早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2021年06月

杉原薫『世界史のなかの東アジアの奇跡』名古屋大学出版会、2020年10月10日、765頁、6300円+税、ISBN978-4-8158-1000-9

 1冊になることを想定して書いたわけではない個々の論文の寄せ集めの論文集は、論理的な構成になっていなく、重複が多く、長年月にわたって書かれたもののなかには矛盾した記述があったりして、通して読むに耐えられないものがある。だが、本書は違う。2分冊、3分冊になってもおかしくない分量にもかかわらず、首尾一貫したものがある。それは、過去から未来を見通そうとする姿勢から来ているように感じられた。

 本書の目的は、序章「東アジアの奇跡の意味するもの」で、つぎのようにまとめられている。「これまでの世界史を根本的に見直し、ヨーロッパの奇跡を焦点とする世界史から、東アジアの奇跡をもう一つの焦点とする世界史へと、われわれの視点を転換することを提案する。その目的は、ヨーロッパの奇跡の歴史的意義を抹殺することではなく、西洋中心史観を相対化することによって、西洋近代の成立に新しい意味を見いだすことである。また、日本や中国を中心とした自己中心的な歴史観に与することではなく、地域史の枠を超えた東アジア史の重要性を主張することによって、これまでの世界史理解に新しい見方を付け加えることである。「東アジアから見た世界史」の構築とは、ある特定の国や地域の立場を正当化するための歴史が必要だという主張ではなく、歴史学における国際的な対話のために、東アジアの奇跡を一つの焦点とする世界史が必要とされているという主張である」。

 さらに、「近代世界史の趨勢を論じたこれまでの研究は、概して二つの立場に分類できるに思われる」が、「本書は、これらのいずれの立場もとらず、第三の見方を提起する」と述べ、つぎのように説明している。「第一の見方が「ヨーロッパの奇跡」に焦点を当てるか、あるいはその世界史的インパクトを吟味してきたとすれば、第二の見方は、いわゆる南北問題に焦点を当て、その歴史的起源を議論してきたと言えよう。本書の立場は、それらの見方に立つ研究の貢献を認めた上で、「東アジアの奇跡」という経済史的「事件」に焦点を当てた、第三の見方を付け加えることによって、グローバル・ヒストリーをより豊かにしようとするものである。すなわち、そもそも経済発展には西洋型発展径路と東アジア型発展径路が共存しており、その融合が「東アジアの奇跡」を生んだと考える。それは、世界システムの歴史を叙述するという観点からは、「複数径路融合説」とでも呼ぶべきものである」。

 本書は、序章、3編全13章、3補論、終章からなる。3つの編は、「相互に関連」しており、つぎのように構成されている。「第Ⅰ編が比較史的なアプローチをとっているとすれば、第Ⅱ編、第Ⅲ編は関係史的な方法を前面に押し出している。その主題は地域内および地域間の国際経済関係であり、その世界経済の発展に果たした役割である。第Ⅱ編は主として19-20世紀前半を、第Ⅲ編はもっぱら20世紀後半を論ずる」。

 第Ⅰ編「東アジア型経済発展径路の成立と展開」は、3つの章と1つの補論からなり、「本書の基本構想をを提示」し、「長期的な観点から東アジア型経済発展径路の存在を主張し、それを比較史的に論ずる」。

 第1章「勤勉革命径路の成立」は、「17-18世紀における東アジアの世界経済における比重の上昇の要因を「勤勉革命」論の立場から論ずる」。第2章「労働集約型工業化の成立と展開」は、「東アジアにおける労働集約型工業化の成立と展開に焦点を当てて、この時期の世界史像の再構成を試みる」。第3章「資源節約型径路の発見」は、「労働集約型工業化を軸とする19-20世紀の展開を、資源・エネルギー問題の観点から捉えなおす試みである」。補論1「南アジア型経済発展径路の特質」では、「南アジアにも独自の発展径路があったかどうかを検討する」。

 第Ⅱ編「近代世界システム像の再構築」は、5つの章と1つの補論からなる。「第Ⅱ編の総論をなす」第4章「近代国際経済秩序の形成と展開」は、「これまでの国際経済秩序の形成史があまりにも西洋中心的で、地域秩序の併存やその世界秩序への逆規定の契機を過小評価してきたことを指摘し、その克服を目指す」。

 第5章「近代世界システムと人間の移動」は、「西洋近代の成立期の移民と、19世紀後半から20世紀初頭にかけてのヨーロッパからとアジアからの二つの大きな移民の流れを主たるテーマとして、人間の移動が多様な価値観や社会原理にもとづいて生じていたこと、それはヨーロッパのみならずアジアでも地域ダイナミズムの大きな源泉であったことを示す」。

 第6章「19世紀前半のアジア交易論」と第7章「世界貿易史における「長期19世紀」は、「概して西洋が収集した貿易統計を基礎にして書かれてきた」世界貿易史を、「統計、方法の両面から」「相対化し、これまでの理解の修正を提案する」。「第6章では、私自身の実証研究にもとづき、19世紀前半のアジア貿易の動向を検討する。第7章では、その視角を発展させて、「長期の19世紀」における世界貿易の構造を論じる」。

 第8章「東アジアにおける工業化型通貨秩序の成立」では、「焦点を1930年代にしぼり、東アジアにおける国際通貨秩序の再解釈を試みる」。「第8章に関連して、ケインとホプキンズのジェントルマン資本主義論に対するコメントを補論2[「イギリス帝国主義・シティ・工業化の世界的普及」]として収録した」。

 第Ⅲ編「戦後世界システムと東アジアの奇跡」は、5つの章と1つの補論からなる。第Ⅲ編の総論たる第9章「アジア太平洋経済圏の興隆」では、「アジア太平洋経済圏の興隆を、大西洋経済圏や、さらに遡ってインド洋交易圏のそれと比較しつつ、歴史的に特徴づけようとする」。

 第10章「東アジア・中東・世界経済」は、「1970年代以降、東アジア、中東、欧米の間に成立したオイル・トライアングル(石油をめぐる多角的決済メカニズム)の形成過程に焦点を当てて、原油価格高騰下の世界経済において、どのようにして無資源国の日本やNIESが高度成長と一人当たり所得の急上昇を実現したのかを考える」。第11章「中東軍事紛争の世界経済的文脈」では、「オイル・トライアングルと中東軍事紛争の長期にわたる持続との関係を石油、兵器、賃金の国際的循環に焦点をあわせて論じ、「アジア太平洋経済圏の興隆」の世界経済にとっての意味を考える」。

 第12章「戦後世界システムとインドの工業化」は、「戦後インドの工業化の軌跡をたどることによって、東アジアの奇跡の意義をいわば裏から考えたものである。その背後には、東アジアの奇跡と冷戦体制はどのように構造的に関連していたのかという問題意識がある」。第13章「グローバリゼーションのなかの東アジア」では、さらにグローバリゼーションの進んだ1990年代の軌跡を論じ」、「東アジア型発展径路が深化した一方で、かつての西洋型径路の「逸脱」ほどでもないかもしれないが、発展の方向に一定の屈折が見られたと論じている」。補論3「熱帯生存圏と「化石資源世界経済」の衝撃」では、「熱帯アジア・アフリカにおける「化石資源世界経済」の衝撃を、バイオマス・エネルギー消費の動向に関連づけて考察する」。

 終章「総括と展望」の目的は、2つにまとめられている。ひとつ目は、つぎのとおりである。「以上、三つの編をふまえて、「ヨーロッパの奇跡」と「東アジアの奇跡」を、統一的に捉えようとする試みである。西洋近代の成立が独自の世界史的意義をもつ最大の理由は、それが「生産の奇跡」を産み落としたところにある。これに対し、東アジアの高度成長の独自の意義は、それを補完する「分配の奇跡」をもたらしたことであった。両者をバラバラに捉えるのではなく、単一の世界史的奇跡の二つの側面だと考えれば、西洋型径路も東アジア型径路も、単独では経済発展の本質的特徴をすべて備えたものではなかったことになる。現代の世界経済を支える構成要素は、2世紀にかけて起こった、両径路の交錯と融合によって成立したと考えるのが、もっとも自然な見方ではなかろうか」。

 「終章のもう一つの目的は、二つの径路の融合を中心とした本書の立論をふまえて、東アジアの発展径路の資源・環境史的基盤を素描するとともに、熱帯アジア、アフリカなどの発展途上国の歴史も視野に入れ、発展径路論の拡張を展望することである。地球環境における熱帯の中心的役割と世界人口に占める熱帯の人口の比重の大きさを考慮すれば、本書の世界史像が、熱帯アジア、アフリカ、ラテンアメリカの発展径路の理解にどのように貢献するのかが、その有効性を問う試金石となろう。終章では、この点に関する現時点での私の考えを記す」。

 終章では、「本書の主張を要約し」、つぎの3つの節を設けて「持続的な経済発展径路の模索にとっての東アジアの歴史的経験の意義を論ずる」。

 「1 二つの径路の融合」は、つぎのようにまとめている。西洋と東アジアの「二つの奇跡は、数世紀にわたる工業化の世界的普及と一人当たり所得水準の上昇という一つの「グローバルな奇跡」の、資源利用の方向の違いを反映した二つの局面だったと見ることもできよう」。

 「2 環境経済史のなかの東アジア」は、つぎのようにまとめている。「東アジアの開発主義国家は、国内資源のあり方に囚われずに臨海立地を選択し、地形を改変してでも土地と水を確保することによって、グローバルな資源の効率的利用を実現した。その背景には、モンスーン・アジアが育んだ土地と水の利用能力と、交易による資源制約の緩和という共通の経験があったと考えられる」。

 「3 持続的発展をどう捉えるか」は、つぎのようにまとめて、終章を締め括っている。「生態系や生存基盤の確保そのものがグローバルな国際競争にさらされつつある以上、工業化(本書の表現では労働集約型または人的資本集約型の工業化)の世界的普及を今後も可能にする唯一の方法は、地域の環境的多様性に依拠したより包括的な持続型発展径路の構築と、それにもとづく世界的規模での資源・エネルギー節約型技術の深化である。それにともなって、先進国における技術・制度の発展の方向も生存基盤持続型に急速に変わっていくことが求められている。開発主義は持続的発展モデルに、「成長パラダイム」は「持続性パラダイム」に包摂されなければならない。その逆であってはならない」。

 本書のような壮大な「渾身のライフワーク」は、著者本人の並外れた能力だけで達成されたものではないことを、本人がいちばんよくわきまえている。「あとがき」では、おもな理由を2つあげている。まずひとつめを、つぎのように述べている。「本書で論じたテーマは、明らかに一人の研究者が普通に求められる学術的な手続きを経て極めることができる対象領域を超えている。それは共同研究が必要とされた最大の背景でもある。GEHN[Global Economic History Network]が目指したものは、西洋近代の社会経済史を世界史の一部として再定置し、グローバルなキャンバスで「比較」と「関係」をいわば「対等に」論じる学術的なプラットフォームを作ることであった」。「主要な国際学術誌の編集陣は人種、性別においては多角化したものの、依然として大多数が欧米に職を得た研究者で占められている。学術的な概念を形成する力で考えても、英語圏の中核的役割は否定すべくもない」。

 もうひとつ、著者にとって「もっとも重要な「武器」は学生、院生との接触だった」。「グローバルな知識を求める日本人を含め、学生、院生に英語で接する機会は少なくなかった。「教える」というよりは、彼らの「問題意識」に即して考えることによって、本来、自らの思考の源泉だった多くの日本語文献の内容が相対化され、指導に必要な英語文献のそれに融合していった。それとともに、じぶんの国だけでなく、国際機関や外国の大学・民間のシンクタンクなどを視野に入れた、グローバルなキャリア・パスを組み立てるために、彼らが何を知りたいと思っているのかが、私の思考の「参照基準」になっていった。そのニーズに応えるためには、何を、どの言語で、どう語ればいいのかが常に問われることにもなった。本書は、いわばそうした試行錯誤の結果を、いったんすべて日本語のかたちで提示する試みである」。

 本書に掲載された図表をまとめて、解説を付すだけで、重要な研究工具になる。本書で展開された議論は、このようなひとつひとつの作業に裏打ちされている。過去20年間にわたって発表してきたものを、ひとつの本にまとめることは並み外れた構想力と忍耐力を必要とする。通常の2冊分あるいは3冊分にあたる本書の労力は2倍や3倍ではすまない。2乗あるいは3乗でもきかないだろう。その集中力と持続力があったればこそ、「渾身のライフワーク」を世に出すことができたのだろう。本書に何度も出てくる「奇跡」ということばは、本書のためにあるように思えてきた。


評者、早瀬晋三の最近の編著書
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~)全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。


松田ヒロ子『沖縄の植民地的近代-台湾へ渡った人びとの帝国主義的キャリア』世界思想社、2021年3月31日、261頁、3800円+税、ISBN978-4-7907-1754-6

 「日本が東アジアにおいて帝国主義的拡大を進め、地理的に近接する台湾を植民地化することにより、琉球列島は国民国家としての日本の辺境に位置づけられるとともに、<内地>と<外地>の境界領域となった。したがって、沖縄県の近代は辺境性と境界性という二面性の中で捉えられるべきである」と、「おわりに」冒頭にある。さらに、<内地>であった沖縄が<外地>であった台湾より、つねに「上位」であったわけではなかったことにも注意を払う必要があるだろう。

 帯には、つぎのように本書の論点が記されている。「沖縄にとって<植民地>とは何だったのか?」「琉球併合以来、日本人による差別と偏見に苦しんだ沖縄の人びとは、植民地支配下の台湾でどのように生きたのか。支配-被支配の間を往復した人びとの経験から、沖縄の近代と日本帝国主義を再考する」。

 本書は、オーストラリア国立大学に提出した博士論文をもとにハワイ大学出版会から出版した英文単著(2019年)を、日本語読者向けに書き直したもので、序章、全6章、おわりに、などからなる。

 第一章「沖縄の人びとはなぜ海外へ向かったのか?」では、「二〇世紀初頭、沖縄県で海外移民事業が開始された経緯を追う。戦前、特に沖縄県から多くの移民を送り出したフィリピン、ブラジル、南洋群島への人の移動を概観し、それぞれのホスト国における沖縄人コミュニティの意義を考察する。そして、植民地台湾へ渡った人びとと比較することにより、沖縄県から植民地台湾への人の移動の特徴を明らかにする」。

 第二章「帝国の拡張と八重山の近代」では、「台湾に多くの移民を送り出した沖縄県八重山諸島の地域社会の変容を植民地台湾との関係性において描き出す」。

 第三章「「出稼ぎ者」の帝国主義的キャリア形成」、第四章「植民地医学と帝国主義的キャリア形成」、第五章「帝国日本のクレオール」の3章では、「沖縄県から植民地台湾への人の移動を具体的に見ていくが、その特徴のひとつは、移動の形態と移動者の多様性である。第三章と第四章は、「出稼ぎ者」と「医学校への進学者」という異なる背景を持つ沖縄県出身者の台湾への移動とその意義について検討する。また第五章は、沖縄県から主体的に台湾に渡航したのではなく、台湾で出生したかあるいは年少期に両親に伴って台湾に渡ったいわゆる「二世」や「三世」の沖縄系移民に焦点を当てる」。

 第六章「米軍統治下沖縄への「帰還」」は、「引揚げ事業のみに注目するのではなく、第一章から第五章までの在台沖縄系移民のエスニシティに関する検討をふまえて、台湾から沖縄本島への引揚げ事業が「沖縄人」としてのアイデンティティを構築する上で非常に重要な意味を持っていたことを論じる」。

 辺境性と境界性の二面性をもつ沖縄の近代を、「おわりに」でつぎのようにまとめ、本書の結論としている。「植民地帝国日本における近代沖縄の辺境性と境界性を具現化したのが、二〇世紀初頭の沖縄県から台湾への人の移動の興隆である。移動は、買物や通院、観光といった日常生活の延長上にあるようなタイプのものから、就職や進学を目的とした長期の滞在、さらには家族ぐるみでの移住といった定住型の移動まで多様な形をとった。本書では、一見両極端と思われる、小学校を卒業してすぐに台湾に渡航し現地で店員や女中として働いた出稼ぎ者と、沖縄県内で中学校や師範学校を卒業後に台湾で医学を学ぶために進学目的で渡航した若者たちの植民地的近代経験について検討した」。

 「両者に共通するのは、国民国家としての日本の中で周縁化されていく沖縄県で生まれながらも、沖縄の境界性を利用しつつ帝国主義的キャリアを形成した点である。人びとは、植民地帝国日本において辺境であると同時に境界であるという沖縄県の特異なポジションを利用しながら移動し、上昇を志向する近代的主体として植民地台湾を生きた。そして植民地帝国日本において社会的上昇は、「日本人」になることと不可分であり、「日本人」になることはすなわち植民地において支配者となることでもあった。それが台湾における沖縄系移民の植民地的近代経験である」。

 そして、つぎのような文章で、「おわりに」を閉じている。「本書は植民地帝国日本の中の「沖縄」を主体として、沖縄人の視点から日本の台湾植民地支配について描いた。言うまでもなく同じ場所と時間を共有した台湾人にとって、その経験の意味は異なるものであり、その経験の記憶が継承されるなかで、その意味も変容しうると考えられる。また本書は、沖縄県から台湾へ移動した人びとの軌跡を辿ったが、同時期に台湾から沖縄県に移動した人びとがいたことも忘れてはならない。本書で十分に言及できなかった、台湾人にとっての日本植民地主義とその記憶の継承については稿を改めて論じることとしたい」。

 辺境や境界などということばでは充分に語り尽くせない、同じ生活空間としての沖縄と台湾があった。辺境沖縄からみた「植民地台湾」ではなく、双方にとっての生活圏としての「沖縄・台湾」が戦後もしばらくつづいた。


評者、早瀬晋三の最近の編著書
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~)全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

小菅信子『日本赤十字社と皇室-博愛か報国か』吉川弘文館、2021年2月1日、179頁、1700円+税、ISBN978-4-642-05905-3

 著者、小菅信子は、読者にいろいろ問いかけている。帯には、つぎのような問いかけがある。「日露戦争下で捕虜を厚遇した日本は、太平洋戦争下では捕虜を虐待した。この劇的な落差はなぜ起きたか?」

 本書は、「二つの質問-プロローグ」ではじまり、「赤十字運動の原則と実践-エピローグ」で「もう一つの問い」を投げかけて、本編を閉じている。本書に章はないが、このプロローグとエピローグのあいだに章に相当する4つの見出し「アジアで最初の赤十字社」「昭憲皇太后と赤十字」「劇場としての戦争」「太平洋戦争期の日本赤十字社」があり、時系列的に話はすすむ。

 プロローグのふたつの問いのうちひとつ目は、冒頭のつぎの問いである。「あなたはいま戦場にいる。あなたの部隊は敵の兵士三人を捕虜にした。この捕虜は、味方の犠牲を確実に減らすことのできる情報をもっているようだ。あなたの上官は、どんな手段を使ってもよいから彼らから情報を得ろとあなたに命令し、拒否したら不服従により銃殺すると言っている。どう対応するか」。

 つづけて、つぎのように説明している。「この問いは、極限状況で人間の尊厳をいかに保護しうるかを青少年に考えてもらうため、日本や英国の赤十字社が作成した練習問題である。「どんな手段を使ってもよい」というのは拷問を用いてもよいという意味だ」。「国際法は拷問を禁止している。だが命令を拒めば銃殺。どう対応するか」。

 赤十字の問題集では、つぎのような断り書きがされている。「国際法を守ることが原則であるにせよ、この問題には「これぞ正解」という完璧な答えは用意されていないと」。

 プロローグの最後では、つぎのふたつ目の問いが投げかけられている。「あなたは、占領した村の治安を守る責任のある部隊長である。ある日、あなたは部下の兵士二人が、パン屋に押し入り、主人に武器を突きつけてパン数個を奪うのを目撃した。二人に尋問したところ、彼らは「二日間なにも食べていないのです」と釈明した。さて、あなたはこれに対しどのように対応するか」。

 もちろんこの問いにたいしても「正解」はない。著者は、エピローグでつぎのようにまとめ、さらなる問いかけをしている。「占領地も極限状況だといえる。すでにプロローグで述べたように、極限状況で、人間が人間をいかに守ったか・守らなかったのかという問題は、その後の集団間、集団と個人、個人と個人の関係修復に多大な影響をおよぼす。国際関係であっても国内であっても同じである。さらに、戦時や紛争時だけではない。大災害や大事故の後であっても似たような波紋が広がる。そのとき、あなたは、私は、どうふるまえばよいのだろうか」。

 そして、最後にもうひとつ、著者は、戦争を禁止した結果、「「正義の戦争」という古代の神話が復活しつつある」という警告について問いかけて、つぎの文章で結んでいる。「正戦論では、敵は罪人であるから残虐行為で報復するのも、略奪するのも妥当であった。実に現在は「正戦論」が復活した時代であるともいえ、私たちの行動が問われている」。

 では、帯の問いかけについての「正解」はなんなのだろうか。その前に、本書裏表紙にある、つぎの本書の概要を確認しておこう。「日本における赤十字による救護活動は、皇室の全面的な保護のもと普及した。日露戦争から第二次世界大戦にいたる過程で、国際主義と国家主義のはざまに立ち、国民統合装置としてゆるやかに近代日本を支えた側面を描く」。

 著者は、エピローグで、つぎのようにまとめている。「日本赤十字社はインターナショナリズムとナショナリズムの双方をその誕生から兼ね備えている組織であった。この性格はあらゆる赤十字社・赤新月社が本来的に兼ね備えているものであるといえる。とりわけ日本赤十字社は、前述したように、インターナショナリズムとナショナリズムを縦軸に、博愛慈善と報国恤兵を横軸においた場合、明治・大正・昭和と著しくベクトルを変えた稀な事例であった」。

 プロローグのふたつの問いにたいする「正解」はある。戦争を起こさないことである。いったん戦争が起きれば、「非常時」「極限状態」でいかなる法や取決めも意味をなさなくなる。


評者、早瀬晋三の最近の編著書
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~)全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

石坂健治・夏目深雪編著『躍動する東南アジア映画~多文化・越境・連帯~』論創社、2019年7月5日、191頁、2000円+税、ISBN978-4-8460-1847-4

 編集協力、国際交流基金アジアセンター、とある。近年、東南アジア映画界が騒がしくなっている原因のひとつが、日本が国家戦略的にサポートしているからで、その組織のひとつが国際交流基金アジアセンターである。センターには、長年東南アジアの映画産業にかかわっている専門スタッフもいる。

 プロデューサーとして東南アジアの国際共同制作に携わっている市山尚三は、近年の東南アジアの映画産業を、つぎのように紹介している。「一九九〇年代は東南アジアの国々の間の人材交流はそれほど活発ではなかった。フィリピンやタイには映画産業が存在していたが、自国の観客を対象に映画を作るのみで、他国とのコラボレーションが生まれる土台はなかった。二〇〇〇年以降、デジタルによる映画製作が普及した影響で、東南アジアの映画地図は大きく変わった。インドネシア、シンガポール、マレーシアなど、これまでほとんど映画産業が存在しなかった地域から続々と若手の映画作家たちがデビューした。フィリピンやタイからも既存の映画産業とは別のところからインディペンデント映画作家たちが現れた」。

 編集代表の夏目深雪は、「カラフルな東南アジア映画の世界へ-はじめに」で、東南アジア映画の特徴をつぎのように説明している。「映画をめぐる最先端のテーマが蠢いているのも東南アジアの特徴だ。長大な尺や気の遠くなるような遅さ、物語の停滞があるスロー・シネマや、今や世界的な一大イシューであるLGBTをめぐる先進性のある作品群。映画のデジタル化が進み、誰もが手持ちのカメラやiPhoneで映画を撮ることができるようになった。そこに植民地として喘いできた過去の歴史や、圧政や検閲など芸術をめぐる抑圧に喘ぐ人々のパワーが爆発的に流れ込んだのか。今最も熱いフィリピンの項を見ると、「麻薬戦争を題材に社会の暗部を暴く」「映画を既成の概念から解放したい」「世界史の枠組みを問い直す」と威勢がよい。映画の臨界点を知るには東南アジアの映画を見るべきだ。それは、かつて日本にもあった、映画と政治が結びつき濃厚な映画文化が花開いた蜜月の日々を思い出させる」。

 本書は、まず「注目の巨匠監督、東南アジアの特選映画」で2人の最注目の巨匠につづいて「東南アジアの巨匠5人」、「東南アジアの次世代巨匠たち」2人、「アジア・オムニバス映画製作シリーズ「アジア三面鏡」」を紹介している。つぎに、各国ごとにフィリピン、ベトナム、タイ、シンガポール、マレーシア、インドネシア、カンボジア・ミャンマー・ラオスの映画史、作家論などでそれぞれの国の現状を述べている。最後に、「国際共同製作&東南アジア映画を知るための資料」で、「現場」から撮影監督・編集者・サウンドデザイナーの活動を伝えている。

 「多民族国家で、「その国らしい」って何だろう」と問いかけるとともに、「優れた監督たちは既に国の枠を超えて映画を撮り、国家の枠組みを壊すようなテーマを打ち出して」いる。映画にかかわる人びとの経歴もさまざまで、そのハイブリッドさに驚く。本書副題にある「多文化・越境・連帯」だけでは語ることができない多様性がある。「今まで味わったことにない感情を味わうことになり、癖になること請け合いだ」という、編集代表の誘いに、だまされたと思ってのるのもいいだろう。それが、どう国家戦略としての映画と結びつくのかを考えるのも、東南アジア映画を楽しむためのスパイスのひとつになるかもしれない。

 ちなみに、国際交流基金は外務省が所管する独立行政法人のひとつで、独立行政法人国際交流基金法第3条で、つぎのように目的が定められている:「国際文化交流事業を総合的かつ効率的に行なうことにより、我が国に対する諸外国の理解を深め、国際相互理解を増進し、及び文化その他の分野において世界に貢献し、もって良好な国際環境の整備並びに我が国の調和ある対外関係の維持及び発展に寄与することを目的とする」。


評者、早瀬晋三の最近の編著書
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~)全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。


倉沢愛子『南島に輝く女王 三輪ヒデ-国のない女の一代記』岩波書店、2021年5月13日、234+3頁、2500円+税、ISBN978-4-00-024183-0

 なにやらNHK「ファミリーヒストリー」を読むような感じで話はすすむ。違うのは、著者、倉沢愛子がひとりで、15年ほどかけて関係者を訪ね歩き、「明治の女の波乱万丈の人生」を明らかにしていったことと、なにより巻末「参考文献」リストにない10冊を超える著者の単著単行本などが背後にあることだ。

 三輪ヒデという一般に知られていない「明治の女」を主人公にした本書は、見返しでつぎのようにまとめられている。「元松前藩士の娘として明治に函館で生まれ、帝政ロシアの貴族ニコライ・グラーヴェと結婚し、オランダ領東インドで農園を切り開いた一人の日本女性。当時の新聞に「南洋に輝く女王」と称された三輪ヒデは、日本の蘭印侵略、敗戦、インドネシアの独立とナショナリズムの高まりなど、近現代史の荒波に揉まれながらも、逞しく生き抜いた。日本、インドネシア、オランダ、アメリカ-。いくつもの国境を軽々と越え、最後にインドネシアに骨をうずめたヒデ。その華麗なる足跡をたどる」。

 はじまりは、「インドネシアの文書館に埋もれていた一通の手紙」だった。それから十数年間の三輪ヒデの「一族のたどった運命を探る「探偵ごっこ」が始まった」。著者を本気にさせ、1冊の本になった経緯について、「はじめに」の最後で、つぎのように述べられている。「グラーヴェ一家のダイナミックな歩みのほぼ全容がようやく明らかになり、今回一冊の単行本としてまとめることになった。本書は、その家族の中心にあった明治生まれの日本女性、三輪ヒデに焦点を当て、口頭で得られた断片的な情報を、歴史事実と照らし合わせて検証しながら、再構成したものである。歴史の目まぐるしい変化のなかで、劇的なまでの逆境に翻弄されても、決してみじめではなく、試行錯誤を繰り返しながらも運命に立ち向かっていったその人間像を、描き出したいと思ったのである」。

 1917年のロシア革命で崩壊したロシア帝国の亡命近衛兵と結婚して9人の子宝に恵まれた「波乱の人生」は、まったく無名の人びととの市井の話ではない。レスリングを愛好していた白系ロシア人の夫はレスラーとして活躍した。末娘は「ミス・インドネシア」になり、その娘はスカルノ家に嫁いだ。死にさいしては、親交のあったデヴィ夫人もお悔やみに駆けつけた。著者が三輪ヒデに引きつけられたのは、裏表紙にある「ファッショナブルな」写真、見返しにある「カリフォルニア時代」の写真を見ただけでもわかる。さらにかのじょを取り巻く「グラーヴェ・ファミリーに魅せられ」たからである。

 「ヒデの九人の子供たちの国籍は、日本、インドネシア、オランダ、アメリカ、イタリアにわたり、二二人の孫も全世界に散らばり、そのなかには[日米貿易で百万長者になった]日本国籍のロビーさんもいる。一つのファミリーのなかで、国籍だけでなく、言語、文化、宗教、そしてもちろん各自が抱くアイデンティティーも多様である」。

 これらの子や孫の自由奔放さは、三輪ヒデの生き様からよく理解できる。著者は、「あとがき」でつぎのように総括している。「この一家は、ロシア革命、日本のインドネシア占領統治、インドネシアの独立をめぐるオランダとの長い闘い、植民地から追われる旧支配者たちの引き揚げなど様々な歴史の重要な断面で、その生活を大きく揺さぶられている。ある意味で、政治や国際関係に人生を翻弄されたのであるが、それに負けずに、そこから常に強く立ち上がってきた」。「歴史の重みを痛感」せずにはいられない。

 なかでも、女性たちの力強さには圧倒される。三輪ヒデを含め、かのじょたちの何人かは離婚を経験している。離婚された男性に焦点をあてれば、かのじょたちの力強さは、さらに際立つ。

 現在わたしの所属する研究科には、この一家のような状況のなかで生まれ、育った多くの学生がいる。時代を先取りした一家の歩みから、現代を生きるわれわれは多くのことを学ぶことができる。


評者、早瀬晋三の最近の編著書
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~)全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。


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