早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2023年05月

島崎裕子『人身売買と貧困の女性化-カンボジアにおける構造的暴力』明石書店、2018年9月15日、176頁、2500円+税、ISBN978-4-7503-4691-5

 「本書を人身売買という苛酷な現実を経験した人びと、そしてその耐え難い経験を自ら語ってくれた勇気ある女性・女児たちに捧ぐ」とあるように、著書の切実な想い-悲しみ、怒り、絶望-が伝わってくる本である。

 1999年にアセアン(東南アジア諸国連合)に加盟して以来、カンボジアは世界情勢に翻弄され紆余曲折を経ながらも順調に経済発展してきたようにみえる。いっぽうで、これまで利用してきた英字新聞が廃刊に追い込まれたり、有力野党が解散させられたりして事実上一党独裁になっているなど、不安になる状況が報告されてきた。そんななかで、救われない女性たちがいる。

 「本書では、カンボジアでの長期のフィールドワークに基づいて「なぜ人身売買は発生するのか」「カンボジアにおける人身売買被害者とはいったい誰を指すのか」「なぜその人が被害者になるのか」という問いに答えたい」という。「具体的には、カンボジア農村において社会的に弱い立場におかれた女性と女児たちに関する構造的暴力について示す。彼女たちは、カンボジア社会の社会構造の影響下で、気づかぬ間に「人身売買」に巻き込まれていく。また、この弱い立場の者が本人の意図せぬまに強者・権力構造に巻き込まれていく構図を、より大きな視点からもとらえることで、局所的な事例にとどまらない「人身売買」をとらえるツールについても概説する」。

 本書は、はじめに、序章、全6章、おわりに、などからなり、「はじめに」の最後で、以下のように章ごとにまとめている。「序章「グローバル社会における人身売買」では、人身売買の現状を概観する。カンボジアの人身売買の構図を理解するための理論上のツールをあげて、人身売買を個別の視点からとらえるのではなく、より大局的な視点を含めて読み解く重要性について述べる」。

 「第1章「農村における人身売買被害者の実態」、第2章「国境地域における人身売買被害者の実態」では、カンボジアにおける人身売買を二つの特徴的な現象として個別にとらえている。歴史的背景、地理的環境、集落コミュニティ・コミュニティ構成員の特徴や差異、他者との関係性などの多面的側面を考慮して被害者世帯の実態をとらえ、人身売買の形態は二つの地域でどのように異なっているかを示している」。

 「第3章「カンボジアの近代史と農村の現状」では、カンボジア農村の市場経済の発展過程、都市と農村の格差、農村社会にみられる社会規範と人間関係、コミュニティの概念などについて解説する。歴史的にどのような社会文化構造がカンボジア農村に形成されてきたかを検討することで、人身売買被害者を把握する際に必要な社会文化構造がみえてくる」。

 「第4章「人身売買被害者たちはどういう人たちか」では、筆者が行った聞き取り調査に基づいて、被害者の全体像と類型化を行う。被害者がどういう意味で貧困者と言えるのか、被害女性の経済的社会的状況に着目する。彼女たちが人身売買へと引き込まれていく諸要因をとらえ、被害者に共通して見られる暴力の連鎖とその関係をみる」。

 「第5章「国境地域における外部支援のあり方」では、国際機関やNGOの外部支援の有効性とその限界、今後の課題を提示する。初期調査から10年が経過した現在、多くの場合に非公式での越境方法が選択されており、そのなかに多くの人身売買の被害者が含まれていた。こうした国境地域の調査を通じて、当該地に居住する人びとの社会環境をどう再編し、自立に結び付けていくかについて検討する」。

 「第6章「貧困からどう抜け出すか」では、人身売買被害者・脆弱者たち自身の貧困からの脱却のプロセスを検討し、彼女たちが社会的に弱い立場におかれた社会構造からいかに脱却できるか、その可能性を探る」。

 そして、「はじめに」をつぎのパラグラフで締め括っている。「カンボジアを含む世界において、人身売買が構造的暴力の影響下で現在も拡大している。社会的に弱い立場におかれた脆弱者が外部機関の支援を受けつつ自ら貧困からの脱却への道を模索している現状について、本書を通してより多くの人に知ってもらう機会となれば幸いである」。

 各章の終わりには「まとめ」があり、理解しやすい。さらにそれぞれの章の「まとめ」の副題から問題の所在と課題がみえてくる:「人身売買被害者からとらえる農村社会」「ポンペトで起こる人身売買とその被害者とは」「一連のシステムとしての社会文化構造」「人身売買被害者の「貧困」をどのように読み解くか」「国境地域における支援の再考」「貧困からの脱却とその方法」。

 本書のキーワードのひとつは貧困で、「索引」にも「貧困・・・」が並び、「おわりに」でつぎのようにまとめられている。「「貧困」をケーパビリティの剥奪と捉え、カンボジアの人身売買を社会構造の側面から分析するとき、マクロ的な構造的暴力の把握は重要である。本書では、こうした社会的な影響下にある「脆弱者」たちが、同じ立場の人びとと交流することによって、いかに自分の主体性ならびに当事者意識を確立し、社会システムの変化に踏み出しうるかの道筋を示した」。

 そして、つぎのように心安まることのない現状を確認している。「彼女たちは、現在もこれらの経験の傷跡を抱えながら、今を生き、新たな一歩を歩みつつある。十数年前に人身売買被害を経験した少女や女性たちが、今現在も、カンボジアのどこかで生活をし、様々な障壁や困難に立ち向かっている現実に思いを馳せてほしい。人身売買が見えにくくなっている今日、彼女たちは過去の存在ではない。彼女たちが経験し、また現在もたたかっている生の問題は、現在進行形の問題であることを本書を閉じるにあたって確認しておきたい」。

 最後に、今後の課題について、つぎのように述べている。「本書では、女性、女児に焦点を当て論じてきたが、カンボジアには、男性、男児にも人身売買は行なわれ、彼らの現実もまた厳しいものとなっている。こうした問題を直視する視点を持ち、見ようとしなければ見えないこの問題にどのように向き合い、注視していくべきか。私たち一人ひとりに問いかけられている。本書が少しでも、彼女たちにもたらされている現実を他者に伝えることができれば幸いである」。

 被害者の女性・女児だけでなく、その加害者とされる男性、近隣住民、職業斡旋人、雇用主なども気にかかる。「加害者」も「被害者」であるかもしれない。また、出て行くカンボジア側だけでなく、受けいれるタイ側の状況も知りたい。タイには、カンボジアだけではなく、同じく近隣のラオスやミャンマーからも多くの人びとが流入して、そのうち何人かは人身売買被害者になっている。地域として、どう捉えるかも課題のひとつだろう。

 日本政府は、2014年10月14日付で「慰安婦問題に対する日本政府のこれまでの施策」をまとめ、「女性の名誉と尊厳にかかわる今日的な問題への積極的な取り組み」として、つぎの4項目を挙げている。
(1)今日的な女性問題をテーマとする国際フォーラムの開催。
(2)今日的な女性問題に取り組むNGOが行う広報活動の支援。
(3)女性に対する暴力など今日的な女性問題の実態や原因究明及びその予防についての調査研究事業。
(4)このような問題に悩む女性へのカウンセリング事業及び効果的なカウンセリングを行うためのメンタルケア技術の研究、開発事業。

 本書で取りあげた人身売買にかかわるものだ。だが、日本とのかかわりはみえてこない。直接かかわらなくても、この人身売買にかかわった人びとが生産したものを日本人が買って消費しているかもしれない。2001年の「元慰安婦の方々に対する小泉内閣総理大臣の手紙」に書かれている「多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」であるとほんとうに認識し、「心からおわびと反省の気持ち」から、「いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えて」いるなら、近隣諸国でおこっているこの事実は無視できないはずだ。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

緒方宏海『辺境からの中国-黄海島嶼漁民の民族誌』風響社、2023年3月25日、296頁、5000円+税、ISBN978-4-89489-324-5

 本書から、なにやら著者の自信がうかがえる。それは、2004年から着実におこなった現地調査からだけではない。この島嶼漁民が漁業と観光産業の開発にうまく乗り、都市住民を超える収入を得て、主体的な社会を築いているからだろう。その豊かさによって、海に出ている男性にかわって、女性が主導権を握り社会の調停役にもなっている。女性は、島内に学校がないことから寄宿舎生活をおくる子どもの養育から解放され、親から有形無形の束縛を受けることがなくなった。共産党からのいろいろな「圧力」もあるが、「一人っ子政策」など無縁の主体的な社会を維持している。そんな社会も個々人も自律した活力があるからこそ、著者は自信をもって本書を書くことができたのだろう。

 だが、それは本書で書けなかったことを考えると、楽観的に構えることはできない。著者もそのことが重々わかっているから、終章の終わりで、いまの事態を「ある種の暫定的な均衡とみるのが妥当であるように思われる」と述べている。政治的介入や外部資本の流入だけではなく、漁業資源の枯渇、環境の悪化、さらには黄海の漁場をめぐる韓国との対立、北朝鮮情勢などなど、数えあげたらきりがない不安材料がある。

 「本書が対象としている長山諸島は黄海北部海域に位置し、一九五(有人一八島)の島が集まって形成されている島嶼地域である。中国で唯一の島嶼国境県でもある」。

 本書のねらいは、「はじめに」の最後で、つぎのようにまとめられている。「従来の研究において空白地帯であった黄海辺境の島嶼社会の実態から、巨大な中国を俯瞰することである。辺境の島だからこそ顕著になっている諸現象を明らかにすることで、中国社会の実態とその未来が俯瞰できる。隣国の離島に住まう人々の実際の暮らしとその歴史について、ぜひとも理解を深めていただきたいと願う」。

 本書は、はじめに、序章、全5章、終章、あとがきなどからなる。序章「辺境の離島から中国を俯瞰する」の「五 本書の構成」でも各章の要約、「結論」があるが、終章「辺境の島嶼社会から中国をみる」で、「再び、本書の各章の結論と流れを辿って」いる。

 「本書は、まず第一章から第三章において、島嶼に生きる人々がいかなる社会変動を経験してきたのか、その歴史過程を描写した。また同時に、島民は島嶼性の地理的な特徴である辺境性、環海性と常に向かい合いながら、生活を組み立ててきたことを明らかにした」。

 第一章「長山諸島の島民の歴史的経験」では、「長山諸島の島民の移住・定住の過程について検討した。これに基づき初期の地域社会の形成の特徴を歴史と照らし合わせながら、人々が島嶼性の特徴である厳しい自然環境と戦いながら生産活動と暮らしを営んでいたこと、独自の社会生活の特徴を作り、「陸地」とは異なる地域事象を呈していたことを明らかにした」。

 第二章「島嶼における産業の成立」では、「日本が長山諸島を支配して以降、全体として行った関東州の漁業政策について明らかにした。植民地政府によって、動力船の導入やローカルな企業家の出現がもたらされ、島で初めて産業としての漁業が確立する過程について概観した。中国人漁民は植民地支配下の政策によって漁業を発展させた。しかし長山諸島だけは、本土の中国人漁民とは異なる漁業生産システムを持ち、辺境性という「島嶼性」故の制約から、島で成立した「実供」制度が日本統治以降も併存し、富裕層が同制度を利用して貧しい島民を支配していた」。

 第三章「中華人民共和国建国後の島嶼漁村社会」では、「中華人民共和国建国後、長山諸島の島民等がいかにして国に編入されていったのかをみた。中国共産党政府は「漁覇」を打倒し、貧困層の負債を帳消しにした。島嶼性に起因する「実供」制度を解体させたことによって、政府は島民を新しい国に編入し、島民同士の関係に少なくとも見かけ上の平等性を確立した。このような社会変化によって、島民が中華人民共和国の国民であり、長山諸島の島民であり、集団の一員であるという集団アイデンティティが醸成されていった。ただし、島嶼性に起因する「実供」制度が共産党によって解体されたとはいえ、じきに、三反運動、大躍進運動、四清運動、文化大革命というような次々と展開された国の社会運動によって、島民の社会関係に新たに階級区分という差異化がもたらされた」。

 第四章「島嶼生活の網目」では、「改革開放期以降今日までの暮らしの実態を見てきた。黄海島嶼社会において、基本的な社会単位かつ経済単位となっているのは、核家族である。核家族化の進行と関係する世帯形成の在り方を見る手順として、現在の島の婚姻形態と通婚圏、父系出自集団である宗族との関係、「分家」、漁業の労働の現場における個人と家族の関係、隣人という順にひもときながら、最終的に、島嶼社会における相互行為の特徴を見た。第四章で明らかになったのは、長山諸島の場合、世代、性別、職業によって、相互行為の特徴に異なる傾向が見られたことである」。

 第五章「島の村民自治」では、「村民委員会選挙と島の政治的現場に現われるその相互行為の秩序を明らかにした。村民委員会の選挙と政治生活の場に埋め込まれた島独自の政治的な境界性について提示した」。「事例分析で明らかになったのは、現場の村組織を主導する村幹部が今日目指しているのは、自己の利益の最大化よりも、村民と地方政府の両者の狭間でどちらかを選ばないといけないという利益対立の構図の中で抱えたジレンマを乗り越えることであった」。

 終章「二 展望-現代中国研究における新たな視座」では、本書の分析をつぎのようにまとめている。「諸個人の行為は通常既存の社会構造に制約されるが、島民は埋め込まれていた構造によってその相互行為が決定されない。本書で明らかになったのは、島民の親族関係は血縁関係第一とは限らず、利害対立を回避しながら、社会関係を選択していることである。このような相互行為の特徴には、急速な経済発展を遂げた島の社会状況と家族意識の変化が大きく関係している」。

 つづけて、つぎのように結論を述べている。「島嶼性を以て長山諸島の島民の共同体的紐帯を説明すると、島を閉じられた世界と看做してきた前近代的な共同体論に陥りやすい。島嶼性と島民の性別や時代ごとの相互行為の特徴を見ると、その関係性の部分には実は大きな不一致がある。それを踏まえた上で長山諸島の島民の相互行為の共同性への志向、動きを分析すれば、次のように結論できる。長山諸島の場合、生活に密着した場面で、何らかの利害問題が発生し、そこに強烈な関心が向けられるような事態が発生した場合、島嶼性の特徴と説明できる島民の相互行為が見られる」。「本書が手がかりとした集団性の見られる事例の場合は、複数の島民の間に持続的な相互行為とその蓄積があったことによって、島民が一体としてつながるときに重層的な社会結合関係が垣間見え、そこには伸縮する共同性への帰属意識があることがその時にだけ際立つのである」。

 「一人っ子政策」のこととともに、裏表紙のブタが気になったが、もっと早く説明してほしかった。290頁[目次では291]の「写真・図表一覧」の写真には撮影年月日、撮影者、図表には出典、作成者もお忘れなく。地図ももっとほしかった。あまり魚臭くない漁民研究である。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

垂水千恵『台湾文学というポリフォニー-往還する日台の想像力』岩波書店、2023年3月14日、290頁、3500円+税、ISBN978-4-00-061584-6

 タイトルがいい。主題の「ポリフォニー」からは心地よく響きあっている様子が、副題の「往還」からは双方向の対等性、「想像力」からは前向きな姿勢が感じられる。そこには、日台の基底を流れる不可分な歴史的、文化的な関係があるように思える。

 本書は、序章、全12章、終章などからなる。序章「台湾を「読む」ことの意味」は、いきなり各章の要約からはじまる。本書の全体は、表紙見返しに、つぎのようにまとめられている。「戦前、植民地だった台湾は日本人作家の想像力をどのように刺激したか。また台湾人作家はどのように日本を捉え描いてきたか。日本語プロレタリア作家、楊逵の葛藤から、現代台湾の同志[LGBTQ]文学、あるいは日影丈吉、丸谷才一、中上健次における台湾表象など、植民地時代から現代まで、複雑に反射し合い、絡み合う台湾と日本の関係を、双方の文学を通じて読み解く」。

 序章冒頭で、各章の内容を要約したのは、「一二の異なる側面から台湾人作家および台湾に深い関心を寄せた日本人作家とその作品を論じた」本書で、「明らかにしようとする問題について」要約しつつ提示したかったからである。

 要約した後、つぎのように総括している。「以上、一二の論考から、深く絡み合った双根の樹木同士のような台湾と日本の関係を、文学・映画作品を通して論じるのが本書である。この両者の関係は、互いに反射しあい、無数の像へと増殖している。そしてその想像力は往還しつつ、ポリフォニックに響き合っている。終章で言及したように、二〇二一年に第一六五回芥川賞を李琴峰(一九八九-)が受賞したことや、呉明益(一九七一-)や、本書では論じきれなかったが、甘耀明(一九七二-)といった現代台湾を代表する作家たちが、日本時代の記憶を題材とした力作を発表し続けていることもその一つの表れであろう。本書を通じて、読者諸氏がこの複雑かつ豊饒な声を持つ「台湾文学」を読み、味わってくだされば、これ以上の喜びはない」。

 終章「ポリフォニックに再生する台湾文学」では、とくにまとめや結論めいたものは語られていない。本書の基になった論考でもっとも古いものが2009年に発表されてから、「台湾の情勢も、またそれを見る日本の情勢も大きく変わっているし、台湾文学研究をめぐる状況も大きく動いている」ことから、著者はつぎの3点について「補って、終章に代えたい」という。

 「まず、一点目は日本における新たな世代の日本語作家の登場である」。「もちろん、すでに植民地を持たず、今後も持つはずもない日本から、邱[永漢]や黃[霊芝]のような第一世代のポストコロニアル日本語作家が登場することはないだろう。しかし、第二、第三世代、或いは第四世代のポストコロニアル日本語作家が、歴史記憶を再現し、新たな文学を創造していく可能性は大いにある」。

 「第二点目として指摘したいのは、現代台湾同志文学と李琴峰を中心とする新世代の日本語作家との関係である」。「さまざまな文学、映画の引用から構成されたテクスト」があり、それがさらに「新しいテクストの中で引用され、再生されていく」。

 「第三点目は台湾において日本時代の記憶を核とする、しかし日本時代を知らない世代の台湾人作家たちが台頭している、という事実である」。そして、つぎのことばで終章を閉じている。「台湾人作家によって紬継がれている無数の名もなく消えた「生」の再建作業に、日本人-いや、世界中の読者、作家も参加すべき時なのではないだろうか」。

 台湾では、日本の植民統治時代に建てられた古民家が修復され、おしゃれなレストランなどに再生されている。台北市の中心近くの林森公園は、日本人の共同墓地があったところで、2基の鳥居が建っている。韓国と違い、日本の植民支配は全否定するものではなく、植民遺産を活かす方向で考えている。それが、文学にもあらわれているのだろう。そんな台湾に親しみを感じる日本人がいる。とくに沖縄と台湾は、同じ生活空間をもっていたといってもいいような関係があった。沖縄から台湾に教員が渡り「日本化」に貢献し、八重山の子どもたちは修学旅行で台北を訪れ「都会」を実感した。沖縄から台湾に漁業、台湾から沖縄にパイナップル栽培が伝えられた。ポリフォニックな関係が築かれ、同じ想像力があった。このポリフォニーを大切にしたい。

 最初から気になったのは、「楊逵」をどう読んでいいのかわからなかったことである。どうルビを振るか難しいかもしれないが、門外漢にはありがたい。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

張三妮『台湾・朝鮮における近代漢文教育の形成』戎光祥出版、2023年3月31日、276頁、3800円+税、ISBN978-4-86403-471-5

 ちょっと奇妙な本だ。本書は、博士論文の主要部分にあたり、「序」はその主査として審査に当たった者が書いている。つまり、審査報告書である。著者本人の「まえがき」も「あとがき」もない。

 その主査の「梗概」は、つぎのように結ばれている。「横断的検討によって、日本における漢学塾や台湾・朝鮮における書堂が過渡期の公教育を補完したこと、修身と漢文の関係では日本主導の漢文教育によって新しい倫理が説かれて脱儒教が進んだこと、文法教育や新知識の導入においても漢字漢文が有効に機能したこと、また一九三八年に台湾で漢文教育が断絶して以降も朝鮮では漢文教育が継続し両地域に明らかな相違が認められることなどは、本論によって明確になった事実といえる」。

 帯の表には、「日本の漢文教育が東アジア地域に果たした意義・影響を、教科書・組織・理論の変遷から解明する」とある。

 著者本人の総括は、終章「東アジアにおける漢文教育の大切さを知れば」で、2部各部2章全4章からなる本書を手際よく明確にまとめられている。いうまでもなく、2部のそれぞれの部は台湾と朝鮮を扱っている。

 第一部「台湾における近代漢文教育の形成」第一章「日本統治と台湾近代教育の形成-諸教育令の策定と教育課程を中心に」では、第一節で「「漢文」という視座から明治漢文教育形成過程諸教育法令、教育課程、私塾家塾対策及び教育課程に取り入れた漢文と漢文教科書に分けて検討を加え」、第二節で「日本統治と台湾教育政策の形成過程を吟味」している。

 第二章「植民地台湾における漢文教育の創始とその確立-「同文」の意義と漢文の境界」では、第一節で統治前期「漢文に対する日本人の依存度が高まっていたことが言語教育の性格として指摘できることを論じ」、第二節で「台湾で近代的漢文教育の位置づけ、その教授理論の導入、『台湾教育会雑誌』に掲載された教育関係の投稿が大きな役割を果たしていたことを分析し」、第三節で「初等教育、師範教育における漢文教科書の編纂と推移を見」た。

 第二部「朝鮮における近代漢文教育の形成」第一章「旧韓末漢文教育の展開-日本人学務官僚と近代的漢文教育の創始」では、第一節で「統監府時代日本人学務官僚が旧韓末の教育改革を通して「日本ノ開化」を輸入しようとしたことを明らかにし」、第二節で「韓国人の普通学校への登校拒否に直面し、台湾と同じく日本語教育を実施するために漢文教育を取り入れざるを得ない状況にあったことを論じ」、第三節で「私立学校令、教科書検定制度の導入によって、私立学校に対する思想統制、教育内容上政治的要素の排除が行われていたことを論じた」。

 第二章「日本統治と植民地朝鮮における漢文教育の推移」では、第一節で「併合前後、教育法令における漢文、朝鮮語、国語(日本語)と関係科目との位置づけ、相互関係、教授時間数について考察し」、第二節で「中等教育において「朝鮮の特殊的な事情」に該当するように朝鮮語及漢文科の教科書編纂が行われ」、「朝鮮漢文が大幅に増加し、日本漢文は政令伝達や補助的な役割にとどまったいた状況を明らかにし」、第三節で「日本漢文は、国体本義に基づく教材以外に多数の啓蒙思想、文学作品などが、中国古典と朝鮮漢文と一巻に収録され混在しており、それまでにない革新的な性格をもっていたことが確認」された。

 そして、つぎのように結論している。「漢文教育は植民地統治の必要に応じて統治者の側から持ち出され、統治者と被統治者の間で、異なる政治的立場を含む人々に共有された。教科書の編纂によって近代啓蒙や「同化」のイデオロギーを注入することができた。植民地台湾をその範囲として、(和製漢語を大量に取り入れた)簡易漢文と古典漢文という新旧文体の要素が混在していた漢文体が誕生し、広く使用されていた。一方、植民地朝鮮と日本帝国は言語構造が近いだけでなく、中華帝国の周辺という歴史上、文化上の類似性を持ち合わせている。ただし、漢文学習法には、文字の順序に従って音読みする朝鮮式直読と、日本語に読み下す日本式訓読とがある。近代的漢文教育の創出に形態上の近縁性は確認できても、両者は音声上の間には言語イデオロギーの神聖性、不意性が存在する。東アジア漢字文化圏の植民地統治は多くの矛盾、葛藤、限界を抱えていたが、各時代の台湾と朝鮮の文体はそこの人々の思想、文化を投影した鏡として見ることができると考えられる」。

 さらに、「今後の展望」をつぎのように述べて、本書を閉じている。「本書においては、日本統治下台湾・朝鮮における漢文教育が持つ、同化教育という政治的側面と、民族教育・文化教育という教育的側面の二重構造の特殊性に注目し、漢文教育という名の教育の実状と様相を究明した。植民地台湾の漢文教育については資料提示や論証の方式は必ずしも十分とはいえないが、今後更なる研究の深化を目指し、日本統治後期の台湾における漢文教育について明らかにし、日本統治と漢文の言語改革についても研究していきたいと考える。朝鮮総督府は、学校教育を通じて日本語を国語として、また、朝鮮語と両方を教えるようにしており、植民地時代に発刊された教科書の量が膨大である。植民地時代に発刊された漢文教科書全体を議論の対象にするのは効率的な方法ではないが、一時期前後して出版された日本語科漢文教科書と朝鮮語科漢文教科書の比較・分析を更に進めていきたい」。

 同じく日本の植民支配下にあった台湾と朝鮮は、比較の対象となりやすいが、具体的に比較するとなるとそうたやすいことではない。本書でも、共通点より相違点の方が目立つ。それぞれ違う背景があり、違う思惑がある。もっとも大きな違いは、朝鮮には長く続いた王朝があり、そこでは科挙制度がおこなわれていたことで、江戸時代の日本人で朝鮮の知識人に漢文で対応できたのは新井白石と対馬藩の「外交」を取り仕切った雨森芳洲くらいだったといわれている。その漢文力の劣る日本が支配して教育するというのであるから、問題がないわけがない。だが、ここで漢文教育を考えたことで、東アジア共通の近代漢字文化を創ったともいえる。それは、今日英語が国際人の養成言語になったように、漢文がアジア人をつくる言語になったといえる。いまアジア人の共通言語は英語になっている。英語で国際人は養成できても、はたしてアジア人は育つのだろうか。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

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