早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2022年03月

和田博文・呉佩珍・宮内淳子・横路啓子・和田桂子『帝国幻想と台湾 1871-1949』花鳥社、2021年12月25日、498頁、6800円+税、ISBN978-4-909832-49-8

 著者のひとり、呉佩珍は「あとがき」で、つぎのように述べている。「日本近代文学と日本統治期台湾文学を専門としている自分は、国会図書館や台湾図書館に所蔵されている膨大な台湾関係の資料に直面するとき、もし、適切な手引書があれば、と常に考えてきた。『帝国幻想と台湾』は、まさに植民地台湾に流通していた資料を網羅しているだけでなく、様々な分野から日本統治下の台湾の実像に肉薄している一冊でもある」。

 本書は、筆頭著者の和田博文らによる共同研究として7冊目である。「日本人の異文化都市体験を問う」試みは、1999年に刊行した上海にはじまり、パリ、ベルリン、ロンドンを経て、上海に戻って2冊刊行して、台湾というエリアに取り組んだ。ヨーロッパの3都市を問うたことで、日本人のアジア体験の見え方は変わってくる。

 本書のいくつかの特色のうちのひとつは、「日本語の言語表現全般を対象にしていることである」。つづけて、和田博文はつぎのように説明している。「帝国幻想が言語表象として、どのように成立したかが、本書の中心的なテーマである。おのずから本書は、文学研究や歴史学、政治学や経済学など、特定の学問ジャンルの枠内に収まらない、クロス・ジャンルの研究として成立している。別の言い方をすれば、帝国幻想という日本人の心的世界に生起し、言語によって成立する幻想の全体性は、ジャンルを跨いでアプローチしなければ、可視化できないと言っていい」。「この特色はおのずから、膨大な一次資料の海に出ていくことを要請する。それが本書の二つ目の特色である」。3つめは「台湾所蔵のデジタルデータを視野に収めて執筆したこと」、4つめは「本書が日台共同研究として成立していることである」。

 本書は、総論および全6部などからなる。「第Ⅰ部「一九世紀後半~二〇世紀前半の台湾と帝国幻想」では、一八七一(明治四)年から一九四九(昭和二四)年までの七八年間を、五つの時期に分けて、変容する台湾の姿と、帝国幻想の成立を概観している」。

 「第Ⅱ部「植民地とモダニズム」は、植民地化の進行と、モダニズムの進行を、別々の問題としてではなく、パラレルな関係で捉えている。この章(ママ)[部]では七つの切り口を用意した」。その7つとは、「都市景観」「鉄道とツーリズム」「統治と警察」「実業と糖業」「日本語教育」「医学と伝染病」「神社仏閣」である。

 「第Ⅲ部「文化のなかの帝国」は、帝国幻想が文化諸領域で形成されていく様相を明らかにした。それはラジオというメディアから、映画・演劇・美術という表現領域、さらにスポーツ・食・ファッションに及んでいる」。

 「第Ⅳ部「日本統治期の出版・新聞メディア」では、日本統治下で三大新聞社と言われた台湾日日新報社・台湾新聞社・台南新報社を取り上げた。それは台北・台中・台南のエリアを代表する新聞社である。ただ「内地」の新聞とは、少し異なる事情が介在した。それは台湾総督府の統制が、より厳格だったことである。単行本の出版も変わらない。台湾には新高堂書店や台湾民報社のような民間の出版社も存在したが、書籍を圧倒的に多く刊行していたのは総督府だった。言い換えるなら総督府は、中国南部や南方も含めての調査活動を精力的に行い、記録を残す一方で、厳しいメディア統制を実施しながら、植民地の「知」の体系を構築していったのである」。

 「第Ⅴ部「日本統治期の雑誌メディア」では、台湾で発行された日本語雑誌のなかから、特に重要な七六誌を取り上げて紹介している。雑誌はジャンルやテーマにしたがって、「総合誌・グラフ誌」「実業と社会事業」「大東亜・皇民化・南進」「日本語教育と学校」「博物学・民俗学・医学」「小説と詩歌」「旅行とスポーツ」「映画・演劇・エンターテイメント」「婦人と児童」の九章に分類した」。

 第Ⅵ部「資料編」は、「関連年表 1871~1949」と「主要参考文献一覧」からなる。

 本書では、利用できる一次資料・参考文献が網羅的に紹介されているので、論文を書こうとする学生・院生のための第一歩として役立つ。本書を手引きとして、「徹底した実証から」「日本統治下の台湾」が鮮明に蘇る。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

松島泰勝『琉球独立宣言-実現可能な五つの方法』講談社文庫、2015年9月15日、278頁、690円+税、ISBN978-4-06-293196-0

 本書は、「文庫書下ろし」であるが、突然思いついて書いたものではない。著者の長年の研究と体験にもとづいた本書出版前後に出版した著者、松島泰勝のつぎの編著書をまとめるように編まれている:松島泰勝『琉球独立論』(バジリコ、2014年)、松島泰勝編著『島嶼経済とコモンズ』(晃洋書房、2015年)、松島泰勝『琉球独立への経済学』(法律文化社、2016年)など。引き続き、最近は明石書店から『帝国の島―琉球・尖閣に対する植民地主義と闘う』(2020年)、『歩く・知る・対話する琉球学―歴史・社会・文化を体験しよう』(2021年)などを出版している。

 帯には、池澤夏樹のつぎのような推薦文が載っている。「居酒屋から論壇へ、独立論のフィールドが変わった。この人は本気だ。ヤマトンチュにとっては、国家とは何かを考えるよい機会である」。

 本書は、つぎのような「疑問にたいして具体的に、分かりやすく答えよう」としている。「米軍が占領軍のように未だに存在する日本は、本当に独立していると言えるのか?」「日本人は平和な生活をおくり、基本的人権を享受しているのか?」「政府や特定の団体から圧力やヘイトスピーチを受けることなく、自由に学問し、自分の意見を主張し、議論をすることができるのか?」「日本で生まれ育ち、この国にいて本当によかったと心から喜べるのか?」「琉球の人々が、なぜ独立を叫ぶようになったのだろうか?」「教科書で教える琉球の歴史とは違う歴史があるのか?」「おだやかな風土や人柄の琉球や琉球人から、なぜ独立という熱い言葉がでてくるのか?」「そもそも独立するって何なのか?」「独立はキケンな行為ではないのか?」「琉球独立は実現可能なものなのか?」「琉球独立は日本とどのような関係があるのか?」「国として独立するために何をすればいいのか?」「琉球だけでなく日本にとっても独立は重要ではないのか?」。

 本書は、はじめに、全5章、おわりに、などからなる。「はじめに」は、つぎのことばで終わっている。「この本を読んで、アナタ自身の国の過去、今、未来の姿を考え、自分はこの国のなかで幸せに生きているのか、もし不幸ならば自分は何をすべきなのかなどを考えて頂けたら幸いです」。そのために、著者は事例として「琉球」をとりあげ、それぞれの章で「もう独立しかない!」「どのように独立するのか」「そもそも琉球の歴史とは」「独立したらどうなる?」を議論し、第5章「琉球独立宣言」にもっていっている。

 本書副題の「実現可能な五つの方法」は、つぎの5つである。「琉球人の独立賛成派を増やす」「日本で独立賛成派を増やす」「国際世論を味方にする」「国連、国際法に従って進める」「日米両政府に辺野古新基地建設を断念させる」。

 2013年に琉球民族独立総合研究学会を立ち上げ、独立の準備をすすめているが、それから10年近くが経って、具体的な動きはみられない。だが、著者のいう「米軍が占領軍のように未だに存在する日本は、本当に独立していると言えるのか?」という疑問が、いま現実に起こっている。ロシアのウクライナ侵攻にたいして、日本政府は独立国として独自の安全保障を語っていない。欧米諸国に追随することしかしていない。独立国として考え、行動しなければ、ウクライナのように国際世論を味方につけることはできない。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

寺地功次『アメリカの挫折-「ベトナム戦争」前史としてのラオス紛争』めこん、2021年8月25日、524頁、5000円+税、ISBN978-4-8396-0327-4

 20世紀に超大国となったアメリカの傲慢さがよくわかる。そして、陰りがみえてきている今日においても、「挫折」を教訓としないアメリカの傲慢さがつづいている。圧倒的な軍事力、経済力によって、地元のリーダーの腐敗が進み、国家や国民のことを考えない内紛がつづき、無尽蔵に供給される兵器が共存すべき人びとを殺戮していった。本書は、アメリカの政策を研究している観点で書かれているため、現地の民衆の悲惨さはまったく描かれていない。それを想像すると、本書は読めなくなってしまう。

 本書は、序章、全12章、終章などからなる。1954年から62年までを時系列に、ラオス史が論述されているが、「研究を進めていくうちに、1954年以前のアメリカのラオス介入の起源と、1962年以降のラオスでの空爆等による惨禍の背景を分析することも不可避であると痛感するようになった」ため、より説得力のある研究書になっている。

 著者は、終章で「「ベトナム戦争」前史としてのラオス紛争の意味について」、とくにつぎの3点を念頭に整理している。「ひとつは、一般的には1964年あるいは1965年以降の「ベトナム戦争」が注目されるが、これに先行して、1950年代からアメリカが深く関与する紛争と内戦がラオスで起こっていたという事実である。第2次インドシナ戦争という枠組みで1960年代以降のアメリカのインドシナへの軍事介入を包括的に理解する上でも、現在では一般に忘れ去られているとも言えるこの時期のラオス紛争とアメリカによる関与の歴史を改めて時系列的に位置づける必要がある、というのが本書の主張である」。

 「2番目は、1954年から1962年の「中立化」に至るラオスにおけるアメリカの関与のパターンが、政治的干渉と軍事介入、そしてその挫折と軍事要員の「撤退」という形でベトナムにおける1973年までの関与でも繰り返されたという点である。第12章[ラオス「中立化」の崩壊と第2次インドシナ戦争]の最初でも述べたように、1962年のラオス「中立化」と1973年の「パリ和平合意」は、何よりも米軍の軍事要員の現地からの「撤退」を優先して確保するためのものだった。米政府関係者は、ラオスで経験した「介入・挫折・撤退」の教訓を学ぶことなく、ベトナムでも「介入・挫折・撤退」を繰り返した。その意味で、ラオスにおけるアメリカの関与は、時系列的な流れからだけでなく、その特徴あるいはパターンから見ても、ベトナムの前史だったと言える」。

 「3番目としては、空爆という手段に過度に依存するアメリカの戦争の先駆けとしてのラオスの悲劇という事実である。第12章で明らかにしたように、アメリカによる空からの戦争は、ラオスでは1964年6月以後「偵察攻撃」という名の下に開始されていた。1964年12月以降はバレル・ロール作戦、スティール・タイガー作戦という継続的で本格的な空爆作戦も開始された。1962年ジュネーブ合意の制約により、アメリカは米軍地上戦闘部隊をラオスに派遣することはなかったが、これらの作戦はベトナムにおける1965年以降の本格的な空爆作戦に先だって開始されていた。しかしながら、これまでの多くの「ベトナム戦争」研究において、この事実はほとんど触れられていない。第2次インドシナ戦争という枠組みを踏まえて、いま一度ラオスの悲劇は想起されるべきだろう」。

 そして、終章をつぎのパラグラフで閉じている。「ラオス、ベトナム、そしてアフガニスタン、イラクの事例は、アメリカのような大国で、さまざまな政治的、経済的、軍事的な手段やリソースを持つ国であっても、他の国の政治をコントロールすることがきわめて困難であることを示している。大国は、軍事介入により一国の秩序や人々の生活を混乱させたり破壊したりする能力を持ち合わせている。しかし、大国といえども、その後の紛争の後始末を単独でおこなうことは非常にむずかしいのである。ラオスの事例のように、多国間の枠組みでの合意が期待を抱かせたときもあるが、紛争の長期化とアメリカ国内の厭戦気分は、アメリカ自身が政治的解決の努力を放棄する事態を招きかねない。また大国の戦争あるいはアメリカの戦争と化した紛争に、他国が協力して火中の栗を拾おうと動く可能性も小さくなるのが国際政治の悲しい現実とも言える」。

 著者の「父は1939年から3年半近く中国や「北部仏印」の戦線に送られた兵士だった。しかし父も、また母も自分たちの戦争中の経験や記憶について子供たちに一切と言ってよいほど語ることはなかった」。当時戦線にいた人たちは、自分たちの置かれていた状況を正確に把握していなかっただろう。戦後、状況がわかるにしたがって、「加害者」として戦争が語れなくなっていく。アメリカが「挫折」を教訓とすることができないのも、「被害者」として語ることはできても、「加害者」として語ることができないからだろう。「戦争反対」を唱える者は自身が被害者になることを想像してであって、加害者になることを恐れる意識は乏しい。

 従来マイナーな部分とされてきたラオス紛争に焦点を当てることによって、メジャーな部分の欠落をあきらかにした意義はひじょうに大きい。それなら、そのマイナーな部分のマイナーな部分として語られているモン族部隊のその後も気になる。そういう本も、すでに何冊か出版されているが。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

林博史『帝国主義の軍隊と性-売春規制と軍用性的施設』吉川弘文館、2021年12月20日、472頁、3800円+税、ISBN978-4-642-03912-3

 日本政府は、外務省のホームページで「慰安婦問題に対する日本政府のこれまでの施策」(平成26(2014)年10月14日)をつぎのように公表している。「日本政府は、慰安婦問題に関して、平成3年(1991年)12月以降に調査を行い、平成4年(1992年)7月、平成5年(1993年)8月の2度にわたり調査結果を発表、資料を公表し、内閣官房において閲覧に供している。また、平成5年(1993年)の調査結果発表の際に表明した河野洋平官房長官談話において、この問題は当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であるとして、心からのお詫びと反省の気持ちを表明し、以後、日本政府は機会あるごとに元慰安婦の方々に対し、心からお詫びと反省の気持ちを表明してきた」。

 しかし、「これまでに日本政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たりませんでした」と述べ、内外の歴史研究者が示してきた資料を全面的に否定してきた。研究者には、これ以上なすべきことがないかのように思われるが、まだまだできることはある。本書が、その成果のひとつで、日本政府は詭弁を弄してきたことが明らかになり、信頼を失墜することになる。

 2015年の著書『日本軍「慰安婦」問題の核心』(花伝社)で、「慰安所はどの国にでもあったのか-国際比較の視点」としてある程度の見通しを示した著者、林博史は1年間のサバティカル研究期間を利用して、ロンドンを中心に文書館調査をおこない、「世界史的な視野でとらえ直してみよう」と試みた。

 その背景は、本書「はじめに」冒頭で、つぎのように説明されている。「日本軍が一九三〇年代から一九四〇年代前半に組織的かつ大規模に展開した日本軍「慰安婦」制度は、はたして日本軍独自のものなのか、あるいはどの国の軍隊でも同じようなものはあったのか、という疑問は、一九九〇年代にこの問題が人権問題として国内外で大きな問題となってから継続して問われてきた」。そして、同じようなものがあったとするなら、「日本だけが批判される筋合いはない」と「同じような非人道的、性差別的なことをおこなう」「軍隊そのものに問題があるとする」ふたつの立場にわかれて議論されてきた。

 著者が、具体的に考察対象としたのは、19世紀以来の近代の国家売春規制制度で、つぎのように述べている。「売春対策と性病対策とを一体化させ、近代の国家売春規制制度が本格的に実施されるのは一九世紀になってからである。本書は、そうした史料文献に基づいて、一九世紀初頭から二〇世紀にいたる帝国主義の歴史のなかで、英国の規制制度と英軍の対策を取り上げ分析しながら、英国にとどまらずフランス、オランダ、ドイツ、イタリア、米国などの帝国主義諸国における軍隊の売春管理政策・方法について軍用性的施設という視点から比較分析し、それぞれの歴史的な位置と特徴を明らかにすることを目指している。そのことにより日本軍「慰安婦」制度の歴史的な位置と特徴を明らかにすることができるだろう」。

 本書は、はじめに、全7章、終章などからなる。構成についての説明はなく、各章の「はじめに」「おわりに」もない。概ね、時系列的に論じているが、相前後することもある。序章にあたる「第一章 売春をめぐる考え方」の後、「第二章 英国の売春規制と軍隊」「第三章 女性たちの廃止運動」でイギリス本国の動向を追い、「第四章 英国のインド植民地支配と英軍の性病対策」「第五章 インドでの売春規制廃止運動」で植民地インドの性病対策が論じられている。「第六章 欧米諸国、インド、英植民地」で、視野を欧米に広げ、イギリスの事例を相対化している。総力戦となった第一次世界大戦では、軍用性的施設の「世界性」を考えることにもなり、「第七章 第一次世界大戦後の展開」を経て、「終章 今日までつづく課題」へとつながっていく。

 「終章」「一 まとめ-軍用性的施設の展開と消滅」では、つぎのようにまとめて節を終えている。「このように規制主義の考え方の上に軍用性的施設が設けられたという点では両者は密接に関連していると言えるが、軍用性的施設の場合は、植民地や占領地(特に住民が非白人の地域)などにおいて人種主義/民族差別や植民地主義と密接に結びついて展開されたものであり、本国の規制制度とは区別してとらえた方がよいと考えている。この点については各国の政策・制度とともにそこに動員された女性たちから見た実態を含めた実証的な研究の進展を期待し、そのうえであらためて議論できればと考えている」。

 「第二次世界大戦後は、一九五〇年代までには規制制度が主要諸国で廃止されたこともあり、軍用性的施設と言えるものは、帝国主義諸国においてはフランス軍と駐韓米軍で継続したにとどまるだろう」。「規制制度が廃止され国家が売春を公認することが許されなくなった状況では、軍用性的施設は本国の議会や世論から隠れて密かに、あるいは韓国のように軍事独裁政権下で情報を統制したなかでおこなわれた。したがって、兵士のために軍・国家が軍用性的施設を提供する方法は規制主義の衰退、否認とともに一部の例外を除いて消えていったと言ってよいだろう」。

 「しかし問題はそれで終わったわけではない」。「現在に至るまで占領地や軍の駐屯地の女性を性的に搾取することは形を変えながらも深刻な問題であり続けている。その典型的な事例は米軍と同時に国連平和維持活動にも見られる」。そして、安全保障理事会でも、「戦時性暴力をはじめ武力紛争中ならび紛争後の性暴力、性的搾取に関する問題への」取り組みがはじまった。2000年12月に「日本軍「慰安婦」制度を戦争犯罪として裁く「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」が開催されたことはこの年が戦時性暴力に対する国際社会の取り組みの始まりであったことを象徴的に示している。しかしながら、この女性国際戦犯法廷を激しく攻撃し否定しようとする日本政府や日本社会は、日本軍「慰安婦」問題だけでなく、こうした世界で起きている性暴力・性搾取の事態から目を背け、国際社会の取り組みをも無視し続けている。平和維持活動にともなう性的搾取、性的虐待問題は自衛隊が各地に派遣されていながら日本ではまったく議論されていない」。

 「世界史的な視野」で試みる発想は、ここまで長期問題化していることからだれもが考えることができるだろうが、既存の研究成果に頼るだけでなく、それをさらに発展させるべくみずから根気強く文書館調査をおこなうことは、なかなかできるものではない。それを断行した著者に、敬意を表したい。また、サバティカル研究期間を有効に利用したことをかたちにした好例である。

 だが、「本書が対象としているものはあまりにも膨大であり歴史的にも地理的にも幅広く、一人の研究者が十分に理解して分析できるものではない」。著者は、「無謀な試みであることは重々承知し」たうえで、議論を深めていくためのたたき台になることを願っている。

 そして、「あとがき」を、つぎの文章で締めくくっている。「今日の世界の状況を見渡すと、帝国主義/植民地主義、人種差別/民族差別、女性差別/性暴力/性搾取などの問題群、あるいは地球温暖化に象徴されるような経済や生活のあり方に関わる問題群など、一九世紀から今日にいたる近代・現代という時代の全体を根本から総括し見直すことが人類にとって決定的な課題として突きつけられているように思います。そうした問題に真摯に立ち向かっている人々がいる一方、日本政府をはじめとする日本社会の多数はそこから目を背け続けています。特に帝国主義/植民地主義の問題は終わったこと、なかったこと、それどころか帝国主義を正当化しようとする巨大な力が日本社会で圧倒的ですが、それに抗して一歩一歩、自分のやれることをやり続けていくしかないでしょう」。

 著者の声を素直に聞く良心が「日本政府をはじめとする日本社会」にあることを願っている。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

木村健二『近代日本の移民と国家・地域社会』御茶の水書房、2021年7月26日、414+v頁、8000円+税、ISBN978-4-275-02150-2

 本書は、初出1984年からの既発表論文を加筆・修正したうえで、第一章、最後の3章(第八~十章)および終章を書き下ろして一書にしたもので、著者木村健二のライフワークを総括したものということができるだろう。

 「序章」冒頭で、本書の目的をつぎのように語っている。「本書は、明治初年からアジア太平洋戦争の敗戦に至る日本近代史の中で、日本人による海外移民の諸事象が、どのように立ち現れたのかを明らかにしようとするものである。すなわち、いかなる人びとが何をめざして海外へ移民したのか、それまでの生活や家業の場である地域社会はいかなるものであったのか、また地域社会はこれをどう受け止めたのか、さらに国家利害を異にする、あるいは影響を及ぼし得る国や地域への移民事象につき、そのときどきの日本政府はどのようにこれに対処したのか、といった点を明らかにすることを課題とする」。

 本書は、序章、3部全10章、終章などからなる。3部構成になった理由は、「終章」冒頭でつぎのように説明されている。「本書は、そのタイトルからも明らかなように、近代日本の海外移民がどのようなものであり、それに対して政府の対応はいかなるものであったか、地域社会の立ち位置はどのようであったかを、三つの移民の形態から検討した。すなわち、出稼ぎ労働移民、旧中間層の再生・飛躍に関わる移動、企業家的あるいは自立的農業経営者をめざした移民のそれぞれにおいて、政府や府県・市町村の政策、移民関係団体や斡旋業者の位置づけ、そして移民自身の動向に関して、山口県を中心としつつ、日本全体にも目配りしながら検討したのである」。

 各部、各章の要約は、「序章」「四 本書の構成」でおこなわれている。第Ⅰ部「出稼ぎ労働型移民(明治期のハワイ・北米)」は4章(「ハワイ官約移民の受諾と送り出し」「私的移民期の政策と移民」「移民会社の設立主体」「送金・持帰り金と軍資金献納」)からなり、つぎのようにまとめている。「明治元年以降明治末年に至る、主としてハワイ・北米への移民が、出稼ぎの形態をとって実施されたこと、それは多大な賃金格差のもとで、自らの窮状打開や家業飛躍をめざしての行動であった、という側面から考察している」。

 第Ⅱ部「旧中間層再生・飛躍型移民(明治・大正期の朝鮮)」は3章(「商業者の朝鮮進出」「漁民の朝鮮出漁と移住」「東拓農業移民」)からなり、つぎのようにまとめている。「もっぱら商業・漁業・農業に従事した旧中間層が、明治以降に現出した難局を打開しようとして、あるいはそうした層へ飛躍しようとして朝鮮へ移民したという側面から、具体的には、山口県からの商業往来、漁業出漁、自作農移民を扱い、定住型移民となっていく過程を考察している」。

 第Ⅲ部「「企業家」志向型移民(昭和期のブラジル・満洲)」は3章(「防長海外協会の組織と活動」「ブラジル農業移民の送り出し」「満洲農業移民の送り出し」)からなり、つぎのようにまとめている。「昭和戦前期において、同じく山口県におけるブラジル移民と満洲移民が、企業家的あるいは自立的農業経営をめざして渡航していった点に視点を据えて考察している。「企業移民」という表現は、政府が一九二七年の海外移住組合法案提出の際に、「従来邦人の海外移住は多くは単なる労働を目的とするものにして企業を目的にするもの少なし(中略)、近来邦人の小資本を携へて海外に赴き企業、殊に農業を営まんとするもの漸く多きを加へて来たが、此種の渡航者は概ね中流農家に属するもので」という表現を用いたことに依っている。そういう表現になった経緯はいろいろあるが、ここでは、日本国内に比しての経営規模(ブラジルは二五町歩、満洲は一〇町歩)であるとか、自立的農業経営を目指したものということで、「企業家志向型」という表現を使っている」。

 「終章」「一 本書のまとめ」は、つぎのように総括されている。「ギリギリの生活のもとで移民したのでなければ、何をめざして移民したのかについてみていくと、当初は苦境からの脱出や生活の改善、家業の向上といった側面による出稼ぎからスタートしつつ、衰退局面にあった商業・漁業・農業といった旧中間層的産業の再生・浮揚あるいはそこへの飛躍をめざした移民、さらにはブラジルや満洲移民にあっては、企業家を展望するような人びとも現出させていったということである。そしてこうした人びとの意識面での支えとなったのは、「海外雄飛」思想であり、ブラジル移民ではそうした思想を堅持することが、国勢膨張下の国家への貢献になるとされ、次の満洲移民に容易につながっていくことになるのである」。

 そして、最後に「二 大河平隆光の移民論」で一般化して、つぎのパラグラフで終章を閉じている。「戦前期日本の海外移民の歩みは、以上のような大河平隆光がたどった「移民論」に端的に示されているように、出稼ぎ労働移民から「開発型植民」へと推移していくのであるが、その対象地は、南米に傾注されることはなく、植民地朝鮮や満州など現地農民が営農し、あるいは彼らの既墾地を買収して入植するというものであり、しかもきわめて「国家的使命」に色づけられた「海外雄飛思想」に後押しされたものであったとまとめることができよう」。

 このような結論が、今日の日本の「移民研究」に、どう貢献するのか。著者は、「あとがき」で、つぎのように述べている。「近年、日本における「移民研究」は、来日外国人労働者の増加も相まって、移民政策・社会学・文化人類学的アプローチからの研究を中心に、隆盛をきわめている感がある。それらの研究成果によって、移民という人間の行動が、いかに多彩で複雑なものであるかを知らしめることになったといえる。その一方、序章でも述べたが、日本史にベースを置いた、日本人の移民事象に関する研究は、「引揚げ」に関わる現代史の分野を別にして、なかなか進展がみられない状況にあった。本書は、山口県を中心とした地域に視座を据え、そこから日本全体の動向をみようとした限定的なものに過ぎないが、そうした状況を打ち破るきっかけとなれば幸いである」。

 基礎がしっかりしている研究は、どこかに「いただき」があり、自分自身の研究に役立つ。本書も、そのような研究のひとつだ。ライフワークの「総括」だといいながら、既発表論文をろくに再考せずに、そのまま並べているだけの、かつての「○○記念論集」とは違う。さらに、「来日朝鮮人問題や、アジア太平洋戦争後の引揚げに関して研究を進めていきたい」という著者に期待したい。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

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