早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2022年06月

小林尚朗・山本博史・矢野修一・春日尚雄編著『アジア経済論』文眞堂、2022年3月25日、256頁、2600円+税、ISBN978-4-8309-5174-9

 新型コロナ感染症の影響を盛りこんで最新の「アジア経済論」を展開したと思ったら、今度はロシアのウクライナ侵攻で、全面的に書き直す必要が出てきた、という編著者のため息が聞こえてきそうだ。だからこそ、本書を出版した意義がある。つぎつぎに状況が変化するなかで、すこし落ち着いたときに総括することがしばしばある。そのとき、過渡期の状況を忘れ、結果のみに拘泥して考察・分析してしまう。どこでどのような理由でそうなったのか、その分岐点がおろそかにされることがある。そんなとき、本書を読み返してみると、わかることがあるかもしれない。「賞味期限」は短いかもしれないが、貴重な本で、いま読む価値がある。

 本書は、「アジア経済について学ぶことはもちろん、アジア経済を軸に置きながら、今後のグローバル経済について考えるために執筆されたものである」。その概要は、帯の表紙につぎのようにまとめられている。「米中対立を背景とした「民主主義」と「権威主義」の衝突。アジアはまさにその最前線ととらえられている。だがアジアでは、20世紀後半以降、世界中のプレイヤーを巻き込みながら、協調すべき領域を徐々に拡大してきた。地理的概念にとどまらず、アジアを共生に向けた発展モデルとするために、何をどう考えればよいのか。様々な角度から切り込む」。

 本書は、3部全16章からなる。「これまでのアジアの経済発展について、今後の展望も含めて考察している」第Ⅰ部「アジアの経済発展」は第1-6章の6章からなる。第1章「アジア経済の発展と新たなフロンティア」では、「世界経済の構造を変えるまでになったアジア諸国の経済発展を地域として鳥瞰し、その発展のメカニズムとダイナミズムを明らかにする」。

 第2章「アジアの経済統合の現況と課題」では、「21世紀に入り急増したアジアの経済統合を取り上げ、WTOを補完する自由貿易の枠組みであるFTAなど経済統合について基礎事項を説明したうえで、広域かつ包括的FTAであるCPTPPとRCEPについて経緯、現状、そして中国と台湾のCPTPP加入申請を含む課題について検討する」。

 第3章「中国の経済発展と今後の制約要因」では、「急速な経済発展により世界2位の経済大国に成長した中国について、その原点である改革開放政策の概要と成果を検証したうえで、中所得国の罠や米中対立の激化など、今後の発展に向けた制約要因を整理し、中国政府の対応策を考察する」。

 第4章「対外経済政策としての一帯一路構想」では、「まず中国の対外経済開放と政策展開の歴史的経緯を整理し、新たな対外経済政策の軸として一帯一路構想が提唱された経済的背景とその意義を明らかにする」。

 第5章「シンガポールにおける経済発展-国家主導型開発モデル」では、「アジアの中でも経済・産業振興に成功し、高所得国となったシンガポールの発展要因について考察する」。

 第6章「変容する現代インド経済-再生可能エネルギー、デジタル分野を中心に」でが、「世界経済で存在感を高めるインドについて、独立以降の経済政策の変遷を鳥瞰したうえで、再生可能エネルギーの普及による電力不足の改善、化石燃料の輸入依存低減への取り組みと政府主導のデジタル・インフラ整備に焦点をあて、変容する現代インド経済について考察する」。

 「グローバルな生産・流通ネットワークにおけるアジアの現状と課題を考察している」第Ⅱ部「アジアの産業とインフラストラクチュア」は第7-10章の4章からなる。第7章「アジアのサプライチェーン再編とグローバル・リスク-エレクトロニクス・半導体産業を中心に」では、「グローバル・リスクとサプライチェーン再編の動きに焦点を当てる」。

 第8章「アジアの交通インフラ」では、「アジア域内の交通インフラと国際貿易との関連性をとらえたうえで、輸送モードの視点から、海運および航空に強みを持ちながら陸上交通が脆弱なアジアの現状を明らかにする」。

 第9章「アジアにおけるサービス経済化-課題と可能性」では、「先進国の経験とは異なる形で進展しているアジアのサービス経済化を取り上げる」。

 第10章「アジアの繊維・アパレル産業と多国籍企業のサプライチェーン-バングラデシュを事例に」では、「繊維・アパレルサプライチェーンにおいて、特に中国から原材料や機械を輸入し、おもに欧米市場に輸出する、製品生産地域としてのアジアに注目する」。

 そして、「アジアの中長期的な発展には避けて通ることができない、残された課題や展望を中心に考察している」第Ⅲ部「アジアの課題と展望」は第11-16章の6章からなる。第11章「日韓経済関係を巡る現状と課題-韓国の行方」では、「日韓経済関係の歴史や現状を踏まえたうえで、韓国経済の今日的な課題を中心に考察する」。

 第12章「経済発展と民主主義-デジタル化の光と影」では、「従来は相補的ととらえられてきた経済発展と民主主義の乖離について、世界経済の構造変化と関連づけて論じ、状況打開の方向性を模索する」。

 第13章「経済発展と格差問題-タイを事例として」では、「絶対的貧困は大きく改善したものの、いまだに世界でも最も格差がひどい国のひとつであるタイを取り上げる」。

 第14章「中国の金融政策と人民元の国際化」では、「中国の金融政策の枠組みと手法、最近の金融政策の動向、金利規制と貸出数量のコントロールの関係などについて概観する」。

 第15章「アジアのエネルギー市場と気候変動」では、「世界の経済の中心となったアジアにおけるエネルギー市場の概要、アジア並びに地球全体が直面する喫緊の課題である気候変動への取り組み、およびそのアジアへの影響の行方を、それぞれ概観する」。

 第16章「イタリアと一帯一路-イタリアの希望と中国の野望」では、「イタリアと一帯一路構想(BRI)について考察する」。

 本書は、20年以上にわたって継続してきた「アジア・コンセンサス研究会」の成果の一部で、前身の「新アジア研究会」を含めて、研究会の理念をつぎのように説明している。「「アジア」を単なる地理的概念ととらえるのではなく、新しく創造する共生の地域社会としてとらえることを研究会の理念とし、それに基づく「アジア経済論」のテキストを執筆するというのが、当時としては目新しい「新」の部分であった。幸いなことに、これまで何冊かの本を上梓することができ、現在では同様な理念に基づく類書も見られるようになるなど、ある程度は先駆的な役割を果たすことができたと自負するところである」。

 ウクライナ情勢が落ち着き、近いうちにつぎの「版」が出版されることを期待したい。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

大塚英志『大東亜共栄圏のクールジャパン-「協働」する文化工作』集英社新書、2022年3月22日、318頁、940円+税、ISBN978-4-08-721207-5

 「まんが原作者」でもある著者、大塚英志はこれまで同様、「戦時下の「協働する文化工作」をめぐる諸相を「現在」への極めてベタな批評として語る」。そして、「まんが表現を中心にアニメや映画など、メディア産業における「文化工作」について語るのは、それは自分が今もその現場の片隅で作者として生きるからに他ならない。一体、自分の立ち位置や来歴を批判的に疑う以外に私たちは歴史を学ぶ意味があるのか」と問う。

 本書全体の要約は、表紙見返しにつぎのようにまとめられている。「「クールジャパン」に象徴される、各国が競い合うようにおこなっている文化輸出政策。保守政治家の支持基盤になっている陰謀論者。政党がメディアや支持者を動員しておこなうSNS工作」。「これらの起源は戦時下、大政翼賛会がまんがや映画、小説、アニメを用いておこなったアジアの国々への国家喧伝に見出せる。宣伝物として利用される作品を創作者たちが積極的に創り、読者や受け手を戦争に動員する。その計画の内実と、大東亜共栄圏の形成のために遂行された、官民協働の文化工作の全貌を詳らかにしていく」。

 本書は、「序章 協働する「文化工作」」、全4章からなる。「終章」や「結論」はない。各章の内容は、表紙帯の四隅に小さな文字で、つぎのように書かれている。「朝鮮でローカライズされた新聞まんが「翼賛一家」」「「のらくろ」田河水泡のまんが教室」「偽装中国映画と芥川賞受賞作」「南方支配を正当化した「桃太郎」」。

 著者は、「序章」で戦時下の「文化工作」の最大の特徴を3つあげ、それぞれつぎのように説明している。「一つめは多メディア展開である。それをメディアミックスと形容することも可能だが、文化工作は作品やメディア単体ではなく、新聞、雑誌、ラジオ、ポスターといったメディア様式、映画、まんが、アニメ、演劇など、その時点で存在した多様な表現領域を超えて同時多発的に行われるということが特徴的だ。だからこそ、もう一度念を押すが、それらが現在のメディアミックスと違うのは、一つ一つが「作品」でなく「プロパガンダ」を伝達することが目的のツールである点だ」。

 「二つめは、そのプロパガンダには「内地」に向けたものと、「外地」あるいは領地や国際社会に向けたものの二種類があり、それぞれ語られ方が異なるということだ。地域ごとの統治政策や政治的、社会的背景に応じてローカライズされることもしばしばある」。

 「三つめは官民、そして何よりプロとアマチュア(戦時下は「素人」と呼ばれた)の垣根を越えた共同作業であることだ。この官民を軍や翼賛会が主導し、アマチュアが能動的に文化工作に参加する。このような創造的行為における共同作業を翼賛体制用語で「協働」と呼ぶ。大政翼賛会が「上意下達」でなく「下意上達」をするように、戦時下のファシズムはこのような「参加型」の文化創造運動としての側面がある。この「協働」は「協同」とも記すが、その出自は大政翼賛会を主導した近衛文麿のシンクタンクである昭和会の提唱した協同主義にある」。

 本書で頻出する「メディアミックス」は、第四章「大東亜共栄圏とユビキタス的情報空間-アニメ『桃太郎 海の神兵』と柳田國男」の冒頭で、「ステルス化するメディアミックス」の見出しの下で、説明されている。1960年前後に和製英語として成立したとされる「メディアミックス」は、「国家広告における多メディア展開の考え方」として、すでに「戦時下、正確に理論化されていた」と、つぎのように具体例をあげている。

 「戦時下のメディアミックスの事例として扱った大政翼賛会宣伝部主導の「翼賛一家」もまた、翼賛体制や隣組といった政治宣伝のためのキャラクターであり、個別の展開に大政翼賛会が広告費を拠出したわけではないが、読者の人気、つまり需要と関係なく同時多発的な多メディア展開をしたのはそれら一つ一つのコンテンツは「作品」ではなく「広告」であったからだと再確認できる」。

 政治や経済に従属するように語られてきた文化の重要性が平和時に注目を集めるようになるのは、メディアミックスが1960年前後に「成立」したことと無縁ではないだろう。だが、それはすでに「戦時下」に存在していたという。文化は、戦時下のような非常時に必要不可欠なものになるのだろうか。なぜ、二の次にしてもいいような状況で、文化の活躍する場がでてくるのか。それは、文化とともに生きなければ、人間ではないからだろう。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

小山哲・藤原辰史『中学生から知りたいウクライナのこと』ミシマ社、2022年6月10日、206頁、1600円+税、ISBN978-4-909394-71-2

 わたしの授業には、ロシア人学生がいる。早稲田大学大学院アジア太平洋研究科には、ウクライナ人とロシア人学生が席を並べて学んでいるゼミもある。ロシアによるウクライナ侵攻の報道は、ウクライナの被害者の目線に立った報道が目立つ。平和のための「戦争論」も、もっぱら被害を強調している。だが、被害者と加害者の境界が、合法的に人を殺すことができる戦争にあるのだろうか。敵味方双方で被害が出ることを考えれば、被害者は知らないうちに加害者になりうるし、加害者が被害者になっていることもある。戦争になれば、だれでもが加害者になりうることを考えるべきで、「被害者になりたくない」だけでなく、自分が無意識に加害者になることを想定して「加害者になりたくない」と声高に叫ぶことも必要だろう。

 被害者に寄り添うことの大切さは、だれにでもわかるだろう。だが、国のため家族のためと信じて加害者になった人に寄り添うことは、あまり語られない。勝者の加害者が英雄になることがあるのにたいして、敗者の加害者は惨めな戦後を送ることになる。それは、加害者本人だけではない。加害者の家族は、いっしょに暮らすことになる。いっしょに仕事をすることになる人は、どう接すればいいのだろうか。加害者もまた、被害者なのである。

 では、この状況を和解へと結びつけるには、どうしたらいいのだろうか。解決する手段はなにもない。戦争を起こさないことだけが、被害者も加害者も生まないことである。ならば、この戦争は、はじまる前のどこでくい止めることができたのかを検証することが、とくに歴史研究者にとっては大切だ。それは、ロシア人とウクライナ人を含めて議論できることだ。本書を、ロシア人もウクライナ人もいる教室で読むことができるだろうか。そんなことを考えてから、本書を読みはじめた。

 本書は、著者のふたりが「オンラインでの講義や対談を増補したもののほかに、私[藤原辰史]がウクライナ侵攻前後に発表したエッセイも含まれています。これらの歴史的限界を示すために、文章を補うときも、発表時点で知り得なかったことはできるだけ書かず、どうしてもあとからの情報による補足が必要な場合は、そう明記するようにしました」。

 本書の内容は、出版社折り込みの『ミシマ社通信』(Vol. 112、2022年6月号)で、つぎのようにまとめられている。「ミサイルが降ってくる側の目線で-。 2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻を受けて、歴史学者の小山哲さんと藤原辰史さんが、ウクライナの過去と現在について対論を交わします。今回のことをきっかけに、この地域をはじめてここまで意識したという方も、多いのではないでしょうか?小山先生は専門のポーランド史から見たウクライナの歴史や文化のお話を、ナチズム研究から食と農の現代史を専門とする藤原先生は、大国中心の国際政治に左右されてきた人々に思いを寄せながら、第三者である私たちの歴史観や世界の見方を改めて問い直します」。

 「歴史学を生業とする立場である前に、一人の人間として。人々の日常が奪われたことに強く心を痛めながら「地べたに立って」語るお二人のお話は、歴史が教科書に載っているような単なる出来事ではなく、確かにそこに生きる人々の軌跡なのだと教えてくれます。言葉に血を通わせ、そこに暮らす人々の目線から、世界を見ること。この本が多くの人に届くことを願ってやみません」。

 冒頭で問いかけた「本書を、ロシア人もウクライナ人もいる教室で読むことができる」かどうかについては、読者の判断に委ねたい。著者のひとり、藤原辰史は対談を終えて、「ほんとうに、ひとことひとことを間違えれば取り返しがつかない、という緊張感のもとでお話をしました」と吐露している。もし、会場にロシア人やウクライナ人がいたことを認めていれば、どうであっただろうか。当然、話すときは聴衆者、書くときは読者を想定する。しかし、今日、予想外の聴衆者・読者がいたとしても、それに耐えられるだけのものにしなければならなくなっている。そうでないと、対話ははじまらない。

 本書、「Ⅰ ウクライナの人びとに連帯する声明」は、つぎの「三つのグループの人たちに連帯を表明して」いる。「ひとつは、戦禍を生きのびようとしているウクライナの人たち。もうひとつは、厳しい言論統制のもとで、それでも勇気を持って戦争反対の声を上げているロシアの人たち。そして、今この対談を聴いて(読んで)くださっている方もそうだと思いますが、ウクライナの人びとの痛みを自分たちに問題として考えようとする姿勢を持っている、世界中にいる人たちです」。

 帯の裏に「「小国を見過ごすことのない」歴史の学び方を、今こそ!」とある。このような状況にならないと「小国」に日が当たらないのかと、悲しい気分になった。日本人にもっと身近なはずのミャンマー、カンボジア、タイなどでは、このところ民主的な選挙がおこなわれていない。ミャンマーでは市民が武器を持つようになっている。2020年末現在で1万3963人のミャンマー人、1万735人のタイ人、9970人のカンボジア人が、技能実習生として日本に暮らしている。

 帯の表に「緊急発刊!」とある。本ブログも「緊急更新!」です。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

村井章介『古琉球 海洋アジアの輝ける王国』角川選書、2019年3月28日、413頁、2200円+税、ISBN978-4-04-703579-9

 「理屈はともかくとして、古琉球は何たっておもしろいのだ」と、著者、村井章介は力説し、つづけてつぎのように説明している。「日本をかたちづくる要素の多元性を雄弁に語ってくれるだけではない。日本なんか飛び越していきなり世界史とつながってしまう意外さがある。かと思えば、表層の激しい変化にもかかわらず基層文化が根強く残っていたりする。私が論じたことのある事例にかぎっても、鎌倉北条氏に臣従した薩摩武士の相続文書に沖縄島直前までの島々が記されていたり、中国文化の所産である石碑にかな文字で琉球の神歌が刻まれていたり、ポルトガル製のある地図ではIapam(日本)がLequios(琉球)という大地域の辺境にすぎなかったり、ごく短期間だが琉球国王が島津氏をふくむ南九州の武士たちを臣従させていたり……といった具合だ」。

 本書は、序論「古琉球から世界史へ」、全5章(「第一章 王国誕生前夜」「第二章 冊封体制下の国家形成」「第三章 冊封関係と海域交流」「第四章 和/琉/漢の文化複合」「第五章 王国は滅びたのか」)からなり、裏表紙につぎのようにまとめられている。「世界に開かれていたのは日本ではなく「琉球」だった! 13~17世紀の古琉球の時代、ボーダーレス海域でどのような歴史と文化が展開されたのか。琉球に残されたかな文字の碑文や『歴代宝案』などの外交文書、中国・朝鮮ほか、近隣諸国に残る史料などから総合的に検証。冊封体制論からはみだした古琉球の独自の事象を浮き彫りにする。同時代の日本を含むアジア世界の歴史のありかたに境界史から光をあて、その全体像に新たな視角を拓く」。

 著者が「おもしろい」といったのは、さまざまな史料からさまざまな姿が明らかにできるからだ。序論、最後の見出し「古琉球史料のあらまし」では、つぎのようにまず4つ、(1)琉球(沖縄)に伝わったもの、(2)ヤマトに伝わったもの、(3)中国・朝鮮に伝わったもの、(4)ヨーロッパに伝わったもの、に分けてまとめている。

 「(1)琉球(沖縄)に伝わったもの」は、さらにつぎの6つに分けて紹介している。①『歴代宝案』は、「王国の外交に関する往復文書四五九〇通を集成した一大外交文書集で、年代は一四二四年から一八六七年までにおよぶ」。②『おもろそうし』は、「王国の国家事業として「おもろ」という歌謡を集成したもので、全二二巻に一五五四首が収められる」。③辞令書は、「王から発給される根幹的な行政文書で、本文は基本的にかなで書かれ、「首里之印」と刻んだ大きな朱印が捺され、奥に明年号による年月日が漢字で記される」。④碑文は、「ヤマト中世にはほとんど存在しない碑文が、古琉球期を通じて二〇点あまり知られ」ている。⑤正史は、近世琉球王府が「四次にわたってみずからの歴史を編纂した」もの。⑥家譜は、近世琉球王府が、「士族を対象に一六八九年家譜の提出を命じ、首里城内の系図座が原稿を厳密に検閲し訂正を加えさせたうえで、一部を系図座が保管し、一部を各家に頒賜した」もの。「①~④が古琉球期に源流をもつもの、⑤・⑥が近世琉球王国の編纂になるものである」。

 本書で知りたかったことは、東シナ海、南シナ海を股にかけて交易をおこなった琉球にとって、「海」はどういうものであったかである。本書から資源としての海は、遺跡から発掘されたヤコウガイなどからしかわからない。もっぱら交通路としての海であるが、「西沙群島付近で難破して溺死者多数」などの記述しかなかった。本書で紹介された史料から、「歴史的固有の領土」としての東シナ海や南シナ海の島じまを、証明することはできないことがわかる。

 そして、最後の「第五章 王国は滅びたのか」は、つぎのパラグラフで終わっている。「こうして変則的なかたちで幕藩制に編入された琉球だったが、ヤマトからの自立、独自性を誇りとする自意識は滅びなかった。近世琉球の薩摩・清への両属関係は、大藩ぶりを誇示しようとする薩摩によって意図的に存続させられた面がある。だが同時に、明治維新=琉球処分の時期の「脱清人」の出現が示すように、ヤマト天皇制から離れたアイデンティティのよりどころともなった」。「古琉球」から今日の沖縄・東アジアがわかるからこそ、「おもしろい」のである。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

井川充雄『帝国をつなぐ<声>-日本植民地時代の台湾ラジオ』ミネルヴァ書房、2022年2月10日、247+4頁、7000円+税、ISBN978-4-623-09279-6

 「本書は、一九二〇年代に誕生したラジオが、いかにして国民統合のメディアへと成長していったかを、「外地」のラジオ局、特に台湾放送協会から検討しようとするものである」。「日本統治時期の台湾におけるラジオ史研究の蓄積は少なくはない」。先行研究を「総合すれば、日本統治時代の台湾におけるラジオの特徴」は、おおむねつぎのようにまとめることができるという。

 「(1)一九二五年六月一七日に開会した「台湾始政三十年記念展覧会」において台湾総督府交通局逓信部が一〇日間にわたって実験放送を行ったことを嚆矢とし、(2)一九四二年一〇月一〇日から二重放送を開始するまでは、すべての放送は日本語で行われ、(3)そのため、日本語教育が行われていたとはいえ、加入者は本島人に比べ圧倒的に内地人(日本人)が多く、(4)番組を通して国語(日本語)の普及をはじめとする「皇民化教育」が企図されており、そして(5)わずか六ヶ月間ではあったが広告放送も実施された、といったことが挙げられるであろう」。

 このような先行研究があるにもかかわらず、本書が執筆されたのは、「近年、資料のデジタル化が進んでいる」ことが背景にあり、つぎのように説明されている。「こうしたデジタル化された資料によって、これまでは見過ごされてきたものが利用できたり、関連の薄いように思われる資料群から貴重な資料を見いだしたりすることができるようになり、著者もそうした作業に没頭した。ただ、デジタル化されるものの取捨選択には何らかの作用が働いていることはいうまでもない。したがって、著者としては、デジタル化されたものに安易に依拠するのではなく、非デジタル資料にも目を配るように心がけた」。

 本書は、とくに「台湾におけるラジオによる同化」「東亜放送網と台湾放送協会」「南方への拠点としての台湾の役割」の3点に着目して、序章、3部全9章、終章などからなる構成をとっている。序章「「帝国」の時代に、ラジオはいかに響いたか」の最後で、つぎのように各部各章を要約している。

 第Ⅰ部「台湾放送協会の設立と発展」は2章からなり、「台湾におけるラジオの登場と発展の過程を明らかにする」。第一章「台湾におけるラジオの登場」では、「内地の声を希求するものとしての台湾におけるラジオの登場を扱い」、第二章「台湾ラジオと東亜放送網の拡充」では、「台湾のみならず、朝鮮や満洲とともに内地とのネットワークが拡充されていく過程を明らかにする」。

 第Ⅱ部「台湾社会とラジオ」は4章からなり、「台湾に登場したラジオというニューメディアが台湾社会にもたらしたものを四つの観点から論じる」。第三章「時差撤廃とラジオ-ラジオの作る時間観念」では、「日台間の時差撤廃の過程と、ラジオが作り出した近代的な時間観念を論じる」。第四章「日本統治時代の台湾におけるラジオ体操-動員される身体」では、「ラジオ番組の一つとして日本から持ち込まれたラジオ体操が身体の動員を図ることに着目する」。第五章「日本統治時代の台湾におけるラジオリスナー-日記から読み解く台湾人にとってのラジオ」では、「当時の統計資料と日記を用いて、当時のラジオ聴取者がどのような人々で、どのように受容していたかを探る」。そして第六章「台湾におけるラジオ塔-日本統治下の台湾におけるラジオの共同聴取」では、「現在も遺構として残るラジオ塔を軸に、集団聴衆のありようの変遷にアプローチする」。

 第Ⅲ部「戦時下の台湾放送協会」は3章からなり、「日中戦争から敗戦までの過程を明らかにする」。第七章「アジア・南方への拠点としての台湾放送協会」では、「日中戦争勃発後、台湾放送協会によって実施された海外放送を扱う」。第八章「太平洋戦争下の台湾放送協会」では、「当時の台湾総督府交通局総長の書き残した記録から、二重放送の開始をはじめとする太平洋戦争下の台湾放送協会の姿を再構成する」。そして第九章「台湾における玉音放送-台湾統治の終わりの始まり」では、「一九四五年八月一五日の玉音放送とその後の台湾放送協会の終焉までのプロセスを扱う」。

 そして、終章「解体される「帝国」とラジオ」では、「本書の成果」を「「ラジオの時代」再考」「<声>の文化としてのラジオ」「台湾支配とラジオ」「台湾ラジオにおける<声>の文化の形成」「南方への拠点としての台湾」の見出しの下でまとめ、最後の見出し「メディア史の研究と教育の課題」の下で課題をつぎのように示して本書を閉じている。「「外地」でのラジオの動態は、「内地」の動向を反映している。序章で示した同心円状の構造は、「中心」から「周縁」へと輪が広がっていくことを示している。それゆえに、逆に「周縁」からさかのぼって見れば「中心」の構造を解き明かすこともまた可能となる。つまり、植民地におけるメディアの歴史は、日本のメディア史の逆照射することにもなる。今後、「一国史」を超えたメディア史の研究と教育が、ますます必要となるだろう」。

 つまり、同心円状の内から外へだけでなく、外から内へ、外から外へなど多角的にみるだけでなく、新聞・雑誌、映画などメディアミックスのなかのラジオも考えなければならなくなるということだろう。そして、それを可能にしているのは、資料のデジタル化で、テレワークの普及で一気に進むものもあるだろう。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

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