早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2020年12月

鈴木勉『インディペンデント映画の逆襲-フィリピン映画と自画像の構築』風響社、2020年5月25日、382頁、3000円+税、ISBN978-4-89489-127-2

 「本書はフィリピンのインディペンデント映画についての考察が中心である。それも二〇〇五年以降、筆者がフィリピンのインディペンデント映画に本格的に接しはじめたシネマラヤ・フィリピン・インディペンデント映画祭(以下、シネマラヤ)に出品された作品及び同映画祭が歩んだ時代と時を同じくして世に出た作品を中心に論じる」。「シネマラヤ」とは、「シネマと「自由」を意味するマラヤを冠したフィリピン最大の独立系映画祭」のことである。

 まず、インディペンデント映画とはなにか。著者の鈴木勉は、「確固とした定義はない」とし、フィリピン大学フィルム・インスティチュート所長のパトリック・カンポスが述べたことを、つぎのように引用している。「〝インディペンデンス〟とは、あらゆる専制的な主張を拒み、アイデンティティに対する問題提起によって立つものであり、その言葉は現在様々なかたちで進行している国民映画(ナショナル・シネマ)を語るときに欠くことのできない重要な要素である」。

 つぎに、なぜフィリピンなのか、序章「フィリピン映画の源流と一つの問いかけ」の最後のつぎのパラグラフからわかる。「本書で語ろうとしているのは現代のフィリピン映画と創り手たちの物語であり、それは国民国家というシステムが生み出したヒエラルキー、決して公平とは言えない構造に由来する社会の現実に向き合い、自らのアイデンティティ、自画像を再構築してきた者たちの苦悶の物語でもある。いま世界の映画界で注目され始めているフィリピン映画は、近代国民国家と資本主義経済や世界中を席巻しているグローバリゼーションに対して、マニラの民衆の喧騒にまみれたスラム街やストリートから、ポストコロニアリズムの周縁から立ち上る無数の民と、彼らの思いをインディペンデント映画という手法を用いて掬い取るクリエーターたちの逆襲にも見える。その対象は無自覚な他者であったり、自尊を失った自虐の自己であったりするであろう。それでは一体どんな逆襲となりえているのか、フィリピンのインディペンデント映画の中に分け入ってみよう」。

 本書は、はじめに、序章、全8章、終章、あとがき、と充実したシネマラヤにかんする資料からなる。「第一章 インディペンデント映画揺籃史とシネマラヤの誕生」で歴史的経緯をたどった後、つぎのようにテーマ別の7つの章が並ぶ:「第二章 映画と風景」「第三章 地域映画(シネマ・レヒヨン)の創生」「第四章 フィリピン映画に描かれたポストコロニアルな風景やLGBT」「第五章 フィリピン映画と日本」「第六章 「ポスト真実」時代のフィリピン映画」「第七章 フィリピン映画と信仰」「第八章 異彩を放つ映画人たち」。

 そして、「終章 インディペンデントの航海は続く」では、「一 自虐を超えて」の冒頭で本書をつぎのようにまとめている。「本書では、二〇〇五年を起点に勃興したと言われているフィリピン・インディペンデント映画の成り立ち、その前史や背景、そして「わたしたちが本来あるべき姿」、「失われた自己」を求める彼ら彼女らの内なる声とその挑戦の姿を探ってきた。その中核となっているのは一九八一年から一九九六年生まれのミレニアル世代前後の若い世代であるが、その世代を支えている一九五〇年代から七〇年代生まれの映画人たちの存在も輝いている。そして、このフィリピン映画第三期黄金時代を演出してきた一群の映画人たちの向かう先には、さらに若い世代の息吹が待ち受けている。なにせ平均年齢が二四・三歳の若者が主流の国である」。

 「二 越境する「国民映画」」で、もはや「国民映画」といえども「国境線という枠に縛られたものではない」現実を確認した後、「三 他者のまなざしに注視して」で、序章で問いかけた「人は、何人たりとも他者そのものになることは不可能である。しかし他者のまなざしに注視することはできる」に立ち戻り、つぎのように結論している。

 「そもそも国家やイデオロギー、政治、ジェンダーや階級、または人種の違いによって、自己と他の人々を区別、そして差別することは深いところに根差しているように思われる。そうした差別や抑圧の構造について考え、それに対する解決の道筋を探求することは、現代の思索者やアーティストに課された大きな課題の一つであるだろう。ポストコロニアルを考察する思想家ガヤトリ・スピヴァクが語りかける。「私たちが自分自身の中に聞かなくてはならない、他者の様々な声を思い出すこと」または「私たち自身の内に存在する聴くべき声を呼び起こすこと」、とはいったい何を示すのであろうか。そしてどうすればその声を呼び起こし思い出すことができるのだろうか。「何を」と聞かれれば、おそらく本書を書く行為そのものが、その回答を求めるための思索であり想起の過程であったと思う。そして「どうすれば」と聞かれれば、私は迷うことなく、フィリピンの偏在する庶民街の雑踏の中で、人々の営みの喧噪と様々な臭いで過剰に満たされた豊穣に身を浸し、貧しさと豊かさのアンバランスとバランスの中を漂い、ただただ安堵感に包まれながら実感すること、と答えるだろう」。

 そして、「五〇〇年の航海には終わりはなく、フィリピン・インディペンデント映画を巡る私たちの旅もまだまだ続き、今日も新たな作品が生まれ、歴史は上書きされてゆくだろう。本書はただその途中経過報告である」と結んでいる。

 フィリピンだけでなく、東南アジアはわかりにくい、という声をよく聞く。「暴力・貧困・差別」などのネガティブ・イメージがあるが、その実態はよくわからない。そんななかで、「土着の「リアル」」が伝わってくるのが映画である。それがインディペンデント映画で、よりわかりやすくなったということがいえるのではないだろうか。

 東南アジアのなかでも、なぜフィリピンなのか。フィリピンは、16世紀に当時世界最強のスペインの植民地になり、カトリック教徒が多い。19世紀末には、20世紀最強の国家になるアメリカ合衆国の植民地になった。流動性の激しい海域世界の一員でもあるフィリピン人は、英語を武器に世界各地に出稼ぎするディアスポラな国民になった。南部にはイスラーム教徒が多く居住し、イスラーム世界にも出稼ぎしている。フィリピン人は、グローバル社会のなかのさまざまな問題に出くわし、国内外でそれらに対応してたくましく生きている。新たな作品のネタは、どこにでも転がっている。

永野善子『日本/フィリピン歴史対話の試み-グローバル化時代のなかで』御茶の水書房、2016年3月31日、x+195頁、2600円+税、ISBN978-4-275-02028-4

 フィリピン社会経済史を専門にしている著者、永野善子が本書を書くきっかけとなったのは、『歴史と英雄-フィリピン革命百年とポストコロニアル』(神奈川大学評論ブックレット11)(御茶の水書房、2000年)を執筆したことだった。フィリピン人にとって最大の歴史的関心事であるフィリピン革命(1896-1902年)をめぐって、フィリピン人研究者と宗主国であったアメリカのフィリピン史研究者とのあいだで大きな違いがあった。そのことは、アメリカの影響力が強かった近代日本にも、おおいに関係することだった。

 著者は、「序章 記憶からポストコロニアルへ-「知の植民地」状況を超えるために」」の「はじめに」で、つぎのように述べている。「私の目からすると、アメリカのアジア研究は、今日においても、その理論と構想力においてきわめて強靱な影響力を行使し続けている。私たちは、いまここでその意味と問題点を、アジア地域の研究者たちとの対話を繰り返しながら、ふりかえる必要があるのではなかろうか。それと同時に、日本や日本人の姿を等身大で眺める余裕がでてきた、近隣アジア諸国の人々の声にこれまで以上に耳を傾けることが求められている。こうした観点から、ここでは、日本における「記憶」と「ポストコロニアル」をめぐる議論を取り上げながら、日本における「知の植民地」状況を超える可能性を模索することにしたい」。

 そして、序章「むすび」で、「日本でポスト・モダンが叫ばれて久しいが、日本の近代ははたして終わったのだろうか」と問いかけ、「二一世紀初頭において私たちに突きつけられている課題」について、つぎのように述べている。「近代国家形成以来、日本人が抱えてきた内なるポストコロニアル状況とは何かをその原点に立ち戻りながらみつめつつ、アジアにおけるひとつの国民が一世紀以上にわたって経験してきた「不可逆的な精神変容」としてそれを受け入れることではなかろうか。そしてその重みを背負いながら新たな歩みを続けることによって、私たちは自分自身の「知の植民地」状況を乗り越える道を切り拓くことができるのかもしれない。さらに加えると、いま私たちは、グローバリゼーションの時代のなかで、国民国家とナショナリズムの布置関係の転位についてより先鋭な問題意識をもつことが、求められているように思われる」。

 本書は、序章、全5章、終章、座談会、あとがき、などからなる。座談会「9・11から未来社会へ-「失われた一〇年」と日本社会」(岩崎稔・吉見俊哉・永野善子)は、第3章と第4章のあいだにある。「序章」の終わりで、章ごとにつぎのように要約している。「第1章[「フィリピン研究とポストコロニアル批評」]と第2章[「グローバル化時代の歴史論争-フィリピン革命史をめぐって」]において、東南アジアに位置しスペインとアメリカによる数世紀にわたる植民地支配を経験したあと、アジア・太平洋戦争時代には日本による軍事的占領下に置かれたフィリピンの近年における歴史をめぐる新しい接近方法や論争を紹介し、フィリピン歴史研究におけるポストコロニアル的介入の意味について議論してゆきたい。第3章[「フィリピン歴史研究の翻訳に携わって」]は、私自身が関わったフィリピン歴史研究に関する翻訳作業の体験から、フィリピン人歴史家たちが英語をとおして同国人であるフィリピン人や欧米圏の研究者向けに執筆した著書を、日本人向けに日本語に翻訳するためには、どのような文化的かつ言語的操作が必要であるのかを事例的に示してゆく」。

 「ついで「9・11から未来社会」をテーマにして、二〇〇一年に岩崎稔氏と吉見俊哉氏をお招きして行った座談会を圧縮したかたちで再録する。十数年前の座談会であるが、グローバリゼーションのもとで日本社会が抱えている問題や日本におけるアジア研究の課題についてのここでの議論は、今日においても共通するものである。また、この座談会の内容は、本書の第4章や第5章への流れをつくる意味をもっている」。

 「さらに、第4章[「国民表象としての象徴天皇制とホセ・リサール」]と第5章[「格差社会のなかの海外出稼ぎ者と国際結婚-在日フィリピン人を事例として]では、日本と隣国フィリピンの関係について、歴史と現在の双方からアプローチする。これまでともすれば、日本はかつての「帝国」であり、フィリピンは「植民地」であったという側面から、両国の関係についてさまざまな議論がなされてきた。これに対して、この二つの章では、日本とフィリピンを同一の土俵において比較することを試みたい。第4章では、アメリカをひとつの光源として、国民表象としての、フィリピンにおけるホセ・リサールと日本の象徴天皇制を比較し、日本とフィリピンの二つの社会にアメリカ性が内在する意味を析出する。他方、第5章は、現代の日本社会におけるアメリカ性を探る意味で、かつてエンタテイナーとして来日したフィリピン人女性と日本人男性の国際結婚を事例として、フィリピン人が日本のなかに「第二のアメリカ」を意識し、他方、日本人はフィリピンのなかに日本より先行した「アメリカ文化」の受容状況を見出している点に着目する」。

 「そして終章[「日本・アジア史の新たな接点を求めて-グローバル化とテロの時代のなかで」]では、ポストコロニアルの視点から一歩進んで、植民地近代性の概念を検討し、植民地近代性からの新しい歴史研究のアプローチの可能性について検討を加える。こうした文脈のなかで、本書では、帝国アメリカのもとに日本とフィリピンを対峙させることによって、日本における「知の植民地」状況を超えるための方向性を見出す糸口を探ることをめざすものである」。

 「終章」の「むすび」では、つぎのように述べて総括している。「重要なことは、私たち日本人が「アジア」を論じる場合、日本で語られる「アジア」と近隣アジア諸国で語られるアジアとが異なる意味をもっていることに、これまで以上に配慮する必要があるように思われる。いうまでもなく、それぞれの国や地域の人々がもつ「アジア観」とは、それぞれの国や地域の人々がこれまで背負ってきた歴史的背景によって異なる。したがって、先見的に「アジアはひとつ」という観点からアジアを論じることは、むしろ危険である」。「「アジア」とは、場所ではなく、歴史と文化政治学の重荷を背負っており、それゆえに、私たちは「複数化されたアジア」を構想し、お互いの差異を尊重し、かつそれを知ることが、今求められているといえよう」。

 日本、フィリピン、アメリカ3ヵ国は、近現代において2国間関係だけではわからない3ヵ国関係のなかのそれぞれの2国間関係がある。帝国アメリカを上段に置くことによって、日本とフィリピンはともに「知の植民地」として位置づけることができ、象徴天皇と国民的英雄ホセ・リサールをも、帝国アメリカの前では比較の対象なりえた。ともに「知の植民地」状況を超えるために。

永野善子編著『帝国とナショナリズムの言説空間-国際比較と相互連携』御茶の水書房、2018年3月20日、273頁、4600円+税、ISBN978-4-275-02086-4

 「本論文集は、近年、歴史研究の分野で注目されている「グローバル・ヒストリー」の手法を意識しつつ、植民地近代性とポストコロニアル批評の議論の展開を念頭に入れながら、帝国論とナショナリズム論の国際比較および各地域間の相互連携について学際的研究を行うことをめざした共同研究の成果である」。

 本書がめざしたものは、つぎのように説明されている。「本共同研究では、歴史的事実の積み重ねだけでなく、さまざまな地域で歴史がどのように語られてきたのか、つまり歴史についての語り(言説)に注目し、それ自体が現実の歴史にどのように影響してきたのかにも注目してきた。このようなかたちで共同研究を進める過程で明らかになった点は、各地域における帝国の影響やナショナリズムの現出形態を決定づける最も重要な要因は、宗主国が支配した植民地にすでに形成されていた「国家」、あるいは「准国家」もしくは「非国家」(部族社会)のありようであったことである。このように、本書では、東アジア・太平洋地域(日本・香港・サイパン)、東南アジア(タイ・フィリピン)、アフリカ(ケニア)、ラテンアメリカ(ボリビア)のさまざまな地域の個別の歴史経験を俯瞰することによって、従来の帝国論やナショナリズム論に欠落している視点を幾ばくか補うことをめざしたものである」。

 本書は、「序にかえて」、全9章からなる。「序にかえて」のおわりに、各章の要約がある。第1~3章の3篇の論文「第1章 文学(者)による文化工作・建設戦-上田廣「黄塵」の意義」(松本和也)「第2章 サイパン戦秘史にみる人種差別とナショナリズム」(泉水英計)「第3章 香港における入境管理体制の形成過程(一九四七~五一)-中国・香港間の境界の生成と「広東人」」(村井寛志)は、「東アジア・太平洋地域におけるアジア・太平洋戦争時代と同戦争直後の時期を扱い、文学・人類学・歴史学から帝国・ナショナリズム・エスニシティの問題に接近している」。

 第4~5章の2篇の論文「第4章 タイにおける王党派思想とナショナリズム」(山本博史)「第5章 分断される国家と声でつながるコミュニティ-タイにおける政治的対立と地方コミュニティラジオ局」(高城玲)は、東南アジア諸国のひとつタイの今日における政治的状況を踏まえて、ナショナリズムの歴史的根源や今日の政治・社会運動に接近している」。

 「第6~7章は、引き続き東南アジアのフィリピンについての論考である。前者[「第6章 フィリピン革命史研究再訪-近年のフィリピンにおける研究潮流を背景として」(永野善子)]ではナショナル・ヒストリー(国民史)の中核に位置する独立革命史の現状を扱い、後者[「第7章 米国帝国下のフィリピン・ミンダナオ島開発とフィリピン人エリート-一九二〇年代のゴム農園計画を中心に」(鈴木伸隆)]では、帝国アメリカ支配下のミンダナオ島開発をめぐる問題について考察したものである」。

 第8章「キプシギス人の「ナショナリズム発見」-ケニア新憲法と自主的ステート=ナショナリズムの創造」(小馬徹)と第9章「ボリビア「複数ネーション国家」の展望-アフロ系ボリビア人の事例から」(梅崎かほり)は、「アフリカとラテンアメリカに舞台を移し、帝国やナショナリズムの問題に関して、東アジアや東南アジアとは異なる様相を呈していた歴史的事実を取り上げている」。

 執筆者9人のうちひとりを除いて全員が神奈川大学に属している同大学人文学研究所の共同研究の成果であることから、さまざまな地域・専攻分野を扱い、それぞれの論文もこれまでの研究実績に基づいたこなれたものから新たに試みた荒削りのものまであるが、「言説に注目して」共通論題である「帝国」と「ナショナリズム」をキーワードに論じ、一定の成果をあげている。

林義勝『スペイン・アメリカ・キューバ・フィリピン戦争-マッキンリーと帝国への道』彩流社、2020年3月16日、295+58頁、3800円+税、ISBN978-4-7791-2663-5

 1898年4月にはじまったアメリカとスペインとの戦争が、環大西洋だけでなく環太平洋でも同時並行して進んでいたことがはっきりした。本書から、第一次世界大戦を契機に「孤立主義」を捨て、世界帝国へと発展するアメリカの原像をみることができる。

 本書の全体像は、帯にある「帝国主義戦争と民族解放戦争の歴史的交錯!」のつぎの説明からよくわかる。「1898年4月に始まったアメリカ・スペイン戦争は、スペインに対する独立運動が展開されていたキューバ、フィリピンを舞台に戦われた。スペイン軍とアメリカ軍の最初の戦闘は遠く離れたマニラ湾での海戦だった。アメリカはキューバ解放軍、フィリピン革命軍と連携しながらスペインを追い落としたが、協力した現地の独立軍を排除して、一方的にスペインと講和条約を締結した。その後、キューバを保護国化し、フィリピンではゲリラ戦を制して植民地統治を始めたのである」。

 本書「はじめに」では、冒頭「余り見慣れない」タイトルについて、つぎのように説明している。「高等学校や大学で使用する世界史やアメリカ史概説の教科書では、二〇世紀転換期に起きたこの戦争を、「米西戦争」と表記する場合がほとんどである」。「しかし、実際は「米西戦争」と表記すればいいほど、その後の事態の展開は単純ではなかった」。

 「米西戦争」という表記では戦争の全体像を示すことができないことは、1974年に刊行された『アメリカ史研究入門』でもとりあげられ、つぎのように主張されていることを、著者は紹介している。「アメリカ合衆国が一八九八年に戦った「米西戦争」を、一八九〇年代の「膨張主義の帰結であるとともに、世界帝国建設の出発点」という文脈で捉えるという立ち位置が明確に提示されている。そして、「今後はスペインの側からの考察が必要であるだけでなく、キューバおよびフィリピンの独立戦争を不可欠の要素として含む四極戦争、つまりアメリカ=フィリピン=キューバ=スペイン戦争として捉えなおし、帝国主義戦争と民族解放戦争の歴史的交錯の究明を通して、帝国主義体制成立におけるこの戦争の意義を明らかにすることが重要」であると主張されている」。アメリカの概説書でも、「スペイン-アメリカ-キューバ-フィリピン戦争」を使用しているものがある。

 本書は、はじめに、全5章、結論などからなる。第一章「スペインとの開戦」と第二章「キューバの保護国化」はプエルト・リコを含むカリブ海の戦争、ハワイ併合にはじまる第三章「アメリカの対フィリピン政策」と第四章「フィリピン・アメリカ戦争の勃発と展開」は太平洋の戦争を、それぞれ時系列に扱い、第五章「反帝国主義運動と一九〇〇年の大統領選挙」は、アメリカ「帝国史」のはじまりを論じている。

 「結論」では、アメリカ外交史の研究者として著者が「特に取り上げたかった」4点について簡潔に論じている。「第一点目」は、本書の副題にあるマッキンリーが「一八九七年三月に大統領に就任してから、一九〇一年九月に暗殺されるまでの任期中、大統領として強力なリーダーシップを発揮した「現代的大統領」であったことを確認」している。「マッキンリーは、大統領としてスペインとの外交交渉にイニシアティヴを発揮した。宣戦布告後も、積極的に総司令官として軍事作戦に関与したばかりでなく、その後のキューバとフィリピンの統治にも独自色を出していった。その結果がキューバの「保護国化」であり、フィリピンの併合であった。二〇世紀にアメリカが世界の列強として、国際政治の中で存在感を強めてくる足場を固めたのである」。

 「第二点目に強調したいことは、キューバとフィリピンでのスペイン軍との戦争の際に、アメリカ軍は現地の革命軍をうまく利用して休戦に持ち込み、その後のアメリカ支配に結びつけたことである。そして、キューバとフィリピンで、宗主国スペインから独立を目指して戦っていた解放軍勢力を制圧したのであった」。「いずれの場合も解放軍の信頼を裏切り、単独でスペインとの休戦協定を結んだ」。

 「第三点目は、アメリカ政府は、キューバ人もフィリピン人も劣等視し、アングロ・サクソン人種の傲慢な視点から、両人種とも本来的に自治能力を持っておらず、アメリカ人が民主主義を教える義務と使命があるとして、キューバを「保護化」し、フィリピンを(ママ)[の]「併合」を正当化するレトリックとしたのである」。「人種戦争といわれるゆえんである」。

 「最後に、反帝国主義者たちについて述べて」いる。「共和党、民主党などの政党に属していた政治家、弁護士、作家や大学教員などの知識人、ビジネス界や労働組合指導者など、さまざまな職業の人々が反帝国主義者連盟に参加した」。「特に、反帝国主義者の主張の中で注目すべき点は、新しくアメリカが海外に領有する領土は、一九世紀までの大陸内での膨張の場合と違って、新しく獲得した領土に白人入植者たちが移住して新しい州を立ち上げることはないと警告していたことである」。

 そして、「結論」はつぎのパラグラフで終わっている。「もう一つ指摘しておきたいことは、ハワイを除いて、海外領土に居住する人々はアメリカに統合されることはなく、すなわちアメリカ市民として認められることはなかった。アメリカ合衆国憲法に謳われた市民としての十全な権利を享受することはできなかったのである。こうした状態を生み出すことに反対したのが反帝国主義者たちであった。一つの国の中に、アメリカ市民として権利を行使できない人々を抱える国家体制は、自らが掲げる理念に反することであり、同時にその地域の住民にとっても望ましくなく、避けるべきことであった。その後の歴史の歩みを検証すればそれは明白である。反帝国主義者たちは、アメリカ合衆国がそのような国家になるべきでないと主張したのであった。繰り返しになるが、彼らは歴史の転換点に立った時に、理念に立ち返って、アメリカ社会に向かって将来起こりうる問題を想定して、その進路に注意を喚起する役割を担ったのである」。

 ハワイは1959年にようやく50番目の州になった。日本との戦争にアメリカ軍兵士として戦ったフィリピン人退役軍人(アメリカ市民権を得ている者を含む)に恩給が支払われたのは2009年であった。現在でも、自治的・未編入領域として、グアム(準州)、北マリアナ諸島(自治連邦区)、プエルトリコ(自治連邦区)、アメリカ領ヴァージン諸島(保護領)があり、これらのアメリカ合衆国の海外領土の住民は、アメリカ合衆国大統領選挙の投票権はなく、合衆国議会で完全に代表する代議士はいない、など差別的な扱いを受けている。マッキンリーが敷いた「帝国への道」は、今日まで修正されることなく続いている。

 ところで、本書には「正誤表」が挿入されていた。万全を期したつもりでも、印刷や製本のスケジュールが組まれると、校正する度に加筆修正したいことが出てくるにもかかわらず時間的に充分でなく、多少の誤植が出るのはしかたがないことである。だが、近年の出版不況のあおりを食ってか、出版社により編集担当者により、まったく校正をしていないのではないかと思われるものが出版されている。学術書で定評のある出版社は、編集担当者以外に内容や「てにをは」などをチェックする者がいる。ウィキペディアで間違っているものをそのまま指摘されて苦笑することもあるが、すくなくともウィキペディアはチェックしてくれたと安心する。当然、本の価格は高くなる。本書の正誤表を見ても、ちょっと気をつけて校正すれば気づくものがあり、この正誤表に載っていないものもまだまだある。出版社が校正をしないのであれば、著者に前もっていってほしい。それなりに対応することができるから。

 まだ本書には不思議がある。同じ出版社から出版され、巻末に広告も載っている大井浩二『米比戦争と共和国の運命-トウェインとローズヴェルトと《シーザーの亡霊》』が「参考文献」にないし、著者はトウェインの「反帝国主義者としての側面についての研究も成果もそれほど多くない」と書いている。編集担当者は、本書をまともに読んでいないのだろうか。

大井浩二『米比戦争と共和主義の運命-トウェインとローズヴェルトと《シーザーの亡霊》』彩流社、2017年4月30日、222頁、1800円+税、ISBN978-4-7791-7089-8

 表紙中央にある絵画には、つぎのようなキャプションが添えられていた。「米比戦争におけるパセオの戦い(1899年2月)を描いたクルツ・アンド・アリソン社の石版画。左下隅に描かれているフィリピン現地人がアメリカインディアンのような格好をしているところに注目したい。アメリカ軍兵士たちはフィリピン人を「ニガー」と呼んだり、アメリカ先住民にたとえたりしていたので、この絵を描いた画家の勘違いだったとも考えられ、当時としてはこのような勘違いは珍しくなかったのかもしれない」。

 「政治学者でも歴史学者でもない著者」、文学研究者の大井浩二による「ことば遊び」と思って読むと、とんでもない勘違いをしてしまう。本書は、「米比戦争の本質にあえて迫ることにより、共和国という振り子が共和主義から帝国主義へと大きく振り切った状態にある現在のアメリカを知ることにもなる」本格的なアメリカ論である。その「アメリカ共和国は古典的共和国としてのローマをモデルにして建設され」、アメリカ人は、「ローマ共和国の末期にジュリアス・シーザーが皇帝として君臨したことを忘れることができない」のである。

 1899年2月4日にはじまった「米比戦争」に、「アメリカ軍は十二万六千の兵力を投入して、四千二百三十四人の戦死者を出したが、フィリピン側は一万六千の革命軍兵士が戦死し、二十五万から百万人の一般人が死亡したと言われている」。本書は、「その米比戦争の本質に迫るために、政治家セオドア・ローズヴェルトによって代表される帝国主義者たちと小説家マーク・トウェインによって代表される反帝国主義者たちを両極に配置する形で、歴史的、文化的な角度からアプローチすることを目指し」た。

 本書は、プロローグ「米比戦争とは何だったか」、全6章、エピローグ「セントルイス万博とフィリピン・リザベーション」からなる。各章の要約は「プロローグ」のおわりにあり、「戦争を正面から扱おうとはせず」、「遠く離れた太平洋での戦争を銃後で間接的に体験した政治家、小説家、詩人、哲学者といった人たちばかり」が登場する理由を、「あとがき」でつぎのように説明している。

 「このいまではほとんど記憶されていない戦争がどのように同時代のアメリカ人に受け止められ、どのような形で記録に残され、どのように共和国アメリカの運命と関わっていたのか、という問題を考えるためには、立場を異にする論者たちが行なった演説を中心に、評論、詩編、小説、日記、手紙といった種々雑多な資料を読み解き、そこから聞こえてくる生の声に耳を傾けるのが最上の策ではないだろうかと考えたからです」。

 そして、つぎのような結論に至った。「二〇世紀初頭のアメリカ人たちの米比戦争をめぐる言動を振り返ることによって、その後のアメリカ人たちが忘れ去ろうと躍起になっている忌まわしい侵略戦争の記憶を歴史の闇からよみがえらそうとする試みである、などと言い立てたりすれば、不遜のそしりを受けることになるでしょうか」。

 本書には、気になるいくつかの文章がある。たとえば、フィリピン人を「「野蛮人あるいは凶悪な暴徒」と規定する立場と、「秩序だった、友好的で、自尊心の強いコミュニティ」と捉える立場の二つ」、換言すれば、「「野蛮人」と見下す「われわれの立場」にひそかに異議を唱え、アメリカ政府の帝国主義政策を疑問視する「もう一つの立場」にこだわる良心的なアメリカ人」がいたことを具体的に示している。だが、冒頭の絵画が示すように、アメリカ人の多くはフィリピンの実態を知らず、「「野蛮人」を見下す「われわれの立場」」の人がフィリピンを植民地支配していった。そして、「良心的なアメリカ人」は「忘れ去ろうと躍起」になった。

 帝国主義者と反帝国主義者との対立として描くとわかりやすく、「良心的なアメリカ人」が善人のように描かれるが、「良心的なアメリカ人」も「アメリカ、ファースト」に変わりはない。フィリピン人の視点で考えるの者はほとんどいなかったからこそ、「忘れ去る」ことができた。忘れたはずなのに亡霊のように蘇ってくるので、「躍起」になったのだろう。

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