは、深刻な危機を乗り越えて発展してきた友情と協力の物語、いまや、教育文化交流や姉妹都市関係といった目に見える成果は両国をしっかりと結びつけている互恵関係のほんの一表出にすぎないほどしっかりと根付いた友好関係の物語です。そして、西オーストラリア州がこの物語で演じた役割は、それだけで一冊の本になるだけの重要性があります」。

 本書は、6部全21章14小論からなる。第1部「遭遇 19世紀の社会経済的冒険」は5章5小論からなる。第2部「敵と味方 1919年から1950年代中期」は4章1小論からなる。第3部「戦後初期 1945年から1950年代中期」は2章からなる。第4部「鉱業開発と貿易」は3章4小論からなる。第5部「社会・文化・教育的関係」は6章4小論からなる。そして、第6部「長期的展望」は第21章の1章だけからなる。

 その後、「付録 西オーストラリア州在留邦人数 1969~2007年」がある。1980年は365人、81年429人、82年504人、83年488人であったが、1996年には1952人の数倍になっている。これらの年の在留邦人数のなかに、わたしも含まれている。本書の執筆者のなかには何人か親しくした人がおり、本書中に名前だけ出てきて懐かしく思った人もいる。書かれていることのなかには、わたし自身が実体験したこともある。

 こうして百数十年間の交流史を見ていくと、いろいろなことが相対化して理解できる。いいときもあれば、よくないときもあった。個々人の体験によっても、見方は変わってくる。本書は、35の章と小論からなっており、もっとも長いものでも20ページを超えていない。本格的に知りたい人は、物足りなさを感じるかもしれないが、縦横全体像を知るには便利だ。こういうものがあると、個々のテーマに深入りしやすくなる。なにより、これから交流史をつくっていく人たちが、第1歩を踏み出しやすくなる。多くの人びとが、本書の出版に尽力されているが、それだけ価値のあるものになっている。

↑このページのトップヘ