早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2022年11月

藤原辰史『歴史の屑拾い』講談社、2022年10月18日、202頁、1400円+税、ISBN978-4-06-529371-3

 本書は、2020年5月号から21年12月号まで雑誌『群像』に連載されたものに手を入れて、書籍化したものである。

 著者の藤原辰史が本書でやってみたかったことは、「プロローグ ぎくしゃくした身振りで」の最後で、つぎのようにまとめられている。「大事なのは身振りだ。屑拾いは、目線を下に向け、屑を探す。屑を背中の籠に投げ入れる。だから、いちいち立ち止まる。目線を下に向けたまま前に進むことは難しい。目線が下では先を見通せない。パリという都市の全体像を知ることは困難だろう。だが、捨てられたものをじっと観察する屑拾いは、下を向いて歩くことで、誰も到達できないあることに通暁する。屑の性質を見極めることで、再生可能なものが出やすい場所を熟知していく。それは、捨てる人間の性質も知っていなければ、できる芸当ではない。さらに腕のいい屑拾いは、パリの人びとの卑しさと善良さを、そして、季節ごとの物と人の流れと性質をどんなパリ市民よりも知っている。そんな、地べたに捨てられたものの知からぎくしゃくした身振りで歴史を組み立て直すことを、私はこの書物でやってみたいと思う」。

 本書は、プロローグ、全7章、エピローグ、おわりに、などからなるエッセイ集で、「戦争体験者の言葉、大学生への講義、語り手と叙述」など、「研究者である自身に問いかけながらの試行錯誤と、思索を綴」っている。

 「歴史をどう語るのか」は、「エピローグ 偶発を待ち受ける」の最後の「4」で語られ、つぎのパラグラフで締め括っている。「そして、それらの言葉の群れは、やがて偶然出会った読者によって批判され、解体され、次の書物や思考の肥やしになる。少なくともそうなるように工夫されなければならない。謝辞や註や参考文献が必要なのは、それらが偶然の出会いの記録でもあり、歴史書の解体に役立つからでもある。やがて歴史研究者自身も、老いて寿命を迎えることで、自分の放った言葉とともに、歴史にただよう「屑」の一つになる。現世のしがらみから切り離され、誰の所有物でもない「屑」に分解されるのである。そんな歴史研究者の自覚においてこそ、歴史叙述は生成し始めるのだと思う」。

 著者のように生産性の高い研究者は、「いつそんなに書く時間があるのですか」と問われることだろう。だが、この問いは正確ではない。出版物を出す人間にとっては、「書くこと」でおわり、あとは出版社の編集者がやってくれて出版されるのを待つだけ、ではないからである。まず、出版社に入稿する前に数度は改稿する。入稿した後、初校、再校がある。場合によっては、三校、四校、...と延々とつづくことがある。しかも、その校正ゲラがいつ届くかわからない。「書くこと」の計画は立てられても、校正の計画は立てられず、不思議と重なる。初校と念校(念のためにおこなう最後の校正)が同時に来ると、パニックになることがある。念校ではもう大幅な訂正はできないのに、気づいてしまうことがよくある。初校と同じ気分ですることは禁物だ。校正をしているあいだは、寝ても覚めても気になる。「書く時間」より、「ゆっくり寝る時間」がいつあるのか、心配になる。

 もうひとつ気になるのは、生産性が高いということは、一次史料に基づいて書く専門的なことだけでなく、専門外のことについても書くことになる。信頼のおけるものを参考にして書いたつもりでも、その専門分野の第一人者が書いたものでも結構間違いがある。あるいは、専門外のため誤読することがある。すると「専門でもないくせに」と、オタク的な研究をしている者からお叱りを受ける。デメリットよりもメリットをみてください、と言いたくなるが、それを言ってはプロと言えなくなる。専門外の事実確認をすることはけっこうたいへんで、ウィキペディアなどが信頼できないことはすぐにわかり、ウィキペディアなどをみて間違いを指摘してくる者がいると、クスッと笑ってしまう。

 本書は、エッセイ集である。読者が気楽に読むことで、著者と「何かと出会うたびに感じる驚きと違和感の堆積のようなもの」を共有でき、著者から学ぶことができる。気楽に書くことができ、気楽に校正するためには、優れた編集者の助けが必要だ。本書では、それがあったようだ。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

ルイ・アレン著、笠井亮平監訳・解説、長尾睦也・寺村誠一訳『日本軍が銃をおいた日-太平洋戦争の終焉』早川書房、2022年8月15日、428頁、4000円+税、ISBN978-4-15-210156-3

 ものごとの終わりは、それまでの総決算であり、これからの出発である。終焉を検証することは、未来にとって大切である。にもかかわらず、「太平洋戦争」の物語りは1945年8月15日をもって終わることが多い(第二次世界大戦の終結日は日本が降伏文書に調印した9月2日)。本書が重要なのは、8月15日から数ヶ月の歩みを追っていること、著者自身がその場に立ち会っていたことである。本書は、1976年に原著と訳書がほぼ同時に出版されたものを、改訂・再編集したものである。

 本書の内容は、表紙折り返しに、つぎのようにまとめられている。「1945年8月15日、日本は無条件降伏を受諾し、太平洋戦争は終わった。だが海外各地の数百万の日本軍兵士にとって、それは新たな戦いの始まりだった。錯綜する和平交渉に出口はあるのか。アウンサン、スカルノ、ホー・チ・ミンら民族独立運動の闘士たちといかに切り結ぶべきか。帰還か残留継戦か、決断の刻が迫る-。バンコクで終戦を迎えた後、仏僧に化け潜伏生活に入った参謀・辻政信、「F機関」を率いてインド国民軍創設の立役者となった藤原岩市、満州国で皇帝溥儀の御用掛を務めた吉岡安直など、個性豊かな軍人たちを活写しながら、現代アジアを形成した歴史転換期を克明に描き出す。当時、イギリス軍の語学将校として降伏交渉に身をもってあたった日本研究の第一人者が、数多くのインタビューと日、英、米、仏の膨大な資料を駆使して書きあげた畢生の書」。

 著者は、日本が降伏した前後を扱った意図について、つぎのように「序」で述べている。「この降伏の期間については、そこへいたるまでの外交上の駆け引きや、原爆投下や、阿南陸相の自決や、皇居での反逆等々に関して数えきれないほどの書物が著わされている。私が本書において意図したものはそれとは違う。私は、降伏が外地の日本軍に与えた衝撃を示そうと試みた。その決定は巨大な、だが短命に終わった帝国でいかに受けとめられたか、それは日本人自身にどのような悲劇をもたらしたか、それは戻ってきた連合軍にどのような問題を提起したか、解放が身近に迫るにつれて連合軍の戦争捕虜の心にどのような恐怖が湧いてきたか、そしてわけても、その余波としてそれはいかなる政治的変化を招いたか、である。なぜならば、現代アジアの地図は、日本が降伏した一九四五年八月から一〇月にかけての数カ月間に由来しているからである」。

  いっぽう、著者は、日本側だけでなく、戦争に巻きこまれた現地側の見方も描こうとし、つぎのように述べている。「私は、日本が征服した、あるいは解放した-どちらの動詞を採るかは各自の見解にまかせるが-国々、もしくは日本に協力するよう強いられた国々がいかにして日本とのつながりから脱皮して自らの独立という重荷を引きうけていったかを、ここに示そうと試みたのである」。

 さらに具体的に、著者はつぎのように述べて、「序」を結んでいる。「私は一九四六年サイゴンにおいて、フランス、イギリス、ベトナムの三者の間でもたれた錯綜した交渉の現場に立ち会った。バンコクでは、ある日本人の大佐が仏僧に変装して仏教寺院に隠れているという幻想的としか言いようのない噂を耳にした。だが、その噂は、タイを扱った章から分かるとおり、冷厳なる事実であった。私はまたビルマの新しい政治指導者層が戻ってきた英軍とうまく折り合いをつけてやっていくという企図をもってそれに着手するのを見た。またスバース・チャンドラ・ボースのインド国民軍の流れの分岐を探り、インドの軍部および政治に対するその影響を測ることもできた。私がただ単に一冊の政治史を著わすにとどまらず、個別の物語を通して、大きな歴史的転換期にあたる一時期にまつわる興奮を伝えたいと願った理由はそこにある。私の試みは、決定を下した、あるいはその決定ゆえに苦しみ悩んだ日本人の眼を通して、同時にアジアの新しい指導者たちの-日本による〝新秩序〟の灰の上に自らの夢をうちたてた人たちの-眼を通して、新しいアジアの姿を鮮明に示すことにあった」。

 本書は、謝辞、序、2部全8章、エピローグ、訳者あとがき、監訳者解説、原注などからなる。第一部「東南アジアにおける日本の降伏」は、「ビルマ」、「タイ(シャム)」、「インドネシアの誕生」、「仏印」、「スバース・チャンドラ・ボースとインド国民軍」の5章からなる。第二部「ソ連、中国に対する日本の降伏」は、「朝鮮」、「満州」、「中国」の3章からなる。

 「エピローグ」で、著者は尾を引く余波を語った後、つぎのように本書をまとめて閉じている。「結局、アジアに築いた日本の帝国は史上最も短命なもの-三年半-にとどまった。にもかかわらず、その衝撃は非常に大きかった。日本征服の直接の結果として、また日本がいなくなったあとの配列において、アジアの歴史の型は、再び元に戻せないような決定的な変化をとげた。満州で、日本軍から奪った武器は、毛沢東軍を太らせ、彼にまず満州を、つぎに全中国を奪取することを可能にした。連合国の一六度線におけるベトナムの、三八度線における朝鮮半島の一時的分割は、予見しうる将来に消失のきざしを見せない政治的現実へと固まった。遅くはなったが、ビルマ、ベトナム、インドシナには独立の果実が与えられた。ビルマの戦時の首相バー・モウは、日本がその軍国主義者と彼らの人種的幻想によって裏切られたことについて述べ、もし日本が開戦当時宣言したアジア人のためのアジアの政策に最後まで忠実であったならば、アジアの半分の信頼と感謝を失うことはなかったであろう、と述べている。一九四二年と一九四五年の間の、日本の国民としての過ちがいかようであれ、歴史はこの信頼と感謝を回復するであろう。長期的な見通しとして、ヨーロッパ人にとってこれを認めることがむずかしく、苦々しいことでさえあろうが、アジア数百万の民族をその植民地の過去から解放したことは、日本の永続的な業績である」。

 監訳者の笠井亮平は、「解説」で、つぎのように本書を評価している。「もちろん、各地で事情は大きく異なる。終戦直後の状況を、現地側から見るか、日本軍側から見るか、あるいは旧宗主国側から見るかで、捉え方も当然違ってくる。それぞれの地域の実態を各勢力の視点を踏まえながら詳述しつつ、一冊の書物にまとめることで俯瞰することは、容易ではない。その大仕事が結実したのが、本書『日本軍が銃をおいた日』である」。

 1976年に出版された本書を復刊する意味はどこにあるのか。著者自身が「その場に居合わせた」ことから、本書で描かれたことは、ほんの氷山の一角にすぎないことがわかる。いくら残された資料を精読し、関係者にインタビューしてもわからない微妙な「現場」が、本書の背景にある。しかも、客観的に描いている。シリーズ「人間と戦争」にふさわしい1冊といえる。              


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

東栄一郎著、飯島真里子・今野裕子・佐原彩子・佃陽子訳『帝国のフロンティアをもとめて-日本人の環太平洋移動と入植者植民地主義』名古屋大学出版会、2022年6月15日、345+76頁、5400円+税、ISBN978-4-8158-1092-4

 気になっていた本だが、英文の原著を読むのを後まわしにしていた。東南アジア、とくにフィリピンのことが言及されていなかったからである。「本書の射程は日本人の環太平洋での越境現象全般」と書かれていながら、「東進」と「北進」の繋がりはわかっても、「南進」との関係はわからない。とくにアメリカ合衆国の植民地であり、戦前3万人の日本人が暮らし、そのうちの2万人が家族とともに入植地ダバオに居を構えていたフィリピンが書かれていないことで、すぐに読む必要性を感じなかった。アメリカと日本の「間帝国」の歴史的文脈のなかのフィリピンはみえず、アメリカ本土を中心とした「語り」だと思っていた。

 本書の目的は、序章「日本帝国の入植者植民地主義と環太平洋移動」にちりばめられている。たとえば、先行研究にたいしては、つぎのような疑問を抱いている。「本書は、日本の「海外発展」の旗印の下、太平洋を縦横無尽に越境した人々の忘れられた歴史を明らかにする。日米両帝国の植民地空間を横断し生き抜いてきた彼らの背景や経験は特筆すべきものであり、既存の日本帝国史研究や日系アメリカ人史研究が前提としてきた枠組みや解釈全体に疑問を投げかけるものである」。

 さらに具体的に、つぎのように述べている。「本書の射程は日本人の環太平洋での越境現象全般であり、その意味で、移民・植民者のアイデンティティや主体性のみを課題としているのではない。それ以外にも、植民地主義の理念や教訓、農業関係の専門知識、科学技術、労働者の管理方法、そして投資資本なども含めた諸々の、アメリカ日系社会と日本帝国の間における移動や循環のプロセスを精査することも、本書の重要な目的になっている」。

 本書は、序章、4部、各部2章全8章、エピローグ、日本語版へのあとがき、訳者解説、などからなる。序章の最後の節「日本型入植者植民地主義の多様性と歴史的変遷」では、各部がつぎのように要約されている。第Ⅰ部「太平洋地域進出の展望 一八八四-一九〇七年」は、「一八八〇年代半ばから二〇世紀初頭にかけて、カリフォルニアとハワイにおける日系社会の形成に寄与した移民先駆者に焦点をあて、日本型入植者植民地主義の複雑な原点とその軌跡を辿る」。

 第Ⅱ部「海外発展の最盛期 一九〇八-二八年」では、「一九〇八年から二八年の間の日本の入植者植民地主義の歴史的展開に焦点を置き、海外各地における移植民事業での官民の区別がいかに曖昧となり融合していったかを検証し、そこに現れた多層的なプロセスをひもとく」。

 第Ⅲ部「入植者植民地主義の先兵 一九二四-四五年」は、「日本帝国の入植者植民地主義において、アメリカ日系一世の地位を国策植民開拓のロールモデルにまで向上させた、環太平洋・間帝国の再移民現象についてみていくこととする。日本帝国が一般農民を国内農村部から植民地各地へ移住させようと尽力していた時、アメリカからの再移民や在米の起業家たちは、日本統治下の東アジアや南洋群島における入植者植民地建設において、政府や独占資本に対して必要不可欠な支援をもたらした。彼らが独占していたアメリカ式科学農業の実体験や知識は、植民地官僚や資本家に高く評価された」。

 第Ⅳ部「正史と未来の創造 一九三二-四五年」は、「日本帝国が一九三一年に満洲を軍事的に占領した後、越境的入植者帝国を建設するために用いたさまざまな政治イデオロギー的取り組みについて掘り下げて考察する。これらの公的取り組みにおいて、日系アメリカ人一世とアメリカ生まれの二世は、日本民族および国家の膨張主義的な過去、現在、未来の、実質的かつ比喩的な象徴としての重要な役割を担った」。

 そして、序章をつぎのように締め括っている。「無数のフロンティア越境者たちの記憶、そしてアメリカ日系社会と戦前の膨張する日本帝国が紡いだ複雑で深いつながりは、既存の研究書や歴史的叙述にはほとんどみることができない。もしあるとしたら、新世界のフロンティアにおける日本人移民社会の先駆者が、それぞれの移民先の国民国家史のなかで、「アメリカ人」、「カナダ人」、「ブラジル人」などのエスニック・グループの第一世代として記憶されているだけである。本書は、日本帝国の入植者植民地主義とそれに付随する抑圧的支配構造に対する日本人越境者の迎合と共犯性を描きだすとともに、彼らの埋もれた記憶、失われた語り、複雑なアイデンティティを掘り起こすものである」。

 著者、東栄一郎は、本書で明らかにしたことで真っ先に述べたかったことを、エピローグ「日本型入植者植民地主義のゆくえ」の冒頭で、つぎのようにまとめている。「本書は、太平洋戦争以前に日本帝国が国内外において入植者植民地主義を展開するにあたりアメリカ日系社会が果たした、これまで知られてこなかった役割について明らかにした。この複雑な歴史的過程を描くに際して、本書では間帝国という分析枠組みを使用した。それは、白人支配による北米・太平洋地域の形成を目指したアメリカ帝国主義と、民族主義にもとづいたフロンティア開拓を通じて帝国の拡大を目指した日本による適応型入植者植民地主義に焦点をあてた枠組みである。また間帝国的分析は、アメリカ日系社会と日本帝国がいかに植民地主義を媒介につながっていたかを批判的に検討することを可能にしただけではなく、アメリカの白人入植者社会における人種的マイノリティであると同時に、日本帝国における支配者でもあった日本人の立場的相違も明らかにした。アメリカ在住の日本人移民や同国からの再移民は、太平洋を挟んだ両帝国において対照的な立場で日々の生活を送り、そして異なった人種支配空間を移動した。だが彼らの間帝国的移動は、アメリカでの植民地開拓農業を通じて、フロンティア征服者や文明建設者としての実体験や専門知識を携えて日本帝国へ戻るという意味を有してもいた」。そして、「エピローグ」では、戦後のアメリカ日系人社会やブラジルなど南米移民へとつながっていく「帝国日本の入植者植民地主義」が語られている。

 だが、著者が、もっとも語りたかったことは、アメリカの学界や歴史観にたいしての異議申し立てであったのだろう。「日本語版へのあとがき」では、「常識」への挑戦であったことを、つぎのように述べている。「本書が対峙した「常識」には、前述のように歴史分野と空間の分断(アジアとアメリカ、西太平洋と東太平洋)や研究方法(移民対植民)などがあるが、もう一つ問題としたものに歴史解釈や語りにおける常識があった。それは、移民たちが日本帝国を物理的に離れた後には、日本帝国主義やその根幹を成した入植者植民地主義の形成や展開には関与せず、「日系アメリカ人」や「日系ブラジル人」として他国の多文化社会の一員となったとする歴史的語りである。このようなナラティブは現在のアメリカ国民史の文脈で、「白人至上主義と闘い、民主主義を発展させた立派なアメリカ人としての日系人」を称える進歩主義的言説にも内在し、さらに人種差別を克服し続け発展する「多文化主義国家アメリカ」という公民権運動以後の「合衆国」ナショナリズムを支えている。本書は在米・在ブラジル移民たちが東アジアの日本帝国主義の歴史に深く関与し、その共犯者的立場にいたことを間帝国の視点から解明しながら、さらにアメリカ多文化主義の起源となったその帝国性と、既存の日系アメリカ人史の語りがもつ独善的ナショナリズムにも疑問を呈するものでもある。もし本書が読者にとって、歴史学者や学術界が作り上げてきた「日本史とはこういうもの」もしくは「アメリカ史とはこういうもの」という常識自体を問い直すきっかけとなったならば、筆者がこの本をまとめた意味があったと考える次第である」。

 本書が「常識」を問い直すきっかけになることは間違いがない。そのためにも、戦前の日本帝国が、戦後「帝国」(経済大国)日本として「大東亜共栄圏」に再登場することも、射程を環太平洋におくなら考える必要があるだろう。なぜ、「南進」とくにアメリカ、日本との関係が深いフィリピンが考察の対象にならないのか、訊いてみたい気がする。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

安達宏昭『大東亜共栄圏-帝国日本のアジア支配構想』中公新書、2022年7月25日、260頁、880円+税、ISBN978-4-12-102707-8

 本書の概要は、表紙見返し、および、帯の裏で、つぎのようにまとめられている。「大東亜共栄圏とは、第2次世界大戦下、日本を盟主とし、アジアの統合をめざす国策だった。それは独伊と連動し世界分割を目論むものでもあった。日本は「自存自衛」を掲げ、石油、鉱業、コメ、棉花などの生産を占領地域に割り振り、政官財が連携し企業を進出させる。だが戦局悪化後、「アジア解放」をスローガンとし、各地域の代表を招く大東亜会議を開催するなど、変容し迷走する。本書は、立案、実行から破綻までの全貌を描く」。

 また、「まえがき」では、著者、安達宏昭はつぎのように述べている。「本書では、経済的な問題意識に沿って、日本が経済自給圏として形成しようとした大東亜共栄圏の構想から破綻までを描く。具体的には当時の日本がどのような経済自給圏を構想し、どのように進めようとしたのか、また進めることができたのか、圏域経済の運営はどのように進められたのか。さらには、経済を動かす政治構造は、どのようなものだったのか述べていく」。

 本書は、まえがき、序章、全6章、終章、あとがきなどからなる。序章「総力戦と帝国日本-貧弱な資源と経済力のなかで」は、「総力戦が求めるもの」「第一次世界大戦後の日本の工業力」「英米への経済的依存と対英米協調路線」「アジア・モンロー主義路線」「日中戦争と経済自給圏構想のジレンマ」など、要点を述べた後、時系列に進む章ごとに、つぎのようにまとめている。

 第1章「構想までの道程-アジア・太平洋戦争開戦まで」では、「満州事変からアジア太平洋戦争開戦にいたるまでの国際情勢の変遷と、日本の経済自給圏形成に向けての胎動を描く」。

 第2章「大東亜建設審議会-自給圏構想の立案」では、「大東亜共栄圏の構想を立案するために、内閣のもとに設置された大東亜建設審議会での議論を追い、構想の特徴と問題点を明らかにする」。

 第3章「自給圏構想の始動-初期軍政から大東亜省設置へ」では、「アジア・太平洋戦争開始後、東南アジア地域を占領した日本が、その地域で採った方針や当初の軍政の実態を描く」。

 第4章「大東亜共同宣言と自主独立-戦局悪化の一九四三年」では、「アジア・太平洋戦争で始まって一年が経ち、ビルマ(ミャンマー)やフィリピンを独立させて、戦局が悪化するなかで大東亜共栄圏内の圏内秩序を構築しようとする過程を、外相重光葵の構想や一九四三年一一月に開催された大東亜会議を軸にして描く」。

 第5章「共栄圏運営の現実-期待のフィリピン、北支での挫折」では、「経済自給圏を建設すべく各地で重要国防資源の増産を図るが成功せず、輸送力の低下から中国の北支に重点を置く縮小した経済圏の再構築へと向かい、それすらも挫折する過程を追う」。

 第6章「帝国日本の瓦解-自給圏の終焉」は、「大東亜共栄圏の政治的秩序が日本自ら発した言葉により対日協力者の自立と抵抗にあって揺らぎ、戦局の悪化により輸送力がさらに低下し、各地が分断されて経済自給圏が崩壊していく様相を描いていく」。

 そして、つづけてつぎのようなパラグラフで、「序章」を締め括っている。「これらを通して、日本が経済自給圏を形成するのは困難であり、脆弱な経済力しか持たずにアジアで盟主になろうとした矛盾が明らかになるだろう。そのことが、近代日本の特質と現在にいたる日本とアジアの関係を考える有益な知見をもたらすと考える」。

 終章「大東亜共栄圏とは何だったか」では、「場当たり的政策、脆弱な経済」「大東亜共栄圏の独善性」「国家機構の分立性と総力戦」を議論した後、戦後の日本と東南アジアとの関わりに進んでいく過程を、つぎのようにまとめている。「戦後の冷戦、植民地の独立、イギリスの撤退とアメリカの覇権という戦後の東南アジアをめぐる新しい国際的枠組みが形成されるなかで、日本は盟主としてではなく、アメリカの「ジュニア・パートナー」として、アメリカに次ぐ二番目の地位にあって、東南アジアへ進出していた」。

 そして、「戦後の国際環境の激変によって、戦前と戦後に大きな「断絶」が生まれ、外部から日本の戦前の行動への責任追及は厳しくなかった。戦前の大東亜共栄圏による自給圏形成の記憶は多くの日本人から徐々に薄れつつあった」が、著者はつぎのパラグラフで「終章」を終えている。「とはいえ、八〇年近く前、大東亜共栄圏を掲げ、日本の指導のもと東アジア・東南アジア諸地域に圧政を布いた事実は消えることはない。国際社会で一方的かつ独善的な振る舞いをした記憶も消えることはないだろう」。

 「大東亜共栄圏とは何だったのか」という問いは、日本人に向けられるだけでなく、大東亜共栄圏に組みこまれた各国・地域にとって何だったのかを問いかけなければ、その実態はみえてこないだろう。そのために、戦後の関係まで含めて「終章」で議論したことは有益だった。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

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