早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2023年10月

古川隆久『新装版 戦時下の日本映画-人々は国策映画を観たか』吉川弘文館、2023年3月1日、245+4頁、2200円+税、ISBN978-4-642-08426-0

 本書は、2003年に出版されたものの「新装版」である。旧版の「あとがき」に、つぎのようなことが書かれている。「ところで、本書が国民国家論やカルチュラル・スタディーズといった研究上の枠組みを用いていないことへの批判が出るかもしれない。これらの枠組みは歴史研究の新たな可能性の開拓に大きな功績があったが、枠組みに頼りすぎた安易な研究の増加という弊害も生んでいる。そのような研究は、短期的にはともかく、長期的には人類社会の現状や未来を考える上であまり参考にならないであろう。そこで私は、右の枠組みを意識しながらも、経験的一般論と史料から歴史を考える、古典的な実証主義にこだわってみたのである」。

 20年後に「新装版」が出たということは、このことが正しかったことを証明している。だが、「そのような研究」があったからこそ、「古典的な実証主義」にこだわることの重要性を示すことができたともいえる。

 同じく「あとがき」には、つぎのようなことも書かれている。「本文を読んでいただいた方はおわかりのように、本書はふつうの意味での映画史の本ではない。昭和戦時下の映画統制をめぐる、行政(識者)-業界-観客の間の主導権争いを描いているという点で、私の出発点である政治史研究のようでもあるが、主な舞台は政官界ではなく一般社会であるから、しいて言えば社会史に分類されるべきかもしれない」。

 本書は、つぎのような定説となっている印象に疑問をもったことからはじまった。「昭和戦中期の映画は人々に大変好まれる大衆文化であったが、国家が映画の製作や興行を強力に管理したため、戦意高揚映画や国策宣伝映画などの国策映画ばかりが作られ、上映された。人々はそうした映画によって戦争遂行に協力するよう洗脳された、と。いわばこれが昭和戦時期の日本映画史の通説なのである」。

 本書のねらいは、「はたして戦時下の日本に住んでいた人々は国策映画を観たのか、観たとしてそれによって洗脳されたのか、もしそうでなかったとしたら人々にとって、あるいは当時の日本社会にとって映画とは何だったのか、について考えていく。それは、昭和戦時期の日本社会の歴史像を深めることになるだけでなく、文化と政治や社会とのかかわりについて考えを深める手がかりとなるだろう」。

 まず、第一のキーワードである「国策映画」について、はっきりさせておく必要があるが、著者はひと言で説明できず、「はじめに」に「国策映画とは」の見出しがあり、つぎのように説明して、本書で使う「国策映画」をとりあえず決めている。

 「「国策」とは国家の政策のことである。国策映画という言葉は一九三八年夏ごろから一般に使われはじめたが、「非常に濫用されて」おり、四一年春の段階でも映画評論家が「語義をはつきりさせよう」と議論していた」。「国策を宣伝したいのは国家なのだから、個々の映画が国策映画かどうかについては当時の日本政府の判断がもっとも有力な手がかりとなる。日中戦争勃発直前の三七年四月、映画検閲を担当していた内務省警保局(略)は映画検閲規則を改正し、検閲手数料の免除の対象を、教育用映画や官庁の宣伝用映画のみから、一定の基準を満たした邦画全般、すなわち劇映画(当時の内務省の法令用語では「娯楽映画」)、文化映画(劇映画以外の映画)に拡大した」。

 「表向きの改正理由や改正した法令には「国策映画」という言葉はないが、改正の経緯(略)から考えて、改正の目的が国策映画製作の奨励であったことは明らかである。だから、ある映画作品が検閲手数料を免除されたということは政府がその映画を国策映画と認めたということを意味することにほかならない」。

 「免除の基準は、いずれかの官庁や公的団体が免除を申請してきた映画のうち、製作技術が優秀で、かつその内容が「国体観念(天皇主権という日本国家のあり方についての考え方)の昂揚、国民道義の確立、我国内外情勢に対する認識の是正、軍事、産業、教育、防災、衛生等各種行政の宣伝、その他公益を増進するに資すると認められるもの」である。劇映画の場合はさらに、いずれかの官庁が指導または後援して製作されたもの、いずれかの官庁が優良であるとして推奨したもの、警保局が優良な劇映画であると判断したもの、という三つの条件のいずれかに該当する映画であった」。「そこで、本書では以上の基準を満たした映画を国策映画とみなすことにしたい」。

 いっぽう、娯楽映画については、つぎのように説明している。「娯楽映画とは、主に劇映画の内容や技法について芸術映画あるいは文芸映画という言葉と対応して使われた言葉で、低俗または平易とみなされた場合は娯楽映画、高尚または難解とみなされた場合は芸術映画あるいは文芸映画と呼ばれた。もちろんすべての映画が明確にどちらかに分けられるはずもなく、実際にはどちらの要素が強いかで判断される」。「一般に娯楽とは息抜き、気分転換などに役立つ文化のことであり、そもそも劇映画はすべてそうした役割を多かれ少なかれ担うとも考えられる。実際、映画検閲を担当していた内務省警保局は劇映画をすべて娯楽映画と定義していた。しかし、実際には映画に関する報道や論評の中では娯楽映画と芸術映画という分類が一般に行われていたし(現在も行われている)、本書で紹介するたくさんの実例から考えて、観客の側もそうした区別を意識していたことはまちがいない」。

 本書は、はじめに、4部全16章、おわりに、あとがき、索引、新装復刊にあたって、などからなる。時系列に、「Ⅰ 日中戦争勃発時の映画と社会」は4章、「Ⅱ 映画界の活況と映画法制定」は3章、「Ⅲ 映画法の本格発動」は4章、「Ⅳ 映画新体制と太平洋戦争」は5章からなる。本文中に、<付表>として1937-44年の「ヒット映画と優秀映画一覧」が、該当個所にちりばめられている。

 結論は、「おわりに」にあり、それぞれ見出しごとに、つぎのようにまとめられている。「人々は国策映画を観ようとしなかった」のは、つぎのように説明された。「結局、全体として昭和戦時期の人々は国策映画を観ようとしなかった。当然、国家が映画で人々を操ることも不十分におわった。日中戦争勃発後、政府は、一般に人気があった邦画の娯楽映画は指導的でないとして、芸術性の高い国策映画が多数作られ、国民がそうした映画ばかりを観るようにさまざまな施策を講じた。映画観覧を単なる息抜きではなく、人格向上の場にしようとしたのである」。

 「映画統制の挫折の理由」は、つぎのように説明された。「政府の方針が挫折した直接の原因は、国策映画がまじめすぎておもしろみに欠けていたためであった。国策に関しては新聞やラジオ、隣組の回覧板や町内会の掲示板に貼られたポスターなどでも知らされていたので、国策について知るだけならばつまらない国策映画を観に行く必要性は薄かったのである」。

 「戦時下における映画の社会的役割」は、つぎのように説明された。「客観的に見れば、昭和戦時下の社会において映画が果たした最大の役割は、広範な人々に息抜きの機会を与え、仕事の能率を高めることであった。皮肉なことに映画は日本が八年間も総力戦に持ちこたえることができた要因の一つであり、それゆえに日本が自国や他国、他地域に実に大きな惨禍をもたらしてしまった要因の一つでもあったのである。ただし、映画の社会的機能があくまでも息抜きであるために、戦中に作られたり上映された映画の中には同時期に他国、他地域でも喜ばれたり、敗戦後の日本の人々に復興の力を与える役割を果たしたものもあったのである」。

 「映画統制が強化され続けた理由」は、つぎのように説明された。「ではなぜエリート官僚や識者たちは教養主義的映画統制を庶民に押し付けようとしたのか。識者たちは、西洋崇拝志向の強さから日本の庶民を西洋のそれより質的に劣っているとみなし、その改善策として、エリート官僚たちは、日本国家をより強大なものとするため国家に忠実な、つまりまじめな国民を作るための手段として、いずれも質の高い映画、すなわち芸術映画を庶民に見せようとした。理由は異なっても手段は同じだったのである」。

 そして、「本書の考察から考えられること」は、つぎのようにまとめられた。「結局、当時の日本における教養主義には多分に問題があったといわざるをえない。それは当時の日本の高等教育に多分に問題があったということでもある。学歴エリートたちが当時の教養主義に災いされて机上の空論や独善的な考えに陥ることがままあり、それが日本がとるべき道を誤った要因の一つ(軍人や政治家、有権者にも責任がないとはいえないから唯一の要因とはいえないが)と考えられるのである」。

 「観なきゃいけない」と思って録画している映画は、ずっと「未」がついたままになっている。2時間というまとまった時間がなかなかとれず、しっかり観る機会が訪れないというのが理由だろうが、息抜きに娯楽映画は途中になってもいいと気軽に観はじめている。ところが、「観なきゃいけない」と思っているものは、中断せず最後までしっかり観なきゃと、観はじめる「覚悟」ができず、そのままお蔵入りになっている。「国策映画」とは、そんなしっかり観なきゃいけないようなつくりになっているから敬遠されたのだろう。いまなら、おもしろさのなかにサブリミナル効果のあるものを、AIがつくってくれるかもしれない。それも、こわい。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

根川幸男『移民船から世界をみる-航路体験をめぐる日本近代史』法政大学出版局、2023年8月1日、290+5頁、3800円+税、ISBN978-4-588-60369-3

 「移民」と呼ばれる人のイメージは、時代によってずいぶん違っている。本書に出てくる人びとには目的地があった。いまの「移民」には最終目的地はない。だから、「移民」の定義をする必要がある。著者は、「はじめに」でつぎのように記している。「本書の「移民」の定義については、とりあえず「ある民族や国家の成員が、就業の機会をもとめ、もとの居住地のそとに移住すること、またはその人自身」としておこう」。

 「本書は、主に「移民」と呼ばれた人びとが、どのような船で、どのように海を渡り、「世界」を見聞しつつ、どのように自らの価値観を変えていったのかを、具体的な体験として捉え直そうとするものである。また、目的地の人びとが、「移民」を運んできた船-「移民船」-をどのようにまなざし捉えていたのか、という問題も視野に入れている。さらに、こうした研究にはどのような史資料が残されているのかを紹介し、それらのいくつかの内容を検討する」。

 「本書の目的は、移民船をめぐる研究が、送出国(地域)と受入れ国(地域)という移民(史)研究の二大局面の間を越境/トランスする第三の局面として、きわめて重要かつ多くの課題を包含するとともに、その領域を押し拡げる可能性をはらんでいる点を明らかにすることである。また、そうした研究のためには、どのような史資料が活用できるのかを紹介する側面もあわせ持つ」。

 本書は、はじめに、序章、全8章、終章、おわりに、などからなる。「序章では、「移民船」とは何かというその意味や性格について定義するとともに、移民船研究における、航海日記、船内新聞、古写真、移民名簿といった依拠すべき史資料について概説する」。

 「第一章では、近代日本最初期の海外移民の例として、一八六八(明治元)年に行われた「元年者」のハワイ渡航を取り上げる。「元年者」移民の一人佐久間米松が遺した「日記」に依拠し、それを読みながら、近代最初の移民船航海の実態を明らかにする。第二章では、一九世紀末に日本が得た植民地である台湾への航海と日本人の航路体験を取り上げる。森鷗外や森丑之助、下村宏らの活動、台湾球児たちの甲子園遠征、北村兼子の紀行文、金関丈夫の探偵小説を時系列的に紹介し、それらの叙述を通して、内台航路をたどる人びとの体験に迫る。第三章以下では、日本人集団による史上最長の航海であった南米行き移民船の航路体験を取り上げる。すなわち、明治・大正期のジャーナリストで社会運動家であった横山源之助の報告を通じて、一九一二年の第三回ブラジル移民船・厳島丸航海の実態に迫り、初期移民船の生活世界を明らかにする。第四章では、移民輸送監督助手であった田辺定の「移民輸送日誌」を通じて、一九二七年のブラジル移民船・神奈川丸の航海の実態を再現する。第五章では、まにら丸の「航海日記」の内容を分析し、一九二〇年代末期のブラジル移民船航海の実態に迫り、国策移民期の大阪商船の移民船の実態を明らかにする。第六章と第七章では、移民船に関わる写真資料を取り上げる。すなわち、第六章では、一九三〇年代以降から戦後まで、移民船運航を一手に担った大阪商船の広報誌『海』の寄港地風景を写したグラビアを通じて、可視化された南米移民航路を追体験的に紹介する。第七章では、一九三〇年代初頭にブラジルに渡り、太平洋戦争開戦直前に帰国した森田友和氏所蔵の古写真と氏自身の語りを通じて、子ども移民の目から見た南米移民船の復航航海の一断章を記述する」。

 「一九世紀から二〇世紀は、近代交通革命とグローバル化により、旧大陸の人びとが新大陸の各地へ渡った「移民の世紀」であった。それは、ローカルな病原体が海を越えて世界中に拡散し交換される「感染症の世紀」でもあった。移民船に限らず、外国からやってくる船は、時に病原体を運ぶ媒体となり、船内でも感染を流行させた。第八章では、一九一八年の若狭丸、一九一九年のはわい丸、一九三三年のりおでじやねろ丸など、ブラジル行き移民船で発生した脳脊髄膜炎、麻疹、コレラといった感染症の流行を取り上げ、移民船を「文明の闘い」のフロンティアとして分析する。さらに、終章では、戦後日本の海外移民の復活とブラジル側での日本人移民受入れ再開の背景をさぐる。また、戦後移民の特徴であるオランダ船による南米までの航海を、移民たちが制作したデジタル記念誌を通じ、戦前移民や大阪商船による移民との相違を明らかにしつつ、移民客船の目に映った世界を再現する」。

 そして、「おわりに」で、つぎのようにまとめている。「近代日本の移民船の歴史は、一八六八年から一九七三年まで一世紀を超え、日本の近代史を網羅している。それにもかかわらず、移民の越境プロセスにおける航路体験に関心が向けられてこなかった。その原因は、国民国家を前提とした移民研究の枠組み、航海日数が短いハワイ・北米移民研究の比重の大きさ、移民船世代の消滅と航空機の進歩による船や海洋への関心・記憶・想像力の後退などが考えられる」。

 「本書は、そうした近代日本史の一断面として、日本の移民船の歴史を、明治維新期に行われた最初の移民船航海や帝国最初の植民地台湾への航路、二〇世紀初頭から戦後の高度経済成長の終末期まで続いた南米移民船を例に、移植民の航路体験に即して描いてみた。それは、日本人が西欧近代文明と出会い、遅まきながらみずから産業革命を起こすことで、列強諸国に追いつき追い越そうとした奮闘の軌跡でもあった。海外移民は、そうした日本の近代化のなかで生み出された矛盾、人口増加と経済問題の解決の糸口を外部化することによって進められた」。「近代日本人移民と移民船をめぐる歴史については、まだまだわかっていないことが多い」。

 「まだまだわかっていないこと」は、目的地に着いた後についてもいえる。その後の歴史は、その地にとどまった人を中心に描かれることが多くなるため、さまざまな理由で早々に帰国した人びとや、ほかの地に移動した人びとのことはよくわからない。そのような人びとが故郷や移動先にもたらした影響なども、あまり語られることはなかった。なにより、戦前の移民が「棄民」と呼ばれたように、家族、故郷、国からも見捨てられた人びとがいた。見捨てられた理由も、家族や故郷に原因があったり、日本が国力を増した結果であったりした。人びとの「越境」が身近になったいまだからこそ、かつてのものを再考する意味があるだろう。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

神谷丹路『近代日本漁民の朝鮮出漁-朝鮮南部の漁業根拠地 長承浦・羅老島・方魚津を中心に』新幹社、2018年8月10日、353頁、3500円+税、ISBN978-4-88400-128-5

 喫緊の課題を、著者は「序論」の冒頭でつぎのように述べている。「日本海(東海)は、朝鮮半島と日本列島に囲まれた北東アジアの内海であり、海に面する国々の漁業関係者、政府・地方自治体および一般の市民が、国境を越えた協力関係を構築し、平和的に共存し、海とともに生きていく道筋を探らなければならない」。

 本書の目的は、「こうした状況の発端となる十九世紀後葉から朝鮮植民地前期にかけて、日本漁民が盛んに朝鮮沿岸の漁場へ出漁するようになった過程とその展開を、とくに南部の複数の重要な漁業根拠地に着目し、それぞれ日本漁民の出身地と朝鮮での漁業活動とのつながりに重点をおいて明らかにしようとするものである」。

 「日清・日露戦争そして「韓国併合」を経て、西日本の、とりわけ瀬戸内海沿岸の日本漁民は朝鮮半島南部を目指して活発に出漁し、やがて資本を蓄積して多様な展開をみせた。同時期、朝鮮から日本へという逆の動きは皆無であったのに対し、日本漁民のほうだけが積極的に玄界灘を越え、朝鮮沿岸の豊饒な漁場において、日本沿岸では適わないような植民地型漁業を大々的に展開した」。

 本研究では、とくに朝鮮南部のもっとも重要な漁業根拠地であった長承浦・羅老島・方魚津の3ヶ所に着目する。この3ヶ所の分析、考察の方法として、つぎの3つの課題をあげている。「第一の課題は、日本側の動きを国家の動き、資本家の動き、小漁民の動きの三つの角度から分析する。日本国家は、日露戦争前までは対ロシア政策の思惑が強く、戦中戦後は植民統治へ向けて思い切り舵を切る。漁民を束ねる漁業資本家や運搬船を走らせる仲買商人は、富や事業へ貪欲であり、零細な小漁民たちは、貧困や隷属的身分からの解放を夢見て、小舟でぞくぞくと朝鮮へ出漁する。三者はそれぞれに相互作用を及ぼし、三か所の根拠地ごとに出現のしかたには特徴が見られることをあきらかにし、地元朝鮮人とどのような軋轢を生んだかを考察する」。

 「第二の課題は、朝鮮の漁業根拠地と日本漁民を取り結んだのは、どのような魚種や漁法であったか、日本の各地域からの出漁の特徴はいかなるものであったか、朝鮮の根拠地の風土や自然、そこで朝鮮の人々はいかなる暮らし、いかなる漁業を営んでいたのか、そして植民地期には朝鮮漁場においていかなる漁業を展開するにいたるのかなど、漁業そのものに即した分析を行う」。

 「三つめの課題は、それぞれの根拠地において特徴のある役割を果たす日本人の存在を明らかにすることである。いずれも漁業家や鮮魚仲買商などの資本家のグループに属する人々だが、植民地期の朝鮮漁業において資本を大々的に蓄積し、彼らの中から、二十世紀後半の日本漁業界を牽引する者たちが現れることになる。二十世紀前半の日本の朝鮮漁業が、彼らの存在によって後半へと繋げられていくのである。またそうした人々の個人史をたどることは、植民地という時代を個のレベルにおいて捉えることでもあり、植民地漁業を身近に引きつけて考察する上では重要な要素となっている」。

 そして、「序論」(本文左肩では「序章」)「第一節 問題の所在及び本研究の目的と方法」を、つぎのパラグラフで結んでいる。「紛争の海、乱獲の海と呼ばれて久しい日本海(東海)の限りある資源を保全し、持続可能な漁業経営を構築していくために、一刻も早くこうした状況を克服していかなければならない。本研究は、海に面する我々が相互の歴史背景を踏まえた議論を交わし共生共栄をはかるための基礎的研究である」。

 本書は、序論、全7章、結論、あとがきなどからなる。本書の構成は、まず全体をつぎのように概略した後、各章ごとに「構成と展開を記」している。「まず第一章[近代日本漁民の朝鮮出漁-法的根拠の形成と変遷]で、朝鮮出漁の条約や法律等を考察する。第二章[近代日本漁民の初期朝鮮出漁の展開過程]では一八九〇年代の初期日本漁民の朝鮮出漁漁業について考察する。次いで第三章[慶尚南道巨済島・長承浦「入佐村」の形成<一>(一九〇〇~一九〇八年)-日露覇権争いと日本漁民の朝鮮出漁]以下、植民地初期の重要な漁業根拠地となる三ヵ所を順次検討する。第三章第四章[慶尚南道巨済島・長承浦「入佐村」の形成<二>(一九〇八~一九四五年)サバ漁業の隆盛と日本人植民漁村]では、ロシアの覇権争いの舞台となった巨済島の慶尚南道長承浦の漁業根拠地を考察する。第五章[全羅南道・羅老島の展開<一>(一九〇〇~一九〇八年)-日本人小漁業の展開]第六章[全羅南道・羅老島の展開<二>(一九〇八~一九四五年)-小漁業から資本型経営への展開]では、エビとハモ漁業で開始される全羅南道羅老島の漁業根拠地を考察し、第七章[慶尚南道・方魚津の変遷(一九〇〇~一九四五年)-サワラ漁業からサバ漁業の最大根拠地へ]において、植民地期最大の漁業根拠地となって隆盛する慶尚南道の方魚津を検討する」。

 そして、「結論」では、本書全体を要約した後、つぎのように結んでいる。「以上のように、近代の日本漁民は朝鮮漁場へ盛んに出漁し、朝鮮漁場の水産資源を涸渇するまで獲り尽くすという植民地型の大規模漁業を展開した。そしてそこから得た富と技術の蓄積は、皮肉なことに、戦後の日本の水産業の発展を支えたのである。こうした二十世紀前半、とりわけ植民地前期の漁業状況は、現代の日本海(東海)をめぐる国際的な対立の、実はそもそもの始まりと言える。植民地前期の漁業状況の認識を、日韓が互いに共有することこそ相互理解の始まりであろう。海に囲まれて生きている私たちは、海を越え国境を越えた相互協力によって、限りある資源を守り、海の恵みに感謝し、共生の道筋を見つけていかなければならない。日本海(東海)という内海を共有するものたち[に]とって、それは誇り高き道であるはずである」。

 さらに、「あとがき」で、改めて本書の動機と総括が、つぎのようにまとめられている。「「はじまり」にこだわったのは、現在の日韓漁民のいがみ合いの根っこが、そこに隠されているのではないかという想いがあったからだ。日本人はなにゆえに朝鮮半島で大々的な漁業をできたのか、その実態はどうだったのか」。「初期の代表的な漁業根拠地、長承浦、羅老島、方魚津の三か所は、いずれも鮮魚運搬船の集まる日本人漁業の重要な中心地だった。日本人漁業者が盛んに漁業を行っていた証左である。朝鮮漁民は、細々と経営する者、漁場を失い他地へ出ていく者、日本人に傭われる者、さまざまだった。栄えた漁業根拠地にも、等しく一九四五年八月十五日がやってきた。日本漁業者は、漁具や家財を船に積みこみ、漁船で直接日本へ引き揚げた者が多かった。船に積み込めなかった家屋敷だけは、使用人に譲ったりもした。朝鮮の漁村には、高性能の漁船も最新の漁具も残されることはなく、漁労技術も引き継がれることはなかった。それは、解放後の朝鮮漁業がふたたび後進性の中から立ち上がらなければならなかったことを意味した。植民地期から現在にいたる歴史が、こうして連続する」。

 各章の最後に短い<小括>があり、章ごとに内容が確認できる。同じように短いわずか2ページの「結論」がある。考察・分析した結果、あきらかになったことを、論理的に展開しなければ、「日本が朝鮮を植民地にする前、日本の漁民はどのように朝鮮へ進出していったのか。また、日本国家は日本漁民をどのように優遇していったのか」を語るだけで終わってしまって、「喫緊の課題」への参考にならない。もう一歩踏み込んで、日本漁民の朝鮮出漁が朝鮮に残したもの、日本漁民への優遇が日本漁業に残したものを考察し、具体的に日韓あるいは中国を交えて東アジアの漁業をどうするのか考える必要があろう。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

石濱裕美子『物語 チベットの歴史-天空の仏教国の1400年』中公新書、2023年4月25日、264頁、900円+税、ISBN978-4-12-102748-1

 「本書で述べた歴史はチベット一国史にとどまらず、モンゴル史、清朝史、現在では世界の歴史と複雑にからみあっている。チベット史がここまで広大な地域に影響を及ぼすことになった理由の一つには、チベット仏教思想のもつ普遍性があることは疑いない」。「終章 現代の神話、ダライ・ラマ十四世」の終わりのほうの一節である。

 「世界が存在する限り 命あるものが存在する限り 私も輪廻の中にとどまって 有情の苦しみを滅することが できますように」の祈りとともに、人びとを魅了してきた思想がある限り、「「チベット」は国として存在するしないにかかわらず、消えることはない」。

 本書の全容は、表紙見返しにつぎのように記されている。「古代に軍事国家だったチベットはインド仏教を受容、12世紀には仏教界が世俗に君臨する社会となった。17世紀に成立したダライ・ラマ政権はモンゴル人や満洲人の帰依を受け、チベットは聖地として繁栄する。だが1950年、人民解放軍のラサ侵攻により独立を失い、ダライ・ラマ14世はインドに亡命した。チベットはこれからどうなるのか? 1400年の歴史を辿り、世界で尊敬の念を集めるチベット仏教と文化の未来を考える」。

 本書は、序章、全4章、終章、あとがきなどからなる。「序章 仏教国家チベットの始まり」を、つぎのパラグラフで締め括っている。「古代から現代に至るまで、一貫した仏教史観をもつチベット。その冒頭を飾る古代チベット帝国の歴史について、まずは同時代史料からわかる断片的な事実から述べ、次に仏教思想のフィルターのかかった後の歴史記述を見ていこう」。

 本文4章は、時系列に「第一章 古代チベット帝国と諸宗派の成立」「第二章 ダライ・ラマ政権の誕生」「第三章 ダライ・ラマ十三世による仏教界の再興」「第四章 ダライ・ラマ十四世によるチベット問題の国際化」からなる。

 チベットの通史を書くにあたって問題となるのが、地域、時期、民族である。「あとがき」で、つぎのように説明している。「チベットは歴史の中で拡大・縮小を繰り返しているため、その線引きは難しい。古代チベット帝国の軍事力は北は中央アジア、西はバルティスタン、東は一時は唐の都長安を占領するほどの勢威があったが、それらすべてが現在のチベット人居住域ではない」。

 「また、時代についてもどこまでを扱うかの判断が難しい。一九五一年に中国政府がチベットを占領し、本土チベットの歴史は中国史の一部になった(略)。このことを考慮すれば一九五〇年にチベットは終わったとみなし、通史の筆を擱くという考え方もある。しかし、亡国でチベットの歴史が終焉したとはいえまい。インドに亡命したダライ・ラマ十四世は、難民社会でチベット文化を維持し続けているし、本土チベット人も自らのアイデンティティを中国人と一体とはみなしていない」。

 「このような現実を踏まえ、本書では基本はラサを中心とするチベット高原上の歴史をメインとし、加えて、他民族(モンゴル人、満洲人、欧米人)、他国であっても、チベット本土にある政権やチベット文化が、大きな影響を与えた場合については、その民族ないし国との関係に言及している(ただし、ブータン、シッキム、雲南、東チベット地域に住むチベット語話者の歴史については焦点がぶれるため触れなかった)。さらに、時代としては現在のチベット人が自らの歴史と認識している古代から現代までを対象とした」。

 気にせず「国立博物館」や「国立図書館」などというが、そのなかにどの地域、どの時代、どの人びとを入れるのか難しい。それが現在の戦争や紛争を誘発する恐れがあるからである。逆に国民国家にとって、「国民」を対象とした博物館や図書館は、ナショナリズムを確定するのに重要な役割を果たすことから、是が非でもつくりたいところである。だが、インド国立博物館のように、古代文明、仏教関連、ヒンドゥー教関連の展示はあっても、イスラーム関連のものはない、「国立」とはなにかを考えさせられるものもある。歴史博物館は、もっと難しい。日本でも、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)に1930-70年代までを扱う展示室がオープンしたのは2010年のことで、展示内容もなにやら自信なげなものになった。国としての歴史を語ることの難しさは、チベットだけではない。グローバル時代の歴史学の重要性が唱えられているなかで、なにも考えずに国史を教えているほうが恐ろしい。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

↑このページのトップヘ