島崎裕子『人身売買と貧困の女性化-カンボジアにおける構造的暴力』明石書店、2018年9月15日、176頁、2500円+税、ISBN978-4-7503-4691-5
「本書を人身売買という苛酷な現実を経験した人びと、そしてその耐え難い経験を自ら語ってくれた勇気ある女性・女児たちに捧ぐ」とあるように、著書の切実な想い-悲しみ、怒り、絶望-が伝わってくる本である。
1999年にアセアン(東南アジア諸国連合)に加盟して以来、カンボジアは世界情勢に翻弄され紆余曲折を経ながらも順調に経済発展してきたようにみえる。いっぽうで、これまで利用してきた英字新聞が廃刊に追い込まれたり、有力野党が解散させられたりして事実上一党独裁になっているなど、不安になる状況が報告されてきた。そんななかで、救われない女性たちがいる。
「本書では、カンボジアでの長期のフィールドワークに基づいて「なぜ人身売買は発生するのか」「カンボジアにおける人身売買被害者とはいったい誰を指すのか」「なぜその人が被害者になるのか」という問いに答えたい」という。「具体的には、カンボジア農村において社会的に弱い立場におかれた女性と女児たちに関する構造的暴力について示す。彼女たちは、カンボジア社会の社会構造の影響下で、気づかぬ間に「人身売買」に巻き込まれていく。また、この弱い立場の者が本人の意図せぬまに強者・権力構造に巻き込まれていく構図を、より大きな視点からもとらえることで、局所的な事例にとどまらない「人身売買」をとらえるツールについても概説する」。
本書は、はじめに、序章、全6章、おわりに、などからなり、「はじめに」の最後で、以下のように章ごとにまとめている。「序章「グローバル社会における人身売買」では、人身売買の現状を概観する。カンボジアの人身売買の構図を理解するための理論上のツールをあげて、人身売買を個別の視点からとらえるのではなく、より大局的な視点を含めて読み解く重要性について述べる」。
「第1章「農村における人身売買被害者の実態」、第2章「国境地域における人身売買被害者の実態」では、カンボジアにおける人身売買を二つの特徴的な現象として個別にとらえている。歴史的背景、地理的環境、集落コミュニティ・コミュニティ構成員の特徴や差異、他者との関係性などの多面的側面を考慮して被害者世帯の実態をとらえ、人身売買の形態は二つの地域でどのように異なっているかを示している」。
「第3章「カンボジアの近代史と農村の現状」では、カンボジア農村の市場経済の発展過程、都市と農村の格差、農村社会にみられる社会規範と人間関係、コミュニティの概念などについて解説する。歴史的にどのような社会文化構造がカンボジア農村に形成されてきたかを検討することで、人身売買被害者を把握する際に必要な社会文化構造がみえてくる」。
「第4章「人身売買被害者たちはどういう人たちか」では、筆者が行った聞き取り調査に基づいて、被害者の全体像と類型化を行う。被害者がどういう意味で貧困者と言えるのか、被害女性の経済的社会的状況に着目する。彼女たちが人身売買へと引き込まれていく諸要因をとらえ、被害者に共通して見られる暴力の連鎖とその関係をみる」。
「第5章「国境地域における外部支援のあり方」では、国際機関やNGOの外部支援の有効性とその限界、今後の課題を提示する。初期調査から10年が経過した現在、多くの場合に非公式での越境方法が選択されており、そのなかに多くの人身売買の被害者が含まれていた。こうした国境地域の調査を通じて、当該地に居住する人びとの社会環境をどう再編し、自立に結び付けていくかについて検討する」。
「第6章「貧困からどう抜け出すか」では、人身売買被害者・脆弱者たち自身の貧困からの脱却のプロセスを検討し、彼女たちが社会的に弱い立場におかれた社会構造からいかに脱却できるか、その可能性を探る」。
そして、「はじめに」をつぎのパラグラフで締め括っている。「カンボジアを含む世界において、人身売買が構造的暴力の影響下で現在も拡大している。社会的に弱い立場におかれた脆弱者が外部機関の支援を受けつつ自ら貧困からの脱却への道を模索している現状について、本書を通してより多くの人に知ってもらう機会となれば幸いである」。
各章の終わりには「まとめ」があり、理解しやすい。さらにそれぞれの章の「まとめ」の副題から問題の所在と課題がみえてくる:「人身売買被害者からとらえる農村社会」「ポンペトで起こる人身売買とその被害者とは」「一連のシステムとしての社会文化構造」「人身売買被害者の「貧困」をどのように読み解くか」「国境地域における支援の再考」「貧困からの脱却とその方法」。
本書のキーワードのひとつは貧困で、「索引」にも「貧困・・・」が並び、「おわりに」でつぎのようにまとめられている。「「貧困」をケーパビリティの剥奪と捉え、カンボジアの人身売買を社会構造の側面から分析するとき、マクロ的な構造的暴力の把握は重要である。本書では、こうした社会的な影響下にある「脆弱者」たちが、同じ立場の人びとと交流することによって、いかに自分の主体性ならびに当事者意識を確立し、社会システムの変化に踏み出しうるかの道筋を示した」。
そして、つぎのように心安まることのない現状を確認している。「彼女たちは、現在もこれらの経験の傷跡を抱えながら、今を生き、新たな一歩を歩みつつある。十数年前に人身売買被害を経験した少女や女性たちが、今現在も、カンボジアのどこかで生活をし、様々な障壁や困難に立ち向かっている現実に思いを馳せてほしい。人身売買が見えにくくなっている今日、彼女たちは過去の存在ではない。彼女たちが経験し、また現在もたたかっている生の問題は、現在進行形の問題であることを本書を閉じるにあたって確認しておきたい」。
最後に、今後の課題について、つぎのように述べている。「本書では、女性、女児に焦点を当て論じてきたが、カンボジアには、男性、男児にも人身売買は行なわれ、彼らの現実もまた厳しいものとなっている。こうした問題を直視する視点を持ち、見ようとしなければ見えないこの問題にどのように向き合い、注視していくべきか。私たち一人ひとりに問いかけられている。本書が少しでも、彼女たちにもたらされている現実を他者に伝えることができれば幸いである」。
被害者の女性・女児だけでなく、その加害者とされる男性、近隣住民、職業斡旋人、雇用主なども気にかかる。「加害者」も「被害者」であるかもしれない。また、出て行くカンボジア側だけでなく、受けいれるタイ側の状況も知りたい。タイには、カンボジアだけではなく、同じく近隣のラオスやミャンマーからも多くの人びとが流入して、そのうち何人かは人身売買被害者になっている。地域として、どう捉えるかも課題のひとつだろう。
日本政府は、2014年10月14日付で「慰安婦問題に対する日本政府のこれまでの施策」をまとめ、「女性の名誉と尊厳にかかわる今日的な問題への積極的な取り組み」として、つぎの4項目を挙げている。
(1)今日的な女性問題をテーマとする国際フォーラムの開催。
(2)今日的な女性問題に取り組むNGOが行う広報活動の支援。
(3)女性に対する暴力など今日的な女性問題の実態や原因究明及びその予防についての調査研究事業。
(4)このような問題に悩む女性へのカウンセリング事業及び効果的なカウンセリングを行うためのメンタルケア技術の研究、開発事業。
本書で取りあげた人身売買にかかわるものだ。だが、日本とのかかわりはみえてこない。直接かかわらなくても、この人身売買にかかわった人びとが生産したものを日本人が買って消費しているかもしれない。2001年の「元慰安婦の方々に対する小泉内閣総理大臣の手紙」に書かれている「多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」であるとほんとうに認識し、「心からおわびと反省の気持ち」から、「いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えて」いるなら、近隣諸国でおこっているこの事実は無視できないはずだ。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。