早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2023年01月

波多野澄雄『日本の歴史問題-「帝国」の清算から靖国、慰安婦問題まで』(改題新版)中公新書、2022年12月25日、366頁、1000円+税、ISBN978-4-12-102733-7

 本書は、2011年に出版された『国家と歴史-戦後日本の歴史問題』を大幅に改稿したものである。著者の波多野澄雄は、1979年に防衛庁防衛研修所戦史部(現在の防衛省防衛研究所戦史研究センター)に入所以来、政府支援の歴史事業にかかわり続けたことを、つぎのようにまとめている。

 「厚生省が推進した戦没者追悼平和祈念館(現・昭和館)に始まり、慰安婦問題に関する「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)、平和友好交流計画の一環としてのアジア歴史資料センターの設立準備と運営、日英交流史事業、高校歴史教科書の検定(教科用図書検定調査臨時委員)などが主なものである」。「二一世紀に入ってからは、日中歴史共同研究、いわゆる日米「密約」問題に関する有識者委員会(座長代理)とそれに引き続く外交文書欠落問題調査委員会などである。かなり長くかかわっている事業が、アジア歴史資料センターと『日本外交文書』の編纂刊行である」。

 本書改題新版にあたって、著者は「以下の三点を踏まえ、大幅に書き改めた」。「①個別の歴史問題の様相を、内外の政治環境の変化のなかで理解するために、大まかな時期区分を設定すること、②民主党政権の手前で終わっていた記述を、第二次安倍晋三政権まで延長すること、③新たな事実や研究の進展も可能な限り反映させるよう努めること、最後に、それぞれの問題について考えうる解決の道筋を探ってみたが、解決策は不変ではない。歴史をどう認識するかは現代世界をどう理解するか、という問題と深くかかわるからである」。

 本書は、新版まえがき、序章、全11章、終章、おわりに、参考文献・関係資料などからなる。序章「「長い戦後」の始まり」では、最後に「冷戦下に形成された講和体制は、「過去の清算」より、日米関係の緊密化と安全保障問題を優先したがために、講和の本来の目的である領土や賠償という戦後処理の問題は不十分な決着に終わり、やがて日本は難しい対応を迫られることになる」とまとめ、その理由をつぎのように5つあげている。

 「その第一は、日本の周辺諸国であるソ連、中国、韓国といった国々が講和会議に不参加もしくは調印拒否であったため、北方領土(とくに千島列島)、尖閣諸島、竹島という「小諸島」の帰属が未定となり、今に続く領土・領域という問題が残ったことである」。

 「第二は、戦争賠償という問題が個別の二国間交渉に委ねられたことである。いまだ国家建設の途上にあった東南アジア諸国との賠償交渉は難航した」。

 「第三は、帝国の解体にともなう植民地支配の清算(補償・賠償)という問題に対処が難しかったことである。なぜなら講和条約は、あくまで国家間の戦争の後始末のための基盤であり、植民地支配の清算を目的としていなかったからである」。

 「第四に、講和会議までに終了していた国際軍事裁判を講和条約において、どのように位置づけるか、という戦争責任の問題も見逃せない。先述のように、戦争責任という問題は、すでに敗戦直後から、敗者としての日本が取り組まなければならない最大の問題であった。誰が、どのように責任を引き受けるべきか、戦争認識とからまって日本人にとって悩ましい問題であった」。

 「さらに第五は、講和体制が新憲法体制を包摂したことによって、二三〇万におよぶ戦没者を国家が慰霊や追悼する場が失われたことである。なぜなら新憲法(日本国憲法)が、その重要な柱として、「信教の自由」とともに、「政教分離」の規定を設けたからである。そこでは、靖国神社と国家の関係が絶えず問われるという構造だけでなく、誰を慰霊や追悼の対象とするか、という重大な問題に国家が関与できない、という構造もまたつくり出されたのだ」。

 本書の構成は、「新版まえがき」の最後で、時系列につぎのようにまとめられている。「一九四〇年代後半~八〇年代初頭 吉田茂内閣から佐藤栄作内閣までの時期。戦争を自らの手で「総括」する大東亜戦争調査会(のち戦争調査会)の敗戦直後の活動が挫折する一方、占領政策や東京裁判を通じて日本の戦争責任が国の「外から」問われる(第1章)。サンフランシスコ平和条約(講和条約)には、日本の戦争責任を直接問う条項は置かれず、課題を残すことになった。他方、日本は講和条約に従い、近隣諸国との間で国交正常化に臨み、歴史問題を実務的、外交的に処理し「国家間和解」を達成していく。戦争賠償問題(第2章)、帝国の解体にともなう在外財産や国籍の問題(第3章)である」。

 「しかし、国家間和解は国民間の和解を意味せず、次の時代に託された問題も少なくなかった。さらに、のちに外交問題化する首相の靖国神社参拝問題の複雑な背景を理解するため、戦没者の慰霊・追悼という問題を靖国神社の歴史にさかのぼって取り上げている(第4章)。靖国問題を含め、この時代には歴史問題は国内問題にとどまり対外紛争に発展することはなかった。とくに高度経済成長期には、歴史認識や戦争責任といった問題が対外的に浮上することはなかった」。

 「一九八〇年代 鈴木善幸・中曽根康弘政権期には、教科書問題(第6章)や靖国参拝問題(第6~7章)が外交問題化した。また、増え続ける「日本人犠牲者」や講和体制の法的枠組みでは救われなかった「外国人犠牲者」に対し、どのような考え方のもとにどう補償すべきか、という問題の決着が求められた(第5章)」。

 「一九九〇年代 本格的な連立政権の時代を迎え、連立のあり方は、不戦決議や村山(富市)談話に大きな影響を与える。歴史認識は連立をめぐる駆け引きの材料となる反面、保革対立のなかで解決が放棄されていた歴史問題が解決に向かうというメリットもあった(第8章)。また、冷戦の終焉と自民党支配の揺らぎを背景に、慰安婦問題のように、被害者「個人」にどのように償うのかという、講和体制が想定していなかった戦後補償問題が噴出する。中韓(とくに韓国)において政治の民主化が進み、権威主義的な政府に独占されていた歴史解釈に、市民(国民)が参画するようになったことも重要な背景であった。政府は講和体制を死守しつつ、道義的な観点から「和解政策」を模索する(第9章)」。

 「二〇〇〇年代 小泉純一郎首相の六度の靖国参拝は中韓との関係をほぼ断絶させただけでなく、東アジア以外にも波紋を広げた。小泉首相の退陣後、中韓との関係修復が急速に進んだが長くは続かなかった。領土問題と歴史問題が連動したからであった(第10章)」。

 「二〇一〇年代以降 本格的な政権交代によって生まれた民主党政権は、対外的な歴史問題の解決が期待されたが、尖閣問題や竹島問題に翻弄され、また野党(自民党)の攻勢のなかで解決は遠のくばかりであった。次の第二次安倍政権も、振幅の激しい中韓の歴史問題への対応、さらに人道・人権問題として国際的に拡散する慰安婦問題、それと関連する河野(洋平)談話の見直しの動きに悩まされた(第11章)」。

 終章「「歴史和解」を求めて」では、つぎの見出しのもとで、解決策を探った:「「靖国参拝モラトリアム」」「国立追悼施設案の迷走」「靖国神社の「宗教宣言」」「戦争責任問題の隘路」「領土問題への対処」「竹島問題の「打開策」」「徴用工と慰安婦」「「和解論」と和解政策」「「深い和解」と「浅い和解」」「「東アジア文化共同体」」「歴史共同研究の意味」「歴史問題としての沖縄」「「帝国」と「国民国家」のせめぎあい」。

 そして、「おわりに-「敗者」の言い分」は、つぎのパラグラフで締め括っている。「戦後日本は、「平和」を安易に語ることによって、戦争の悲惨さと平和の尊さを説こうとしてきたが、戦争のリアルな実相についての認識を持てなかったように見える。「先の戦争」は、評価を急ぐより、「大東亜戦争」の多様な局面に眼を配ることで、その負の側面も含め、日本が引き起こした歴史問題をより深く理解できるはずである」。

 帯に「なぜ「戦後」は終わらないのか」とある。本書を読めば、その解答が得られる。なにが問題で、どうすればいいのかわかっているのである。それでも解決できないのであれば、われわれはもはや「「戦後」が終わらない」ことを前提に、「戦後」を生きなければならない。戦争体験者がいなくなるなか、「戦後」を引きずりながら生きていくためには、「なぜ「戦後」が終わらないのか」を「戦後」世代が理解する必要がある。日本国民ひとりひとりが理解し、近隣諸国の人びとと交流していくことで、すこしは快適に「戦後」を生きることができるかもしれない。「戦後」が終わらない日本人として生まれたことを、意識して生きていくしかないことを感じさせる本である。



評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

サラ・コブナー著、白川貴子訳『帝国の虜囚-日本軍捕虜収容所の現実』みすず書房、2022年12月9日、4800円+税、ISBN978-4-622-09527-9

 本書は、「序章 広く知られる奇妙な歴史」ではじまる。「広く知られる奇妙な歴史」とはなにか。それは、「回顧録、読み物、映像や論述を通し、日本がいかに一貫して捕虜を虐待し、屈辱を与えたかが伝えられてきた」ことである。しかし、著者は、「太平洋地域で捕虜にとられた連合軍兵士は、連合軍全体の〇・五パーセント前後でしかなかった」という。わずかな例で、なぜかくも「広く知られる」ようになったのか。本書は、「偏見を排し実態に迫る歴史研究」である。

 本書の目的を、「序章」から拾ってみよう。まず、つぎのように書かれている。「本書では、日本人の性質や日本文化には、捕虜の非人道的な扱いに結びつくような固有の特性は内在していなかったことについて論じたい。日本には何十万人もの捕虜を残酷に扱うような行動規範が元来備わっていた、という見解を前提とはせずに、日本の高官が今日の言説に示されるよりもはるかに低い程度でしか、捕虜の管理の問題を考慮していなかったことを指摘したいと思う」。

 「この本では、日本政府と軍部は、捕虜を虐待する方針を掲げていたわけではなかったことを明らかにしたい。日本軍の士官や監視兵は、捕虜の虐待、利用、射殺などを命じる指令を受けたことはなかった。日本の公式方針はジュネーブ条約を尊重することであったが、それを知っていた将兵は少なかった。そして知っていた者でさえ、たいていはジュネーブ条約を守るための条件や力を欠いていた」。

 「日本の監視兵、収容所所長、官僚たちは恐ろしい罪を犯したり幇助したりしながらも、彼らも人間であったこと、それもきわめて人間らしかったことを示すのも、本書の主目的のひとつである。収容所では日本兵が野蛮な行為に及ぶこともあったが、日本軍の指揮官や監視兵はみながみな、残酷だったのではなかった。彼らのなかには捕虜を同じ人間として扱った者、虐待や死を免れる手助けをした者もいた。日本の官僚は結果的に捕虜を悲惨な状況に追い込む判断を下したが、それはたいていの場合、戦争がもたらした難題に対応することを目的とした判断であった。それが招くことになった恐ろしい結末は、意図せずして生まれた副産物であったことが少なくなかった。こう述べたからと言って、彼らの選択に弁解の余地はないが、日本軍は意図的に不当な非道行為を働いたとする論述に、別の角度から光を当てることとしたい」。

 本書は、序章、全9章、終章、謝辞、解説などからなり、「捕虜がたどった遍歴を時系列で追っていく。フィリピンから日本に、それから朝鮮に送られたアメリカの捕虜や、シンガポールから朝鮮、中国に運ばれ、その後フィリピンの引き揚げセンターに移されて故郷に帰還したイギリスやオーストラリアの捕虜などがいた。そのためつづく各章では、シンガポール、フィリピン、朝鮮、福岡の収容所を取り上げ、幅広い地域を対象としたい。また、日本の統治下にあった朝鮮半島出身者などの監視兵がたどった道筋も示す。捕虜収容所の人員構成は、台湾人と朝鮮人の監視兵が占める割合が非常に高かった。彼らが担っていたのは、一般に軍隊では戦闘に適さないとみなされた者に与えられる地位の低い任務であった」。

 終章「二度と、再び繰り返さない」では、つぎのようにまとめている。「太平洋戦争の連合軍捕虜の体験は、特別に悲惨な出来ごとがその本質を表しているように思われがちである。しかし、大日本帝国の捕虜となった不幸な人々にとって、生き残れるかどうか、どうやって生き延びるかの問題は、いわば運任せの過酷な博打のようなものであった。概して言えば、軍人としてよりは、民間人として抑留される方が良かった。フィリピンで捕虜になるよりも、シンガポールで捕虜になった方が良かった。バタアンで降伏した者より、コレヒドールで降伏した者の方が良かった。日本への輸送船団が絶えず攻撃され、撃沈された一九四四年よりは、一九四二年に輸送された方がまだしも良かった。だが、バタアンの死の行進を生き延び、地獄船のなかでも特別に凄惨な環境の船で輸送され、福岡俘虜収容所第一分所での厳しい条件を耐えたのちに、最後には捕虜に対する厚遇を掲げて設けられた朝鮮の収容所に落ち着くことも考えられた。その逆に民間人であっても、ひどい環境で収容され、捕虜と変わらないような扱いを受けることもあった。捕虜と同じ収容所に収容されていた民間人も多かったのである」。

 「捕虜を捕らえた側についても、経験したことは多種多様であり、型にはめて論じることはできない。きわめて悪質な残虐行為を働いた戦争犯罪者であっても、裁判で有罪になることを免れた者もいた。有罪判決を受けても、早期に釈放された者もいた」。

 「捕虜の体験はさまざまであったため、より広い文脈から比較して分析する方法に依らなければ理解することが難しい」。

 そして、つぎのパラグラフで終章を終えている。「拷問や軍事法廷をめぐり、終わりなき議論がつづくように見えるいま、私たちはそれらの問題がなぜ、どのようにしてはじまったのかを理解することが重要である。遠い彼方の人々、あるいは遠い過去に埋もれていた人々は、思っていたほど奇妙な相手ではなかったと気がつけば、驚きもすれば、動揺もするだろう。そうでなくてはならないのだ。歴史に教えられる何よりも大切な教訓は、そのことではないだろうか。過去を見つめると、過去もこちらを見返していることを教えられるのである」。

 さらに、本書を理解するために有意義な解説「「無関心」が生んだ「無為無策」-捕虜虐待の「無責任体制」」が内海愛子によって書かれている。

 本書を読み終えて、すっきりしないものが残った。全体像を把握しなければならないことはわかる。だが、たったひとつのことが、全体に大きく影響することもある。連合軍兵士全体のわずか〇・五パーセント程度が捕虜になったと言われても、その被害に遭った者や犠牲者の遺族は「運が悪かった」ではすまされないだろう。著者自身も、それがよくわかっているだけに、「奇妙な歴史」ですまされないものを感じていただろう。「奇妙な相手」ではなかった人びとが、なぜ「奇妙な歴史」を残すことになったのか、総体がわかったからこその新たな課題が突き付けられた。

 また、捕虜のまわりには「民間人」がいたが、いっしょに働いた労働者のなかには「強制連行」された者だけでなく、「雇傭」されていた現地の人びとや投降した兵士などさまざまな人びとがいた。なかには、捕虜以上に悲惨な経験をした者がいた。捕虜の総体だけでなく、さらに広い視野に立った総体も捉えなければならない。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

アナ・チン著、赤嶺淳訳『マツタケ 不確定な時代を生きる術』みすず書房、2019年9月17日、441+xxiv頁、4500円+税、ISBN978-4-622-08831-8

 本書の訳者あとがき「マツタケにきく」は、「不思議な本だ。」ではじまる。つづけて行を変えて、つぎのように書かれている。「戦争の記憶に憑かれた人生や森林伐採、気候変動など、決してハッピーエンドな物語が綴られているわけではない。それにもかかわらず、ほんわかとした読後感に浸れるのは何故だろう」。

 著者略歴をみると、文化人類学科教授で、「フェミニズム研究と環境人類学を先導する世界的権威。おもにインドネシア共和国・南カリマンタン州でフィールドワークをおこない、森林伐採問題の社会経済的背景の重層性をローカルかつグローバルな文脈からあきらかにしてきた」とある。文化人類学科の教授であって、文化人類学の教授ではない。その「不思議」さは、文化人類学を超えたところにありそうだ。

 本書の概略は、裏表紙につぎのようにまとめられている。「「本書は、20世紀的な安定についての見通しのもとに近代化と進歩を語ろうとする夢を批判するものではない。…そうではなく、拠りどころを持たずに生きるという想像力に富んだ挑戦に取りくんでみたい。…もし、わたしたちがそうした菌としてのマツタケの魅力に心を開くならば、マツタケはわたしたちの好奇心をくすぐってくれるはずだ。その好奇心とは、不安定な時代を、ともに生き残ろうとするとき、最初に必要とされるものである」」。

 「マツタケをアクターとして、人間と人間以外のものの関係性、種間の絡まりあいをつぶさに論じ、数々の賞に輝いたマルチスピーシーズ民族誌の成果を、ここにおくる」。

 「日本(京都・中部地方)・アメリカ(オレゴン州)・中国(雲南地方)などの共同研究者とのフィールドワークを通して、マツタケの発生から採取、売買・貿易、日本人の食に供されるまでの過程に、著者は多くを観察し、学んでゆく。森林伐採、景観破壊、戦争による東南アジア難民、里山再生、コモディティ・チェーンとサルベージを通じた蓄積など、資本主義がもたらした瓦解からいかに非資本主義的様式が生まれ、両者が絡みあいながら、人間と人間以外のものが種を超えて共生しつつ世界を制作しているのか、コモンズの可能性や学問研究のあり方までを射程に入れ、人間中心主義を相対化した、鮮やかな人類学の書であり、今後の人文・社会科学のひとつの方向性をしるす書である」。

 「「進歩という概念にかわって目を向けるべきは、マツタケ狩りではなかろうか」」。

 「プロローグ」は、つぎのパラグラフで締め括っている。「不安定と過酷な状況に生きることに立ちかえろう。日本の美学と生態史だけではなく、国際関係と資本主義によって、生活は、より波瀾万丈になっているかのようだ。これが本書の内容である。さしあたっては、マツタケを味わうことが重要だ」。

 本書は、「はじめに」にあたる「絡まりあう」、プロローグ「秋の香」、4部全20章、「おわりに」あるいは「エピローグ」にあたる「胞子のゆくえ-マツタケのさらなる冒険」、さらに「マツタケにきく-訳者あとがき」、「本書で引用された文献の日本語版と日本語文献」、「索引」などからなる。第1-3部の最後には「幕間」がある。

 本書は、論理的に構成されていない。その理由を、著者はつぎのように説明している。「本書では、あるキノコを追いながら、そうした物語を提供していきたい。ほかの学術書と異なって以下につづくのは、さまざまなタイプの短い章である。それらの章には、雨後に一気に発生するキノコのようでいてもらいたいものだ。それぞれの章は論理的に構成されているわけではなく、特定の結論を目指さないアッセンブリッジ〔寄りあつまり〕になっていて、章を超えて、たくさんのことを示してくれる。各章は、たがいに関係しあいつつも、ときとして話の腰を折ったりもする。それは、まるでわたしが叙述しようとする、不均質な世界の様子を真似ているかのようだ。そこにもう一本の糸をくわえてみよう。写真はテキストに沿った物語を写しだすことはできるが、直接的にはなにも説明することはない。画像は、わたし自身が言及する光景そのものではなく、議論の気風を提示するためにもちいている」。

 そして、つぎのように調査と研究の過程を述べている。「本書は二〇〇四年から二〇一一年のマツタケのシーズンにアメリカ合衆国、日本、カナダ、中国、フィンランドでおこなったフィールドワークと、科学者、森林関係者、マツタケ業者へのインタビューにもとづいている。インタビューは、デンマークとスウェーデン、トルコでも実施した。わたし自身のマツタケをめぐる歩みは、まだ終わりそうもない。いずれはモロッコや韓国、ブータンにも足をのばさねばならない。以下の章においては、読者のみなさんにも、幾分かの「マツタケ熱」を味わってもらいたい」。

 本書は、「マツタケ世界研究会」の成果である。「マツタケ研究は学問分野を超えるだけでなく、異なる言語、歴史、生態、文化伝統によって形成される社会へといざなってくれる」。また、「本を出版するには、ほかにもたくさんの種類の協働が必要となる」。「知識が狭い範囲で深まり、さらに大きな範囲に広がったことで、得たものがあった」。

 本書に具体的な結論はない。それぞれの読者が、著者のメッセージから自分自身に響くものを「結論」として受けとめればいいだろう。たとえば、第四部「20 結末に抗って-旅すがらに出会った人びと」には、つぎの一説がある。「この本のほとんどを生きている存在に費やしたが、死んだものについて記憶にとどめておくことも有益であろう。死したものもまた、社会生活の一部だからである」。「生きているものと死んだものと、その両方から、マツタケにとっての「よき隣人」を探求するようになった。炭は生きている樹木や菌、土壌微生物と結びついている。いかに隣人-つまり生命力と種の差異をまたがる社会関係-が、よく生きることに必要となるか」。

 そして、エピローグにあたる最後で、つぎのようなことも述べている。「森は繰り返し遷移しつづける宝で、わたしたちを魅了する。マツタケがひとつあったら、その周辺には、もっとたくさんあるかもしれない。本書は、マツタケ山への一連の登山の先鞭をつけるものだ。中国で取引を追跡したり、日本でコスモポリタン科学を追ってみたりと、やるべきことは、まだまだ残されている。シリーズとしてさらなる探検をつづけていきたい」。

 2015年にプリンストン大学出版会から『世界の果てのマツタケ-資本主義に破壊された場における生の可能性』という原題で出版されたこの本を、英語で読むことはなかっただろう。読みはじめてもどう読んでいいのかわからず、つづけて読むのを諦めただろう。本書は、日本語に翻訳されたから読んだ本で、著者の意図したことから学ぶことができたのは、著者と協働できる訳者のお蔭である。英語ができるだけの翻訳家では伝えられない著者の意図が、この翻訳書では読者に届いたことだろう。訳者に感謝したい。

 キノコ狩りのたびに漆にひどくかぶれた苦い経験のあるわたしは、ハイキング中にコース脇でマツタケを見つける才をもっていた。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

中西嘉宏『ミャンマー現代史』岩波新書、2022年8月19日、860円+税、ISBN978-4-00-431939-9

 帯に「暴力と不正義の連鎖は終わらない」とある。「止まらない」ではなく「終わらない」のだ。読者が訊きたいことは、表紙見返しにつぎのようにまとめられている。「ひとつのデモクラシーがはかなくも崩れ去っていった。-二〇二一年に起きた軍事クーデター以降、厳しい弾圧が今も続くミャンマー。軍の目的は? アウンサンスーチーはなぜクーデターを防げなかった? 国際社会はなぜ事態を収束させられない? 暴力と分断が連鎖する現代史の困難が集約されたその歩みを構造的に読み解く」。もうひとつ訊きたいのは、アセアン(東南アジア諸国連合)はなにをしている?、である。

 これらの疑問に答えるのが本書の目的で、「基本となるストーリーライン」は、つぎのようなものだ。「二〇二一年の政変をひとつの政治経済変容の終着点とみなして、一九八八年からはじまる約三五年間のミャンマー現代史を描く。二三年間続いた軍事政権のあと、二〇一一年から進んだ民主化、自由化、市場経済化、グローバル化の試みがクーデターによって頓挫した」。

 つづけて、著者、中西嘉宏の課題と目標を、つぎのように述べている。「断言してもよい。この国がクーデター前の状況に戻ることはない。混迷含みの新たな時代に突入する。だが、その新たな時代がどういったものになるのかは、いまだに像を結ばない。そこで、たとえ朧ろげではあっても、この国の行方を見通すこともまた、本書の課題としよう」。「二〇二一年のクーデター以来、私たちを困惑させ続けてきた数々の出来事が、本書で示す鳥瞰図の上で線としてつながって、なるほどそうなっていたのかと読者の腑に落ちれば、とりあえずの目標は達成されたことになるだろう。欲をいえば、ミャンマーのいまを通じて、世界秩序の危うさを再認識し、価値観を異にする他者や容認し難い不正義とどうかかわるべきなのかを考えるきっかけになれば、筆者にとって望外の喜びである」。

 本書は、はじめに、序章、全6章、終章、あとがき、などからなり、「はじめに」のおわりで、概要が章ごとにつぎのように記されている。序章「ミャンマーをどう考えるか」では、「ミャンマーという国をどうみるのかについて、筆者の基本的な視座を提示したい。また、本書が主に対象とする時代よりも前の時代についても、大きな流れをまとめておこう」。

 第1章「民主化運動の挑戦(一九八八-二〇一一)」は、「民主化運動について考える。一九八八年、ミャンマーで大規模な反政府運動が発生した。学生主体の反政府運動は、アウンサンスーチーを政治指導者とすることで、民主化を求める大衆運動へと変容し、軍と民主化勢力という基本的な対立構図が生まれる。両者の対立の過程を考察しよう」。

 第2章「軍事政権の強権と停滞(一九八八-二〇一一)」は、「一九八八年から二〇一一年まで続いた軍事政権についてである。ミャンマーの軍事政権は、国民から反発を受け、欧米の制裁で国際的に孤立し、経済も停滞したが、それでもなお、二三年間続いた。どうしてこんなことが可能だったのか、その理由を探る」。

 第3章「独裁の終わり、予期せぬ改革(二〇一一-一六)」は、「長い軍事政権からの転換に焦点を当てる。二〇一一年三月の民政移管と、そこから五年間続いたテインセイン政権下の政治と経済が考察対象である。長く停滞してきたミャンマーがなぜ急速に変わったのかを検討しよう」。

 第4章「だましだましの民主主義(二〇一六-二一)」で「論じたいのは、アウンサンスーチー政権の実態である。民主化の大きな進展といってよい二〇一六年のスーチー政権成立は同時に、長年の政敵が共存する不安定な政権のはじまりともいえた。スーチーの夢はどの程度実現して、何に失敗したのかを掘り下げたい」。

 第5章「クーデターから混迷へ(二〇二一-)」では、「二〇二一年二月一日に起きたクーデターとその後の余波を検討する。クーデターは市民の抵抗を呼び、それを軍が力で抑え込もうとしたことで急進化してしまう。だましだまし維持されていた民主主義はなぜ崩壊したのか。軍はなぜ自国民に銃を向け、何を実現しようとしているのか考えたい」。

 第6章「ミャンマー危機の国際政治(一九八八-二〇二一)」では「国際社会の動向に目を向けよう。ミャンマーの民主化や経済開発を支援した国際社会は、どうしてクーデターを未然に防ぐことができず、また、クーデター後の混乱に手をこまねくしかないのか。国際政治の複雑な力学を読み解く作業をしたい」。

 終章「忘れられた紛争国になるのか」では、「本書の内容をまとめたうえでミャンマーの今後を考える。シナリオとして描くことができるのは、決して明るい未来ではない。軍の統治は難航しそうだが、抵抗勢力による革命も実現しそうにない。困難な現実を直視したうえで、日本にできることはあるのか、あるとすればそれは何なのかを考える」。

 その「終章」では、まず「この国の行方」をつぎのようにまとめている。「先行きを左右するのは、軍、そしてそのトップのミンアウンフラインである。わたしたちが好むと好まざるとにかかわらず、実効支配という点では優位に立つ軍の動向がこの国の行方を左右する。したがって、軍の出口戦略がどの程度実現するのか、また、各種の要因でそこからどうずれていくのかといった点から、今後の行方を考えることが必要だろう」と述べて、「三つのシナリオ」(親軍政権の成立、軍事政権の持続、新たな権力分有)を示して、検討している。

 つぎに、「この国の困難」をポピュリズム、誤算の連鎖、暴力の罠の三つのキーワードからみていく。そして、最後に「日本はどうすべきか」、日本の対ミャンマー政策のあり方を、つぎの見出しのもとで検討している:「平和、民主主義、人権の支持が原則」「正義と平和の緊張関係」「アジアの現実に向き合う」「国家と生活を壊さない支援」「援助の見直しと過去の検証」「人道支援は日本でもできる」「日本の覚悟」。

 「はじめに」で著者が明言したように、ミャンマーがクーデター前に戻ることはないだろう。それは、Z世代が新たな動きをしたように、クーデター前とは違った「民主化」へ動くという期待でもある。その前に著者が危惧しているのは、「現状維持」のまま世界から忘れ去られていくことで、「あとがき」でつぎのように述べている。「忘却には抗いたい。かといって、関心を惹くために、過度に単純化した悲劇の物語にしてもなるまい。忘却でも単純化でもなく、現実を変えるための冷めた他者理解が必要とされていると思う。現状の救いのなさに戸惑うことになるかもしれないが、それでも、変容するアジアと世界を前にした大事な心構えだろう。ちょっとおおげさだが、ミャンマー現代史の解説を通じて、読者の世界認識が変わることに少しでも貢献できればと願う」。

 結局、ミャンマーを変えることができるのは、ミャンマー人しかいない。現状を変えるために、ミャンマーを外から見ることが必要である。これまでは先進国から学ぶことが多かった。だが、いまのミャンマー人、とくに若者にとって見るべき外は、近隣のアセアン諸国だろう。1960-70年代にビルマ(ミャンマー)は東南アジア競技大会(SEA Games)で、タイ、マレーシア、シンガポールと金メダルを争った。それがいまではカンボジア、ラオスと並ぶ、東南アジアのなかでもスポーツ小国になった。それはスポーツだけではなく、経済をみても明らかだろう。先進国をモデルとした変革は、あまりにも非現実的だ。まずは、近隣諸国と伍していくためにはどうすればいいのかをみることからはじめてはどうだろうか。その意味で、冒頭で訊きたいことに「アセアンはなにをしている?」を加えた。日本にできることは、日本に留学生として呼ぶだけでなく、近隣諸国との交流の機会を作ることも大切ではないだろうか。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

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