ウリセス・グラナドス・キロス『共存と不和:南シナ海における領有権をめぐる紛争の分析、1902-1952年』松籟社、2010年2月28日、303頁、5500円+税、ISBN978-4-87984-275-6
近年「南シナ海」といえば、紛争の海として認識される。だが、本書のタイトルは「共存と不和」である。著者、キロスは、「南シナ海は、何よりもまず、人々が何代にもわたって共存してきた極めて大きな生態系である事実を強調しなければならない」と主張し、「隣接する国の政治的な境界を越える、人間の共存の海域として南シナ海を考える」必要を説いている。
その理由を、つぎのように説明している。「この海域では境界を越える人間の移動、貿易、経済上の活動などが、いわゆる「南洋」の国や地域の間だけではなく、隣接する海域(インド洋、東シナ海、フィリピン海、西太平洋など)にも及んでいたのである。島嶼の領有権をめぐる紛争において、これらの活動はどの程度まで関係国の政策に影響を及ぼしたのか、また逆に、これらの政府の政策が地域的な活動にどの程度まで影響したのか、様々な論点についてこの研究では扱いたい」。
さらに論点を、つぎのようにまとめている。「地政学的・軍事的および社会的・経済的なレベルでの「中心-周辺」の間、あるいは「中央-地方」の間の永遠の緊張、という議論は、南シナ海の領土紛争の歴史を説明する際に、どこまで必要であるのかという課題も考えられる。この研究のもう一つの目標は一九〇二-一九五二年における南シナ海の領土紛争の特徴を明らかにするため、歴史的な分析に社会的・経済的な要素をつけ加えることである」。
これらの研究目的は、「領有権をめぐる研究の大部分には、二つの重大な欠点が見られ」たからである。「第一に、この紛争は基本的に領土や海域の主権をめぐる紛争なので、ナショナリズムがイデオロギー的な要素として大きな影響を与えてきた。つまり、関係国に属する研究者が自国の主張を弱めるような議論をすれば、その議論は〝愛国的でない〟と見なされる可能性が高いといえる。したがって、関係国による研究の大部分は一方的なものであり、全体的な観点から見れば、批判的な研究が少ないのである」。
「第二に、これらの研究には「大局的見方」という問題が残っている。すなわち、島嶼の領有権の研究をめぐる歴史では、研究者は地政的・法律的な要素を非常に重視してきたと思われる。しかし、これらの要素だけでは、現在の紛争の起源、根拠、さらに関係国の政府による決定あるいは一連の事件を、十分に説明できないであろう。この領土紛争においては、政治、軍事、外交、社会、経済などの諸要素は、それぞれの関係国の国益(national interest)の中で、どのような重要性や関係をもっていたのか、という点についての歴史的な分析がまだ不十分であると思われる。したがって、南シナ海の歴史に影響を及ぼした社会的・経済的な要素を強調する学際的な研究をおこなう必要があるといえる」。
本書は、前書き、全3章、結論、後書きなどからなる。「第1章 歴史的背景」は、「この研究全体の背景として、中国の明朝(一三六八-一六四四年)、清朝(一六四四-一九一二年)時代における南シナ海の知識に関する紹介であり、さらに一九〇二-一九三九年の期間の島嶼、海域の領有権の問題をめぐる分析である」。「第一節においては、明朝、清朝時代の中国歴史叙述における「南海」(すなわち南シナ海)の概念の起源を分析する」。「第二節は、一九〇二-一九三九年の期間を中心として、中国、そして現在のベトナムを支配していたフランスによる、西沙群島、南沙群島の領有権の主張をめぐる歴史およびそれぞれの歴史叙述の再検討・批判である」。「第三節は、日本海軍による一九三九年の南シナ海占領に至る歴史的な過程の詳細な分析である」。「第四節は、太平洋戦争が勃発するまで、イギリスとアメリカがどの程度まで南シナ海の海域、島嶼に関与したのか、という重要な問題の分析である」。
「第2章 過渡期における南シナ海-一九四六-一九五二年」では、「一九四六-一九五二年という過渡期を中心とした、当事国による海域、島嶼の領有権の主張をめぐる歴史および歴史叙述について扱う」。「第一節では、一九四六-一九五二年(この期間は一九四九年前後を境にさらに二つに分けられる)における自らの主張に関する中国(北京)側の歴史叙述が詳細に検討される」。「第二節では、太平洋戦争終了直後からの、フランス、イギリスによる西沙群島および南沙群島の主権を中心とするそれぞれの主張の復活、という問題を扱う」。「第三節は、一九四六年からの南沙群島の主権の主張をめぐるフィリピン側の立場の分析である」。「第四節では、一九五一年のサンフランシスコ会議および『対日平和条約』が、現在に至るまで南シナ海の領有権の問題に最終的な解決が得られていないことに、どんな関係をもっているのかという重要な論点について議論する」。
「第3章 一九〇二-一九五二年における社会・経済的な共存の海域としての南シナ海」では、「社会的・経済的な分析を通じて、一九〇二-一九五二年における領土紛争の研究を補足する。そのために、この海域では様々な人間集団が何代にもわたって政治的な境界を越えて共存してきたという社会的・経済的な特徴を明らかにする」。「第一節では、この海域を、特に華僑・華人および日本人による植民地的な中心に向かう人間の移動がおこなわれていた海域として見なす」。「第二節では、二〇世紀前半において、南シナ海でおこなわれていた主な経済活動、すなわち貿易、運送業、漁業についての全体的な分析をおこなう」。「第三節は、国境を越える海域としての南シナ海をめぐる概念的な分析である」。
そして、「結論」冒頭で、本研究で明らかにしたことを、つぎのようにまとめている。「二〇世紀、南シナ海における領有権問題は、様々な理由できわめて複雑であったといえる。最初に、大陸の土地問題のケースとは逆に、関係国が〝大陸の領土〟を主張せず、むしろ〝海洋の領土〟(島、珊瑚礁など)および〝海洋の海域〟を主張していたためである。これについて、地理上の近接の原則はしばしば応用されていない(すなわち、ある国が自国の沿岸から何千海里も離れた島嶼の領有を主張することができること)。また海の境界設定はほぼ一方的な地図製作の課題であるため、こうした領土問題は解決しにくいのではないだろうか。特に、海洋法がまだ開発されていなかった二〇世紀初頭には、大きな地域のなかの海の領土・海域を、国民国家の管轄下に置くことは厄介なことであったと考えられる」。
「南海諸島は誰のものか」という本書の問いかけに、著者は明確にこたえていない。しかも、議論は1952年までで、また2010年発行のために、今日の紛争に直接こたえていない。だが、メキシコ生まれの著者の結論は、本書の題名に明確にあらわれている。「共存」である。