早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2021年04月

ウリセス・グラナドス・キロス『共存と不和:南シナ海における領有権をめぐる紛争の分析、1902-1952年』松籟社、2010年2月28日、303頁、5500円+税、ISBN978-4-87984-275-6

 近年「南シナ海」といえば、紛争の海として認識される。だが、本書のタイトルは「共存と不和」である。著者、キロスは、「南シナ海は、何よりもまず、人々が何代にもわたって共存してきた極めて大きな生態系である事実を強調しなければならない」と主張し、「隣接する国の政治的な境界を越える、人間の共存の海域として南シナ海を考える」必要を説いている。

 その理由を、つぎのように説明している。「この海域では境界を越える人間の移動、貿易、経済上の活動などが、いわゆる「南洋」の国や地域の間だけではなく、隣接する海域(インド洋、東シナ海、フィリピン海、西太平洋など)にも及んでいたのである。島嶼の領有権をめぐる紛争において、これらの活動はどの程度まで関係国の政策に影響を及ぼしたのか、また逆に、これらの政府の政策が地域的な活動にどの程度まで影響したのか、様々な論点についてこの研究では扱いたい」。

 さらに論点を、つぎのようにまとめている。「地政学的・軍事的および社会的・経済的なレベルでの「中心-周辺」の間、あるいは「中央-地方」の間の永遠の緊張、という議論は、南シナ海の領土紛争の歴史を説明する際に、どこまで必要であるのかという課題も考えられる。この研究のもう一つの目標は一九〇二-一九五二年における南シナ海の領土紛争の特徴を明らかにするため、歴史的な分析に社会的・経済的な要素をつけ加えることである」。

 これらの研究目的は、「領有権をめぐる研究の大部分には、二つの重大な欠点が見られ」たからである。「第一に、この紛争は基本的に領土や海域の主権をめぐる紛争なので、ナショナリズムがイデオロギー的な要素として大きな影響を与えてきた。つまり、関係国に属する研究者が自国の主張を弱めるような議論をすれば、その議論は〝愛国的でない〟と見なされる可能性が高いといえる。したがって、関係国による研究の大部分は一方的なものであり、全体的な観点から見れば、批判的な研究が少ないのである」。

 「第二に、これらの研究には「大局的見方」という問題が残っている。すなわち、島嶼の領有権の研究をめぐる歴史では、研究者は地政的・法律的な要素を非常に重視してきたと思われる。しかし、これらの要素だけでは、現在の紛争の起源、根拠、さらに関係国の政府による決定あるいは一連の事件を、十分に説明できないであろう。この領土紛争においては、政治、軍事、外交、社会、経済などの諸要素は、それぞれの関係国の国益(national interest)の中で、どのような重要性や関係をもっていたのか、という点についての歴史的な分析がまだ不十分であると思われる。したがって、南シナ海の歴史に影響を及ぼした社会的・経済的な要素を強調する学際的な研究をおこなう必要があるといえる」。

 本書は、前書き、全3章、結論、後書きなどからなる。「第1章 歴史的背景」は、「この研究全体の背景として、中国の明朝(一三六八-一六四四年)、清朝(一六四四-一九一二年)時代における南シナ海の知識に関する紹介であり、さらに一九〇二-一九三九年の期間の島嶼、海域の領有権の問題をめぐる分析である」。「第一節においては、明朝、清朝時代の中国歴史叙述における「南海」(すなわち南シナ海)の概念の起源を分析する」。「第二節は、一九〇二-一九三九年の期間を中心として、中国、そして現在のベトナムを支配していたフランスによる、西沙群島、南沙群島の領有権の主張をめぐる歴史およびそれぞれの歴史叙述の再検討・批判である」。「第三節は、日本海軍による一九三九年の南シナ海占領に至る歴史的な過程の詳細な分析である」。「第四節は、太平洋戦争が勃発するまで、イギリスとアメリカがどの程度まで南シナ海の海域、島嶼に関与したのか、という重要な問題の分析である」。

 「第2章 過渡期における南シナ海-一九四六-一九五二年」では、「一九四六-一九五二年という過渡期を中心とした、当事国による海域、島嶼の領有権の主張をめぐる歴史および歴史叙述について扱う」。「第一節では、一九四六-一九五二年(この期間は一九四九年前後を境にさらに二つに分けられる)における自らの主張に関する中国(北京)側の歴史叙述が詳細に検討される」。「第二節では、太平洋戦争終了直後からの、フランス、イギリスによる西沙群島および南沙群島の主権を中心とするそれぞれの主張の復活、という問題を扱う」。「第三節は、一九四六年からの南沙群島の主権の主張をめぐるフィリピン側の立場の分析である」。「第四節では、一九五一年のサンフランシスコ会議および『対日平和条約』が、現在に至るまで南シナ海の領有権の問題に最終的な解決が得られていないことに、どんな関係をもっているのかという重要な論点について議論する」。

 「第3章 一九〇二-一九五二年における社会・経済的な共存の海域としての南シナ海」では、「社会的・経済的な分析を通じて、一九〇二-一九五二年における領土紛争の研究を補足する。そのために、この海域では様々な人間集団が何代にもわたって政治的な境界を越えて共存してきたという社会的・経済的な特徴を明らかにする」。「第一節では、この海域を、特に華僑・華人および日本人による植民地的な中心に向かう人間の移動がおこなわれていた海域として見なす」。「第二節では、二〇世紀前半において、南シナ海でおこなわれていた主な経済活動、すなわち貿易、運送業、漁業についての全体的な分析をおこなう」。「第三節は、国境を越える海域としての南シナ海をめぐる概念的な分析である」。

 そして、「結論」冒頭で、本研究で明らかにしたことを、つぎのようにまとめている。「二〇世紀、南シナ海における領有権問題は、様々な理由できわめて複雑であったといえる。最初に、大陸の土地問題のケースとは逆に、関係国が〝大陸の領土〟を主張せず、むしろ〝海洋の領土〟(島、珊瑚礁など)および〝海洋の海域〟を主張していたためである。これについて、地理上の近接の原則はしばしば応用されていない(すなわち、ある国が自国の沿岸から何千海里も離れた島嶼の領有を主張することができること)。また海の境界設定はほぼ一方的な地図製作の課題であるため、こうした領土問題は解決しにくいのではないだろうか。特に、海洋法がまだ開発されていなかった二〇世紀初頭には、大きな地域のなかの海の領土・海域を、国民国家の管轄下に置くことは厄介なことであったと考えられる」。

 「南海諸島は誰のものか」という本書の問いかけに、著者は明確にこたえていない。しかも、議論は1952年までで、また2010年発行のために、今日の紛争に直接こたえていない。だが、メキシコ生まれの著者の結論は、本書の題名に明確にあらわれている。「共存」である。

日下渉・伊賀司・青山薫・田村慶子編著『東南アジアと「LGBT」の政治-性的少数者をめぐって何が争われているのか』明石書店、2021年4月15日、388頁、5400円+税、ISBN978-4-7503-5164-3

 読んでいいなと思っても、それが少数者を扱ったものだと、概説書や通史などに組み込むことは難しい。たとえ本書のように、いろいろな分野・社会で少数者を扱うことによって、それぞれの本質的なものがみえても、いいヒントになったくらいにしか思われない。ましてや、制度化が進展していない東南アジアでは、いい背景になっても、なかなか表に出して語りにくい。では、泣き寝入りするしかないのか。そんなことはない。表に出てこないことこそが、東南アジアを理解するには重要で、社会科学だけではわからない地域研究の対象としての東南アジアが、本書からみえてくる。制度化が進んでいない社会は、いつでもどこでも自分自身が多数者であることに安住することができず、自分が少数者であるときの状況を考えなければならない。たとえ制度化が進んで少数者を抑圧して多数者が支配的な社会になっても、少数者がいないことにはならず、問題はくすぶりつづける。

 だから、本書では、まず先行研究で充分に説明されていない東南アジアにおける性的少数者の状況を、つぎのように紹介する。「まず、東南アジアの性的少数者は歴史的に土着の社会秩序を支える役割を担い、彼らを周縁化・犯罪化したのは植民地主義の影響下ですすめられた近代化や国民国家形成である。それゆえ、「解放的な西洋/抑圧的な非西洋」という想定は正しくない。次に、東南アジア諸国は、軒並み二〇〇〇年代から高度経済成長を続け、都市化や近代化も進んできたが、もっとも発展したシンガポールでさえ、性的少数者の権利は制限されている。そして、インドネシアのように民主主義体制が性的少数者を抑圧したり、タイやベトナムのように権威主義体制が彼らの法的権利を限定的に拡大することもある。最後に、性的少数者のなかでも、都市中間層の若者が積極的にLGBT運動を受容してきた一方で、多くの地方在住者、年配者、貧困層は必ずしもLGBT運動を解放的な契機と見なしていない」。

 それゆえ、つぎのような未解明のものがあると問いかける。「まず、いかなる要因が、東南アジア諸国における性的少数者の異なる権利や福利状況を規定しているのだろうか。次に、東南アジアの性的少数者は、いかに西洋発のLGBT運動を受容して、あるいは受容しないまま、周縁化に対抗してきたのだろうか。本書では、「善き市民」の定義に根差した包摂と排除の政治に着目する」。

 つづけて、東南アジアに着目する理由を、つぎのように説明する。「まず、この地域には多様な性が歴史的に存在してきたことに加え、個人主義に優先する家族主義、植民地主義の経験、キャッチアップ型の国民国家形成、短期間での急速な近代化といった西洋とは異なる特徴がある。それゆえ、性の多様性をめぐる西洋中心の理解を相対化できる。次に、東南アジアにおける植民地主義の経験、政治体制、宗教、経済状況などの多様性は、比較研究に有利である。そして、性の多様性がより正統に承認される社会を築いていくにあたって、西洋の理論や概念を導入するだけでなく、アジアの隣国の状況から学んでいくためである。日本の事例を加えたのも、東南アジアとの連続性を検討するためである」。

 本書は、序章、6部全13章、終章などからなる。

 第一部「性的少数者の名前と表象」は第1-2章の2章からなり、「性的少数者の呼び名と映像表象をめぐる政治に焦点を当てる」。

 第二部「国民・宗教・家族による排除」は第3-5章の3章からなり、「支配勢力が、国民・家族・宗教を絡み合わせて「善き市民」を定義し、性的少数者を排除する論理と実践を取り上げる」。

 第三部「資本主義による条件付き包摂」は第6-7章の2章からなり、「資本主義が、いかに「善き市民」を包摂的にするのかに着目する」。

 第四部「家族・国民への条件付き包摂」は第8章の1章と1コラムからなり、「家族を構成する「愛」やナショナリズムを訴えて、「善き市民」への参画を求めるLGBT運動に焦点を当てる」。

 第五部「「公式の政治」が招く齟齬・分断・排除」は第9-11章の3章からなり、「性的少数者の権利を求める公式の政治が、当事者のニーズから乖離したり、新たな分断や排除を生み出す危険に着目する」。

 第六部「「日常の政治」によるもう一つの「解放」」は第12-13章の2章からなり、「日常の政治が既存の家族規範や宗教規範を変革していく可能性を検討する」。

 終章「性的なことは政治的The Sexual is Political-市場・国家・宗教・人権・生存を問う「LGBT」」は、「主に地域研究者の手による各章の議論を、ジェンダー・セクシュアリティ研究の視座から整理する。そして、「LGBT」という言葉が様々な形で政治利用され、承認と権利の希求と獲得が性的少数者の間でも不均衡に行なわれてきた結果、そこに従来込められていた「連帯」の意味が「分断」を象徴するものにかわりつつあると論じる。そのうえで、こうした矛盾を克服していく一歩として、アジア地域における様々な社会、政治、歴史、人々の日常実践に焦点を当てる、本書のような地域研究とジェンダー・セクシュアリティ研究を横断する試みが、欧米の規範に画一化されていかない、性の多様性への新たな理解を開いていく可能性を示唆する」。

 英語の「they」には、男も女もない。だが、これを日本語に訳すとき、theyに含まれる男と女を考えなければならなくなる。さらに漢字で書くのとひらがなで書くのとでは違ってくる。「彼女」と書けば、「彼」という男をイメージするものが女性に入ってくる。話し言葉、書き言葉、ひとつを取りあげても、「日常の政治」は異なったものになる。それなのに、「通常切手」より「記念切手」のほうが後世に残るように、「日常」は忘れさられていく。少数者は日常いないかのように概説書や通史などでは登場せず、なにか問題が起こったときのみ社会の厄介者として登場する。「日常の政治」のなかで考えなければならないゆえんである。

 「日常の政治」を意識させるためには、いろいろなところで「LGBT」が登場してくることだ。わたしも、拙著『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』(めこん、2020年)で登場させた。


評者、早瀬晋三の最近の編著書
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~)全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

齋藤道彦『南シナ海問題総論』中央大学出版部、2019年1月23日、350+2頁、3600円+税、ISBN978-4-8057-1158-3

 本書の目的を、著者、齊藤道彦は「はじめに」冒頭で、つぎのように述べている。「二十一世紀十年代の今日、南シナ海で緊張が高まっている。南シナ海をめぐる問題とは何か。それは、中華人民共和国が現在、主張しているように「中国が発見し、命名した」ものなのか、南シナ海の領有権をめぐる歴史をどう見るか、中華人民共和国が現在、占拠している礁(しよう)/岩礁・暗礁の上に建設している人工島とその軍事利用をどう見るか、という問題である」。

 この困難な問題の考察を可能にしたのは、基本的な資料と近年の研究があるからだ。まず、基本的な資料として、日本の外務省編『日本外交文書』、中国の『わが国南海諸島史料匯(わい)編』、台湾の中央研究院近代史研究所檔(とう)案館所蔵「中華民国外交部檔案」、浦野起央『南海諸島国際紛争史 研究、資料、年表』(刀水書房、1997年)の4つがあり、21世紀になってつぎの5つが出版されたからだ:ウリセス・グラナドス・キロス『共存と不和:南シナ海における領有権をめぐる紛争の分析 一九〇二-一九五二年』(松籟社、2010年)、ビル・ヘイトン『南シナ海-アジアの覇権をめぐる闘争史』(河出書房新社、2015年)、浦野起央『南シナ海の領土問題【分析、資料、文献】』(三和書籍、2015年)、ハーグ仲裁裁判所が2016年に下した裁定、その裁定の翌日に中華人民共和国国務院新聞弁公室が発表した「白書」。

 本書は、はじめに、全5章、終章などからなる。「第一章 南シナ海の前近代史」の結論は簡単で、「前近代における南シナ海の「領有」は問題にすらならなかった」である。

 「第二章 「近代」の南シナ海」の「小結」は、つぎのようにまとめられた。「清朝は、十九世紀中葉までは南シナ海に対する領有意識を表明したことはなかったと見られる。しかし、十九世紀後半には領有意識を持ち始めたと見られなくもない動きがあり、二十世紀初頭の一九〇七年には「東沙島」、西沙群島に対する領有権を主張し始めたが、実効支配は弱々しいものだったと言わざるをえない。南沙群島の領有権は、主張していない。南沙群島に対する領有権の主張は、一九四五年以降となる」。「フランスは、一九三三年には明確に領有を主張するが、一九三九年には実効支配を事実上失う。一九三九年から一九四五年ないし法的には一九五二年までは日本が南シナ海全体を領有する」。

 「第三章 日本による南シナ海諸島・礁の領有」では、つぎのように「小結」している。「日本は、一九一七年から事実上、南シナ海を占有してきたと称しているが、一九三九年三月三十日、新南群島に対する日本による実効支配の「法的手続きを完了」した。日本は、一九四五年八月十四日、連合国に降伏し、一九五一年九月八日のサンフランシスコ平和条約で南シナ海諸島、礁の放棄に同意し、一九五二年四月二十八日、同条約は発効した」。

 「第四章 南シナ海の島・礁名」は、つぎのように「小結」した。「中華民国が一九四七年に発表した東沙群島、中沙群島、西沙群島、南沙群島などの群島名および各島・礁名は、おそらく十九世紀中頃にイギリスが命名したものと見られ、中国名はその訳名と見られ、南シナ海諸島・礁は「中国が発見し命名した」わけではない」。

 「第五章 南シナ海をめぐる領有権対立の戦後史」は、つぎのように「小括」した。「第二次世界大戦の終結後、東アジア各国は独立への道を歩む。フランスの復帰と退却、北ベトナムの成立とインドシナ戦争の勝利、ベトナム戦争の勝利は、中越協力から中越対立へと向かい、フィリピン、マラヤ連邦、インドネシアの独立と領土要求へと進んだ」。「一九四九年に成立した中華人民共和国は、当初は反米、ソ連一辺倒であったが、一九五〇年代末には反米反ソとなり、一九六〇年代には反ソ反米となり、一九七〇年代には反ソ親米に転化し、一九九〇年代のソ連消滅後は経済成長をうけて米中協力と対立を使い分けていった。こうして、尖閣諸島奪取と南シナ海の掌握が鍵として浮かび上がってくる。一九七四年一月の西沙群島占領はその画期となった」。

 これらの資料、文献を精査した結果は、「終章」でつぎの12項目にまとめている:(1)海洋、島・礁の「認識」は「領有」の「証拠」ではない、(2)中国の主張する「歴史的根拠」は存在するか、(3)南沙諸島の大部分は砂洲や岩礁である、(4)南シナ海島・礁の命名者は中国ではない、(5)十九世紀「近代国家」英、仏が登場した、(6)日本は一九三九年~一九五二年に南シナ海を領有した、(7)四群島名はいつ付けられたのか、(8)中華民国十一段線主張、中華人民共和国九段線主張は帝国主義的領土・領海構想である、(9)戦後「近代国家」の国境線線引抗争だ、(10)中華人民共和国の軍事占領、人工島をどうするか、(11)報道のあり方は事柄の本質をはずれている、(12)平和的解決の方向とは。

 結論をひと言で言うなら、中国の主張の根拠は見つからなかった、解決の糸口もないということである。本書をつぎのように結んでいる。「本来人が住めない礁、砂州などは、国連の管理に委ねることが望ましいかもしれないが、中華人民共和国は国連安保常任理事国であり、国連改革が実現しない限り、国連に期待することはできない」。

 本書で、中国が主張する領有の証拠はなかったことがわかった。だが、実際に領有している、たとえば海南島は、どのように言ってきたのかがわからない。その違いがわかると、もっと説得力があるのだが・・・。

下條尚志『国家の「余白」-メコンデルタ 生き残りの社会史』京都大学学術出版会、2021年2月28日、558頁、4300円+税、ISBN978-4-8140-0309-9

 1991年だったか、高校野球選手権(甲子園)大会で、沖縄水産と鹿児島実業が対戦した。当時、鹿児島にいたわたしは、奄美出身の同僚に、どちらを応援するのか尋ねた。迷うことなく、「沖縄水産」という答えが返ってきた。昨年(2020年)、出版した『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019』(めこん)では、本書の研究対象になっているベトナムの少数派であるが、コミュニティとしては多数派のクメール人のような人びとが、東南アジアではオリンピックやアジア大会より盛りあがる東南アジア競技大会にたいして、どのような態度を示すのか知りたかった。ベトナムとカンボジアのどちらを応援するのか、自分自身が参加するときどちらの国の代表を選ぶのか。だが、文字資料ではわかりにくいこのようなことは、本書のような民族誌的調査から得られる個々人の語りのなかに見出すしかなく、わからなかった。その意味で、本書の意義はきわめて大きいことがよくわかる。

 制度史ではわかりにくい流動性の激しい社会では、動く人びとが主体性をもっている。海域社会の歴史では、陸域中心史観で海域を陸域の従属下にあったかのように叙述するものが多いが、記録を残していない海域社会に主体性があり、人びとは陸域の制度に翻弄されたのではなく、陸域社会を利用しながら生きてきた。そして、その陸域の支配を利用できないとわかったとき、人びとは移動した。本書でも、「難民と移民の区別がつかない」という表現が出てくるが、それこそかれらの生き残り策である。「移民」として国家を利用することもあれば、「難民」として国家を捨てて生きる術を見出すこともある。

 本書の目的は、序章でつぎのように述べられている。「メコンデルタの近代を、その地域性に光を当て、問い直す試みである。具体的には、現ベトナム南部メコンデルタにおいて、ある多民族的な地域社会を対象に、二〇世紀半ば以降の動乱の最中、そこで暮らす人々がとった生き残り策を検討する。動乱とは、脱植民地化のなかで生じた長期の戦争や、国家政策に起因する政治経済的混乱を指す。動乱に巻き込まれ、大きな再編を迫られてきたメコンデルタの多民族社会において、いかにして国家の「余白」が浮かび上がってきたのか。この過程を、過去から現在にかけて人々が行ってきた様々な生き残り策と、生き残りをかけて人々が紡ぎ出してきたローカルな秩序の生成のありようを詳細に検討することで、明らかにする」。

 気になる「余白」というキーワードは、つぎのように説明されている。「本書で述べる国家の「余白」とは、長期にわたり国家のなかに組み込まれてきたにもかかわらず、為政者にとって常に捉えどころがなく、それゆえに統治のモデルを描きにくい場である。国家は統計や民族分類、地誌、報告書、地図などを作成し、開拓や開発を進め、度々強制力や暴力を用いて、地域とそこに暮らす人々を把握し、そこで実現すべき国家のかたちを描こうとしてきた。しかし、民族的宗教的に様々な背景を持った人々が混住し、人やモノの高い移動性がみられる地域社会では、国家がその実像を十分に把握できないことがある。把握できていないにもかかわらず、国家がそこで理念的で画一的な統治モデルを描き出し、実現しようとすると、それを受け入れられない人々との間で微妙な齟齬や軋轢が生まれ、その小さな裂け目からやがて動乱が拡がる。すると動乱を避けるように人々は国家の規則を無視して生き残りに奔走し始め、たとえば徴兵逃れの場や闇市といった「国家の介入しにくい空間」を創り出してゆく。その状況に直面した国家は、人々と折衝を試みるも、かれらの動きをもはや制御することができない。最終的にはそこで動乱を収束させるために統治モデルを描く試み自体を放棄し、人々の行動を黙認、許容し始める。この過程が繰り返され、あたかも万遍なく塗り潰そうとしても浮かび上がる白地のように、国家の「余白」部分が度々出現してきた地域の一つが、本書で扱うメコンデルタ多民族社会である」。

 「本書の意義」は、「第一に、第二次世界大戦以降、世界で最も長く激しく繰り広げられた、ベトナムとその周辺国をめぐって生じた動乱を、ナショナリズム、革命、冷戦といったグローバルな現象ではなく、むしろ社会統合または分断をもたらすそれらの現象によって大きな変化を迫られた人々の生存に焦点を当て、再検討していることである」。「第二に、フータン社の事例は、国家が確立しようとした秩序がいかに脆く、一方でローカルな秩序がいかにこの地域で強固であったかを示す」。

 本書は、序論と4部、全12章、終章(結論[?])からなる。「序論」は序章、第1章「生き残り策から問い直す動乱」、第2章「混淆的な多民族社会」の3章からなる。第1章では「これまでの先行研究を検討」し、第2章では「本書の舞台であるソクチャン省フータン社という、混淆的な多民族社会について説明する」。

 第1部「国家の周縁から「余白」へ」は、第3章「紛争と移動-多民族社会の生成」、第4章「脱植民地化過程における言語・仏教・帰属」の2章からなる。第1部では、「一九世紀半ばまで国家の周縁部であったソクチャンという地域が植民地化と脱植民地化によって経験した変化を、フータン社に着目して検討する」。

 第2部「戦時下での生き残り」は、第5章「戦時国家による地域社会の再編」、第6章「二つの政治権力の狭間で」、第7章「戦時下における不可侵の秩序空間」の3章からなる。第2部では、「脱植民地化後に拡大していったベトナム戦争の下で、 国家による統治と、抗争し合う南ベトナム政府と南ベトナム解放民族戦線(略)の狭間に置かれた人々の生き残り策を論じる」。

 第3部「社会主義改造下での生き残り」は、第8章「社会主義改造による地域社会の再編」、第9章「社会主義改造下のローカルな秩序」、第10章「生き残り策としての越境」の3章からなる。第3部では、「終戦後、南北を統一した共産党政府による社会主義改造が、地域社会に与えた影響、そしてその統治への人々の反発が、国家の介入しにくい空間の拡大や国境線外への移動につながっていったことを論じる」。

 第4部「過去を踏まえて現在を生きる人々」は、第11章「二一世紀のクメール人越境者とベトナム国家」、第12章「混淆的な多民族社会における差異の認識」の2章からなる。第4部では、「現在の人々が過去に基づいて実践する日々の営みが、カンボジア、ベトナムの社会、国家との関係、また多民族社会のなかでの差異の認識に及ぼしている影響を論じる」。

 そして、終章「秩序が紡ぎ出される場としての「余白」」では、「フータン社というミクロな地域社会において、住民国家間の齟齬、軋轢、折衝の過程で展開された人々の生き残り策が、脱植民地化以降にベトナム南部で生じた動乱の拡大と収束とどのように関わっていたのかについて、第1章で示した論点に基づいて本書の見解を示す。この検討を通じて、メコンデルタの混淆的な多民族社会から国家の「余白」が浮かび上がり、ローカルな秩序が生成されてゆき、その歴史的過程の延長線上に現在があることを明らかにする」。

 その終章は、つぎの文章で閉じられている。「文字資料に残されやすい国家や宗教・政治組織のような対象の考察から演繹的に地域社会の過去を推察・議論するのではなく、民族誌的調査のなかで得られる個々人の一見不可解で断片的な過去の語りの意味を、過去と現在両方における、語り手を取り巻く文化や社会、政治状況との関係性のなかから丹念に探り出し、その関係性のなかで生じていた齟齬や軋轢、折衝の過程を検討してゆかなければならない。こうしたローカルな微視的な個別研究を積み重ねてゆくことではじめて、ナショナルかつグローバルな規模の見方のみでは決して可視化されなかった、人間の生活・生存に関わるあらゆる事象の変化やその相互作用が次第に明らかになり、対象とする地域の日常の領域における長期変動を捉える道筋が見えてくる。それは、かつて冷戦やナショナリズムといった包括的、統合的な枠組みで外部者によって解釈され、また国家権力によって意味付け強調された地域の政治的動乱を、もう一度その複雑性と向き合い、動乱以前と以後の連続性のなかで、その渦中にいたローカルな人々による多様な経験とその意味付けの世界から問い直していくことにつながる。秩序構築の場としての国家の「余白」に焦点を合わせ、秩序が再編され新たに紡ぎ出されてきた歴史の延長線上の世界として現在を位置付け直すことで、たとえば私達が今目の当たりしている分断や軋轢の背景を深く理解し、自身とまったく考えが異なっているように見える他者と交渉や調整をする糸口を、探ることができるようになるのではないか」。

 これまで国家中心に語られてきた歴史を、国家の「余白」から考察した結果、これまで気づかなかった人びとの「生き残り策」が見えてきた。国家を軸に考察したということは、利用できる国家があったということだろう。時代や社会によっては、利用するに値する国家が見当たらないこともある。人びとは国家から逃げるだけではなく、国家を利用するために近づくこともある。

 本書で批判した先行研究も本書も、外部の研究者からみた歴史であるが、国家の代弁者になったのか住民の代弁者になったのかの違いは、ひじょうに大きい。ローカルから語る視点は同じでも、現在、国家を超える地域を考えたとき、アセアンあり中国あり、多くのベトナム人が暮らすようになった日本などがある。過去と現在だけではなく、未来をも見据えていかなければならなくなった。

 丁寧にわかりやすく論述しているが、年表や略語一覧などがあると、もっと読みやすくなっただろう。


評者、早瀬晋三の最近の編著書
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~)全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

小牟田哲彦『旅行ガイドブックから読み解く 明治・大正・昭和 日本人のアジア観光』草思社、2019年6月28日、331頁、2400円+税、ISBN978-4-7942-2402-6

 本書の概要は、表紙見返しにある。「鉄道や旅行の歴史に詳しい著者が明治から現在までの各種旅行ガイドブックを詳細に読み解き、時刻表や路線図などを駆使して、昔のアジア旅行の実態を検証。楽しい観光旅行を追体験するとともに、朝鮮・満洲・中国・台湾の激変する歴史を旅行という観点から見直した稀有な論考。写真、図版多数挿入」。

 本書のきっかけを著者、小牟田哲彦は「あとがき」で、つぎのように述べている。「二十年も経つと、発行年だけが異なる同じ地域の旅行ガイドブックが何冊も並ぶ、というケースが増えてくる。それらを読み比べてみると、旅行先の実用情報以外にも記述が変化していて、同じシリーズのガイドブックが同じ観光地を紹介しているのに、発行年によって紹介の仕方がずいぶん異なっていることに気がついた。二十世紀末はスマホなどなかったし、旅先でパソコンを触[れ]る機会もなかったから、海外で日本語の活字が恋しくなると、用がなくても手元の旅行ガイドブックを何度も繰り返し読んだ。そのせいか、他愛のないコラム記事を含め、ガイドブックにどんなことが書いてあるかが後年まで頭によく入っていて、数年後に同じ地域を再訪するときに同じシリーズのガイドブックを買って読むと旧版との違いに気づきやすかったのかもしれない」。

 著者の雑学が、旅行ガイドブックによって培われ、本書の包括的記述へとつながったことがわかる。わたしも同じような体験をしたことがある。1980年代前半にオーストラリアに留学していたとき、兄が週刊誌を送ってくれた。所属した大学には日本語の新聞もなく、インターネットもなかったことから、暇に任せてその週刊誌をペラペラめくっていた。その結果、1週間で隅から隅まで読むことになった。それを1年もつづけていれば、それまでまったく関心のなかったことも多少わかるので、関心をもつようになり、情報を受け取るアンテナが格段に増えた。

 著者が、各時代の旅行ガイドブックを比較してわかったことは、「エピローグ-旅行ガイドブックの変遷から見えること」にまとめられている。旅行ガイドブックがもつ特性が、一般の単行本と違うことは、つぎのように説明されている。「旅行ガイドブックという書籍は、表紙や内容の章立てなど基本構成は同じでも、記述の詳細部分は毎年のように緩やかに変化し続ける」。「購入したガイドブックはたいていの場合、消耗品のごとく使用される。旅行が終われば再び同じページが開かれることは少なく、仮にリピーターとして同じ旅行先を選ぶとしても、ガイドブックは最新版を改めて購入する人が多いと思われる。観光案内の記述は流用できても、現地で要する費用の金額や交通情報などは最新版でないと、かえって旅行中の自分が不便になってしまうからだ」。

 なぜアジア観光に焦点をあてたかは、つぎのように説明されている。「とりわけ、東アジア各地は戦前も日本人が旅行を楽しみやすく、戦後も海外旅行自由化後の早い段階から足を延ばしやすい近場だったため、地域別旅行ガイドブックの歴史が長く、その移り変わりを長期的に見比べやすい」。「記述の変化は単に旅行先の実用情報についてだけでなく、その発行時期における読み手である一般の旅行者にとっての日常の生活習慣や価値観についてまで及んでいることがある」。

 「紙面の変化には、その時々の日本内外の国際情勢から服装、金銭の支払い形態、通信手段といった生活レベルでの社会環境、さらに戦争史跡やナイトライフの関する紹介記事が示すように、時代ごとの価値観の違いまでが反映されている」。

 本書は、時代ごとに2章に分けている。「第一章 大日本帝国時代のアジア旅行」では、「「旅行可能な中国」はまだ限られていた」「メインコースは戦跡巡り」「モデルコースの比較からみる外地旅行費用」「大陸旅行は豪華列車と優雅な船旅で」「世界一複雑だった満洲国以前の中国貨幣事情」「台湾にはアヘンの販売場所があった」などの見出しがあり、「第二章 戦後の日本人によるアジア旅行」には、「戦前よりも高嶺の花だった外国旅行」「ガイドブックが物語る団体旅行主流の時代」「『外国旅行案内』に見る中台の記述の変遷」「男性目線旅行の象徴・キーセン観光」「女性読者が増えて書籍として見栄えが向上」「アジアは急速に旅行しやすくなった」などの見出しがある。

 地域としてのアジア、近現代日本との関係のなかのアジアがみえてくる。

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