早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2023年12月

武井彩佳『歴史修正主義-ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで』中公新書、2021年10月25日、250頁、840円+税、ISBN978-4-12-102664-4

 本書の内容は、表紙見返しと帯の裏に、つぎのようにまとめられている。「ナチによるユダヤ人虐殺といった史実について、意図的に歴史を書き替える歴史修正主義。フランスでは反ユダヤ主義の表現、ドイツではナチ擁護として広まる。1980年代以降は、ホロコースト否定論が世界各地で噴出。独仏では法規制、英米ではアーヴィング裁判を始め司法で争われ、近年は共産主義の評価をめぐり、東欧諸国で拡大する。本書は、100年以上に及び欧米の歴史修正主義の実態を追い、歴史とは何かを問う」。

 「序章 歴史学と歴史修正主義」の最後の見出し「歴史の政治利用」で、著者、武井彩佳は、本書の目的のひとつは、「「歴史の政治利用の何がいけないのか」という問に対しては、実はこれまできちんとした回答は示されていない。したがって、歴史的・政治的・法的な観点からこの問いに答えること」である、と述べて序章を締めくくっている。

 その前に、つぎのように説明している。「どうやら歴史修正主義の問題は、政治的な意図の存在にあるようだ。歴史の修正の目的は、政治体制の正当化か、これに不都合な事実の隠蔽である。現状を必然的な結果として説明するために、もしくは現状を批判するために、歴史の筋書きを提供する。これが「主義=イズム」としての歴史修正主義だ」。「歴史修正主義は、過去に関するものであるように見えて、実はきわめて現在的な意図を持つ。現在における歴史の「効用」が問題なのであり、いまを生きる人間にもたらされる利益がなければ意味がない。したがって歴史修正主義は本質的に未来志向である。歴史が修正されることで、将来的に取り得る選択肢も正当化されるからだ。こうして過去は現在と未来に奉仕させられる」。

 本書は、序章、全7章、おわりに、あとがき、主要参考文献、歴史修正主義関連年表などからなる。本書では、「主に第二次世界大戦以降の欧米社会の歴史修正主義について描き、分析していく。日本の歴史修正主義は次のような理由から扱わない。まず著者が西洋史が専門であること、次にヨーロッパで歴史修正主義の問題は、本書後半で見る歴史の否定の法規制とともに展開してきたためである。この枠組みが日本にはない。この点を意識せずに、歴史修正主義への社会の対応だけを見ると、大きな差があるように見えてしまう」。

 「本書ではまず、歴史学の観点から歴史とはどのように記されるのか、その基本的な姿勢や手段について述べる」。「次に、近代国家で歴史修正主義が登場し、概念化されていく、「歴史修正主義の歴史」を概観する」。「さらにナチズムとホロコーストという、二〇世紀の世界に決定的な影響を与えた出来事を経験した後、歴史修正主義は何を目的とし、どのような形態で現れたのか検証する。なかでも一九八〇年代以降にホロコーストの否定が拡散し、これに欧米社会が対応を迫られる経緯を追う」。「そして現在、欧米社会は歴史修正主義や否定論とどのように向き合っているのか、法による歴史の否定の禁止について考える」。

 そして、つぎのように付け加えて、「はじめに」を閉じている。「歴史修正主義は、表面上は歴史の問題を扱っていても、本質的には政治的・社会的な現象である。人々が引き寄せられる動機やきっかけはさまざまで、歴史とは無関係の個人的な利害など、まったく別の力学で言説が維持されることもある。メディアの責任も大きい」。「このため歴史修正主義はむしろ社会と民主主義との関係から考える必要がある。それは、真実を追究することの意義と、これに拠って立つべき私たちの社会の価値観に、再び立ち戻ることに他ならないだろう」。

 著者は、「あとがき」で「この本が意図し、問いかけた点」を3つあげている。「第一に、書かれた歴史とは何か、これに対して歴史修正主義とは何かを明らかにすることで、その二つを混同しない議論の基盤を作ることである。実証可能な歴史の記述と、歴史について書かれた「物語」とを、私たちは区別しなければならない。人文学的な知の衰退が語られて久しいが、専門的な学問として歴史学の復権が必要だ」。

 「第二に、欧米で歴史修正主義が登場してから、その勃興と衰退の一〇〇年を振り返ることだ。歴史の書き替えはそれ以前にもあったが、近代以降の国民国家が自分たちについての物語(ナショナルヒストリー)を持ったことが、歴史修正主義を生んできたと理解されたと思う。歴史が書かれるところに、歴史修正主義がある。その意味で歴史修正主義の歴史は終焉していないし、社会は常に新たな歴史修正主義を生み出していく」。

 「第三に、歴史に関する言説を法で規制することで、社会の歴史認識を「適正」な範囲に保つことは可能なのか、またそうすべきなのかを考えた。歴史修正主義は、歴史的な事実に対する攻撃より、この事実の上に構築された社会規範や制度に対する攻撃である。その意味で、本書が社会と民主主義の関係を問い直す機会となればよいと思う」。

 これらの問いは、日本にもあてはまるのか。著者は、日本について、「はじめに」で、つぎのように述べている。「日本では、歴史修正主義と否定論は必ずしも区別されていない。歴史修正主義は略して「修正主義」と呼ばれるが、これは否定論も含むかなり広い幅を持つ言葉として使われている。二つが区別されないがために、意図的に歪曲された歴史像が一つの歴史解釈として社会の一部で流通している現実もある。ただし本書では、日本の状況に合わせ、「歴史修正主義」という言葉は否定論も含む概念として使う」。「また日本では歴史修正主義をめぐる議論には、歴史家よりも政治家、ジャーナリスト、政治的な主張を持つ一般人などが参加し、実際には専門外の人々が論争の中心になっている。歴史家は政治的な論争に巻き込まれるのを避けようとして、もしくは根拠を欠く主張を論破する労力を無駄と考えて、距離を置く傾向がある。つまり、歴史学の外側で歴史をめぐる議論が行われている」。

 ひと言でいうと、歴史研究者の仕事が尊重されず無視されているということである。その意味で、本書は「序章」を「実証史学とは」ではじめていることは正しい。歴史学の仕事の理解抜きに、議論をはじめることができないからである。また、歴史教育について語っている、つぎの反語的説明ももっともである。「そもそも、特定の歴史を「正史」として認可印を捺して、全国津々浦までその浸透を図るのが歴史教科書である。公的な教育の目的がよき国民・市民の育成にあるならば、よき国民を育てるような歴史像を広めて何がいけないのか」。答えは簡単である。国民の形成に力を入れた国民国家の時代に作られた「国民のための歴史」が時代遅れになり、グローバル、リージョナル、ローカルな視点をもつ流動性のある市民が主流の時代に移り、排他的な「よき国民」が紛争の種になっているからである。政治利用は、もっぱら国民国家という枠組みのなかでおこなわれている。それが国益につながらないことを、政治家も国民も気づけば、政治的利用はされなくなる。政治的利用でだれがどのような利益を得られるかは歴史研究者の仕事ではないから、利用しようとする者が歴史研究の成果を無視するように、歴史研究者もそのような者たちの議論を無視するのである。国益とは何かを、広い視野のもとで、未来を見据えて考える必要がある。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第一期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

鳥井高編著『マレーシアを知るための58章』明石書店、2023年9月20日、376頁、2000円+税、ISBN978-4-7503-5639-6

 「時代は流れてアジア・太平洋戦争前の時期には当時の英領マラヤ(シンガポールを含む)は東南アジアの中でフィリピンに次ぐ日本人の重要な移民先となっている」と、「おわりに」に書かれている。だが、日本とその「重要な移民先」との関係は、本書から伝わってこない。このことに編者は気づいていたのだろう。「おわりに」で、15世紀からの日本との交流を足早にたどっている。

 なぜ、書かれなかったのか。答えは簡単である。書くにふさわしい人がいなかったからである。事典のような網羅的に事項を羅列するものは、バランスをとって全体を理解してもらうことが重要であるが、現実には書ける執筆者にあわせて項目が立ち、字数が決まる。書ける人がいなければその項目はなくなるし、よいものが書ける人がいると字数は増える。マレーシアだけではない。東南アジア各国・地域で、戦前の日本との交流史を書ける者は、もう40年も前から固定している古手以外ではほとんど見あたらない。戦前の日本の文献を読むより、英語を読む方が楽だという者が多くなったこともひとつの要因だろうが、もっとほかにもあるだろう。その原因を考えることが、今後の日本と東南アジアとのことを考えるために重要なことかもしれない。

 本書は、「エリア・スタディーズ」シリーズの第199冊目として出版された。ASEAN加盟10ヶ国のなかで最後である。11ヶ国目になりそうな東ティモールも、すでに出版されている。本書は、「日本社会での認知度や日本経済とのつながりが強くなったマレーシアではあるが、これまでにマレーシアに関する包括的な概説書は1983年と1992年に刊行されて以来、類書の刊行はなかった。こうしたギャップを埋めるべく」企画された。

 「企画・作成にあたって歴史、政治経済、外交、何よりもマレーシアの人々の生活に力点を置くことにし」、「宗教、言語、文学、ファッション、娯楽など幅広いテーマを扱うこととした」。そして、「4つの基本視点を設定した」。「第1がマレーシアが①半島部マレーシアと②ボルネオ島という地理的には東西に広がり、歴史的には別の道を歩んできた2つの世界から構成されているという視点である」。「第2がマレーシアを構成する人々である。この国はマレー人を中心とするブミプトラ、華人、インド人という主要民族から形成された、といってよい。しかし、先住民やポルトガル人の子孫、タイとの国境に住む人々など他にも様々な人々からなるのがマレーシア国民である」。「第3の視点がマレー人を主体とするブミプトラ優遇を基調とする、いわゆるブミプトラ政策という視点である」。「第4の視点が国の規模である。マレーシアが相対的に「小規模な国」であるという点である」。

 本書は、はじめに、5部、全58章、8コラム、おわりに、などからなる。「Ⅰ マレーシアの成り立ち」は、第1-12章、コラム1-2からなる。「第1部では多民族国家であるマレーシアの形成過程をオーソドックスにたどることを目的とした。自然環境に始まり、マレーシアの原型の1つとなるマラッカ王国を起点とし、イギリスの植民地支配から独立まで、そして歴史的な転換点である「5月13日事件」までの流れを扱う」。

 「Ⅱ 人々の生業と生活」は、第13-34章、コラム3-5からなる。「第Ⅱ部では多民族社会で暮らす「人間」に焦点を当て、マレーシアの人々がどのように生活を営んでいるのか、そして日常生活の中でどのように「多民族社会」という要素が反映されているのかを映し出す」。

 「Ⅲ 政治・行政の仕組み」は、第35-42章、コラム6からなる。「Ⅳ 経済の仕組み」は、第43-55章、コラム7-8からなる。「Ⅴ 「小さな国」の周囲との関係」は、第56-58章からなる。「第Ⅲ部は政治、第Ⅳ部は経済の側面である。そして第Ⅴ部がマレーシアを取り巻く外部環境を扱った。ともに「5月13日事件」というマレーシアの大転換以降を主に扱う。簡単に基本枠組みを説明しておこう。「5月13日事件」を収集すべく非常事態宣言を解除したのちに、アブドゥル・ラザク率いる政府は連邦憲法第10条などを改正した。この改正により本来民族間で争点となるはずの4点が国会の場を含む議会制民主主義の枠組みから外された。すなわちマレー人の特別な地位、市民権、国語としてのマレー語、スルタン及び国王の地位と権限に関する規定である。これらは「敏感問題」と総称された。このように、まず議会政治のルール変更を行った。次いで、そのルールの下で政治を展開する主体にも変更を加えた。BN[国民戦線]体制の樹立である。半島部からは主要構成民族を代表する政党、またボルネオ島からは地域代表政党をそれぞれ出し、あたかも与党の構成がマレーシアの社会構造を反映するかのような「擬制」を作り上げた。連邦憲法改正とBN体制に支えられ、マレー人優遇を基調とするNEP[新経済政策]を実施していくことになる」。

 各章は4-7頁からなり、最後に4点程度「参考文献」が掲げられている。だが、巻末に「参考文献・資料」一覧がないため、「おわりに」にある1983年と1992年に刊行された「包括的な概説書」がなになのかわからない。章によって、参考文献がないものがあったり、古いものがあげられたりしている。巻末の一覧によって全体像がわかるので、ぜひ加えてほしかった。索引もあれば、もっと使いやすい。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
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早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第一期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

藤谷浩悦『井上雅二と秀の青春 一八九四-一九〇三-明治時代のアジア主義と女子教育』集広舎、2019年1月1日、420+48頁、4500円+税、ISBN978-4-904213-66-7

 何十という著書があり、その著書にあきらかに日記によったものがあり、その日記自体が公開され、さらに索引には多々有名人の名があって、研究のための資料には事欠かないと思われるにもかかわらず、井上雅二(1877-1947)にかんする研究はほとんどなく、安直にその航跡を知ることはできない。本書によって、70年の人生のわずか10年であるが知ることができて、研究の第1歩が踏み込めたようだ。それだけでも、本書の意義は大きい。

 秀(1875-1963)については、2015年下半期のNHKの「朝ドラ」「あさが来た」を観た人にとっては、「こういうことだったのか」と改めて知ることができる。ドラマの主人公のモデルである広岡浅子は、本書に索引から20ページにわたって登場する。

 本書の概要は、帯の裏につぎのようにまとめられている。「日清戦争後、日本は国際社会に躍り出ながら孤立を深め、国内では未だに女性の教育機会が男性に比べて著しく制限されていた時代、若き夫婦が将来を見据えて、懸命に進むべき路を模索していた。一人は荒尾精に師事し、東京専門学校(現在の早稲田大学)に学び、アジアの連帯を求めた井上雅二、もう一人は成瀬仁蔵に傾倒し、日本女子大学の一期生となり、女子教育の発展に尽くした井上秀である。二人はこれ以降、アジアだけでなく、世界を舞台に活躍し、明治、大正、昭和の一時期を駆け抜けた。本書は日本の外務省文書、井上雅二日記、明治時代の新聞や雑誌の記事を丹念に読み解きながら、この二人の青春期の苦闘を明らかにし、近代日本のアジア主義、女子教育の諸相を描き出したものである」。

 本書の目的は、「序論」でつぎのようにまとめられている。「本書は、井上雅二と秀の生涯のうち、一八九四年の日清戦争勃発から一九〇三年の日露戦争前夜までの青春期の活動に考察を加え、あわせて一、日本のアジア主義者の思想と行動、二、日本の女子高等教育の展開、三、日本と清国、朝鮮、暹羅(タイ)の交流、以上の三点を跡付け、これまでの研究で未詳であった部分を明らかにすると共に、日本とアジアの多様な関係を浮き彫りにするものである。この場合、日本のアジア主義者の思想と活動は、東亜会や同文会、更に東亜同文会の成立と活動を中心に、日本の女子高等教育の展開は、日本女子大学校の設立を中心に、日本と清国、朝鮮、暹羅の交流は、日本のアジア主義者による清国、朝鮮、暹羅の改革への関与を中心に分析する」。

 著者、藤谷浩悦は、考察にあたって、つぎの3点に留意した。「第一点は、日本のアジア主義者の思想と行動、特に東亜会、同文会、東亜同文会の成立と活動である。第二点は、日本の女子高等教育の展開、特に日本女子大学校の設立である。第三点は、日本と清国、朝鮮、暹羅(タイ)の人的交流、特に日本のアジア主義者の支援である。本書はこの三点の分析を行うことで、日本とアジアの多様な関係を跡付けた」。

 本書は、序論、4部全11章、結論、あとがき、文献目録、索引、などからなる。第一部「彷徨の日々(一八九四-一八九七)」は3章からなる。「第一章 郷里からの旅立ち-アジア主義と女子教育」では、「井上雅二と秀が丹波篠山で育ち、いかにして自立し、婚約をして、各々の道を選択していったのかが考察の対象になる。同時期は、井上雅二が鳳鳴義塾を出て、海軍機関学校を中退後、荒尾精と出逢い、荒尾精の薫陶を得て、台湾総督府民政局に勤務し、多くの体験をして、日本の植民地行政に関して教訓を得る一方、井上秀が父の井上藤兵衛の反対を押し切って京都府高等女学校に入学し、同校卒業後も郷里には戻らず、自立の道を模索した時期にあたる」。

 「第二章 井上雅二と秀の模索-禅とキリスト教、柔道」では、「井上雅二と秀が進路を選択するにあたり、周囲の人々からどのような影響を受け、進路を決定したのかに考察を加える。井上雅二は荒尾精から、秀は成瀬仁蔵から各々大きな影響を受け、共に生涯の師と仰いだ」。

 「第三章 雅二の修養、秀の勉学-結婚と別居生活」では、「井上雅二と秀の結婚前後の成長過程に考察を加える。同時期、井上雅二は東京専門学校で勉学に勤しむ一方、師・荒尾精の死という衝撃的な出来事を迎え、井上秀は京都府高等女学校卒業後、新たに勉学の道を進むことになる」。

 第二部「清国の改革への思い(一八九八)」は3章からなる。「第四章 井上雅二と東亜会-日清聯盟の展開」は、「日清戦争の敗北後、清国で改革運動が起こり、一八九七年一一月のドイツの膠州湾占領事件をへて、日本との連携を目指す動きが強まる過程で、井上雅二がいかなる行動を起こしたのか、また日本で成瀬仁蔵が日本女子大学校の設立計画を練り、資金集めに奔走する中で、井上秀がこれにどのように応じ、いかなる障害にあったのかに考察を加える」。

 「第五章 戊戌政変と日本の反応-康有為と井上雅二」では、「一八九八年、光緒帝が戊戌変法を発動し、井上雅二がこの視察、調査を目的として清国を周遊し、北京で戊戌政変に遭遇し、梁啓超、王照らの日本亡命を手助けする過程、及び日本の女子教育の普及及びキリスト教宣教師の影響を受けて、清国で女学堂が設立される経緯に考察を加える」。

 「第六章 日本亡命者の処遇問題-東亜同文会の設立」は、「日本のアジア主義民間団体が康有為、梁啓超、王照らをどのように処遇し、また井上雅二がこれにいかに対応したのか、また成瀬仁蔵が失意からいかに立ち上がり、どのように日本女子大学校の設立に向けて活動を開始し、井上秀がこれにどのように呼応したのかに考察を加える」。

 第三部「青春の蹉跌(一八九九-一九〇一)」は3章からなる。「第七章 上海改革派と女子教育-前途への期待と不安」は、「井上雅二と秀の一八九九年の生活と行動を中心に考察する。井上雅二は同年、東京専門学校英語政治科を卒業し、秀との間に第一子、支那子を授かる。井上雅二は東亜同文会上海支部事務員の任に就き、上海の改革派と交流を深めた。また、井上秀も出産と日本女子大学校の設立準備に、慌しい時間をすごした」。

 「第八章 井上雅二と秀の転機-一九〇〇年の衝撃」は、「井上雅二が一九〇〇年の義和団戦争の最中に何を考え、唐才常の自立軍蜂起、孫文の恵州蜂起にどのように対応し、また井上秀が翌一九〇二年四月の日本女子大学校の設立を控えていかなる準備を行ったのかに考察を加える」。

 「第九章 欧州留学と女子大学校-井上雅二と秀の決意」は、「井上雅二がなぜ、ウィーンを留学先に選んだのか、ウィーン留学で何を考え、いかなる体験をしたのか、また井上秀が日本女子大学校の開校でいかなる役割を果たし、どのような教訓を得たのかに、考察を加える」。

 第四部「再起と実践(一九〇二-一九〇三)」は2章からなる。「第一〇章 アジア周遊と家政学-井上雅二と秀の曙光」は、「井上雅二が中央アジア周遊を志した動機と経緯、及び中央アジアで経験した事柄、更に日本女子大学校の設立がアジアに与えた影響に考察を加える」。

 「第一一章 井上雅二と秀の再会-ドイツ、ロシア、暹羅、韓国」は、「井上雅二が一九〇三年初頭、ロシアとブルガリアを訪問し、バルカン問題をいかに捉え、バルカン問題が東アジアに及ぼす影響をどのように見て、更に帰国後、いかなる活動を行ったのかに考察を加える」。

 そして、「結論」では、「一 井上雅二とアジア」「二 井上秀と女子教育」を、それぞれまとめた後、「三 今後の課題」で、「井上雅二は、世界の大勢を見据え日本の進路を定めたグローバリストとしての側面と、明治政府の急速な欧化政策の反省に立ち、日本固有の文化の復興を説く国粋主義者としての側面の、二つを兼ね備えていた」、いっぽう「井上秀は、陽明学や禅、キリスト教を、自己犠牲、克己心などの特徴において、高い次元で一つに融合させて受け止めていたように思われる」と総括し、つぎのように「今後の研究課題」をまとめて締めくくっている。

 「井上雅二の足跡の全体像はこれまでの歴史研究の枠組みを大きく逸脱しており、このことが従来、井上雅二に関する研究の蓄積の少なさとなって現れてきたように思われる。ただし、近年の歴史研究の枠組みの変化は、井上雅二の足跡にも新しい光を当てつつある。いわば、歴史研究の枠組みの変化は新しい歴史的事象の発見を促がし、新しい歴史的事象の発見は歴史研究の枠組みの変化をもたらすのである。この相関関係は、井上雅二だけではなく、井上秀についても同様に指摘することができる。明治期の女子教育は、欧米の、特にキリスト教宣教師の強い影響の下に始まった。そして、このことが、女子教育研究に欧米の女子教育の観点を内包させる一因にもなった。日本の女子教育研究もこれにより大きく進展したが、光のあてられる部分と共に、光のあてられない部分も多く残す結果になった。このような研究の枠組み、新しい観点の模索は、成瀬仁蔵は井上秀に対して、何故あれほどまでに強く家政学を究めるように勧めたのか、家政学が日本の女子教育全体の中にいかなる位置を占め、更にこの日本の女子教育が他のアジア諸国にどのような影響を与えたのかという点とも深く関わるものである」。

 本書の「索引」には、膨大な数の人名が並び、ふたりの青春がこれらの人びととの出逢いであったことがわかる。とくに井上雅二にかんしては中国人などの名が連なり、索引にはないがタイやシンガポール、フィリピンなど東南アジア、中央アジアにも関連していた。これまで、個別に論じられていたことが、井上雅二という個人の行動を通じてつながっていたことがわかってくる。

 「井上雅二日記については、本書とは別に、詳細な注釈を付して、一書にまとめ、出版したいと考えている」と「あとがき」に書かれているが、1904年以降のふたりの言動にもとづいた続編も大いに期待したい。


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池尾愛子『天野為之-日本で最初の経済学者』ミネルヴァ書房、2023年12月30日、287+6頁、2800円+税、ISBN978-4-623-09603-9

 「彼を知らずして「日本の経済学」は語れない。」と帯に大書してある。早稲田大学に関係していても、創立者のひとりで第2代学長の名はあまり知られていない。学内の施設にも、大隈重信(1938-1922)のほか小野梓(1852-1886)や高田早苗(1860-1938)といった創立者のメンバーの名を冠したものはあっても、天野為之(1861-1938)のものはない。

 著者、池尾愛子は、天野研究が遅れた理由を、つぎのように4つあげている。「第一に、明治期の独特の漢文調日本語と漢字カタカナ交り文が後の読者・研究者の理解を阻んでいた。第二に、学長職をめぐって対立があり、天野は一九一七年(大正六)年一〇月に早稲田大学を辞職したので、同大学にはほとんど資料が残っていない。第三に、一九二三年九月一日の関東大震災により天野宅は全焼し、多くの図書・書簡・史料も焼失した。第四に、天野が校長職を務めた早稲田実業学校は、第二次大戦末期の空襲により全焼した」。

 それでも、1950年に唯一の伝記が出版され、序文で「経済学の巨星とされる福田徳三」が「明治期の三大経済学者として、福沢諭吉、田口卯吉」と並んで天野為之をあげたことに言及した。しかし、「福田博士の天野称賛の弁を裏付けるまでには至らなかった」ことから、著者はこの「やり残したことを遂行することを目標にして、天野の経済学、様々な社会的活動、立ち位置を中心に、歴史的背景や知的環境とともに描き出すような評伝を書こうとした」。そして、「天野為之の研究を進め、本書になる論文や原稿を執筆していると、天野の経済思想と経済学の先駆性、政策論議での先見性に改めて気づくことになった」。「「天野の先駆性はどこから来たのか?」「なぜ天野は先見の明をもてたのか?」という謎めいた疑問がわいてきた。こうした疑問をかかえて」「唐津を訪問すると、答えのヒントがみえてきた」。

 本書は、はしがき、全8章、参考文献、あとがき、天野為之年譜、人名・事項索引などからなる。著者は、「怒濤の時代を生き抜いた」天野の人生を、「各章ではわかりやすく説明できる事柄を先に書き、細部については後段に書いて、時間的順序に従っていない部分がある」。「明治時代についての研究が進むことを祈って関連する情報を盛り込むように努力した。巻末の参考文献には関連定期刊行物一覧を含めた。明治期やそれ以前の経済思想研究がよりいっそう進むことを心から願っている」。また、「日本経済思想史学会に参加していると、江戸時代の日本では、地域ごとの経済的特性したがって経済思想的特性がちがっていることに気づかされ」た。

 それゆえ、第一章「天野為之と唐津」は「天野が少年時代を過ごした北九州の唐津」からはじめることになり、「豊臣秀吉が活躍する頃からの歴史をたどることにした。天野と唐津の少年たちが、将来の日銀総裁、総理、蔵相になる高橋是清から英語を学び、高橋の背中を追って東京に出て活躍する機会を広げたことも注目される」。

 第二章「英語での経済学」では、「天野が新設まもない東京大学において、アメリカ人アーネスト・F・フェノロサ(略)から経済学や政治学、西洋哲学史を英語で学んだことをみる。そのときの経済学教科書はイギリス人J・S・ミル(略)の『経済学原理』(略)であった」。
 第三章「日本の伝統への視線」では、「天野や彼の同世代人たちが英語で専門科目を学んだあとで、日本の伝統にも視線を注いだことをみる。天野の同世代人たちは、新しい日本で使えるものを過去から探して、二宮尊徳を見つけ出した」。

 第四章「天野為之の経済原論」では、「天野の『経済原論』(一八八六c)と、それが進化を遂げた版『経済学綱要』(一九〇二)をとりあげる。天野の『経済原論』は彼の経済学の要であり、第二次大戦後に複製版が出されるなど、歴史的にある程度注目されてきた。天野経済学の発展の成果である『経済学綱要』は同時代の人々には注目されていた。彼は二宮尊徳の思想を自身の経済学の枠組みに取り込んでいった」。

 第五章「政府の商業政策(商政標準)」では、「天野流の自由経済思想がもっともよく表れた『商政標準』(一八八六d)を検討する。同書の背景、歴史的文脈を探求してゆくと、二つの出来事と重なる時期であったことに気づく。第一に、天野の唐津での英語の先生であった高橋是清が初代の商標登録所長と専売特許所長として活躍しようとしていた時期であった。第二に、利益がうまく上がらない、あるいは、従業員リーダーを育てるなどの役割を終えた官営事業が払い下げられようとしていた時期と重なっていることが浮かび上がってきたのである」。

 第六章「『東洋経済新報』と経済策論」と第七章「金融政策論と人材育成」では、「天野の『東洋経済新報』を通しての活躍をとりあげる。その手本はイギリスの経済誌『ロンドン・エコノミスト』(略)であった」。「天野の租税論議は高い評価をうけ、外交と貿易に関しては「日本と清国の貿易を振興し、両国の経済力を強化して世界の経済競争に備えよう」という主張は斬新であった」。「一九〇四年の早稲田大学商科設立の背景には、経済教育や実業教育(人材育成)の重要性が認識されたことが大きいであろう」。

 第八章「天野為之の復権」では、「天野為之についての論評や研究を、彼の人生を交えて展望することによって締めくくっている。天野については、彼の同世代人や彼より若い人が論評していただけではなく、歴史家たちも研究対象とし始めていた」。

 副題の「日本で最初の経済学者」については、「はしがき」でつぎのように説明している。「天野為之は、「大学教育を受けたうえで、大学等で経済学科目を教え始めた最初の日本人」であり、明治時代にベストセラーとなる自著『経済原論』を出版し、常に新しい経済書と経済論文を和文と英文・英訳で読み続け、日本の経済問題をみつけては経済学を使って分析し解決を目指して、経済論議と経済学講義をアップデートしていたのである。それゆえ、「日本で最初の経済学者」と呼ばれる資格をもっている」。

 「天野為之を研究するためには、彼が長年教鞭を執っていた早稲田大学にいなくてはほぼ不可能であろう、と囁かれてきていた」という。著者は、「早稲田大学に着任してから一二年めにようやく天野研究に着手でき、さらに着手してから一二年めに天野伝の原稿をなんとか脱稿することができた」、と「あとがき」で述べている。

 早稲田大学は、現在在籍者数5万、専任教職員数2000を超える大所帯である。玉石混淆のなかで多くの逸材を輩出し、大量の資料をかかえているが、充分に利用されているとはいえない。本書が示したように、早稲田大学にかかわるだけでなく、日本さらには世界にも広がる研究ができるだけのものがある。学長・総長経験者でも、ほとんど知られていない人もいる。本書でも、1917年の「早稲田騒動」のあと、第3代学長に就任した平沼淑郎の名はまったく出てこない(弟は1939年に首相になる平沼騏一郎)。

 「早稲田騒動」の影響は大きかった。天野為之本人が大学を追われただけでなく、「天野派」の中心人物のひとりとされ、教授を解任された原口竹次郎は、05年の第1回卒業生総代だった。その後、大隈重信の口利きもあって台湾総督府に職を得、日本の「南方関与」の最前線に立つが、当時すでに早稲田大学卒業生では、15年に設立された南洋協会の事実上の創設者の井上雅二がマレー半島で護謨農園をはじめていた。14年にシンガポールで日刊『南洋日日新聞』を創刊した古藤秀三は、大隈重信に請願書を送り、新装版発刊時には祝電を得ていた。早稲田大学の名声はシンガポールにも及び、偽卒業生まで出没した。南洋調査・視察の途上で、あるいは欧州航路で寄港した関係者が講演し、歓送迎会が催された。早稲田大学校友会新嘉坡支部を拠点として、天野経済学を学んだ者やその「弟子」が南洋で実践していた。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

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