早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2023年07月

小国喜弘『戦後教育史-貧困・校内暴力・いじめから、不登校・発達障害問題まで』中公新書、2023年4月25日、320頁、940円+税、ISBN978-4-12-102747-4

 「なぜ行き詰まったか 80年の軌跡」と帯に大書されている。よく見ると背後に32のキーワードが並んでいる。副題の5つでは、とても語りきれないほどの問題が多々あるということか。暗鬱な気持ちになった。

 表紙見返しに、本書の概要がつぎのようにまとめられている。「ここ30年間に不登校といじめの報告件数は、小学校で5.2倍と46倍、中学で2.5倍と6倍に。特別支援教育対象は、15年間に小中学校ともに3倍近い。少子化にかかわらずだ。本書は深刻な混迷の中にある日本社会と教育の歴史を辿る。なぜここまで行く詰まったのか-。貧困、日教組、財界主導、校内暴力、政治介入、いじめ、学級崩壊、発達障害の激増など、各時代の問題を描きつつ、現在と未来の教育を考える手掛かりとする」。

 これだけ増えるとなると、自然に増えたわけではなく、なんらかの原因で意図的に増やしたとしか考えられない。その原因とはなにか、が本書の課題か。

 「はじめに」で、本書の目的がつぎのように記されている。「本書では、このような学校教育における深刻な行き詰まりを念頭に置き、あらためて一九四七年に誕生した戦後教育がどのように展開してきたのか、さらにそれぞれの時代でどのような問題を抱えてきたのか、学校教育のいかなる可能性が閉ざされたままに展開してしまったのか、について描いていく」。

 「こうした問題関心を前提として、本書では、通史的な叙述と問題史的な叙述を組み合わせる。単に歴史を振り返るだけでなく、今日の、いや、未来の学校教育を考える手掛かりとしたい。その際、焦点を当てるのは、小学校・中学校の義務教育である」。「本書が対象とするのは、それぞれの時代で主に一〇代前半までの子どもたちが受けた学校教育の問題群である」。

 本書は、はじめに、全11章、終章、あとがき、などからなる。第1章「敗戦後、学校はどう改革されたか」・第2章「混乱の子どもたち-学校と人権」では、「戦後教育改革の起点を扱う。敗戦の混乱と焼け野原のなかで戦後教育がスタートした」。

 第3章「教育の五五年体制-文部省対日教組」・第4章「財界の要求を反映する学校教育」・第5章「高度経済成長下、悲鳴を上げる子どもたち」では、「一九五五年以降から七〇年頃までの教育を扱う。日本社会は保守対革新という五五年体制の下で高度経済成長を突き進む。そのなかで学校教育は、産業人の育成を課題として制度化されていった」。

 第6章「一九七〇年前後の抵抗運動-教育の可能性」は、「本書のなかではやや特異な章となる。一九六〇年代末の学園闘争における学習権思想の高まりと、七〇年代における養護学校義務化反対闘争、そのなかの共生教育思想の展開を取り上げる」。

 第7章「ウンコまで管理する時代」は、「高度経済成長以降の一九七〇年代から八〇年代を対象とする。高度経済成長後の労働者管理の手法が学校教育にどのように導入されたのかを検討する」。

 第8章「政治主導の教育-新自由主義改革への道」・第9章「教師たちの苦悩-新自由主義改革の本格化」・第10章「改革は子どもたちに何をもたらしたか」では、「新自由主義教育改革に焦点を当てる。第8章で一九八〇年代、第9章で一九九〇年代半ば以降、第10章で二〇〇〇年代以降の展開をそれぞれ描き出す」。

 第11章「特別支援教育の理念と現実」では、「特別支援教育を事例に現代の教育問題を検討する」。

 終章「学校再生の分かれ道」では、「これまでの検討を踏まえたうえで、現代の学校教育に提示されている二つの選択肢を提示し、進むべき道を読者とともに検討してみたい」。

 そして、著者は、つぎのように述べて「はじめに」を閉じている。「本書は、読者の個々の体験を歴史のなかにあらためて位置づけ直す機会を提供するとともに、学校教育を子どもたちの幸福追求の場として再生する道筋を展望してみたい」。

 終章では、2つの選択肢、つまり「一つはSociety 5.0の到来によって変革を余儀なくされる学校の未来である。もう一つは子ども基本法の成立により、あらためて人権概念に根ざした学校を再構築するという未来である」。

 Society 5.0という概念は、つぎのように説明されている。「二〇一六年に閣議決定された「第五期科学技術基本計画」に登場する。Soceity 5.0とは、狩猟社会、農耕社会、工業社会、情報社会に続く「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(society)」(内閣府ホームページ)として玉虫色に描かれる未来社会像である」。

 子ども基本法は、1989年に国連総会で採択され、94年に日本政府が批准した子どもの権利条約に対応する国内法として、ようやく2022年6月に成立し、23年4月1日に発効した。「全てのこどもについて、個人として尊重されること・基本的人権が保障されること・差別的取扱いを受けることがないようにすること」「全てのこどもについて、〔中略〕教育基本法の精神にのっとり教育を受ける機会が等しく与えられること」「全てのこどもについて、年齢及び発達の程度に応じ、自己に直接関係する全ての事項に関して意見を表明する機会・多様な社会的活動に参画する機会が確保されること」「全てのこどもについて、年齢及び発達の程度に応じ、意見の尊重、最善の利益が優先して考慮されること」などが規定された」。

 そして、最後に「学校再生の可能性」について、つぎのようにまとめて「終章」を閉じている。「子どもたちがあらためて学ぶべきは、共に生き共に学び合うなかで人類は社会をつくってきた事実であろう。そして共に生き、共に学ぶための技法や思想について、学校のなかで実感として理解を深めていくことが求められている。共に生き、共に学ぶ関係を学校のなかで丁寧につくりあげ、人権に基づく教育を追求することこそ、子どもたちの幸福実現に寄与する学校教育を再生する道すじであろう」。

 「あとがき」で、著者は本書でつぎの4点に焦点を当てたと述べている。「第一に、学校教育における子どもの人権保障がどのように変化したのかを描き出した」。「第二に、戦後の学校教育政策は産業界の意向に大きく影響された」。「第三に、「障害児」とされる子どもたちに焦点を当てた」。「第四に、それぞれの時代には、さまざまな選択肢があり得た」。そして、「学校教育の危機が様々に語られる今日において、本書は戦後教育史を描き直すことで学校教育再生の手がかりを模索した」と総括した。

 この危機が深刻なものとして受けとめられてこなかったことは、1989年に国連総会で採択され、94年に日本政府が批准した子どもの権利条約が、国内法として「子ども基本法」となって発効されるまでに、じつに34年かかったことが示している。遅きに失したとはいえ、早々に発効した世界各国での経験を参考に速やかに実行し、学校を再生することだ。本書で描き直された「80年の軌跡」は、「未来の教室」へと向かっていかなければならない。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

黒田一雄『国際教育協力の系譜-越境する理念・政策・実践』東京大学出版会、2023年3月31日、278頁、4800円+税、ISBN978-4-13-034323-7

 本書が出版されたこと自体、日本における国際教育協力のこれまでの発展とこれからの期待を示している。本書は、シリーズ「日本の開発協力史を問いなおす」全7巻の1冊して出版された。本シリーズは、3つの相対化(長期的な視野による相対化、世界的な視野による相対化、多面的な資料の活用による相対化)を意識しながら、「戦後の日本が行ってきた開発協力の営みを歴史的に振り返ることを目的とする」。

 第4巻である本書では、「独自の発展をとげた日本の人づくり・教育協力の理念と成果の歴史的な検証を通じて、国際教育協力とは何なのか、国際教育協力は何のために行われてきたのか、国際教育協力が追求してきた価値・理念は何なのかを考察する」。

 本書は、序章、2部全6章、終章などからなる。序章「国際教育協力への視座」は、「第1部のまとめ」の冒頭でつぎのようにまとめられている。「本書の分析対象を明確にするため、先行研究を踏まえ、国際教育協力を「国家や組織の何らかの政策目的を資するため、国境を越えて展開される教育分野の国際的取組・共同事業・施策」として定義した。そして、本書における国際教育協力の歴史研究の目的を、歴史学のいくつかの考え方を検討した上で、日本における国際教育協力の歴史的展開を記述することによって、国際教育協力を国際社会・国際関係の中でどのように位置づけることができるかについて考究することとした」。

 第1部「国際社会・国際関係における国際教育協力の理念的展開」は2章からなり、終章冒頭でつぎのようにまとめられている。「国際教育協力とそれを取り巻く教育のグローバルガバナンスの展開・歴史を、平和・開発・人権公正に着目して追うとともに、国際教育協力を読み解くための理論的な視角として、主に開発研究・比較教育学と国際関係研究の諸理論を議論した」。

 第1章「世界の国際教育協力と教育のグローバルガバナンスの歴史的展開」では、「平和、人権・公正、開発という3つの視角に着目しながら、供与側の政策意図・動因・理念とそれに影響を与える教育のグローバルガバナンスの歴史的展開を、戦前・戦間期、第二次世界大戦後から1960年代まで、1970年代と80年代、1990年代と2000年代という4つの時代区分において、概説した」。

 第2章「国際教育協力の理念・政策・実践への理論的視角」では、「第1章で示された歴史的展開を踏まえながら、国際教育協力の供与側の理念・政策・実践が、開発研究・比較教育学・国際関係論における研究蓄積の観点から、どのように説明されうるのかに関する考察を行った。そこで検討・議論された理論や仮説は、近代化論、教育経済学、人的資本論、従属論、相互依存論、地域統合論、ソフトパワー論、国際レジーム論、国際規範論、知識外交論など、多岐にわたった」。

 第2部「日本における国際教育協力の歴史的展開」は4章からなり、「日本の国際教育協力の理念・政策の歴史的展開について、明治後期から第二次世界大戦までの戦前・戦中期を」第3章「国際教育協力前史-明治後期から太平洋戦争まで」で、「戦後から60年代までの黎明期を」第4章「国際教育協力の黎明-戦後期から1960年代まで」で、「70・80年代の急速な発展期を」第5章「国際教育協力の政策的模索-1970年代から1980年代まで」で、「90年代以降の教育のグローバルガバナンス時代を」第6章「教育のグローバルガバナンス形成と日本-1990年代から2000年代まで」で、「というような時代区分で概観」した。

 そして、終章「日本の国際教育協力史の理念的検討-未来に向けて」では、「第1部と第2部を架橋し、世界的なコンテキストにおける日本の国際教育協力の歴史的展開を、平和・開発・人権公正という、3種類の国際社会による意義付け・価値の観点から、横断的に議論」した。「その際、第1部で提示した開発研究や国際関係諸理論の観点もあわせて、日本の国際教育協力の歴史的展開を検討する。その上で、最後に、これまでの議論と分析を総合し、SDGs・教育のグローバルガバナンスがますます進展する21世紀において、日本の国際教育協力が進むべき道を具体的に検討」した。

 先行研究を丁寧におさえ、各章末に年表を付すことによって、事実関係を着実に理解しながら、日本の国際教育協力の歴史をたどっていく本書は、安心して基本を押さえながら読むことができる。

 「国際教育協力」ということばから、聞き心地のよい理念や政策がつぎつぎに出てくるが、著者は序章でつぎのように釘を刺している。「ここに示した国際教育協力の「目的」は、必ずしも達成されるとは限らない。達成どころか、その反対の結果につながることもある。例えば、2001年の米国同時多発テロの実行犯の中に留学経験者が含まれたことは、平和・国際理解のために留学を推進してきた国際教育関係者を大きく動揺させた。対象国の民主化や社会的公正の実現につながると信じて行った政府の初等教育普及への国際協力が、結果的にその国における多数派の既得権の維持や少数派の権利剥奪につながることもありうる。ソフトパワーの拡大を目的に行われた国際教育協力が、相手国の反発を買ってしまうこともある。教育は人間を通じて社会に影響するものであるから、その結果をコントロールすることは難しく、国際教育協力のもつこうした「諸刃の剣」の側面と、国際教育協力の供与側と受入側、教育の提供者と教育を受ける者という非対称性のある関係において、必ず存在する相互作用・ダイナミズムには、その歴史を見るときにも十分に留意する必要がある」。

 また、日本には日本特有の歴史的経緯があることを、第6章でつぎのように紹介している。「日本の戦前・戦中の朝鮮半島・台湾における植民地支配や東南アジア諸国の軍事的占領期に日本の教育制度や日本語教育を強制した歴史に対する反省と、教育に対する援助が政治的・文化的な干渉ととられることへの忌避感があった」。

 聞き心地のよい理念や政策が、どこまで実行され、受け入れ国のためになったかの検証はすでに行われているが、本書によってその歴史的流れとより広い視野のもとで「相対的」に見ることができるようになったことで、本シリーズの目的にも沿ったことになる。

 もうひとつ検証しなければならないのは、日本の国際教育協力が日本の教育のためになったかどうかである。現在の日本の教育は、残念ながら世界のお手本となるようなものではない。数々の問題のなかには、グローバルガバナンス時代の共通のものが含まれている。一方的に「与える」だけでなく、ともに考え、問題を解決していくための「協力」も必要になり、そのためには日本が「協力してもらう」視点が重要になる。「平和・開発・人権公正」だけではない、「共生」「協働」などのアプローチを考えていかなければならないだろう。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

倉沢愛子・松村高夫『ワクチン開発と戦争犯罪-インドネシア破傷風事件の真相』岩波書店、2023年3月14日、239+11頁、2300円+税、ISBN978-4-00-061585-3

 戦後責任の問題がここにあり、それが戦後日本の歩みを誤らせ、現在もその後遺症に苦しむことになった。そんなことを具体的に考えさせる本である。

 戦中に中国で人体実験を日本軍がしていたことは知られるようになったが、インドネシアでもしていた。そして、それにかかわった医師らは、戦後その責任を問われることなく第一線で活躍した。そして、変わらなければならなかった医療体制は今日までつづき、現在の日本のワクチン開発、感染症対策などに影響しているという。

 本書の概要は、表紙見返しにつぎのようにまとめられている。「一九四四年八月、ジャカルタの収容所で、ワクチンを接種した「ロームシャ」が破傷風で多数死亡した。伝染性のない破傷風患者が、なぜ大量発生したのか。ワクチンを汚染した「犯人」として処刑されたインドネシア人医師、破傷風で命を落とした「ロームシャ」、そして遥か離れた中国大陸で七三一部隊の人体実験に供された「マルタ」をつなぐ日本軍の謀略が、八〇年の時を経て、いま明らかになる」。

 「はじめに」の「本書の何が新しいのか」で、著者らはつぎの解釈のもとで、この「冤罪説」を実証していくと説明している。「例えば日本軍側の過失などでこの医療事故が発生し、それを覆い隠すためにインドネシア人の医師に罪を着せたという可能性である。その場合推測できるのは、日本軍が破傷風ワクチン開発で躍起になっていて、その製造過程で効力を調べるためにロームシャに接種したところ、毒性が抜けていなくて死亡事故を起こしてしまったのではないかという可能性、つまり人体実験説である」。

 本書は、はじめに、2部全6章、終章、あとがきなどからなる。第Ⅰ部「つくられた破傷風ワクチン「謀略」事件」は4章(「ロームシャ収容所の地獄絵-破傷風患者の大量発生」「スケープゴートがつくられるまで-日本軍が捏造したドラマ」「蜘蛛の巣から逃れて-マルズキの場合」「行われなかった真相究明」)からなり、第Ⅱ部「それは人体実験だったのか-七三一部隊のワクチン戦略」は2章(「七三一部隊は何をしたのか-ハルビンからバンドゥンへ」「南方軍防疫給水部は何をしたのか-そしてパスツール研究所は」)からなる。

 そして、終章「医師たちの戦後」は、最後の「医療倫理と反戦思想の原点へ」をつぎのことばで締めくくっている。「「軍の、軍による、軍のための七三一部隊のワクチン戦略」を戦後引き継いできた日本の医学界は、とくに感染症学界は、その歴史的事実を厳しく見つめなおし、医療倫理と反戦思想の原点に立ち戻らなくてはならない、ということになるだろう。将来予想されるパンデミックに対処しうる、真に国民のための方策の確立を期待したい。その方策は、現在利権で動いている感染症村の解体をもたらすものでなけれなならない」。「そして、医師だけでなく市民一人ひとりが、戦前日本の植民地下にあった中国や東南アジアの国々で、人体実験の対象とされ、生きたまま治療台や解剖台の上で露と消えた「マルタ」や「ロームシャ」のことを想像していただきたい。なぜ私たちが長い間彼ら・彼女らを視野の外に置き、忘れていたのかも考えていただければと願う」。

 「帝国陸海軍の「亡霊」は、①国立感染症研究所(旧国立予防衛生研究所)、②東京大学医科学研究所(旧東京帝国大学付属伝染病研究所)、③国立国際医療センター(旧国立東京第一病院)、④東京慈恵会医科大学(旧海軍系病院)の四施設に現在も生きている。この帝国陸海軍の伝統が、今回のコロナ感染症対策、とくにPCR検査の抑制とデータの独占、国際的視野に立たない国産ワクチンの開発などに継承されている」といい、現場の医師をいらだたせた。

 さらに、「あとがき」で、つぎのように本書を総括している。「八〇年ほど前に、日本軍の占領下にあったインドネシアで発生した破傷風の集団発症事件。全身をくねらせ、痙攣させ、息絶えていった無力なロームシャたちの不気味な死の背後に何があったのか、それを突き止めることが本書の目的であった。海外の研究では限界があったこの調査は、インドネシア現代史を専門とする倉沢愛子に、長きにわたって日本軍軍医部の秘密資料を掘り起こすとともに、七三一部隊研究を続けてきた松村高夫が加わることによって、大きな展開を見ることができた。七三一部隊の東南アジア版とも言うべき南方軍防疫給水部がこの事件の背後にいたのではないかという推定を、その組織的・人脈的な連続性、彼らのそれまでの実験の蓄積などから明らかにし、実証することができたと思われる。そして、本書の検証を通じて、今日の日本のコロナ対策と七三一部隊とをつなぐ細い糸をも手繰り寄せることとなった」。

 この事件にかかわった科学者たちのリテラシーとは、いったいどのようなものだったのだろうか。今日日本の研究者は、たとえば早稲田大学では「教職員セルフマネジメントセミナー」が受講必須で、つぎの4つのセミナーを受講し確認テストで全問正解して合格しなければならない:情報セキュリティセミナー、ハラスメント防止セミナー、学術研究倫理セミナー、ダイバーシティ&インクルージョンセミナー。

 日本占領下のインドネシアでは、日本人科学者の活動も活発で、全土で調査がおこなわれ、それが戦後の日本の政府開発援助などによる資源開発につながった。なかでも石油産業は、接収したオランダ企業の科学・技術を「盗んだ」。それに関連した知識でのちにノーベル賞を受賞した者が出たとしたなら、どう考えたらいいのだろうか。「原子力村」や「感染症村」だけではない。戦争責任を明確にしなかった戦後のつけが、いまのわたしたちの社会をむしばんでいる。戦後責任は重い。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

重松伸司『海のアルメニア商人-アジア離散交易の歴史』集英社新書、2023年4月22日、203頁、1050円+税、ISBN978-4-08-721260-0

 近世・近代交易史の原資料を読んでいると、気になる程度にアルメニア人が出てくる。まとまって出てこないので、研究対象とするほどではないが、無視することもできない。いつか研究したいとも思うが、各地に散らばっているので、現地の言語にしろヨーロッパの言語にしろ、ひとつやふたつの言語で文献を読むことはできないし、フィールドワークもたいへんだ。そんな状況を知っている者にとって、本書は驚愕すべきものだ。

 本書の内容については、表紙見返しにつぎのようにまとめられている。「有史以来、アルメニアは次々と勃興する帝国のはざまで侵略を受け、「ディアスポラ(離散)」という運命に晒されてきた。離散したアルメニア人たちは、近世のユーラシア大陸では「陸の巡回商人」として活躍していたが、近代になると「海の商人」に変貌し、インド・東南アジアを経て、香港や上海、日本にまで到来していたことが調査により明らかになった。彼らは各地でどのようにコミュニティを築き、いかに生き抜いてきたのか-。インド、マレーシアなどでの資料収集、墓碑調査、インタヴューをもとに、アルメニア商人たちの姿をアジア交易の視点から鮮やかに描き出す」。

 こんなマニアックなテーマでいったいなにを伝えることができるのだろうか、と思って帯の裏を見ると、「おわりに」の「最後に」の後が、つぎのように引用してあった。「アルメニア商人の活動から見えてくることがある。二一世紀における世界では「逃走という生き方」もあるのではないのかということである。それは離散アルメニア商人の現地調査を続ける中で次第に醸成されてきた筆者の個人的意識である。「逃走」とは「逃亡」ではなく、「敗北」でもない。離散しつつも新たな「アイデンティティー」が兆し、それを世界のどこかで醸成する一つの方策であり、二一世紀においては積極的な生き方ではないのかということだ」。テレビドラマの「逃げるは恥だが役に立つ」ということか。

 本書は、はじめに、全8章、おわりに、などからなる。「本書は、筆者がアジア各地で出会った人びとへのインタヴューと、さまざまな歴史遺跡、関係史料にもとづく現場確認、「フィールドワーク」から得られた成果の一端である」。「二〇〇〇年頃から、筆者はベンガル湾沿岸域のインドのコルカタ(旧カルカッタ)を中心に、チェンナイ(旧マドラス)、バングラデシュのダカ(旧ダッカ)、ミャンマー(旧ビルマ)のヤンゴン(旧ラングーン)、シンガポール、マレーシアのマラッカ、ペナンなどの港町でアルメニア商人についての史料収集と墓碑調査を行ってきた。インド・東南アジアのアルメニア人のコミュニティについては史料も情報も少なく、あっても断片的で、在留アルメニア人の関係者もなかなか現れず、調査は困難を極めた」。

 そのようななかで、新たな事実が明らかになってきた。それをまとめると、つぎのような特徴があることがわかり、「おわりに」で整理している。「第一に、アルメニアン・コミュニティの離散の「体験と記憶」である。「彼らは近代のインド、東南アジア、中国、日本の居留地や植民地では、支配者とは言えないまでも準植民者として遇され、自由な活動が可能な立場にあった。それに対して、植民地支配下にあった華僑・インド移民は圧倒的に被支配者の立場であり、収奪の対象であった。近代の「離散」状況について、民族によってこのような相違があったことは記憶されるべきではないか」。

 「第二に、離散アルメニア人の「社会的・経済的地位」である」。「本書で取り上げた離散アルメニア人の多くは専門的職業人であった。いくつかの事例で挙げたように、彼らは貿易商・仲介商人・保険事業者・投資家・企業家であり、また専門職の弁護士や技術者であったし、社会的には現地の慈善家でもあった。彼らの多くは政治から一定の距離を置いてはいたが、現地の社会・経済・文化面では相応の影響力を持つ名士であった。それは東南アジアの華人有力層にも共通するのだが、「移民エリート」の典型でもあったといえる」。

 「第三に、離散アルメニア人、特にアルメニア商人は「ニッチの民」だという特性である」。「近代のアルメニア商人の場合、各国・各地域の商会の存在と商会間の関係は独特である。「のれん分け」のようにして各商会が各地で独自に存在しており、本社-支社といった支配・従属型の強いネットワークがあったわけではない。資本・商品・人事・輸送路・契約先などについて、本社から強い規制があったわけでもない」。「それはアルメニア人の「分散し生存する」というサヴァイバル戦略ではなかっただろうか」。

 「第四に、コミュニティの「紐帯」である」。「離散アルメニア人の大多数は「家族」を単位とする移動・定着を行った。この点で、華僑・インド移民の多くが単身男性の出稼ぎ移民であることと大きく異なる。とはいえ、アルメニア人の「家族」とは、おおむね一親等か二親等までで、あえて言えば「直接にコンタクトできる範囲の血統を絆」とする結びつきであろうか」。

 第五に、「宗教とアイデンティティー」の関連である」。「アジア各地における離散アルメニア人のアイデンティティーについて、アルメニア教会やアルメニア人の信仰や氏名といった属性から掘り下げた」結果、離散アルメニア人の信仰が実に多様で、「単一の強固な宗教的信仰がエスニックのエトスだという考えは必ずしも自明なものではない。出自の多義的表明と宗教信仰の多様性とは、彼らの「戦略的アイデンティティー」の一つと考えられるだろう」。

 グローバル化のなかで、人びとの行動の背後に国家が存在することがなくなってきた。「アルメニア人について語ろうとすれば、避けては通れない言説」である「「緩衝地帯」「ジェノサイド」「交易の民」は、有史以来「大国の干渉・侵略、離散という絶え間ない政治変動に翻弄されてきた」人びとにとって、自分たち自身で「生き方」を模索していかなければならないキーワードとなった。信頼できるのは、ごく身近な親族だけだった。著者が、アルメニア人の研究を通して得た結論は、「「積極的な意味での逃走」という概念と具体的な方策を我々が模索しなければ、二一世紀は衰亡の世紀になるのではないかとも感じている」だった。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

↑このページのトップヘ