杉原薫『世界史のなかの東アジアの奇跡』名古屋大学出版会、2020年10月10日、765頁、6300円+税、ISBN978-4-8158-1000-9
1冊になることを想定して書いたわけではない個々の論文の寄せ集めの論文集は、論理的な構成になっていなく、重複が多く、長年月にわたって書かれたもののなかには矛盾した記述があったりして、通して読むに耐えられないものがある。だが、本書は違う。2分冊、3分冊になってもおかしくない分量にもかかわらず、首尾一貫したものがある。それは、過去から未来を見通そうとする姿勢から来ているように感じられた。
本書の目的は、序章「東アジアの奇跡の意味するもの」で、つぎのようにまとめられている。「これまでの世界史を根本的に見直し、ヨーロッパの奇跡を焦点とする世界史から、東アジアの奇跡をもう一つの焦点とする世界史へと、われわれの視点を転換することを提案する。その目的は、ヨーロッパの奇跡の歴史的意義を抹殺することではなく、西洋中心史観を相対化することによって、西洋近代の成立に新しい意味を見いだすことである。また、日本や中国を中心とした自己中心的な歴史観に与することではなく、地域史の枠を超えた東アジア史の重要性を主張することによって、これまでの世界史理解に新しい見方を付け加えることである。「東アジアから見た世界史」の構築とは、ある特定の国や地域の立場を正当化するための歴史が必要だという主張ではなく、歴史学における国際的な対話のために、東アジアの奇跡を一つの焦点とする世界史が必要とされているという主張である」。
さらに、「近代世界史の趨勢を論じたこれまでの研究は、概して二つの立場に分類できるに思われる」が、「本書は、これらのいずれの立場もとらず、第三の見方を提起する」と述べ、つぎのように説明している。「第一の見方が「ヨーロッパの奇跡」に焦点を当てるか、あるいはその世界史的インパクトを吟味してきたとすれば、第二の見方は、いわゆる南北問題に焦点を当て、その歴史的起源を議論してきたと言えよう。本書の立場は、それらの見方に立つ研究の貢献を認めた上で、「東アジアの奇跡」という経済史的「事件」に焦点を当てた、第三の見方を付け加えることによって、グローバル・ヒストリーをより豊かにしようとするものである。すなわち、そもそも経済発展には西洋型発展径路と東アジア型発展径路が共存しており、その融合が「東アジアの奇跡」を生んだと考える。それは、世界システムの歴史を叙述するという観点からは、「複数径路融合説」とでも呼ぶべきものである」。
本書は、序章、3編全13章、3補論、終章からなる。3つの編は、「相互に関連」しており、つぎのように構成されている。「第Ⅰ編が比較史的なアプローチをとっているとすれば、第Ⅱ編、第Ⅲ編は関係史的な方法を前面に押し出している。その主題は地域内および地域間の国際経済関係であり、その世界経済の発展に果たした役割である。第Ⅱ編は主として19-20世紀前半を、第Ⅲ編はもっぱら20世紀後半を論ずる」。
第Ⅰ編「東アジア型経済発展径路の成立と展開」は、3つの章と1つの補論からなり、「本書の基本構想をを提示」し、「長期的な観点から東アジア型経済発展径路の存在を主張し、それを比較史的に論ずる」。
第1章「勤勉革命径路の成立」は、「17-18世紀における東アジアの世界経済における比重の上昇の要因を「勤勉革命」論の立場から論ずる」。第2章「労働集約型工業化の成立と展開」は、「東アジアにおける労働集約型工業化の成立と展開に焦点を当てて、この時期の世界史像の再構成を試みる」。第3章「資源節約型径路の発見」は、「労働集約型工業化を軸とする19-20世紀の展開を、資源・エネルギー問題の観点から捉えなおす試みである」。補論1「南アジア型経済発展径路の特質」では、「南アジアにも独自の発展径路があったかどうかを検討する」。
第Ⅱ編「近代世界システム像の再構築」は、5つの章と1つの補論からなる。「第Ⅱ編の総論をなす」第4章「近代国際経済秩序の形成と展開」は、「これまでの国際経済秩序の形成史があまりにも西洋中心的で、地域秩序の併存やその世界秩序への逆規定の契機を過小評価してきたことを指摘し、その克服を目指す」。
第5章「近代世界システムと人間の移動」は、「西洋近代の成立期の移民と、19世紀後半から20世紀初頭にかけてのヨーロッパからとアジアからの二つの大きな移民の流れを主たるテーマとして、人間の移動が多様な価値観や社会原理にもとづいて生じていたこと、それはヨーロッパのみならずアジアでも地域ダイナミズムの大きな源泉であったことを示す」。
第6章「19世紀前半のアジア交易論」と第7章「世界貿易史における「長期19世紀」は、「概して西洋が収集した貿易統計を基礎にして書かれてきた」世界貿易史を、「統計、方法の両面から」「相対化し、これまでの理解の修正を提案する」。「第6章では、私自身の実証研究にもとづき、19世紀前半のアジア貿易の動向を検討する。第7章では、その視角を発展させて、「長期の19世紀」における世界貿易の構造を論じる」。
第8章「東アジアにおける工業化型通貨秩序の成立」では、「焦点を1930年代にしぼり、東アジアにおける国際通貨秩序の再解釈を試みる」。「第8章に関連して、ケインとホプキンズのジェントルマン資本主義論に対するコメントを補論2[「イギリス帝国主義・シティ・工業化の世界的普及」]として収録した」。
第Ⅲ編「戦後世界システムと東アジアの奇跡」は、5つの章と1つの補論からなる。第Ⅲ編の総論たる第9章「アジア太平洋経済圏の興隆」では、「アジア太平洋経済圏の興隆を、大西洋経済圏や、さらに遡ってインド洋交易圏のそれと比較しつつ、歴史的に特徴づけようとする」。
第10章「東アジア・中東・世界経済」は、「1970年代以降、東アジア、中東、欧米の間に成立したオイル・トライアングル(石油をめぐる多角的決済メカニズム)の形成過程に焦点を当てて、原油価格高騰下の世界経済において、どのようにして無資源国の日本やNIESが高度成長と一人当たり所得の急上昇を実現したのかを考える」。第11章「中東軍事紛争の世界経済的文脈」では、「オイル・トライアングルと中東軍事紛争の長期にわたる持続との関係を石油、兵器、賃金の国際的循環に焦点をあわせて論じ、「アジア太平洋経済圏の興隆」の世界経済にとっての意味を考える」。
第12章「戦後世界システムとインドの工業化」は、「戦後インドの工業化の軌跡をたどることによって、東アジアの奇跡の意義をいわば裏から考えたものである。その背後には、東アジアの奇跡と冷戦体制はどのように構造的に関連していたのかという問題意識がある」。第13章「グローバリゼーションのなかの東アジア」では、さらにグローバリゼーションの進んだ1990年代の軌跡を論じ」、「東アジア型発展径路が深化した一方で、かつての西洋型径路の「逸脱」ほどでもないかもしれないが、発展の方向に一定の屈折が見られたと論じている」。補論3「熱帯生存圏と「化石資源世界経済」の衝撃」では、「熱帯アジア・アフリカにおける「化石資源世界経済」の衝撃を、バイオマス・エネルギー消費の動向に関連づけて考察する」。
終章「総括と展望」の目的は、2つにまとめられている。ひとつ目は、つぎのとおりである。「以上、三つの編をふまえて、「ヨーロッパの奇跡」と「東アジアの奇跡」を、統一的に捉えようとする試みである。西洋近代の成立が独自の世界史的意義をもつ最大の理由は、それが「生産の奇跡」を産み落としたところにある。これに対し、東アジアの高度成長の独自の意義は、それを補完する「分配の奇跡」をもたらしたことであった。両者をバラバラに捉えるのではなく、単一の世界史的奇跡の二つの側面だと考えれば、西洋型径路も東アジア型径路も、単独では経済発展の本質的特徴をすべて備えたものではなかったことになる。現代の世界経済を支える構成要素は、2世紀にかけて起こった、両径路の交錯と融合によって成立したと考えるのが、もっとも自然な見方ではなかろうか」。
「終章のもう一つの目的は、二つの径路の融合を中心とした本書の立論をふまえて、東アジアの発展径路の資源・環境史的基盤を素描するとともに、熱帯アジア、アフリカなどの発展途上国の歴史も視野に入れ、発展径路論の拡張を展望することである。地球環境における熱帯の中心的役割と世界人口に占める熱帯の人口の比重の大きさを考慮すれば、本書の世界史像が、熱帯アジア、アフリカ、ラテンアメリカの発展径路の理解にどのように貢献するのかが、その有効性を問う試金石となろう。終章では、この点に関する現時点での私の考えを記す」。
終章では、「本書の主張を要約し」、つぎの3つの節を設けて「持続的な経済発展径路の模索にとっての東アジアの歴史的経験の意義を論ずる」。
「1 二つの径路の融合」は、つぎのようにまとめている。西洋と東アジアの「二つの奇跡は、数世紀にわたる工業化の世界的普及と一人当たり所得水準の上昇という一つの「グローバルな奇跡」の、資源利用の方向の違いを反映した二つの局面だったと見ることもできよう」。
「2 環境経済史のなかの東アジア」は、つぎのようにまとめている。「東アジアの開発主義国家は、国内資源のあり方に囚われずに臨海立地を選択し、地形を改変してでも土地と水を確保することによって、グローバルな資源の効率的利用を実現した。その背景には、モンスーン・アジアが育んだ土地と水の利用能力と、交易による資源制約の緩和という共通の経験があったと考えられる」。
「3 持続的発展をどう捉えるか」は、つぎのようにまとめて、終章を締め括っている。「生態系や生存基盤の確保そのものがグローバルな国際競争にさらされつつある以上、工業化(本書の表現では労働集約型または人的資本集約型の工業化)の世界的普及を今後も可能にする唯一の方法は、地域の環境的多様性に依拠したより包括的な持続型発展径路の構築と、それにもとづく世界的規模での資源・エネルギー節約型技術の深化である。それにともなって、先進国における技術・制度の発展の方向も生存基盤持続型に急速に変わっていくことが求められている。開発主義は持続的発展モデルに、「成長パラダイム」は「持続性パラダイム」に包摂されなければならない。その逆であってはならない」。
本書のような壮大な「渾身のライフワーク」は、著者本人の並外れた能力だけで達成されたものではないことを、本人がいちばんよくわきまえている。「あとがき」では、おもな理由を2つあげている。まずひとつめを、つぎのように述べている。「本書で論じたテーマは、明らかに一人の研究者が普通に求められる学術的な手続きを経て極めることができる対象領域を超えている。それは共同研究が必要とされた最大の背景でもある。GEHN[Global Economic History Network]が目指したものは、西洋近代の社会経済史を世界史の一部として再定置し、グローバルなキャンバスで「比較」と「関係」をいわば「対等に」論じる学術的なプラットフォームを作ることであった」。「主要な国際学術誌の編集陣は人種、性別においては多角化したものの、依然として大多数が欧米に職を得た研究者で占められている。学術的な概念を形成する力で考えても、英語圏の中核的役割は否定すべくもない」。
もうひとつ、著者にとって「もっとも重要な「武器」は学生、院生との接触だった」。「グローバルな知識を求める日本人を含め、学生、院生に英語で接する機会は少なくなかった。「教える」というよりは、彼らの「問題意識」に即して考えることによって、本来、自らの思考の源泉だった多くの日本語文献の内容が相対化され、指導に必要な英語文献のそれに融合していった。それとともに、じぶんの国だけでなく、国際機関や外国の大学・民間のシンクタンクなどを視野に入れた、グローバルなキャリア・パスを組み立てるために、彼らが何を知りたいと思っているのかが、私の思考の「参照基準」になっていった。そのニーズに応えるためには、何を、どの言語で、どう語ればいいのかが常に問われることにもなった。本書は、いわばそうした試行錯誤の結果を、いったんすべて日本語のかたちで提示する試みである」。
本書に掲載された図表をまとめて、解説を付すだけで、重要な研究工具になる。本書で展開された議論は、このようなひとつひとつの作業に裏打ちされている。過去20年間にわたって発表してきたものを、ひとつの本にまとめることは並み外れた構想力と忍耐力を必要とする。通常の2冊分あるいは3冊分にあたる本書の労力は2倍や3倍ではすまない。2乗あるいは3乗でもきかないだろう。その集中力と持続力があったればこそ、「渾身のライフワーク」を世に出すことができたのだろう。本書に何度も出てくる「奇跡」ということばは、本書のためにあるように思えてきた。
評者、早瀬晋三の最近の編著書
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~)全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。