早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2023年03月

「八紘一宇」の塔を考える会編著『新編 石の証言-「八紘一宇」の塔[平和の塔]の真実[改訂版]』鉱脈社、2017年4月5日(2015年初版)、279頁、2000円+税、ISBN978-4-86061-588-8

 宮崎市中心部のホテルから北のほうの丘に塔が見えた。なにやら曰く付きの塔で、本書は、この塔を考える会の編著である。「はじめに」の冒頭で、この塔について、つぎのように説明している。

 「「平和の塔」と呼ばれだしたのは、先の大戦の戦後間もなくであろうと思われます。それは高さ三十六・四メートルの巨大な石造りの塔で、宮崎市街地の北西近郊、標高六十メートルの丘陵にそびえたっています。ここ「平和台公園」は宮崎を代表する観光地で、市民のいこいの広場としても親しまれています」。

 「この塔は昭和十五年(一九四〇)に建設されました。正式名称は「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」と名付けられ、戦前は「八紘一宇の塔」とも呼ばれていました」。

 「この塔は切石で築かれており、石塔の正面には「八紘一宇(はつこういちう)」という文字が刻まれた大きな石版がはめ込まれ、中段四角(すみ)にはそれぞれに像が配置されています。下方には塔の内部に入る銅板の扉口があり、記紀神話にある三種の神器や神武東征出港の透(す)かし彫りがあります。塔全体を支える基壇には切石がはめこまれています」。

 「塔が建てられた昭和十五年(一九四〇)という年は、中国に対する侵略戦争の三年目でした。短期決戦で勝利するはずが中国軍民の強力な抵抗にあい、戦線は膠着し泥沼化していました。そして翌十六年十二月八日には太平洋戦争へと戦争が拡大していくのです。そのようななか、「国民精神総動員」の一環として推進された「皇紀二六〇〇年」記念事業として建てられたのがこの塔でした」。

 編著者の「考える会」は1991年に発足し、塔の調査と研究をはじめた。その後の活動をつぎのように紹介している。「とくに基壇礎石の切石に寄贈団体名があることに注目しました。中国に派遣されていた陸軍の部隊名がたくさんありました。陸軍は六十九個もの石を送ってきていました。どこからの石か。何という名の部隊なのか。その地でどんな戦争をしていたのかを調べました」。

 「韓国の全羅北道や中国への訪問を含めこれらの調査には何年もかかりました。軍関係以外にも国の内外の各種団体から寄贈されていました。礎石の一個一個にあたり、礎石に使われている切石一四八五個の寄贈団体名を特定できました。その結果、この「八紘一宇の塔」が建設当時、侵略戦争や植民地支配を正当化し、戦意高揚の役割を果たしていることを明らかにしてくれました。それこそが「平和の塔」の歴史的真実でありました。しかも、戦後五十年以上経ってもその歴史の真実は隠されたままであったのです」。

 本書は、はじめに、3部全7章、資料編などからなる。各部のタイトルは、「第1部 石は語る-「八紘一宇」の塔と礎石-」「第2部 歴史を掘る-「塔」の建設と変容-」「第3部 証言はつなぐ-真の「平和の塔」へ-」である。「資料編」は「一「八紘一宇」の塔 基壇礎石一覧表」「二 碑文」「三「八紘一宇」の塔 関連年表」からなる。

 「考える会」は、「礎石の調査・日中戦争についての学習会、韓国と中国での礎石調査を経て一九九五年、戦後五十年の年に『石の証言~みやざき「平和の塔」を探る~』を発行」し、「塔建設の七十五周年にあたる二〇一五年」に本書を刊行した。

 その主旨は、つぎのように「あとがき」でまとめられている。「戦後七十年、先の侵略戦争を反省し、国民主権・恒久平和・基本的人権の尊重などを原則にした日本国憲法はかつてない危機にあります。憲法前文と九条の平和原則を乱暴に踏みにじる「集団的自衛権の行使容認」の憲法解釈の変更は、従軍慰安婦への強制を認め謝罪した河野談話(一九九三年)、過去の「植民地支配と侵略」を認め「痛切な反省と心からのお詫び」を表明した村山談話(一九九五年)を否定する動きと連動しています。中国や韓国からも侵略戦争を直視しない姿勢に危惧の念が表明され、平和友好的な対話がなされないままになっています」。

 「「八紘一宇」の塔は、アジア・太平洋戦争の加害責任を証言し、日本人の歴史認識を深める貴重な戦争遺産です。「八紘一宇」の塔の現在における位置づけを明確にして、より幅広い人びとに「八紘一宇」の塔を考える会のめざす方向と具体的な活動を知らせて共同を呼びかけたいと思います」。

 「①「八紘一宇」の塔は、日本の侵略戦争に宮崎県民を動員するための「塔」であり、日本のアジア侵略という加害を今に伝える「戦争遺跡」である」。
 「②県立平和台公園の黒木博知事署名の虚偽の碑文を書き改めさせる」。
 「③塔を戦争遺跡と位置づけて、歴史資料館の建設を働きかけていく」。
 「④「八紘一宇」の塔を戦争遺産として登録させるとともに、県立平和台公園を他団体との協力共同で、真に反戦平和を表現する公園にする」。

 宮崎市観光協会の公式サイトに、この塔の紹介はない。宮崎県のは「平和台公園」の見出しで、つぎのように紹介している。「宮崎神宮から北西方向にある丘の上の公園。遠くからも見える高さ37メートルの「平和の塔」は、元々皇紀2600年を記念して建てられました。園内には木立の中のあちらこちらに、兵士や船、家などをかたどった大小さまざまな埴輪の複製品が並ぶ、はにわ園やアスレチック広場や遊歩道などが整備されています」。

 この異様な雰囲気を醸し出す塔が、存続していることにまず驚いた。宮崎県には、このほかにも「皇軍発祥之地」碑や「日本海軍発祥之地」碑など、同じような雰囲気のある「戦争遺跡」がある。これを教訓として「この国の歴史の闇に光をあてる」ことを目的とした「考える会」が、1991年に発足したのが気になった。発足の背景に、日本の、とくに政界で右傾化がすすみ、「闇」としてはなく、建設当時の「輝かしい」ものとしてみる議員が多くなったのではないだろうかと危惧した。

 本書の冒頭にある「塔の正体-『新編 石の証言』発行に寄せて-」には、つぎのパラグラフがある。「本年(二〇一五年)三月、参議院予算委員会で自民党の三原じゅん子議員によってなされた「八紘一宇」についての言説の、そのあまりにも「無知・無学・無責任」、むしろ「無邪気」とも言える歴史認識の露呈ぶりには、アキレルほかはない。そしてこのことを問題視することのない、政治の現場や有識者の劣化ぶりにも驚かされてたのである。この〝無惨〟としか言いようのない発言の背後に、三原議員をマリオネットとして操った〝黒幕〟がいることだけは確かだろう」。

 何気ないことばのなかに、戦前戦後の軍国主義が潜んでいることに、わたしたちは注意を向けなければならない。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

柴田英昭『占領期の性暴力-戦時と平時の連続性から問う』新日本出版社、2022年12月5日、315頁、2200円+税、ISBN978-4-406-06693-8

 本書は、著者、柴田英昭が「性暴力における戦時と平時の連続性を、それらの根底にある性的自由権、性的自己決定権、性的人格権に着目し、日本政府が肝入(ママ)[煎]りで設置した占領軍兵士の性的「慰安」を目的とした「特殊慰安施設協会」の設置の経緯や、同施設設置に関わった人々、当時の文人やジャーナリストのエゴ・ドキュメントを通して分析した」成果である。

 エゴ・ドキュメントについては、第4章冒頭で、つぎのように説明している。「エゴ・ドキュメントとは一人称で書かれた史料のことで、「自己文書」を意味する。長谷川貴彦によると、その史料の形態としては「書簡・手紙、日記、旅行記、回想録、自叙伝、オーラル・ヒストリー、医療健診記録、警察調書、法廷審問、スクラップブック、写真・アルバム、歌、映画、自画像、さらにいえば、落書きまでも含めて考察の対象」とする。

 本書は、序章、全6章、終章からなる。全6章は、前半の3章と後半の3章に分かれる。序章「なぜ占領期の性暴力を議論すべきなのか」は、つぎのパラグラフで終えている。「本書は、占領期の「特殊慰安施設協会」の設立経緯や、その当時の人々の女性観を問う。その理由は、性暴力の戦時と平時の連続性、またその根底にある男性優位のジェンダー秩序の維持という動機をえぐりだすためでもある。以下、第二次世界大戦における日本の敗戦後の占領期、日本政府と占領軍によって占領軍兵士用の売買春事業が実施された経緯を見ていくが、そこでは事実経過とともに、記録に残されたこの事業の関係者、あるいは当時の日本人の女性観、人権観についても随時ふれていくようにしたい。そこにある女性や人権に対するゆがんだとらえ方が、実は今日の社会にも残っていること、それが男性優位のジェンダー、それを土台にした社会秩序に結びついていることを確認するためである。占領当時と今日とでは、もちろん、我が国の人権状況は異なっており、今日では様々な進歩が確認できるが、同時に、日本社会に残る人権理解の遅れを、とくにジェンダー不平等の実態との関係で直視すべきと考えるからである。本書は、この論点においては、占領期の事態を検証することが有益であると確信している」。

 前半の3章の関係は、第3章「日本の公娼制度と占領下日本における米軍性政策の展開」の冒頭でつぎのように説明している。「1、2章[第1章「占領期の国策売春施設設置と国や警察の関与」第2章「特殊「慰安」施設の資金調達と各都道府県の動向」]で検討した占領初期の占領軍兵士用「慰安」施設施策は、戦前の日本軍の性政策と米軍の性政策の両面で形成された、いわば日米合作の施策だといえる。また、RAA(特殊慰安施設協会)がオフ・リミッツ(立ち入り禁止)となって以降の日本の性政策においても、米軍の意向が大きく反映されている。この問題は、ややもすると、日本の前近代的家父長制の残滓ゆえの女性差別的政策と見られがちであるが、本章では、占領期以降の日本の性政策に米国の意向が大きく影響しているとをさまざまな資料から読み解きたい」。

 後半の3章はエゴ・ドキュメントの分析で、第4章「エゴ・ドキュメント分析1-日本人の日記・回想録から」では、「文人(日本人)の日記や回想録を手がかりに、当時の日本人が占領軍兵士の性暴力をどのように捉えていたのか、また、占領軍「慰安」施設に「慰安婦」として勤めざるを得なかった女性たちや、「慰安」施設がオフ・リミッツ(立ち入り禁止)となった後、街娼(「パンパン」と呼ばれた)となった女性に、人々がどのような視線を向けていたのかを探ることとする」。

 第5章「エゴ・ドキュメント2-日本国憲法GHQ草案作成に関わった米国人」では、日本国憲法の「人権条項の起草に関わった」「二人[H・E・ワイルズとベアテ・シロタ]が共に回想録を執筆しているのは偶然ではあるが、GHQ草案、日本国憲法に与えた二人の女性観・性意識を詳らかに」する。

 第6章「エゴ・ドキュメント3-占領期日本に滞在した外国人の日記・回想」では、第1節で「占領期に日本に滞在したジャーナリスト、マーク・ゲイン(シカゴ・サン紙東京支局長)とダレル・ベリガン(ニューヨーク・ポスト日本支局長)の日記及び論考を分析」、第2節で「戦後日本の保健医療福祉政策の基礎を構築したと高い評価を得ているGHQ(連合国最高司令官総司令部)のPHW(公衆衛生福祉局)局長クロフォード・サムスのエゴ・ドキュメントを取り上げた。サムスの一般的な評価とは「違う側面」が垣間見られ、特に女性の人権にはきわめて鈍感であったことが、回想録から浮き彫りになった」。

 終章「性暴力における戦時と平時の連続性」では、冒頭「本書のテーマは、「占領期の性暴力」がどのように起こったか、背景にはどのような女性や性へのとらえ方(ジェンダー観)があり、何が問題なのかを掘り下げることであった」と述べ、戦中、戦後の連続性をつぎのように結論している。「いわば「一般婦女子の防波堤」のために、売春の心得のある者を占領軍兵士に供したのである。この思考が、第二次世界大戦下、日本の占領軍下にあった朝鮮半島、中国、インドネシア、フィリピン出身者を従軍「慰安婦」に仕立て、兵士の性的「慰安」に当たらせた経験からきたものであったことは、当時警視庁総監であった坂の証言からも理解できる(本書1章)」。

 「このイデオロギーは、男性兵士は「慰安婦」すなわち生身の女性によって性的快楽を得て、結果、一般女性への性暴力・性犯罪をとどまるとするものである。しかし、一般女性と、「慰安婦」との二分法は、性差別的であるとともに、女性を分断して支配することを容認するものであり、その結果として、男性中心のジェンダー観でできた社会を維持・拡大することに寄与することにしかならない。また、筆者は、このイデオロギーが、平時においては、一般女性と売春婦に置き換えられ一般化される点に注目している」。

 つづけて「日本軍「慰安婦」問題と占領軍「慰安婦」問題の共通性」「戦時と平時-売買春における経済的誘導・社会文化的誘導、社会的強制」を論じた後、「売買春の非犯罪化の流れ」でニュージーランド・モデルと北欧モデルを紹介している。そして、「終章のおわりに」で「性労働において性的自己決定権は行使されているのか」と問いかけ、「性的人格権の確立への視座」の必要性を説いている。
 本書を読んで、むなしい気分になった。今日的基準で、敗戦直後の日本の性政策を論じても、実際自分が当事者であったなら、なにが最善であったか述べることができない。「性暴力」に加担した人を責めても、被害者はうかばれない。著者のいう「性的人格権の確立」によって、戦中の日本軍、戦後の占領軍のジェンダー観を変えるしかないということに落ち着くしかないのか。それでも、ニュージーランド・モデルや北欧モデルが示すように、解決にはほど遠いとしかいえない。

 さらに、「売春の心得のある者」だけでなく、その「防波堤」で守られるはずであった「一般婦女子」のなかにも「慰安婦」にならざるをえない人がでた。それは、日本軍が占領した中国や東南アジアで「売春の心得のない者」が「慰安婦」にされたように、日本人女性も「尊厳」を無視された。ここにも連続性がある。そして、その影響はかなり長引き、この戦後の状況を見聞きした者のなかには、戦後生まれの自分の娘が外国人と結婚しようとしたときに「パンパンになったのか」と声を荒げた者がいた。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

大久保由理『「大東亜共栄圏」における南方国策移民-「南方雄飛」のゆくえ』晃洋書房、2023年2月28日、204+13頁、4600円+税、ISBN978-4-7710-3720-5

 本書によって、日本の「南進論」が日本側の視点でより具体的に語れるようになった。満洲研究と違い、これまでの「南進」研究はおもに日本人東南アジア研究者が日本人を受け入れた側の視点から現地への影響などを考慮に入れて考察し、送出側の視点はその背景にすぎなかった。

 本書の課題は、序章「「南方国策移民」という問い」で、つぎのように示されている。「国策として養成され、南方へと送り出された移民のことを、「南方国策移民」と名づける。この南方国策移民の視角から「大東亜共栄圏」建設に主体的に関与していく民衆の実相を再構成し、分析すること」である。著者、大久保由理が「南方国策移民」と名づけたのは、「同時期に拓務省で実施していた満州移民を「満州国策移民」と呼んだことに由来」する。

 つづけて、つぎのように説明している。「このような「南方開拓」のための人材を養成する機関は、後述するように、一九三〇年代後半から四〇年代にかけて、外務省(大鵬寮)や南洋協会(南洋学院)、海軍退役軍人(興南学院南方語学校)などの経営で、官民を問わず数多く設立されている。本書では、なかでも拓務省による人材養成機関に着目する。なぜなら拓務省は、国策として展開された満州移民政策の実務を担った省庁であり、南方移民政策は満州移民政策と並行して対比的に実施され、南方移民は政府によって送出されたからである。したがって拓務省管轄下にあった「拓南塾」と「拓南錬成所」という二つの人材養成機関を取り上げ、その卒業生らを「南方国策移民」として分析する」。

 「拓南塾は企業社員、拓南錬成所は農業技術者と、その階層によって役割が異なるものの、政府は彼らを自らの経済的事情で移動する移民ではなく、国家的目的をもって移住する「拓士」あるいは「開拓士」と呼んだ。政府は南方国策移民を拓士として養成するために、授業料その他を官費として経済的負担を軽減することで、成績優秀だが財政上その他の理由から上位の学校への進学が難しいセミ・エリート層に照準を当てた。渡航前に当時最先端の南方事情や熱帯衛生学、マレー語などの実践的教育および思想教育を行ったあと、卒業後に南方の日本企業への就職を約束した」。

 さらに、本研究の今日的意味を、つぎのように述べている。「南方国策移民は、植民地支配が正統性を失った時代において、欧米列強の植民地であったその地に対して、領土的ではなく経済的な利益を得ることを重視した、まさに「植民地なき帝国主義」の戦略の一つだった。また、南方国策移民は戦後においても形をかえて東南アジアへ「進出」しており、人的に継続が見られる。拓南塾の卒業生のなかには、戦後の早い段階で国際協力事業団の職員として、あるいは社員として、東南アジアに「復帰」したものもいた。この経済戦略の一環としての、海外事情に通じた実践的人材養成の理念は、「国際人」養成あるいは「グローバル人材」養成と名を変えて、今日にまで続いているともいえる。その意味でも、南方国策移民研究はその批判的な継承に貢献するだろう」。

 本書は、序章、2部全5章、補論、終章、あとがきなどからなる。第Ⅰ部「南方国策移民政策とその教育」は3章からなり、第一章「拓務省の南進」にて「拓務省の南進政策とその人材訓練の方針、拓務省や大東亜省の側からみた拓南塾、拓南錬成所という二つの人材養成機関とその組織変遷について、政策、制度面から再構成する」。第二章「拓南塾-企業社員の養成」では「拓南塾の設立から興南錬成院、大東亜錬成院へと統合されていく過程を」、第三章「拓南錬成所-農業技術者の養成」では「拓南錬成所について設立から廃止までを、訓練生らの志望動機にも着目しながら再構成する」。

 2章と補論からなる第Ⅱ部「南方国策移民の活動」では、「拓南塾一期生による、拓南塾時代から派遣先のフィリピンにいたるまでの約三年分の日記・日誌を使い、一期生の目から、南方国策移民が養成されるまでと、卒業後の南方経験の内実を探る」。第四章「南方国策移民になる-ある拓南塾生の「錬成」経験」では、拓南塾時代の訓練教育や日常生活を通して南方国策移民が形成されていく過程を」、第五章「南方国策移民の南方経験-日本占領下のフィリピン」では、「派遣された倉敷紡績株式会社「比島営業所」での、フィリピンでの活動に焦点を当て、南方国策移民としての「大東亜共栄圏」建設の実相を再構成する」。そして、補論「断絶する日本占領下の記憶-グアム・チャモロの人びとと旧日本軍」として、「拓南錬成所卒業生の主要派遣先の一つであったグアムを取り上げ、彼ら南方国策移民が現地の歴史書にはどのように描かれ、どのように記憶されているのかについて分析した論文を組み込ん」でいる。

 終章「「南方雄飛」のゆくえ」では、まず改めて課題をつぎの3つにまとめている。「この南方移民政策を、ドウスの理論である「植民地なき帝国主義」の経済戦略として解釈し、(1)その政策がいかに計画実行されたのか、(2)政策の軸であった人材養成機関である拓南塾と拓南錬成所の内実とはどのようなものか、(3)一〇代後半の青年たちが、どのような過程で「南方国策移民」となり、送出された地域で、どのような現実を生きたかについて再構成することであった」。

 つぎに「本書の論点をこの政策・教育・活動という三つの面から整理する」。「第一に政策面について、第一章で論じた拓務省の南方移民政策は、一九三五年に海軍内に設置された対南洋方策研究委員会(以下対南研)の研究を引き継ぐものであった」。「宗主国への刺激をできる限りさけた経済進出策、そのために軍は表にでずに拓務省や国策会社に「内面的支援」をさせる、という発想は、やはり植民地を正統化できない時代に勢力を拡大させる方法として構想された」。

 「第二に教育面について拓南塾と拓南錬成所を整理する。第二章で検討した拓南塾は、日中戦争のさなかに陸海軍と拓務省で検討し、授業料や諸経費が国庫負担という予算面から考えても、政府が力を入れた本格的な人材養成機関だった」。「占領地行政のための現地事情に通じた人材を養成するという方針は、戦争が長期化するにつれてむしろ強化されていった」。「第三章でみた拓南錬成所については」、「満蒙開拓青少年義勇軍内原訓練所の補導経験者を中心に訓練が行われていた」。「計画の実効性がやや疑わしい、急進的な南進団体であった」。

 「第三に南方国策移民の活動について第五章を中心に整理する」。フィリピンへ送出された一期生の伊藤敏夫は、「頻発するゲリラの襲撃をも恐れず「指導者」精神の発揮を試みたが、なぜゲリラが襲撃するのか、その理由について問いを立てることは困難であった」。一方、「「大東亜共栄圏」の「指導者」としてふさわしいとはとうてい思えないという現実を見ることで、こころのなかの「日本」が揺らぎ、「日本」を批判する視点は持ち得た。教えられてきた、あるべき日本人、あるべき指導者としての姿とはほど遠い「日本人」の姿に幻滅し」た。

 そして、終章をつぎのパラグラフで締め括っている。「このように、「南方国策移民」は中等学校卒業程度の拓南塾と、農学校卒業程度の拓南錬成所という、二つの社会階層にわけて整理したことによって、東南アジアとミクロネシアを軸としてみた「大東亜共栄圏」の空間を、階層的広がりと植民地間の横の連関で捉える手がかりが得られた。ナショナルヒストリーに取り込まれない歴史像を描くには、「国家史」や「国民史」ではない「社会史」や「民衆史」(この「民衆」は、戦後の国境線によって線引きされた国民という区分けをされない、当時の社会に生きた人びと)、「空間」としての地域史の枠組みが必要であり、そこで「他者」経験の歴史的な共有こそが、今日的な意義を持つということを強調しておきたい」。

 本書によって、1940年代に「「南方雄飛」を目指した個人が、どのように「大東亜共栄圏」建設の一翼を主体的に担ったのか、その内実に迫る」ことが可能になった。だが、扱った時代があまりにも短すぎる。「南進」の前線基地としての台湾の人材育成事業についてはすでに横井香織の研究(『帝国日本のアジア認識-統治下台湾における調査と人材育成』岩田書院、2018年)があり、神戸高等商業学校は第一次世界大戦中から毎年学生を海外に派遣し、1930年代後半には学徒至誠会が日本全国から学生を集めて満洲と南洋に派遣した。その詳細な報告書が出版されており、個々の学生の体験は、個人史料である日誌や書簡などを読み込むための参考になる。今日まで視野を広げるためにも、1940年以前にも目配りする必要があったように思う。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

原口泉『日本人として知っておきたい琉球・沖縄史』PHP新書、2022年6月10日、206頁、1030円+税、ISBN978-4-569-85196-9

 本書は、つぎのことばではじまる。「沖縄から日本が見えるといわれて久しい。グローバル化した現在、アジアや世界が見えるといってもよい。気候温暖化・環境破壊・自然災害・疫病……。いまや地球規模に拡大しており、私には小さい沖縄の島が地球の縮図のように見える」。

 この「まえがき」の書き出しにたいして、「あとがき」ではその理由を「強者の論理がまかり通る近代は沖縄の歴史に表れている」としている。著者、原口泉は、本書を含めた日本近現代史三部作の前2著で、「明治維新と北海道の近代史」を扱っている。「アイヌ民族の部族国家に対して琉球王国は高度な階級国家で」、「双方とも大和から見れば周縁に位置し、明治維新後の近代日本から抑圧されてきた」歴史がある。

 本書の概要は、表紙見返しにある。「那覇で発見された「山下洞人」の化石人骨は、何と3万2000年前のものだと推定される。爾来沖縄の人々は彩り豊かな歴史を紡いできた。地方の権力者が各々グスク(城)を築いたグスク時代ののち、三山時代を経て、尚氏による統一王朝が誕生。王の即位式で、神女を利用した策謀がなされたこともあった。中国との進貢貿易、東南アジアと日本を行き来する中継貿易で王国は繁栄するが、17世紀島津氏の侵攻を受け、中国と鹿児島藩との二重支配体制に。やがて日本に組みこまれ、悲劇の沖縄戦、本土復帰を経て現代へ…」。「琉球・沖縄の通史を第一人者が丁寧に解説」。

 本書は、まえがき、全5章、あとがき、引用文献からなる通史である。「本書のタイトルに「日本人として知っておきたい」と冠した理由」は、「今年は沖縄が日本本土復帰して50周年である」からで、つぎのように説明している。「はじめ「教養として」としていたが、教養に留めてはならないという想いから書名を改めた。薩摩に生まれ、アメリカの高校を卒業し、東京の大学で学び、鹿児島の大学に奉職している自分はいつも加害者の立場にいたことを忘れてはならないと思う」。

 そして、「まえがき」をつぎのことばで結んでいる。「「鉄の暴風」で県民の4分の1が犠牲になった沖縄戦の体験から発せられた「命(ぬち)どぅ宝」というメッセージを、今こそ改めて肝に銘じたい」。

 「沖縄の通史を書いた新書は意外に少ない」という。その理由のひとつに、「鉄の暴風」で多くの資料が失われたことがある。それを補うためにも、支配した側の鹿児島藩の資料が重要な意味をもつ。にもかかわらず、本書でもその原資料を用いた記述はあまりない。藩校造士館の伝統を受け継いだ鹿児島大学法文学部に32年間「奉職」した著者らによる原資料に基づく研究成果がみえてこない。これに中国側の資料を突きあわせていけば、琉球・沖縄史の欠けていた部分が見えてくるような気がする。

 「あとがき」の最後で、先学の通史・概説書が紹介されている。ここで本格的な専門書が紹介できれば、冒頭の「沖縄から日本が見える」「沖縄の島が地球の縮図」の意味を、さらに理解することができただろう。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

中野円佳『教育大国シンガポール-日本は何を学べるか』光文社新書、2023年1月30日、232頁、840円+税、ISBN978-4-334-04645-3

 「たかが人口560万人、淡路島ほどの面積の特殊な都市国家と日本を比較してどうするのかという批判に応じるとすれば、だから私はこの本で比較をしようとは思っていない」と著者、中野円佳は「あとがき」で答え、つづけてつぎのように述べている。「それでもシンガポールで見えてきたことは、他の国にも照射することができるはずだ。決してバラ色の国などないという前提のもと、読後に何かを得てもらえていたら幸いだ」。

 本書の内容は、表紙見返しにつぎのようにまとめられている。「国を挙げて教育政策に力を注ぎ、国際学力テストではつねに上位にランクイン。諸外国からの教育移住の多い国としても知られるシンガポール。5世帯に1世帯が外国人の住み込みメイドを雇っており、共働きしやすい国というイメージもある。今や日本が見習う国のように見えるが、はたしてすべてがうまくいっているのか。夫の赴任に伴い、5年間を現地で暮らした教育社会学の研究者・ジャーナリストである著者が、取材やインタビュー調査などを通じて、シンガポールの教育システムの実態を報告、激しい教育競争、習い事競争、教育熱と、母親たちの葛藤・試行錯誤を追う。日本の近未来ともいえるシンガポールを通し、日本のミドルクラスの共働き家庭がぶつかるであろう課題や教育の今後を考える」。

 著者が本書で伝えようとしていることは、「はじめに」でつぎのように述べられている。「この本では、シンガポールの競争社会を取り上げる。もちろんシンガポール人が全員、教育競争に血眼になっているわけではない。階層や人種の差もあるし、たとえば同じ中華系の大卒の親たちの中でもかなりの多様性はある」。「本書が主眼を置くのは、教育や家庭の在り方についての格差論ではなく、むしろミドルクラスの内部で起こっている矛盾や葛藤だ」。

 つづけて結論めいたことを、つぎのように述べている。「シンガポールで5年、生活をしながら調査をして見えてきたのは、色々とうまくいっているように見える中で葛藤している親たちの姿と、あまり表立って抗議はしないし問題と思っていない人も多いのだけれど、そこに静かに根差している男女の役割分担だ」。

 そして、「はじめに」をつぎのパラグラフで閉じている。「それに代わる[日本の望む]未来までを導き出すことを本書は目的としていない。今あるがままを描くのがジャーナリストの1つの役割だと思っている。今、何が起こっているかを記述することで、読者の方々に何らかの示唆を得てもらえたら幸いである」。

 本書は、はじめに、全4章、各章末のコラムまたは補論、あとがき、主要参考文献からなる。各章では本論である「教育優等生のシンガポール?」「もう1つの教育競争-グレード化する習い事」「「教育役割」の罠」「「教育と仕事の両立」とジェンダー平等」が論じられ、コラム、補論では、横道に逸れるかもしれないが本論同様に重要なテーマをシンガポールと日本の現実の具体例から著者の意見を述べる。

 本書のキーワードは「メリトクラシー」である。著者は、第1章でつぎのように説明している。「もともとマイケル・ヤングの著作『メリトクラシー』に出てくる社会のことで、それまでの属性主義、つまり貴族に生まれたものが貴族になるということではなく、能力主義、つまり学歴などによって測った能力とされるものに応じた処遇を徹底するという考え方だ」。そこでは、「メリトクラシー化した社会では、自分の劣等生を認めなくてはならなくなる」ということにもなる。

 「シンガポールにおける教育システムの目的は、国家へのアイデンティティと献身の精神を身につけさせること、経済発展の持続を達成することだ。そこで重視されているのが、教育を媒介として能力のある人材を登用していく体制である」。「国家の発展のため、学歴エリートを、官僚、そして政府に引き入れていく。シンガポール政府は、近隣のアジア諸国で賄賂や不正がまかり通っている可能性とは一線を画し、自国のシステムを「メリトクラシー」といって憚らない」。

 最終章の第4章の最後は、「メリトクラシーの矛盾」の見出しのもと、シンガポールの教育事情をつぎのように総括している。「シンガポールは、これまで見てきたように、メリトクラシーを通じた国の統治と経済発展を目指し、教育に力を入れてきた。しかし、現在の教育システムは、本当の意味で「属性主義」ではないとはいえない」。「シンガポールでは、妊娠したとたんに、評判のいい小学校があるエリアに家を買ったという話をよく聞く。小学校はすべて公立だが、小学校を選択する際に、父母やきょうだいが卒業生であることや、家から近いことが優遇される」。「さらに、メリトクラシーの階段を上がっていく手段としての教育は、その費用負担の重さが少子化の原因として指摘される要因にもなっており、そして親のジェンダーにまで目配りをすれば、平等に機能しているとはいえない状態だ」。

 そして、つぎのパラグラフで、この章を閉じている。「一人一人の親が、子どもに投資しようと考えることは、私は止められないと思う。問わなければならないのは、個々人の行動ではなく、個々人にそのような行動を起こさせる構造ではないだろうか」。

 本書は、「シンガポールにいて全然経験していない」日本の公園での「我が子」の水遊びからはじまる。本書の副題にある「日本は何を学べるか」は、「教育大国」シンガポールから見習うことより、反面教師としての面が強いように感じられる。1970年代からはじまったシンガポールの少子化対策は一向に効果を上げず、日本より低い1.2程度の出生率で低迷しているのは、教育を通して子どもたちに明るい未来がみえないだけでなく、親になって教育のために犠牲になることを忌避しているからだろう。この点も、反面教師として日本が学ぶことができる。介護される本人だけでなく、その家族にも支援が必要なように、子どもだけでなく養育する親への支援も必要で、それは金銭的な面だけでなく、生活全面で日常と非常時に支えることができる構造が必要である。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

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