早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2022年10月

鈴木祥『明治日本と海外渡航』日本評論社、2022年9月1日、210頁、5000円+税、ISBN978-4-535-58774-8

 本書の目的は、「序章」の最後で、つぎのように述べられている。「一九世紀後半を対象とする従来の外交史研究の主な関心は、条約改正を通じて日本が西洋と対等な関係を目指す過程およびこれと並行して進められた東アジア秩序再編の試み(日清戦争に帰結する華夷秩序への挑戦)にあったといってよい」。「海外渡航をめぐる国家の対応を追求する本書は当該期外交史研究に新たな視点を加えることができると考えられる」。

 また、先行研究は「いずれもヒトの移動をめぐる社会経済史の観点に立った成果といってよく、国家による渡航者管理の取り組みに対しては相対的に関心が薄い」と述べ、「一次史料に即して海外渡航をめぐる政府・外務省の対応を精緻に追求した研究は、移民史の分野においても存在しないのが現状である」と、本書のオリジナリティを強調している。

 本書は、序章、2部全7章、終章、あとがき、などからなる。第一部「渡航解禁と国家の体面」では「一八五八年から八八年までを考察対象とし、まず第一章[幕末日本と海外渡航の解禁]で幕府が改税約書の締結によって海外渡航を解禁し、旅券制度および領事制度の原型を作る経緯を確認する。次に第二章[明治初年の条約改正問題と片務性克服の試み]では、安政五ヶ国条約はじめ西洋との通商条約がいずれも在外日本人の権利を欠いた片務的内容であったことに着目し、明治初年の外務省による片務性克服の試みについて検討する。第三章[領事制度の創設と在外窮民問題]では、渡航解禁直後より在外窮民(渡航後の失業や傷病により自活や帰国の手段に窮した日本人)が続出したことを受けて、外務省が領事制度を整備し西洋の標準に拠って救助方法を模索する過程を明らかにする。そして、第四章[海外出稼ぎの管理]では外務省による出稼ぎ労働者の渡航管理について検討し、ハワイ官約移民の開始にともない外務省の注意がアメリカで進む清国人排斥に向かっていったことを指摘する」。

 第二部「アメリカ渡航と排日の懸念」では「一八八八年から九四年におけるアメリカ渡航をめぐる外務省の対応を検討する」。まず、第五章「アメリカ渡航問題のはじまりと出国管理の法的前提」では「日本人の渡米が条約改正問題にも影響を与え始めた一八八八年から九一年前半を対象とし、渡航売春婦の取締法制定をめぐり政府内で行われた審議の検討を通じて、国内法による渡航者管理の問題点を確認する。次に第六章[榎本武揚の「定住移民」論とアメリカ渡航問題]では九一年以降出稼ぎ人の急増により日本人排斥が現実味を帯びるなか、前述の通り海外進出論者であった榎本武揚が外相としてどのようにアメリカ渡航問題に対応したのかを明らかにする。そして第七章[移民保護規則の制定と対米条約改正交渉」では、榎本退任後の外務省が排日を恐れて九四年に日本初の海外出稼ぎ取締法である移民保護規則を制定する過程、および同規則制定と前後して行われた日米条約改正交渉について検討する」。

 各章の「おわりに」で丁寧に要約しているので、理解しやすい。「終章」でも、「本書で明らかにした経緯の概要」を述べた後、つぎのようにまとめている。「日本は渡航解禁当初より西洋の評価を強く意識したが、明治初年に生じた諸課題はいずれも達成難度が低くかつ日本側の対応も迅速であったため、重大な問題に発展することはなかった。また、紆余曲折を経ながらも出稼ぎ人を管理する法律を制定したことにより、日本が懸念したアメリカにおける排日も深刻な外交問題にまで進展することはなかった。そして、他の西洋諸国との条約改正交渉では日本人の渡航は特段争点にもならなかった。最大の外交課題であった条約改正が無事成功したことを踏まえると、当該期においては国家の体面を守るという日本の目標はおおむね達成されていたと評価できよう」。

 「あとがき」で、「本書執筆の直感的な動機」は「海外渡航をめぐる近代日本の歴史的経験は目下進むグローバリゼーションの理解にも寄与できるのではないか」ということにあったと述べているが、「結局、考察時期・対象ともに狭小なものとなってしまった」原因はなにか。各章の「おわりに」、終章でまとめた後、議論を発展できなかったのはなぜか。「主に「外務省記録」(外務省外交史料館蔵)はじめ公文書を駆使して」検討した結果だろう。各章、それぞれあまり長くないが、公文書から明らかになったことにもとづいて、先行研究で明らかになっている社会経済史的な渡航者、出社会、移民会社、入社会などの具体的な問題をとりあげて議論を深め、公文書でわかることの限界をあきらかにしていくことで、本書は「狭小なもの」から脱出できるだろう。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

藤井賢二『竹島問題の起原-戦後日韓海洋紛争史-』ミネルヴァ書房、2018年4月30日、437頁、3800円+税、ISBN978-4-623-07290-3

 改めて日韓関係の難しさを感じさせられた。日本が朝鮮の主権を奪い植民地化し、「帝国主義的搾取」をおこなったことを理由に、独立後、日本にいろいろな場面で要求してくることはいたしかたない。問題は、その要求に日本が応えやすいように、理路整然と国際的ルールにしたがっておこなわれていないことだろう。一度国が誤ると、やり直すことは難しい。国家間でうまくいかないとき、民間の力が大きくなる。韓国人のあいだの「反日」とは裏腹に、多くの若者が日本に来て愉しんでいる現状から、なにか突破口はないものだろうか。

 本書の概要は、表紙見返しに、つぎのようにまとめられている。「一九五二年の韓国の李承晩ライン宣言にはじまる日韓の海洋をめぐる紛争。半世紀以上にわたる漁業と領土問題の過程を膨大な資料により描く。竹島不法占拠をめぐる新資料から竹島問題をゼロ地点に戻す試み」。

 本書は、序章、2部全11章、終章からなる。序章「韓国による竹島不法占拠」の冒頭で、本書の目的が、つぎのように述べられている。「韓国による日本漁船大量拿捕は日韓関係を悪化させ、1951年に始まり難航を重ねた末に1965年に妥結した日韓会談(日韓国交正常化交渉)の進行に大きな影響を与えた。韓国が日本漁船拿捕の根拠としたのは、1952年の李承晩ライン宣言であった。この李承晩ライン宣言にはまた竹島への韓国の主権を主張する内容も含まれており、竹島問題は現在の日韓関係の緊張要因となっている。以上のような漁業問題と竹島問題の原因と経過を考察することが本書の目的である」。

 「序章」「1 1953年夏の竹島」で、「1953年夏、何が起こったのか」、「竹島問題、日韓会談、そして済州島周辺での紛争を中心とする漁業問題、文脈の異なる戦後の三つの日韓間の懸案が1953年夏の竹島で交差した」状況が説明され、つぎのようにまとめている。「この時、韓国に対抗する実力がなかった日本政府は竹島の支配維持よりも、済州島周辺での日本漁船の安全操業確保および日韓会談の進展に配慮した。硬軟両面を使い分ける韓国に翻弄されて日本は竹島不法占拠を許した印象をぬぐえない」。つづけて、「2 日本の配慮」「3 韓国の増長」から、本書の大まかな展開が読める。

 第Ⅰ部「日韓会談と漁業問題」は第1~6章の6章からなり、「済州島周辺を中心とする漁場がなぜ重要であったのか、どのようにして日韓間の紛争の焦点となったのかを、日本の朝鮮統治にまで遡って考察する。そして済州島周辺漁場の独占を目指す韓国の主張と行動の問題点を指摘し、日韓会談における漁業交渉での論議を検討する」。

 第Ⅱ部「竹島問題と日韓関係」は第7~11章の5章からなり、「1953年夏の事件を契機として、「独島[韓国側名称、竹島]は日本の侵略の最初の犠牲の地」という、事実とは異なる韓国の主張が形成されていった過程を明らかにする。現在の韓国人の心情を支配して竹島問題解決を難しくしているのがこの主張である。さらに、韓国の竹島不法占拠、「独島」をシンボルとする韓国人の対日対抗意識の肥大化、韓国漁業の発展によって、日本がどのような問題に向き合うことになったかを考えていきたい」。

 終章「戦後日本と竹島問題」では、これまでの考察から、つぎの6つの時期にまとめている。「①1953~54年の韓国による竹島不法占拠が強行された時期」「②1962~65年の日韓会談において竹島問題の論議が行われた時期」「③1977~78年の日韓大陸棚協定の審議と竹島近海からの日本漁船の排除の時期」「④1996~97年の新日韓漁業協定締結に向かう時期」「⑤2005~06年の島根県による「竹島の日」条例制定の時期」「⑥2012年の韓国李明博大統領の竹島上陸を前後する時期」。

 そして、「終章」をつぎのように締め括っている。「竹島問題は、安全保障を米国に依存し、他国の誠意に期待して自己主張を抑えてきた戦後日本の象徴のように思われる。そして日本人が竹島問題に冷淡であったことは否定できない。竹島を不法占拠されつつある状況にあってすら、竹島の現場で韓国人と対峙した柏境海上保安部長は「わが国の領有権をめぐって世論喚起をうながしたい」と訴えざるをえなかった」。「米国の意向にかかわらず日本は自国の安全保障を全うできるのか。日本人は経済的な利害にとらわれず領土と主権の問題を凝視できるのか。韓国に不法占拠された日本海の波に洗われる小さな岩島=竹島は戦後日本のありようを問うている」。

 「あとがき」は「竹島問題は奇妙な問題である」ではじまる。「もっとも奇妙なのは、竹島について書かれた本や記事に、日韓両国で鋭い非対称性があることである」とし、つぎのように説明している。「日本では、韓国の言い分に理解を示し、日本政府の竹島領有の根拠に疑問を投じ、中には竹島は韓国領だと主張する出版物さえ探すことができる。韓国で、日本の言い分に謙虚に耳を傾け、竹島は日本領だと主張する声が公然と現れることは、現状では、まず想像できない」。

 そして、つぎのように本書をまとめている。「韓国による日本漁船拿捕と漁船員抑留の強行によって、問題の平和的解決を求めるしかない日本の竹島問題への対応の手は縛られた。漁業問題と領土問題のそのような複雑な錯綜を解きほぐし、竹島問題をゼロ地点から捉え直そうとしたのが本書である。今後、この回答を念頭に、冒頭で記した竹島問題の奇妙さに向かい合っていきたいと私は考えている。その際には、竹島領有論争、国際関係を含む日韓会談の全体像、日本海西部漁業の実相といった、諸問題の解明へのさらなる努力も必要になるだろう」。

 国家間の関係がうまくいかないのなら、民間に頼るしかない。漁業問題は、漁民、漁村、市場、消費者などの視点を入れると国益と国家の体面を重視する「交渉」とは違う結果が得られる。5年前にソウル独島体験館を訪れたとき、一方的に領有を主張しているだけでなく、歴史的説明は客観的におこなわれており、冷静に読めば日本側に分があるように読めた。「奇妙」なのは、「反日」なのにたくさんの韓国人が日本に来るだけではない。

 「序章」最後に「筆者の見解は島根県や日本政府を代表するものではない」との断り書きがあるが、2018年の出版時点で「日本安全保障戦略研究所研究員・島根県竹島問題研究顧問・島根県竹島問題研究会研究委員」を務めていた著者は、「島根県や日本政府」の見解をもっともよく知っていたひとりと言っていいだろう。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

ベンジャミン・ウチヤマ著、布施由紀子訳『日本のカーニバル戦争:総力戦下の大衆文化 1937-1945』みすず書房、2022年8月16日、385+23頁、4200円+税、ISBN978-4-622-09523-1

 本書のキーワードは「カーニバル」である。だが、「カーニバル戦争」とは、聞きなれないことばである。著者、ウチヤマは「カーニバルという概念」を「序章」で、つぎのように説明している。「ロシアの文学理論家ミハイル・バフチンは、「カーニバル」とは、ある社会的・文化的状況で突如として沸き起こり、既存の秩序を転倒させて、破壊し、再生へ導きさえする社会的な力であると定義している。それは、コミュニティの通常のルールが一時的に適用されなくなり、既存の階級構造が打ち壊されて平準化される過渡的な瞬間を指す。そのような安定を欠いた状況下では、新しい文化的実践が生まれて、強者を貶め、あざけり、パロディ化する一方、弱者、凡人、奇怪な者を、コミュニティの新しい「王」に祭りあげ」、「大衆に、鬱積した不満を吐き出すセラピー効果のある通気口を提供」した。

 「その象徴的な存在として本書が取り上げるのは、①「スリル・ハンター」となった従軍記者、②高給取りの軍需工場の職工、③兵隊(帰還した傷病兵を含む)、④映画スター(総力戦のチアリーダーも務めた)、⑤少年航空兵(戦争末期には特攻隊員に)」であるが、けっして「網羅的なリストではない。戦時日本にはほかにも、たとえば従軍看護婦や、軽蔑の的であった闇市の「ブローカー」、怪人赤マントなど、あいまいな文化的概念が存在し、絶えず大衆の想像力を刺激していた」。本書は、これら5つにそれぞれ1章をあてた全5章と序章、終章からなる。

 「本書では、一九三七年から一九四五年までの日本人の日常生活に対するわれわれの認識を再構築することにより、大衆文化が、「祝祭戦争」とわたしが名づけるものへと進化した過程をたどっていく。アジア・太平洋戦争は国が社会全体に支配をおよぼす機会を生み出したが、同時に、日本人の自己意識を多元化させ、本書で論じるように、カーニバル戦争ととらえればもっとも的確に理解できる文化的枠組みのなかにこれを広める結果も招いた。カーニバル戦争には、スポットライトを浴びて燦然と輝く「公式」の文化と、影のなかにひそむ「非公式」の文化の両方が包摂される」。

 さらに、「本書では、日本がアジア・太平洋地域を侵略・占領していた時期の帝国主義と大衆文化との関わりをみていくなかで、日本の一般大衆が、すべてを国に捧げる忠実な帝国臣民としての役割と、犠牲より欲望を優先するコスモポリタンな大衆文化の消費者としての役割とを演じ分けていた実態を描き出す」。

 そして、著者は、「序章」でつぎのように結論めいたことを述べている。「本書は、大衆を抑圧し、威圧し、鼓舞さえして、挙国一致に近い状態を生み出していった、戦時日本国家の恐るべき権力やイデオロギー装置を完全には否定しない。しかし、研究者が社会的平等と調和の実現に関心を固定すれば、このような均質化が社会にもたらした分断や「不平等」を無視することになる。つまり、政策と目標と、公式発表のみをみることになり、総力戦下の文化的な実践や、多数の人々の「生きられた経験」に目をつぶることになるのだ。突き詰めて言えば、国家権力や強制的な社会調和の拡大をめぐる言説は、物語の半分にすぎない。日本の戦時動員を詳細にみていくと、それは「体制」ではなく、行き当たりばったりのプロセスであったことがわかるからだ」。

 そして、「序章」をつぎのパラグラフで締め括っている。「どのカーニバル王も、総力戦の「影」の部分をスポットライトの下に引きずり出した。銃後にくすぶる亀裂、齟齬、怒りを。警官のそばで賑わうサーカス・フリークを。その起原は、一九三七年、日本が中国への侵略を開始したころにさかのぼる。カーニバル戦争は、最初は徐々にはじまり、やがて声高に殺戮を求める大合唱になり、残虐と狂気の旋風になった。それに続いたメディアの熱狂はほどなく沈静化したものの、すでに日本の戦前大衆社会はカーニバルの興奮を際限なく消費したがる国内線戦へと変容していたのである。このすさまじい暴力と快楽のコンサートに、指揮者として立ったのは、「スリル・ハンター」であった従軍記者、最初のカーニバル王だった」。

 「終章」では、つぎのようにまとめている。「本書では、日本の戦時大衆文化は「カーニバル戦争」というレンズを通して見ることでもっとも深く理解できると論じてきた。「カーニバル戦争」では、メディアによるグロテスクやナンセンスの礼讃と、国に統制された過度に規律正しい日常生活とのあいだを、文化的構成要素が振り子のように揺れ動いていた。本書で取りあげたメディアの五つの構成概念は、それぞれ別個のものでありながら、たがいに接点をもっていた。そして、総力戦の暴力、消費、モダニティが、カーニバル戦争を経て、変動する多面的な文化的実践にさまざまなかたちで組みこまれていった過程を解明する手がかりをあたえてくれる」。

 つづけて、つぎのように明らかになったことを述べている。「カーニバル戦争論は、日本の戦時史にまつわるふたつの通念に異議を申し立てる。そのひとつは、戦時の国家イデオロギーが日本の社会を支配し、一九二〇年代以来ふつふつと煮えたぎっていたモダニティや社会的興奮を効果的に抑えこんだとする見解である。いまひとつは、大衆が生死にかかわる問題に向き合い、これを理解し、消化する基本的な道筋を、国がつねに明確に示すことができたとする、より固定的な見方である。カーニバル戦争論はまた、総力戦が為政者としての日本人、帝国臣民・大衆消費者としての日本人のあいだに、モダンライフに対する抑圧的なふるまい、享楽的なふるまいの両方を引き起こした実態も明らかにする」。

 そして、つぎのパラグラフで、「終章」を終えている。「銃後には欲求と犠牲があり、幻想と悪夢があり、美と恐怖があった。これらのたがいに相矛盾する文化的実践のすべてがあいまって、戦時の日本人の日常体験を形づくっていった。このダイナミクスを認めることで、はじめてわたしたちは、なぜ日本が戦争をしたのか、さらには、なぜモダンな大衆社会が、第二次世界大戦中の他国民に対する凄惨な暴力や残虐行為を許したのかが理解できるのだ。そしてやがては、一部の国家が-総力戦とは異なる形態であるにせよ-大衆社会の抑制をほとんど受けずに近代的な戦争をつづけている。われわれの時代についても考察をはじめることができるだろう」。

 われわれは往々にして、権力者側の意図にもとづいて語りがちである。それは、権力者側がその意図を資料として残していること、権力者が強いたことを強いられたほうが根にもって覚えていることなどによるだろう。だが、実態はどうであったのか、人びとの日常からうかがい知ることができるはずだ。本書の「原注」から、著者が新聞から多くの情報を得ていたことがわかる。残念ながら、掲載された新聞の頁は書かれていない。1面や2面ではなく、三面記事が多かったのではないだろうか。同じ新聞記事を使うにしても、1面や2面をおもに使う学術的成果と「三面」をおもに使うものではまったく違ったものになる。「カーニバル戦争」とは、「三面」的性格のものだったのではないか。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

片岡千賀之『長崎県漁業の近現代史』長崎文献社、2011年6月10日、295頁、2600円+税、ISBN978-4-88851-169-8

 本書は、「はじめに」に「定年退職の日」と書かれているように、65歳定年を前に著者が前年の2010年に九州大学出版会から出版した学術書『近代における地域漁業の形成と展開』に収録されなかった長崎県の近現代漁業史に関する9編の論考を集めたものである。九州大学出版会から出版されたものは、長崎を含む九州・沖縄各地の地域漁業の近代史をまとめたものである。

 本書に収録されたものは、1編を除き、『長崎大学水産学部研究報告』に掲載されたものである。その特徴を、つぎのように説明している。「水産史を、しかも通史として書くとどうしても本文や資料が多くなり、枚数制限のある学会誌にはなじまない。そうした意味で、この『研究報告』には助けられた」。

 大学や研究所などで、研究論文などを収録した定期刊行物である紀要は、厳格な査読制度がなかったりするために、研究成果としてはレベルがそれほど高いものとみなされず、軽視されることがある。たしかに、業績の点数稼ぎとしか思えないようなものがある。だが、本書に収録されたもののように、その特質を生かして発表する機会を得、それが地域社会にとって必要な資料を活字化したとなると、地方の大学の定期刊行物としての役割を充分にはたしていることになる。学会誌とは違った意味があり、それを利用し、本書のように1冊にまとめると、その意義はさらに高まる。

 本書は、長崎県の水産業の歴史に関するものを編集した、つぎの9章からなる。「章によっては時期を限定したもの、現代だけ」のものもあり、「長崎県の水産業を通観したものではない」。「それぞれの論考は、業態別、地域別の水産業の担い手ごとになっている。水産業の担い手が歴史を刻んできたし、未来を切り開いていくという自明のことに従っている」。

  第1章 明治38年の長崎県水産業経済調査
  第2章 戦前における長崎県のイカ釣り漁業とスルメ加工の展開
  第3章 長崎県におけるイカ釣り漁業の戦後展開
  第4章 あんこう網漁業の発達-有明海での生成と朝鮮海出漁-
  第5章 戦後のあんこう網漁業の展開
  第6章 五島・小値賀におけるアワビ漁業の変遷
  第7章 戦後における長崎魚市場の発展
  第8章 戦後の以西底曳網・以西トロール漁業の発展-1960年代まで-
  第9章 以西底曳網漁業の衰退過程-1970年代~現在-

 「歴史研究といっても現代も対象なので、現状分析とつながる場合が多い」。「水産史を現代まで書き繋ぐと、漁業の衰退過程を跡づけることが多くなる。漁業の衰退過程には、その発展過程以上に漁業問題の諸相が現れる。日本漁業が押しなべて縮小している今日、衰退の過程、その要因分析、対応と再生に向けた取り組みを整理することの意義は高くなっている。現代からの視点、現代へつながる視点が求められているといえる」。

 「長崎県は各種水産業が盛んな県であるが、水産史としてまとまった本がない」という。鹿児島大学から長崎大学に移られ、それぞれの地域漁業をみてきた著者が、定年までにたどり着いたのが本書である。

 はじめから優れた学術論文が書けるわけではない。資料の状況、自身の能力を含めて下準備の状況などによって、中途半端なものしか書けないときがある。大切なのは、活字にしておくタイミングである。充分でないものでも、紀要などを利用して活字にしておくと、将来、優れた論文の執筆につながることがある。また、学術的には優れた論文ではなくても、地域社会やある個人・グループに必要な情報を提供することがある。そして、研究者個人としては、書き続ける習慣を身につけることになる。書き続け活字にすることは、書くだけではなく、校正を繰り返すことを意味する。入稿前とあわせると数度は校正することになる。完成度を高めるための考察力と集中力は、校正によって鍛えられる。

 なお、本書の姉妹編ともいうべき『西海漁業史と長崎県』(長崎文献社)が、2015年に出版されている。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

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