早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2022年01月

高嶋航『スポーツからみる東アジア史-分断と連帯の二〇世紀』岩波新書、2021年12月17日、264+8頁、940円+税、ISBN978-4-00-431906-1

 まず最初に感じたのは、著者は本書を愉しんで書いたのだろうか、ということだった。「オリンピックにほとんど関心」がなく、「戦前期東アジアのスポーツを研究してきた」著者は、「東京オリンピック・パラリンピック延期発表後にメディアの取材を受けたとき、うまく答えられなかったことをきっかけ」に、「自分の専門と現在の状況を繋げられないことにもどかしさを感じ」、「東アジアという視点からオリンピックの歴史を書いてみようと(無謀にも)思い立った」。だが、政治的駆け引きばかりで、うんざりする記述がつづく本書執筆に、著者は愉しさを見出していたのだろうか。

 拙著『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』(めこん、2020年)を愉しんで書いた経験から、著者が愉しんで書かないと読者も愉しめないというおもいがある。海域社会の価値観からくるアセアン・ウェイを東南アジア競技大会を通して理解することが目的であったが、表紙に配した各大会のマスコットからなによりも東南アジアの人びとが大会を愉しんでいることを伝えたかった。競技レベルはオリンピックどころかアジア競技大会にもおよばない競技が大半で、大会運営にいたってはお粗末としかいいようがないのだが、1959年から初期に1度中止があっただけで、2年毎に2019年まで確実に30回おこなわれてきた(2021年ベトナム大会は22年5月に延期)。大会終了後には、いつも開催国も参加国も大成功だったと自画自賛し、選手・役員は2年後の再会を約して別れる。良くも悪くも東南アジアの人びとの人間味あふれる大会の様子を伝えることは、愉しかった。だが、本書からそんな愉しさは微塵も感じられない。

 「本書では二〇世紀初めから現在に至る東アジアのスポーツの歴史を、オリンピックやアジア大会などの国際競技会との関係から概観」し、三つのテーマで描いている。

 「まずは、①「分断と連帯(排除と包摂)」である。東アジアは冷戦によって分断される前に、すでに満洲国という分断を経験している」。「本書ではオリンピックとアジア大会、それぞれの運営組織である国際オリンピック委員会(IOC) とアジア競技連盟(AGF)での包摂と排除が主たる焦点となる」。

 「こうした視点が次に浮かび上がらせるのが、②「スポーツと政治」である。「スポーツと政治は別だ」という理念は、とりわけアマチュアスポーツで強調される」。「スポーツと政治の問題は、しばしば政治的差別という形で現れた」。「スポーツと政治の事例として、しばしば取り上げられるのがモスクワ五輪のボイコットである」。「日本オリンピック委員会(JOC)はこのときボイコットを選択し、その理由の一つに「アジアの連帯」を挙げた。なぜ「アジア」なのか」。

 「この問いは、とくに第二次世界大戦の敗戦国・日本が直面した③「世界とアジア」のテーマにつながる。JOCはオリンピック・ムーブメントに最も忠実な国内オリンピック委員会(NOC)と言われてきた。日本にとって世界とは「スポーツと政治は別」な空間であり、アジアとは「スポーツと政治は不可分」な空間であった」。「日本スポーツ界が直面したジレンマは、戦後日本が直面したジレンマそのものだったのである」。

 本書は、序章、全3章、終章などからなり、5つの章が時系列的に並んでいる。序章「戦前の文脈-一九一〇~一九四〇年代」では、「戦前の東アジアのスポーツ界を概観する。東アジアへのスポーツの伝播が西洋帝国主義の拡大の結果であったことは、東アジアのスポーツが最初から政治と密接に関わっていたことを意味する。実際、本書で検討する三つのテーマは、すでに戦前にそのルーツを辿ることができる」。

 第一章「分断のなかの政治化-一九五〇~一九六〇年代」では、「東アジアのスポーツは冷戦によって分断され、日中間でその壁を越える試みがなされはしたが、長続きはしなかった。一方で、この時代には第三世界で脱植民地化が進み、中国とインドネシアが中心となって既存の国際スポーツ界と激しく対立した。アジアにとって、国際スポーツ界はたんなる競技の場ではなかった」ことを描く。そして、「日本のスポーツ界が非政治主義の規範にしがみつくことができたのは、自らの特権的な立場に無自覚だったからである」と指摘する。

 第二章「中国の包摂-一九七〇年代」では、「文化大革命の影響で国際スポーツ界を去った中国が、一九七〇年代にアジアと世界のスポーツ界に包摂される過程を描く」。また、「スポーツの政治はこれまでおもに競技の外で繰り広げられてきたが、新たにアジアに包摂された国々は、南ベトナムやイスラエルとの対戦拒否などの形で、政治を競技場の中に持ち込んだ。そんなアジアに日本はとまど」い、「アジアから孤立した」ことに気づかされた。

 第三章「統合をめざして-一九八〇年代」では、「モスクワ五輪とロサンゼルス五輪の二度にわたる大規模なボイコットを経て」、「冷戦の終結にともない、包摂と排除という形のスポーツの政治は基本的に終わりを告げた」世界を描く。しかし、北朝鮮と台湾の問題は残った。「一九七〇年代にアジアスポーツ界の主役の場を奪われた日本は、北朝鮮の包摂を主導することで、自らの影響力を高めようとする。その結果生まれたのがアジア冬季大会であり」、東アジア競技大会であった。

 終章「東アジア大会の挫折-一九九〇年代以降」では、「一九九三年に第一回大会が開かれた東アジア大会は、二〇一三年の第六回大会で廃止され」、それにかわる東アジアユースゲームも台湾をめぐって紛糾して開催されない状況を描き、「スポーツは依然として東アジアの分断に悩まされ続けているのである」と結論している。

 帯にある「オリンピックは分断を越えたか?」という疑問にたいして、著者は「あとがき」冒頭でつぎのように答えている。「答えはイエスであり、ノーである。包摂と排除の観点からみれば、ポスト冷戦時代のオリンピックはすでに分断を越えたといえる。だが、東アジアのレベルでは、分断は厳然と存在する。また、本書でおもに扱ったのは国家の分断であったが、人種、階級、ジェンダーなどさまざまな分断がこの世界には存在する」。

 つづけて、つぎのように自問し、自答している。「オリンピックには友情や連帯を育み、平和な世界を実現する力はないのだろうか。この答えもイエスであり、ノーである。オリンピックがそうした理想を掲げることで、たとえ実態が伴っていなくとも、それが目指すべきものであることを広く共有させることができる」。

 本書でいう「東アジア」には東南アジアは含まれず、温帯の陸域の定着農耕民社会を基層とする東アジア諸国の政治的駆け引きに、熱帯の海域の流動的海洋民社会の東南アジア諸国が「おつきあい」している様子がうかがえた。人と人とのかかわりを重視する海域社会の人びとにとって、建前にこだわる人びとと「おつきあい」するのは疲れる。これでは「同意すれども実行しない」などと揶揄されるアセアン・ウェイで対処するしかない。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

石川幸一・馬場啓一・清水一史編著『岐路に立つアジア経済-米中対立とコロナ禍への対応-』文眞堂、2021年10月20日、253頁、2800円+税、ISBN978-4-8309-5130-5

 コロナ禍が長期化し、先行きが不透明な今日、今後を見据えて語ることは容易ではない。本書は、このようななかで現状を把握して判断し、行動しなければならない経済人にとって大いに頼りになる。まずは、本書を構想し、適切に執筆陣を選んだ編著者、およびその期待に応えた各執筆者に敬意を表したい。

 本書の概要は、帯につぎのように書かれている。「アジアは危機の中で何を目指し、どう変わるのか! 米中対立とコロナ禍の中、アジアの経済は未曽有の試練に立たされている。アジアはどこに向かうのか。さらなる経済連携の強化によってこの危機を克服し、新常態にソフトランディングできるのか。それともアジアの分断と停滞の始まりとなるのか。本書は、岐路に立つアジア経済の現状と課題、政策的な対応と今後の展望について様々な視点から考察」。

 本書は、はしがき、4部全16章からなる。各部は4章からなる。第Ⅰ部「米中対立に翻弄されるアジア」第1章「激変するグローバル経済におけるアジアの貿易構造」は、「世界経済におけるアジアの経済成長プロセスを政策的工業化に注目して考察したうえで1980年代以降東アジア地域の貿易プレゼンスの拡大が世界経済を拡大したことを指摘し、その輸出構造と競争力を分析している」。

 第2章「変容する米中経済関係の行方:米新政権の成立」は、「米中通商交渉第一段階合意の大半は発表・実施済事項の再確認の意味合いが強いこと、デカップリングは限界があることなどを指摘し、米中貿易戦争は米国経済に大きな負の影響を及ぼしたと論じている」。

 第3章「米中対立と5つのインド太平洋構想-重要な連携と協力」は、「日本、米国、豪州、インド、ASEANの5つのインド太平洋構想を検討し、法の支配、航行の自由、自由な市場、平和的な紛争解決など多くの共通点を持つが、日本は質の高いインフラなど経済開発を重視し、米国は米中間の競争という認識が強いと指摘し」、「5カ国地域の連携と協力が重要と論じている」。

 第4章「米中対立の新たな構図と日本の役割」は、「トランプ政権下の米中対立が新型コロナウイルスの感染拡大で経済問題から外交全般に拡大したことを指摘し、デカップリングを進める米国の対中規制が国防授権法など国内法に基づいておりWTO協定違反の恐れもあるとみて」、「米中をルールに基づく多国間の枠組みに取り込むことが必要であり、メガFTAの重要性が一段と増していると論じている」。

 第Ⅱ部「パンデミック(コロナ感染拡大)の影響」第5章「コロナ禍で高まる対中貿易依存リスク-経済的相互依存関係の危機」は、中国でのコロナ感染拡大による都市封鎖で自動車産業や電子機器のサプライチェーンの混乱、中国に供給を過度に依存しているマスクの世界的な供給不足が起こり、感染一服後は中国は医療品外交を展開したが、品質問題などから中国製品、中国政府への信頼を損ねたと指摘している」。「過度な中国依存は中国の圧力を強めるリスクであり、低コストよりも信頼性の高いサプライチェーンを構築することが政治的に優先されると論じている」。

 第6章「コロナ禍と米中対立が韓国に促すチャイナ・プラスワン」は、「経済の対中依存度が極めて高い韓国では2020年にワイヤーハーネスの輸入が中断し自動車メーカーが操業停止するなど対中輸入依存の脆弱性が露呈したと指摘している」。「米中対立の中でどちらか一方への肩入れを回避する必要が生じており、中国に代わる製造拠点であるベトナムの人件費も上昇しているなど韓国企業は数々の事業リスクに直面していると論じている」。

 第7章「コロナショックが与える東南アジアへの影響」では、「2020年の実質GDP成長率は2.9%のベトナムを除き大幅なマイナス成長になり、とくに観光などサービス産業の大きな影響を与えた」ことを教訓に、「ASEANは円滑な貿易の確保などを目的にハノイ行動計画を採択し、政策協調の枠組み作りに取り組みつつある」ことを紹介している。

 第8章「パンデミックに翻弄される外国人労働者」は、「パンデミックが日本で東アジア出身の外国人労働者が急増する過程で発生し、外国人労働者の生活に深刻な影響を及ぼしたが、外国人労働者数は前年並みに維持され、その背景には政府による雇用維持対策と生活支援があったと指摘している」。「人材育成と持続可能な社会を目指しアジアの経済連携を模索する観点からの検討が求められると論じている」。

 第Ⅲ部「アジアの経済統合の行方」第9章「保護主義とコロナ拡大化の東アジア経済統合-AECの深化とRCEP署名」は、「ASEANを中心にした東アジアの経済統合の発展、2017年以降のトランプ政権のTPP離脱と保護主義の拡大下でのAECの深化とRCEP交渉をレビューしたうえで保護主義およびコロナ感染拡大へのASEANと東アジアの対応を論じている」。

 第10章「双循環によりグローバル・サプライチェーンの形成を目指す中国-北京経済技術開発区の戦略的新興産業・集積の形成」は、「中国が外資導入政策と国内産業育成政策という産業政策の2つの軸により産業育成と集積を全土で実現したことを指摘し」、「八大戦略的新興産業育成と自由貿易試験区が融合して産業集積そして集積間のネットワーク形成により国内循環を形成し、国内循環が一帯一路共同建設とつながって国際循環を形成して双循環となり、グローバル・サプライチェーンを形成すると論じている」。

 第11章「医療物資貿易の現状と国際協調の必要性」は、「医療物資の国際供給拠点として東アジアが重要な役割を担い、日本を含む多くの国が中国に大きく依存していたことを指摘し、2020年に東アジア諸国によりとられた医療物資の輸出制限措置と輸入自由化・円滑化措置について整理し、輸出制限措置が貿易相手国と自国におよぼす経済的影響を考察している」。

 第12章「新型コロナ危機で問われた真のASEAN統合」は、「ASEANの新コロナへの対応は遅く、集団的行動がほとんどないと批判をされたが、ハノイ行動計画などにより貿易制限的措置の導入抑制で共同歩調を取ったと評価している」。「AEC2025の統合実現に向けての取り組みを軌道に乗せるにはASEANの集団行動が不可欠であると論じている」。

 第Ⅳ部「ニューノーマル(新常態)への模索」第13章「米中対立と新型コロナ禍を踏まえた中国の発展戦略」は、「米中貿易戦争が一時休戦となる中で拡大したコロナ感染を抑制し中国経済はV字回復を遂げたと指摘している」。

 第14章「デジタル人民元、中国の取り組みと展望」は、「中国が実証実験に取り組んでいるデジタル人民元について検討と考察を行っている」。「先進国と中国など新興国がどのような国際標準を構築していくのか、日本がどう参画していくのかがニューノーマルの模索となると論じている」。

 第15章「アジアのサプライチェーンと経済安全保障」は、「2018年~20年のアジアのFTA締結が活発であったこと、中国のCPTPP参加への積極姿勢は本気度が高いが具体行動には時間がかかること、バイデン政権は国内問題を優先しておりTPP復帰は中間選挙以降になることを指摘している」。

 第16章「コロナショックで加速するアジアのデジタル経済化」は、「プラス面とマイナス面を含め経済のデジタル化に関する視点を多くの事例を紹介しながら整理している」。「デジタル化のマイナス面として雇用への負の影響があり、個人情報保護やセキュリティ制度など課題が多いことを指摘し、行方の予想は困難であり注視する必要があると論じている」。

 以上を総括して、つぎのように本書のねらいをまとめている。「このようにコロナ危機、米中貿易戦争、その原因である中国の急速な影響力の拡大、RCEPなど経済統合の進展、デジタル経済化の加速などアジアは大きな経済と社会、国際関係などの変動のうねりの真っ只中にある。変化のスピードは速く、その先行きは不透明である。アジア経済はまさに岐路に立っているといえる。アジア経済の現状と問題を的確に把握し、変化と政策の方向性を探り、ビジネスと発展の機会をとらえ、リスクを回避することが求められている。そのための現状分析と考察に役立つことが本書執筆の狙いである」。

 当然のことながら、本書の「賞味期限」は長くはない。随時、改訂版が出されることを期待する。また、このピンチをチャンスに変える根本的な議論に発展させるのもいいだろう。安いものを求めるだけの消費行動、一時的に外国人労働者に頼る産業構造にも切り込む必要があるだろう。

 労働者については、潜在的労働をいかに活かすかがポイントになるだろう。100万人を超えるともいわれる引きこもり、充分な収入があって税金が増えるだけだと働かない元気な高齢者、扶養手当を気にして仕事量を抑える「主婦」、子育てが気になって仕事に出られないヤング・ママ、ときどき持病が出て責任のある仕事ができない人などなど、働きたくても働けない・働かない人びとがいる。そういう人たちが働ける環境をつくることが必要だろう。子どもが病気になったとき、その日の朝に血圧が上がったときや神経痛がひどいときなど、遠慮なく休めると仕事がしやすくなる。労働賃金を非課税で医療費にしか使えないボランティア医療ポイントにすると、老後を安心して働くことができ、社会に出ることでぼけ防止になり医療費の削減にもなる。細かいことを詰めていけば、いろいろな問題が出てくるだろう。本書の「現状分析と考察」から発展させて議論することはいくらでもある。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

西芳実『夢みるインドネシア映画の挑戦』英明企画編集、2021年12月26日、346+xix頁、2500円+税、ISBN978-4-909151-22-3

 丁寧につくられた本である。脚注はいうまでもなく、本文に登場する映像作品や監督などに関連する情報の参照箇所が→で示されている。巻末には、「本書で取り上げた映像作品一覧」が「邦題五十音順」と「原題アルファベット順」別にある。資料には、「監督紹介」「インドネシア映画研究ガイド」「インドネシア映画関連年譜」「観客動員数が100万人を超えたインドネシア映画(1999年~2019年)」がある。どれも丁寧に編集されている。

 本文も、第1部「インドネシアの夢と願いを映画にみる」「序論-一九九八年政変以降を中心に」はつぎの3章からなり、わかりやすい導入部になっている:「第1章 多彩なインドネシアを構成する民族と言語、風土と社会」「第2章 インドネシア映画史-一九二六年~一九九八年」「第3章 新生インドネシアの三つの挑戦を映画にみる」。

 この3つの挑戦が第2~4部の各部のテーマになっており、第1部第3章の冒頭でつぎのように説明している。「一九九八年の政変以降、インドネシア社会は民主化と自由化を進めて新しい社会をつくろうと取り組んできた。その過程では、過去に蓄積されてきた矛盾や弱さが露呈するのを受け止め、それをインドネシア社会全体のなかに位置づけ直して前に進むことも必要だった。こうして新生インドネシアを構想するにあたっては、考えなければならない三つの大きな課題があった」。その3つの課題とは、「権威に頼らず社会をまとめる-政府(父)-国民(子)関係の再構築」「世界、国内、個人の三層でいかに多様な信仰を実践するか」「国難の犠牲者を忘却から掘り起こし、国民として共有する」であった。

 本書で取りあげられた映画で語られた「夢と希望」は、「インドネシア」というコンテキストのなかにある。著者は、「おわりに」の冒頭で、「インドネシア」について、つぎのように語っている。「インドネシアは、西洋人の植民地支配の都合でたまたま引かれた国境線に囲まれた地域として生まれた。しかし、植民地支配や戦争を経験する中で、そこに住む人々は、自分たちは同じ運命を共有するかけがえのない一つの社会だと自覚するようになった」。「こうしてインドネシアという社会が想像されていく過程で、多文化・多宗教の共生や階級差がない社会など、当時の世界で考えられていた理想的な価値がインドネシアではどれも実現可能だと確信されていった。そして、インドネシアが国として発展していくことで、そこに暮らす自分たちがそれらの価値の実現という理想の状態に近づくとともに、世界も理想の状態に近づけるという夢が実現すると信じられていた」。

 そのようななかで、映画が担った重要な役割は、「インドネシアという物語の織り直し」で、「本書は、一九九八年以降のインドネシア映画がインドネシアという物語の織り直しにどのように挑戦して来たのかを、家族主義と父親の役割、規範意識と信仰・女性、国民の受難と地方の受難の三つのテーマから検討してきた」。

 そして、著者は「おわりに」で、4部全13章からなる本書の第2~4部の各章を要約した後、つぎのように述べて「おわりに」を閉じている。「インドネシアという物語の織り直しは今後も続いていく。フィクションと現実を結びつけ、それを他者と共有することを可能にする映像は、今後も夢みるインドネシアの推進力になるとともに、夢みるインドネシアの姿も映し続けることだろう」。

 だが、「目次」の後に掲載された「本書に登場する映画の舞台」の地図を見ると、ジャワ島に偏っており、「インドネシア」とは「ジャワ島」のことかという疑念が浮かぶ。著者は、そのことも充分承知していて、「あとがき」でそのことを含めて、本書をつぎのように総括している。「本書では、インドネシア映画の個別の作品の内容を紹介するとともに、全体で「インドネシア映画」という一つの物語として語ることを試みた。そのため、本書では、厳選した少数の作品を深く読み解くのではなく、国際映画祭に出品されるようなアート性の高い作品も、もっぱらインドネシア国内で上映されて外国の観客には存在も知られていないような作品も、幅広く取り上げている。インドネシアではジャンル横断型の作品も多いため、ジャンルに縛られずに本書の主題に照らして作品を取り上げた。また、インドネシアの映画制作が首都ジャカルタに偏重する傾向があることを踏まえて、ジャカルタやジャワではない地方の映画も取り上げるようにも心掛けた。ただし、百科事典にするのではなく、社会との関わりを踏まえたインドネシア映画の見取り図を示すことを目的としたため、本書で取り上げなかった作品もある」。

 ジャワ島に偏重していないことを示すためには、本書で紹介された映画の地方での観客数なども知りたいところである。1980年代に盛んに議論された国民国家・国民統合が、その後のグローバル化や地域主義の影響で、とんと語られなくなった。そして、いま「インドネシアという物語の織り直し」がおこなわれている意味を、国民の物語としてだけでなく考えてみたい。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
近刊:早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

大矢英代『沖縄「戦争マラリア」-強制疎開死3600人の真相を語る』あけび書房、2020年2月10日、221頁、1600円+税、ISBN978-4-87154-166-4

 「英代には戦争マラリアを学んだ者としての責任があるよ。それをどう社会に還元しながら生きるのか、考えないといけないよ」。著者が下宿した波照間島のおじいのことばである。

 「戦争マラリア」とはなにか。「はじめに」で、つぎのように説明されている。「戦時中、米軍が上陸せず、地上戦もなかった波照間島では、空襲など直接的戦闘による犠牲者はゼロだった。それなのに、なぜ大勢の住民たちがマラリアで病死したのか。調べてみると、それは住民たちがマラリアの蔓延する西表島のジャングル地帯へと移住させられたことが原因だった。しかも、日本軍の命令によって、強制的に」。「軍命による強制移住、それが引き起こしたマラリアによる病死。これが沖縄で「もうひとつの沖縄戦」と呼ばれてきた「戦争マラリア」だ」。

 おじいに「責任があるよ」と言わせた著者と「戦争マラリア」との過去10年間のかかわりは、「おわりに」でつぎのように述べられている。「この本の執筆にあたり、過去10年間の膨大な戦争マラリアの資料を読み返し、撮り溜めたインタビュー映像や動画を再生した。取材を始めた頃から書き始めた取材ノートは20冊以上にのぼっていた。そこには、ジャーナリストを目指して歩み始めた22歳の私自身、戦争マラリアを追って石垣島を駆け回っていた23歳の私、そして波照間で浦仲のおじいおばあたちと暮らし、サトウキビ農家になった24歳の私、そして報道記者として現場取材に明け暮れた私自身との対話でもあった。この10年間を振り返りながら、様々な思い出が駆け巡り、執筆しながら時に笑い、時に涙した。たくさんの人たちの「痛み」に触れる日々だった」。

 本書は、はじめに、全3章、最終章、おわりに、などからなる。第1章から最終章まで、時系列的に著者の体験を語りながら、「おわりに-みんなが生きてきた証を残す」に向かっていく。

 本書の結論は、「はじめに」でつぎのように述べられている。「日本軍がどのように住民たちを作戦に利用し、時に武器を持って戦わせ、そして住民たちが軍にとって「不都合な存在」となった時、一体何が起きたのか。戦後これまで語られてこなかった沖縄戦の最も深い闇を「スパイ」というキーワードで描いた。これこそが沖縄戦の悲劇であり、日本軍が展開した真の作戦であり、その中にマラリア有病地へと移住させられた波照間島の人々も飲み込まれていた」。

 体験者が「思い出したくもない」と言って取材拒否した2010年春、著者は「体験者たちとひとつ屋根の下で衣食住を共にしながら、人間関係を作りながら取材する必要がある」と思い、大学院を休学して12月から波照間島で暮らしはじめた。11年5月の取材ノートには、つぎのことばが書かれていた。「ドキュメンタリーを撮るということは、どうしても人を傷つけてしまう。それを一番私は恐れている。でも「心」というのは、きっと痛いという感覚がきちんといつも得られることが大切なんだ。麻痺して、何も感じなくなった時、心はきっと死んでしまっている。相手の立場で物事を考えていけば、相手の痛みも、私の痛みも、きっと必要最低限で済むと思う」。

 著者の被害者に寄り添う気持ちは、「加害者」である強制移住を指揮した者にも及んだ。体験者が「涙が出るほど憎たらしい」「あの人のせいで波照間みんな死んだのに…。殺せばよかった」と吐露した陸軍中野学校出の軍人にたいして、著者はつぎのように語っている。「戦時中、酒井氏は、私と同じ年頃の25歳の若者だった。戦後のインタビューで強制移住は「天皇陛下の命令だから」と平然と語っていたように、軍命を忠実に遂行した彼は、当時の軍の価値観で見れば非常に優秀な軍人だった。もし彼のように軍国主義の元で教育され、陸軍中野学校でゲリラ・スパイの特殊訓練を徹底され、南海の孤島に特務員として送られ、そしてたった一人で住民利用という日本軍の重要な作戦を遂行する任務を与えられたら、私は、どうするだろうか」。

 さらに著者は、現在の職場での「上司の指示」や「現国会が次々と生み出す「法律」」によって「今後起こりうる自衛隊からの「協力」」に、「私たちは-あなたは、私は-果たして、どこまで抗うことができるのか」と問い、「私たちの中にある普遍的な弱さを、今、一人ひとりが問わねばならない」と主張する。

 本書を読むと、沖縄は日本の辺境としてしか感じられない。本書に掲載されている地図を見れば、波照間島や西表島を含む八重山諸島は台湾のすぐそばで、沖縄本島より中国本土のほうが近いことがわかる。近代の戦争が国家と国家であることから、八重山諸島は日本側にいたことは事実である。だが、島を脱して難民となることも考えられたはずなのに当時、そんなことを考える者はいなかった。そして、戦後の混乱のなか、多くの台湾人が八重山諸島などに居を構え、現在もその子孫が住んでいる。さらに時代を遡って、日本に併合(琉球処分)された1879年後の沖縄の歴史を振り返る必要もあるだろう。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
近刊:早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

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