早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年7月31日、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
本書の第1の目的が、「東南アジアの海域社会を理解することである」というと、タイトルから理解できない人もいるだろう。巷に溢れている「海域社会」論は陸からみた海域であって、海域を主体としたものはほとんどない。だが、「海域を主体とした」といっても、ほとんど理解してもらえないのが現状である。なんとかして、海域東南アジアの社会を理解してもらいたいと、考えに考え抜いた結果が本書であった。そして、この海域社会論は、流動性が激しくなったグローバル化社会にも通ずるものがある。
本書の表紙のロゴやマスコットを見て、なんとなく楽しくなったことだろう。本書で取りあげるスポーツ大会は、東南アジアでは「シーゲームズ」と呼ばれて親しまれている。オリンピックやアジア競技大会より、はるかに現地の人びとを熱狂させ、東南アジアをしばしば訪れる機会があり、その現場に出くわしたことのある人は、その熱狂ぶりに唖然としたことだろう。そして、ここかしこで東南アジアらしさを見せつけられ、東南アジアの魅力を再発見しただろう。だが、競技レベルはそれほど高くなく、運営に至っては失態つづきで、部外者にはなぜ人びとが、こんなに愉しんでいるのか理解できない。東南アジアの人びとが、こんなに愉しんでいるものを取りあげない手はない。そして、その愉しんでいる源に、海域世界の価値観があると考えると、海域東南アジア社会を理解するには、いちばんの手っ取り早いと思えてきた。
海域東南アジア社会の理解は、たとえば「合意すれども実行しない」などと揶揄されるASEANとの交流のように容易ではなく、その困難さを代表することばとして、ASEAN方式とかASEAN流とかよばれる「ASEAN Way」がある。「ASEAN Way」と聞くと、「ひどい目に遭った」ことのあるASEAN外の人は顔をしかめ、ASEANの人はニヤニヤなんともいえない親しみのある笑みを浮かべる。本書は、その差を埋めようと試みるものでもある。
「ASEAN Way」は、流動性が激しく対人関係を重視する海域世界の価値観に、その源がある。ヒトやモノの移動が日常的で、「よそ者」は新たな知識や技術などをもたらし、外来のモノは自分たちの生活を豊かで楽しいものにしてくれる歓迎すべきものである、という考えが基本にある。温帯の陸域の定着農耕民のように、よそ者に警戒する排他性はない。「ASEAN Way」は、歓迎すべき機会を失わないための生活の知恵であり、移動性のある山地民も共有できる価値観である。
具体的には、1959年以来、63年を除いて隔年ごとに着実に開催されているSEAP GAMES/SEA GAMESを事例として、東南アジアの現代史を理解しながら、国際関係論だけでは充分にわからない「ASEAN Way」をみていく。競技大会の参加国、開催国をみていくと、すべてではないがASEAN加盟前に参加し、ASEAN議長国になる前に開催国になっていることに気づく。当然大会参加国は、東南アジア諸国だけであるから意識せずに遠慮なく「ASEAN Way」でやっていける。また、孤立しがちだったビルマ(1989年ミャンマーと改称)は第1回から1度も欠かすことなく参加し、2年に1度、確実にほかの東南アジア諸国と交流をもっていた。従来のASEAN理解は、公式な会議を経て報告されたものに基づいていた。だが、「非公式性を重視する」ASEANでは、重要なことが非公式対話のなかで決められる。その場のひとつが、ASEANに加盟していない国ぐにを含めたスポーツ大会にあった。
ロゴやマスコットからは、多様性のなかに統一性がみえてくる。2019年のフィリピン大会では、はじめて動物以外のものがマスコットになったが、「パミPami」と名付けられた。その意味は「家族」である。このスポーツ大会を象徴する名である。スポーツ選手は、政治家の何倍も、地域の善隣友好に貢献しているというのも、あながち誇張された表現ではないだろう。
本書では、ロゴやマスコット、「ご当地競技」が随所に出てきて、愉しんでもらえると思う。楽しいものになっただけでなく、学術書としてもずいぶん完成度の高いものになった。それはひとえに編集者の桑原晨さんに帰する。東南アジア、なかでもラオスをこよなく愛す桑原さんは、その知識から現地語のスペルの統一など、こと細かに点検してくださった。本書は、本文がアジア経済研究所の多くの専門家の執筆による『アジア動向年報』や東南アジア各地の英字新聞の記述によったため、記述がまちまちで、統一をとることは困難を極めた。おまけに、資料や索引を充実したものにしたため、本文と資料、索引の記述を統一する必要があった。著者自身がなかば投げ出したこの作業を、桑原さんは最後の最後まで手を抜かずに進めてくれた。本書の記述内容にかんしての責任はすべて著者にあるが、書物として読みやすく愉しめるものにし、学術書として完成度を高めた功績は、桑原さんにある。
桑原さんとの付きあいは、大学に入った1975年からで、もう45年になる。出版社「めこん」を立ち上げる前の文遊社から77年に出版された『フィリピンのこころ』(ホルンスタイナー編、山本まつよ訳)では、訳注を付ける手伝いをし、「あとがき」にわたしの名前が載った。出版にかかわった最初で、いつか「めこん」にふさわしい本を出したいと考えていた。東南アジアの人びとに愛着をもっている桑原さんなら、SEA GAMES、さらにその背後にある「ASEAN Way」を理解してくれると思った。一連の編集作業を通して、桑原さんは「めこん」にふさわしい本をただ出版しているだけではなく、素材を活かして「めこん」にふさわしい本に仕上げていくことがわかった。改めて大手出版社にはできない、手作りのよさを実体験した。長年の希望が叶っただけでなく、出版デビューから40数年ぶりに新たに教えられることが多かった。感謝のことばもない。
本書の表紙のロゴやマスコットを見て、なんとなく楽しくなったことだろう。本書で取りあげるスポーツ大会は、東南アジアでは「シーゲームズ」と呼ばれて親しまれている。オリンピックやアジア競技大会より、はるかに現地の人びとを熱狂させ、東南アジアをしばしば訪れる機会があり、その現場に出くわしたことのある人は、その熱狂ぶりに唖然としたことだろう。そして、ここかしこで東南アジアらしさを見せつけられ、東南アジアの魅力を再発見しただろう。だが、競技レベルはそれほど高くなく、運営に至っては失態つづきで、部外者にはなぜ人びとが、こんなに愉しんでいるのか理解できない。東南アジアの人びとが、こんなに愉しんでいるものを取りあげない手はない。そして、その愉しんでいる源に、海域世界の価値観があると考えると、海域東南アジア社会を理解するには、いちばんの手っ取り早いと思えてきた。
海域東南アジア社会の理解は、たとえば「合意すれども実行しない」などと揶揄されるASEANとの交流のように容易ではなく、その困難さを代表することばとして、ASEAN方式とかASEAN流とかよばれる「ASEAN Way」がある。「ASEAN Way」と聞くと、「ひどい目に遭った」ことのあるASEAN外の人は顔をしかめ、ASEANの人はニヤニヤなんともいえない親しみのある笑みを浮かべる。本書は、その差を埋めようと試みるものでもある。
「ASEAN Way」は、流動性が激しく対人関係を重視する海域世界の価値観に、その源がある。ヒトやモノの移動が日常的で、「よそ者」は新たな知識や技術などをもたらし、外来のモノは自分たちの生活を豊かで楽しいものにしてくれる歓迎すべきものである、という考えが基本にある。温帯の陸域の定着農耕民のように、よそ者に警戒する排他性はない。「ASEAN Way」は、歓迎すべき機会を失わないための生活の知恵であり、移動性のある山地民も共有できる価値観である。
具体的には、1959年以来、63年を除いて隔年ごとに着実に開催されているSEAP GAMES/SEA GAMESを事例として、東南アジアの現代史を理解しながら、国際関係論だけでは充分にわからない「ASEAN Way」をみていく。競技大会の参加国、開催国をみていくと、すべてではないがASEAN加盟前に参加し、ASEAN議長国になる前に開催国になっていることに気づく。当然大会参加国は、東南アジア諸国だけであるから意識せずに遠慮なく「ASEAN Way」でやっていける。また、孤立しがちだったビルマ(1989年ミャンマーと改称)は第1回から1度も欠かすことなく参加し、2年に1度、確実にほかの東南アジア諸国と交流をもっていた。従来のASEAN理解は、公式な会議を経て報告されたものに基づいていた。だが、「非公式性を重視する」ASEANでは、重要なことが非公式対話のなかで決められる。その場のひとつが、ASEANに加盟していない国ぐにを含めたスポーツ大会にあった。
ロゴやマスコットからは、多様性のなかに統一性がみえてくる。2019年のフィリピン大会では、はじめて動物以外のものがマスコットになったが、「パミPami」と名付けられた。その意味は「家族」である。このスポーツ大会を象徴する名である。スポーツ選手は、政治家の何倍も、地域の善隣友好に貢献しているというのも、あながち誇張された表現ではないだろう。
本書では、ロゴやマスコット、「ご当地競技」が随所に出てきて、愉しんでもらえると思う。楽しいものになっただけでなく、学術書としてもずいぶん完成度の高いものになった。それはひとえに編集者の桑原晨さんに帰する。東南アジア、なかでもラオスをこよなく愛す桑原さんは、その知識から現地語のスペルの統一など、こと細かに点検してくださった。本書は、本文がアジア経済研究所の多くの専門家の執筆による『アジア動向年報』や東南アジア各地の英字新聞の記述によったため、記述がまちまちで、統一をとることは困難を極めた。おまけに、資料や索引を充実したものにしたため、本文と資料、索引の記述を統一する必要があった。著者自身がなかば投げ出したこの作業を、桑原さんは最後の最後まで手を抜かずに進めてくれた。本書の記述内容にかんしての責任はすべて著者にあるが、書物として読みやすく愉しめるものにし、学術書として完成度を高めた功績は、桑原さんにある。
桑原さんとの付きあいは、大学に入った1975年からで、もう45年になる。出版社「めこん」を立ち上げる前の文遊社から77年に出版された『フィリピンのこころ』(ホルンスタイナー編、山本まつよ訳)では、訳注を付ける手伝いをし、「あとがき」にわたしの名前が載った。出版にかかわった最初で、いつか「めこん」にふさわしい本を出したいと考えていた。東南アジアの人びとに愛着をもっている桑原さんなら、SEA GAMES、さらにその背後にある「ASEAN Way」を理解してくれると思った。一連の編集作業を通して、桑原さんは「めこん」にふさわしい本をただ出版しているだけではなく、素材を活かして「めこん」にふさわしい本に仕上げていくことがわかった。改めて大手出版社にはできない、手作りのよさを実体験した。長年の希望が叶っただけでなく、出版デビューから40数年ぶりに新たに教えられることが多かった。感謝のことばもない。