早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2022年02月

庄司智孝『南シナ海問題の構図-中越紛争から多国間対立へ』名古屋大学出版会、2022年1月15日、331頁、5400円+税、ISBN978-4-8158-1054-2

 流動性の激しい海域世界に属する東南アジア各国は、対人関係を重視し、どちらにつかずのあいまいな態度をとるため、信頼されないことがある。このアセアン・ウェイ(本書では「ASEANの流儀」と訳されている)は、小国の寄りあい所帯であるアセアン各国にとって、大国にたいする「弱者の武器」になり、近年では「両掛け」を意味する「ヘッジ」政策ともよばれる。2016年のドゥテルテ政権の誕生で180度南シナ海政策が転換したようにみえたのも、「弱者の武器」を効果的に使うためであった。前アキノ政権があまりにもアメリカ寄りになりすぎ、中国の「一帯一路」政策の「恩恵」をこうむることができなくなるおそれがあった。

 ドゥテルテ政権が「親中」ともとれる政策をとった背景には、2016年7月に下された国際仲裁裁判所の判断でフィリピン側の主張がほぼ全面的に認められたことと、フィリピン人のアメリカにたいする絶対的な信頼が調査結果で明らかだったためである。仲裁裁判で、中国側の主張する権利がほぼ全面的に否定されたことで、それを利用して中国を追い詰めるより、持ちださないことで中国側から引き出すほうがはるかに国益にかなうと判断したからだろう。2016年第3四半期のフィリピン人の信頼度は、アメリカのプラス66にたいして、中国はマイナス33だった(日本はプラス34)。フィリピン人は、政権の「親中」を本気に受けとめていなかった。このことは、ほかのアセアン諸国も承知していただろう。

 このように、社会科学にもとづく国際関係の分析だけでは充分にわからないアセアン・ウェイを考慮に入れなければ、「南シナ海問題」は理解できない。本書でも、社会科学の考察を超えたものが随所に感じとれる。

 本書の目的は、「序章」冒頭で、「南シナ海問題を、東南アジア諸国連合(ASEAN)、そしてその加盟国であるベトナムとフィリピンに焦点を当てて考察するものである」と述べている。

 南シナ海の重要性は、つぎの2つの要因にもとづいているとして、つぎのように説明している。「第1に、同海域はインド洋と太平洋をつなぐ世界的にも主要な海上交通路の1つであり、海上貿易とエネルギー供給の観点から、日本や中国といった地域諸国にとって死活的な重要性を有することである。交易上枢要な海路ということは同時に、マラッカ海峡同様、安全保障上も重要な海域であることを意味する。第2に、同海域は豊かな漁場であるほか、大量の石油・天然ガスの埋蔵が推測されていることである」。

 つぎに、「ASEAN、そのなかでも特にベトナムとフィリピンに焦点を当てる理由」を、つぎのように3つあげている。「第1に、ASEANの視座の重要性である。ASEANには、南シナ海の領有権紛争における、東南アジアの4つの係争国すべてが加盟している」。「ASEANは、米中対立の文脈でも注目すべきアクターである」。「米中対立の焦点の1つである南シナ海問題でASEANがいかなる対応をとってきたかを明らかにすることは、当該問題を理解する重要な視点となるのみならず、米中対立というより広い文脈においてインド太平洋の戦略環境を考察する有効な切り口でもある」。

 「第2に、ASEAN諸国のなかで、また4つの係争国のなかでなぜベトナムとフィリピンに着目するのかであるが、まず両国は共に、ASEAN諸国のなかで南シナ海問題に、政治的にも軍事的にも最も積極的に関与してきた。両国は地理的に中国に近く(特に、ベトナムは陸上でも海上でも中国に隣接している)、南シナ海で領有権を主張する範囲も広い。そのため両国は、南シナ海で中国とたびたび緊張状態になり、そのたびにあらゆる政治的・軍事的な努力を払い、これに対処してきた」。

 「第3に、ベトナムとフィリピンそれ自体の重要性である。先述の通り、南シナ海問題には6つの係争国(地域)のほか、米国、日本、そしてインドやオーストラリアも強い関心を寄せ、関与してきた」。「南シナ海問題は専ら、米中間の戦略的競争や覇権争いの文脈で語られ、その他のアクターは2次的な位置に置かれてきた」。「しかし、これらの中小アクターのなかでも、ベトナムとフィリピンの動きを分析することは、単に先行研究の穴を埋める以上の重要な意義を有する」。

 以上の3つを総括して、著者、庄司智孝は、本書の意義をつぎのようにまとめている。「本書の観点は、ベトナムやフィリピンのパワーや影響力を過大評価するものでは決してなく、また米中を過小評価するものでもない。しかし、大国の動きを追うだけでは南シナ海問題の複雑な構図を的確にとらえることはできない。問題の構図は、影響力のある国の一方的な政策の集合ではなく、そこに関与する国々の相互作用としてとらえる必要がある。本書は、ASEANとASEAN加盟国のベトナムやフィリピンに注目し、これらのアクターの主体性や影響力、諸大国との関係を適切に評価する。これにより本書は、南シナ海問題を米中対立に還元する過度に単純な見方を排し、同問題の複雑さとダイナミズムを理解するために必要な視座を提供するものである」。

 本書は、序章、全8章、終章などからなる。全8章は、「序章」の最後「5 本書の構成」で、つぎのように説明してから章ごとにまとめている。「本章において南シナ海問題の重要性と、この問題をASEAN・ベトナム・フィリピンという3つの視点から考察することの有効性を、先行研究や理論的枠組みの整理を踏まえて論じてきた。上記の問題設定とアプローチに基づき、本書は以下の構成をとる」。

 「まず第1章から第3章では、南シナ海問題の発生、鎮静化、再燃の経緯を、3つの時期区分によって論じる。第1章[南シナ海問題の発生(前史~1990年代半ば)]では、問題の前史から説き起こし、1970~90年代半ばの南シナ海問題の顕在化と構図の形成、ASEANとベトナムの初期対応をそれぞれ扱う」。

 「第2章[南シナ海の「凪」(1990年代半ば~2000年代半ば)]では、「微笑外交」の中国によってもたらされた南シナ海の「凪」の時期(1990年代半ば~2000年代半ば)を分析する」。

 「第3章[南シナ海問題の再燃(2000年代半ば~10年代半ば)]では、中国の海洋進出の再活発化、米国の関与と問題の構図の変容という南シナ海問題の再燃の状況を追う。こうした状況においても、ASEANは平和的解決のアプローチを追及し続けた」。

 「第4章から第7章では、再燃期におけるベトナムとフィリピンの南シナ海対応を考察する。うち第4~6章では、ベトナムが追求する「全方位安全保障協力」の態様を探る。第4章[対中関係安定化の模索-ベトナムの対応(1)]では、中国との関係安定化を模索するベトナムのアプローチと、そうしたベトナムの努力が、2014年のオイルリグ事案で覆る様を見る」。

 「第5章[対米安全保障協力の強化-ベトナムの対応(2)]では、対中対応の合わせ鏡として、ベトナムが米国との協力を慎重かつ漸進的に深める様子を探る」。

 「第6章[ASEAN、ミドルパワー、そして自助努力-ベトナムの対応(3)]では、ベトナムが対外関係の礎とするASEANにおける同国の振舞いと、日印露といったミドルパワーとの協力を、海上防衛能力向上の自助努力に絡めて考察する」。

 「第7章[フィリピンの対応-アキノ政権の対決姿勢]では、中国との対決姿勢をとったアキノ政権下のフィリピンの南シナ海対応につき、「外交・同盟・国際法」の3点セットでの対応ぶりを分析する」。

 「第8章[南シナ海問題の変容(2010年代半ば~現在)]では、2010年代半ばから現在までを扱い、南シナ海問題の変容を考察する。問題の構造変容をもたらしたのは、米中対立の激化と、フィリピンのドゥテルテ政権の政策転換であった」。

 「そして、終章[南シナ海問題の構図-総括と展望]で、本書の議論を総括し、「依然として波高し」の状況である南シナ海の今後を展望する」。「総括に際しては、問題の時期区分、構造の変化、主要アクターの役割、そして規範の効用と限界、という4つの観点からこれまでの議論を検証する。そして総括の後、現状を踏まえつつ、南シナ海問題の今後を展望する」。

 その終章は、つぎのパラグラフで閉じている。「本書は、歴史的な経緯から現在まで、南シナ海問題を追ってきた。しかし、現在も緊張状態は続き、事態は刻々と変化している。南シナ海問題のパズルは未完成のままである」。

 1990年代後半にASEAN10になってから四半世紀が過ぎた。加盟各国はASEANに過大に期待しないいっぽう、解体や1ヵ国でも脱退することを望んでいない。ASEANが存在することを前提として、どのような議論の場でも主体性をもって臨むことができるように努めている。過小評価も過大評価もできないASEANがあり、個々の加盟国は本書の議論が本格的にはじまる1990年代以前からの歴史的経緯(ベトナムは中国の属国であった、フィリピンはアメリカの植民支配下にあった、等々)をそれぞれ踏まえて、ことにあたっている。

 本書は、南シナ海問題を事例に、現在さらに今後の東南アジアを含む東アジアを考える好著である。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

新井博編著『新版 スポーツの歴史と文化』道和書院、2019年4月1日、235頁、2300円+税、ISBN978-4-8105-2135-1

 「なぜ、スポーツ史やスポーツ文化を学ぶのか?」という質問にたいして、編著者の新井博は「スポーツ史の基礎学問としての必要性」を説いている。それより、こんないいテキストがあるのだから、学ばないという手はないだろう。学びたいから学ぶのではなく、学ぶいい教材があるから学ぶ、ということがあってもいいと思う。

 「本書は、これからスポーツ史とスポーツ文化を学ぶ若い人たち、そしてスポーツの歴史や文化に関心のある一般の方たちのために編纂」された。表紙には、つぎのように書かれている。「欧米から日本へ 日本から世界へ」「原始社会から今日まで 人間はつねにスポーツとともにあった その壮大な歴史と、政治・経済・社会との関わりをさぐる」。

 本書の旧版は、2012年に発行されている。その後、「スポーツと社会の関係は目まぐるしく進化・発展しており、すこし前の書物であっても、とくに現代を論じた箇所は古いと感じさせ」る述べ、つづけてつぎのように「はじめに」で説明している。「日々進化するスポーツ界で、ますます強調されているのは何か。それは、スポーツの価値です。スポーツにはどのような価値があるのか、われわれは改めて明確に理解する必要があります。そのために、スポーツ史やスポーツ文化に関する具体的でシンプルな説明が求められるようになったと言えるでしょう」。

 「具体的には、スポーツの起源、スポーツと社会、日本と外国のスポーツの関係、さまざまな種目とスポーツの技術・戦略の変遷、現代の政治・経済・社会との関わりと現代スポーツの課題、といったテーマ」をとりあげ、「より文化的な側面として、スポーツ教育、スポーツの倫理、スポーツ政策、世界平和とスポーツ、スポーツ産業といったテーマ」もある。

 また、本書は、つぎのような教育事情を考慮して、「日常生活のなかで聞きなれない、スポーツの専門用語や抽象的な事柄についても、わかりやすく丁寧な説明を心がけて」いる。「近年、中学校・高等学校の「保健体育」教科の体育理論領域で、スポーツ史やスポーツ文化について学習することが加えられました。教員養成課程ではスポーツ史を学ぶことが必修となり、教員採用試験ではスポーツ史の問題が出題されるようになりました。本書はこうした状況に対応し、学習指導要領に盛り込まれた「体育史」の内容にも充分に配慮しています」。

 本書は、「序 なぜスポーツ史を学ぶのか」、全9章などからなる。序を含め、各章冒頭には、概要が示されている。たとえば、「序」では、つぎのように書かれている。「私たちが、スポーツの歴史と文化を学ぶことの意味とは何か?」「ここではまず、現代のスポーツを概観し、高まる関心、スポーツ産業界の発展、「生涯スポーツの時代」と言われる今日の状況を概観する。そして、スポーツ史研究がいつどのように始まったのか、スポーツ史についての認識の変遷、必要性と発展に触れる。さらに、スポーツの存在を文化の概念で把握し、構造的な発展を歴史的に見ることで、スポーツの特徴を考えてみよう。そのためにまず、文化とは何か、スポーツの文化とその生成基盤(スポーツ観、スポーツ技術・戦術、スポーツ規範、スポーツ物的事物)について述べてみよう」。

 そして、最後の第9章「現代スポーツの課題」では、つぎのように書かれている。「戦後のスポーツは、それまでの歴史に比べ、各国の経済発展とともに急激に普及し、その社会的な価値が高く認識されるようになった。長いスポーツの歴史を考えれば、戦後のスポーツは、期間こそまだ短いが、長足の進歩をしているといえよう」。「しかし、スポーツの物的環境面では大きな進歩が見られるが、精神的な側面の事柄は、決して十分とはいえない。今後、ドーピングなどの倫理的側面やスポーツの機会均等、女性スポーツの発展、メディア、環境など、発展しなければならない点について見ていこう」。

 学校教育でスポーツが取りあげられ、行政も地域に根ざしたスポーツ振興をめざしているのは、スポーツが特定の関心のある人びとのためだけであるのではなく、今日あらゆる人びとの日常のなかに入ってきているからだろう。スポーツを学ぶことは、目的ではなく手段として、いろいろな分野の研究とつながっている。それは、本書でも、スポーツと政治のように、スポーツと○○として示されている。スポーツ学が基礎学問として重要になってきていることはたしかだ。問題は、○○を学問としているのほうで、それを充分認識しているかどうかだろう。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

加藤圭木『紙に描いた「日の丸」-足下から見る朝鮮支配』岩波書店、2021年11月26日、224頁、2500円+税、ISBN978-4-00-061501-3

 子どものころ学校の休みごとにすごした母の実家が、ダムの底に沈んだ。洪水被害と水不足のためと言われたが、洪水被害に見舞われた下流の少数戸のために504戸が水没し、2005年の運用直後の渇水時に取水制限はおこなわれなかった。そして、地元住民は多額の水使用料とダムの維持管理費を払いつづけている。本書、とくに第三章「水俣から朝鮮へ-植民地下の反公害闘争」を読めば、この岡山県の苫田ダム建設が、朝鮮の植民支配につながっていることがわかる。日本の朝鮮植民支配体質は、戦後の日本の「開発」、さらに今日まで影響を及ぼしている。

 本書の概要は、表紙見返しで、つぎのようにまとめられている。「植民地支配下の朝鮮でどのような暴力がふるわれ、日々の暮らしは変容したのか。人びとはどのように支配に抗い、破壊された社会関係の再構築をめざしたのか-土地の収奪や労働動員、「日の丸」の強制、頻発する公害とそれに対する闘争などを切り口に、支配をうけた地域とそこに暮らす人びとの視点から、支配の実態を描き出す」。

 本書「はじめに」は、「朝鮮民主主義人民共和国のある海辺の町から」はじまる。本書全5章の各章も、現地ルポではじまっている。著者、加藤圭木は本書の目的を、つぎのように語っている。「本書は、朝鮮民主主義人民共和国や韓国、延辺を訪問した経験を踏まえつつ、まず当時を生きた人びとの足下から植民地支配の歴史を見ていくことを目指す。たとえば、先に見た永興湾や会寧・延辺といった現場から、そこで具体的になにがあったのか、そのことはそこで暮らしていた人びとにとって、どんな意味を持ったのかを考えていくことにする。どちらかといえば、日本でほとんど知られていない朝鮮半島の北側の地域に重点を置いてとりあげるが、南側の状況にも触れることにする」。「そうした一つ一つの現場に注目することを通じて、これから日本は朝鮮半島とどのような関係をつくりあげていくべきなのかを考えるうえでのヒントを得ることもできると思われる」。

 本書は、はじめに、全5章、おわりに、第1-4章の各章末のコラム、などからなる。各章の直接のつながりはないが、「おわりに」の「「豚殺し」の歌」につながっていく。「「豚殺し」とは、ドッヂボールのことであった。逃げ回る相手めがけて、「一匹ブー」と「豚」を「殺し」ていくのである」。「この歌と遊びには、明らかに朝鮮での虐殺の経験が刻まれて」いて、「日本社会の朝鮮差別の根深さを象徴している」。

 著者は、つぎのように説明している。「日本の敗戦から二〇年近くが経とうとしていた時代、朝鮮人を下に見て、虐殺を連想させるような歌が小さな村で歌われていたのである。朝鮮人差別、そして朝鮮人虐殺を当然視する思想が地域に根ざしていたからこそ、この歌は子どもたちによって歌われたのである」。「「豚殺し」の歌は、日本の一つ一つの村にとって朝鮮侵略の歴史とはなんだったのか、という問いを投げかける。日本の村の歴史は、決して朝鮮侵略と無縁ではなかったということを、この歌が示しているからである」。

 そして、著者は、現状を憂い、つぎのパラグラフで「おわりに」を閉じている。「今、日本では韓国や朝鮮民主主義人民共和国への攻撃的な言辞が社会を席巻している。日本社会に決定的に欠けているのは、植民地支配の被害への想像力と、朝鮮人の主体的な営為を理解しようとする姿勢である。植民地支配の中で朝鮮人がどのような状況に置かれたのか、そして、そうした困難に直面する中で朝鮮人が足下からどのように行動したのかを捉えることが必要である。そのような作業を通じて、植民地支配認識や朝鮮認識を問い直していくことが日本社会の課題である。本書がその一助になれば幸いである」。

 なお、本書のタイトル「紙に描いた「日の丸」」は、第二章からきている。副題は「天皇制と朝鮮社会」で、第二章はつぎの文章で終わっている。「日本の支配は朝鮮の地域内部に入り込み、「不敬罪」を徹底的に取り締まった。しかし、日本の支配政策や、日本の頂点かつ朝鮮支配の最高責任者である天皇に対する批判意識が、朝鮮社会には渦巻いていたのである」。

 著者は、「あとがき」で、「植民地支配の問題を学生とともに学び考えるにはどうしたらいいのか、悩みに悩んだ」結果のひとつが、本書であると、つぎのように語っている。「徐々に見えてきたのは、植民地支配の問題を一人一人の人生が破壊された問題であり、今も被害に苦しむ人がいる問題だと提起することの重要性である。この視点は新しいものではないが、今の日本社会では繰り返し確認されなければならないだろう(この視点に基づき、岡本有佳・加藤圭木編『だれが日韓「対立」をつくったのか-徴用工、「慰安婦」、そしてメディア』大月書店、二〇一九年を刊行した)」。「このような問題意識で史料を読み進め、現地踏査を重ねた結果できあがったのが、本書である」。

 もうひとつの結果は、「学部ゼミナール編の『「日韓」のモヤモヤと大学生のわたし』(大月書店、二〇二一年)である。本書は、ゼミ生の発案で実現した「日韓」問題の入門書である。歴史的事実を整理するとともに、等身大の目線で、いかに歴史と向き合うのかについて、学生一人一人がそれぞれの思いを綴った。植民地支配の問題を他人事ではなく、自分事として考えるための道筋が示されているように思う」。

 まずは、自分事と気づくことが第一歩であるが、その一歩を気づかせたゼミ力はすごい!


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

ジャニス・ミムラ著、安達まみ・高橋実紗子訳『帝国の計画とファシズム-革新官僚、満洲国と戦時下の日本国家』人文書院、2021年11月25日、315頁、4500円+税、ISBN978-4-409-52084-0

 まぜもっと早く日本語訳が出なかったのか。2011年に英語の原著が出版されてから10年が経っている。もっと早く読みたかった。

 本書の目的、内容については、「日本語版への序文」で、つぎのように要約している。「本研究は日本のテクノクラートの台頭と、破壊的な戦争と何百万人ものひとびとに死と苦しみをもたらしたとされる戦時下の体制を計画するうえで彼らが果たした役割を検討する。すなわち、日本の革新官僚が岸[信介]の主導で「テクノファシズム」の一形態を促進し、そのもとで専門知識、効率、日本国家の優位性を主張する民族主義の名目で、国家が軍部と民間のテクノクラートに統制されたことを論じる。著者の目的は中核的な指導者たちの発想、原理、および実践を明らかにすることであり、そうすることで、いくつかの歴史的な洞察を示そうと努めた」。

 本書のキーワードである「テクノクラシー」については、同じく「日本語版への序文」で、つぎのように定義している。「テクノクラシーは、現代世界の特徴であるが、日本においてはふたつの排他主義的な視点に強化されて、命脈を保った。ひとつは「官尊民卑」であり、官僚や公的な問題が国民や個人生活に優先される視点である。もうひとつは国粋主義的な義務づけである「富国強兵」の視点であり、成功のための基準を、自由や民主主義といった普遍的な人間性の原則ではなく、経済力と軍事力の観点から定義する」。

 本書は、プロローグ、全6章、エピローグ、訳者あとがき、などからなる。「プロローグ」の最後では、各章ごとにつぎのように紹介している。「第一章[戦中日本のテクノクラート]では、技術発展と第一次世界大戦、世界大恐慌という変革をひきおこした事件が、日本の軍部、産業、官僚制におけるあらたなタイプのリーダーたちをいかにして生みだしたかを検証する」。

 「満洲支配は、日本のテクノファシズムの出現にとって転機となった。第二章[軍ファシズムと満洲国 一九三〇年から一九三六年]では、満洲がいかなる意味で一九三〇年代初頭の軍部ファシズムの実験拠点であったかを示す。第三章[満洲国の官僚的な構想 一九三三年から一九三九年]では、革新官僚が軍部の満洲発展の計画と戦略を変更させ、みずからのテクノクラシー計画を満洲国で推進した過程を検証する。満洲の産業発展と国家建設の経験は、革新官僚の政治的方針に大転換をもたらした。日本に帰国するや、革新官僚は日本とアジアのための独自のテクノファシズムを構想した。第四章[ファシズム信奉者]では、革新運動の思想家として知られる奥村喜和男や毛利英於菟に着目する。第五章[新体制と革新政治 一九四〇年から一九四一年]では、革新官僚による国内の新体制形成の試みと、彼らが直面した日本の保守的な既得権力層による政治的抵抗を検証する」。

 「戦争と敗戦は、テクノファシズムから戦後の管理主義へと変貌する基盤を築いた。第六章[日本の好機 戦争と帝国のための技術主義戦略 一九四一年から一九四五年]では、太平洋戦争が革新官僚に国内の新体制における未完了の任務を完了させ、日本の官僚政治に固有のエートスと文化を変える好機を与えたことを示す。本書では、革新官僚が太平洋戦争を「アジア解放」のためのイデオロギー戦争として形容する試みを考察する。一九四五年八月の日本の敗戦とアメリカ合衆国による占領は、日本国家の大規模な改造のための第二の好機であった。終章[エピローグ 戦中テクノファシズムから戦後管理主義へ]では、日本のテクノクラートの地位向上をうながした歴史的な好条件と、戦後日本の民主主義体制の構築における彼らの遺産について考察したい」。

 そして、終章の考察の結果、つぎのように結論して、本書を閉じている。「岸と戦時中の同僚たちは満洲国をテクノクラートの夢の実現およびアジアを解放し発展させる真摯な試みとみなしつづけた。しかし彼らのアジア解放計画は、現実には、大国政治というゲームのなかでアジアを駒、そして究極的には犠牲者として利用することで未来の世界秩序における日本の支配的立場を確保する計画であった」。
 本書の貢献については、原著の紹介や書評を参考にして、「訳者あとがき」でつぎのようにまとめている。「本書は革新官僚のリーダーシップという主題への重要な貢献であり、彼らの技術主義に着目し、その影響力や思考を洞察することで、これまで看過されがちだった意思決定の側面に光を当てたとマツムラ氏[Janice Matsumura]は総括する。なお戦後、政治的に復帰した岸が、テクノファシズムから戦後の管理主義に移行したと述べたエピローグも短いながら示唆に富む」。

 本書のよって、満洲だけでなく、朝鮮、台湾、占領下の東南アジア各国・地域など、日本の支配・影響下にあったところの歴史を再考しなければならなくなった。海外に進出した産業ごとの考察も、新たな展開が期待できる。「資本主義や共産主義にも勝る第三の道として構想されたテクノファシズム」は、日本の海外進出・侵略だけでなく、戦後の国内の「進出・侵略」にも大きく影響を与えたことを検証する必要があることを教えてくれる。そして、それが今日までおよんでいることを、著者は「日本語版への序文」の冒頭で、「安部[晋三]氏は本研究の主たる対象である人物、岸信介の孫にあたる」と述べることによって示唆している。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

↑このページのトップヘ