早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2023年08月

藤井貞和『物語論』講談社学術文庫、2022年6月7日(原本、東京大学出版会、2004年)、288頁、1150円+税、ISBN978-4-06-528531-2

 文献だけでは充分でない分野の研究をしていると、さまざまな人から話を聞く「口述資料」が重要になってくる。いままで、だれがどのような立場、気持ちで話してくれていたのか、考えていなかった。本書を読んで、話す人、聴く人、傍観者などのことを少し考えてみようと思った。

 冒頭、著者は「本書のねらいは理論づけることにある」と述べ、つぎのようにつづけている。「物語のテクストを読む、作品について解説する、という書物は世上にけっして少なくない。いま必要なのは、世界と日本社会とをつなぐための理論的なスタートだろう」。

 本書の概要は、裏表紙につぎのようにある。「精神分析、政治、神話、歴史、そして昔話、小説、うた。物語は社会のいたるところにある。平家物語などの「語り物」やアイヌのユカラとの対話、源氏物語の婚姻制度と母殺しの阿闍世コンプレックス……日本列島の物語を起源から、そして世界文学との比較から考える。「もの」とはなにか。「語り手」は誰なのか。物語理論の金字塔となる、伝説の東大講義18講!」。

 本書は、文庫版へのまえがき、はじめに、4部全18講、おわりに、索引からなる。各部は、「はじめに」でつぎのようにまとめられている。「Ⅰ[物語理論の進入点]は、古叙事や和歌、歌謡などを、それらの原態にまで注目することで、物語理論をかたどるための基礎とし、あわせて語り手の位置について論述する。Ⅱ[物語理論の基底と拡大]は、どれをとっても物語の考察に欠かせない、神話、歴史、語り物、口承文学そして昔話を、理論構築のための広がりとして導入する。そして日本語の隣接語である、アイヌ語のうちに、構築の基底をなすところの叙述の実態を求める。Ⅲ[物語理論の水面と移動]は、人称および時称(時制など)に関する新たな議論の柱を提案する。従来から物語論の課題となってきた作者の問題、テクストとは何か、談話と物語との相違などの再考も、それらによって試みる。Ⅳ[物語理論の思想像]は、婚姻規制論の新しい視野や主人公たちのコンプレックスを問いかける。物語研究に寄与をかさねてきた構造主義に対しては、可能性と限界点とを提示し、さらなる物語学の展開をねらいたい」。

 そして、「文庫版へのまえがき」では、つぎのように述べている。「物語についての見晴らしと、これから先、物語理論はどこへ向かうのだろうかという予見とを、この一書で心ゆくまで語りたいと思った」。

 最後の第18講で「人文科学の「失敗」」を論じ、「物語学の生き延び方」でつぎのように述べている。「見えにくさをなお見ようとする雄大な規模にこそ、物語理論の領域で言うなら物語の回復を目標としなくてはならないことだ。不変の、あるいは普通の価値としての諸人文科学は、フーコーらの真意-瞋恚というべきか-にもかかわらず、無力に受けわたされる一方で、反措定とされる、先端的な精神分析学、文化人類学、言語学にしろ、また手放しでは有効でなくなってきた現在、普遍と先端とがうまくバランスをとって、ファジーに、しなやかに批評として生き延びるしか手はなく、物語理論はそこに賭けてゆく研究になろう」。

 口述史料を収集するとき、語り手はわたしに向かって話していると思っていたが、ときには過去の人であったり、だれでもよかったりする。聞き手が、わたしと学生では、無意識に話す対象を変えているだろう。そう考えると、本書で繰り返し出てきた「ゼロ人称、無人称、四人称」という捉え方が重要になってくる。著者は、「おわりに」でそれぞれつぎのようにまとめている。

 「ゼロ人称は、時枝[誠記]の零記号の応用である。表現のなかの「ぼく」「わたしたち」を一人称(単数、複数)とすると、その表現そのものを支える主体の人称を語り手人称とし、時枝の「零」という考え方によって、ゼロという人称とする」。

 「無人称は、亀井秀雄の著書から引き寄せた。ただし、亀井の場合、無人称を「語り手人称」として認定する。私の用語では、語り手人称をゼロとしたく、作者人称は絶対に作中に出てこないので無人称としてみた」。

 「四人称、これはアイヌ語の研究をヒントとする、物語の語りの在り方をさす。物語人称と呼称するのがよいと判断される。〝引用の一人称〟が叙事文学のなかに出現するという性質を持つ言語の発見は、物語学の大きな変更を要求しそうだ。この人称がアイヌ語文学の物語の語り手の〝自称〟として出てくるという事情を応用して、叙事文学のなかの主人公たちの視線や、心内表現や、会話のはたらきを再考しようと考えた」。

 こう考えて、語り手の話を聴くと、社会史はもっと個々の人生に踏み込むことができでき豊かになる。活字になったものも、こういう視点で読み直そうと思った。

 18講、受講生のみなさま、お疲れさまでした。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

山下清海『日本人が知らない戦争の話-アジアが語る戦場の記憶』ちくま新書、2023年7月10日、218頁、880円+税、ISBN978-4-480-07568-0

 冒頭著者は、「アジア・太平洋戦争について、日本人として知っておきたい、いや忘れてはいけないことがある。それを一冊の本にまとめることが本書の目的である」と述べている。

 つづけて、つぎのように説明している。「アジア・太平洋戦争は、かつて太平洋戦争と呼ばれていた。その呼び方が示唆するように、日本とアメリカとの戦争というイメージが日本では根強く、中国や東南アジアにおける日本軍の侵攻や占領統治についての関心は薄れがちであった。戦争をテーマとする歴史小説、戦争を記憶した本や写真集、軍人の伝記などは多く見られるものの、アメリカ軍との戦争に比べて、戦場となった中国・東南アジア地域で生活していた住民や、軍人ではない日本の民間人などについてはそれほど知られていない。だが、戦争とは単に敵味方が争うものではない。戦闘が繰り広げられるその場所は、多くの住民が暮らしている場だったのだ」。

 半世紀近くにわたって中国・東南アジア地域をフィールドワークしながら研究を進めてきた著者にとって、調査地での日本との戦争観が日本のものとはかなり違うというより、日本人は戦場となった地域の人びとにまったく関心がないことに愕然としてきたのだろう。わたし自身、同じ思いで1903-04年に東南アジア各地で博物館や戦争遺跡などを訪ね歩き、『戦争の記憶を歩く』(岩波書店、2007年)を書いた。

 そして、いま同じ思いでウクライナ情勢をみていることが、「はじめに」につぎのように書かれていた。「二〇二二年二月二四日、ロシアはウクライナへ軍事侵攻を始めた。このロシアによるウクライナ侵略のニュースに日々接していると、ロシア軍が、アジア・太平洋戦争における日本軍と重なってくる。中国東北部に侵攻して「満洲国」をつくり、東南アジアを占領した日本軍は、ウクライナ侵攻におけるロシア軍の行動と共通するところが多い。ロシア軍の発表は、あたかも大本営発表と同じように聞こえてくる」。

 本書の概要は、表紙見返しにつぎのように書かれている。「アジア・太平洋戦争において、後景に退きがちな大陸や東南アジアでの戦闘。激戦や苛酷な統治が繰り広げられたその場所で暮らす人びとは、当時をどう語り継いでいるのか。そもそも私たちは、かつて日本軍がしたことをどれだけ知っているだろうか。シンガポールにおける大検証と粛清、「戦場にかける橋」で出会った元英兵捕虜、バターン死の行進、帰国できなかった中国残留孤児……。長年アジアに残る戦争の記憶に耳を傾けてきた地理学者が、日本人がけっして忘れてはいけないことを明らかにする」。

 本書は、はじめに、全5章、各章末のコラム、あとがき、参考文献からなる。「はじめに」で、地域ごとにまとめた各章をつぎのように紹介している。

 「「第1章 中国侵攻」では、まず満洲事変、満洲開拓、七三一部隊、満洲映画協会などを取り上げ、ついで盧溝橋事件、南京大虐殺、重慶爆撃、ノモンハン事件から南進論への過程をみていく」。

 「「第2章 マレー半島侵攻とシンガポールの陥落」では、一九四一年一二月八日のマレー半島上陸から翌年二月一五日のシンガポール陥落までの約七〇日間の日本軍の行動を、できるだけ現地の視点から追っていく」。

 「「第3章 日本占領下のシンガポールとマレー半島」では、日本軍による華人大虐殺、現地の華人に対する強制献金、皇民化政策を取り上げたのち、現地の教科書で日本軍がどのように捉えられているかを考察する」。

 「「第4章 東南アジア各地への侵攻」では、インドネシア、タイ、フィリピンなどでの日本軍の行動を、現地の人びと、捕虜などに注目しながら捉える」。

 「最終の「第5章 日本の敗戦」では、中国に残された満洲開拓団員などの残留日本人、戦犯となった日本軍兵士、シベリア抑留者、シンガポールでの華人虐殺者の遺骨発見など、戦争は一九四五年八月一五日の「終戦」で終わったわけではないことを改めて確認し、アジアの視点から戦争を捉えなおす意義について考えていく」。

 そして、著者は、最終章の第5章を、つぎのパラグラフで締めくくっている。「ある戦争に「終戦」はあっても、同じようなことがまた形を変えて引き起こされる。その意味では戦争が終わることはなく、ずっと続いているように思えてならない。今日の戦争は、過去の戦争とつながる点が多い。過去の戦争が今も繰り返されているのであり、その連鎖を断ち切る努力が求められているのである」。

 専門外の人文地理学者が長年のフィールドワーク中の住民との交流のなかで気づいたことをまとめた本書は、日本人が意識していない戦場となった住民の視点で日本との戦争を語っている点でひじょうに貴重である。地域も内容も多岐にわたり、時間的にも半世紀近くに及んでいるため、検証すれば正確でなかったり、説明不足で充分でなかったりする点がでてくるだろう。専門性を活かして研究している者のなかには、1点でも正確でない記述があると許せなく、あたかも全体が信用できないなどと批評する者がいる。だが、その狭い視野で見落としてきたものが、専門外の広い視野のなかで見いだされることもある。本書は、「木」を見るために「森」を見ることの重要性を教えてくれる。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

吉岡桂子『鉄道と愛国-中国・アジア3万キロを列車で旅して考えた』岩波書店、2023年7月13日、293頁、2600円+税、ISBN978-4-00-061603-4

 本書の結論は、「おわりに」でつぎのように書かれている。「日本あるいは日本人は自画像を更新する必要があるということだ。日本がアジアで唯一の高速鉄道を造り、走らせることができた国であった時代は、とうの昔に過ぎ去った。中国や韓国もそれぞれのやり方で造り、走らせている」。「日本が教えてあげる」「造ってあげる」という上から目線が抜けきれないでいると、今まさに成長軌道にある国々はどう、感じるだろうか」。「高速鉄道の建設にあたって、インドネシアが中国の協力を選び、日本が猛反発した時、ある現地の政治評論家が言っていた。「国際政治において「むくれる(ngambek)」という用語などない」「感情的態度を見せようとした日本の脅しは笑い草[種]である」。さらに言えば、アジアの国々にとって日本は「老いて硬直した」(略)存在に見え始めている」。

 日本の政治・経済的指導者と、経済成長下の日本を知らない世代は違う感覚をもっている。その世代は、もはや若者とはいえない、リーダーとなるべき世代になっている。かつての自画像を更新できない者は、自分たちが表舞台から退場しなければ日本の未来はないことに気づいていないのだろうか。

 著者の吉岡桂子が、このような結論にいたった本書の概要は、表紙見返しにつぎのように書かれている。「戦後日本の発展の象徴、新幹線。アジア各地で高速鉄道の新設計画が進み、中国が日本の輸出を巡って競い合う現在、新幹線はどこまで日本の期待を背負って走るのか。一九九〇年代から始まった新幹線商戦の舞台裏を取材し、世界最長の路線網を実現した中国の高速鉄道発展の実像に迫る第一部、中国、香港、韓国、東南アジア、インド、ハンガリーなど世界各地をたずね、鉄道を走らせる各国の思惑と、現地に生きる人々の声を伝える第二部を通じて、時代と共に移りゆく日中関係を描き出し、日本の現在地をあぶりだす」。

 副題にある「3万キロ」は、その距離以上の意味あいがあることを、「はじめに」の最後で、つぎのように述べている。「中国や東南アジアにとどまらず、シルクロード沿線のウズベキスタン、サウジアラビアやイスラエルなど中東、ドイツやフランスなど欧州、米国、ロシアと、その距離は三〇年あまりで三万キロを数えた。繰り返し乗った路線も一回分だけ数えているので、実際に乗った距離ははるかに長い」。「鉄道は、そこに暮らす人々とともにある。だからこそ、列車の旅は楽しい。この本を読みながら、三万キロの旅の道連れになってくださると、とてもうれしい」。だが、いっぽうで、本書から「そこに暮らす人々」とは無縁な現実も伝わってくる。

 本書は、概要にあるとおり2部からなり、第一部「海を渡る新幹線」は序、7章、1つのコラム、第二部「大東亜縦貫鉄道から[と]一帯一路」は序、9章、3つのコラムからなる」。それぞれの部は、「はじめに」でつぎのようにまとめられている。

 第一部は、「中国が高速鉄道の建設を計画してから、日欧の技術を吸収して世界最長の路線網を実現し、輸出にも乗り出すようになっていく動きを追う。新幹線を持つ日本は、もう一方の主役として登場する。対象となるのは、鄧小平の指揮のもと改革開放政策に本格的に踏み出した一九九〇年代から、習政権下で膨張主義を隠さなくなった二〇二〇年代までだ。経済を軸とした全球化が、米中対立に変貌していく」。

 第二部は、「中国、香港、台湾、韓国、東南アジア、インド、ハンガリーなど各地を訪ねたルポが中心となる。「一帯一路」の誕生から攻勢、そして中国内外で壁にぶつかる様子を体感した」。

 そして、つづけて著者は、「主語は誰なのか」と問いかけ、つぎのように答えている。「高速に限らず鉄道を新設する計画を持つのは、主に新興・途上国だ。彼らは政治や外交、ビジネスの打算を働かせて、造らせる相手を選んでいる。日本や中国の動きのみに目を奪われがちだが、鉄道を走らせる国の主体性を見逃してはならない。なぜ日本を選んだのか。なぜ中国なのか。なぜ建設は遅れるのか……。その過程を具体的に追いかけると、日本と中国に対する視線のありように気づく。そこから、日本への期待も見えてくる。あわせて、米中対立が激化するなかで、なぜ彼らの多くは片側にはっきりとつかないのか。鉄道以外の行動様式の背景にあるものが見えてくる」。

 そこには、3万キロという距離だけでなく、30余年の著者が見つめてきた中国、アジア、世界がある。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

アンドレア・ヒラタ著、福武慎太郎・久保瑠美子訳『少年は夢を追いかける』上智大学出版、2023年4月10日、219頁、1700円+税、ISBN978-4-324-11267-0

 「書きたいことを書くのではなく、インドネシアの教育の正義のために、書かなければならないことを書いています」と、著者のアンドレア・ヒラタは、底本とした2020年版の冒頭の扉で述べている。

 著者は、つぎのように紹介されている。「インドネシア・ブリトゥン島の錫(すず)採掘労働者の町で生まれ育つ。国立インドネシア大学経済学部を卒業後、英国シェフィールド・ハラム大学大学院で経済学修士号を取得。その後インドネシアに戻り、電気通信会社テレコムセルに勤務。2005年に『虹の少年たち(Laskar Pelangi)』で小説家としてデビュー。『虹の少年たち』は国内販売部数500万部を超えるベストセラーとなり、海外でも19言語に翻訳されている。著書に本作のほか、『虹の少年たち』完結編である『スズ採掘労働者の娘(Putri Seorang Penanbang Timah)』(邦訳近刊予定)ほか多数」。

 この経歴をみると、本書は自伝的作品であることがわかる。

 著者の執筆への原動力は、まず文字の読めないスズ採掘労働者の父親が「卒業証書を持たない労働者を会社が昇進させることはありえない」という社長の言明で、昇進されなかったことにある。つぎに、自分自身が奨学金の試験を何度受けても不採用ばかりで、政府系の奨学金試験は「公務員の親族が優遇されているという噂」を耳にし、不公平を感じたからだった。そして、島の先生に教わった「貢献、関心、経済的理由」の三本柱がもう時代遅れだと気づき、「新しい志望理由を作成」して受けた奨学金試験に受かって、ヨーロッパの大学で勉強する機会をつかんだ。本書の主人公も著者も最後は報われるが、著者は「教育の正義」がないために報われない無数の人びとがいることを知っている。

 それでも夢を抱きつづけてほしいという思いが、作品中に「夢を追う者の冒険」という見出しのもとに「夢を追う者」の名で、つぎのように記されている。「挑戦という頂きを目ざし、逆境を乗りこえ、危険を受け入れ、知性をもって謎を解き明かそう。さまざまな経験を吸収し、思いがけない結末のある運命の迷路に身を投じるのだ。遠く離れた土地を歩き、異なる文化、異なることば、そして異なるたくさんの人々と出会いたい。世界中を旅して、風と星をよみ、みずからの歩むべき道をみつけよう。草原をこえ、谷をこえ、砂漠を横断しよう。照りつく太陽で焦げつき、風によろめき、冷たくなった指をにぎりしめ寒さに震えてみたい。スリル満点の人生を望む。生きる! ほんものの人生を味わうのだ!」。

 わずか乗車時間数分間の電車の中で、新聞小説を読むように少しずつ読んだ。待ちきれず、続きを電車を降りてすぐに読んだときもあった。30年ほど前の数年間、毎年断続的にインドネシアの地方をわたり歩いたときのことを思い出した。学校を訪れ、サインを求める子どもたちに取り囲まれたこともあった。地方の銀行に行っても英語で対応してくれる行員はいなかったが、それからまもなく流暢な英語で対応してくれるようになった。インドネシアでもグローバル化が進み、経済発展の軌道に乗りはじめていた。

 だが、その発展に乗れる者と乗れない者がおり、それは別のことばで言えば、教育に恵まれた者とそうでないものの差であることが明らかになった。日本など先進国でも、新自由主義的な風潮のなかで、教育が生み出す格差社会が深刻な問題になっている。本書は、その深刻な、世界共通の問題を、インドネシアを事例に語っている。完結編の邦訳出版が楽しみである。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

小田中章浩『戦争と劇場-第一次世界大戦とフランス演劇』水声社、2023年3月25日、436頁、6000円+税、ISBN978-4-8010-0720-8

 2023年7月27日、ウクライナ議会はトカチェンコ文化情報相の解任案を可決した。ロシアによる軍事侵攻が長期化するなかで、軍事関係に予算を優先的に使う考えのゼレンスキー大統領と、戦時下でも文化関係に国家予算を使うことの重要性を主張した文化情報相との対立の結果であった。文化情報相は、「われわれは自分たちの文化やアイデンティティーなどのために戦っているのではないのか。戦時下では文化は無人機と同じくらい重要だ」と訴えた。

 1970年からの内戦が落ち着くまでに23年間を費やしたカンボジアでは、飢餓に苦しむ人びとがいるなかでアンコールワットの保存に尽力した石澤良昭氏は、アンコールワットを失えばカンボジア人はカンボジア人でなくなると「文化とアイデンティティ」を強調した。

 本書は、戦争と文化の問題を、「現代の起点」となった第一次世界大戦とフランスの演劇を通して明らかにしようとするもので、戦争と演劇の関係を「序論」でつぎのように述べている。「そもそも英語を含めた西洋語においてtheaterとは「戦線(戦域)」(theater of war)を意味する軍事用語でもある。たとえば第二次大戦におけるEuropean theaterとは「ヨーロッパ演劇」ではなく、「ヨーロッパ戦線」を指す」。

 本書の内容は、「戦争と「見世物」の不可分の関係」の見出しの下、つぎのように帯にまとめられている。「価値観の転倒を引き起こした第一次世界大戦。激動のなか、威光を放ったフランス演劇界が強いられた変化とは? 愛国心を掻き立て、プロパガンダに与し、文化の威信を賭ける者。一時の娯楽を夢見て、炸裂する風刺の中に一抹の真実を見出す観客。風俗劇やレヴューの流行、そして前線で開かれる軍隊劇場……新聞・雑誌から検閲調書まで渉猟し、戦争と演劇の関係の本質に迫る」。

 本書の第一の目的は、第一次世界大戦が「文化の領域においても、西洋の人々に」「それまでの価値観を転倒させる精神の変容をもたらし」、「戦争開戦百周年にあたる二〇一四年を中心として、海外の研究が次々と紹介されただけでなく、一般向けの入門書や、国内の研究者による独自の研究も刊行され」たにもかかわらず、「これらの研究が演劇に触れることは、ほぼない」状況であることから、その「欠落を埋めること」にある。

 第二の目的は、つぎのように説明された。「第一次大戦とフランス演劇との関わりを多面的に見るとき、演劇を戦争の被害者、または協力者という単純な二分法で割り切ることができないことがわかる。以下でも述べるように、西洋演劇は古代ギリシャにおけるその誕生以来、戦争とともに存在してきた。演劇は戦争を利用しつつ(なぜならそれは多くの観客の関心を呼ぶテーマなのだから)、ときにそれに迎合し、ときにそれを批判した。そこから生じるのは、演劇と戦争はどのような関係を結ぶのか、という問題である。第一次大戦とフランス演劇との関わりをさまざまな視点から検討することにより、戦争と演劇の関係について考えること」である。

 本書は、序論、全8章、結論などからなる。それぞれの章は、「相互に独立しているのではなく、開戦から終戦、さらに戦後に向かって、ゆるやかな時系列に沿って叙述される。そこでは日本の読者にとって必ずしも身近なものではない、当時のフランスの劇界について説明するとともに、演劇に関係する範囲において、戦争の経緯や当時の社会状況についても触れる」。

 各章は、つぎのとおりである:「第一章 開戦とフランスの演劇界」「第二章 愛国主義的演劇の構造」「第三章 検閲とプロパガンダ」「第四章 前線劇場と民衆演劇」「第五章 劇界の主流派と戦争」「第六章 戦争風俗喜劇の流行」「第七章 レヴューの世界観」「第八章 戦後の「戦争劇」」。

 「結論」では、「戦争が演劇にもたらしたもの」「「ベル・エポック」から「狂乱の時代」へ」を論じた後、「レヴュー的世界観の登場」で締め括っている。「レヴュー的世界観」とは、「この世界は(ドラマではなく)レヴューのごときものである」という世界に対する認識であるとし、そこから導きだされる劇の構造は、つぎのようになる。「劇が劇であるという約束事を露呈させても構わない」「劇の進行は、必ずしも首尾一貫しない挿話、あるいはコントによって行われる」「したがって舞台は、歌と踊りによって中断されても構わない。あるいはそれが推奨される」「なぜならそれはレヴューだからである」。

 そして、つぎの3つのパラグラフで「結論」を閉じている。「二十世紀において、なぜこの「レヴュー的世界観」がもてはやされたのか。それは、軍隊レヴューに関して論じたように、私たちが自分自身を見つめなおす(リ・ヴュー)するために、レヴューが必要だからである」。「私たちは、自分たちがどのような世界にいるのかを知りたい。そのためにレヴューという鏡を必要とする。しかし私たちの自己像は、レヴューという脱線や矛盾だらけの形式によってしか反映されない。なぜなら世界はレヴューのごときものだからである」。「この自己撞着こそが、現代人の置かれた立場であるように思われる。自己と自己の像のあいだを仲介し、両者の関係を固定してくれる存在は、もういない。ヨーロッパ人にとって(そして現代人にとって)、神は第一次大戦とともに死んだ。そして自己を認識する場として、レヴューが残されたのである」。

 本書の執筆が可能になった背景は、「あとがき」で、つぎのように説明されている。半年間のサバティカル期間中に、「私は単に戯曲を読むだけでなく、一九一四年八月から一九年九月まで、五年分の「マタン」紙を、毎日の演劇欄(および劇場の広告)を中心に読んだ。そこから、当時上演されていた芝居のデータベースを作成した」。「たぶんこのデータベースがなければ、この時代の演劇を概観することはできなかっただろう」。

 そして、つづけて著者が本書で試みたことを、つぎのように総括している。「今ではほとんど知られていない劇作家や演劇人を中心として、ある時代の、フランスの劇界の様相を描くことである。これまで日本のフランス演劇研究(もっとも演劇だけではないが)は、一流のもの、高尚なものに偏りすぎていたのではないか。もちろん外国の演劇研究というマイナーな分野で活動する人間の数は限られており、したがって紹介すべき作品や研究対象が、一部の、すぐれたものに絞られるのは致し方なかった面がある。しかしそれによって、フランス演劇は、何か高級で、難解なものというイメージが出来上がってしまったように感じる」。

 著者は、「序論」でイギリスに比べ、フランスの「第一次大戦と演劇」研究は充分ではないと嘆き、「イギリスにおける研究」の紹介をしている。敵が首都にまで迫ったフランスと直接戦場とならなかったイギリスとでは、戦争のとらえ方が違い、当然身近に死と向きあったフランス人の方が、演劇であらわすことができないことが多い。ある程度の客観性が必要で、そのためにある一定の時間が必要であるが、時間が解決しない場合もある。戦時下で文化を重視する考えは、状況や立場の違いによって変わってくる。たんに余裕があるかないかだけではない、それぞれの「本質」がある。ウクライナの大統領と文化情報相のどちらが正しいのか、当事者が決めるしかない。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

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