早瀬晋三書評ブログ2018年から

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2020年10月

寺島紘士『海洋ガバナンス-海洋基本法制定 海のグローバルガバナンスへ』西日本出版社、2020年5月20日、276頁、2600円+税、ISBN978-4-908443-51-0

 本ブログで取りあげたばかりの井田徹治著『追いつめられる海』(岩波科学ライブラリー、2020年)では、「持続可能なブルーエコノミー社会の実現には、海の環境が持つ価値を軽視し続けてきたこれまでの社会や経済システムを根本から転換することが必要となるし、そのためには強い覚悟と政治的な意志が必要になる」と結論した。その「政治的な意志」の中心に20年以上にわたっていたのが、本書の著者、寺島紘士である。

 著者は、1994年7月に運輸省を勧奨退職し、翌月に財団法人日本船舶振興会の理事に就任、2002年に設置された海洋政策研究所の所長に就任して17年に退任するまで日本の海洋ガバナンスの中心にいた。

 最初にかかわったときのことを、著者はつぎのように回顧している。「海洋ガバナンスの探求という、それまでの仕事とは全く性格の違う未知の分野の活動を開始するとき、私は、それまで運輸省という政府部局で身につけてきた行動方式ではとてもこのような新しい課題に取り組むのは難しいと感じて、これまでの考え方・やり方にはとらわれないで取り組んでいこうと決心した」。「その第一歩が、地球表面の七割を占める海洋のガバナンスという人類初の取り組みに参画するに当たって、自分が重要と思う有識者に直接会い、こちらが考えている取り組みの方向・方法について考えを述べて意見を聴くことだった。それを踏まえてさらに考えて目標を設定し、必要と思う有識者には協力をお願いして、それに向かって行動を開始した」。

 本書は、全5章と「あとがき」からなる。第1章「海洋ガバナンスの夜明け」で、著者が「「海洋ガバナンス」に対する取り組みのスタートラインに立った一九九〇年代の後半に立ち戻って海洋についての問題意識の一端を述べ」た後、第2章以下で「海洋のガバナンスについての私たちのこの四半世紀の取り組みを詳しく述べ」ている。

 第2章「海洋ガバナンスに取り組む」では、シンク・タンクの海洋政策研究所を設立して、国際的視野で海洋問題に取り組む国内の体制を整えるまでがまとめられ、本書の半分を占める第3章「『二一世紀の海洋政策への提言』から海洋基本法の制定へ」で、2005年の海洋政策研究財団の提言、07年の海洋基本法の施行から18年の第三期海洋基本計画の閣議決定までを詳述している。

 第4章「海洋ガバナンスに世界とともに取り組む」では、「国内の取り組みと並行して、海洋に関する国際的な会議に積極的に参画し、国連をはじめとする国際機関、研究期間、各国政府、NGO等の関係者と連携協力・協働して、グローバルおよびリージョナルなレベルの海洋のガバナンスに、どのように取り組んできたかを紹介」している。

 わずか5頁の第5章「海洋ガバナンスへの探求-海に魅せられて」は本書の結論に相当し、「1 まだ道半ばの海洋ガバナンス」に、「2 新しい心構えで海洋ガバナンスに取り組む」必要性を説き、「3 シンク・アンド・ドゥー・タンクを目指して」、「4 活動の基盤はグローバルな海洋のネットワーク」の拡大、深化を願っている。

 第5章冒頭で述べているように、著者らの努力によって「かなりの進展を見たとは言え、まだまだ道半ばである」。著者は、つぎのようにつづけている。「最近では、人間が排出する温室効果ガスによる気候の温暖化(と言うよりむしろ極端化か)・海洋の酸性化、過剰漁獲・IUU漁業等による私たちの生活に密接な関わりを持つ漁業資源の減少、陸域から大量に流れ込むプラスチック等のゴミによる海洋汚染の深刻化等々海洋をめぐる問題の重大さがますます明らかになってきた」。

 本書から、どれだけの人びとがどれだけの時間と労力をかけてこの問題に取り組んできたかがよくわかった。にもかかわらず、「サンマが不漁」なのは、「強い覚悟と政治的な意志」が充分でないからだろうか。海洋の劣化に、ガバナンスが追いついていないのだろう。「大転換」が喫緊の課題であることが、本書からもよくわかった。「海洋ガバナンスの実現に向けた取り組みはまさにこれからが本番である」。

岩原紘伊『村落エコツーリズムをつくる人びと-バリの観光開発と生活をめぐる民族誌』風響社、2020年7月30日、333頁、5000円+税、ISBN978-4-89489-206-4

 1980年代前半にオーストラリアで大学院生活を送っていた者にとって、バリはオーストラリア人のための観光地である印象が強い。その印象をさらに強めたのは、2002年の爆弾テロ事件で、多くのオーストラリア人観光客が犠牲になった。そして、本書の謝辞に出てくるCarol Warrenがバリで調査するたびに、わたしはかの女の留守宅で家庭菜園を楽しんでいた。

 本書は、「序論 問題の所在と理論的背景」、「結論 まとめと展望」が明確で、ひじょうにわかりやすい。3部全7章からなる本文も、章や節の目的を明らかにしてから議論を進め、各章末には「小括」があって、つぎの章への導きを示しているものもある。わかりやすいのは、著者、岩原紘伊が「バリ人たちが実現したいバリ観光の姿」がみえたからだろう。それは、バリが「インドネシア随一の観光地」として、「観光開発の負の影響が最も大きい地域」としても有名になり、先行研究に恵まれたことも一因だろう。

 「まえがき」冒頭で、著者はつぎのように本書を要約している。「スハルト政権期に大規模な観光開発が進められインドネシア随一の観光地となったバリ島を調査地とし、グローバルに流通するコミュニティベースト・ツーリズム(CBT)がローカル社会の文脈に合わせて適用されていく動態を、NGOやその協力者といったアクターの動向に焦点を当てながら記述した民族誌である」。

 そして、目指したのは、「CBTの普及に関わる当事者の視点を可能な限り生かして、観光の現場で進行している複雑な動態やCBTが導入されるローカル社会ごとの実情を具体的に描き出すことである」。また、序論では、つぎのようにも述べている。「マス・ツーリズムが優勢な状況において、観光地に生活する人びとが別様の観光形態に価値をどのように見出し、取り入れようとしているのかを民族誌的に描き出していくことを目指している」。

 序論の「5 本書の構成」では、3部全7章をつぎのようにまとめている。第1部「ポスト・スハルト期インドネシアにおける開発と観光」は、第1章「開発、環境運動、NGO」および第2章「バリにおける観光開発と社会」の2章からなり、「バリにおいてCBTを求める動きがみられる背景を示すことを目的として、ポスト・スハルト期インドネシアの開発が地方においてどのように経験されたのか、そしてそれがいかにオルタナティブな開発を求める社会空間の形成を触発したのかを、スハルト期の開発事業に対して展開された環境運動とポスト・スハルト期のその変化を中心に検討していく」。

 第2部「コミュニティのための観光開発」は、第3章「村落エコツーリズム:NGOによる観光開発」、第4章「村落エコツーリズムの村:I村の事例から」、第5章「村落改革運動としての村落エコツーリズム:A村の事例から」の3章からなり、「バリのローカルNGO、ウィスヌ財団が開始したCBTの展開に焦点を当てる。グローバルに流通する観光形態であり開発手法であるCBTが、いかに村落コミュニティに接続され、個別的に展開するのかを描き出していく」。

 第3部「観光開発と社会運動」は、第6章「NGOアクティビストたちの活動の作法:World Silent Dayキャンペーンを事例として」および第7章「村落観光開発をめぐる試行錯誤」の2章からなり、「CBTをめぐる動きを、NGOアクティビストやバリ人知識人らによる社会運動の一側面として描いていく。そこで注目するのは、働きかける対象がバリ社会となる場合、仲介者たちの翻訳の技法はどのように変化するのかという点である」。

 「結論」では、まず第1節「ポスト・スハルト期バリにおけるCBTの「翻訳」」で、つぎのことが明らかになったとしている。「ウィスヌ財団が住民によって運営される観光モデルを作ることを目指してCBTをバリに適用させてきたのは、単にマス・ツーリズムに対抗すること自体を目的としていたわけではない、ということである。それは副次的な目的に過ぎない。バリの人びとにとって、決して切り離すことができないアダット・コミュニティは、スハルト期に強力に進められた開発を通して弱体化したとされる。彼らはCBTの適用を、アダット・コミュニティを立て直すことができる手段と解釈したのである。こうした解釈のもとでウィスヌ財団は、バリの人びとの観光への関心と自らの関心を調整しつつ、村落エコツーリズム/村落エコロジカル・ツーリズムという枠組みを形作り、CBTとはいかなるツーリズムかという知識を生み出してきた」。

 さらに、つぎのように結論づけている。「バリにおけるCBTの適用は、対象となる人びとに自らの生活する場であるバリの現状についての意識化を働きかけることを通して、自らの直面する問題を主体的かつ自律的に解決できる村落コミュニティを再構築していくことを目指して行われていた、ということである。ただし、仲介者が自らの関心と現場固有の社会文化的コンテクストとを調整して適用するために、村落エコツーリズムが何を目的として実践されるかは、全村落で一様ではない。こうした可変的に実践されていくCBTのあり方は、仲介者による「翻訳」に注目することで見えてくる」。

 つぎに、第2節「社会運動としてのCBTの促進」では、つぎのように「観光研究と開発研究の交差領域を扱う本研究が提供する新しい知見を述べ」ている。「CBTは誰によって、どのような目的で導入され、どのような回路をたどって開発されたのかによって、その実践が兼ね備える性格は異なってくる。だからこそ、CBTがどのような仕組みで実践されているかではなく、CBTの名のもとに誰によって何のために行われているかに目を向けて、その取り組みを検討していかなければならないのである」。「以上、本書の事例からCBTを適用することの社会運動としての一面が浮かび上がってきた。これは、これまでの観光研究でも開発研究でも、実証的な研究においては指摘されてこなかった面である」。

 第3節「今後の展望」で、著者は本書の位置づけをつぎのように述べ、確認している。本書は、「グローバルに強調されるCBTに対する価値判断から1歩引き、それが具体的な形となって立ち現れるローカルな現場で何が行われているかを把握することで、CBTという現象を読み解いていくことを試みた。本書で扱った事例は、グローバルな視座からみると、必ずしも「成功」しているとは言えず、持続可能な観光という言説のなかのCBTのイメージに沿うものでもない。その結果、CBTの有効性を信じてやまない人びとを失望させるか、あるいはローカルの人びとの対応こそが問題なのだという印象を与えてしまいかねない」。「しかし、強調しておきたいのは、筆者はバリの仲介者たちの実践を成功や失敗といった観点から評価したいわけではないことである。筆者は、CBT開発は常に試行錯誤が繰り返される過程である、と考えている」。

 そして、つぎのように締め括っている。「観光は今後、近代観光の中心であった「見る」観光から、観光を通して問題を考え直す再帰的な観光へとその質を変容させていくことが考えられる。そのような変容において、観光の自己再帰性がどのように作用しているか、人びとの実践から捉えていくこと。そして、ある一時を切り取って現象を捉えるのではなく、より長いタイムスパンで人びとの実践を捉えていくこと-それが人類学的観光開発研究のあり方であり、観光と社会との適切な関係を切り開いていくための人類学による貢献なのである」。

 本書から、観光における「ホスト」と「ゲスト」の境目が曖昧になってきている、という印象をもった。著者自身が「観察者としてその場に存在する自分自身の立ち位置に違和感」をもったように、こんにち彼我の境目がなくなってきている面がある。それは、バリの観光化において国家や大資本が主導権をとったのと違い、コミュニティが直接、世界と結びつき、地球市民同士の交流としての観光になってきたためだろう。だが、それは結構しんどいことかもしれない。なにも考えたくないリゾートを求める人びとにとって、マス・ツーリズムも必要だろう。同じ観光客でも、時と場所によって求めるものは違ってくる。「ホスト」は「ゲスト」となったとき、どのような観光を求めるだろうか。とすると、「21世紀型の観光」は多様性のあるものになり、本書で紹介されたものは、その一形態ということになろうか。

野呂邦暢『失われた兵士たち-戦争文学試論』文春学藝ライブラリー、2015年6月20日、478頁、1450円+税、ISBN978-4-16-813047-2

 1977年に出版された本書を、ここで紹介することになるとは思わなかった。読んでみて、古くささを感じなかったのである。ということは、戦争文学論は、40年以上、進歩していないということなのだろうか。

 本書は、自衛隊員限定の会誌『修親』に、1975年4月号から77年3月号まで23回にわたって連載されたものをまとめて、77年8月に単行本(芙蓉書房)として出版されたものの復刻版である。2002年に同社から新装版が再刊され、15年に文庫版として出版された。1977年の単行本の帯には「気鋭の芥川賞作家が評論した待望の会心作」とあり、2015年の文庫版には「戦記500冊」「芥川賞作家が問う日本人と戦争」とある。

 著者の野呂邦暢(1937-80)は、長崎市生まれ、「いくつかの仕事を経て、1957(昭和32)年、佐世保陸上自衛隊相浦第八教育隊に入隊。翌年、北海道陸上自衛隊にて除隊」「1974(昭和49)年、自衛隊体験を描いた「草のつるぎ」で第70回芥川賞を受賞」。

 文芸批評家の大澤信亮の「解説」によると、「野呂の唯一の評論であり」、「たんなる戦争文学の研究書ではないこと、それが近年再評価の著しい、野呂という独特な作家の手による作品であることを強調する必要がある」という。

 本書の目的は、23回の連載の22回目で、「日本人の戦争体験をさぐり、南北両半球にまたがる地域でたたかわれたいくさの実態と、敗者がその戦いからつかんだものの意味を問うのが本稿の目的であった」と述べ、つづけて「目的は十全に達せられたであろうか」と自問している。

 答えは、つぎのようにつづけて書かれている。「連載をはじめるにあたって、私はこれまでわが国の戦争文学といわれるものが、大半大学卒のインテリ兵士および将校の手になるものであることを指摘し、それらの著者が戦後おおかた職業作家として世に立っているゆえに、私の小論ではつとめて無名の市民兵の手記をとりあげて考究するつもりであるといった」。「なぜなら今次の大戦はこれら無数の名もない市民兵によって戦われたのであり、作家や知識人の兵士たちのなかに占める割合は微々たるものであったからである」。「それが実現されなかったのは、作文を生活の習慣としない人にありがちな生硬な表現、紋切りがたの文章、ことがらの一面的な判断が多く見られるために、戦争という異常な極限状況において日本人が何を考え、何をしたかということをたどるには、根拠とするのに弱いと気づかざるをえなかったからである」。

 そして、連載最後の23回目の「おわりに」は、つぎのパラグラフで締め括っている。「私たちは二度にわたってみずから汗水たらして構築したものが無に帰するのを経験したといってさしつかえない。八月十五日にはしかし希望と焼野原があった。焦土の上に復興という幻影をゆめみることが可能であった。今はどうか、焦土こそないが見わたせば一望の荒地ではないだろうか。私たちの希望がもはやコンビナートにも高速道路にもないとすれば、高度工業化社会という瓦解した夢のほかに何を築くことが残っているだろうか。私たちが昭和五十年代の課題になすすべもなく直面し、精神のあたらしい価値を創造することができないでいるとすれば、それはとりもなおさず戦後から何も学ばなかったということであり、ひいては敗北した戦争から何もつかみとらなかったということにもなる。そうではないという声が聞える。目に見えない所で続けられている個人のひそかな精神的営為に期待するしかない」。

 さらに、「あとがき」で、つぎのように総括している。「戦記にはフィクションがあり、ノンフィクションがあるけれども、いくらかの虚構をまじえなければ語れない真実というものも世にはある」「私はなぜ戦記を耽読したのだろうか」「あらためて反省すれば、結局、私が戦記の中にのっぴきならない日本人の顔を発見するからであったようだ。恐怖、飢え、疫病などは、同胞兵士が十五年戦争において終始、直面せざるをえなかった戦場の現実である」。

 「本書は文学論というより、一種の書誌的論考である。おりにつけて批評の対象となる日本の戦争文学の枠をとりはずし、ドキュメントや手記の類をも紹介することで、日本人が戦った戦争とは何であったかを考えてみた。一介の小説家にすぎない私が、正面きって戦争文学論などを試みるのはおこがましいかぎりという気がする。私は気ままに戦記を渉猟し、世にあまり知られていない記録を紹介するかたわら自分の感想をつけ加えたにすぎない」。

 「解説」では、「野呂が本書で目指したのは、定評のある官製ないし大手出版社による戦記ではなく、高名な文学者によって書かれた「戦争文学」でもない、無名の書き手による戦争の記録を紹介すること」で、「野呂の本当の目的」をつぎのように述べている。「<敗者は敗北の屈辱を代償に、表現という手段を通じて世界を手に入れる。平たい言葉でいえば、敗れた者は、地獄を遍歴した目で、自他の現実に生きる姿を、勝者より明らかに見ることができるのである。敗者の特権とでもいうことができる>。この<敗者の特権>から、日本および日本人とは何かを考えること」だった。

 その敗者を代表するのが「戦死者」であった。野呂は、戦死者の声を聞きたかった。だから、戦死者に近い無名の兵士が書いたものをさがした。でも、それは適わなかったどころか、本書を読むと、野呂はむしろ「インテリ兵士および将校」の記述を信頼し、頼っているかのようにみえる。40年前の本書から古くささを感じないということは、野呂が求めた「戦死者」の声を、われわれはいまだに聞けていないのかもしれない。

井田徹治『追いつめられる海』岩波科学ライブラリー、2020年4月9日、155+3頁、1500円+税、ISBN978-4-00-029694-6

 表紙に「猶予はない ブルーエコノミーの実現を!」とある。「ブルーエコノミー」は、終章「海の価値を見直す」で「ブルーカーボン」とともに「海の環境の将来を考えるうえで重要なキーワード」としてあげられている。

 「ブルーエコノミー」は、つぎのように説明されている。「重要な生態系でありながら、マングローブや沿岸の湿地などの破壊が進んでいることの一因は、これらの生態系が炭素の吸収や微生物による水質浄化、防災、生物多様性の保全や漁業資源のかん養などの貢献をしていることが、きちんと評価されてこなかったためだ。もし、これらの生態系サービス、つまり自然の恵みの価値を経済的に評価したら、その額は巨大なものになるはずだ。海が持つこのような大きな可能性を評価し、それを活用、拡大することで、海の環境破壊を防ぎ、再生しつつ、人間も豊かになっていこうという考え方は、近年、注目されている「ブルーエコノミー」という概念に行き着く」。

 「ブルーカーボン」については、つぎのように説明されている。「ブルーカーボンは、藻場やマングローブ林、沿岸の湿地など、主に沿岸の生態系が蓄積する炭素のことを指す。陸上の植物と同じように、植物プランクトンや海の植物も光合成によって大気中の二酸化炭素を吸収する。吸収された炭素は植物体やその下の土壌の中に蓄積される。陸上の生態系に比べて、この「ブルーカーボン」の研究は進んでおらず、よく分からないことが多い。だが、最近の研究でこれが地球上の炭素の動向を理解するうえで、無視できないものであることが分かってきた」。

 本書は、はじめに、序章「海を追いつめる人間活動」、全5章、終章からなる。「はじめに」で「環境問題の取材をライフワークとする記者として各地で見てきた「海の危機」の姿や最新の研究成果を紹介しながらわれわれの暮らしになくてはならない海の環境問題を改めて考えようというのが本書の目的だ」と述べ、「序章」では「温暖化、海洋酸性化、プラスチックごみなど人間によって追いつめられる海の危機的な姿」の概略を示して本書の導入としている。各章は、まず具体的な事例をあげて問題提起し、最後に「コラム」で補足説明している。ひじょうにわかりやすい編集になっている。

 「終章」では、「海と人間の将来を左右するもの・COP25(マドリード)」「多くの可能性も」「それでも人は木を植える・モルディブ」「青い海と二酸化炭素」「自然の価値を見直す」の見出しのもとで本書を整理し、最後に「大転換へ」という見出しを掲げている。「貧しい発展途上国を含めた地域社会の持続的な発展に貢献するブルーエコノミーのモデルをつくることの大切さ」を強調しながら、「海の資源の持続可能な利用を実現することは、そう簡単なことではない」と、その理由をつぎのように説明している。

 「本書の中で述べてきたように、人類は、GMP[海洋総生産]の基礎になる海の環境を破壊し続けてきたし、今後も、それを続けようとしている。われわれは今、この瞬間にも海に多くのごみを出し続け、大気中に大量の二酸化炭素を出し続けている。主要国の政治家の耳には、海面上昇に苦しむモルディブの人々の声は届きにくいし、生息環境の悪化に苦しむ多くの海洋生物はそもそも、声を上げることすらできないからだ」。

 つづけて「大転換へ」の必要性を、つぎのように訴えて、「終章」を結んでいる。「持続可能なブルーエコノミー社会の実現には、海の環境が持つ価値を軽視し続けてきたこれまでの社会や経済システムを根本から転換することが必要となるし、そのためには強い覚悟と政治的な意志が必要になる。これは簡単なことではないが、人類の将来にとってはぜひとも実現しなければならない課題だ。そして、本書で紹介した多くの事例が示すように、大転換を実現するためにわれわれに残された時間は多くはない」。

 海は偉大なる「母」で、なんでも受け入れてくれると人びとが思っているうちに、いまひとびとは病んだ「母」に気づかず、気づいても深刻に受けとめず、その「偉大さ」に甘えつづけている。「猶予はない」という警告に早めに対処することが、「追いつめられる海」を大きな犠牲なくして救うことはわかっている。「大転換へ」の「強い覚悟と政治的な意志」を意識するためには、危機的状況にならなければどうしようもないというのか・・・。

植野弘子・上水流久彦編『帝国日本における越境・断絶・残像』風響社、2020年2月29日、2冊、各3000円+税、ISBN978-4-89489-273-6, 978-4-89489-274-3

 「なお、本書と姉妹編の成り立ちから、あえてまえがき・あとがきは共通のものとした」と「まえがき」の最後に書かれているが、「あとがき」にはなにも記されていない。さらに、姉妹編「人の移動」と「モノの移動」の「序」のタイトルは、それぞれ「帝国日本における人の交錯」と「帝国日本におけるモノの交錯」で、「人」と「モノ」が違うだけで、17-37(38)頁の第3節まで節タイトルが同じであるが、なんの説明書きもない。姉妹編2冊を同時に読む者にとって、はなはだ腹立たしい。出版助成が獲得できなかったことなど、2分冊になった事情はあるのだろうが、本書の信頼を貶めることになったことははなはだ残念である。

 本書の「学術的な意義」の説明は「まえがき」にはなく、「序」にあるとのことで、ほぼ共通している「序」の最初3節(「一 帝国日本と人類学研究-帝国期から現在へ「二 帝国における移動と出会い-植民地の近代」「三 帝国日本における植民地支配の特異性-繋がる現在と記憶」)から、本書の目的や課題がうかがえる。

 本プロジェクトの目的のひとつは、「帝国日本における他者との交わりを、日常レベルから考察するために、人がいかに移動し接触したか、またモノがいかにもたらされ生活に埋め込まれたかという具体的な動きを問う」ことである。

 「人の移動においても、モノの移動においても、帝国日本における移動とそれによって生まれる他者像を考えるとき、大きな二つの課題がある」という。「第一の課題は、その移動は、優位なる宗主国と劣位なる植民地との出会いであり、そこに近代化という価値が付随し、他者像が認識されたという、この様態を明らかにすることである。第二の課題は、帝国日本においては、宗主国と植民地が近接し、文化的に近似的であるという、西洋列強による植民地支配とは異なる特質があり、それが帝国崩壊後も両者の他者像、歴史の記憶に大きな意味をもつことを描くことにある」。

 「人の移動」編は、まえがき、序、5つの論考、最初の4つの論考の後のコラム、あとがきなどからなる。「序」の「四 帝国日本における人の移動」の後の「五 本書の構成」では、その特色をつぎのようにまとめている。「これまでの研究で、触れることの少なかった、あるいは等閑視されていた課題が、取り上げられている。まずは、日常生活に根付いた人間関係やモノに視点をおいた考察がなされていることである。それは、フィールドワークによって、またインタビュー調査によって、あるいは文献調査においても、当事者の目線から移動と他者像を探ろうとする著者たちの立ち位置が現れているといえよう。そのことは、移動が生み出す多様な様態が、帝国期もそして現在も、われわれの生活にも浸透していることを改めて考えさせるものとなっている」。

 さらに具体的に、つぎのように説明している。「本書では、これまであまり語られていなかった地域の間-台湾と朝鮮半島、台湾と宮古との間における「移動」を問うている。さらに、帝国日本の移動に注目しながらも、その範囲内に止まらない移動を視野にいれなければ、帝国の移動自体も考えられないことも示されている。戦時期には、動員、徴兵によって、国家の意図のもと、帝国内のみならず帝国を超えて人の移動は行われ、モノも統制され動き、あるいは略奪の対象となる。さらなる帝国の拡大とともに、現地の人とモノは、帝国日本の搾取・収奪の対象となっていったことは、歴史が示すところである」。

 「モノの移動」編は、まえがき、序、6つの論考(論稿)と、最初の5つの論考の後にあるコラム、あとがきなどからなる。「序」の「四 「帝国日本」のモノと現在」の後の「五 本書の内容」で、それぞれの論考およびコラムの「概要と意義」が紹介されている。帯には、つぎのように記されている。「国境なき越境、その実像をモノから探る」「日式表札やモダン建築、石垣のパイナップルや職人の道具など、いまもなお痕跡を残す統治時代のモノたち。その素性をたどると、支配というタテ軸の奥にさまざまな利害関係や深い交流があった。モノから見えてくる文化の複雑な位相」。

 両編の「序」の「むすび」は、ほぼ同じパラグラフで終わっており、「人の移動」編ではつぎのようにまとめられている。「本書において、東アジアにおける移動、それによって形成された他者像とその変化を語り尽くしたとは、もちろん、いえない。しかし、他者像が作られる場を考え、それが今とはいかに異なるものかを知ること、また今といかに繋がるかを考えることの大切さを、本書が少しでも伝えることができるならば、それは他者に近づく一歩に繋がるものであると願いたい」。

 明治日本の植民地になった台湾と朝鮮の個々個別の研究は山のようにあるが、この2つの植民地をつなぐ研究はほとんどない。あっても、宗主国日本を介したものになる。それを、沖縄まで加えて議論をした本プロジェクトの意義はきわめて大きい。さらに、北海道、樺太、南洋群島、戦時占領地、日本人移民にまで広げていくと、帝国日本の「人の移動」と「モノの移動」をよりダイナミックに語ることができる。本書では、占領期のフィリピン、ハワイ日系人にまで視野を広げて、今後の研究の発展の可能性を示唆している。これをまとめることはたいへんなことはわかるが、2冊の編集のお粗末さは、まことに残念である。

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