小田なら『<伝統医学>が創られるとき-ベトナム医療政策史』京都大学出版会、2022年3月31日、316頁、3800円+税、ISBN978-4-8140-0404-1
「本書は二〇世紀ベトナムの医療制度に着目し、国家権力(植民地宗主国、南北分断・統一を経た複数の実体)、がそれぞれの正統性の担保の一環として、ベトナムの「伝統医学」を制度化しようとしてきた過程を跡付けた」研究で、帯の裏でつぎのようにまとめられている。
「「われわれの医学」(ホー・チ・ミン)として建国の理念を体現し、息づくとされるベトナムの伝統医療。しかし、その「北ベトナム」中心のナショナリズムの物語を離れて歴史を辿ると、さまざまな権力作用、概念のもつポリティクス、実際の治療行為が結実した複雑な「伝統医学」像が顕れる。独立・分断・統一のなかで、近代国家はいかに医療の知識を制度に組み込んだのか。その担い手たちにとって、いかなる経験だったのか。公定の「伝統医学」をめぐるダイナミズムを描く」。
本書で、頻出するキーワードは、制度化と科学化で、序章「伝統医療はいかにして「伝統医学」となったか」で、それぞれつぎのように説明されている。本書では、「制度的医療に伝統医療を取りこみ、正統性のある公定のベトナム伝統医学として社会に定着させた、あるいはさせようとした過程を制度化とする」。
「こうした医学や医療制度の制度化において、仏領インドシナ期以降は、科学(略)ないし科学化(略)という概念によって伝統医学の理解や認識を改変し、正統性を担保しようとする言説が各時代に現れた。これは一見、近代科学で治療・薬の方法や効果を説明できるようにするものと考えられるが、時代やとる立場によってそこに仮託された意味には微妙なニュアンスの差異が存在している。本書では、もう一つのキーワードとして、正統性の担保のために科学および科学化という語彙がどのように立ち現われ、時代ごとに差異と共通点があったのかに着目する」。
本書は、つぎのように「仏領インドシナ期以降のベトナムを四つの時期に分けて分析する。すなわち、①仏領インドシナ期、②南北分断期の北ベトナム、③南北分断期の南ベトナム、④旧北ベトナムの政策を引き継いだ統一以降ドイモイ前までの時期に区分する」。
本書は、序章、全5章、終章のほか、序章の後の「解説 本書で使用する用語」、第4章の後のコラム①「「東医通り」の変化-華僑・華人からベトナム人へ」、第5章の後のコラム②「華人の良医の経験」などからなる。それぞれの章は、序章の最後で、つぎのようにまとめられている。
本書は、序章、全5章、終章のほか、序章の後の「解説 本書で使用する用語」、第4章の後のコラム①「「東医通り」の変化-華僑・華人からベトナム人へ」、第5章の後のコラム②「華人の良医の経験」などからなる。それぞれの章は、序章の最後で、つぎのようにまとめられている。
第1章「触媒としての西洋医学-フランス植民地期」では、「ベトナムに西洋医学が導入された阮朝末期から仏領インドシナ期に焦点をあて、植民地政府による現地社会の医療への介入を明らかにする。その上で、「東医」が西洋医学と対峙する概念として現れ、同時に南薬に着目する言説も出現しはじめたことを示す」。
第2章「西医が主導する「東医」の制度化と実践-ベトナム民主共和国(北ベトナム)」では、「フランスと日本の植民地統治からの独立後、一九五四年から続いた南北分断期のベトナム民主共和国(以下、北ベトナム)による伝統医学の組織的な研究・諸制度の整備過程を明らかにする。対して第3章[「東医」「西医」の競合と混交-ベトナム共和国(南ベトナム)]では、同時期のベトナム共和国(以下、南ベトナム)でも伝統医学を医療制度内で管理しようとしていた点を明らかにし、南北ベトナムにおける伝統医学をとりまく環境や概念の差異を考察する」。
第4章「再編制される「伝統医学」-南北統一以後」では、「南北統一後のベトナムにおいて伝統医学がどのように全国規模で再編制されていったかを、「民族医学」という名称の誕生に着目して分析する。以上のような歴史的背景をもつ、制度化された「伝統医学」の現代ベトナムにおける意味を確認し、第5章[「伝統医学」教育と医師養成-理論家の困難と創造される実践]では、その制度化の柱となる専門医養成の現況と、教育を支える医療資源との関わりを検討する。中部のフエを事例にすることで、北薬が主に用いられていた阮朝から現代までの連続性、あるいは断絶を浮かび上がらせると同時に、現代の「伝統医学」について、その担い手たちがどのように実践し、意味づけているかを明らかにする」。
終章「「伝統医学」の制度化-伸縮する境界による囲い込み」では、「まず、医療制度内に「伝統医学」を位置づけ、国家が管理するという統治の在り方の性質を明らかにし、第二に、「伝統医学」の担い手にどのような変化がもたらされたのかを考察する。その上で、ベトナムにおいて「伝統医学」をめぐる制度がなぜ維持されているのかを考察したい」という。
そして、つぎのように結論している。「本書では、ベトナムの「伝統医学」の制度化について検討することで、制度がどのように創られるのかを明らかにした。その過程は国家建設の理念に常に引っ張られるのではなく、前の時代から残された資源、問題点や期待を継ぎ、極めて状況依存的に創られるものであったが、むしろそのことゆえに制度の正統性が担保された」。
さらに、つぎのように述べて、終章を閉じている。「南ベトナムやドイモイ後のベトナムで顕著に見られるように、問題が起きない限り「伝統医学」に関わる担い手の厳格な管理・統制に資源を割くことをせず、現在においては新自由主義的な市場の自助に任せるという制御の手法は、むしろ制度から逸脱したものをあえて管理・排除しないという巧妙な制御の在り方と捉えられよう。強引な排除に伴う労力を注入せずに、絶妙なバランスでそれぞれの立場の期待や需要に応えながら秩序を保たせるというあり方でもあるだろう。「伝統医学」を成り立たせる制度は、その内と外をはっきりと区分する機能をもつのではなく、患者の信頼、担い手の期待、制度を管理する権力の在り方が重なり合い、相互に作用する場なのである」。
「制度化」にしろ「科学化」にしろ、順調に進んだわけではない。「権力」が変わり、状況が変わって、臨機応変に対応せざるを得なかった現実があった。だが、いかなる状況であれ、医療を求める人びとが目の前にいた。本書は、その実践の奮闘記でもある。いっぽう、別の見方をすれば、現場を知らない当局の幻想がみえてくる。それは、「医学」だけではなかっただろう。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。