成田龍一『増補「戦争経験」の戦後史-語られた体験/証言/記憶』岩波現代文庫、2020年8月18日、363+15頁、1480円+税、ISBN978-4-00-600423-1
本書は、2010年2月に「シリーズ 戦争の経験を問う」(岩波書店)の1冊として刊行されたものの増補版である。2010年版について、平野啓一郎は増補版「解説」で、つぎのようにまとめている。「戦争とどう向き合い、受けとめるか-戦後、人々は直接的な体験の有無にかかわらず、戦争との距離をはかることによって自らのアイデンティティを確認し、主体を形成してきた。敗戦からの時間的経過や社会状況に応じて変容してゆく戦争についての語りの変遷をたどりながら、戦後日本社会の特質に迫る」。
著者、成田龍一は、「序章 「戦後」後からの問い」の最後で、「本書では、戦争そのものだけではなく、帝国-植民地関係をめぐっての体験/証言/記憶についても、考察することにしたい」と述べている。
そして、「体験/証言/記憶の三位一体」という見出しのもと、つぎのように説明している。「戦争経験といったときに、体験/証言/記憶の三位一体-この三者の織りなす領域がある。体験/証言/記憶の集合体は歴史的な形態を持つが、とりあえず「戦後」という時期を想定しこの射程で考察するとき、戦争直後におけるこの三位一体では「体験」という語と概念が、他の記憶と証言の概念を統御していた」。「また、一九七〇年前後には、「証言」がさかんに言われ、記憶/体験を統御していた。当初は、戦争経験のある人びとが同様の経験を有する人びとに語りかける「体験」の時代があり、経験を有する人びとがそれを持たない人びとと交代の兆しを見せる一九七〇年前後に「証言」の時代となった。そして、戦争の直接の経験を持たない人びとが多数を占める一九九〇年代に「記憶」の時代となる」。
2010年の単行本刊行時に、著者は「「体験」、「証言」、そして「記憶」のあとに来る動きとして、「歴史化」を考えていた」と「補章」で述べ、つぎのようにつづけている。「その後、二〇一〇年代の方向性はそのような動きを示したものの、当然のことながら実際の歩みは複雑であった。さきにふれた世代交代の進展-「戦後第二世代」の台頭とともに、東アジア情勢の変化がそのことに拍車をかける。解決しない戦後処理-歴史認識問題として、現時の東アジアの緊張関係のなかで、「慰安婦」や「徴用工」など、とくに植民地責任をめぐる課題が焦点化した」。
また、「二〇一〇年代における「戦争経験」の語りをめぐり、四つの点を指摘することができる」とした。「第一には、A「悼み」の主題化と「争い」の激化である」。「東日本大震災を経験したあと、死者の悼み方に転回がみられた」。「第二には、この点にかかわって、Bあらためて「証言」をめぐる議論がなされた」。「「証言」をめぐる認識的・方法的な検討がなされる」。「第三には、「戦争経験」の「語り」への着目が浸透したことによって、Cオーラルヒストリーへの着目がたかまったことである。オーラルヒストリーにより、これまで触れられることが極端に少なかった「性暴力」の領域への言及がなされた」。「第四には、D語り継ぐことがあらためて主題化される。この点で、「戦後」の過程を通じて「戦争経験」の継承に熱心であった歴史教育において、「継承」をめぐるあらたな主題化がなされる」。
そして、つぎのようにまとめている。「二〇一〇年代の様相をみるとき、「戦争経験」の「歴史化」はまだ途上であるが、かくして方法的にも領域的にもあらたな開拓がなされていることがうかがえる。同時に、対立の構造が輻輳化し、込み入ってきてもいる。「戦争経験」が、現時の政治や外交と結びつき、それが「歴史認識問題」として投げかけられている。こうした「戦争経験」の「歴史化」にはまだ時間がかかろうが、「記憶」のあり方が大きな影響力をもつことは明らかである」。
解説者の平野は、「多くのことに思い至ったが、二点ほど、例示したい」と述べ、まず「本書では言及されていないが、個人的に、長年関心を持ってきた三島由紀夫にとっての戦争」について、つぎのように記している。「入隊検査で不合格となり、戦闘経験がなかった三島にとって、戦後の「体験」の時代に、戦争について語ることが如何に困難だったか、そして、六〇年代後半以降、戦争体験を欠いた世代との政治的対話が、如何に大きな解放感を齎したかを考えざるを得なかった」。「また、一九二五年生まれの三島が、典型的に太平洋戦争以降の第二次大戦観に立っており、植民地支配と侵略戦争の加害性を意識化できなかった限界についても再考させられた」。「実際、「体験」の時代であればこそ、口を閉ざさざるを得なかった、という人たちは、三島に限らず、多かったはずである」。
「歴史化」にあたって、「体験」者が「証言」しなかったことだけでなく、「体験」した世代と同世代だが「体験」しなかった者、「体験」した世代から直接「証言」を聞いたことがない者の「証言」など、「語られなかった」「体験/証言/記憶」を含めて語る必要があるだろう。また、本書でも論じられたように、東日本大震災のような「体験」に置き換えて擬似的に「戦争体験」をすることによって「戦争経験」が浮き彫りになることもある。日本人の「戦争経験」の「歴史化」は、より相対的な状況のなかで、議論されることになるだろう。