「八紘一宇」の塔を考える会編著『新編 石の証言-「八紘一宇」の塔[平和の塔]の真実[改訂版]』鉱脈社、2017年4月5日(2015年初版)、279頁、2000円+税、ISBN978-4-86061-588-8
宮崎市中心部のホテルから北のほうの丘に塔が見えた。なにやら曰く付きの塔で、本書は、この塔を考える会の編著である。「はじめに」の冒頭で、この塔について、つぎのように説明している。
「「平和の塔」と呼ばれだしたのは、先の大戦の戦後間もなくであろうと思われます。それは高さ三十六・四メートルの巨大な石造りの塔で、宮崎市街地の北西近郊、標高六十メートルの丘陵にそびえたっています。ここ「平和台公園」は宮崎を代表する観光地で、市民のいこいの広場としても親しまれています」。
「この塔は昭和十五年(一九四〇)に建設されました。正式名称は「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」と名付けられ、戦前は「八紘一宇の塔」とも呼ばれていました」。
「この塔は切石で築かれており、石塔の正面には「八紘一宇(はつこういちう)」という文字が刻まれた大きな石版がはめ込まれ、中段四角(すみ)にはそれぞれに像が配置されています。下方には塔の内部に入る銅板の扉口があり、記紀神話にある三種の神器や神武東征出港の透(す)かし彫りがあります。塔全体を支える基壇には切石がはめこまれています」。
「塔が建てられた昭和十五年(一九四〇)という年は、中国に対する侵略戦争の三年目でした。短期決戦で勝利するはずが中国軍民の強力な抵抗にあい、戦線は膠着し泥沼化していました。そして翌十六年十二月八日には太平洋戦争へと戦争が拡大していくのです。そのようななか、「国民精神総動員」の一環として推進された「皇紀二六〇〇年」記念事業として建てられたのがこの塔でした」。
編著者の「考える会」は1991年に発足し、塔の調査と研究をはじめた。その後の活動をつぎのように紹介している。「とくに基壇礎石の切石に寄贈団体名があることに注目しました。中国に派遣されていた陸軍の部隊名がたくさんありました。陸軍は六十九個もの石を送ってきていました。どこからの石か。何という名の部隊なのか。その地でどんな戦争をしていたのかを調べました」。
「韓国の全羅北道や中国への訪問を含めこれらの調査には何年もかかりました。軍関係以外にも国の内外の各種団体から寄贈されていました。礎石の一個一個にあたり、礎石に使われている切石一四八五個の寄贈団体名を特定できました。その結果、この「八紘一宇の塔」が建設当時、侵略戦争や植民地支配を正当化し、戦意高揚の役割を果たしていることを明らかにしてくれました。それこそが「平和の塔」の歴史的真実でありました。しかも、戦後五十年以上経ってもその歴史の真実は隠されたままであったのです」。
本書は、はじめに、3部全7章、資料編などからなる。各部のタイトルは、「第1部 石は語る-「八紘一宇」の塔と礎石-」「第2部 歴史を掘る-「塔」の建設と変容-」「第3部 証言はつなぐ-真の「平和の塔」へ-」である。「資料編」は「一「八紘一宇」の塔 基壇礎石一覧表」「二 碑文」「三「八紘一宇」の塔 関連年表」からなる。
「考える会」は、「礎石の調査・日中戦争についての学習会、韓国と中国での礎石調査を経て一九九五年、戦後五十年の年に『石の証言~みやざき「平和の塔」を探る~』を発行」し、「塔建設の七十五周年にあたる二〇一五年」に本書を刊行した。
その主旨は、つぎのように「あとがき」でまとめられている。「戦後七十年、先の侵略戦争を反省し、国民主権・恒久平和・基本的人権の尊重などを原則にした日本国憲法はかつてない危機にあります。憲法前文と九条の平和原則を乱暴に踏みにじる「集団的自衛権の行使容認」の憲法解釈の変更は、従軍慰安婦への強制を認め謝罪した河野談話(一九九三年)、過去の「植民地支配と侵略」を認め「痛切な反省と心からのお詫び」を表明した村山談話(一九九五年)を否定する動きと連動しています。中国や韓国からも侵略戦争を直視しない姿勢に危惧の念が表明され、平和友好的な対話がなされないままになっています」。
「「八紘一宇」の塔は、アジア・太平洋戦争の加害責任を証言し、日本人の歴史認識を深める貴重な戦争遺産です。「八紘一宇」の塔の現在における位置づけを明確にして、より幅広い人びとに「八紘一宇」の塔を考える会のめざす方向と具体的な活動を知らせて共同を呼びかけたいと思います」。
「①「八紘一宇」の塔は、日本の侵略戦争に宮崎県民を動員するための「塔」であり、日本のアジア侵略という加害を今に伝える「戦争遺跡」である」。
「②県立平和台公園の黒木博知事署名の虚偽の碑文を書き改めさせる」。
「③塔を戦争遺跡と位置づけて、歴史資料館の建設を働きかけていく」。
「④「八紘一宇」の塔を戦争遺産として登録させるとともに、県立平和台公園を他団体との協力共同で、真に反戦平和を表現する公園にする」。
宮崎市観光協会の公式サイトに、この塔の紹介はない。宮崎県のは「平和台公園」の見出しで、つぎのように紹介している。「宮崎神宮から北西方向にある丘の上の公園。遠くからも見える高さ37メートルの「平和の塔」は、元々皇紀2600年を記念して建てられました。園内には木立の中のあちらこちらに、兵士や船、家などをかたどった大小さまざまな埴輪の複製品が並ぶ、はにわ園やアスレチック広場や遊歩道などが整備されています」。
この異様な雰囲気を醸し出す塔が、存続していることにまず驚いた。宮崎県には、このほかにも「皇軍発祥之地」碑や「日本海軍発祥之地」碑など、同じような雰囲気のある「戦争遺跡」がある。これを教訓として「この国の歴史の闇に光をあてる」ことを目的とした「考える会」が、1991年に発足したのが気になった。発足の背景に、日本の、とくに政界で右傾化がすすみ、「闇」としてはなく、建設当時の「輝かしい」ものとしてみる議員が多くなったのではないだろうかと危惧した。
本書の冒頭にある「塔の正体-『新編 石の証言』発行に寄せて-」には、つぎのパラグラフがある。「本年(二〇一五年)三月、参議院予算委員会で自民党の三原じゅん子議員によってなされた「八紘一宇」についての言説の、そのあまりにも「無知・無学・無責任」、むしろ「無邪気」とも言える歴史認識の露呈ぶりには、アキレルほかはない。そしてこのことを問題視することのない、政治の現場や有識者の劣化ぶりにも驚かされてたのである。この〝無惨〟としか言いようのない発言の背後に、三原議員をマリオネットとして操った〝黒幕〟がいることだけは確かだろう」。
何気ないことばのなかに、戦前戦後の軍国主義が潜んでいることに、わたしたちは注意を向けなければならない。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
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早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
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