黒岩昭彦『「八紘一宇」の社会思想史的研究』弘文堂、2022年6月15日、297+vi頁、4500円+税、ISBN978-4-335-16104-9
1963年宮崎県生まれ、皇學館大学神道学科卒業後、橿原神宮、神社本庁を経て、2008年宮崎神宮禰宜、13年同権宮司、19年鵜戸神社宮司の経歴をもつ著者は、「平成二十年に四半世紀ぶりに帰郷し」、本書のテーマである「八紘一宇」と正面に書いてある塔について興味をもつようになった経緯を「あとがき」冒頭で、つぎのように述べている。「「平和の塔」を日々仰ぎ見ながら宮崎神宮に出社していました。宮崎市を流れる大淀川の堤防沿いに車を走らせる途上、平和台公園に聳える塔を拝することができます。最初は気にもかけませんでしたが、毎日遠望しているうちに次第に興味を抱くようになりました」。1940年に建設され、八紘之基柱(あめつちのもとはしら)と命名された、この塔にはなにやら不思議な力があるようだ。
「本研究は、戦時下日本にあって社会を席巻したとされる「八紘一宇」の社会思想史的研究である」。本書の目的は「序章」で、つぎのようにまとめられている。「本研究の目的は、八紘一宇の通史的検証を通して、その多様性を含めた実態を究明することである。誰がどのような局面でどのように使ったのかという使用形態を明らかにすることで、必ずしも戦争賛美の八紘一宇とばかりいえない一面を知ることができるのではないだろうか。そこで先ずは、八紘一宇のイデオロギー化から批判続出の過程を経て八紘為宇へと転換するまでの経緯を明らかにする。さらには、八紘一宇批判の中核を担わされている八紘之基柱の建設過程と戦後の復興、また塔建設に関与した人物とその思想の検証などを通じて、イデオロギー化の背景にある地域主義についても解き明かしたい。そして、論証で導き出された結果を以て、戦後の八紘一宇の批判構造についても言及することとなるであろう」。「何れにしても本研究は、八紘一宇という社会思想史上かつてない影響を与えた用語の全体像の解明を最終的な目標に据える途上段階の一試論である」。
本書は、序章、2編、各編5章全10章、終章、などからなる。「その構成は、中央的目線で論じた「「八紘一宇」の展開(第一編)と、宮崎県の八紘之基柱を主題とした「「八紘一宇」と地域主義」(第二編)としている」。
「八紘一宇が、如何なる展開を以てして国是とされるほどに影響力を有していったのかを知ることは、社会思想史的研究には必須である」ことから、第一編では「五章に分けて八紘一宇の展開事象を見定めると、①八紘一宇の具象化(視覚化)、②八紘一宇の政治利用(二・二六事件)、③帝国議会での審議、④文部省の八紘為宇への「転換」(昭和十七年以降)、⑤戦後の八紘一宇の展開となる」。
「第二編では、八紘一宇の展開に大きな影響を与えたと思料される宮崎県の八紘之基柱を取り上げている。八紘一宇の多面性を表白した一つの地方事例といえるが、ただこの塔のことはもう少し詳しく論じなければならない。というのは、八紘一宇批判の一つの典型として、この塔建設に直接的あるいは間接的に関与した人物が、国家主義的な政府の諸施策(国民精神昂揚運動や紀元二千六百年奉祝運動)や、国内外の大事件(二・二六事件、支那事変)などに触発され塔を建てたとし、国民を戦争に駆り立てたと論じているからである。それらの多くが、塔建設を国家主義と近づけ過ぎたことにより論の飛躍が見られる」。「何故に塔は護持され八紘一宇碑は未だに全国に点在しているのであろうか。そこに見えてくる八紘一宇の地域主義に焦点をあてたのが第二編である」。
本書の成果は、「終章」でつぎのようにまとめられている。「本研究の成果は、八紘一宇の社会思想に関する基礎的研究ではあるものの、学術書として初めて通史的に論じたことである。八紘一宇に関する先行研究が個別具体の学術論文に限られるなかでの手探りの作業ではあったが、全体像を掴むための基礎づくりという意味に限定するならば、その分析と整理は今後の研究に寄与するものと思料する」。
「八紘一宇の具象化から解きほぐし、昭和維新における変革用語としての八紘一宇を二・二六事件に見出した。そして、政治性が増したことにより逆に帝国議会等での批判を生み、遂には八紘為宇へと転じてゆく社会思想史の展開を述べた。この論証により、戦時下の八紘一宇が絶対的なものではなかったこと、帝国議会における質問の背景に、近衛内閣の推進した新体制運動への政治批判が内在していたことなど、八紘一宇のイデオロギー化への変遷を一定程度は示し得たものと思われる。具体的には以下の四点である」。「一、昭和維新を源流とするもの」「二、紀元二千六百年奉祝事業の推進における八紘一宇の展開」「三、神武天皇信仰に伴う地域主義(奈良県や宮崎県など)」「四、支那事変勃発による戦争推進の意義づけとしての八紘一宇(後に大東亜共栄圏の「解放」に)」。
今後課題として、著者は「とりわけ四点目へのアプローチが未だ不十分である点を挙げねばならない」とし、つぎのように説明している。「一[、]二、三の「昭和維新的スローガン」(主として日蓮主義)、「紀元二千六百年的スローガン」(主として神道思想)、「地域主義的スローガン」(神社信仰)という意味での八紘一宇と、四の支那事変勃発から大東亜戦争までの近衛新体制運動[の]なかで標榜された東亜新秩序や大東亜戦争の「解放」といった意味で説かれた八紘一宇(社会思想的スローガン)とでは、その使用形態に伴う異同がある」。
そして、終章の「おわりに」の最後に、著者の現状における「八紘一宇観」を、つぎのよう述べている。「八紘一宇とは「昭和維新スローガン」であり、「紀元二千六百年スローガン」であり、神武天皇を崇拝する「地域スローガン」であって、それらを包含する近衛内閣の「戦時スローガン」であった。そして過激な「戦時スローガン」に対する批判用語としての「平和スローガン」でもあって、その帰着が、社会思想用語化した八紘一宇との差別化を図るという意味での「八紘為宇」に転じたものと捉えている。本研究において、八紘一宇の特色は「多面性を有し多種多様」であると述べてきたのは、まさにそういう意味である。はじめから批判的で一面的見方のバイアスを掛けずに、客観的史料に基づく実証的な研究が求められているのである」。
たとえ学術的研究によって「真実」があきらかになったとしても、「八紘一宇」のもつ負の側面をないことにすることはできない。「八紘一宇」が具体的な形となった「平和の塔」の醸し出す異様な雰囲気は、人びとになにかをとりつかせる。著者が「毎日遠望しているうちに次第に興味を抱くように」なったのも、そのひとつの現れだろう。負の側面の歴史を知らずに、「表面的に」肯定することは危険である。その意味でも、本書があきらかにしたことは、大きな意義がある。ただ、悪用されないことを祈る。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。