早瀬晋三書評ブログ2018年から

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2021年07月

権学俊『スポーツとナショナリズムの歴史社会学-戦前=戦後日本における天皇制・身体・国民統合』ナカニシヤ出版、2021年3月20日、341頁、3200円+税、ISBN978-4-7795-1558-3

 2021年7月23日、1年間延期された「東京2020」オリンピックが開会した。いろいろなことがあっても、人びとは選手ひとりひとりに声援を送り、健闘を讃える。さらに、メダルを獲得して国旗を仰ぎ見、その頂点として国歌を厳粛な面持ちで聴くとなると、否が応でもナショナリズムをかき立てられる。問題は、この気持ちがあらぬ方向に向かう危険性があるということだ。本書は、スポーツを純粋に楽しむだけでなく、それを利用していろいろな思惑が蠢いていたことを、歴史的に考察した成果である。

 本書の目的は、「はじめに」の冒頭、「本書の課題とスポーツとナショナリズム研究の必要性」の見出しの下で、つぎのようにまとめられている。「本書は従来政治学、歴史学、社会学、スポーツ社会学研究で充分検討が行われていなかった近現代日本におけるスポーツとナショナリズムとの関わりに迫り、その歴史的意味と社会的特質を総合的に解明することを目的とする。近代から現代にいたる長い歴史的スパンの中で日本人の歴史と因縁の深い近現代日本のスポーツイベントに焦点を当てながら、スポーツとナショナリズムとの進行過程を天皇制、身体規律、メディア、国家主義との観点から歴史社会学的に跡付ける。ポピュラーナショナリズムの重要な一環であるスポーツ・ナショナリズムの分析を通して、スポーツや身体管理政策が近現代日本社会にいかなる影響を及ぼしたのか、日本人の生活や国民意識にいかなる意識を創出し、どのような「刻印」を残したのかを、複合的アプローチをとることで多角的・総合的に考察することが本書の狙いである」。

 本書は、はじめに、2部、各部6章ずつの全12章、おわりになどからなる。「各章が一つの論文になっており、どの章から読んでも理解できるように構成」されている。著者の権学俊は、「互いの章の一体感を損なわないように注意を払いつつ、近現代日本のスポーツ・ナショナリズムという問題が多角的・立体的に浮き上がるような書き方を心がけた」という。

 第一部「天皇制国家における大衆の国民化とスポーツ・身体」の「第一章から第六章までは、一八八〇年代から一九四五年敗戦を迎えるまでの戦前・戦時下のスポーツと天皇制、身体規律化について総合的に分析している。第一部では、戦前・戦時下の政治・社会を規定(支配)した絶対天皇制とスポーツとの関わり合いに焦点を当てながら、スポーツイベントの大衆的象徴儀礼が果たす国民統合の機能を考察する。近代日本における国民形成と兵式体操をはじめ、皇室のスポーツ奨励と戦前・戦時下における明治神宮体育大会、ラジオ体操と「身体」の政治、「幻の東京オリンピック」の祝祭性と政治性、戦時下国民体力の国家管理と健兵健民、植民地朝鮮における皇国臣民化政策と秩序化される身体について歴史の時間軸を貫いた分析を試みている」。

 第二部「戦後日本におけるナショナリズムとスポーツの諸相」の「第七章から第十二章までは、戦後初期から二〇二〇年東京オリンピック・パラリンピック大会までを対象とし、戦後日本のスポーツとナショナリズムという多面的な事象について総合的に考察した。戦後初期GHQ占領下における国民体育大会と天皇制関連の分析では、国民体育大会が象徴天皇制と関わる象徴儀礼を組み込んでいきながら象徴天皇の社会的「正当性」を客観化していく過程、国民との間での儀礼的関係やパフォーマンス等を通して国民統合と地域社会統合の機会としての役割を果たしていったことについて分析を行った。また、一九六四年東京オリンピックと二〇二〇年東京オリンピック・パラリンピックの持つ政治性や国民統合、国家意識・国家主義の高揚を分析した」。

 そして、「おわりに」では、「スポーツとナショナリズム研究の課題」として、つぎの4つをあげている。「第一に、本書では天皇制とスポーツとの関わりについて分析を行ったものの、戦後日本社会における象徴天皇制とスポーツとの関連性が手薄なことは否めない点である」。

 「第二に、スポーツにおけるジェンダーのあり方を問う視点の欠如である。本書ではスポーツ文化の男性性、家父長制の伝統に根ざす「男らしさ」はある程度分析されているが、国家と女性の身体性、女性スポーツ、女性アスリートに向けられた視線に関する分析は今後さらに追求されるべき論点である」。

 「第三に、近年日本社会の排外主義感情・嫌韓感情は、急速な広がりを見せている。在日韓国・朝鮮人選手をはじめ、グローバル化とナショナリズムなものとの間で揺らぐ外国人選手、混血選手、帰化選手など、日本スポーツ界におけるある特定の人種・民族・出身地に対する閉鎖的・排他的なナショナリズムと排外主義に関して解明すべき多くの論点も残されている」。

 「第四に、「東アジア社会論」を視野に収めた日中韓のスポーツ・ナショナリズムの比較分析である。日中韓のスポーツとナショナリズムの高揚は、単純に植民地支配と戦争をめぐる歴史認識と国家間の政治的葛藤から起因することではなく、複雑な要因が絡み合っている」。「三ヶ国の社会的特質や特有の国民意識の差異を明らかにする上でも重大な価値があるであろう」。

 「あとがき」では、著者が本研究に関心をもった理由がつぎのように述べられている。「筆者は長年、歴史社会学やスポーツ政策論の観点から、近現代日本におけるスポーツ・ナショナリズム、天皇制とスポーツ、植民地朝鮮における日本の「国民」づくりと身体・健康の規律化など、近現代日本社会における「国民化」と国民統合に関する研究を行ってきた。また、同時に戦後日本の国家主義、歴史修正主義と排外主義を研究してきた。これらの研究関心は、その後、太平洋戦争に関するアジアの主要戦跡や日本の戦跡史の検証に向けられた。戦争と戦跡は、国家のアイデンティティ形成や国際関係等が関わりながら作られるとともに、各国社会に大きな影響を及ぼしているからであった」。

 1988年のソウル・オリンピックでサッカー会場として使用された東大門運動場は、25年にヒロヒト皇太子の結婚を祝して建設された。95年に解体された朝鮮総督府だけでなく、植民地遺産の建造物として東大門運動場は2007年まで使われ、スポーツが天皇制と植民地支配の象徴であったことを示していた。

 大会がはじまったからには、選手がこれまでに培った力を最大限に発揮できる環境を整えねばならない。そのために改善できることはどんどん指摘して、少しでも選手が競技に集中できるようにしたほうがいい。いまさら改善のしようがない運営にかんする数々の問題や新型コロナウィルスの感染拡大を防げなかった失策などについては、閉会後に責任を追及し議論すればいい。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~)全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

秋道智彌・角南篤編著『シリーズ海と人の関係学① 日本人が魚を食べ続けるために』西日本出版社、2019年2月23日、261頁、1600円+税、ISBN978-4-908443-37-4

 帯に「いま日本の魚食があぶない」と大書されている。「日本人はいつまで魚を食べられるのかという問いへのこたえは二つある」という。もはや肯定的に答えるためには、積極的にかかわらなければ、もうひとつの否定的な答えになるというのか。

 本シリーズ「海と人の関係学」は、つぎのような意図をもって企画された。「海洋に関するさまざまな問題を議論するガイドラインを広く読者に喚起することを大きなねらいとして企画されたものである。海とヒトとのかかわりは、有史以来の長い歴史をもつ。しかも、その関係性は生業と食から社会、文化、政治、環境問題、信仰に至るまでじつに重層的である」。

 「海はヒトに数々の恩恵をあたえてきたが、同時に由々しい災禍をももたらしてきた。局所的な不幸は過去に何度も発生したが、二一世紀に至り、海の病理は地球全体に蔓延するようになった。未曽有の海の危機がヒトそのものに襲いかかろうとしているのである。温暖化、海面水温の上昇、水産資源の減少、海洋汚染などに顕著な海の劣化を克服する知恵がいまこそ求められている。地域の問題から地球全体までを見据え、よりよい未来に向けて有効な方策をいまこそ具体化すべき時にある。本シリーズで取り上げる諸テーマは、海とヒトとののぞましいかかわりを実現する手引きとなることを目指して選定されたものである。読者とともに地球の危機とその克服について深く考える契機としたい」。

 その第1巻として、「私たちはいつまで魚を食べられるか」を問いかけ、目的をつぎのように述べている。「本書では国際的に合意された持続可能な発展がもつ問題点を指摘しながら、海の未来に向けての提言を魚食に関する諸問題から解き明かすことを最大のねらいとしている。かといって、切迫した論を進めることにこだわる必要はない。変動する海の生態と経済の動向のかかわりを柔軟にとらえる順応的な観点に配慮した議論を望みたい。さらに、地域、国、国際間で起こっていることへの内省から、現場に即した議論をもとに新たな提案を試みる視座に立脚したい。そして、魚食の未来を自然から経済、文化、漁業権・IUU漁業[違法、無報告、無規制漁業]・地域振興などを含む複雑系の現象としてとらえる視点を共有したい」。

 本書は、はじめに「転換期をむかえる魚食」、3章全13論考、9コラム、おわりに「魚食大国の復権のために」、用語集からなる。「おわりに」の冒頭で、2人の編著者は、つぎのように結論を述べている。「今後、日本および世界の魚食についてどのような見通しがあり、魚食大国を復権するうえでどのような方策があるのかについて検討しよう。ここでは、具体的な方策を五つあげて個別に検討し、異分野連携を通じた施策を政策対応の指針として提言してみたい。利害関係者間の連携を進めるうえでの調整機能を誰が担うか、その資金調達をどうするか。本書はこの議論の火付け役として一定の役割を果たしたいと考えている」。

 5つの方策とは、「漁業資源の多様性と管理」「資源管理とコモンズ論」「世界のなかの日本の魚食」「食育から未来の魚食を占う」「食の安全とグローバル化時代のIUU問題」である。

 本書は、笹川平和財団政策研究所が2000年から発行している『Ocean Newsletter』に、2004-16年に収録されたものから選ばれたものを元にしている。本シリーズでは、すでに2「海の生物多様性を守るために」(2019年)、3「海はだれのものか」(2020年)、4「疫病と海」(2021年)が出版されている。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~)全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

南川高志・井上文則編『生き方と感情の歴史学-古代ギリシャ・ローマ世界の深層を求めて』山川出版社、2021年4月25日、366+26頁、8000円+税、ISBN978-4-634-67252-9

 「古代ギリシャ人とローマ人が生きた時代」は、「生活環境や自然科学の知識などはまったく異なってしまった」「二十一世紀の今日」に生きるわれわれとどうつながるのだろうか。筆頭編者の南川高志は、「はしがき」でつぎのように答えている。

 「にもかかわらず、彼らが残した文学作品や芸術作品は今日の世界で多くの関心や感動を呼び起こし、実学的知識の高さは尊敬を集め、生活の跡は人々の興味を引いている。そうした古代ギリシャ人やローマ人の世界をその深部で捉えようとするとき、どのような観点が有効だろうか。私たちの共同研究は、その観点としてまず、人々の「生き方」を選んだのである」。

 共同研究は、「京都大学西洋古代史研究会」を母体としている。研究層が厚く、蓄積も豊富で、原史料を熟知している「本場」ヨーロッパの西洋古代史研究から基本的なことを着実に学び、いっぽうで「国史」、東洋史など日本独自の歴史学研究の影響を受けて発展してきた日本西洋古代史学の底力を、本書で見せつけられたような気がした。

 本書のキーワードは、主題にあるとおり、「生き方」と「感情」である。「はしがき」では、まず「生き方」について、つぎのように述べている。「「生き方」を観点にするといっても、日常生活を眺めて論じるだけであれば、古代ギリシャ人・ローマ人の暮らしぶりと現代の私たちのそれとの差はあまりに大きく、好事家的関心からの古代叙述の意義しかもたないだろう。また、有名な個人の生涯をたどってその生き様をただ描くだけなら、今日的に十分な歴史研究にはなるまい。しかし、人がどのようにその「生」を見つめ、どのように生きようと考えたのか、という「思い」の次元まで問題を深め、例えば「生」に対比される「死」をどのように考えたかといった点まで考察を進めれば、古代の人々と私たち現代人のあいだにある「生き方」の差は急速に縮まる。また、おかれた状況に対応して人々がどう生きようとしたか、生きるべきと考えたかを知ることは、その時代の社会の根底的な要素をつかみ出す作業として価値ある研究ではなかろうか。私たちにはそう思われた。本書は、このような基本的な認識のもとで、共同研究のメンバーがそれぞれ専門とする時代や地域について、場合によっては新たなテーマを開拓して、議論を展開した成果である」。

 つぎに「感情」について、つぎのように述べている。「本書では、この「生き方」をめぐる考察と交差する形で、いま一つの共通テーマとして「感情」を配した。第一部、第二部の題名に、感情のカテゴリの例が副題としていくつか付いているのはそのためである。本書では、「生き方」の検討にあたって、「感情」を交差させて検討することにしたのである。「感情」を交差させることで、「生き方」の考察が、人々が生きた歴史的社会の根底的で本質的な要素を究明することに寄与するだろうと期待したからである」。

 だが、今日西洋史研究で重要なトレンドになっているが、日本では近現代史中心の「感情史」を、古代ギリシャ・ローマ史に応用することは容易いことではない。まず、「感情」の定義をすることが難しく、つぎのように説明している。「西洋史研究の研究史の流れに即していうならば、「心性」と「感情」の区分をどうするか、ということが問題になろう。今話題の感情史研究にあっては、「感情」を歴史を動かす要因とみなし、ある感情があらわれ広まることが社会を変えることにつながるという立場に立っている。この点が、それまでの「心性」のもつ静態的な性格と違うと指摘されている。また、「心性」が当初から「集団」を重視するのに対して、現今の感情史研究の「感情」は「個人」を重視するという点にも違いがあるように思われる」。

 つづけて、本書の方針をつぎのように述べている。「西洋古代史の多岐にわたる分野を扱うこの論集では、「感情」の定義は困難だと私には思われた。そのため、「感情」を扱う際に、その定義にあたるものについては各章の執筆者に委ねることとした。したがって、本書の議論では、「感情」が「心性」とさほど違いなく用いられている場合がある。現代の「感情史」研究の動向に沿った「感情の共同体」に言及する章もあれば、「心のありよう」「感じ、考える、その仕方」という「心性史」研究の原点に立った「心性」の理解と変わらぬ扱いで「感情」を捉えている章もある。そもそもこの書物の副題「古代ギリシャ・ローマ世界の深層を求めて」の「深層」が、「心性」と深く結びついた概念である。しかし、あえて「感情」の定義はせずに、自由に論じることにした。「感情」の定義に拘泥して、各章が扱う素材のおもしろさを損ないたくなかったからである」。

 本書は、はしがき、2部全14章、2コラム、あとがき、参考文献からなる。註はない。各部はそれぞれ7章からなり、最後にコラムがある。2部構成については、「生き方」の説明の後、つぎのように述べている。「人の「生き方」は、その時代の状況や社会のあり方によって相当に規定され、その行動には規範が設けられる。私たちの共同研究は、この点を重視し、古代社会の性格と人々の行動の規範を明らかにしつつ、「生き方」に迫ることとした。この点を考察して論じたのが、第一部[「社会の行動と規範-恥・恋・妬み」]の諸章である。同時に、人々の実際の行動を分析しつつ、「生き方」の原理というべきものを抽出することも必要と考えた。これが第二部[「生き方の原理-痛み・憎しみ・恐れ」]の諸章の論じたところである。こうして、本書は歴史研究としての整った方法論も議論の先行例もないテーマに取り組んだのである。提出された一四の章と二編のコラムは、これまでの日本の歴史学界では珍しい試みであるといってよかろう」。

 新しい学問の共同研究には、未知なるものへの挑戦という魅力がある。いっぽうで、伝統ある分野では、それまでの研究の蓄積のうえにあるという安心感がある。本書は、その安心感のうえで、古代史だからこその現代へのまなざしがあり「挑戦」がある。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~)全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

越智郁乃・関恒樹・長坂格・松井生子編『グローバリゼーションとつながりの人類学』七月社、2021年3月31日、395頁、5600円+税、ISBN978-4-909544-19-3

 本論集の主題は、「あとがき」冒頭で、つぎのように説明されている。「本論集は、グローバリゼーションを経たのちの社会・コミュニティの変化と、そこに生じる「つながり」について論じることを主題としている。近代の植民地支配および国民国家形成、またそれに伴う国境の策定を経て、越境的な人とモノの移動が増大する現代においても、人々が日々の実践においてつくり出すつながりについて論じることは、人類学における変わらぬ営みであろう。ゆえに私たちは、そのつながりが紡ぎ出される場であるそれぞれのフィールドにこだわり続ける」。

 本書は、序、4部全14章、あとがきなどからなる。「各部と各章の位置づけ」は、序「グローバリゼーションとつながりの人類学」で、つぎのように説明している。

 第Ⅰ部「ネーションと記憶」は、3章からなり、「グローバリゼーションと一見正反対に思われるナショナリズムについて論じる。グローバリゼーションによってナショナリズムは弱まると思われていたが、日本における「嫌韓・嫌中」など周辺国を意識したある種のナショナリズムの興隆は、現代のグロバリゼーションの一側面を表していると言える。ここでは近年のグローバリゼーションのなかでのネーションの動態を、「記憶」や「感情」、また明確な言葉にならない「居心地」というキーワードによって論じる」。

 第Ⅱ部「新しいつながり」は5章からなり、「グローバリゼーションの中でもたらされた新たな統治性や人やモノの移動によって、フィールドにおいてどのような「つながり」の形勢が見られるのか、それが人々の生にいかなる影響を与えるのかを、「コミュニティ」「シティズンシップ」「ジェンダー」「伝統文化」「差異と相同性」というキーワードから描き出す」。

 第Ⅲ部「ケア・支援の現場から」は3章からなり、「グローバル化された家事労働の現場、そして新たな包摂の形が模索される地域や大学の障害者支援の現場において、いかなる「つながり」が形成され、どのような主体化が展開しているのかを、「男性性」「ノーマライゼーション」「包摂と排除」というキーワードから読み解く」。

 第Ⅳ部「ツーリズムとつながり」は3章からなり、「観光現象に焦点を当てる」。「人やイメージのモビリティが飛躍的に向上し、また単なる観光地だけでなく日常そのものが観光対象ともなる現在においては、あらゆる人々が、ツーリスト(=ゲスト)あるいはホストとなりうる。特定の共同体に所属しつつ時折別の共同体を訪れる「観光客」によって引き起こされる「偶然」や「誤記」[略]によって、フィールドにおいてどのような「つながり」やイメージが生じ、そしてそれらがいかに交渉されているのかを、「啓蒙」「ミドルマン」「地域文化」というキーワードを用いて論じる」。

 そして、「序」をつぎのパラグラフで終えている。「Covid-19をめぐるグローバルな状況においては、人々の連帯の一方で他者への非難、監視が強化されている。さらに、グローバルな交易の拡大と同時に高まる自国第一主義の強化も指摘されて久しい。このような、つながりとへだたり、接続と断絶、連帯と疎外といった、今日のグローバリゼーションが持つ二面性、両義的な動態の解明は、まさに「新たな日常」における生の指針を得る上で、喫緊の課題であるといえる。このような問いを、抽象的かつ一般的な理論としてではなく、世界各地の地域社会の固有な生の文脈において考える各論考を、文化人類学だけに限らず、隣接諸分野、そして大学で学ぼうとする学生諸氏と共有し、共に議論し続けるための一歩として本書があると考える。この本が新しい世界とどのように関わり合っていくのかを示すものになることを編者一同願う次第である」。

 本書は、2021年3月に広島大学を退職した髙谷紀夫の教えを受けた者を主たる執筆者とし、同僚2名が編者・執筆者として加わっている。髙谷本人は、「人類学者としては生涯未完成であることを承知の上で、いままで重ねてきたエスノグラファーとしての自らの研究活動の足跡の再確認、そしてこれからの研究活動深化のための検証の試み」として、『ビルマとシャンのエスノグラファーとして』(広島大学大学院人間社会科学研究科(総合科学研究科)・総合科学部、2021年2月28日、143頁)を出版している。

 文化人類学というディシプリンを共通項とした「つながり」が感じられるのは、基礎研究を基本とした教育がおこなわれたからだろう。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~)全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

藤原辰史『農の原理の史的研究-「農学栄えて農業亡ぶ」再考』創元社、2021年1月30日、357頁、3500円+税、ISBN978-4-422-20295-2

 なにやら空恐ろしい話で、はじまる。序章「科学はなぜ農業の死を夢見るのか」「1 食と農の死」の最後の見出しは、「食と農のディストピア」である。

 著者、藤原辰史は、序章の「おわりに-人類史の臨界点で」で、つぎのようにまとめている。「農学には二つの原動力がある。食と農に関わる人間の負担を科学の力でできるだけ軽くすること。そして、食と農が持つ固有の価値を突き詰めていくことである」。「一つ目の原動力の臨界点は、シャーレの上で幹細胞から牛の筋肉を培養すること、消化の不必要な食品を生産すること、消化器官の退化、そして北輝次郎[北一輝]が夢見た肛門の閉鎖にまで至るだろう」。「二つ目の原動力の臨界点は、農民が工業労働者ではなく、農民であるために、農業が工業ではなく農業であるために、他国の土地を暴力で奪ってでも移民する場所を作り上げるというかつての農本主義にまで至るだろう」。

 著者は、つづけて「本書が最終的に目指している」3つについて、つぎのように述べている。「第一に、これら二つの原動力に引き裂かれながら「農学栄えて農業亡ぶ」という状況のなか研究をつづけた農学者たちや農業に関わった知識人たちの思想と実践を、歴史学的に精査することであり、第二に、それらの知識人たちが格闘した資本主義とはいったい何だったのかを検討することであり、第三に、そのあとでもなお残る思想のようなものがあるとすればそれはどのようなものなのかを明らかにすることである」。

 本書は、序章、全6章、終章などからなる。全6章では、「農をめぐる学問の担い手たちの具体的な思考と実践の経路を辿って」いる。著者が、第一に試みたかったことは、「農学の前進が農の存在根拠を脆弱化させるというパラドックスに引き裂かれて、そのなかで神がかり的な思想や行動に人生を捧げることも辞さなかった研究者たちの足跡を辿りつつ、農学という思考の場でこれら二つの綱引きがどのようになされたかを描写することで」、つぎのように章別に具体的に紹介している。

 「ロシアの小農論者チャヤーノフ(第1章)、日本の「農学の祖」横井時敬(第2章)、満洲移民の理論的指導者橋本傳左衛門(第3章)、「農学の哲学」の著者クルチモウスキー(第3章)、橋本の弟子で満洲移民運動を陰で支えた杉野忠夫(第4章)、満洲農業の中核となる法律「開拓農場法」作成に携わった小野武夫と川島武宜(第5章)、イタイイタイ病の原因を突きとめた農学者吉岡金市(第6章)などである」。

 つづけて第二に試みたかったことを、つぎのように述べている。「学問の営みそのものが、「現実からの遊離」と「現実への接近」という二つの現象にどのように引き裂かれてきたか、それならばそもそも学問とはどんな理由でこの世に存在しているのかという問いを、農学の事例から考えることである。医学が栄えると医療は滅ぶのか。神学が栄えると神は滅ぶのか。法学が栄えると法は滅ぶのか。経済学が栄えると経済は滅ぶのか。歴史学が栄えると歴史は滅ぶのか。そんなわけはない、と学問の只中にいる学徒は信じたいが、実は簡単に答えを導きだすことができない。この自分自身を抉るような思考は、人間を何かから解放しようとしてきた私たちが、なぜいま高度な科学文明のなかで生的な充溢感を失いつつあるのかという生活の問題、あるいは、対象を分解して理解しようとすればするほどその対象から離れていく、という学問の問題ともどこかでつながっていることだろう」。

 終章では、序章で掲げた3つの「最終的に目指している」問いを見出しに、それぞれつぎのようにまとめている。まず、「農学の思想はどう紡がれたか」については、「農業の非経済的要素こそが農学を他の学問から切り離すものであり、いわば「農の原理」であった。だからこそ、経済活動が巨大化するなかで、農本主義のような思想運動が世界各地に登場する。ところがこの農本主義は、精神主義的な葛藤なき機械主義であり、無駄をなくす労働の純化であり、[二宮]尊徳をテイラー主義に接続させる思想であり、農学の宿命に抗する思想になるどころか、資本主義的に乗り遅れた農業を農民の心理への圧迫によって資本主義にキャッチアップさせる役割を果たした」。

 つぎに、「農学のまなざしから見える資本主義とは何か」については、「社会主義を選ばなかった日本、ドイツ、イタリア、ハンガリー、ポルトガルは、経済危機のなかであっても民族、人種、性差別に根差すことで運動を続ける資本主義を、計画経済を混入しながら温存しようとした。たしかに、日本は、満洲国で、こうした西欧の民族差別を克服し、五族協和をスローガンに掲げもした。だが、農業経済学者や少なからぬ開拓団員が、「大和民族」の優秀性とそれ以外の民族の劣等性を前提としていたことはすでに述べたとおりであり、ナチスの人種主義がドイツ農民を資本主義下でもできるかぎり温存する役割を果たした。両国ともにパルチザンの抵抗運動を招いたこと、ポルトガルやイタリアも植民地への強制を強める結果になったことは、やはり強調しておくべきだろう」。

 最後に、「それでも残る農の原理とは何か」については、「道徳主義、精神主義、異国ならびに他者の破壊と包摂、自国礼讃。幸運にもそのような落とし穴をすべて逃れられたうえで、食と耕を総合した実学がおのずと生ずれば、農だけの価値を排他的に説く農本主義もほとんど力を持たなくなる。それだけではない。そのとき、農業は、あなたは美しいと答えつづけてきた魔法の鏡を叩き割り、医、食、心、政、技との交わりを深めて栄え、ただ専門化するだけの官許の農学は静かに亡び、分解され、まだ見ぬ総合的な学問の肥やしとなっていくだろう」。

 「あとがき」では、「仲間たちと一緒に、いろいろな実践に首を突っ込み、仲間たちとともに発言や実践を繰り返すことがやめられない」著者が、本書を通じて得た収穫を、つぎのように語っている。「本書は、そんな私の実践の自己点検でもある。実践は、必然的に学問の問いの立て方に対し深刻に影響する。立てた問いは、個人の思想から離れて徹底的に実証の手続きに洗われる。私はどちらかと言うと講座派的な考え方よりも労農派的な考え方に惹かれるし、大農論よりも小農論の陣営にいると思って実践をしているが、今回の研究の問いの一つは、そのような考えがどうして悲惨な歴史と深い関係を結んだのか、というものであった。実際、私の立ち位置と異なるはずの吉岡金市の仕事に興味を抱き、吉岡のように実践と学問を往復することが、かならずしも学問的壊滅をもたらさないことを知ったのは収穫である。自分の予想を裏切るような事実の発見こそ、学問の面白いところだと本書執筆でも感じることができた」。

 本書で議論した「農」は、人民や大衆の大半が「農民」であった時代の話である。それがいまや、「農」に生きる人びとはマイノリティになったし、意味も大きく違っている。日本で「農」がマイノリティになりつつあった時代に、まだ「農の原理」がいきていた途上国に「指導」に行った青年海外協力隊員がいた。「農」がほかのものと接合する場合、そこには当然、人とのかかわりがある。協力隊員の「指導」は、「農学栄えて農業亡ぶ」を「実践」していた面があったのではないか。だから、任期を終えて帰国するとき隊員が口を揃えて、「教えるつもりが、教わることのほうが多かった」と感想を述べたのではないだろうか。著者が机上の学問では終わらせたくない「農の原理」は、著者が実践している「学校給食や有機農業の普及運動、地域や大学の自治を作る運動などに関わり、アカデミズム以外の人びとと交流を続けて」いくなかにあるようだ。


評者、早瀬晋三の最近の編著書
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~)全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。


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