武井彩佳『歴史修正主義-ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで』中公新書、2021年10月25日、250頁、840円+税、ISBN978-4-12-102664-4
本書の内容は、表紙見返しと帯の裏に、つぎのようにまとめられている。「ナチによるユダヤ人虐殺といった史実について、意図的に歴史を書き替える歴史修正主義。フランスでは反ユダヤ主義の表現、ドイツではナチ擁護として広まる。1980年代以降は、ホロコースト否定論が世界各地で噴出。独仏では法規制、英米ではアーヴィング裁判を始め司法で争われ、近年は共産主義の評価をめぐり、東欧諸国で拡大する。本書は、100年以上に及び欧米の歴史修正主義の実態を追い、歴史とは何かを問う」。
「序章 歴史学と歴史修正主義」の最後の見出し「歴史の政治利用」で、著者、武井彩佳は、本書の目的のひとつは、「「歴史の政治利用の何がいけないのか」という問に対しては、実はこれまできちんとした回答は示されていない。したがって、歴史的・政治的・法的な観点からこの問いに答えること」である、と述べて序章を締めくくっている。
その前に、つぎのように説明している。「どうやら歴史修正主義の問題は、政治的な意図の存在にあるようだ。歴史の修正の目的は、政治体制の正当化か、これに不都合な事実の隠蔽である。現状を必然的な結果として説明するために、もしくは現状を批判するために、歴史の筋書きを提供する。これが「主義=イズム」としての歴史修正主義だ」。「歴史修正主義は、過去に関するものであるように見えて、実はきわめて現在的な意図を持つ。現在における歴史の「効用」が問題なのであり、いまを生きる人間にもたらされる利益がなければ意味がない。したがって歴史修正主義は本質的に未来志向である。歴史が修正されることで、将来的に取り得る選択肢も正当化されるからだ。こうして過去は現在と未来に奉仕させられる」。
本書は、序章、全7章、おわりに、あとがき、主要参考文献、歴史修正主義関連年表などからなる。本書では、「主に第二次世界大戦以降の欧米社会の歴史修正主義について描き、分析していく。日本の歴史修正主義は次のような理由から扱わない。まず著者が西洋史が専門であること、次にヨーロッパで歴史修正主義の問題は、本書後半で見る歴史の否定の法規制とともに展開してきたためである。この枠組みが日本にはない。この点を意識せずに、歴史修正主義への社会の対応だけを見ると、大きな差があるように見えてしまう」。
「本書ではまず、歴史学の観点から歴史とはどのように記されるのか、その基本的な姿勢や手段について述べる」。「次に、近代国家で歴史修正主義が登場し、概念化されていく、「歴史修正主義の歴史」を概観する」。「さらにナチズムとホロコーストという、二〇世紀の世界に決定的な影響を与えた出来事を経験した後、歴史修正主義は何を目的とし、どのような形態で現れたのか検証する。なかでも一九八〇年代以降にホロコーストの否定が拡散し、これに欧米社会が対応を迫られる経緯を追う」。「そして現在、欧米社会は歴史修正主義や否定論とどのように向き合っているのか、法による歴史の否定の禁止について考える」。
そして、つぎのように付け加えて、「はじめに」を閉じている。「歴史修正主義は、表面上は歴史の問題を扱っていても、本質的には政治的・社会的な現象である。人々が引き寄せられる動機やきっかけはさまざまで、歴史とは無関係の個人的な利害など、まったく別の力学で言説が維持されることもある。メディアの責任も大きい」。「このため歴史修正主義はむしろ社会と民主主義との関係から考える必要がある。それは、真実を追究することの意義と、これに拠って立つべき私たちの社会の価値観に、再び立ち戻ることに他ならないだろう」。
著者は、「あとがき」で「この本が意図し、問いかけた点」を3つあげている。「第一に、書かれた歴史とは何か、これに対して歴史修正主義とは何かを明らかにすることで、その二つを混同しない議論の基盤を作ることである。実証可能な歴史の記述と、歴史について書かれた「物語」とを、私たちは区別しなければならない。人文学的な知の衰退が語られて久しいが、専門的な学問として歴史学の復権が必要だ」。
「第二に、欧米で歴史修正主義が登場してから、その勃興と衰退の一〇〇年を振り返ることだ。歴史の書き替えはそれ以前にもあったが、近代以降の国民国家が自分たちについての物語(ナショナルヒストリー)を持ったことが、歴史修正主義を生んできたと理解されたと思う。歴史が書かれるところに、歴史修正主義がある。その意味で歴史修正主義の歴史は終焉していないし、社会は常に新たな歴史修正主義を生み出していく」。
「第三に、歴史に関する言説を法で規制することで、社会の歴史認識を「適正」な範囲に保つことは可能なのか、またそうすべきなのかを考えた。歴史修正主義は、歴史的な事実に対する攻撃より、この事実の上に構築された社会規範や制度に対する攻撃である。その意味で、本書が社会と民主主義の関係を問い直す機会となればよいと思う」。
これらの問いは、日本にもあてはまるのか。著者は、日本について、「はじめに」で、つぎのように述べている。「日本では、歴史修正主義と否定論は必ずしも区別されていない。歴史修正主義は略して「修正主義」と呼ばれるが、これは否定論も含むかなり広い幅を持つ言葉として使われている。二つが区別されないがために、意図的に歪曲された歴史像が一つの歴史解釈として社会の一部で流通している現実もある。ただし本書では、日本の状況に合わせ、「歴史修正主義」という言葉は否定論も含む概念として使う」。「また日本では歴史修正主義をめぐる議論には、歴史家よりも政治家、ジャーナリスト、政治的な主張を持つ一般人などが参加し、実際には専門外の人々が論争の中心になっている。歴史家は政治的な論争に巻き込まれるのを避けようとして、もしくは根拠を欠く主張を論破する労力を無駄と考えて、距離を置く傾向がある。つまり、歴史学の外側で歴史をめぐる議論が行われている」。
ひと言でいうと、歴史研究者の仕事が尊重されず無視されているということである。その意味で、本書は「序章」を「実証史学とは」ではじめていることは正しい。歴史学の仕事の理解抜きに、議論をはじめることができないからである。また、歴史教育について語っている、つぎの反語的説明ももっともである。「そもそも、特定の歴史を「正史」として認可印を捺して、全国津々浦までその浸透を図るのが歴史教科書である。公的な教育の目的がよき国民・市民の育成にあるならば、よき国民を育てるような歴史像を広めて何がいけないのか」。答えは簡単である。国民の形成に力を入れた国民国家の時代に作られた「国民のための歴史」が時代遅れになり、グローバル、リージョナル、ローカルな視点をもつ流動性のある市民が主流の時代に移り、排他的な「よき国民」が紛争の種になっているからである。政治利用は、もっぱら国民国家という枠組みのなかでおこなわれている。それが国益につながらないことを、政治家も国民も気づけば、政治的利用はされなくなる。政治的利用でだれがどのような利益を得られるかは歴史研究者の仕事ではないから、利用しようとする者が歴史研究の成果を無視するように、歴史研究者もそのような者たちの議論を無視するのである。国益とは何かを、広い視野のもとで、未来を見据えて考える必要がある。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第一期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。