藤原辰史『歴史の屑拾い』講談社、2022年10月18日、202頁、1400円+税、ISBN978-4-06-529371-3
本書は、2020年5月号から21年12月号まで雑誌『群像』に連載されたものに手を入れて、書籍化したものである。
著者の藤原辰史が本書でやってみたかったことは、「プロローグ ぎくしゃくした身振りで」の最後で、つぎのようにまとめられている。「大事なのは身振りだ。屑拾いは、目線を下に向け、屑を探す。屑を背中の籠に投げ入れる。だから、いちいち立ち止まる。目線を下に向けたまま前に進むことは難しい。目線が下では先を見通せない。パリという都市の全体像を知ることは困難だろう。だが、捨てられたものをじっと観察する屑拾いは、下を向いて歩くことで、誰も到達できないあることに通暁する。屑の性質を見極めることで、再生可能なものが出やすい場所を熟知していく。それは、捨てる人間の性質も知っていなければ、できる芸当ではない。さらに腕のいい屑拾いは、パリの人びとの卑しさと善良さを、そして、季節ごとの物と人の流れと性質をどんなパリ市民よりも知っている。そんな、地べたに捨てられたものの知からぎくしゃくした身振りで歴史を組み立て直すことを、私はこの書物でやってみたいと思う」。
本書は、プロローグ、全7章、エピローグ、おわりに、などからなるエッセイ集で、「戦争体験者の言葉、大学生への講義、語り手と叙述」など、「研究者である自身に問いかけながらの試行錯誤と、思索を綴」っている。
「歴史をどう語るのか」は、「エピローグ 偶発を待ち受ける」の最後の「4」で語られ、つぎのパラグラフで締め括っている。「そして、それらの言葉の群れは、やがて偶然出会った読者によって批判され、解体され、次の書物や思考の肥やしになる。少なくともそうなるように工夫されなければならない。謝辞や註や参考文献が必要なのは、それらが偶然の出会いの記録でもあり、歴史書の解体に役立つからでもある。やがて歴史研究者自身も、老いて寿命を迎えることで、自分の放った言葉とともに、歴史にただよう「屑」の一つになる。現世のしがらみから切り離され、誰の所有物でもない「屑」に分解されるのである。そんな歴史研究者の自覚においてこそ、歴史叙述は生成し始めるのだと思う」。
著者のように生産性の高い研究者は、「いつそんなに書く時間があるのですか」と問われることだろう。だが、この問いは正確ではない。出版物を出す人間にとっては、「書くこと」でおわり、あとは出版社の編集者がやってくれて出版されるのを待つだけ、ではないからである。まず、出版社に入稿する前に数度は改稿する。入稿した後、初校、再校がある。場合によっては、三校、四校、...と延々とつづくことがある。しかも、その校正ゲラがいつ届くかわからない。「書くこと」の計画は立てられても、校正の計画は立てられず、不思議と重なる。初校と念校(念のためにおこなう最後の校正)が同時に来ると、パニックになることがある。念校ではもう大幅な訂正はできないのに、気づいてしまうことがよくある。初校と同じ気分ですることは禁物だ。校正をしているあいだは、寝ても覚めても気になる。「書く時間」より、「ゆっくり寝る時間」がいつあるのか、心配になる。
もうひとつ気になるのは、生産性が高いということは、一次史料に基づいて書く専門的なことだけでなく、専門外のことについても書くことになる。信頼のおけるものを参考にして書いたつもりでも、その専門分野の第一人者が書いたものでも結構間違いがある。あるいは、専門外のため誤読することがある。すると「専門でもないくせに」と、オタク的な研究をしている者からお叱りを受ける。デメリットよりもメリットをみてください、と言いたくなるが、それを言ってはプロと言えなくなる。専門外の事実確認をすることはけっこうたいへんで、ウィキペディアなどが信頼できないことはすぐにわかり、ウィキペディアなどをみて間違いを指摘してくる者がいると、クスッと笑ってしまう。
本書は、エッセイ集である。読者が気楽に読むことで、著者と「何かと出会うたびに感じる驚きと違和感の堆積のようなもの」を共有でき、著者から学ぶことができる。気楽に書くことができ、気楽に校正するためには、優れた編集者の助けが必要だ。本書では、それがあったようだ。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。