早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2021年10月

レオ・チン著、倉橋耕平監訳『反日-東アジアにおける感情の政治』人文書院、2021年8月10日、265頁、2700円+税、ISBN978-4-409-24137-0

 「日本はなぜ恨まれるのか?」と、本書の帯で問いかけられている。つづけて、つぎのように本書を要約している。「近年アジアで繰り返された「反日デモ」を見るたびに、多くの日本人はこう感じたのではなかったか。「なぜいまだに我々は憎まれるのか?」と。本書はその要因を、戦後日本の脱植民地主義の失敗と、グローバル資本主義による東アジアの成長、そしてそれらの事態に対する日本社会の徹底的な無知にみる。台湾に生まれ、日本に育った著者が、東アジア全域をフィールドに日本への複雑な感情を多様な切り口で描き出し、対話と和解への道を探る」。

 本書の目的を、著者は「日本語版への序文」で、つぎのように主張している。「この『反日』という本は、「日本」に対する命題でもなければ、「日本」を邪魔者から守るためのものでもない。東アジアにおける帝国日本の記憶に対する感情、感覚、その他の情動的態度の分析である。私の主な主張は、帝国日本の脱植民地化の失敗と近年のグローバル資本主義下での中国の台頭が、東アジア地域における反日・親日主義の高まりに寄与したということである。私がいわゆる大衆文化に注目したのは、それが公式の言説とは異なり、集団的な不安、欲望、空想が投影され、想像され、演じられる場所を構成していることに由来する。ナショナリズムの感情が噴出する権威主義的な体制への世界的な転回は、グローバル資本主義による絶え間ない剔出と評価によって引き起こされた、継続的な収奪と転位の結果だと言えるだろう。「家族」「国家」、そして「原初的共同体」、こうした古い頼みの綱が、自分たちがコントロールできない大きな力のなかで、個々の存在を意味あるものにしようともがく人たちにとっての精神的な拠り所となっている。歴史的な記憶や激しい感情は、しばしば争いが宣伝され、交渉され、抵抗され、止揚される舞台となる」。

 本書は、日本語版への序文、まえがき、序章、全6章、エピローグ、訳者解題などからなり、「中国、韓国、台湾の三つの東アジアにおける反日主義(およびその構成的他者である親日主義)」をテーマに構成されている。その際、文化的表象に重点を置いて、「ポストコロニアリティpostcoloniality」と「センチメンタリティsentimentality」という概念を通じて検討を進める。植民地における独立運動によって帝国が滅んだフランスとイギリスとは異なり、帝国日本の瓦解は敗戦によってもたらされた。この特殊な帝国の終焉は、脱植民地化の失敗に寄与する二つの帰結をもたらした。第一に、二つの原爆投下とその後の占領は、日本人にとってアメリカ人の手によってもたらされた圧倒的な敗北であり、それは、中国人ではなくアメリカ人に負けたという認識をもたらした。第二に、東アジア地域において日本の帝国主義が及ぼした問題や脱植民地化の問題は、日本の敗戦と戦後の非武装化に取って代えられたとまでは言わないけれども、ひとまとめにされた」。

 各章は、「序章 東アジアの反日主義(と親日主義)」の最後で、つぎのようにまとめられている。「第1章「ブルース・リーとゴジラが出会う時-帝国横断的キャラクター、反日主義、反米主義、脱植民地化の失敗」では、『ゴジラ』(1954)の象徴的な反米主義と、ブルース・リーの『怒りの鉄拳』(1974)の象徴的な反日主義が、戦後の東アジアにおける脱植民地化の失敗を特徴付ける欲望と幻想の二つの軸を構成していることを議論する」。

 「第2章「「日本鬼子」-中国における反日主義の条件とその限界」では、現代の日中関係の一例を中国大衆文化における蔑称「日本鬼子」から分析する。私は日本鬼子の表現を四つの歴史的契機に位置づけている。中華思想的帝国の末期、帝国主義の最盛期、社会主義ナショナリズム、社会主義後のグローバリゼーションがその四つである」。

 「第3章「恥辱の身体、身体の恥辱-韓国の「慰安婦」と反日主義」では、性的暴力に関する恥辱の感情にとりかかる。そこで私は、身体の比喩と恥の感情を通して「慰安婦」を描いたピョン・ヨンジュのドキュメンタリー三部作を分析する」。

 「第4章「植民地時代へのノスタルジアまたはポストコロニアル時代の不安-「光復」と「敗北」のはざまにいるドーサン世代」では、「反日主義に関する他の章とは異なり」、「台湾のかつての被植民者によって示されるような、日本の植民地主義にたいするノスタルジーと親密性の感情を探る」。

 「第5章「〝愛という名のもとに〟-批判的な地域主義とポスト東アジアの共生」では、私は、(略)戦後ポストコロニアル時代の東アジアにおける愛の四つの表現、または愛の政治的概念の具体化について説明する」。

 「第6章「もう一つの和解-親密性、先住民族性、そして台湾的な異相」では、津島佑子の小説『あまりに野蛮な』(2008)とラハ・メボウのドキュメンタリー映画『サヨンを探して』(2010)を読解し、植民地時代のナラティブと、妥協と解決という国家中心の政治の両方を退かせる世代間の和解について議論する」。

 そして、「エピローグ 反日主義から脱植民地デモクラシーへ-東アジアにおける若者の抗議運動」で、2014-15年にかけて東アジア各地で生起した「学生主導の大規模なデモ」を、「東アジア地域という枠組みから捉え直し、反日主義への代替案を提案」して、つぎのように主張している。「これらの運動は、政治的ビジョンや各国の状況が異なるにもかかわらず、アジア間の対話と活動に貢献できるような、国境を越えた地域的な政治的主導権を形成する可能性がある。第一に、三つの運動に共通する二つの特徴について述べたい。最初の特徴は、大衆文化の重要性である。大衆文化は、この地域での対話と相互参照関係のための共通文法を提供している。次の特徴は、若者の間に中国の台頭に対する懸念と不安定性の感覚が共有されていることである。第二に、戦後資本主義体制において、とりわけ日本における植民地問題を覆い隠している民主主義の共犯性を問い、そこに挑戦しなければ、運動がリベラリズムとナショナリズムの限界を超越超克することはできない、ということを私は主張する。要するに、反日主義から民主主義の脱植民地化への言説を転換させることが必要なのである」。

 最後に、つぎのように述べて結論としている。「反日主義は、中国の台頭と帝国日本が残した未解決のままの帝国と植民地の遺産によって示される東アジアにおける構造的変化の兆候である。この帝国変遷の時期には、アメリカの覇権の衰退も含まれるが、しかしその圧倒的な軍事力とともにあるのだ。中国の野望を過小評価することはできないにせよ、日本がなすべきことは、東アジアの和解と未来に向けた対話を始めるために、脱帝国化のプロセスに真摯に取り組むことである。それは、反日・親日主義に向き合うことに他ならない」。

 本書は、これまでの中国、韓国を中心とした「反日」にたいして、「親日」台湾を加えたことで、「東アジア全域」を論じている。しかし、その「東アジア」のなかに、1942-45年に帝国日本の占領・影響下にあった「東南アジア」は入っていない。エピローグで取りあげられた台湾、香港、日本の若者の抗議運動は、その後タイやミャンマーでも起こっている。「反日・親日」を語るとき、東南アジアを加えると、より現代の問題に向きあうことができるように思う。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
近刊:早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、412頁、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

伊藤康宏・片岡千賀之・小岩信竹・中居裕編著『帝国日本の漁業と漁業政策』北斗書房、2016年10月21日、346頁、3000円+税、ISBN978-4-89290-039-6

 本書のキーワードは「帝国」、そしてその政策である。それをポジティブにとらえるか、ネガティブにとらえるかで、ずいぶん違ってくる。そして、それを戦後の日本漁業に結びつけることによって、今日日本が置かれている「漁業」がわかり、とるべき「政策」がみえてくることだろう。本書は、その歴史的基礎となる。

 本書は、2007年に設立された水産史研究会が10周年を迎えるにさいして企画された。水産史にかかわるすべての事項、時期を対象とする研究会で、「比較的報告の多い近代の水産業をまとめ」たものである。

 その近代(明治初年~太平洋戦争)の漁業は、つぎのように「はじめに」でまとめられている。「一言でいえば近代化=資本主義化の過程であった。漁業法制が確立し、目覚ましい漁業技術の発展があり、資本制生産様式が普及し、生産高は高まり、水産物市場が国内外とも拡大した。漁業の近代化によって日本は世界最大の漁業国となったが、漁業は沿岸、沖合、遠洋に、漁業制度は沿岸漁業における漁業権制度と沖合・遠洋漁業における許可制度で構成された。漁業経営体は広範な自営漁民の存在、賃労働者の形成、中小資本漁業の台頭と躍動、特定漁業を独占する巨大漁業資本成立といった重層構造が形作られた。漁業の近代化は日本社会の近代化を基盤としており、漁業政策によるところが大きいことはいうまでもない」。

 本書は、企画にあたって、2つの点に留意した。「1つ目は、対象地域を日本の植民地・半植民地を含めた帝国日本の版図としたことである。従来の水産史研究は、帝国日本の水産業全体のなかで植民地・半植民地漁業が正当に位置づけられ、扱われてこなかったという反省に基づいている。帝国日本の版図は拡大し、植民地・半植民地に内地の漁業が移植され、内地の漁業政策が準用された。千島・樺太交換条約に始まり、日清戦争による台湾領有、日露戦争による樺太割譲、関東州の租借権獲得、日露漁業協約による露領出漁、韓国併合、第一次大戦の結果、日本の国連委任統治領となった南洋群島では日本人漁業が主導的役割を果たし、内地への水産物の供給基地、水産物の需要地となった」。

 「2つ目は、本書を総論と各論の2部で構成し、総論では時期を3期の発展段階に分けて、漁業の近代化過程を概説したことである」。総論は、つぎのように時期ごとに要約されている。

 「「Ⅰ.近代漁業への模索」(伊藤康宏)は明治初年から資本主義の萌芽期にあたる1900年頃までを対象とし、沿岸漁業は転換期を迎え、慣行を基礎とした漁業制度が確立する時期である。水産業の発展は、無動力漁船段階にあって、西欧技術の導入と在来技術の改良発展が並行しつつ、新旧漁法の交替、定置網漁法や養殖技術の改良が進行した。水産業振興策として博覧会・共進会の開催、巡回教師制度の創設、水産調査の推進があった。漁業制度では、海面官有・借区制を布告したが、混乱が生じたので借区制を取り下げ、慣行漁場利用に基づくものとした。その後、各府県ごとの資源保護措置、漁業組合準則による漁業調整がとられ、さらに旧明治漁業法の制定で漁業権制度が確立し、その管理主体としての漁業組合の設立をみたことが概説されている」。

 「「Ⅱ.近代漁業の成立と展開」(小岩信竹)は1900年頃から第一次大戦終結までの資本主義の成立・発展期が対象である。漁業では綿糸漁網の普及、動力漁船の登場、沖合・遠洋漁業の形成と許可制度の制定、露領漁業の発達、水産物流通・加工では製氷・缶詰技術の発達、工場制機械生産の出現、中国向け輸出から欧米向け輸出への転換が進んだ。本論では漁業人口、漁業生産高、漁船数の動向を概観し、技術発展では各府県水産試験場の設立、漁船の動力化、綿糸漁網の機械編みを、漁業政策として遠洋漁業奨励策と明治漁業法の制定と植民地への準用を取り上げた」。

 「「Ⅲ.近代漁業の再編」(片岡千賀之)は第一次大戦から昭和戦前期が対象で、第一次大戦戦後不況、昭和恐慌、軍国主義化を強めながら日中戦争、さらに太平洋戦争へと突き進む波乱の時代である。漁船動力化の普及、漁業組合の経済事情の進展、卸売市場の整備、植民地漁業の本格的発展、金輸出再禁止以後の水産物輸出の拡大、漁業経営体の階級・階層分解の急展開がみられた。日中戦争後は戦時体制が組まれ、輸出市場を喪失し、漁業生産力は急速に縮小した。本論では、漁業生産高、各種漁業の発展、外地の水産業、水産製造業、水産物流通と貿易の拡大、巨大漁業資本の形成、戦時体制下の水産業を要約している」。

 「各論は12章から構成され、テーマ別に「制度・基盤」(1~3章)、「北洋・北海道漁業」(4~6章)、「内地・植民地漁業」(7~8章)、「水産業振興・開発・人物」(9~12章)」に大括り」している。

 「帝国」がキーワードなら、「帝国」側の視点と、「帝国」の支配・影響下に置かれた側の視点の両方が必要である。後者の視点が加わると、戦後、今日がよりはっきりみえてくる。

 出版社の編集者が、充分に仕事をしていないことが気になった。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
近刊:早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、412頁、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

濱田武士・佐々木貴文『漁業と国境』みすず書房、2020年1月10日、375頁、3600円+税、ISBN978-4-622-08870-7

 本書「序」の見出し、「外国漁船にとり巻かれた日本近海」「「守り」の時代」「領土にからむ「問題水域」と漁業交渉」をみると、いかに日本の漁業が厳しい状況におかれているかがわかる。とくに、「第一章 外洋漁業の近現代史」「2 日露戦争による漁業権益の拡大」を読んだ後に、現状を考えると暗澹たる気持ちになる。

 本書の概要は、表紙裏に、つぎのようにまとめられている。「北方水域、日本海、東シナ海、南洋-日本とロシア・中国・韓国・北朝鮮・台湾などの国境水域と島々では、漁船の不法侵入や不法操業が収まらない。国連海洋法条約や二国間の漁業協定は締結されていても、海の国境線に関する合意は存在していないのだ」。

 「線を引くことも壁を立てることもできない海を舞台とする漁業は、繰り返される紛争と交渉で成り立ってきた。日本は領土問題では一歩も引けないが、国際関係の維持も優先せねばならず、漁業外交では不利な譲歩が続く。主権の及ぶ近海でさえ他国の漁船が許可なしに操業している」。

 「海は、かつては軍事、そして今も資源と領土ナショナリズムの最前線である。漁民は、戦前は植民地拡大の尖兵となり、戦時中は船とともに徴用され、戦後の食糧難の時期にはたんぱく源の供給を担った。外貨獲得・高度経済成長を支えたのも、世界の海に出漁した遠洋漁業であった。しかし現在は漁業人口・漁船数・漁獲量の減少が止まらず、労働力を外国人船員に依存している。国境水域での漁業は補助金なしには立ちいかない」。

 「本書は国際漁業関係史をふまえ、日本周辺水域の「海の縄張り」争いの政治・経済的な原理を明らかにする。領土問題が固定化して動かない現実のなかで、現場からの知見に立ち、漁業の未来への抜け道を示す」。

 本書は、序、全5章、終章、おわりに、などからなる。第一章「外洋漁業の近現代史」では、「富国強兵、殖産興業政策のもと、膨張主義路線を歩んだ明治以後の日本の漁業、すなわち欧米の技術のキャッチアップによって生産力を拡充し、領地、植民地、統治域を拡張しながら、日本人漁業を外洋、海外に広げたそのプロセスと、戦後隣国との漁業摩擦をみていきたい」という。

 「第二章からは水域ごとに、それぞれの章で完結するように綴」られている。第二章「北方水域-各国混戦の北太平洋漁場とロシアが重点化する北方領土」は、「北方水域である。日本からみた北方水域とは、北太平洋の高緯度水域またはオホーツク海やベーリング海も含む。主として北洋漁業から北方領土関連水域そして北太平洋沖合において日本漁業がどのような展開をみせて、外国との漁業摩擦がどのように発生したかを、北方領土問題との関係からもみていく」。

 第三章「日本海-竹島=独島と日本・韓国・北朝鮮の攻防」は、「もっぱら朝鮮半島との関係から日本海を対象にする。日韓、日朝の間でどのような漁業協定が結ばれ、どのような運営がなされたのかに着目したい。日韓の間では「竹島=独島」というセンシティブな問題が漁業でどう扱われているのかを描くことにする」。

 第四章「東シナ海-失われた日本漁業の独壇場と尖閣諸島問題」は、「東シナ海を対象とする。この水域は、日本と中国、韓国、台湾との間に挟まれている。さらに中国と台湾という分断国家との間で日本が漁業外交に関していかなる対応を図っているかについて論じていく」。

 第五章「南洋-アメリカの海は「中国の海」になるのか」は、「南洋を対象とする。南洋は今の日本からすれば国境水域ではないが、かつて日本の委任統治下にあった外地の水域でもあり、漁業権益がそこにあった。南洋に展開した外地漁業がどうなっているのか、その現状について触れた」。

 そして、終章「領土問題が固定化するなかで」では、「国境水域にみる漁業と国家の関係を考察し、漁民の未来に何がまっているのかを考え」、つぎのように述べて「結論」としている。「国境水域については、問題の捉え方を「国家」ではなく「漁民」という視点から組み立て直す必要がある。政府間で解決できるのならそれに越したことはないが、それが期待できない現実では、そこに委ねるしかない。日韓で行われているような民間交流や当事者間協議のやり方だけでは足りない。国境水域に生きる漁民として、国家を超えて理解しあえるかどうかが、問われている」。「政府間の協議が進んで共同管理化できないかぎり、残念ながらこれが唯一「漁民」に残された未来への抜け道である。ただ、隣国では漁船員の国際化が日本より早く進み、「漁民」という主体が変わりつつあるなかで、現実的には無理かとの懸念が大いにあるけれども」。

 「攻め」で漁業権益を拡大した日本の外洋漁業は、戦後多くを失い、「守り」に入った。「守り」で大切なことは、生活漁業と商業漁業を分けて考えることだろう。国家から切り離して、漁をする人から流通、料理する人まで漁業を職業とする漁職と、消費者の魚食まで、日本の食文化としての生活漁業を優先的に考えると、補助金の使い方も違ってくるだろう。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
近刊:早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、411頁、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

コ・ギョンテ著、平井一臣・姜信一・木村貴・山田良介訳『ベトナム戦争と韓国、そして1968』人文書院、2021年8月30日、371頁、3600円+税、ISBN978-4-409-51086-5

 戦争中の「虐殺」は、起こすはずがない普通の人びとが起こしている。わたしたちが戦争に反対するのは、自分が被害者になることを想定するからだろう。だが、もっと怖いのは、自分が加害者になって合法的にひとを殺すことだ。それも、武装した敵兵ではなく、無辜の非武装の民間人で、戦闘能力のない老人、女性、子どもたちをだ。本書で議論の対象としている、虐殺された村人も、複数の赤ん坊を含むそのような人びとだった。著者は、真相を追究しても、直接の加害者であった韓国軍兵を責めているようにはみえない。加害者をそこまで追いこんでいった当時の背景はなにだったのか、諸々の関係者から聞き出そうとしている。戦争をするということは、「加害者」という「被害者」を生むことになる。

 本書の概要は、帯の裏に要領よく、つぎのようにまとめられている。「本書は、ベトナム戦争時の韓国軍によるベトナム民間人虐殺事件に焦点を当て、ベトナム派兵を決定した朴正熙政権、米韓関係を中心とした韓国を取り巻く国際関係、さらに日本のベ平連によるベトナム反戦運動など、事件の実相とその背景について多角的分析を試みたものである。筆者は何度も現地に足を運び被害者やその遺族の証言に耳を傾けるとともに、ベトナム戦争に従軍した韓国軍人への調査も行い、戦争における被害-加害の両面を丹念に追いかける。さらに、民間人虐殺事件をめぐる謝罪や慰霊の問題にも言及することにより、戦争が残した爪痕の深さを伝え、戦争責任の問題をめぐる今日的な課題を提起している」。

 著者のコ・ギョンテは、「日本語版への序文-あの日のベトナム戦争史」で、本書をつぎのように紹介している。「この本は一言で言えば、「ある村から見たベトナム戦争史」です。舞台は、一九六八年二月一二日、ベトナム中部に位置するフォンニ・フォンニャット村(二つの村だが、実際には一つの村)。その日そこで、かたや軍人として、かたや住民として遭遇した両国の人びとに会っていきました。この出会いは二〇一五年に韓国語版が出版されてからも二〇一九年まで続きました。その日の詳細を描くことに本の半分を割きました。韓国軍によるベトナム戦争民間人虐殺の全犠牲者数九千人余り(一九九九年具秀姃博士の統計)に比べれば、この事件の犠牲者七四人はごく一部の数字です。一部にスポットライトを当てて全体を描こうとしました。カメラアングルに例えれば、「ズームイン」です。韓国軍派兵の裏面と朝鮮半島の南北対立状況、米韓関係、アメリカやヨーロッパの「六八年革命」を越え、チェ・ゲバラの最期にまで触れました。「ズームアウト」により、一つの村で起きた事件の世界的な因果関係を探求しようとする意図でした。もちろん、ここにはスペクタクルな日本の反戦運動も含まれます」。

 本書は、プロローグ、全6章、エピローグ、補論などからなる。それぞれの章のタイトル「二つの戦線」「ガジュマルの木の虐殺」「復讐の夢」「海兵の日々」「偽装と特命」「チェ・ゲバラのように」から多角的な視点がわかるだろう。

 筆頭訳者、平井一臣の「解説」では、本書の特徴をつぎの4つに整理している。「第一の特徴は、韓国社会に衝撃を与えたベトナム・キャンペーンから二〇年を経た現在まで、著者の持続的な調査の成果が反映されている点である。コ氏は、しばしばベトナムに足を運び、犠牲者たちへの聞き取りを行い、同時にベトナム参戦韓国軍人へのインタビューや、アメリカの公文書館での調査など、事件の真相とその背景を明らかにするための広範囲の調査を行っている。鋭い問題意識と精神力かつ粘り強い調査活動は、優れたジャーナリストのひとつのあり方を示していると言えるだろう」。

 「第二の特徴は、コ氏の持続的な調査の中心が、フォンニ・フォンニャット村の虐殺事件の真相究明にあるのは当然であるが、本書はそれにとどまらず、事件の関係者が事件後に歩んだ歴史についても多くの頁を割いて記述している点にある。身体の傷のみならず、精神的な深い傷を負いながら、彼ら彼女らがどのような生活史を編んでいったのか。南ベトナム民族解放戦線のゲリラ活動に入っていった者、南ベトナム共和国側の人間として見られ戦争終結後全く補償を受けることができなかった者など、被害者とその遺族と言っても一括りにはできない歩みがあったことが明らかにされている。また、参戦軍人については、第一小隊長として事件現場を通過したチェ・ヨンオンに対して、彼の死の直前まで何度もインタビューを行っており、ベトナム参戦韓国軍人のベトナム戦後の複雑な歩み(たとえば、チェ・ヨンオンの弟は同じくベトナム参戦しており、枯葉剤後遺症に苦しめられる)に言及もしている」。

 「第三の特徴は、一九六八年二月一二日のフォンニ・フォンニャット村の事件に焦点をあてながら、この事件を同時期のベトナム戦争をめぐる世界史的な動向のなかで考察している点である」。「本書は、六八年一月の北朝鮮特殊部隊による青瓦台襲撃未遂事件、プエブロ号事件をめぐる韓米関係・米朝関係、同時期の日本の反戦市民運動団体・ベ平連(ベトナム[に]平和を!市民連合)による脱走兵支援運動に対する韓国政府の対応など、朝鮮半島とベトナムを取り巻く東アジア情勢にもかなりのスペースを割いて言及している。それは、フォンニ・フォンニャット村虐殺事件についての韓国政府の対応に、当時の東アジア情勢が影を落としていたからである。その意味で本書は、朝鮮半島から見た一九六八年研究として読むこともできる」。

 「本書の第四の特徴は、国家暴力と人間をめぐっての歴史的考察を試みている点である。ベトナム戦争における最も有名な民間人虐殺事件は、米軍が引き起こしたミライ(ソンミ)事件である。私たちは、ベトナム戦争のみならず、世界中の戦争で虐殺や性暴力などの多くの非人道的な事件が起きたことを知っているが、フォンニ・フォンニャット村事件もまた、そうした事件の一つであるのは疑いない。しかし、コ氏はさらにもう一本の補助線を引く。本書の中で彼は、一九四八年四月の済州四・三事件と一九八〇年五月の光州事件に言及し、韓国現代史の縦糸の中にベトナム戦争時の民間人虐殺事件を位置づけている。すなわち、戦時という特殊状況には限定できない、国家というものが有している暴力性こそが事件の根源にあるのではないかというコ氏の問題意識をそこから読みとることができるのである」。

 著者は、「日本語版への序文」の最後で、日本人読者に、つぎのように呼びかけている。「ベトナム戦争の民間人虐殺は、韓国人たちにとって鏡です。不都合な鏡であり、有用な鏡です。罵りながら鏡を壊す人もいました。見る人の偽善と二面性を映し出すからです。鏡は、「まずは君からしっかりやれ、自分の顔から見つめ直せ」と語りかけます。朝鮮半島に対する植民地加害国の一員として鏡の前で自ら省察する日本の読者の皆様。いま韓国人がもたらしたこの鏡の記録の前に立ってくださることに尊敬の念をお伝えします。最後まで興味を持って読んでいただければ幸いです」。

 さて、日本人は、この呼びかけに応えて、加害-被害の関係を超えて、「戦争」に向きあうことができるだろうか。すくなくとも1967年生まれの著者より若い世代が充分な知識をもって、著者らと対等に議論できると、日韓関係も好転に向かうのだが・・・。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~)全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

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