早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2022年12月

コンスタンス・L・カーカー、メアリー・ニューマン著、大槻敦子訳『「食」の図書館 ココナッツの歴史』原書房、2022年9月28日、190頁、2200円+税、ISBN978-4-562-07213-2

 かつて「調査地(フィールド)でなにもすることがなくなって「椰子の数でも数えようか」と言ったときに[本格的な調査が]はじまります」と書いたことがある。つづけて「調査対象者(インフォーマント)も、珍客の調査者に話してやることがなくなったというときです。それまでの両者の関係は特別なもので、このとき初めて日常的な会話がはじまり、調査者が調査地の一員になったという「虚構」の関係が生まれます」と書いた[『戦争の記憶を歩く 東南アジアのいま』岩波書店、2007年]。

 椰子とともに暮らしている人びとにとって、椰子は空気のようなもので、日常その存在を意識することはない。だが、なくなったり、手に入りにくくなっただけで、人びとが困惑することを、著者たちは「序章 熱帯生まれの人気者」で、つぎのように書いている。「ココヤシが大量に生育する地域では、それらは人々を支える食料源であるだけではない。そうした場所では、各家庭で日に少なくともひとつはココナッツを消費するといわれ、「ココナッツなしでは生きられない」という言い習わしさえある。ココナッツはあって当然だと思われているのだ。そのため、彼らの愛するココナッツウォーターが、今はやりのスーパーフードとして世界各地でひっぱりだこになり、それが原因で地元での価格が急騰したのを見て、人々は驚き、困惑している」。

 「生きられない」というのは比喩ではないことは、つぎの説明からもわかる。「ココナッツはまさしく「植物王国の万能ナイフ」である。ほかの食用植物とは大きく異なり、ココヤシの木にも、実にも、役立たない部分はほとんどない。ココナッツは食べられるだけでなく、かたい殻(シェル)、葉、コイヤと呼ばれるヤシ殻(ハスク)の繊維といった部分も、料理や食用植物の栽培に広く利用されている。たとえば調理や給仕の道具としてだけでなく、食品を加熱するときの燃料にもなるのだ。スリランカやフィリピンからアフリカやカリブ海域まで、ココナッツが生育する地域では今、さらなる用途を開拓する研究に目が向けられている。政府機関、生産者、起業家はこぞって、ココナッツのすべてが注目されている現在のトレンドを最大限に活用しようと奮闘している」。

 ココナッツは、「ケーキやパイのトッピングだけでなく、カレーの材料、酢、砂糖、粉、油など調味料として大活躍する」といっただけでは納まらないものを秘めている。生産地だけでなく、それが伝わった地域の文化にも大きな影響を与えていることが、つぎのように紹介されている。「ココナッツの文化史をたどるには、聖書、ギリシャやローマの古典、あるいはシェイクスピアや欧米文学の名作など、伝統的な欧米文化からココナッツ関連の記述を探し出して参考にするだけでは不十分だ。ココナッツの初期の歴史とその重要性を理解するためには、ポリネシアの神話やインドのヒンドゥー教の伝統といった、さまざまな参考文献に幅広くあたらなければならない。多くの料理が英語に翻訳されたときに異なる名称や綴りに変わってしまっている」。

 本書は、序章、全8章などからなる。第1章「ルーツからフルーツまで」、第2章「古くから伝わる寓話」の後、第3-7章で国・地域別(「東南アジアと中国」「南アジア」「南太平洋とフィリピン」「アフリカと中東」「ヨーロッパとアメリカ大陸」)に世界中をまわり、第8章で「ココナッツの未来」を展望している。

 「謝辞」から文献調査だけでなく、著者らが世界中を巡り、友人・知人たちに支えられて「ココナッツ料理を作るという貴重な実体験」をしたことがわかる。最後に「なかでも勇気を出してわたしたちのココナッツ料理を味見してくれた」家族に感謝していることから、家庭料理の紹介でもあることがわかる。そう、ココナッツ料理は気取った高級レストランでもそれなりの位置を占めるが、なんと言っても日常的に家庭で味わうものだ。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

大田由紀夫『銭踊る東シナ海-貨幣と贅沢の一五~一六世紀』講談社選書メチエ、2021年9月7日、275頁、1800円+税、ISBN978-4-06-525245-1

 裏表紙に、つぎのような本書のまとめがある。「一五世紀後半、北京で流行しはじめた派手な消費生活はやがて朝鮮半島・日本列島にも伝播し、珠玉・絹・陶磁器などの「唐物」、そして大量の銭や銀が、東シナ海を激しく往来することとなる。大陸・半島・列島にわたる「贅沢の連鎖」はなぜ起きたか? 明・朝・日で同時発生した悪貨の横行の原因は何か? 東アジア各地の経済成長と貨幣の変動は、相互連動する世界史的事件であった! 共進化する東アジア史を、貨幣という視点から捉える試み」。

 著者、大田由紀夫は、本書の考察を経て、明朝日の東アジアでは収まらないものを感じ、「中国こそが、ひとつの全体としての世界経済にとって、中心的とはいわずとも、支配的な地位を占めていた」という認識に疑問をもち、「おわりに-「唐物」と「夷貨」:東アジア史を動かす〝モノ〟」で、つぎのように結論している。

 「そうした認識ではなく、一五~一六世紀の東アジアを舞台にして本書で論じたのは、基点(起点)は複数あり得るし、むしろ基点地域と周辺地域との相互作用過程こそが重要だったという点である。本書で多少なりとも取り上げた範囲内でそのような基点を列挙するなら、香辛料の原産地たる東南アジア(当地はまた東西交通の媒介者でもある)、唐物を産出する中国、さらには銀の供給者である日本(や新大陸を含めた欧州勢力)などといった地域が思い浮かぶ。しかも、これら基点となる地域を結びつける媒介地域(東アジアの場合、琉球や朝鮮、ベトナムなど)も、さきの地域に勝るとも劣らない重要性をもっていた。そして、これら基点・周辺諸地域の相互作用の進展・累積が、最終的にヨーロッパなども含めたいわゆる「世界経済」なるものの形成にもつながっていくのであろう」。

 本書で具体的に語られたことは、「はじめに」でつぎのようにまとめられている。「一五世紀から一六世紀にいたる東アジアの貨幣と経済の歴史である(本書が「東アジア」としておもな対象にするのは、東シナ海を取り囲んだ中国大陸・朝鮮半島・日本列島・琉球列島などにほぼ重なる地域)。とりわけ一五世紀後半の「撰(えり)銭(ぜに)」(流通銭を選別して価値づける行為)に代表される銭貨流通の動揺や一六世紀中葉における日本銀(「倭(わ)銀(ぎん)」)の登場といった通貨変動がおもなトピックスとなる。のちに本論において詳述するが、これらの出来事も、さきほどの歴史事象(徳川家による天下統一やユーラシア大陸の歴史)と同じように、東アジア各地で起こったさまざまな出来事が積み重なってある種の時代趨勢を形成し、そのなかから派生してきたものである。そして、こうした歴史過程をたどることにより、一五~一六世紀の東アジアの経済(ひいては歴史)を動かしていた力学とはいったいどんなものであったのかも明らかになってくるだろう」。

 さらに「本書では、日本銀の登場がより広域(少なくとも日中二国レベルではない東アジアレベル)での多様な要因・出来事の絡まりあいのなかから生じた出来事だったことを、その具体的な様相の再構成を通して明らかにしていく。中国経済の強力な銀需要の所産であるかのように映る(またそう語られてきた)、一六世紀中葉以降の東アジアにおける銀の奔流も、見方を変えると通説的理解とはやや異なる様相が立ち現れてくる。また、従来さまざまに議論されてきた一五~一六世紀東アジアにおける銭貨流通の動揺現象(「撰銭」)なども、そのような一連の歴史動向と密接に関わって生起したものとして位置づけられる」。

 本書の目的は、「総じて、およそなんの関りもないように思われてきた東アジア各地の個々の事象が互いに関連しあい、やがてひとつの大状況(東アジア大での経済成長、「倭銀」登場、倭寇的状況など)を創出し、さらにその大状況が多数の出来事を新たに派生させるとともに、これらの出来事によって変容する、そのような歴史過程を描き出すこと」である。さらに著者はつぎのように考えて、「はじめに」を閉じている。「いままで意識されなかった歴史の「流れ」を見出し、その生成・展開を跡づけることによって、この時期の中国史・日本史そして東アジア史をめぐる既存の認識とは多少なりとも違ったストーリーを提示できればと考えている」。

 そして、つぎのパラグラフで、「おわりに」を閉じている。「もちろん、孤立した空間で営まれたのではない東アジアの歴史は、それ自身で完結していたわけではなく、周囲に広がる外部世界との連関性にも考慮を払う必要がある。その際には、この本で論じたさまざまな事象・出来事がまた異なる歴史的文脈のなかで新たな意味づけを与えられる可能性も十分にある。この意味で、本書で提示した一五~一六世紀東アジアの貨幣・経済史像は、より広域なレベルにおいて展開された相互作用の過程のごく一部を切り取って論じた、ささやかな試みにすぎない」。

 東アジア地域史は、1840年にはじまるアヘン戦争後の近現代史では一般的になってきたが、15-16世紀でも語ることができるようになったことは、国ごとに分断された近代の歴史観を大きく脱却したことを意味する。その背景に、古琉球史や「商業の時代」の東南アジア史研究が発展したことがある。自国から視野を広げることによって、自国史研究を深く考察できるようになることはわかっていても、周辺地域の具体的研究の発展がなければ無理だった。本書巻末の「参考文献」をみると、日本語に加えて中国語、韓国語、英語文献が列挙されている。このテーマで国際的な研究が進んでいることを意味し、「共進化」していることがわかる。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

藤原辰史『植物考』生きのびるブックス、2022年11月30日、232頁、2000円+税、ISBN978-4-910790-07-7

 帯の表に「人間の内なる植物性にむけて」「はたして人間は植物より高等なのか? 植物のふるまいに目をとめ、歴史学、文学、哲学、芸術を横断しながら人間観を一新する、スリリングな思考の探検」とある。

 裏には、「(本文より)」つぎの文章が引用してある。「近代社会は、移動せよ、動け、休むな、と人間に要請しつづけてきた。「移動の自由」という監獄の中でもがいているともいえるかもしれない。縛り付けられるのではなく、動きつづけるのでもない、土地や太陽との付き合い方はないのだろうか。ひょっとすれば、動きすぎることもなく、止まりつづけることもなく、風と光と土を直接に感じ取る植物のふるまいに、それを探るための鍵が隠されているかもしれない」。

 なにやら「スリリング」な展開を期待を抱かせる誘いだが、本文を読んでいくと、著者の「義憤」がその源にあるようだ。第1章「植物性」で、「私は、全国の文学部に「生物学科」を、全国の自然科学系学部に「歴史学科」を作るべきだという主張の持ち主である」という文章にいきなりぶつかったと思えば、第7章「葉について」では突然「高校生で受験のために文系か理系かを決められたことを根に持っている私のような人間」とある。

 その「義憤」は、「あとがき」でつぎのように爆発する。「いつの間にか、人びとは、植物のことを「緑」という粗雑な言葉でいいあらわすようになりました。この地域は緑が多いですね。ここは緑あふれる住宅地です。「緑」という言葉の響きに、私は、何か人種主義的な、あるいは暴力的なものさえ感じます」。

 「そして、本書は、日本の教育制度が「文系と理系」という単純すぎる図式で高校生の柔らかい頭を硬直化させてきたことに対するささやかな抵抗でもあります。生物や数学は自然科学で、歴史や古典は人文科学であり、どちらかに決めなさいと言われたとき、高校生の私はショックを受けました。理系も文系も勉強したかったのに受験勉強がそれを阻んだわけです。それゆえに、文理融合をうたった学部に入学しましたが、ほとんどの教員は文系と理系の融合研究に取り組んでいませんでした。学問の世界に専門性が求められることは理解しています。二兎追うものは一兎をも得ず、という警句を私は真実だとも思っています。本書も片手間の仕事ととらえられるかもしれません。しかし、そうではありません。二〇世紀前半の歴史研究に従事する人間が、否が応でも植物について学ばねば先に進めないという「必然」を理解していただきたいと願っています」。

 文系で大学受験したわたしは、理科4科目(物理、化学、生物、地学)をとった経験がある。理科1科目2題ずつ計8題出されていて、そのうち4題を受験場で自由に選択できたので、4科目同時にとることができた。とくに受験勉強をしていなくても、高校の教科書に従った授業を受けていればわかる問題も出題されていた。高校の模擬試験で唯一1番をとったことがあったのは生物で、歴史の成績はよかったが英語や国語はあまりよくなかった。それでも文系を受験したのは、東北大学薬用植物園の後、イメージとは違う松島を見て、のんびり植物採集をしているときではないと思ったからだった。文系なら、東京で基礎研究だとも思った。

 教員になって学生に訊くと、「受験で「日本史」をとったので「世界史」ことはわかりません」というようなこたえが「普通」にかえってくる。入学することだけを考えて、大学に入ってからしたいこと、社会に出てから必要な知識ということは、まったく念頭になく、成績のいい科目あるいはいい点がとれる科目で、文系か理系かを選び受験している。「植物学者ではない。園芸家でもない。第一次世界大戦から第二次世界大戦までの食と農の歴史が専門である。中でもドイツと日本をその主要なフィールドとしてきた」著者の「義憤」は、そんな「普通」にあるようだ。「歴史」や「生物」は、狭義の専門だけでは成り立たない学問で、広義の「総合の知」を背景に持ちあわせることが必須である。世界史がわからないで日本史を理解することはできないし、日本史がわからないで世界史を理解することもできない。「歴史」と「生物」が「密接不可分」であることがわからないような「教育制度」はどうかしていることが、本書から伝わってくる。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

湊照宏・齊藤直・谷ヶ城秀吉『国策会社の経営史-台湾拓殖から見る日本の植民地経営』岩波書店、2021年3月17日、269頁、7400円+税、ISBN978-4-00-022976-0

 本書は、「専門領域が微妙にずれる」「3人による共同研究の成果」であり、「台湾の研究者との交流の成果」でもある。本書の課題は、「1936-46年に存在した台湾拓殖株式会社(以下、台拓)を分析対象とし、国策会社の組織としての本質を明らかにすることを最も主要な視点として、経営史的な分析を行うこと」である。

 本書では、「国策会社の組織としての本質を明らかにすることを重視している。ここでいう「組織としての本質」は、植民地に存在するか否かを問わず国策会社であれば共通する特徴であり、その意味で、本書では植民地を国策会社の前提としない立場をとる。台拓が植民地台湾に存在した国策会社であることは否定すべくもない事実であるが、本書の立場は、植民地ないし台湾よりも国策会社に重きを置くものである」。

 「台拓を対象とする研究が急増する起点となった」のは、1997年に『台拓檔案』が公開されたことで、「本書の分析も同資料に多くを負っている」。急増した研究を整理し、本書では、以下の3点を明らかにすることによって、「国策会社の組織としての本質を析出する」。「(1)台拓の国策性事業がいかに低収益であり、その遂行にいかに大きな困難がともなったのか、(2)台拓の資金調達がいかに困難であったのか、(3)遂行に多大な困難が伴う国策性事業に取り組むために、同社がいかに苦心し、具体的にどのような措置を講じたのか」。

 本書は、序章、全9章、終章などからなる。上記3つの課題に対応するかたちで、つぎのような構成をとっている。「第1章から第3章までが、本格的な分析に先立ち、前提となる内容を提示するための部分である。第1章「国策会社の概念規定と分析視角」(齊藤)では、本書において国策会社をどのように定義しているかを説明したうえで、それに基づいて国策会社の分析視角を提示する」。「第2章「設立経緯と政府」(谷ヶ城)では、前章における国策会社の定義を踏まえ、台拓設立の局面に着目して、政府部門が国策会社たる台拓にどのように関与しようとしたのかを検証する」。「第3章「事業展開と金融構造の概観」(湊)では、貸借対照表、損益計算書といった財務諸表に基づき、台拓の事業内容を概観するとともに、事業を展開するための資金調達はどのようなものであったのかを概観する」。

 「第4章および第5章は、台拓の資金調達について詳細に検討する部分である。経営業績が低迷していた台拓が、先行研究の想定とは異なって、資金調達を実行するうえでいかに多大な困難に直面したかを示すのがこれらの章の課題である。第4章「株式による資金調達と株式市場」(齊藤)は、台拓と株主ないし株式市場の関係を取り上げる」。「一方、第5章「社債発行と金融機関・政府」(齊藤)は社債による資金調達を対象とする」。

 「第6章および第7章は、台拓の国策性事業について検討し、国策性事業がいかに低収益ないし高リスクであったのかを示す部分である」。「第6章「国策性事業の展開(1)」(湊)では、国策性事業が全体として低収益であったことを確認したうえで、主に仏印事業(仏印での鉱業資源開発を目的とした事業)を取り上げて、その実態を明らかにする。また第7章「国策性事業の展開(2)」(谷ヶ城)では主に広東と海南島における占領地経営に関係する諸事業を取り上げ、国策性事業においても収益性向上により「国益」と「私益」を両立するための取り組みがなされたことを明らかにする」。

 「第8章および第9章は、国策性事業の遂行にともなう経営業績の低迷を前提としたうえで、そうした状況があったとしても台拓の経営を成立・存続させるための要素について検討する。第8章「政府出資と補助金」(谷ヶ城)では、低収益を補うための制度的な対応を取り上げる」。「第9章「内部資本市場としての国策会社」(湊)では、台拓が事業持株会社として直営事業のみではなく複数の関係会社を設立したことを踏まえ、それを内部資本市場として捉える」。

 「以上の第1章から第9章までの分析を踏まえ、終章「台湾拓殖から見る日本の植民地経営」では、本書における分析の結果を総括し、その意義について議論するとともに、台拓が戦後の台湾経済に残した影響についても論じる」。

 その影響については、「台拓の展開した事業が戦後台湾経済に大きな影響を及ぼしたとはいえない」という結論に達した。そして、その理由のひとつとして存続期間が9年に満たない短さに求めても、それだけでは充分でないことを、本書で明らかにしたことをもとにつぎのように4点をあげて説明している。「(1)国策会社として、存立することが困難な国策性事業を営んだ結果として低収益であり、(2)しかも、国策性事業は時間の経過とともに拡大したことから業績は悪化する傾向にあり、(3)その結果として、資金調達を行ううえでも多大な困難に直面し、(4)資金調達を円滑に行う目的で政府の協力を得るための方便として、調達した資金の一定割合を島外への投資に向けることを余儀なくされたことで、台湾における事業に投資し得る資金が限られた、という厳しい制約の下での経営を強いられたというのが、現実における台拓の姿であった。こうした状況は、市場経済に委ねたのでは実現し得ない低収益ないし高リスクの国策性事業を株式会社形態で遂行しようとする以上、必然的な帰結であったともいえる。そうした理解に立てば、台拓の事業が戦後台湾の経済発展への「遺産」とならなかったのは当然であり、他の条件を一定として、仮に存続期間が長くなろうと、経営規模が大きくなろうと、戦後台湾の経済発展に与える影響は大きなものとはならなかったと考えるべきであろう」。

 本書では、序章「分析対象としての台湾拓殖」で、「2 国策会社のあり方を問う今日的意味」と題して、1節を設けて、1980年代の国鉄、2000年代の郵政など、金融機関が公的資金が注入した例をあげて、「現在においても決して過ぎ去った問題ではない」と、「国策」を論じている。「国だから安心」ということが、いかに危険か、本書から学ぶことができる。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

山崎雅弘『太平洋戦争秘史-周辺国・植民地から見た「日本の戦争」』朝日新書、2022年8月30日、443頁、1200円+税、ISBN978-4-02-295184-7

 本書は、2022年2月に出版された同著者の『第二次世界大戦秘史』の続編ともいうべきものである。「この本は、ヨーロッパ戦域における第二次大戦期の政治と軍事の動向を、従来とは異なる視点、すなわち「大国(ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、ソ連、アメリカ)」ではなく「周辺国」の視点で読み直すという内容でした」。

 「本書は日米や日英など「大国同士の戦い」ではなく、「太平洋戦争の空白」を埋めるために、アジア・太平洋・中南米の周辺国や植民地の視点から、新たな光を当てようというものです」。

 その目的は、「自国中心の歴史認識」では、日本が「やがて国際的に孤立していく」と、著者が危惧しているからで、つぎのように説明している。「現在の日本は、かつて軍事侵攻の対象とした東南アジア諸国とも良好な関係を築いており、留学や仕事で来日しているアジア系の外国人も数多くいます。それらのアジア系外国人は、母国で受けた歴史教育により、太平洋戦争中に日本軍がどのような行動をとったのかを常識として理解しています。東南アジア諸国の歴史教育では、日本軍の進駐や統治が肯定的に描かれることはなく、自国に対する「侵略」として教えられています」。

 「そうした、東南アジア諸国から留学や仕事で来日したアジア系の外国人と、太平洋戦争についての有意義な会話をするためには、日本人の側が相手国の目線で、戦争中に起きた出来事を理解しておく必要があるように思います」。

 「もし日本人が、かつて大日本帝国が行った侵略や非人道的行為について知らなかったり、現在の国際社会ではまったく通用しない、当時の大日本帝国政府の発表や主張をそのまま鵜呑みにして説明すれば、アジア系の外国人だけでなく、それ以外の国(たとえばオーストラリアやカナダ、ヨーロッパ諸国、アフリカ諸国、中南米諸国)から来た外国人からも、信用や信頼を失い、やがて国際的に孤立していくでしょう」。

 「そうならないためには、現代の日本人が過去の大日本帝国からいったん離れた視点で太平洋戦争全体を俯瞰して、国際社会で共有されている歴史認識と互換性のある、有意義な対話や意見交換ができるような歴史認識を持つ必要があります」。

 本書は、序章、全11章、終章、あとがき、などからなる。序章「太平洋戦争への道-大日本帝国はいかにして戦争へと進んだのか」で、「太平洋戦争の勃発に至る経緯と、戦争中のおおまかな流れについて」説明した後、「仏領インドシナ(現ベトナム、ラオス、カンボジア)、英領マラヤ(現マレーシア)、英領シンガポール、米領フィリピン、蘭領東インド(現インドネシア)、英領ビルマ(現ミャンマー)、英領インド、英租借地香港という計八つの植民地と、タイ、モンゴルという二つの独立国、そして英連邦の構成国として対日戦に参戦したオーストラリア、ニュージーランド、カナダの三国が、どのような形で太平洋戦争に関わったのか」を、「それぞれの「太平洋戦争における立ち位置」」が「より明確に見渡せる」ように語っている。そして、終章「太平洋戦争終結後の東南アジア諸地域-東南アジアの各植民地はいかにして独立したか」で、日本敗戦後の歩みを追っている。

 「あとがき」で、本書の目的と意義を再確認し、つぎのようにまとめている。「実際、日本の一部には、当時の大日本帝国による東南アジアの植民地支配を擁護するために「アメリカやイギリスやオランダも東南アジアで植民地を支配した」との「反論」をする人が存在します。そこには、日本対欧米という「大国同士の植民地争奪戦」の観点しかなく、支配される側の植民地とその住民の視点が欠落しています」。

 「第二次大戦や太平洋戦争を「大国の目線」だけで認識し、理解することは、戦争中の大国であった大日本帝国と同様の、日本人以外のアジア人を見下す思考にも繋がりかねません。そのような陥穽を避けるには、周辺国や植民地のそれぞれについての内情を知り、周辺国や植民地の人々の目に当時の日本軍や大日本帝国がどう映っていたのかを、謙虚に知ろうとする努力が必要であるように思います」。

 残念ながら、ヨーロッパ諸国と違い、日本が「太平洋戦争」中に占領した国や地域の歴史研究は進んでいないところがある。「大国の目線」で語られた歴史を「支配される側の植民地とその住民の視線」で読み直す必要がある。さらに日本との「良好な関係」を保つために、本心を語らない国・人びともいる。それだけ、本書のほうが苦労したことだろう。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

↑このページのトップヘ