藤井貞和『物語論』講談社学術文庫、2022年6月7日(原本、東京大学出版会、2004年)、288頁、1150円+税、ISBN978-4-06-528531-2
文献だけでは充分でない分野の研究をしていると、さまざまな人から話を聞く「口述資料」が重要になってくる。いままで、だれがどのような立場、気持ちで話してくれていたのか、考えていなかった。本書を読んで、話す人、聴く人、傍観者などのことを少し考えてみようと思った。
冒頭、著者は「本書のねらいは理論づけることにある」と述べ、つぎのようにつづけている。「物語のテクストを読む、作品について解説する、という書物は世上にけっして少なくない。いま必要なのは、世界と日本社会とをつなぐための理論的なスタートだろう」。
本書の概要は、裏表紙につぎのようにある。「精神分析、政治、神話、歴史、そして昔話、小説、うた。物語は社会のいたるところにある。平家物語などの「語り物」やアイヌのユカラとの対話、源氏物語の婚姻制度と母殺しの阿闍世コンプレックス……日本列島の物語を起源から、そして世界文学との比較から考える。「もの」とはなにか。「語り手」は誰なのか。物語理論の金字塔となる、伝説の東大講義18講!」。
本書は、文庫版へのまえがき、はじめに、4部全18講、おわりに、索引からなる。各部は、「はじめに」でつぎのようにまとめられている。「Ⅰ[物語理論の進入点]は、古叙事や和歌、歌謡などを、それらの原態にまで注目することで、物語理論をかたどるための基礎とし、あわせて語り手の位置について論述する。Ⅱ[物語理論の基底と拡大]は、どれをとっても物語の考察に欠かせない、神話、歴史、語り物、口承文学そして昔話を、理論構築のための広がりとして導入する。そして日本語の隣接語である、アイヌ語のうちに、構築の基底をなすところの叙述の実態を求める。Ⅲ[物語理論の水面と移動]は、人称および時称(時制など)に関する新たな議論の柱を提案する。従来から物語論の課題となってきた作者の問題、テクストとは何か、談話と物語との相違などの再考も、それらによって試みる。Ⅳ[物語理論の思想像]は、婚姻規制論の新しい視野や主人公たちのコンプレックスを問いかける。物語研究に寄与をかさねてきた構造主義に対しては、可能性と限界点とを提示し、さらなる物語学の展開をねらいたい」。
そして、「文庫版へのまえがき」では、つぎのように述べている。「物語についての見晴らしと、これから先、物語理論はどこへ向かうのだろうかという予見とを、この一書で心ゆくまで語りたいと思った」。
最後の第18講で「人文科学の「失敗」」を論じ、「物語学の生き延び方」でつぎのように述べている。「見えにくさをなお見ようとする雄大な規模にこそ、物語理論の領域で言うなら物語の回復を目標としなくてはならないことだ。不変の、あるいは普通の価値としての諸人文科学は、フーコーらの真意-瞋恚というべきか-にもかかわらず、無力に受けわたされる一方で、反措定とされる、先端的な精神分析学、文化人類学、言語学にしろ、また手放しでは有効でなくなってきた現在、普遍と先端とがうまくバランスをとって、ファジーに、しなやかに批評として生き延びるしか手はなく、物語理論はそこに賭けてゆく研究になろう」。
口述史料を収集するとき、語り手はわたしに向かって話していると思っていたが、ときには過去の人であったり、だれでもよかったりする。聞き手が、わたしと学生では、無意識に話す対象を変えているだろう。そう考えると、本書で繰り返し出てきた「ゼロ人称、無人称、四人称」という捉え方が重要になってくる。著者は、「おわりに」でそれぞれつぎのようにまとめている。
「ゼロ人称は、時枝[誠記]の零記号の応用である。表現のなかの「ぼく」「わたしたち」を一人称(単数、複数)とすると、その表現そのものを支える主体の人称を語り手人称とし、時枝の「零」という考え方によって、ゼロという人称とする」。
「無人称は、亀井秀雄の著書から引き寄せた。ただし、亀井の場合、無人称を「語り手人称」として認定する。私の用語では、語り手人称をゼロとしたく、作者人称は絶対に作中に出てこないので無人称としてみた」。
「四人称、これはアイヌ語の研究をヒントとする、物語の語りの在り方をさす。物語人称と呼称するのがよいと判断される。〝引用の一人称〟が叙事文学のなかに出現するという性質を持つ言語の発見は、物語学の大きな変更を要求しそうだ。この人称がアイヌ語文学の物語の語り手の〝自称〟として出てくるという事情を応用して、叙事文学のなかの主人公たちの視線や、心内表現や、会話のはたらきを再考しようと考えた」。
こう考えて、語り手の話を聴くと、社会史はもっと個々の人生に踏み込むことができでき豊かになる。活字になったものも、こういう視点で読み直そうと思った。
18講、受講生のみなさま、お疲れさまでした。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。