早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2023年09月

宇田川幸大『私たちと戦後責任-日本の歴史認識を問う』岩波ブックレット、2023年2月7日、60頁、570円+税、ISBN978-4-00-271075-4

 問題点が整理された本書を読むと、問題は簡単に解決されるように思えてしまう。問題がここまでわかっているのに、解決の糸口さえ見つけることができないのが問題なのだ。

 「はじめに」の最後の見出し「本書で明らかにしたいこと、考えてゆくこと」で、つぎのように書かれている。「本書では、戦後日本の政治と社会が、近代日本の戦争や植民地支配をどのように記憶、あるいは忘却してきたのか、その一端を明らかにし、検証してゆきたいと思います」。「主な手掛かりとするのは、①戦後に行われた各種世論調査、②戦後の『朝日新聞』『読売新聞』『毎日新聞』(いわゆる全国三紙)の社説や投書欄、③戦後の国会審議(帝国議会会議録と国会会議録)といった資料群です。これらは戦後七十数年にわたって展開された様々な議論を、継続的に確認することのできる資料です。他にも公文書、重要人物の手記・日記なども用いてゆきます」。

 本書は、はじめに、全4章、おわりに、参考文献からなる。本文は、時系列的に「第1章 占領政策と日本」「第2章 高度成長と遠のく記憶」「第3章 あらためて問われる日本の歴史認識」「第4章 歴史修正主義と歴史認識」と、時代ごとに問題点が整理されている。そして、「おわりに」で「私たちの戦後責任」が問われている。

 「おわりに」では、まず「戦後日本の歴史認識の特徴・問題点とは何か」で、つぎの3つの特徴・問題点を指摘している。「第一に、戦後日本の政治と社会は、自ら戦争責任や植民地支配責任を問うという意識が、かなり弱かったということです。占領期以来、本格的な日本の戦争責任追及を、いわば「東京裁判に任せきり」にしてきたということもできると思います」。「第二は、近代日本の戦争や植民地支配について、もっぱら満州事変以降のできごとが問題とされ、それ以前の戦争や暴力についてはあまり認識されてこなかった、ということです」。「第三に、戦後処理に関する基本的な事実関係が、戦後日本では早々に忘却されていきました。東京裁判は終了後から忘却が進み、その内容が社会で広く共有されることはありませんでした。何が裁かれ、何が裁かれていないのか、という重要な戦後日本の「前提」が忘却されたまま、靖国神社問題や戦後補償問題が論じられ、近年では「謝罪打ち切り宣言」へと加速しつつある状況があります」。

 つぎに「私たちの戦後責任」では、「忘れてしまっていること」を認識したうえで、著者は「歴史認識を問い、鍛えることは、戦後生まれを含む全ての人びとがもつ、「戦後責任」を果たすことに他ならないと考えます」と述べている。

 そして、「戦後責任の果たし方、歴史認識の検証の仕方-一人ひとりのできることを目指して」、「具体的にはどのようなことをすればよいの」か、つぎのように結論している。「考えられる方法の一つは、歴史学やいろいろな学問の成果に触れ、自分たちの認識を相対化する作業をしてゆく、ということです。一人の人間が一生のうちに経験できることには限りがあります」。「各時代を生きた無数の人びとの経験から学び、資料や証言に基づきながら歴史を描く作業を行います。こうして生まれる歴史研究の成果は、一人の人間が一生涯で到底知り得なかった膨大な知識と物事の捉え方を教えてくれます。歴史研究に触れることは、自分の歴史認識を疑い、鍛えてゆく際の重要な手段になるのです」。この結論が、「難解なイメージ」を与えることは著者もわかっていて、つづけてわかりやすく「知らなければ判断できない」と言い換えている。

 会津若松に東軍墓地と西軍墓地がある。「賊軍」となった東軍の戦死者は、はじめ埋葬することを許されず、白虎隊戦死者のように隠れて埋葬されても掘り返して野犬に喰われるような状況にした。では、「官軍」側の西軍はどうだったのか。参加した藩ごとに埋葬されたが、廃藩置県後は長く手入れすることがなかった。勝っても負けても、戦死者や遺族は報われることはなかった。これが近代日本の国のために戦い、死んだ者の末路の起原で、靖国神社に祀り、現役の階級に応じた恩給を支給すればいいとし(令和5年度旧軍人仮定俸給年額、大将8,334,600円、兵1,457,600円)、そのほかは無関心になった。

 イギリスのように、戦死者1人ひとりの最期を徹底的に調べ、戦死者はすべて平等で同じ大きさの墓に埋葬するというようなことは、日本ではおこなわれなかった。当然、戦死者の末路を辿ることは、戦場でなにが起こったかを明らかにすることになり、責任の所在もわかってくる。このような責任を問われるような作業がおこなわなかったことが、責任を曖昧にしただけでなく、「忘却」へとつながっていった。階級によって恩給を得た旧軍人は、自身の功績が認められたことを自覚し、責任を感じることはなかった。

 この戦後の失敗は、生存者が少なくなった現在、もはや取り返しがつかなくなった。では、いまのわたしたちができることはなにか。まずは、戦争が起こらないようにするにはどうすればよいのかを考えることで、これは世界中でおこなわれている。では、日本でとくになにをすべきか。近隣諸国との関係で従軍慰安婦、強制労働の問題があり、これらの過去への「償い」はなにをしても解決へと向かっていない。日本の政治家がいろいろ言っても信用してもらえず、「日本は歴史に向きあっていない」と言われる。「歴史と向き合う」ためには、現在をみることだ。慰安婦や奴隷的労働を強いられている人たちは、いま現在世界中にたくさんいる。戦争中と同じ、あるいはそれ以上の過酷な生活を強いられている者もいる。それに気づかず、そのサービスを受けいれたり、生産したものを安く買ったりしている。日本が、慰安婦や奴隷的労働を強いられた人びとのことを考えるなら、現在、さらにこれからそのような人たちが出なくなる社会にすることに貢献することだ。歴史から今日、将来を考えることが「歴史に向きあう」ことで、過去から学び、日本の問題だけでなく、いま世界で起こっている問題に対応する研究施設をつくることだ。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

小谷賢『日本インテリジェンス史-旧日本軍から公安、内調、NSCまで』中公新書、2022年8月25日、279頁、900円+税、ISBN978-4-12-102710-8

 テレビドラマのタイトルになっていた「別班」(vivant)も、「別室」も出てくる。わずか半月後に再版が出ているように、多くの人が本書を待っていた。この分野の類書がないからである。いっぽうで、2013年に「特定秘密の保護に関する法律案」が審議されたときは、反対世論がおおいに盛りあがった。本書を読んでいれば、その必要性はよりわかったことだろうが、それでも不安は残っただろう。それだけ、本書で議論されていることは、国家にとって、その国家の下で日常生活を送る者にとって、微妙できわめて重要なことである。

 「本書は戦後日本のインテリジェンス・コミュニティ[情報を扱う行政組織や機関を包括する総称]の変遷を追いながら、75年にわたる〝秘史〟を描くものである」。「まえがき」冒頭で、インテリジェンスについて、つぎのように説明している。「インテリジェンスとは情報のことを意味するが、どちらかというと機密や諜報の語感に近い。つまりただの情報(インフォメーション)ではなく、分析・評価された、国家の政策決定や危機管理のための情報こそがインテリジェンスということになる」。「内閣情報分析官を務めた小林良樹の定義によると、インテリジェンスの機能とは国家安全保障に寄与し、政策決定を支援することだ。これは国家安全保障のみならず、外交、経済や公安分野まで範囲を広げてもよいだろう」。

 本書は、まえがき、序章、全5章、終章、あとがき、などからなる。その構成は、「終戦直後の占領期、吉田茂政権期、冷戦期、冷戦後、第二次安倍政権期と、時代ごとに区切られる。その焦点はコミュニティの変遷にあるが、各省庁間の組織の攻防、冷戦期のスパイ事案や通信傍受など、予備知識がない読者の方も興味を持って通読できるようになるべく多くの事例も紹介しているので、味読していただければ幸いである」。

 本書の問いは、おもにつぎのふたつにある。「①なぜ日本では戦後、インテリジェンス・コミュニティが拡大せず、他国並みに発展しなかったのか」「②果たして戦前の極端な縦割りの情報運用がそのまま受け継がれたのか、もしくはそれが改善されたのか」。

 そして、序章「インテリジェンスとは何か」の最後で、「戦前の様子から戦後日本のインテリジェンス・コミュニティの課題」を、つぎのようにまとめている。「それは、省庁の壁を越えた情報共有の仕組みの整備や、また国家の政策決定に寄与するような国家レベルの情報機関の設置、それらは戦後どのように進展したのか、という点だ。それでは次章から、日本陸海軍や内務省が解体された後、縦割りの中でそれぞれの情報機関がどのように再建され、いかにして統合に向かい、コミュニティを形成していったのかを追っていくこととしよう」。

 ふたつの問いの答えは、終章「今後の課題」の冒頭の「現場レベル」の見出しの下にある。「①については、吉田政権時代の頓挫と、その後の政権がインテリジェンス改革に消極的であったこと、そして冷戦期は独自の外交・安全保障を追求する必要性がなかったため、国として情報が必要とならなかったためだと指摘できる」。

 「②の縦割りの弊害の問題については、戦後しばらく引きずった印象がある。しかし冷戦後に国家レベルで独自の外交・安全保障をまとめる必要性が生じたため、インテリジェンスを掌る内調に手が加えられた。また運用面においては縦割りの緩和が徐々に進んだ。明確な契機はNSC/NSS[国家安全保障会議/国家安全保障局]の設置であり、内調はNSC/NSSとインテリジェンス・コミュニティを連携させるような運用を通じて、コミュニティの一体感を高めたのである。また第二次安倍政権時代の官邸官僚の台頭は、それまでの「省庁利益代弁者」としての官僚像を払拭することになったとも指摘できる」。

 つづけて終章では、「公開情報とサイバー対策」「偽情報」「A4用紙1枚の分析ペーパー」「戦略レベル-経済安全保障」「ファイブ・アイズ」「国民への説明責任」の見出しの下、「今後の課題」を列挙している。「国民への説明責任」については、2013年の「特定秘密の保護に関する法律案」を念頭において、「インテリジェンスの強化だけでは、それが適切に運用されているのか、国民が監視対象となっていないか、といった点について、コミュニティの透明性の確保や説明責任が重要になってくる」と述べている。

 しかし、つづけてつぎのようにただし書きしている。「インテリジェンスの世界では公にできない情報があるのも事実であり、すべて公開すれば国益を棄損する可能性もある。そのため特定秘密保護法案制定の際には、国会での議論を踏まえた上で、情報監視審査会や公文書管理監が設置され、今の所、監視は機能しているといえる」。「しかしこれらはあくまでも特定秘密そのものを監視するための制度であり、インテリジェンス・コミュニティの各組織の活動をチェックすることはできないし、内調も組織上、内閣官房長官の下にあるが、その活動について官房長官から公に説明されることもない」。

 このただし書きを読むと、不安になる。「インテリジェンス担当の政治家を置く」ことを提案しているが、これは政治家や政府の良心に任せるということか。そして、「まずは何よりも、国民一人ひとりがインテリジェンス分野に対する関心を高めていくことが重要ではないだろうか」と締め括っている。2013年の「特定秘密の保護に関する法律案」のときに、関心を高めたが、ことがことだけに、いくら「丁寧に」説明されても、すっきりしないものが残る。

 「あとがき」に、つぎのようなただし書きがある。「本書はまだ俯瞰図に留まっている。戦後日本のインテリジェンスについての公文書はほとんど残されていないため、今回依拠した資料は、国会議事録、新聞・雑誌記事、二次文献、そして膨大な数の実務家インタビューとなっている。そうなると古い時期ほど資料が残っておらず、詳細を辿ることが困難となる。本来であれば政府の公文書に基づいた研究を進めるべきなのだが、そのようなものは現状、全く整備されていないので、今後は散逸した資料を収集し、それに基づいた実証研究を構想しているところである」。

 なんとも心許ない話で、不安はさらに広がる。このようなインテリジェンス活動の必要のない社会の実現をめざすべきだろうが、現実に対処しなければならない事実がある。先は暗い。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

木村幹『韓国愛憎-激変する隣国と私の30年』中公新書、2022年1月25日、256頁、860円+税、ISBN978-4-12-102682-8

 「序章」を書いた後、すぐに出版できず、5年後に出版が具体的になったとき、「序章」をすべて書き直したことがある。歴史研究であっても、5年も経てばそのときの社会に問いかけるものは違ってくる。ましてや、時事問題であれば、そのときそのときで変わってくる。本書によって、著者は、そのときどきになにが問題で、なにが問われていたのかを思い起こし、時代というものを感じたのではないだろうか。そうすることで、ひとつの物語ができた、それが本書ではないだろうか。

 本書の概要は、表紙見返しに、つぎのようにある。「ここ30年間で韓国は大きく変わった。独裁から民主国家へ、発展途上国から先進国へと。20世紀に日本が「弟」と蔑んだ韓国は過去のものだ。他方、元慰安婦を始め歴史認識問題が顕在化、日韓の対立は熾烈さを増す。21世紀に入り、政治、経済から韓流、嫌韓まで常に意識する存在だ。本書は、1980年代末、途上国だった隣国に関心を抱き、韓国研究の第一人者となった著者が自らの体験から描く、日韓関係の変貌と軋轢の30年史である」。

 本書は、時系列に、まえがき、プロローグ、全5章、エピローグ、あとがき、などからなる。「まえがき」で、著者は過去30年間の韓国の変化を、つぎのように語っている。「かつて「発展途上国の先頭走者」に過ぎなかった韓国は、いつしか先進国の一員となった。一九九〇年に六七〇〇ドルだった一人当たりのGDPは、いまや三万三〇〇〇ドルと約五倍になり、物価を勘案したPPPレベルの数値では、すでに一部の統計で日本を追い越している。日本企業の技術と資本に依存した三星(サムスン)や現代(ヒュンダイ)といった韓国企業は、いまでは日本企業を脅かす、いやそれ以上の存在となっている。政治面でも保守派と進歩派が政権交代を繰り返す民主主義が定着し、その国際的評価は日本より高いほどだ。外交でも歴史認識問題や北朝鮮問題で、日本と競い合う存在に成長した」。

 そして、「まえがき」をつぎのように締め括っている。「本書では以下、短くて長かったような三〇年間余りの韓国と日韓関係について、私個人の視点から語ってみることとしたい。「ほらまたバブル世代の昔語りが始まった」、若い人はきっとそう思うに違いないし、それはきっとその通りである。でも思う。韓国はこの三〇年間で大きく変貌し、日本との関係も大きく変化した」。「記憶はやがて失われるものであり、だからこそ書き留めておくことにはきっと意味がある。だとすると、個人的な記憶にも何らかの意味があるに違いない。さて、それではその記憶の扉を開けてみることにしよう」。

 「エピローグ」のタイトルは「あなたは韓国が好きなんですか」で、著者は最後に「それがわかったら苦労しないんですよ」と答え、つぎのように説明している。「自分が選んでやって来た韓国との「つきあい」について答えを出すのは、結局、自分の人生について答えを出すようなものだ。果たして私は私自身とその人生が好きなのだろうか。たしからしいのは、コロナ禍ですでに韓国を訪れることができなくなって一年半、そろそろソウル市内の定宿がある、鍾路三街のおしゃれとはおよそ言えない行きつけの店で美味しいコプチャン(韓国式のホルモン料理)を食べたくなっていることくらいだ」。

 韓国研究と東南アジア研究の大きな違いは、日本語でアカデミックな議論ができるかどうかだ。日本人の韓国研究者は気づいていないだろうが、韓国人が日本語で話すことの意味はかなり大きい。それがひとりやふたりではなく、さらに若い人まで含めて世代の違う人と話すことは、韓国を相対化できる。韓国でも英語の重要性は高いが、日本語の地位もある一定程度保たれている。就職難の韓国や台湾、中国では日本語ができることで就職しようと思っている者がいる。韓国、台湾、香港、中国の朝鮮族などの人びとのなかには、日本語で活路を切り開こうとしている人びとがいる。国際的に英語で議論するだけではない、アジアのことばでアジア人同士が意見を交わすことができるのが日韓関係である。

 たしかに韓国の経済力は日本に匹敵するまでになった。だが、大きく違うのは人口である。日本の半分以下の5000万余しかいない。これでは国内市場が安定しない。さらに、出生率が0.7台で、日本の1.2台に比べ、はるかに低い。北朝鮮の問題だけでなく、韓国はかなり不安定要因を含んでいるということができるだろう。それだけ、著者の出番が増える。


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早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

金澤裕之『幕府海軍-ペリー来航から五稜郭まで』中公新書、2023年4月25日、201頁、820円+税、ISBN978-4-12-102750-4

 こんなにおもしろくて、幅の広いものだとは思わなかった。たんに幕末維新の逸話程度と思って読みはじめたが、今日までつづく日本近代の基礎研究に基づいた記述に、その重要性を気づかされた。前近代と近代の組織の違い、近代化への過渡期が具体的に紹介してくれている。

 まず、幕府海軍について、「まえがき」冒頭で、つぎのように説明している。「本書は幕末期に江戸幕府が創設した日本初の近代海軍組織、いわゆる幕府海軍の物語である。幕府海軍は安政二年(一八五五)に誕生し、江戸幕府の崩壊とともに一三年間という短期間で歴史的使命を終えたが、この間の長崎海軍伝習、「咸臨丸」の太平洋横断航海など日本の海軍史に記憶されるさまざまな足跡を残し、勝海舟、榎本武揚をはじめとする人材が数多く輩出した。まさに近代日本海軍の嚆矢と言うべき存在である」。

 本書の内容については、表紙見返しで、つぎのようにまとめている。「ペリー来航などの「西洋の衝撃」を受け、1855年に創設された幕府海軍。長崎海軍伝習、勝海舟らによる咸臨丸の太平洋横断航海、幕長戦争などを経て近代海軍として成長してゆく。鳥羽・伏見の戦いにより徳川政権は瓦解し、五稜郭で抵抗を続けた榎本武揚らも敗れて歴史的役割を終えるが、人材や構想などの遺産は明治海軍へと引き継がれた。歴史研究者・現役海上自衛官の二つの顔を持つ筆者が、歴史と軍事の両面から描く」。

 幕府海軍を物語る意義について、著者はつぎのように「まえがき」で述べている。「薩長海軍の引き立て役となりがちな幕府海軍を本書の主役にする理由は、単にその規模が諸藩海軍を凌駕していたからだけではない。幕府海軍一三年の歴史には、近世から近代への転換期に日本が直面したさまざまな課題が凝縮されているのである」。

 本書は、まえがき、序章、全4章、終章、あとがき、参考文献からなる。序章「日本列島と海上軍事-古代~一八世紀」から時代ごとに、「第一章 幕府海軍の誕生-一九世紀初頭~一八五九年」「第二章 実働組織への転換-一八六〇~一八六三年」「第三章 内戦期-一八六四~一九六八年」「第四章 解体、脱走、五稜郭-一八六八~一八六九年」へと進み、「終章 幕末から近代、現代へ-一八六八年~」と現代への「遺産」まで紹介する。

 その遺産について、終章で人材と構想などについて具体的に述べている。人材についてつぎのようにまとめている。「幕府海軍以外の諸藩海軍も、その多くは長崎海軍伝習で教育を受けた藩士たちが創設を担っている。伊東[祐亨]や相浦[紀道]のように直接幕府の海軍教育機関やそれに準ずる場に学んだ者はもちろんのこと、薩摩藩で海軍キャリアをスタートさせた東郷[平八郎]のような者も含め、幕末期に海軍教育[を]受けた世代全体に対する幕府海軍の意義は、決して小さなものではないと言えるのではないだろうか」。そして、日清戦争のときには、「海軍の第一線を離れて政府の要職にあった者が少なくなかった」。

 文久の改革で提示された構想、「幕府海軍は全国を六つの警備管区に分けてそれぞれに艦隊を置く」は、40年の歳月を経て1902年に具現化し、著者はつぎのように結論している。「諸藩に先駆けて創設された幕府海軍の一三年間の蓄積は、明治海軍の建設がスムーズに進んでいくために欠くことのできない貯金となった。俗な言い方をすれば明治海軍は幕府海軍からの「居抜き」でスタートしたのである。その日本海軍も西南戦争以降は日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦と、外洋海軍(Blue Water Navy)への道を歩み、アジア・太平洋戦争では本来の能力を超えた戦域を担って敗れた」。

 そして、現在の海上自衛隊をつぎのように紹介している。「海上自衛隊は全国を五つの警備区に分け、海軍時代に鎮守府が置かれた横須賀、佐世保、呉、舞鶴、終戦時には警備府が置かれていた大湊に、それぞれ地方総監部を置いている。他にも用語、名称の多くを日本海軍から引き継いでいる海上自衛隊は「海軍の後継者」という意識が強い一方で、幕府海軍は平素ほとんど意識されていない。ただし、幕府海軍によって軍港化が始まった横須賀に自衛艦隊以下の各級司令部が集中していることを考えれば、海上自衛隊もまた幕府海軍の系譜に連なる存在と言えるだろう」。

 研究上、専門知識を有する者の観点から考察するものと、それを客観的に考察するものの両方の視点が必要である。軍隊については、その機密性から専門的知識を有していても満足に語れない場合があり、往々にして後者の視点で語るほうが無難になる。本書は、歴史研究ということもあり、直接現代の海軍の機密性に触れる心配が少ないことから、現役自衛官の知識と経験が活かされたものになっている。それだけ、説得力のある内容になっている。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
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早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
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