古川隆久『新装版 戦時下の日本映画-人々は国策映画を観たか』吉川弘文館、2023年3月1日、245+4頁、2200円+税、ISBN978-4-642-08426-0
本書は、2003年に出版されたものの「新装版」である。旧版の「あとがき」に、つぎのようなことが書かれている。「ところで、本書が国民国家論やカルチュラル・スタディーズといった研究上の枠組みを用いていないことへの批判が出るかもしれない。これらの枠組みは歴史研究の新たな可能性の開拓に大きな功績があったが、枠組みに頼りすぎた安易な研究の増加という弊害も生んでいる。そのような研究は、短期的にはともかく、長期的には人類社会の現状や未来を考える上であまり参考にならないであろう。そこで私は、右の枠組みを意識しながらも、経験的一般論と史料から歴史を考える、古典的な実証主義にこだわってみたのである」。
20年後に「新装版」が出たということは、このことが正しかったことを証明している。だが、「そのような研究」があったからこそ、「古典的な実証主義」にこだわることの重要性を示すことができたともいえる。
同じく「あとがき」には、つぎのようなことも書かれている。「本文を読んでいただいた方はおわかりのように、本書はふつうの意味での映画史の本ではない。昭和戦時下の映画統制をめぐる、行政(識者)-業界-観客の間の主導権争いを描いているという点で、私の出発点である政治史研究のようでもあるが、主な舞台は政官界ではなく一般社会であるから、しいて言えば社会史に分類されるべきかもしれない」。
本書は、つぎのような定説となっている印象に疑問をもったことからはじまった。「昭和戦中期の映画は人々に大変好まれる大衆文化であったが、国家が映画の製作や興行を強力に管理したため、戦意高揚映画や国策宣伝映画などの国策映画ばかりが作られ、上映された。人々はそうした映画によって戦争遂行に協力するよう洗脳された、と。いわばこれが昭和戦時期の日本映画史の通説なのである」。
本書のねらいは、「はたして戦時下の日本に住んでいた人々は国策映画を観たのか、観たとしてそれによって洗脳されたのか、もしそうでなかったとしたら人々にとって、あるいは当時の日本社会にとって映画とは何だったのか、について考えていく。それは、昭和戦時期の日本社会の歴史像を深めることになるだけでなく、文化と政治や社会とのかかわりについて考えを深める手がかりとなるだろう」。
まず、第一のキーワードである「国策映画」について、はっきりさせておく必要があるが、著者はひと言で説明できず、「はじめに」に「国策映画とは」の見出しがあり、つぎのように説明して、本書で使う「国策映画」をとりあえず決めている。
「「国策」とは国家の政策のことである。国策映画という言葉は一九三八年夏ごろから一般に使われはじめたが、「非常に濫用されて」おり、四一年春の段階でも映画評論家が「語義をはつきりさせよう」と議論していた」。「国策を宣伝したいのは国家なのだから、個々の映画が国策映画かどうかについては当時の日本政府の判断がもっとも有力な手がかりとなる。日中戦争勃発直前の三七年四月、映画検閲を担当していた内務省警保局(略)は映画検閲規則を改正し、検閲手数料の免除の対象を、教育用映画や官庁の宣伝用映画のみから、一定の基準を満たした邦画全般、すなわち劇映画(当時の内務省の法令用語では「娯楽映画」)、文化映画(劇映画以外の映画)に拡大した」。
「表向きの改正理由や改正した法令には「国策映画」という言葉はないが、改正の経緯(略)から考えて、改正の目的が国策映画製作の奨励であったことは明らかである。だから、ある映画作品が検閲手数料を免除されたということは政府がその映画を国策映画と認めたということを意味することにほかならない」。
「免除の基準は、いずれかの官庁や公的団体が免除を申請してきた映画のうち、製作技術が優秀で、かつその内容が「国体観念(天皇主権という日本国家のあり方についての考え方)の昂揚、国民道義の確立、我国内外情勢に対する認識の是正、軍事、産業、教育、防災、衛生等各種行政の宣伝、その他公益を増進するに資すると認められるもの」である。劇映画の場合はさらに、いずれかの官庁が指導または後援して製作されたもの、いずれかの官庁が優良であるとして推奨したもの、警保局が優良な劇映画であると判断したもの、という三つの条件のいずれかに該当する映画であった」。「そこで、本書では以上の基準を満たした映画を国策映画とみなすことにしたい」。
いっぽう、娯楽映画については、つぎのように説明している。「娯楽映画とは、主に劇映画の内容や技法について芸術映画あるいは文芸映画という言葉と対応して使われた言葉で、低俗または平易とみなされた場合は娯楽映画、高尚または難解とみなされた場合は芸術映画あるいは文芸映画と呼ばれた。もちろんすべての映画が明確にどちらかに分けられるはずもなく、実際にはどちらの要素が強いかで判断される」。「一般に娯楽とは息抜き、気分転換などに役立つ文化のことであり、そもそも劇映画はすべてそうした役割を多かれ少なかれ担うとも考えられる。実際、映画検閲を担当していた内務省警保局は劇映画をすべて娯楽映画と定義していた。しかし、実際には映画に関する報道や論評の中では娯楽映画と芸術映画という分類が一般に行われていたし(現在も行われている)、本書で紹介するたくさんの実例から考えて、観客の側もそうした区別を意識していたことはまちがいない」。
本書は、はじめに、4部全16章、おわりに、あとがき、索引、新装復刊にあたって、などからなる。時系列に、「Ⅰ 日中戦争勃発時の映画と社会」は4章、「Ⅱ 映画界の活況と映画法制定」は3章、「Ⅲ 映画法の本格発動」は4章、「Ⅳ 映画新体制と太平洋戦争」は5章からなる。本文中に、<付表>として1937-44年の「ヒット映画と優秀映画一覧」が、該当個所にちりばめられている。
結論は、「おわりに」にあり、それぞれ見出しごとに、つぎのようにまとめられている。「人々は国策映画を観ようとしなかった」のは、つぎのように説明された。「結局、全体として昭和戦時期の人々は国策映画を観ようとしなかった。当然、国家が映画で人々を操ることも不十分におわった。日中戦争勃発後、政府は、一般に人気があった邦画の娯楽映画は指導的でないとして、芸術性の高い国策映画が多数作られ、国民がそうした映画ばかりを観るようにさまざまな施策を講じた。映画観覧を単なる息抜きではなく、人格向上の場にしようとしたのである」。
「映画統制の挫折の理由」は、つぎのように説明された。「政府の方針が挫折した直接の原因は、国策映画がまじめすぎておもしろみに欠けていたためであった。国策に関しては新聞やラジオ、隣組の回覧板や町内会の掲示板に貼られたポスターなどでも知らされていたので、国策について知るだけならばつまらない国策映画を観に行く必要性は薄かったのである」。
「戦時下における映画の社会的役割」は、つぎのように説明された。「客観的に見れば、昭和戦時下の社会において映画が果たした最大の役割は、広範な人々に息抜きの機会を与え、仕事の能率を高めることであった。皮肉なことに映画は日本が八年間も総力戦に持ちこたえることができた要因の一つであり、それゆえに日本が自国や他国、他地域に実に大きな惨禍をもたらしてしまった要因の一つでもあったのである。ただし、映画の社会的機能があくまでも息抜きであるために、戦中に作られたり上映された映画の中には同時期に他国、他地域でも喜ばれたり、敗戦後の日本の人々に復興の力を与える役割を果たしたものもあったのである」。
「映画統制が強化され続けた理由」は、つぎのように説明された。「ではなぜエリート官僚や識者たちは教養主義的映画統制を庶民に押し付けようとしたのか。識者たちは、西洋崇拝志向の強さから日本の庶民を西洋のそれより質的に劣っているとみなし、その改善策として、エリート官僚たちは、日本国家をより強大なものとするため国家に忠実な、つまりまじめな国民を作るための手段として、いずれも質の高い映画、すなわち芸術映画を庶民に見せようとした。理由は異なっても手段は同じだったのである」。
そして、「本書の考察から考えられること」は、つぎのようにまとめられた。「結局、当時の日本における教養主義には多分に問題があったといわざるをえない。それは当時の日本の高等教育に多分に問題があったということでもある。学歴エリートたちが当時の教養主義に災いされて机上の空論や独善的な考えに陥ることがままあり、それが日本がとるべき道を誤った要因の一つ(軍人や政治家、有権者にも責任がないとはいえないから唯一の要因とはいえないが)と考えられるのである」。
「観なきゃいけない」と思って録画している映画は、ずっと「未」がついたままになっている。2時間というまとまった時間がなかなかとれず、しっかり観る機会が訪れないというのが理由だろうが、息抜きに娯楽映画は途中になってもいいと気軽に観はじめている。ところが、「観なきゃいけない」と思っているものは、中断せず最後までしっかり観なきゃと、観はじめる「覚悟」ができず、そのままお蔵入りになっている。「国策映画」とは、そんなしっかり観なきゃいけないようなつくりになっているから敬遠されたのだろう。いまなら、おもしろさのなかにサブリミナル効果のあるものを、AIがつくってくれるかもしれない。それも、こわい。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。