早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2023年02月

南川高志『マルクス・アウレリウス-『自省録』のローマ帝国』岩波新書、2022年12月20日、198+14頁、860円+税、ISBN978-4-00-431954-2

 本書概要は、表紙見返しにつぎのようにまとめられている。「マルクス・アウレリウスの生涯は、「哲人皇帝」にふさわしいものであったのか。終わらない疫病と戦争というローマ帝国の実態のなかに浮かび上がるのは、心労を重ねながらも、皇帝の職務をひたむきに遂行しようとする人間の姿であった。歴史学の手法と観点から、『自省録』の時代背景を明らかにすることで、賢帝の実像に迫る」。

 「一九世紀以降、近代歴史学の成立とともにローマ帝国史研究が急速に発展し、マルクスの皇帝としての統治行為が、史資料の精査を経て厳密に検討され、二一世紀の現在、実に多くの新しい知見が得られている」なかで、著者、南川高志が本書で明らかにしようとしていることを、「プロローグ-歴史の中の『自省録』」でつぎのように述べている。

 「現代世界の人々にも感動を与え続ける『自省録』の著者マルクス・アウレリウスについて、その波瀾に富んだ生涯を眺めつつ、『自省録』の背景を明らかにしようと試みるものである」。また、つぎのようにも述べている。「この本では、哲学研究者の方々が『自省録』を分析してこられた研究の成果に敬意を表し多くを学ばせてもらいつつ、歴史学者の観点と方法でマルクス・アウレリウスの生涯と彼が生きたローマ帝国を考察し、『自省録』の時代背景を明らかにしたい。そして、マルクス・アウレリウスという人物の歴史上の意義を明確にするとともに、人々を惹きつける魅力に満ちた彼の書き物の意義を、歴史世界の現実に即して捉えてみたい」。

 本書は、プロローグ、全6章、エピローグ、あとがきなどからなり、第1章「自分自身に-『自省録』のマルクス・アウレリウス」の後、第2-6章でその生涯を時代順に記述している。各章の主題から、かれの置かれた時代と生き抜いた状況がみえてくる:第2章「皇帝政治の闇の中で-若き日のマルクス・アウレリウス」第3章「宮廷と哲学-即位前のマルクス・アウレリウス」第4章「パンデミックと戦争の時代-皇帝としてのマルクス・アウレリウス」第5章「死と隣り合わせの日常-マルクス・アウレリウスが生きたローマ社会」第6章「苦難とともに生きること-マルクス・アウレリウスの生き方」。

 そして、第6章の最後で、マルクス・アウレリウスの生涯をつぎのようにまとめている。「マルクスは、帝国住民の安寧のために働こうと努力した。しかし、その治世において、彼は疫病大流行、戦争、反乱に遭遇し、危機的状況の中でただ懸命に皇帝の職務に励むことしかできなかった。哲学の理念や政体の理想を目指してではなく、先帝アントニヌスの範に従って懸命に働くこと、それが彼の生き方であったといってよいのではないか」。「若き日から帝国統治に皇帝位継承予定者として関わり、即位後は二〇年近くも最高責任者としての日々を送ったマルクスは、人々の「自由」を実現するため懸命に努力を尽くしたが、自分自身は思索の中でしか「自由」を得ることができずに終わったのである」。

 さらに「あとがき」冒頭で、本書の成果をつぎのようにまとめている。「本書は、ローマ皇帝マルクス・アウレリウスの生涯と彼の生きた時代を、有名な彼の著作『自省録』を歴史史料のごとく用いながら描いた書物である。それゆえ、副題を「『自省録』のローマ帝国」としている。本書はまた、『自省録』にあるストア哲学の形式やギリシア思想の表層の下、その深部にあるローマ人マルクスの心情を抽出しようとする試みでもあった。その結果、マルクスの統治を「哲人政治」という言葉で語ることに疑義を呈することとなった。さらに本書は、マルクスを含めたローマ皇帝が、学界では強大な法的権限の保持者またはローマ社会最高の権威者で全住民の保護者と定義され、一般には気ままに強権を発動する暴君もしくは善意あふれる賢帝と受けとめられてきたことに対して、「職務のために働く人」という皇帝像を提案している」。

 本書から、ローマ帝国史研究の人気の根深さが伝わってくる。ローマ法に代表をされる現代に通じる基本がみえてくるからである。帝国内の争いを収めると、帝国外から戦争が迫ってくる。今日、EUという共同体によってEU内の争いが収まると、それに脅威を感じるEU外から戦争がしかけられる。著者は、「あとがき」をつぎのことばで結んでいる。「世界の安寧の回復を心から願うとともに、平和と生命の大切さを基礎において歴史を学ぶ重要性を改めて感じている」。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

シドハース・カーラ著、山岡万里子訳『性的人身取引-現代奴隷制というビジネスの内側』明石書店、2022年2月20日、421頁、4000円+税、ISBN978-4-7503-5344-9

 「訳者あとがき」は、つぎの1行ではじまる。「最初に断っておきます。本書を読むには心の準備が必要です」。1行空けて、その理由をつぎのように説明している。「「性的人身取引」とはちょっと耳慣れない言葉かもしれませんが、要するに、性産業(日本で言えば「性風俗産業」)で性を搾取するために、主に女性・少女が売買され支配されることです。本書で繰り返し語られる性的人身取引の暴力性は目を覆うばかりであり、被害者の悲惨な境遇に心を痛めない読者はいないでしょう。渾身込めて翻訳し、本来お勧めしたいはずの自分の訳書でも、今回ばかりは、読者に辛い思いをさせてしまうかもしれない、と先に謝らなければなりません」。

 著者のシドハース・カーラは、「米国テネシー州出身のインド系アメリカ人。大学卒業後ニューヨークで投資銀行家としてのキャリアを積んだが、学生時代に知った人身取引問題への関心を持ち続け、金融・経済の視点を取り入れて解決を目指すことを決意。世界50ヵ国以上を訪ねて何千人もの当事者の話を聞き、現代奴隷制の実態を世に訴える三部作」を著した。

 著者は、「最初は、性的人身取引産業に斬り込んでいく私の旅を、系統立てて書き記すつもりだったが、胸にはより大きな意図が芽生えていた。人生を一変させたこの旅を、詳細に語りたくなったのだ。性的人身取引をはじめ、あらゆる形態の現代奴隷制の根絶を目指す、世界的な取り組みへの貢献という新たな使命を、私にもたらしてくれたこの旅を-」。

 この旅は、2000年の夏にはじまった。「会社勤めで貯めた資金を使い三度にわたり旅に出て、売春宿、シェルター、町々、国境地帯、村々を訪ねてインド、ネパール、ビルマ、タイ、ベトナム、イタリア、モルドヴァ、アルバニア、オランダ、イギリス、メキシコ、アメリカを渡り歩いた」。「売春宿やシェルターで、性的人身取引の被害者150人以上にインタビューを行った。さらに被害者の家族、買春男性、シェルターやNGOの職員、人身取引専門の警察官や弁護士、売春宿の経営者1人、人身取引業者1人を含む、120人からも聞き取りを行った。売春宿、マッサージ店、セックスクラブを訪れて、性産業がどう機能しているかをこの目で確かめた。被害者が搾取されるに至った状況を理解するために、彼らの出身地の村や町を訪れた」。

 著者は、インタビューするにあたって、2つの基本ルールを自分に課した。「まず、決して相手を傷つけないこと。私に打ち明けることでかえって苦しむような話は強制せず誘導もしない。シェルターでは、答えてほしい質問リストを作っていくことはせず、面談はすべて対話になるよう心がけた。本人が話したいことを話してほしいと頼んだ。その結果、多くの被害者が胸中を素直にさらけ出し、長時間にわたって詳しく話してくれることになった。第二のルールは、性売買施設を訪れる際、相手から助けを求められたときのために、近隣のシェルターや保健医療施設の情報を持っていくこと。だがほとんどの場合、求められないかぎりはこちらから情報提供はしなかった。多くの性奴隷は自分を奴隷とは自覚しておらず、それを否定する言葉をほのめかせば相手を苦しめるだけだからだ。それでもときには、いつか誰かの役に立つかもしれないと願い、そうした情報を置いてくることもあった」。

 そして、「世界中の売春宿やシェルターの内外を訪ねる調査旅行に三度赴いた」著者の結論は、「性的人身取引とは、人道に対する悪質極まりない犯罪だということだ。女性の人生を卑劣かつ非情に破壊し、そのことによって莫大な収益をもたらすものだ」ということだった。

 著者は、最初「より多くの読者を惹きつける」ために、「全編旅行記風に綴り、合間に現代の性的人身取引がいかに機能しているかという概説を織り込んだ」ものを書こうとしたが、挫折した。その理由は、「性的人身取引産業の始まりや、世界各地でどう運営され、どうすれば根絶できるのかといった、もっと重要かつ喫緊の課題をより正確に描き出すには」、ふさわしくないと思ったからだ。

 この目的に沿うため、著者は第1章「性的人身取引-概要」では、「まず現代の性的人身取引産業の主要な側面を分析的に解説し、いかに根絶するかという議論を最後に述べることにした。そして最終章はこの議論をフルに展開した」。

 「その概要は以下のようになる。世界的な性的人身取引産業を根絶する最も効果的な方法とは、この産業の巨大な収益性に打撃を与えることによって、奴隷所有者や消費者による性奴隷への需要の総量を減らすことだ。また、政府、非営利団体、主要国際機関、そして、市民ひとりひとりが一丸となった、奴隷解放運動に新たな世界ブランドを提唱する。その枠組みによって、性的人身取引というビジネスを解体させるべく、大鉈を振るって外科手術を行うのだ。本書は行動への呼びかけであり、その原動力は、私が目撃したあまりに悲惨な苦しみだ。それはエピソード中心の中盤章で、トーンを抑えずに語られることになる。読者の皆さんにお約束したい。第1章の基礎的な分析を読み終えたら、それ以降の、世界の性的人身取引産業を巡る国境を越えた旅に出発するためのより良い準備ができるだろう。道すがら、おびただしい数の奴隷と出会うことになる。と同時に、幾人もの勇敢な人々が、性的人身取引の廃絶と被害者の支援のために尽くしている姿に出会うことだろうこの本が、彼らに加わりサポートする、さらに大きな力を突き動かすことを願っている」。

 本書は、はじめに、謝辞、全8章、訳者あとがき、「膨大な量の図表付録」などからなる。中盤章2-7章、「インドとネパール」「イタリアと西欧」「モルドヴァと旧ソ連諸国」「アルバニアとバルカン」「タイとメコン河流域地帯」「アメリカ合衆国」は、エピソード中心になる。

 そして、最終章となる第8章「奴隷制廃止に向けての枠組み-リスクと需要」では、まず本書冒頭で著者があげた「性的人身取引撲滅への取り組みがまだ不十分である」つぎの4つの理由を確認する。「性的人身取引がまだよく理解されていないこと。性的人身取引の撲滅に取り組む組織が資金不足であり、国際的に協調できていないこと。性的人身取引を取り締まる法律が絶望的なまでに貧弱で、かつ執行がお粗末であること。そして、この分野の研究や報告は多々あるものの、戦略的介入地点を突き止めるための系統立った商業的・経済的分析がいまだなされていないこと、だ。そして、性的人身取引産業の商業的分析により弱点が炙り出され、その弱点は需要の市場原理に関係あるのだと述べた」。

 「この産業に対する最良の短期戦略は、消費者および奴隷所有者の需要の総量を減らすような戦略だ。需要の総量を減らす最も効果的な方法とは、リスクと報酬の経済を逆転させて産業の膨大な収益性を叩くこと、すなわち、性奴隷を使うリスクを今よりはるかに高コストにすることだ。性的人身取引やその他の形態の現代奴隷制を長期的に根絶するには、これらの犯罪が増大したそもそもの原因-貧困および経済グローバル化の破壊的な不均衡性-に対しても、同時に取り組まなければならない」。

 さらに、著者は「その目的を果たすためにはいくつかの方法が考えられる」といい、「その方法を最大限生かすためにも、分析と議論が必要だ」として、以下、「巻末に収められた膨大な量の図表付録」をもとに、「経済学的考察を踏まえて、より実践的な解決策を提示している」。

 そして、つぎのようにまとめている。「ここで述べた理論的分析が、そっくりそのまま実現するだろうなどと言うつもりは毛頭無いし、ここで提示した戦術こそが、性奴隷制のリスクと報酬を逆転させると考えているわけでもない。しかし、たとえ達成できた効果が期待の半分程度にとどまり、しかもそれが上記とは全く違う戦術を取った結果であったとしても、性奴隷産業はこれまでよりはるかに利益率が低くなり、奴隷所有者、顧客双方から需要はかなり減るだろう。このような理由から私は、性的人身取引産業をビジネスとして考える戦術は、性奴隷事業という経済主体の弱点を攻撃することで、この社会の病魔を撲滅する最大の可能性を持つはずだと信じている。非常に弾力性の強いこの需要の市場原理は、性産業の中でも最も攻撃に弱い側面だ。充分な結束力と専門知識と影響力を持つ世界規模の連合だけが、世界の国々に、効果的な手段を取るようプレッシャーをかけることができる」。

 これだけわかっていて、原書が2009年に出版されてから10年以上がたっているのに、改善されるどころか、20年からの新型コロナウィルスの影響もあって悪化しているようにもみえる。グローバル化のなかで、どこかに弱い立場の人がいると、それにつけいるように悪事をたくらむ者が、世界のどこかにいる。著者が長期戦を覚悟しているように、長短それぞれの戦術が必要で、被害者だけでなく加害者の立場に立った戦術も必要になる。地道にやっていくしかない。

                              
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

横井香織『帝国日本のアジア認識-統治下台湾における調査と人材育成』岩田書院、2018年10月、214頁、2800円+税、ISBN978-4-86602-055-6

 本書は、「近代日本最初の植民地である台湾におけるアジア調査と、南進のための人材育成事業の、実態や特質を解明することを通して、植民地支配の様相を、調査と教育という視点から描き直すという試みである」。

 「本研究の出発点となる問題意識の一つは、アジアを「調査する」ということである。ある地域を調査するとき、その調査は何を目的としているのか、その目的に即してどの分野に関して情報を収集し、いかなる視点で分析し考察するのかなどが、明確でなければならない。調査報告書は、収集したデータの中で、何を選択し何を選択しなかったのかという取捨選択の結果であり、そこに働いた機関や組織の、意図や目的が反映されているのである。実際、近代日本においては、外務省や満鉄調査部をはじめ、銀行、商社、大学、高等商業学校など種々の機関や団体が、アジア地域に関わる調査研究を行った。調査は、それぞれ中央政府の対外政策遂行や、銀行、商社の事業拡大などを目的として進められ、多数の報告書が作成された」。

 「もう一つの問題意識は、「人材を育成する」ということである。ここでいう「人材」とは、日本の植民地や支配地域で、植民地行政などに携わる実務的なエキスパートをいう。1880年代から1890年代にかけて、中国、朝鮮に関する調査研究や人材の育成を目的とした民間団体が、相次いで成立した。その中で東亜同文会は、日中提携に必要な人材を育成する日本人の現地教育機関として、上海に東亜同文書院を設けた。東亜同文書院の学科目は、高等商業学校及び高等学校と同程度の授業を目指しており、中国語と中国関係の学科目が多いところに特色があった。また、カリキュラムに中国調査旅行を加え、フィールド調査による中国理解を目指した。このような外国語、現地事情とフィールド調査を重点とした人材育成は、植民地台湾や朝鮮では高等商業学校で具現化された。また南方方面では、南洋協会が設置した学生会館や南洋商業実習生制度がそれにあたる」。

 本書は、はじめに、全3章、おわりに、などからなる。資料「台湾銀行総務部調査課編「調査書類目録」」のほか、多数の詳細な表にもとづいて議論が進められている。

 第1章「台湾総督府の南方関与とアジア調査」および第2章「台湾島内の機関・団体のアジア調査」では、「台湾総督官房調査課及び台湾銀行、南洋協会台湾支部、台北高等商業学校の調査活動の実態を考察し、人的物的ネットワークを解明して、台湾島内のアジア調査の論理を述べ」る。「まず第1章では、台湾総督官房調査課が行ったアジア調査の特質を明らかにする」。「第2章では、台湾総督官房調査課の調査と関わりのある台湾銀行調査課、南洋協会台湾支部、台北高等商業学校を取り上げる」。

 第3章「南進のための人材育成事業」第1節「高等商業学校における人材育成」では、「日本の「外地」である台湾、朝鮮、関東州に開校した高等商業学校の教育活動を考察する」。第2節「南洋協会による人材育成」では、「南洋協会の運営者の一人である井上雅二を中心に、南洋協会の人材育成事業の形成過程を見ていく」。第3節「教育の南方進出」は、「1935(昭和10)年に開催された熱帯産業調査会の答申を受けて新設された、高雄商業学校を取り上げる」。

 「おわりに」冒頭で、本研究で明らかになったことを、つぎの4点にまとめている。「①日本統治期の台湾では、台湾総督官房調査課を中心に、台湾島内の諸機関・団体と連携した組織的なアジア調査が行われていたこと、②台湾島内の諸機関・団体とは、台湾銀行、南洋協会台湾支部、台北高等商業学校、華南銀行で、それぞれ独自の調査研究活動を展開し、台湾総督官房調査課と人的物的交流を行っていたこと、③台北高等商業学校をはじめ「外地」の高等商業学校では、植民地経営に欠かせない実務的なエキスパートを輩出したこと、④南洋協会では、現地(南洋)の商業従事者を育成し、南洋に送り出したことの4点である。つまり本研究は、従来の研究では着目されてこなかった、植民地の調査と人材育成を視点として、近代日本の植民地支配の様相を捉えたものである」。

 そして、「アジア調査や人材育成事業の基盤」「アジア調査の特質」「アジア調査の活用」を論じた後、最後に今後の課題をつぎのようのまとめている。「台湾におけるアジア調査を検討するには、本研究で実証した台湾島内のネットワークの実態解明だけでは、まだ不十分である。「対岸」の帝国領事館との関わりなどを踏まえ、台湾島内の論理をより鮮明に描き出す必要があるだろう。また、台湾総督官房調査課の調査報告書や台湾銀行調査課の報告書の内容分析や頒布ルートから、「南支南洋」各地に対する地域認識の解明、情報共有化の意義などにも言及しなければならない」。

 本書で扱われた諸機関・団体の調査結果の一部を知っている研究者は少なくないだろうが、その背景を充分に理解している者はいなかっただろう。本書によって、より広い視野の下で、調査結果を使うことができるようになった意義はきわめて大きい。その全体像を概観するためにも、「表一覧」が「目次」の後に欲しかった。

 ところで、現在の「人材育成」はどうだろうか。日本、中国、韓国の学生がそれぞれの言語で、ともに学ぶような場があればどうだろうか。たとえば、日本人なら1年目は日本で日本語で、2年目は中国で中国語か韓国で韓国語で、3年目は韓国で韓国語か中国で中国語で学ぶことができるような高校や大学があれば、面白い人材が育つのではないだろうか。英語で社会科学を学ぶより、人文学に秀でた人材が育つとように思う。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

池田憲隆『近代日本海軍の政治経済史-「軍備拡張計画」の展開とその影響』有志舎、2022年9月30日、298頁、6000円+税、ISBN978-4-908672-59-0

 本書の目的は、序章「なぜ「軍備拡張計画」に着目するのか」の冒頭で、つぎのようにまとめられている。「日清戦争以前の海軍軍備拡張を主対象としながら、1883年(明治16)年に実施が始まる軍備拡張計画に焦点を当てて、その成立の経緯と内容およびその後の経過と影響について分析することによって、海軍軍拡の政治経済的意義を考察することである」。そして、「近代日本の政治経済的特質の一端を明らかに」することである。

 本書は、序章、全5章、補論、終章などからなる。「本書が対象とする時期は主として1882年から1896年頃までであり、章立てにおいても各章の叙述においてもほぼ時間的順序に従っている」。

 第1章「長期軍備拡張計画の成立」では、「1883年以降の軍拡計画がなぜ成立し、その実施状況がいかなるものであったのかという点を追求する」。

 第2章「長期計画に基づく海軍軍備拡張の開始」では、「海軍軍拡によって生じた艦船整備の拡大に応じて国内建造と海外輸入の両者がいかに展開したのかという点について検討する」。

 第3章「長期軍拡計画の再編と軍拡構想の変遷」では、「当初8年計画であったものが6年に短縮されて、海軍軍拡計画がいかに変容したのか、その計画が終了した後も事実上財政資金が継続して投下されていたのはなぜかという点を追求し、それとの関連で海軍軍備構想の変化についてもみていく」。

 第4章「再編海軍軍拡期における艦船整備の動向」では、「再編・継続された軍拡後の状況下における艦船建造・整備の実態およびその変化を検討する」。

 第5章「艦船国内建造体制の形成と展開」は、「こうした軍拡が海軍生産部門にもたらした影響を経営体に即しながら、やや時期を遡った時点からその経営構造や労使関係の変化を分析する」。

 補論「海軍省所管製鋼所案の再検討」では、「海軍省所管製鋼所案を軍拡政策との関係で取り上げ」る。

 終章「日清戦後軍拡の開始-海軍軍拡長期計画の復活」では、「日清戦争後に軍拡計画が本格的に復活した経緯とその後について若干の展望を述べ」る。

 終章は、結論としてまとめた、つぎの「小括」で終えている。「日清戦後経営期における軍事費の急拡大については、第一に賠償金の獲得、第二に戦勝によって高まった陸海軍の威信と「三国干渉」によるナショナリズムの高揚、第三に政府と民党の接近、などによって説明されてきたが、日清戦争以前における軍拡決定過程を教訓とした陸海軍の新たな予算獲得戦術にも着目する必要があろう。海軍がとくに長期計画を望んでいたことについては前述したとおりであり、日清戦後には待望のスケールアップした長期計画が実現した。だが、それに止まらず既存艦船の更新にあたって新たな予算獲得を必要としない方策-軍艦水雷艇補充基金-をも手に入れたことは、海軍軍拡の新たな局面を拓くものであり、これによって海軍も陸軍のように軍拡予算の経常化する手段を獲得したのであった」。

 「日本の政治経済にどのような影響を与えたのか?」というより、1945年の敗戦に至る筋道ができたといっていいだろう。近代の海軍は巨大軍艦の建造をともなうため、長期的な計画が必要となる。それだけ、国家そのものへの影響が大きくなる。陸軍との関係も、長期的な予算獲得を抜きにして語ることはできないだろう。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
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早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

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