早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2023年06月

黒岩昭彦『「八紘一宇」の社会思想史的研究』弘文堂、2022年6月15日、297+vi頁、4500円+税、ISBN978-4-335-16104-9

 1963年宮崎県生まれ、皇學館大学神道学科卒業後、橿原神宮、神社本庁を経て、2008年宮崎神宮禰宜、13年同権宮司、19年鵜戸神社宮司の経歴をもつ著者は、「平成二十年に四半世紀ぶりに帰郷し」、本書のテーマである「八紘一宇」と正面に書いてある塔について興味をもつようになった経緯を「あとがき」冒頭で、つぎのように述べている。「「平和の塔」を日々仰ぎ見ながら宮崎神宮に出社していました。宮崎市を流れる大淀川の堤防沿いに車を走らせる途上、平和台公園に聳える塔を拝することができます。最初は気にもかけませんでしたが、毎日遠望しているうちに次第に興味を抱くようになりました」。1940年に建設され、八紘之基柱(あめつちのもとはしら)と命名された、この塔にはなにやら不思議な力があるようだ。

 「本研究は、戦時下日本にあって社会を席巻したとされる「八紘一宇」の社会思想史的研究である」。本書の目的は「序章」で、つぎのようにまとめられている。「本研究の目的は、八紘一宇の通史的検証を通して、その多様性を含めた実態を究明することである。誰がどのような局面でどのように使ったのかという使用形態を明らかにすることで、必ずしも戦争賛美の八紘一宇とばかりいえない一面を知ることができるのではないだろうか。そこで先ずは、八紘一宇のイデオロギー化から批判続出の過程を経て八紘為宇へと転換するまでの経緯を明らかにする。さらには、八紘一宇批判の中核を担わされている八紘之基柱の建設過程と戦後の復興、また塔建設に関与した人物とその思想の検証などを通じて、イデオロギー化の背景にある地域主義についても解き明かしたい。そして、論証で導き出された結果を以て、戦後の八紘一宇の批判構造についても言及することとなるであろう」。「何れにしても本研究は、八紘一宇という社会思想史上かつてない影響を与えた用語の全体像の解明を最終的な目標に据える途上段階の一試論である」。

 本書は、序章、2編、各編5章全10章、終章、などからなる。「その構成は、中央的目線で論じた「「八紘一宇」の展開(第一編)と、宮崎県の八紘之基柱を主題とした「「八紘一宇」と地域主義」(第二編)としている」。

 「八紘一宇が、如何なる展開を以てして国是とされるほどに影響力を有していったのかを知ることは、社会思想史的研究には必須である」ことから、第一編では「五章に分けて八紘一宇の展開事象を見定めると、①八紘一宇の具象化(視覚化)、②八紘一宇の政治利用(二・二六事件)、③帝国議会での審議、④文部省の八紘為宇への「転換」(昭和十七年以降)、⑤戦後の八紘一宇の展開となる」。

 「第二編では、八紘一宇の展開に大きな影響を与えたと思料される宮崎県の八紘之基柱を取り上げている。八紘一宇の多面性を表白した一つの地方事例といえるが、ただこの塔のことはもう少し詳しく論じなければならない。というのは、八紘一宇批判の一つの典型として、この塔建設に直接的あるいは間接的に関与した人物が、国家主義的な政府の諸施策(国民精神昂揚運動や紀元二千六百年奉祝運動)や、国内外の大事件(二・二六事件、支那事変)などに触発され塔を建てたとし、国民を戦争に駆り立てたと論じているからである。それらの多くが、塔建設を国家主義と近づけ過ぎたことにより論の飛躍が見られる」。「何故に塔は護持され八紘一宇碑は未だに全国に点在しているのであろうか。そこに見えてくる八紘一宇の地域主義に焦点をあてたのが第二編である」。

 本書の成果は、「終章」でつぎのようにまとめられている。「本研究の成果は、八紘一宇の社会思想に関する基礎的研究ではあるものの、学術書として初めて通史的に論じたことである。八紘一宇に関する先行研究が個別具体の学術論文に限られるなかでの手探りの作業ではあったが、全体像を掴むための基礎づくりという意味に限定するならば、その分析と整理は今後の研究に寄与するものと思料する」。

 「八紘一宇の具象化から解きほぐし、昭和維新における変革用語としての八紘一宇を二・二六事件に見出した。そして、政治性が増したことにより逆に帝国議会等での批判を生み、遂には八紘為宇へと転じてゆく社会思想史の展開を述べた。この論証により、戦時下の八紘一宇が絶対的なものではなかったこと、帝国議会における質問の背景に、近衛内閣の推進した新体制運動への政治批判が内在していたことなど、八紘一宇のイデオロギー化への変遷を一定程度は示し得たものと思われる。具体的には以下の四点である」。「一、昭和維新を源流とするもの」「二、紀元二千六百年奉祝事業の推進における八紘一宇の展開」「三、神武天皇信仰に伴う地域主義(奈良県や宮崎県など)」「四、支那事変勃発による戦争推進の意義づけとしての八紘一宇(後に大東亜共栄圏の「解放」に)」。

 今後課題として、著者は「とりわけ四点目へのアプローチが未だ不十分である点を挙げねばならない」とし、つぎのように説明している。「一[、]二、三の「昭和維新的スローガン」(主として日蓮主義)、「紀元二千六百年的スローガン」(主として神道思想)、「地域主義的スローガン」(神社信仰)という意味での八紘一宇と、四の支那事変勃発から大東亜戦争までの近衛新体制運動[の]なかで標榜された東亜新秩序や大東亜戦争の「解放」といった意味で説かれた八紘一宇(社会思想的スローガン)とでは、その使用形態に伴う異同がある」。

 そして、終章の「おわりに」の最後に、著者の現状における「八紘一宇観」を、つぎのよう述べている。「八紘一宇とは「昭和維新スローガン」であり、「紀元二千六百年スローガン」であり、神武天皇を崇拝する「地域スローガン」であって、それらを包含する近衛内閣の「戦時スローガン」であった。そして過激な「戦時スローガン」に対する批判用語としての「平和スローガン」でもあって、その帰着が、社会思想用語化した八紘一宇との差別化を図るという意味での「八紘為宇」に転じたものと捉えている。本研究において、八紘一宇の特色は「多面性を有し多種多様」であると述べてきたのは、まさにそういう意味である。はじめから批判的で一面的見方のバイアスを掛けずに、客観的史料に基づく実証的な研究が求められているのである」。

 たとえ学術的研究によって「真実」があきらかになったとしても、「八紘一宇」のもつ負の側面をないことにすることはできない。「八紘一宇」が具体的な形となった「平和の塔」の醸し出す異様な雰囲気は、人びとになにかをとりつかせる。著者が「毎日遠望しているうちに次第に興味を抱くように」なったのも、そのひとつの現れだろう。負の側面の歴史を知らずに、「表面的に」肯定することは危険である。その意味でも、本書があきらかにしたことは、大きな意義がある。ただ、悪用されないことを祈る。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

長尾宗典『帝国図書館-近代日本の「知」の物語』中公新書、2023年4月25日、283頁、920円+税、ISBN978-4-12-102749-8

 わたしの墓はいらない。かっこいいことを言えば、墓に参られるより、図書館に行ってわたしの本を手に取ってほしい。図書館にわたしの本があり、だれでもが気軽に手に取ることができるなら、わたしの墓はいらない。ところが、その考えが疑問になるような事態が起こっている。大学図書館に行っても、公共図書館に行っても、人があまりいないのである。

 ひとつには、コロナ禍もあってオンラインで読むことができる情報が格段に増えた。わたしがある修士論文の口頭試問で、最初に訊いた質問が「図書館に行ったことがありますか?」というような事態まで起こっている。もちろんテーマによってはオンラインのほうが最新の情報を得られるが、文系の大学院生が図書館に行ったことがないというのは、なんとももったいない話である。

 オンラインで最新の情報が得られるにしても、どのテーマでも研究史の把握は必要で、時間が経って一定の評価が下されたことが書かれている本は不可欠だ。ネットで得られた情報で必要な本を手に入れることができたとしても、図書館でその本を見つけることは別の意味がある。当然その本の周囲には類似の本が並んでいて、ネットで得られた以上の本に出会う。そのテーマにかんする本だけでなく、図書館入り口にある新着本コーナーを見れば、いまどんな本が話題になっており、どんなテーマをいまの社会が必要としているかなどがわかってくる。図書館をうろちょろし、本の背表紙を見ているだけで、イマジネーションが湧いてきて、新たな発想が生まれてくる。「もったいない」と言ったのは、そんな機会を図書館で得ることができるのに、気づくこともできないからだ。

 そんな図書館のわたしの最後の砦が、国立国会図書館である。「最後」の意味は、その規模の大きさから本が出てくるまでに時間がかかり、冊数も限られているので、ほかの図書館や相互貸借で利用できないものにかぎって利用するからである。かつて、アメリカ議会図書館の「屋根裏部屋」でデスクをもつことができた幸運に恵まれたとき、リクエストした本は翌日デスクの上にあった。

 前置きが長くなった。日本だけでなく、米英豪さらにフィリピンやシンガポールなどの国立図書館を利用してきた者にとって、本書は利用者として大いに関心がある。

 本書の内容は、表紙見返しに要領よく、つぎのようにまとめられている。「近代国家への道を歩み出した明治日本。国家の「知」を支えるべく政府によって帝国図書館が設立された。しかし、その道のりは多難であった。「東洋一」を目指すも、慢性的な予算不足で書庫も閲覧室も狭く、資料は溢れ、利用者は行列をなした。関東大震災では被災者の受け入れに奮闘。戦時には所蔵資料の疎開に苦しんだ。本書は、その前身の書籍館から一九四九年に国立国会図書館へ統合されるまでの八〇年の歴史を活写する」。

 「帝国図書館の歴史を、蔵書構築や利用状況からその前史も含めて取り上げ、論じる」本書は、「とくに次の二つの視点を意識しつつ帝国図書館の歩みを検証していく」。「一つは、日本近代史の流れのなかに図書館の歴史を位置づけることである。図書館の歴史は、博物館や美術館の歴史と比べて、近代日本の文化史でも検討対象として扱われることが少なかった。しかし、図書館は少なからぬ人びとにとって、国内の専門書や小説のほか、海外の文献や、新聞や雑誌などの活字メディアにも触れる場所であった。本書では、近代日本のメディア史や思想史の知見もふまえながら、帝国図書館史の歴史を、新たな文化史の文脈に位置づけてみたい」。

 「二つ目は、図書館の管理者側の立場からだけでなく、読者=利用者側の視点もふまえて図書館のあゆみを双方の視点から捉えることである。図書館の提供者側の思惑と利用者の期待にはズレがある。管理者側の意図とは別に、図書館がどのような使われ方をしたのかは、興味深い論点を構成するはずである。先行研究にも学びつつ、近代日本の読書の社会史を探究する一環として、帝国図書館の軌跡を描いていきたい」。

 つづけて、つぎのように本書の構成を簡単に紹介して、「まえがき」を締め括っている。「序章[近代日本と図書館]では、議論の前提として日本の図書館の明治以前の歩みを簡単にふり返るとともに、そのなかでの日本の国立図書館の位置づけを試みる。第一章[多難なる船出]と第二章[湯島から上野へ]では帝国図書館の「前史」を扱う。第三章[帝国図書館誕生]では、帝国図書館の設立に邁進した田中稲城の活躍から、帝国図書館設立構想を考察していく。第四章[「東洋一の図書館」の理想と現実]では、新館開館後の帝国図書館の活動について、収集と利用の両面から検討していく。第五章[逆境のなかの図書館]では、三〇年近く帝国図書館を牽引してきた田中稲城館長が退任し、後継世代に図書館の経営がゆだねられていく過程について論じる。第六章[帝国図書館の黄昏]では戦争に向かう時代の帝国図書館が果たした役割とともに、戦後の占領政策のなかで帝国図書館がどのように変化していったのかを見ていきたい。終章[国立国会図書館へ]では、現在の国立国会図書館につながる問題を扱う。このほか、図書館の専門用語や本文の理解を助けるための背景的知識をコラムにまとめた。本書の検討を通じて、帝国図書館が近代日本の社会でいかなる存在であったのかを考えたい」。

 そして、終章で「帝国図書館とは何であったのか」と問い、つぎのように答えている。「いま一度想起したいのは、一冊一冊の本の価値だけでなく、一〇〇万冊の蔵書全体が持つ意味についてである。それについては、第四章で紹介した三宅雪嶺が帝国図書館開館式で述べた式辞が参考となる。三宅は、日本の発展を支えてきた「過去の勢力過去の思想」が、帝国図書館の蔵書中にこそ残されており、日本の発展を理解するためには、帝国図書館の蔵書全体を解釈しなければならないと語った。国立の図書館の蔵書は、日本の文化の記録である。そして、こういってよければ、各時代において日本思想史の最前線を更新し続けてきた近代日本の「知」の物語そのものである」。

 だが、そんな「帝国図書館」がもっていたものが変わろうとしている。国立国会図書館もデジタル化で利便を図ろうとしていることが、終章「国立国会図書館へ」の最後のほうで、つぎのように書かれている。「国立国会図書館は中期計画二〇二〇-二〇二五の中でデジタルシフトを明確に打ち出し、現在は国立国会図書館デジタルコレクションで、デジタル化された旧帝国図書館蔵書の大部分をパソコンやスマートフォン等の個人端末の画面上で簡単に閲覧できるようになった。資料の全文検索の仕組みも整えられつつあり、さらに登録利用者であれば、絶版資料も個人の端末から画像閲覧することが可能となっている。いまや帝国図書館の蔵書はかつてと全く異なる形で国民に届けられるようになった」。

 デジタル化が進めば、図書館そのものがなくなるのか。「「知」の物語そのもの」が、形となって見えなくなるのか。これまで撮ってきた論文のコピーを簡易製本し、背にタイトルを貼りつけて書棚に並べてみた。個々の論文では見えなかったものが、より広い視野のなかで見えて、イマジネーションが膨らんできた。なにか書けそうな気がする。書いたものも、コンピュータの画面上では見えてこないものが、プリントアウトしたものからは見えてくる。ペラペラめくることが必要なのだ。便利なものは便利なものとして受け入れるが、人文的思考はアナログでしか鍛えられないものがある。図書館に行かないなんて、なんとももったいない。

 2022年度から大阪市立大学と大阪府立大学が統合して大阪公立大学になった。わたしは、終身使える利用者カードをもっている。わたしの友人で、国立国会図書館関西館近くに住んでいる者がいる。わたしは地下鉄御堂筋線を使って、旧大阪市立大学(杉本)と旧大阪府立大学(中百舌鳥)の両方の図書館が使えることになった。伝統ある両大学の図書館には、国立国会図書館デジタルコレクションでデジタル化された旧帝国図書館蔵書にないものがある。大阪公立大学図書館のWebサービスも使えるが、実際に手に取ってみないとわからないことがある。出版に使われた紙やインクなども、歴史研究者にとっては重要な原資料なのだ。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

小林和夫『奴隷貿易をこえて-西アフリカ・インド綿布・世界経済』名古屋大学出版会、2021年10月10日、315頁、5800円+税、ISBN978-4-8158-1037-5

 「インドとの関係を強く意識することで、大西洋奴隷貿易を、大西洋という空間的枠組をこえ、また奴隷貿易後の時代を視野に入れることで、奴隷貿易研究の時間的枠組もこえて研究するようになった」。「本書の題名にはそのような意図が込められている」という。

 ヨーロッパ中心のヨーロッパ拡張史から解放されると、近代に常識だった空間からも時間からも解放される。本書は、大西洋奴隷貿易の時代のヨーロッパと西アフリカとの関係史を、「奴隷貿易をこえて」実証した成果である。当然のことながら、奴隷売買に使った「貨幣」はなにだったのか、奴隷を運んだ船はほかになにをどこからどこへ運んだのか、などなど奴隷貿易をこえて「世界経済」は広がっていた。

 本書では、1750年から1850年にかけての「「革命の時代」の世界経済の興隆において西アフリカの消費者が果たした重要な役割を取りあげる。とりわけ、彼らのインド綿布に対する需要が、18世紀から19世紀半ばのグローバルな貿易や、西ヨーロッパや南アジアの経済発展におよぼした影響に注目する。これまでの研究のなかでしばしば「周辺」とみなされてきた地域の消費者が、どのようにして経済のグローバル化-すなわち、貿易や投資、ヒトの移動などによって、さまざまな地域経済がより広大な地域あるいは世界経済へと連関し統合されていくプロセス-を規定してきたのかを提示することが本書の目的である。それによって、既存の「中心-周辺」モデルによる説明とは異なる世界経済史像を提案したい」と著者はいう。

 ここで、読者のなかには「西アフリカの消費者」に引っかかった人がいるかもしれない。それは、「ヨーロッパはいかにアフリカを低開発化したか」以後のイメージをもっているからで、それ以前には良質のインド製藍染綿布を贅沢の象徴として求めた西アフリカの「豊かな消費市場」があった。藍には、解熱と殺菌効果がある。

 本書は、序章、全4章、終章などからなる。脚注を含む本文259頁のうち、序章に40頁、終章に22頁を費やしている。「研究史を徹底的に調べて論点を整理する」基本が、序章と終章にあらわれている。

 序章「西アフリカとインド綿布からみるグローバル経済史」の「はじめに」の最後で、本書でめざすものが、つぎのようにまとめられている。「本書の関心は、西アフリカのインド綿布消費に代表される、西アフリカと南アジアの経済関係に向けられる。本書で明らかにするように、両地域の経済関係に注目することによって、私たちはグローバル・ヒストリーにおけるアフリカの消費者のエージェンシーを解明するだけでなく、インド人の職工もまた、近代世界経済の興隆のなかで大きな役割を果たしていたことを理解することができる。ここで注意すべきは、当該時期には、その活動領域を拡大する近世ヨーロッパの商人たちが、両地域を結ぶ仲介者の役割を果たしていたことである。西アフリカと南アジアの経済関係は、グローバル・ヒストリーのいくつかの重要な局面-すなわち、奴隷貿易と奴隷制を基礎にした大西洋経済の発展、イギリスの産業革命、さらに近代世界経済の興隆-において必要不可欠な要素だったのであり、本書はこの事実の解明を目指す」。

 そして、最後の「5 本書の構成」で、章ごとにつぎのように要約している。第1章「西アフリカの海上貿易-大西洋奴隷貿易から「合法的」貿易への移行-」では、「貿易統計を用いて、18世紀の大西洋奴隷貿易の最盛期から19世紀の西アフリカの「合法的」貿易への移行期の取引の内実を分析する。後者の時期について具体的には、当時の西アフリカの主要輸出品であったパームオイルとアラビアゴム、そして落花生と、輸入品としての綿布(インド製品・インド製品)と宝貝を取りあげる」。

 第2章「セネガル川下流域のインド綿布ギネ市場-19世紀前半における消費主導の貿易-」では、「西アフリカと南アジアの経済関係の消費・流通の側面に注目し、19世紀前半のセネガルでインド綿布の輸入が続いていた背景を解明する。セネガル川流域-とくに良質なアラビアゴムが供給されていた下流域-の商業ネットワークを検討することで、ギネ[薄地の藍染め綿布]がセネガル川河口部のサンルイ島から内陸部の消費者のもとに運ばれるまでにたどったルート、そして、そうしたルートを包含していた複雑な地域内商業ネットワークの存在を明らかにする」。

 第3章「西アフリカ向けインド綿布の調達-英仏による管理と投資-」は、「西アフリカと南アジアの経済関係の生産の側面に目を向ける。具体的には、18世紀後半から19世紀前半にかけて、ヨーロッパ人は、どのような手段で西アフリカ市場向けのインド綿布を調達・確保していたのかを論じる」。

 第4章「仲介者としてのヨーロッパ商人と西アフリカ-流通における奴隷貿易以降の変化と連続性-」は、「インドから西ヨーロッパを経由して西アフリカにいたるインド綿布の輸送にかかわる側面を検討することで、それまでの議論を補完する。ここでは、インド綿布の生産地と消費地を結びつけたヨーロッパ人による流通ルートが焦点となる。とくに、大西洋奴隷貿易の廃止およびフランス革命・ナポレオン戦争前後で変化した商業環境に論究する」。

 終章「西アフリカと近代世界経済の興隆」は、「本書の議論から得られた知見を、3つの大きな歴史研究の文脈に位置づけることを試みる。ここで取りあげられるのは、熱帯の経済発展、帝国史やグローバル・ヒストリーにおけるアフリカの捉え方、そして、グローバル化の歴史と近代世界経済の興隆をめぐる問題である」。

 そして、終章をつぎのようにまとめて、本書を閉じている。「西アフリカの地域経済を起点にしたグローバル化に向かう動きは、大西洋奴隷貿易の時代にヨーロッパを経由して南アジアまで届くようになった。大西洋奴隷貿易は、西アフリカ諸社会の人的資本や生産性を低下させた可能性はあるが、それ以前からの市場経済の拡大とグローバル化に向かう動きが、さきに引用したイニコリ[Joseph E. Inikori]のいうように、「すべて中断させられた」とは必ずしも言い切れない。本書では、少なくとも19世紀まで、黒人奴隷や熱帯産品に対する外部の需要が、西アフリカのグローバル化の射程を南アジアまで拡大させることに寄与した、と主張したい。その際に、近世ヨーロッパの遠隔地貿易などの商業活動-すなわち西ヨーロッパに起源をもつグローバル化-は、西アフリカのグローバル化の動きを南アジアに結びつけ、ネットワークを形成する役割を果たした。このように、西アフリカと西ヨーロッパのそれぞれに起源をもつ市場経済のグローバルな展開は、19世紀の東アジアや東アフリカの事例などと同様に、労働力や外国商品に対する需要の交差を通じて相互に影響をおよぼしていた。こうした多元的なグローバル化の相互作用こそが、大西洋経済の発展だけでなく、近代世界経済興隆の基盤を整えたのである」。

 「奴隷貿易史観をこえ、現地の動向からインド綿布への旺盛な需要がもたらしたインパクトを実証、グローバル化の複数の起源を解き明かし、西アフリカの人々の主体的活動に新たな光をなげかける」本書の先にあるのは、西アフリカ、南アジアのナショナル・ヒストリーの発展かもしれない。近代に発展したナショナル・ヒストリーを批判することで発展してきたグローバル・ヒストリーが、本書の批判の的になったのは、西アフリカのナショナル・ヒストリーが発展していないからで、イギリス帝国史の一部になっていた面があったからだろう。ナショナル・ヒストリーの発展がなければ、ヨーロッパ拡張史の「餌食」になってしまう。

 本書で気になったのは、「興隆」ということばがさかんに使われていることである。あたかも、ヨーロッパの「興隆」に対抗するかのように。ナショナル・ヒストリーの発展は、「興隆」とは別の面の歴史に光をなげかける。そのためには、「世界経済史」をこえる「社会経済史」への試みが必要だろう。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
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早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

陳來幸編『冷戦アジアと華僑華人』風響社、2023年3月25日、474頁、4000円+税、ISBN978-4-89489-338-2

 本書のもととなった共同研究が可能になった背景について、科学研究費補助事業(基盤研究B)の代表で本書の編者である陳來幸は、「総論」の「2 本書の作成にあたって」でつぎのように述べている。「日本の華僑華人研究も層が厚くなるとともに、学際的な相互交流も頻繁化し、多角的な分析も可能となった。研究地域の枠を超えることはもちろんのこと、研究分析の方法も人類学や法学の専門家を加えて多角化を目指した。なによりも、自由な資料調査・訪問調査が可能となり、時機が到来したとの認識で一致した」。

 つづけて、本書の目的が、つぎのように記されている。「戦後から初期冷戦時期を取り上げることは、タイムリーな一面があった。そして、冒頭で取り上げたように、われわれみなが不安定な不和の時代を克服したと思われた東アジアにも、ふたたび「新冷戦」の時代が到来しようとしている。中・露・日・米・欧の様相をどのように理解するべきか。そのことを突きつけられているいまこそ、かつての冷戦の時代の真相を把握し、今後への視座を獲得しなければならない。本書の刊行がその一助になればと心から願うものである」。

 本書は、まえがき、総論、3部全15章、3つのコラム、あとがき、参考地図、年表などからなる。その概要は、「まえがき」でつぎのように紹介されている。「第二次世界大戦終了後、華僑華人の処遇と役割は彼らが居住するそれぞれの国において大きく様変わりしている。戦前戦後の変化を意識し、とくに冷戦初期に焦点をしぼった論考を集めた書籍の出版は日本では初めてのことであろう。冷戦を一九四五年から一九八九年ベルリンの壁の崩壊までとすれば、本稿[本書]は一九六〇~七〇年代までの冷戦前半期をおおよその論述範囲とし、主として戦後直後から冷戦初期の五〇年代を扱っている。冷戦終了後の東アジアでも象徴的できごとである中国の改革開放以降の華僑華人社会の変容までは扱っていない。冷戦初期日本の華僑華人に関して七篇の論考が、東南アジアについてはインドネシア三篇、フィリピン、ベトナム各一篇の論考が収められている。いずれにおいてもマイノリティ集団として存在してきた華僑華人社会が、東西冷戦という国際情勢のなかでどのように複雑な内部対立をかかえつつ、主流社会での生存を図ってきたのかについて言及されている。その他関連するテーマを扱ったものが三篇である」。

 それぞれの部、章、コラムについて、「総論」でまとめて紹介している。第一部「日本華僑の戦後」は、8章からなる。「そこで注目する第一のテーマが、戦後日本の社会運動と華僑・留学生運動との関係を明らかにすることである。戦後直後の冷戦はイデオロギーの対立が主な対称軸であった」。「第二のテーマは大阪華僑史の再構築である。初期大阪華僑は南幇(長江流域以南出身のグループ)と北幇(山東省や華北(ママ)[河北]省以北出身のグループ)に大きく分かれる」。「第三のテーマは、三人の研究者が日本人の身分で戦前から日本に滞在していた台湾人と戦後の台湾を扱う。戦後の華僑運動のなかで指導的地位にあり、北京に成立する共産党政権に対して真っ先に支援を表明した華僑組織の中心的存在が台湾人であった」。

 第二部「東南アジア華僑の戦後」は、5章、3コラムからなる。「冒頭にインドネシアの台湾人を取り上げた、インドネシア関連で三つの論稿[論考]と一つのコラムが並ぶ」。「ついで、フィリピンとベトナムを取り上げる」。「科研のグループを立ち上げた時に、日米と同じ自由主義陣営側に入ったフィリピンと、率先して北京政府を承認した真逆のインドネシアの華僑社会を比較することとした。ベトナムはベトナム戦争の影響で国際社会に復帰するのが遅く、中国とは隣接していたために、長期間にわたる華僑華人社会の存在がある」。

 「一方、戦後神戸の華僑社会がどのような新しいネットワークを紡いだのかについて、長年気になっていた①客家、②福建(閩南)、③金門のファミリーがある。今回の共同研究では、国内外調査のなかで数多くの訪問調査が実施されたが、なかでも興味深いと思われたこれら三つの訪問調査の音声記録をもとに、それらを文字に起こして論述に使用しコラム①~③としている」。

 第三部「太平洋を越えて」では、「一見離れたテーマの二編の論文を配置し」、その理由をつぎのようにまとめている。「一読して理解いただけるように、国民大会の普通選挙や立法委員選挙、僑民教育の実施など、国民政府の華僑政策は海を越えても共通しており、共産主義の容認か否かをめぐる華僑コミュニティの分裂、中華人民共和国との国交樹立による変化など、冷戦時期の華僑をめぐる話題は共通していることが再確認できる」。

 「あとがき」では、冒頭でつぎのようにまとめている。「日本の華僑社会の戦後史を理解することから始まったこの研究は、他の東南アジア諸国の華僑華人社会をも比較研究対象範囲に収める必要上、自由主義陣営の側に入ったフィリピンと社会主義陣営に入ったインドネシアを対象として取り上げることで新たな研究グループを立ち上げた。中国大陸と台湾島に対立構造をもたらした東アジアの戦後から冷戦初期に、各地の華僑社会にとっては多かれ少なかれ母語の政府が二つ出現したことになる。どちらを支持するのかを巡って華僑社会もまた二分または三分することになる。このことは、大胆に言うならば各地の華僑華人社会の共通の政治的課題であった。当初分析対象として考えていた朝鮮半島の華僑社会については、範囲が広すぎては論点が定まらなくなるとの理由で今回は分析対象からはずし、日本において相対的に歴史研究が手薄なベトナム華僑社会の論考を入れることとした。戦後ベトナム共和国における華僑学校の境遇を通じて見えてきたのは、「明郷(ミンフォン)」は別として、ベトナム華僑に対する扱いが韓国主流社会におけるその扱い以上に現地のベトナムナショナリズムから強く影響されていたことである。韓国とベトナム共和国、朝鮮民主主義人民共和国とベトナム民主共和国それぞれでの華僑社会の研究も今後視野に入れていかなければならない」。

 そして、つぎのように結論している。「本書からは、客家の商業ネットワークとならび、新たな繋目として金門人や外省人を含む台湾が、そして香港が、外部世界への展開の拠点・契機となっていることがクローズアップされた」。「このことは、アジアほか世界各地の華僑華人社会そのものにも当てはまる。境界に位置する人々の存在が危険であるというのではなく、外の世界を実際に繋ぐ、あるいは相互理解を促進する特別な役割を担える潜在力を持っている。そのことを再認識したいというメッセージを最後に、この「おわりに」[「あとがき」]の論を結びたいと思う」。

 本研究が可能になった要因として、「戦後国共対立の微妙な時期に日本から大陸に渡った台湾人やもと留学生、老華僑らの回想録の出版が中国の改革開放後の自由な雰囲気のなかで相次いだこと、民主化以降の台湾で外交部檔案が広く公開されたことが大きい」という。これらの資料をもとに、日本語、中国語(台湾語)で対等に議論したことで、東南アジアにも議論の対象を広げることができ、英語での議論もできるようになった。これだけの基盤ができれば、今後華僑華人研究、とくに東南アジアを含めた東アジア地域の研究としての発展が期待できる。

 いっぽうで、「日僑日人」研究は、とくに東南アジアとの関係は発展が望めない。日本語が学問用語として東南アジアで衰退し、日本に来ている留学生の多くが英語で社会科学を学んでいる。本書でも明らかなように、社会科学だけでは充分でなく、現地のことばの理解のうえでの人文学的知識が必要である。自国語と英語文献だけの研究には限界がある。東南アジアの研究者が日本語で議論できるようにならなければ、「相互理解を促進する特別な役割を担える潜在力を持っている」関係へと発展していかない。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

松永勝彦『「海の砂漠化」と森と人間-環境研究者のつぶやき』新日本出版社、2023年4月15日、167頁、1400円+税、ISBN978-4-406-06748-5

 80歳を超えた研究者がつぶやかざるをえない状況が、いまの日本である。「著者が最も言いたかったこと」が「おわりに」で、つぎのように述べられている。「〝人間は食料と水さえあれば、飢えで苦しむことはない。森林、農地、海はそれぞれ別個でなくつながっているから、林業者、農家、漁師が生業を継続できるよう、血税を使うこと〟である」。

 本書を読んで、「森林、農地、海」を一体として扱う省庁を設けて、食糧危機に備えなければならない、と思った。しかし、同時に「無駄な公共事業」で「国民が汗水たらして納めた血税」を有効に使えない政府に頼ることもできないとも思った。

 本書は、「つぶやき」というより「腐った政治屋」「嘘がまかり通る社会」など「愚痴」からはじまり、「技術立国日本の看板も剥がれ」、「円安が進んで」、「地球温暖化は止まりそうにもありません」の後、本題の「今日の沿岸海域は多くの問題を抱えています」と続く。

 「およそ半世紀前の日本海沿岸の岩や岩盤には海藻が繁茂し、魚介類の産卵の場、稚魚の生育の場でした」。「しかしながら、今日、岩や岩盤は石灰藻という一種の海藻に覆われ、白いペンキを塗布したような世界が広がり、それ以外の生き物が全く生存していない不毛の「砂漠化」が進行しています」という状況にある。

 本書は、はじめに、全3章、おわりに、関連参考図書からなる。「はじめに」「おわりに」は「つぶやき」で、本論の3章には「つぶやき」を含め7つのコラムがある。最初の2章で問題点を整理し、第3章で解決を探っていく構成になっている。

 第1章「食料生産の場・沿岸海域はどうなっているか」は、4節、3コラムからなる。節、コラムのタイトルである「飽食に時代は続くのか」「河口海域、海の「砂漠化」」「食料自給率三八パーセントの日本」「干潟」「嘘がまかり通る社会、他人の事は無関心」「今後もダムを建設すべきか」「研究能力の低下」から問題点がわかる。

 第2章「このままでは地球温暖化は止められない」は同じく4節、3コラムからなり、それらのタイトルから問題点を拾うことができる:「二酸化炭素の放出量はどうなっているか」「気候変動」「北極海を貨物船の航路としていいのか」「中国、ロシア、北朝鮮、無駄な二酸化炭素排出を止めよ」「プーチン氏、狂っていないか」「ポイント・オブ・ノー・リターン」「メタンガスの増加」。

 そして、第3章「二酸化炭素を削減する一助として」は4節、1コラムからなり、その結論は植林することである。「1 二酸化炭素の削減に便乗する公共事業」で効率の悪い見せかけの「無駄な公共事業」を批判し、「2 消費電力の削減とエネルギー・食料の地産・地消」で消費を削減する策を提示し、「コラム7 原子力発電は「神の領域」」でその危険性を警告する。

 「3 高校同期の山林王の話と植林のこと」で、つぎのように具体的になにができるかを述べている。「日本人一人が生活のために排出している年間の二酸化炭素量は、約一〇トンである。樹木一本は一トン程度の二酸化炭素を固定するから、一〇〇歳まで生きるとすると、一人一〇〇〇本植林すれば、自分が排出した二酸化炭素は自分で回収したことになる」。「日本海沿岸海域が「砂漠化」した原因は、陸の森林でつくられる腐植土がさまざまな理由で不足するようになったことに起因しているから、私は、二酸化炭素の削減と海の砂漠化を防ぐために、一九九一年に〝どんぐりを植える会〟を立ち上げ、植林を始めた」。「東南アジア(タイやベトナム)や米国での植林を含めると、私は、一〇〇〇本以上植林した。国内で国民一人が一〇〇〇本の植林は困難かもしれないから、他国での植林も考慮する必要があるようだ」。そして、「4 タイでの経験から」で海外での事例を紹介する。

 「おわりに」の「愚痴」のなかで、つぎのような提案をして、本書の結論としている。「地球温暖化については、国民一人ひとりが、平均数十パーセント、利用するエネルギーを減らす(省エネルギー)とともに、再生可能エネルギーの普及を推進し、国民の数十パーセントが植林をすれば、樹木が成長するまでのタイムラグがあるものの、カーボン・ニュートラルが達成できると思われる」。

 聞くに値する「つぶやき」である。こんな「つぶやき」を老研究者が言わなくてもいい日本にしなければいけない。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

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