早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2023年11月

大野拓司『マゼラン船団 世界一周500年目の真実-大航海時代とアジア』作品社、2023年11月10日、263頁、2700円+税、ISBN978-4-86182-977-2

 「11月15日のまにら新聞から」で、「執筆に当たって重視したことは」との問いに、著者大野拓司は、つぎのように答えている。「比に仕事で駐在したり、何度も旅行に訪れたりする人でも、フィリピンの成り立ちなどについてなんとなくわかっていても、どのような経過をたどって今日の姿になったのかは知らないといった声をよく聞く。今日、日本のフィリピン研究は飛躍的に深まったが、一方で対象が細分化したりニッチ化したりする傾向があるようだ。ざっくりではあっても、ダイナミックに、巨視的に解説するものが少ない、と私には思える。比の歴史を巨視的に捉えるとともに、史資料に基づいて、あまり知られていない事実を掘り起こし、それを一般読者にも読みやすいよう「物語」風に書いた」。

 「私は新聞記者出身で、現在もささやかながらジャーナリストとして活動をしているから、今日のフィリピン社会の理解にも役立つよう随所に過去とつながる現代の「ニュース」も取り込むよう心掛けた。「ジパング=フィリピン説」などの興味深い学説の紹介や、マゼラン来航以前にさかのぼる比日関係・比中関係にも章を割いた」。

 つづけて「参照した史資料は」という問いに、つぎのように答えている。「今回の執筆で特筆しておきたいことがある。ピガフェッタやトランシルヴァーノ、モルガなどは日本語に翻訳されているが、原文は大きな図書館や研究所に所蔵され、一般の人には手が届きにくかった。それが、21世紀になって「プロジェクト・グーテンベルク」という組織を運営する米国のNPOが英訳し、オンラインで公開している。だれでも無料で自由にアクセスできる。著作権が切れた世界的な文学や歴史的文書など、今年初頭時点で6万点余りを数える。フィリピン史研究の基本文献「フィリピン諸島誌集成1493〜1898年」も全55巻が電子書籍として公開されている。米の歴史家ブレアと書誌学者ロバートソンが中心になって編纂(へんさん)し、1900年代初頭に限定出版された重要な史資料だ」。

 帯に「アジアの視点から新事実を掘り出している」とあるが、「はじめに」の最後の見出し「豊かなアジア/貧しいヨーロッパ」では、ヨーロッパの視点で、つぎのように書かれている。「黄金・絹・陶磁器など魅力的な物産の数々。当時、断片的に伝えられるアジアからの情報は、ヨーロッパの人びとの想像力を刺激し、冒険心と野望をかきたてた。それがマゼランを後押しし、「豊かなアジア」へと向かわせたのだ。背後に、時代の扉を中世から近世へとこじ開けるエネルギーも渦巻いていた」。

 本書は、はじめに、全6章、終章、あとがき、などからなる。「第1章 マゼランは、フィリピンで何を見たのか」で、マゼランが最初に見たフィリピンと、出航前の「豊かなアジア」への期待が描かれている。「第2章 「待望の岬」から大海原への挑戦-マゼラン海峡を越えて」では、フィリピン到達までの困難な航海の様子が描かれている。そして、「第3章 バランガイ社会と人びとと暮らし-マゼランとセブの「王」フマボンとの血盟」で、遭遇したフィリピン社会が描かれている。ここまで時系列に描き、「第4章 歴史に足跡を刻む-マゼランの死とエルカーノによる世界一周」では、マゼラン中心に描かれてきた「世界一周」を、マゼランの死以降、船団を率いたエルカーノや通訳として「活躍」したマレー系の「奴隷のエンリケ」に焦点を当てて論じ、さらに最後の節「「ジパング」は、フィリピンだった?」説を紹介している。「第5章 「マゼラン後」の展開-ガレオン貿易とグローバル化」では、太平洋を往復することによって生じた「グローバル化」とその影響による「フィリピン人」の誕生を描き、「第6章 マニラと中国人社会、日比関係の源流」では、貿易の活発化が招いた中国や日本との関係が描かれている。

 「終章 大航海時代とマゼラン、そしてアジアのその後」では、最後の見出し「「大発見時代」と「大航海時代」」で、史観の転換をつぎのように論じて、終章を閉じている。「西欧中心史観に対する批判、歴史認識の抜本的な見直しを迫る動きは、とりわけ第二次世界大戦後に広がっていく。永く西欧による植民地支配下に置かれてきたアジアやアフリカの国々の独立、民族自決を求める運動の高まりが背景にある。「反帝国主義」「反植民地主義」を掲げた「アジア・アフリカ会議」が、インドネシアのバンドンで開かれたのは一九五五年四月だった。アフリカ諸国が次々に独立する一九六〇年代に入ると、旧宗主国のイギリスやフランスをはじめヨーロッパでも「西洋中心主義」への自己批判が繰り広げられる。そうした展開の延長として、新たな名称が求められた」。「「大航海時代」という用語は、日本では次第に広く定着するようになり、今日にいたる。しかしながら欧米では、現在もなお「大発見時代」が一般的に使用されている。「ヨーロッパ史こそが世界史」との意識は根深く残っているのである」。「それでも押し返し、押し返され、時に穏やかに、時に激しく、世界の各地で歴史の見直しを迫る動きは連綿と続いている」。「ささやかながら、私もそうした動きに連なりたいとの思いを込めて本書をまとめた」。

 「あとがき」で、著者の遍歴をつぎのように述べている。「私は、一九七〇年から七七年まで、フィリピンのマニラで遊学生活を送った」。「遊学後、私は仕事に就き、海外はアフリカを皮切りに東南アジアやオセアニアなどで勤務した。イベリア半島、セネガル、アンゴラ、モザンビーク、マラッカ、東ティモール、ソロモン諸島……。振り返ると、大航海時代と馴染みのある土地もあちこち訪ねた。しかし当時、そうした場所に行っても、喜望峰以外では、大航海時代に思いを馳せることはなかった。目先の取材をこなすのが精いっぱいで、気持ちに余裕がなかったからかもしれない」。

 これが著者の「大発見時代」ではなかったのか。そして、著者は「アジアの視点」から「大発見時代」側の資料を駆使して本書を書いた。「大発見時代」の向こうに「大航海時代」があった。資料の多寡、偏りはどうしようもない。それをダイバーシティ時代に、どう読むか。本書がその一例を示してくれた。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

ジョージ・アキタ/ブランドン・パーマー著、塩谷紘訳『「日本の朝鮮統治」を検証する 1910-1945』草思社文庫、2017年2月8日、378頁、1100円+税、ISBN978-4-7942-2259-6

 「文庫版訳者あとがき」に、スタンフォード大学の歴史学者ピーター・ドウス名誉教授の献辞の一部が、つぎのように紹介されている。「本書に啓発される読者もいれば、反感を覚える読者もいるだろう。だが、いずれの読者も、この未解決かつ重要なテーマに対する理解は確実に深まるのである」。本書は、2013年に刊行された日本語訳を文庫化したものである。

 本書の大半を記したジョージ・アキタは、「はじめに」でまず自分が研究を進めるにあたって「従ってきた一定のガイドラインについて」、つぎのように説明している。「読者各位は、1章を読み始めるとすぐに、本書執筆の資料とした諸文献からの引用を次から次へと読まされることになると気づかされることだろう。こうした叙述の仕方が読者を退屈させてしまう場合もあることを、私は十分心得ているつもりだ」。

 「それでも私はこの際、読者各位には少々大目に見ていただくようお願いしたい。なにしろ私は、まだまだ知るべきことが多いうえに、場合によっては読む人々の感情を激しく掻き立てる「日本統治時代の朝鮮」という、きわめて微妙かつ重大なテーマに取り組んでいるからである。また、読者各位は、私が近代日本の政治史研究を専門とする歴史学者であること、あるいは私が日系人であることから、この重要なテーマに関して、私が個人的な偏見や否定的な先入観を持っているのではないか、と当然のことながら感じられるかもしれない」。

 「そのような事態を可能な限り避けるために、私は本書の中で、韓国語あるいは英語を母国語とする朝鮮問題の専門家たちにできるだけ多くの意見表明の場を提供した次第である。もちろん、韓国および北朝鮮の人々や、民族主義的歴史観〔朝鮮民族の優秀性や自立性を強調する、いわゆる「民族史観」〕を信奉するその他多くの人々の微妙な感情を逆撫でするようなことは、もとより私の意図とするところではないし、共著者のブランドン・パーマー氏にしても、その点は同じことだ。また、当然のことながら、われわれの目的は日本を崇めることでもない。本研究が示す詳細な事実や分析によって、われわれが本書のために選んだタイトルが正しかったことが、必ずや立証されることを固く信じる次第である」。

 本書は、序文、はじめに、6部全18章、訳者あとがき、文庫版訳者あとがき、からなる。各章はわずか1頁のものから99頁まで長短さまざまで、各部と関連する論考を並べ、統一がとれていない。各部のタイトルは、つぎの通りである:「統治史研究の最前線」「統治の実相」「統治と司法」「日本の統治と近代化」「軍人と文官」「統治政策の評価」。

 最後の第18章「「九分どおり公平(フェア)」だった朝鮮統治」の最後の見出し「希望と可能性の地だった植民地朝鮮」は、つぎのように結ばれている。「もちろん、本研究は朝鮮において日本が行なったことを取り繕うことを意図してなされたものではない。だが、一方でわれわれは、日本による朝鮮統治を可能な限り客観的に検証した本研究の結果を通して、朝鮮・韓国系の人々が往々にして極端に偏見に満ち、反日的な歴史の記憶をあえて選択して記憶に留める傾向を、可能なことなら少しでも緩和するお手伝いをするべく努力してきた。その中でわれわれ二人にとって非常に印象的だったのは、朝鮮の近代化のために、日本政府と朝鮮総督府が善意をもってあらゆる努力を惜しまなかったという事実だった。だから日本の植民地政策は、汚点は確かにあったものの、同時代の他の植民地保有国との比較において、アモス氏の言葉を借りて言うなら、「九分どおり公平almost fair」だったと判断されてもよいのではないかと愚考するしだいである」。

 中国、韓国などからの留学生が大半を占めるところで教えていると、これらの大学院生が期待して受講したものと違う授業をわたしがしていることに気づかされる。民族史観教育を受けた者は、日本の民族史観教育がどのようなものか、知りたかったのである。このような大学院生相手だと、まず共通の知識、歴史観がないため、議論を中心としたアクティブラーニングを取り入れた授業になる。つぎに、学問のための研究とはどういうものなのかを理解してもらうことになる。近代歴史教育とは、国民国家の良い市民になるためであるから、民族史観教育になることは致し方ない。だが、学問は別だ。本書で、提示したいことも、研究のための検証である。教育のためではない。

 日中韓のフォーラムに何度か参加し、発表した。中国と韓国の研究者がいっしょになって民族史観丸出しで日本を攻撃の対象とするものと、それをまったく避けたものとに2分される。日本人研究者は、後者になる。前者のような講義を大学でもしていることは、学生をみていると明らかだが、学生は案外冷めて、わたしの授業を受けている。どこの国でも、自国中心の研究をする者が一定程度いる。だが、学問的成果に基づく研究の基盤整備をしておかなければ、学生も一般の人びとも歴史から離れていく。
 本書が重要な意味をもつのは、その基盤整備のために必要なことを、具体的事例をあげて論述していることである。本書は、日本語訳がまず出版されて、英語版は2015年に出版された。韓国語に翻訳されたのか知らないが、国際的に議論できるようになった。二国間関係で、当事国同士が議論しても客観的な成果は得られない。本書によって、今後の日韓関係史の発展が期待できる。

 それにしても、主権を奪われ肝心なことを自分たちで決められず、宗主国の豹変でどうなるかわからないような植民地支配を、いかに理由づけしても肯定的に捉えることはできない。著者も同じ思いだろう。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

NHKスペシャル取材班『ビルマ 絶望の戦場』岩波書店、2023年7月28日、287頁、2200円+税、ISBN978-4-00-024552-4

 本書を読んで、学んだことがある。戦争体験者がつぎつぎと亡くなり、直接話を聞けなくなっても、場合によっては体験者より実態に迫ることができるインタビュー調査ができることである。体験者本人が、無意識に話したことも、戦場の一断面として、生活のなかで聞きとっていた家族がいた。そんな人びとの協力で、本書は成り立っている。

 本書は、2022年8月15日夜10時にNHKスペシャル「ビルマ 絶望の戦場」として放送されたものがもとになっている。その概要は、表紙見返しに、つぎのようにまとめられている。「およそ三万の死者を出したインパール作戦。しかしその後の「撤退戦」で実に一〇万を超える命が奪われたことはあまり知られていない。勝算のない戦いに駆り出される兵士、逃亡する上層部-絶望の戦場の実態を、兵士たちの証言や英軍による将校への尋問調書などから明らかにする。大反響を呼んだNHKスペシャル、待望の書籍化」。

 本書は、序章、全8章、終章などからなる。序章「ビルマ戦 知られざる最後の1年」は、つぎのパラグラフで閉じられている。「「「最悪の場合」ではなく「当然の帰結」」「〝肉体的勇気〟とは異なる〝道徳的勇気の欠如〟。戦後八〇年を迎えようとする私たちは、ビルマの最後の一年から何をくみ取るべきなのだろうか。本書は、その「空白」に肉迫しようとした取材班の苦闘の記録でもある」。

 その「空白」は、つぎのように説明されていた。「インパール作戦後のビルマでの最後の一年間。戦史研究は当然行われてきたが、放送をはじめとするジャーナリズムの世界では、これまでなぜか「空白」となってきた。それは「インパール作戦」五部作などで無謀な作戦を世に知らしめた戦記作家・高木俊郎氏が後述のように、晩年、「ビルマ最後の一年」の全貌を書くことを望みながら叶わなかったことも、その要因の一つかもしれなかった。高木氏が遺した膨大な取材記録や元兵士の肉声からは、忘れられた戦場の忘れられた声が聞こえてくるようだった」。

 この人気戦記作家が、書かなかったことが、幸いしたかもしれない。戦記作家が書いたものは、ノンフィクションではない。記録に基づいたフィクションである。1995年の戦後50年に向けて多くの「戦記もの」が出版され、大手書店の入り口付近の目立つ場所に「戦記もの」コーナーがあり、人気作家は出版社に急かされて裏をとることなく書いて、出版されていった。けっして、学術的に参照できるものではない[早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、179-80頁参照]。戦場を体験した者の手記は古書店で高く売れ、戦記作家が買い漁った。出版されなかったため、取材班は先入観なく取材をおこなうことができただろう。

 取材で欠けていたもののひとつに、ミャンマー人研究者の声がある。これは、取材班の責任ではない。取材班も探しただろうが、見つからないからである。ほかの東南アジアの各国・地域でも似たような状況であるが、日本語の文献資料を使い、日本人研究者と日本語で議論できる研究者は皆無に近い。日本占領期を含む近代日本・東南アジア関係史は、まったくといっていいほど発展していない。東南アジアの研究者と同じ資料を使って議論できないので、この国際化のなかで日本人研究者も育っていない。アニメを日本語で読みたい、アイドルと直接交流したいと、日本語を学ぶ東南アジアの若者は数え切れないほどいて日本語検定試験には受験者が殺到するが、大学で学ぶことができる1級を受験する者はほとんどいない。東南アジアでは、日本語は研究用語としての地位を失っている。

 「あとがき」は、つぎのパラグラフで終わっている。「太平洋戦争の時代と、現代に連続性はあるのか。そこに発見がある限り、戦争について伝え続けることが私たちに課せられた使命だと改めて感じている」。だが、同じことを、戦場となった東南アジアの人びとが認識しないと、日本人の独りよがりのものに終わってしまう。戦場となった人びととともに考えることが重要である。

 本書を通じて感じたことは、現在起こっている戦争とも関連して、戦争中に起こったことをいくら糾弾してもあまり意味がないことだ。戦争犯罪だ、人道上の罪だと言って糾弾しても、戦争当事者の耳には届かない。つまり、問われるべきなのは、戦争をはじめたきっかけはなにで、なぜそれを止めることができなかったのかである。最大の戦争責任は、そこにある。本書のように戦争中に起こったことを伝えることは注目されやすく、もちろん戦争抑止に貢献する。だが、一般の耳目を集めなくても、基本的なことは伝えなくてはならない。そのための研究体制が、日本でも東南アジアでも整っていないことが、今後の製作に影響してくるだろう。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

戸ノ下達也『戦時下日本の娯楽政策-文化・芸術の動員を問う』青弓社、2023年8月14日、263頁、2800円+税、ISBN978-4-7872-2100-1

 本書の目的は、「はじめに」で、つぎのように述べられている。「満州事変期からアジア・太平洋戦争期に至る戦時期には、政治・経済だけでなく文化や人々の日常が総力戦体制構築とその遂行のために統制され、動員されていた。何より政府による統制、取り締まりや指導が徹底されていたのが、ほかでもない余暇・娯楽だ。この事実は、コロナ禍で、文化・芸術活動が制約され、飲食や旅行が規制されている現在、自民党・公明党の連立政権が続いている現在、そして戦争が現実になった現在を考えるうえでも非常に示唆的である。本書は、そのような問題意識を発端として、戦時期の娯楽政策を再考することで、現代社会に警鐘を鳴らそうという試みである」。

 「本書は、十五年戦争期の娯楽政策のありようを、主に筆者の問題関心である音楽文化の観点を中心に考察」し、先行研究はつぎの3つの視点から考察されてきたという。「第一は、映画、演劇、音楽、浪曲、レビュー、ダンス、メディアなど個々のジャンルの特徴を考察したものである」。「第二は、ジャンルを横断した考察で」、「社会状況や政策なども関連付けながら様々な文化状況を描いている」。「第三は、歴史学や社会学の観点からの戦時期の文化へのアプローチである」。

 だが、「これらの先行研究は、一次資料をひもときながら、戦時期の娯楽のありようをそれぞれの視点で丹念に考察」しているが、「内閣がどのような根拠に基づき、どのような目的や意識で娯楽政策を企画立案し、どのような手法で推進したのかという政策の実態については、そのプロセスを含めて十分に解明されているとは言い難い。何よりどのような根拠に基づいて政策が実施されたのかを明らかにしないと、戦時期の文化の全体像がつかめないのではないか」。

 「そこで本書では、文化統制に関わっていた内務省・府県警察と、戦時期のインテリジェンスや文化政策を推進した内閣情報部(一九四〇年十二月に情報局に改組)の政策を軸に考察し、①内閣が国策遂行のために「娯楽」をどのように活用したのか、②どのような役割を期待し、どのようなプロセスで政策を実施したのか、そして③その狙いを音楽界がどのように意識して対応したのかを見通すことで、国民の日常に欠かすことができない娯楽がどのように総力戦体制に組み込まれていったのか再考する」。

 各章の概略については、つぎのようにまとめられている。「第1章「戦時期の娯楽認識」では、戦時期に娯楽がどのように認識され位置付けられていたのかを、内閣の認識と娯楽状況の調査結果から概観する。そして第2章「満州事変期の娯楽政策」で、満洲事変期の娯楽政策を文部省と内務省の認識を確認したうえで、娯楽政策として展開したダンスホール(舞踏場)取り締まりとレコード検閲を軸に整理する。第3章「日中戦争期の変遷」では、満洲事変期の娯楽政策が日中戦争期に至ってどのような変遷を遂げていくのかを整理する。そして第4章「内閣情報部の娯楽政策」では、内閣情報委員会が内閣情報部、情報局と改組・拡充するなかで、どのような娯楽政策が推進されたのか、特に国民精神総動員運動に焦点を当てて考察する。第5章「アジア・太平洋戦争期の内閣の文化政策」では、アジア・太平洋戦争期の娯楽政策を推進した情報局と内務省を中心に娯楽政策に対する意識と具体的な施策を検証する。第6章「戦略的守勢から敗戦に至る文化政策」では、戦略的守勢期に展開した娯楽政策のあるようとその影響を、決戦非常措置要綱を軸に整理する。そして第7章「敗戦に至る娯楽政策」では、一九四四年後半から東久邇宮内閣に至る娯楽政策の状況を再考する」。

 そして、「おわりに」で、つぎのようにまとめている。「これらの政策は、商工省、内務省や警視庁・各府県警察、外務省、情報局がそれぞれの所轄に基づいて推進し、その政策が法令、閣議決定や閣議諒解、通牒などとして関係する業界の管轄団体や懇談会に示達され、これらの組織主導で具体的施策を立案・実行させていた。このように示達された政策は、ときに拡大解釈や自主規制をも伴いながら、国民生活を規制し強制となって実施されていく。特に内閣と立法が自らの政治課題を推進するために閣議決定や諒解、通牒によって、人々の娯楽や慰安に関わる音楽を通じた政策を遂行した結果、敗戦という国民の日常を破綻に導いた事実は、現在に通じる課題として再考すべき問題である」。

 さらに、つぎのように問題を指摘して、「おわりに」を閉じている。「具体的施策が閣議決定や、国会審議を必要としない政令や省令で対応される問題がある。そして公文書を残さない、管理しないという内閣の姿勢も糾弾すべきではないか。公文書が、政策の企画・検討や実施過程の記録と検証でいかに重要であるかは、本書で明らかにしてきた。これら最近の内閣のスタンスの危うさは、本書でも縷々述べてきた戦時期の娯楽政策の展開と共通するものであることを指摘しておきたい」。「あらためて私たちは、この歴史から学ぶことが大切なのではないだろうか。政治のありようを凝視し、二度と同じ過ちを繰り返さないために、何をなすべきか。しっかりと考え行動していかなければならない」。

 本書では、なんども新型コロナウイルス感染症が蔓延するなかでの「文化」政策にたいする疑問が呈されている。非常事態にたいして、目先しか見えない者と将来を見据えている者との差がはっきりとあらわれている。人間の本質を問う者と無頓着な者との差といっていいかもしれない。それが、国家の政策なら国家の本質というものが問われることになる。                                         


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
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早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

大森淳郎『ラジオと戦争 放送人たちの「報国」』NHK出版、2023年6月25日、573頁、3600円+税、ISBN978-4-14-081940-1

 もう30年以上前になるが、戦場に行ったNHKの技術者にインタビューしたことがある。「なにがいちばん印象に残っていますか?」という質問にたいして、「ラジオ放送で音が出たことです」と誇らしげに語った。自分に与えられた任務をまっとうし、お国のためになったと思ったのだろう、満足げだった。多くの人びとは葛藤もせず、時代に流され、目の前の仕事に没頭した。このインタビュー記録は、出版に際してボツになった。

 いっぽうで、職務に疑問を感じながら、葛藤した人びとがいた。本書は、「アジア・太平洋戦争に直面した「放送人」たちの矜持や高揚、困惑や懊悩、才智や創意、そして諦念を克明に追い、戦時下ラジオの責任に真正面から向き」あった成果である。だが、そのなかで多くの「ボツ」になったものがあったことだろう。

 著者に本書を書かせたふたつの理由が、「あとがき」で記されている。ひとつは、NHKのディレクターとして、住民殲滅作戦を指揮した日本軍の元中隊長の責任を追及し、厳しく事実を突きつけ、証言を求めたのにたいして、戦争を賛美し、若者たちを戦場に送るうえで大きな役割を担った日本放送協会の責任を問わずに済ませるのか、という思いがあった。

 もうひとつは、「NHKと政治との距離について視聴者から疑問視されることが一度ならずあった」ことで、つぎのような具体例をあげている。「従軍慰安婦の問題について考えようとした『ETV2001』の改変は衝撃だった。後の裁判でも認定された外形的な事実だけを記すが、編集作業の最終段階で、NHK上層部の人間(通常は個別番組の編集に口を出すことはない立場である)が安倍晋三内閣官房副長官(当時)と会ってその番組について話をしたあと、幹部が制作現場に編集の変更を命令し、その結果、被害女性の証言や、昭和天皇および日本政府の責任に言及した部分などが削除されたのである。番組の担当デスクは二〇〇五年に記者会見を開き、改変の経緯を明らかにした。私たち職員有志は、検証番組の放送を求めて集会や話し合いを重ねたが、結局、実現できなかった」。「その後、事態の重大性を訴え続けた担当デスクと担当プロデューサーは放送現場以外の部署に異動となり、後に二人ともNHKを去った」。

 著者は、2016年からNHK放送文化研究所の研究員となり22年に退職して、退職後に本書を出版した。まだ40代だった内閣官房副長官は、このとき「権力」の味を知ったのか、「忖度」される存在になり、白昼演説中に銃撃された。このとき止めていれば、ここまで権力に酔うことはなく、悲惨な最期を遂げることもなかったかもしれない。

 本書の結論は、最終章の「第8章 敗戦とラジオ」の最後の節の「7 何が変わらなかったのか」に、つぎのように書かれている。「日本の政治権力は変わらなかった。放送への、とりわけ公共放送NHKの影響力を保持しようとしてきた。そして、そういう権力に同調する勢力がNHKの内部に存在し続けたことも変わらなかったことである。すべての番組が政府協力の一線で統一されていなければならないと放送現場に通達した企画委員会の委員たちはその典型であろう。彼らとて戦時ラジオ放送を肯定していたわけではないが、彼らにとってそれが否定されなければならない理由は、政府の政策が間違っていたからであり、日本放送協会が政府にコントロールされていたからではない。彼らにとって、「公共放送」の意味するところは、戦前・戦中と変わってはいない。それは、政府と一体となった放送のことだ」。

 本書は、序、時系列の全8章、あとがき、からなる。戦時下のラジオ放送といえば、通常1941-45年を指すが、「本書においては満州事変、日中戦争の時代も射程に入れる。戦時ラジオ放送は、太平洋戦争の開戦とともに突然始まったのではなく、日本と世界の間の軋轢・緊張の中で次第に形づくられていったものだからだ」。「本書では日本国内の放送に対象を絞った。現在、私たちが日々に接する放送に直結する国内放送こそ、まずしっかりと検証されなければならない」からである。そして、「最終章では敗戦後の占領期の放送も広義の戦時ラジオ放送として考察する。放送法に基づくNHKの再出発までを射程に入れることで、戦時ラジオ放送と戦後の放送との間の連続と非連続を考えたいからである。それは「放送の公共性とは何か」という、今日なお新しい問題と向き合うことにほかならない」。

 全体の内容は、つぎのように最終章でまとめられている。「本書では、戦時ラジオ放送を牽引した才能豊かな先輩たちが苦悩する姿を見てきた。ドキュメンタリーという新しいジャンルの可能性を切り拓きながら、結局は国策宣伝番組に回収されてしまった録音構成の作り手たち。組織人として生きるために、詩人の魂を封印するしかなかった多田不二。デューイやキルパトリックから学んだ民主的な教育を学校放送で実践しようとしながら、いつしか軍国教育の旗振り役になってしまった西村三十二。ラジオの指導性を追求し、挫折した奥屋熊郎。自分の心に背いて偽りの戦況ニュースを伝えるしかなかった柳澤恭雄……。戦時ラジオ放送の現場は、優れた才能の墓場でもあった」。

 そして、つぎのように続けて、最終章を締め括っている。「彼らを批判することはたやすい。だが、本書を閉じようとする今、私の胸を押しつぶすのは、「偉そうなことを書いてきたが、お前がその立場に立ったらどうしていたんだ」という苦い思いだ。そうなってからでは遅いのだ」。「逓信官僚・田村謙治郞は、日中戦争勃発の三年前、日本放送協会の職員に向けて「先ず第一にジャーナリストの思想を一掃しなければならぬ」と言い放った。太平洋戦争の最中、日本放送協会企画部長・横山重遠は、ラジオは「国家の宣伝機関」であり「チンドン屋」であると言い切っていた」。「権力がメディアを支配しようとすればどこまでやるのか。そして、メディアはどこまで腐り果てていくのか。戦時ラジオ放送は私たちに教えている」。

 この情報化時代に、腐り果てる前になにをすべきなのか。そのひとつは、本書で除外した海外放送だろう。「アメリカなどに向けた対敵放送、アジア各地に向けた宣伝放送、さらには外地放送局(朝鮮半島や台湾などの植民地、傀儡国家・満州、あるいは南方占領地などに作られた放送局)」でなにかおこなわれたのかを検証することで、これからの日本がおこなうべきグローバルな放送、地域のための放送、ローカルな放送から、あるべき国内放送がみえてくるかもしれない。国から離れることによって、政治に翻弄されない本来の「公共放送」がみえてくるだろう。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

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