早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2021年08月

小林茂子編著『戦前期日本人学校の異文化理解へのアプローチ-マニラ日本人小學校と復刻版『フィリッピン讀本』』明石書店、2020年11月20日、369頁、6800円+税、ISBN978-4-7503-5098-1

 本書、「序章 戦前期マニラ日本人小学校と異文化理解-多文化共生の手がかりを求めて」で、2つの意義を述べている。

 まず、「1 戦前期マニラ日本人学校の役割と『フィリッピン読本』復刻の意義」では、「マニラ日本人小学校から1930年代後半から40年代初めにかけて発行された4点の資料に着目」し、その理由をつぎのように述べている。「これらは当時の学校事情や現地社会との関係のなかで作成されたものである。これらの内容を精緻に読むと、作成者の編纂意図や発行の背景、戦前の日本人学校が異文化とどう向き合おうとしたのか、その態度や姿勢をくみ取ることができる。また、これら4点と他の文書類とを比較することでより深い分析も可能である。このように4点の文書資料は当時のマニラ日本人小学校の教育活動と密接な関わりがあることがわかる。さらにこれらは戦火にみまわれた戦前期の日本人学校によって残されたものであり、記録としての価値、教育的意味は非常に大きいといえる」。

 つぎに、「2 戦前期マニラ日本人小学校発行の副読本と児童文集を研究する意義」では、「時代的背景を重視し、1917年の設立から1944年戦局悪化により閉校されるまでのマニラ日本人小学校の教育活動のなかで、とくに軍政期とそれ以前の日本人小学校を取り巻く環境や変容に注目する」。

 本書は、第1部「戦前期マニラ日本人学校の副読本と児童文集」および第2部「『フィリッピン読本』の全体像」からなり、第1部は4点の資料をそれぞれ考察した3章と補章、おわりに代えて、などからなる。第2部は復刻版のみである。第1章では1939年に発行された『フィリッピン読本』、第2章では40年に発行された『比律賓小学歴史』と『比律賓小学地理』、第3章では42年に発行された『とくべつ児童文集』が分析され、補章では当時のマニラ日本人小学校校長・河野辰二について紹介されている。

 「本書では次の3つの柱を軸にマニラ日本人小学校を取り巻く状況と教育活動の変化をとらえていく」。1つめは、「1930年代後半から40年代初めにかけてマニラ日本人小学校から発行され、残存している4点の資料に着目し、その内容分析から日本人小学校の教育活動の変容を明らかにするという試みである」。「2つめは、戦争という強力な国家権力の行使のなかで異文化理解はいかに変容するかを提示することである」。「3つめは、前記2つの点をふまえて今日の異文化を理解、尊重し、共存していくための視点を考えることである」。

 以上を総括して、「序章」をつぎのように締め括っている。「このように本書では、資料活用の研究方法としての意義、教育と戦争の現実を考える意義、そして現在の国際理解教育の視点からの意義を擁している。本書は、単に歴史的研究の追求というだけにとどまらず、上記のような多様な側面から得られた知見を活かし、今日の日本や世界を取り巻く多文化の情勢のなかで、ともすれば排他的な思考に陥りがちな傾向について、歴史的事実から再考するという思考態度の一助となるであろうと考える」。

 「おわりに代えて-異文化を理解する視点:文化の異質性と共通性」では、つぎのような結論を述べている。「戦前のマニラ日本人小学校の現地理解のための教育は、歴史的にみて注目すべき内容を包含していたとともに、現代世界における異なる文化を認め、グローバル時代を生きる市民を育てることをめざす今日の国際理解教育にもつながりうる萌芽的実践を含んだ、先駆的な実践事例といえるのではないだろうか」。因みに、戦前は「日本人小学校」が一般に使われたが、戦後は日本国政府が管轄する小・中学校をあわせて「日本人学校」とよぶ。

 20数年前に本書で利用されている資料を使って、卒論を書いた学生が大阪市立大学文学部にいた。4つの資料を合わせて復刻する計画もあった。たしかに、本書で復刻された『フィリッピン読本』などからは、「帝国臣民教育」を超えたなにかが読みとれ、「今日の異文化を理解、尊重し、共存していくための視点を考える」ことができそうだ。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~)全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

沖縄タイムス「尖閣」取材班編『波よ鎮まれ-尖閣への視座』旬報社、2014年4月10日、280頁、1600円+税、ISBN978-4-8451-1348-4

 ときに「国益」は国民の「生活」を奪うことがある。本書は、生活者の視点から、地方新聞が「中央」に挑んだ奮戦記である。「中央」とは、日本政府だけでなく、偏狭なナショナリズムを煽るマスメディアである。

 表紙見返しで、本書の概要がつぎのように紹介されている。「「領土を守れ」「中国の横暴を許すな」。尖閣問題をめぐって偏狭なナショナリズムが渦巻く」。「「圧力に圧力で返すのではなく、国境の海で共生できる仕組みを-」。本書には「国益」優先の影で、翻弄され、かき消される生活者たちの切実な声が詰まっている。尖閣諸島や対中国をめぐる緊張が高まる今、ナショナルな扇情に回収されない視点で解決の糸口を模索する」。

 「本書は、沖縄タイムスで二〇一二年一一月一八日から一三年七月四日まで、計一三三回の連載記事と三本の特集記事を掲載した同企画を加筆・修正し、再構成(略)したものである」。

 目的は、つぎのように説明されている。「連載開始に当たって、尖閣問題に向ける目線を「中央」から「沖縄」に取り戻す、と宣言した。とはいえ、「尖閣の地元」として何を報じるべきか、判断は難しい」。「尖閣諸島の地籍は「沖縄県石垣市登野城地先」で登録されている。「波よ鎮まれ」は第1部で石垣市民の声を中心に、「当事者」の視点で紛争回避を求める声を紹介した」。「なぜ地元の生活者を「当事者」と強調したのか。「中央」主導の世論形成への危惧とともに、「尖閣の地元」に寄り添う姿勢をアピールする中央政治家らの言動に欺瞞を感じたからだ」。

 本書は、第1部「沖縄発 「中央」から視座を取り戻す」と第2部「台湾発 国越える視座」の2部からなる。「台湾の市民の声に耳を傾けた」のは、「尖閣海域はかつて沖縄と台湾の漁民が魚を分け合う「生活圏」だった」からで、つぎのように歴史的説明をしている。

 「日本が台湾を統治していた一九四五年までの五〇年間、沖縄と台湾の間に国境はなく、台湾漁民は沖縄漁民から漁法を学び、技術の向上を図った」。「台湾三大漁港の一つ、北東部の港町、宜蘭県蘇澳鎮にはかつて沖縄人集落があり、八重山・宮古諸島の漁民が多く暮らした」。「漁船が日常的に行き交い、戦時中は多くの沖縄の疎開者が、蘇澳を玄関口に台湾上陸を果たした」。「七二年の沖縄の日本復帰前後も、台湾と沖縄の漁民は洋上で酒を酌み交わしたり、漁に使う道具を分け合ったりした、とのエピソードにあふれている」。

 「交流は漁業にとどまらない。一九三〇年代から台湾人が沖縄を訪れるケースが増え、地理的に近い八重山諸島には多くが入植した。熱帯果樹栽培の普及や陸稲・水稲の改良のほか、農耕に水牛を導入するなど地域農業の発展に大きく寄与した」。「戦後の混乱期には、台湾からさまざまな物資が沖縄に運ばれた」。

 沖縄、台湾、それぞれの生活者の目から見た解決の糸口は、見出しを見ればわかる。以下いくつか列挙する。

 第1部沖縄発:「俺たちは日本に復帰する前から長年、この海を守ってきた。どんな仕打ちに遭ってもがんばってきた」「領土問題というよりは、台湾漁船や中国漁船とのすみ分けか、共存できる環境を整えてもらいたい」「パイン栽培や水牛の活用など八重山の農業を変えたのは台湾の人たち。仲間意識は今もある」「海には国境がない」「琉球の歴史に学べば、尖閣問題にどう対応すればよいのかが見えてくる」「八重山住民は防人ではない。戦闘員ではなく民間人として八重山の島々で日常を送っている」「侵略する側だった過去の歴史をあいまいにし、侵略された側の痛みに鈍感になっていることにも気づいていない」「尖閣問題への対応は国益のためというが、実際いがみ合いになって損をするのはだれか。……被害に遭うのは一般住民の僕たち」「東南アジアとの絆は大切。軍事力でものを語るのではなく、平和外交で何とかアジアとの共生関係をうまく図れないか」「隣どうしの石垣と台湾がもっと仲良くなればいい、という希望はいつも持っている。「兄弟」みたいなものですからね」。

 第2部台湾発:「黒潮に沿った一つの家族として台湾漁民も共存共栄を望んでいる。生存のために」「領有権争いという政治問題で、蘇澳と石垣の友好が損なわれてはならない。争いを棚上げして、資源を共有できるようにしてほしい」「漁民どうしなら解決の道を探れる。平和な海を残したい思いはいっしょだ」「無人島でもめるなんてもったいない。どうしたらこの海で産業を生み出せるかを考えたほうがいい」「領有権ばかりを主張するのではなく、海をもっと豊かにする方法をいっしょに考えよう」「メディアは国家の立場からナショナリズムをあおるのではなく、沖縄が抱える厳しい現実にもっと目を向けるべきでは」「国境を超え、漁民の組合どうしで協同組合をつくることも不可能ではない」。

 そして、同じメディアとして、「中央」のマスメディアに向けて、つぎのように提言して「おわりに」を結んでいる。「近年とくに目立つ「中国の脅威」というニュース素材をどう扱うかは、日本のマスメディアの立ち位置として、これからますます問われるように思う。脅威をあおり、増幅させているものは何なのか。国際益の観点から根本的な要因を探る必要があるのではないか」。「国際環境がきな臭さを増し、民意が戦争を肯定する方向に流れる局面でこそ、戦争抑止の役割を果たすマスメディアの機能が試される。裏返せば、安全保障環境や、時世に合わせて主張や立場を変幻させている限り、メディアは戦争を抑止できない」。「戦後日本で、安全保障に関する報道のバランスと質が今ほど問われているときはない」。「あらゆるメディアを通じ、国境を超えて「戦争を許さない民意」の発信が今こそ求められている」。

 「中央」との差は、戦争に巻きこまれる恐れを身近に感じているかどうかだ。本書から、八重山諸島の人びとにとって、いかに戦争の危機が迫っているかが伝わってくる。本書「はじめに」は、「沖縄からは「日本」がよく見える。なぜか」という問いかけではじまる。つづけて、「地理的に国家の周縁部に置かれながら、政権中枢の利害に直結する役割を担わされているからではないだろうか」と答えている。「国益」は国民の生活を守ることが大前提である。かつて国益のために国民を犠牲にするという本末転倒が起こったことを、日本人の多くは忘れていないだろう。だが、その国民のなかに周辺部で生活する人びとが含まれていることに気づいていない人が、あまりに多いのではないだろうか。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
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早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~)全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

伊藤絵理子『清六の戦争-ある従軍記者の軌跡』毎日新聞出版、2021年6月20日、190頁、1500円+税、ISBN978-4-620-32686-3

 「「新聞が戦争に加担した」というのは、疑いようのない事実だ」、「戦時中の新聞記者は何をしたのか」を問うた現役の記者(著者)が、戦時中の身内の記者(曾祖父の弟の清六)の言動を通して、自分自身に「自分だったら何ができただろうか、どう振る舞えたのだろうか」と問うようになっていった。

 著者、伊藤絵理子とともに苦闘した様子を、上司の磯崎由美は「刊行にあたって」で、つぎのように述べている。「当時の新聞社について調べるほど、私たちは戦争をあおり、部数拡張につなげていく露骨な報道に憤りを覚えた。いくら悲惨な最期を遂げたとしても、清六を単なる犠牲者としては書けない。だが私たちにどこまで清六を断罪できるのか。そんなやりとりを2人で何度繰り返したことだろう」。「記者個人の「罪」とは何か。もし自分たちが当時の記者であったなら-。悩み続けるうちに、これは答えの出る問いではなく、考え続けていかなければならない問いなのだと気づいた」。

 「そうして浮かび上がってきた清六の姿は、言論統制下の戦時中にとどまらない普遍的なテーマを私たちに突き付けてきた。それは、「自ら属する組織の中で、個人はどう葛藤し、そう振る舞えるのか」ということ。そして「いつどんな時でも、記者は報道の中立性を守り抜くことができるのか」ということだった」。

 本書を書くことができたのは、限られているとはいえ新聞社に資料が保管されていることはもちろんのことだが、「貧しい農村」生まれの清六の生家に「伊藤文庫」と呼ばれている別棟が存在していることで、清六の生い立ちがわかったからだ。さらに、毎日新聞社が占領地マニラで発行した『マニラ新聞』にかんする2冊の本が、当時の速記記者と編集局長の息子によって、それぞれ1994年と95年に出版されていたことも助けになった。

 本書で新聞記者の戦争責任が問われているが、欠けているのは戦後責任だ。本書では、敗戦後、経営陣の戦争責任が追及され、「終戦直後の8月末、奥村信太郎社長らが退陣した。次いで11月、副部長以上の管理職を一新した。翌1946年2月には、「言論の自由独立」を掲げた憲章も制定されている」と述べた後、「だが軍と一体化した報道や、それによる部数拡張などの検証が充分に行われたわけではなかった」とだけしか書かれていない。

 経営陣だけでなく、新聞報道そのものの責任を検証する機会はその後も何度もあったはずだ。だが、1952年に日本が主権を回復し戦前・戦中の権力が復権したときも、60年安保や70年安保のときも、80年代に教科書問題、従軍慰安婦問題、首相の靖国神社公式参拝問題など一連の歴史認識問題が起こったときも、報道の戦争責任を問うことはなかった。なぜなのだろうか。80年代には、報道に携わる者のほとんどが、敗戦時に成人に達していなかったか、戦後生まれに変わっていたにもかかわらず、報道のあり方を問う者はいなかった。敗戦直後から「終戦」ということばが使われ、本書でも使われている。「敗戦」という意識さえ、ずっとないまま今日にいたっているのだろうか。

 本書では、敗戦後の毎日新聞本社の動きを、つぎのように伝えている。「11月、「臨時外地関係終戦事務局」を発足させた。事務局員は全国各地に足を運び、帰国した軍関係者や民間人など百数十人に会って、殉職社員の最期の状況について聞き取りを行った。また、国外に残る約400人の社員の引き揚げ対策や、遺族や未帰還者の家族の支援にも当たった」。フィリピンで殉職した社員の悲惨さなどを知ったにもかかわらず、そこからなにも学ばなかったのだろうか。

 「答えの出る問いではなく、考え続けていかなければならない問い」だと気づいたのであるなら、関係者がすでに亡くなって問うことのできなくなった戦争責任だけでなく、まだ問うことができる存命者のいる戦後責任についても問う必要がある。本書の続編で戦後責任を問うことによって、「自分だったら何ができただろうか、どう振る舞えたのだろうか」が、ほんの少し、みえてくるのではないだろうか。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~)全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

藤原辰史『食べるとはどういうことか-世界の見方が変わる三つの質問』農山漁村文化協会、2019年3月1日、1500円+税、ISBN978-4-540-17109-3

 本書は、「2018年3月27日開催の座談会「藤原辰史先生と語る『食べること』『生きること』」(共同企画:パルシステム、農文協)で収録した内容をもとにまとめ」たもので、参加者、企画者については、「この本ができるまで」で、つぎのように紹介されている。

 「登場人物である8名の参加者は、パルシステム組合員・職員の家庭のお子さん(中学生・高校生限定)から募集し」、「昼食の時間には、参加者全員で産直米のおにぎりを握り、豚汁を食べながら、3時間にも及ぶ熱いトークが繰り広げられ」た。パルシステムは、「首都圏を中心とする12都県へ食材などを宅配する生活協同組合のグループです」。

 座談会では、著者の藤原辰史が12-18才の8人の中高生(実際には4月からの中学生を含む)に問いかけた、つぎの3つを中心に話が進んでいく:「いままで食べたなかで一番おいしかったものは?」「「食べる」とはどこまで「食べる」なのか?」「「食べること」はこれからどうなるのか?」。

 第一の問いにたいして、著者は、「「食べる」はネットワークに絡めとられている」の見出しのもと、つぎの3つにまとめている。「一つ目に、「食べる」とは、その瞬間の満足で終わらないということです」。「二つ目に、「食べる」とは、一人ぼっちで完結する行為ではないことです」。「三つ目に、「食べる」とは、味覚だけでなく、さまざまな感覚が一緒に働く行為」です。「つまり、食べることは、いろいろな関係性の網の目のなかに絡めとられているもので、とてもその一瞬だけを切り離すことができない行為なのです。「おいしい」という感覚も」、「十分に表現尽くすことなどできません」。

 第二の問いにたいして、「食べることについての二つの見方」の見出しのもと、2つの極端な見方を示している。「一つ目は、人間は「食べて」などいないという見方です。食べものは、口に入るまえは、塩や人工調味料など一部の例外を除いてすべて生きものであり、その死骸であって、それが人間を通過しているにすぎない」。「二つ目は、肛門から出て、トイレに流され、下水管を通って、下水処理場で微生物の力を借りて分解され、海と土に戻っていき、そこからまた微生物が発生して、それを魚や虫が食べ、その栄養素を用いて植物が成長し、その植物や魚をまた動物や人間が食べる、という循環のプロセスと捉えることです。つまり、ずっと食べものである、ということ」。

 第三の問いは、すでに進行中の「一日一回で済むクッキーのようなものになること、栄養素満点のゼリーやムースになること」にたいして、「噛むこと、共に食べることの意味」の見出しのもと、噛むことの重要性をつぎのように指摘している。「人間は噛みます。脳内に血が巡ります。しかしそれだけではありません。噛むと食事中に時間が生まれます。この時間が、食事に、「共在感覚」、つまり「同じ場所に・ともに・いる」気持ちを生み出すのです。この遠回りの行為が、給油のように直接消化器官に栄養補給しないことが、人間を人間たらしめているように思えます。たとえば、食材である生きものやそれを育ててくれた農家や漁師のみなさん、あるいは、料理をしてくれた人に対して感謝の気持ちをもつことも、人間ならではの感覚だと思うのです」。

 専門書より、一般書を書くことのほうが難しい。本書は、さらに12-18才が相手である。著者は、「普段、いかに自分は研究者のあいだでしか流通しない言葉に頼っていたのか、しかも、その言葉をどこまで深く追求してきたのか、反省させられました」と述べている。そして、「アフタートーク」で「子どものほうが哲学の近くにいる」という見出しを立てている。研究者は、「専門用語」に安住して、哲学的思考を停止しているということで、著者は「十代の参加者の発言から知的興奮を受けました。知的興奮は学問の基本、極めて原始的な動物的な感覚だと思います」と述べている。

 さらに、つぎのように述べて本書を締め括っている。「座談会に参加した十代の人たちの目の端に野性味が宿り、口元に知的興奮の跡をみつけることができたのは、やはり、この身体感覚が期せずして共鳴したからだと思います。みなさんもぜひ、日頃酷使している自分のからだの音に耳を澄まし、からだが発するメッセージを誰かと共有してみてください。そうすればもう、永遠にクリアはできないかもしれないけれど、この上ない知的快楽をもたらしてくれる学問の世界から抜け出せなくなるでしょう」。

 著者は、これでまた学ぶ領域を広げ、読者対象を広げた視野で、「学問」を論じることができるようになった。企画者は、若い世代に学んでほしいと思ったのだろうが、「先生」である著者のほうが多くを学んだのかもしれない。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~)全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

ディー・レスタリ著、福武慎太郎監訳、西野恵子訳『スーパーノヴァ エピソード1-騎士と姫と流星』上智大学出版、2021年7月10日、391頁、2800円+税、ISBN978-4-324-11030-0

 いくつか驚いているうちに、物語のなかに吸い込まれていった。1991年にアメリカの首都ワシントンDCのインドネシア人留学生の科学的議論のなかで、物語が作り出されるところからはじまり、10年後舞台をジャカルタに移して小説がはじまる。科学的議論をしているのはゲイのカップルで、物語がはじまると主人公として不倫カップルや高級娼婦が登場する。イスラーム教徒が大多数を占めるインドネシアで、こんな物語が書けるようになったのも、1998年のスハルト政権崩壊後の民主化の影響だとわかっていても、半信半疑で読みはじめた。

 監訳者の「解説」によれば、25才で作家デビューした著者のディー・レスタリは、「大学で国際関係論を専攻し、在学中にアイドル・グループのメンバーとしてデビューした華やかな経歴」をもつという。

 書いたほうが書いたほうなら、発売35日間で1万2000部が売れたという読者数にも驚く。発売翌年には英語訳が出版され、以後、2016年に完結編がでる6部作になった。

 物語を生み出す側と物語のなかでの登場人物の言動との関係は、「解説」でつぎのように説明されている。「本作品の登場人物であり、この物語を構想するレウベンは、数学、量子力学など科学的知識を駆使し、恋愛小説の形式をとって彼の理論を表現しようとする。レウベンは、パートナーのディマスと対話しながら執筆を進め、当初は小説世界を制御しているつもりだった。しかし途中から、物語は彼らの思惑を越えて自ら歩みはじめ、そして急速度で展開してゆく。この物語の展開と結末は作者であるレウベンにもわからない。そして最後に、彼ら自身も、より大きな物語の一部であることに気づくことになる」。

 物語は性的問題を越えて、「想像を超えた人類、生命の普遍性に近づこうとしている」ことを、つぎのように解説している。「『スーパーノヴァ』は、イスラームの規範が支配的なインドネシアでの男女の不倫を、ゲイのカップルが物語るという設定から、性的マイノリティ、性的規範を主題としているかのようにみえる。しかし、ここにディー・レスタリが仕掛けたパラドクスが潜んでいる。特殊な環境における特殊な恋愛を描いているにもかかわらず、最終的に私たちは、そこに何度となく人類の歴史の中で語り継がれてきた普遍的な愛のかたちを見出す。逆に、そうした普遍性の中にこの物語を位置付けることで、同性愛や不倫など、制度から逸脱した恋愛もまた、人々の織りなす愛のフラクタルの一部であることをレスタリは示してみせるのである」。

 本小説は、間違いなくインドネシアの作品である。それは、インドネシア人にしかわからない訳注があるからだけではない。インドネシア人にしかわからない深層世界に踏み込んでいるからである。しかし、そのなかにグローバル化のなかでインドネシア人以外の読者にも共鳴できる部分があり、インドネシア人の若者の共感を得てインドネシア語で表現できるようになった。

 解説者は、そのあたりのことをつぎのようにまとめている。「レスタリは、作中作小説という形式を利用し、物語の創造主としての立場をレウベンたちから奪う。物語を書くという営為に対する作者の主体性の消失をレウベンたちが経験しているのだが、その経験はそのまま本作品の創造者であったレスタリにももたらされる。レスタリ自身もまた、人類史の中で語り継がれてきた神話を、現代のインドネシアという空間で、インドネシア語で表現しているにすぎないのである」。

 本小説の冒頭部分でレウベンたちがいたワシントンDCのウィスコンシン通りに、その10年前の1981年にわたしはいた。文書館のコピー代にあてるためにバス代を節約して、とぼとぼ歩いていた。だが、10年後のインドネシア人留学生に、そんな安っぽい雰囲気はない。本書の登場人物は、インドネシア人読者にとって、とくに若者にとって、近くはないかもしれないが、遠くもない存在なのだろう。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
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早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
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