早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2024年01月

山下清海『華僑・華人を知るための52章』明石書店、2023年4月5日、322頁、2000円+税、ISBN978-4-7503-5561-0

 いい「終活」をしている、といったら失礼だろうか。『横浜中華街』(筑摩書房、2021年)、『世界のチャイナタウンの形成と変容』(明石書店、2019年)、『新・中華街-世界各地で<華人社会>は変貌する』(講談社、2016年)、『世界と日本の移民エスニック集団とホスト社会』(編著、明石書店、2016年)、『改革開放後の中国僑郷』(編著、明石書店、2014年)、『池袋チャイナタウン』(洋泉社、2010年)などの著作を出してきた著者が、その知識と情報をフルに活かしてまとめたのが、本書だろう。索引を付ければ、事典になる。

 「「エリア・スタディーズ」は、各分野の複数の専門家による共著形式が多い」なかで、著者は本書が単著になった理由をつぎのように語り、つづけて本書の全体構成についてつぎのように説明している。「これは、世界各地で華人研究のフィールドワークに40年以上取り組んできた、私の華人に対する強い思いがこもっていると解釈していただけたら幸いである」。「全52章は、「華僑・華人とチャイナタウン」「歴史」「出身地と方言集団」「経済」「政治」「社会・教育」「食文化と生活」に7つのセクションからなる」。「多くのコラムも加えた。華人社会の臨場感のようなものが少しでも伝わってほしいとの私の願いからでもある」。

 これで「華僑:華人研究」の仕上げができた、と著者は思っているのではないだろうか。さぁ、これで著者は自由になった。これからは、バランスなどいろいろ配慮して書く必要もなくなった。どこか偏った研究から、神髄に到達できるのではないか、そんな期待を抱かせる。この「終活」はつぎへとつながる。

 このブログ史上、もっとも短いものになったが、本書は視野が広く内容が濃く、軽く読めて深く考えることができる好著である。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第一期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

阿部和美『混迷するインドネシア・パプア分離独立運動-「平和の地」を求める闘いの行方』明石書店、2022年2月28日、282頁、4500円+税、ISBN978-4-7503-5322-7

 国家とはなんなんだろうか。1960年にアフリカ諸国が次々に独立していったときの独立運動と今日の独立運動とは随分違う。世界でもっとも人口の少ない国はバチカンの615人で、 ローマ教皇によって統治されているという特殊性があるが、2番目のニウエは人口1888人、国際機関などの援助に頼る南太平洋の珊瑚礁の立憲君主制の国で、1974年に自治権を獲得して以来、人口は減り続けている状況で、国家を維持する基盤はない。そんな国の住民にとって、国家とはなにを意味するのだろうか。

 3-6位にもナウル、ツバル、パラオ、クック諸島と島嶼国が並び、その人口は12000-18000人である。これらの島じまに比べれば、パプア州は人口278万人(2010年)で「大きい」が、多くのエスニック・グループがあり、地理的に分断されて統一したアイデンティティはあまりない。そこに、豊かな資源を狙って、外部からいろいろな人たちが入ってきている。中央集権的な自治が整っていないなかで、どうなっているのか。そんなことを知りたくて、本書を開いてみた。

 「パプア紛争の特殊性」を要約すると、つぎのようになるという。「パプアは、歴史的にインドネシアの一部として存在しながら国民統合の問題を抱えているという点で、特殊な地域である。しかも、パプアはインドネシアの大多数の地域と人種的・文化的差異が大きく、パプアの人々の間にも強い結びつきが存在してきたとは言い難い。言語も文化も異なる多様なパプアの人々は、自らのエスニック・グループとその周辺のグループを除いて、相互交流が乏しい環境に置かれてきた。それにもかかわらず、従来パプア紛争について論じられる際、パプアの人々は分離独立を求める「パプア人」として一括りに扱われてきたのである」。

 本書の目的は、「分離独立運動の背景と、民主化以降の分離独立運動の実態を明らかにする」ことで、「具体的には、次の2つの問いを明らかにしていく」ことである。「すなわち、(1)パプア分離独立運動はどのような背景の下で生まれたのか、(2)民主化以降に展開したパプア独立分離運動は何を要求し、誰が牽引しているのか、という問いである」。

 つづけて、本書の意義は、つぎのように説明されている。「パプア紛争に関する情報は入手が難しく、先行研究も十分ではない。そのため、民主化以降のパプア社会に生じた変化を明らかにし、分離独立運動の実態を明らかにする本研究の成果は、貴重である。インドネシア国内の動向のみならず、海外を拠点とするディアスポラの活動を含めた民主化以降のパプア分離独立運動を対象とする研究は挑戦的な試みであり、日本国内ではほぼ研究蓄積がないため、本書を通して、パプア紛争解決を論じるための新たな視点を提供できるであろう」。

 本書は、序章、全6章、終章などからなり、第1章「パプア紛争の起原」と第2章「民主化移行期のパプア」で本書の第一の問い、第3章「パプア人による自治」第4章「パプアの地域開発」第5章「二極化するパプア」第6章「パプア紛争と国際社会」で第二の問いについて、明らかにする。

 そして、終章で、まず第一の問いにたいする答えを、つぎのように整理している。「パプア紛争は、パプア人の意思を表明する機会が奪われたインドネシアへの併合の経緯と、パプア人の基本的ニーズが充足されない状況が継続したスハルト政権期の対パプア政策を発端としている。インドネシア政府とパプアの関係に変化が生じようとした民主化移行期に、パプア人アイデンティティが広く共有されて分離独立運動が活性化した。しかし、メガワティ政権がスハルト政権への揺り戻しと見られる強権的な政策を実施した結果、パプア社会を統括するリーダーや組織が不在になり、パプア分離独立運動は分散したのである。民主化移行期の対話の成果である特別自治法を軽視したメガワティ政権は、パプアの人々にインドネシア政府に対する根強い不信感を植え付けた」。

 つぎに、第二の問いにたいして、つぎのように整理している。「パプアで発生した一連の暴動は、インドネシアの社会の根底にあるパプア人への差別的な眼差しに対する、パプア人の怒りが爆発した帰結である」。「パプア分離独立運動を解決するためには、第一にパプア人の政府に対する不信感を払拭する必要がある。そのためには、スハルト政権から駐留する国軍の役割を見直し、国軍や警察によるパプア人に対する人権侵害行為を撲滅しなければならない。パプア人の命が、国内移民と同様に尊重されて初めて、パプア人の基本的ニーズを充足する政策、つまりパプア人のコミュニティセキュリティを保障する新たな開発政策や、地方自治体の機能回復のための取り組みを始める土壌ができるのである」。

 最後に、つぎのようなパラグラフで、本書を閉じている。「本書では、パプア社会に重点を置いてパプア分離独立運動の考察を進めた。パプアには治安上の理由からアクセスが難しい地域も多く、今後取り組むべき課題は多い。序章でも述べたように、パプア人は一括りの集団として捉えられる傾向が強いため、パプア社会内部の動きについて外部から得られる情報は依然として非常に少ない。しかし、パプア地域の平和を実現するためには、より多くのアクターがパプア社会の実態を適切に理解しなければならない。パプア分離独立運動の研究の発展の重要性を付言して、本書の結びとする」。

 パプア州がこのままインドネシア共和国の1州にとどまるにせよ、分離独立するにせよ、一般インドネシア人の理解が必要だ。政府と軍だけでなく、すでに多くのインドネシア人が移住しているし、ビジネスなどでかかわりのある人びとがいる。そういった人びとの理解のうえで、今後を考える必要がある。また、独立するにしても、それですべてが解決するわけではない。ニューギニア島の東半分で1975年に独立したパプアニューギニアで、今月になって暴動が発生し死者が出て非常事態宣言が発令されたと報じられている。どうなるにせよ、人びとの生命の安全が保障され、人権が尊重されることが最低限必要だ。

 本書の内容とかかわりないが、物理的に読みにくい本だった。ページをめくるたびに2枚めくったのではないかと気になった。端々に「見てくれ」を考えて、紙を厚くし、行間を空け、長々と付録を載せるなど、「余計」なことをしてくれている。読者が気持ちよく読めるようにしてほしい。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第一期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

久志本裕子・野中葉編著『東南アジアのイスラームを知るための64章』明石書店、2023年3月15日、387頁、2000円+税、ISBN978-4-7503-5524-5

 「東南アジアのイスラームにフォーカスし、その歴史、国家や政治とのかかわり、社会における様々な広がりや人々の日常をトピックごとに紹介する」本書のタイトルが、「東南アジアのイスラームを知る」になったのは、つぎのような本をめざしたからである。「「東南アジアのイスラーム」というタイトルについて、違和感を覚える方がいるかもしれない。もちろん、イスラームはどれほど解釈が多様でも信者にとっては唯一のイスラームであり、東南アジアに「固有のイスラーム」が存在するわけではない。本書は、東南アジアに伝来し、長い年月をかけ定着していったイスラームと、東南アジアの人々や社会のかかわりのありようを示すことを目指している。クルアーンに書かれた神からのメッセージは不変だが、それがいかに東南アジアの地で人々に受容され、理解され、実践されてきたのか、またそれらが今、どのように変化しているのかを明らかにする」。

 また、本書が構想された背景には、つぎのようなことがあった。「東南アジアのイスラームを研究対象とする研究者は増えており、多数の優れた成果が出されているものの、多岐にわたるトピックを網羅的に学べる読み物はこれまでになかったからである」。

 「本書は全8部、64章と6つのコラムからなる。章ごと、部ごとに読むだけでなく、通して読むことで前述のようなステレオタイプ的見方をずらしていけるように構成されている。Ⅰ部[東南アジア・ムスリム社会の多様性とその歴史]では、あえて国民国家で分けずに歴史の記述をはじめ、植民地化と国民国家の形成という大きな変化の末に現在の東南アジアのイスラームの姿があることが強調されるようにした。Ⅱ部[信仰実践と日常生活]では、「堅苦しい」と捉えられがちな信仰と実践がいかに暮らしと生き方の中に溶け込んでいるのかを描いた。Ⅲ部[各国のイスラームと諸制度]では、国家の枠組みの中のイスラームの位置を論じ、Ⅳ部[イスラームと政治・市民運動]では、その中で起こったイスラームの管理や利用、一部の人々の周縁化などの問題と、それに対する市民の運動に光を当てた。Ⅴ部[イスラーム知識の伝達と教育]では、日々の暮らしから政治的活動まで様々な場面でムスリムが参照するイスラームの知識がどのように伝えられ、多様性が生まれてきたのかを、Ⅵ部[グローバル化の中の東南アジアとイスラーム]では、グローバル化の中での新たなイスラーム理解と実践、他地域との結びつきで、多様性がさらに変化するさまを描いた。Ⅶ部[人物を通じてみる東南アジアのイスラーム]では、各時代に活躍した人物の思想や行動、複数の人物の比較から、各部で描かれた諸側面を相互に結びつけて理解できるようにした。Ⅷ部[東南アジアのムスリムと日本]では、日本と東南アジアを行き来する人々がいかに両者の関係を作ってきたのかを描き、本書を通読した後で、ここまでに示してきた様々な側面を踏まえて今後日本の人々と東南アジアのムスリムたちがどのような関係を築くことができるのかに思いをはせられるように構成した」。

 なるほど、これだけ研究者が増え、内容も充実していることに、まず感心した。「一般向けの入門書として、各章とてもわかりやすく、かつ大変に読み応えのある議論が提示されていると自負している」と編著者が書いているのも頷ける。だが、それで満足してはいけないだろう。網羅的にトピックが選ばれ、「通して読むこと」で全体像がわかるようになっているが、断片の寄せ集めであることは否めない。それを補う工夫が必要だっただろう。ひとつは、巻末に文献案内を載せ、概説書から専門書まで紹介することである。もうひとつは、索引を載せることである。たとえば、マレーシアのアンワル首相は、何ヶ所かに出てくるが、索引があれば横断的に読むことができる。

 だが、もっと大きく補うためには、概説書を出すことだろう。「はじめに」で多出することばは「多様」「様々」である。そのような状況のなかで、どのように編集するか。『世界各国史 東南アジア史』(山川出版社、1999年)の「Ⅰ大陸部」と「Ⅱ島嶼部」は、まったく異なるスタイルをとっている。「大陸部」は2人の編者を中心に執筆し、それを補うようにそれぞれ専門とする者が加わって1書としている。それにたいし、「島嶼部」は編者を除く4人の執筆者(インドネシアを専門とする者3人、編者を含めフィリピンを専門とする者2人)が、それまで書いたことのない時代、地域に挑戦して、流れのある全体像を描くよう草稿を書き、4人で議論、検討して1書に仕上げた。どちらか、あるいは別のスタイルをとるにせよ、35人におよぶ本書の執筆者の総力をあげれば、いい概説書が書けるような気がする。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第一期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

西直美『イスラーム改革派と社会統合-タイ深南部におけるマレー・ナショナリズムの変容』慶應義塾大学出版会、2022年11月25日、276頁、5000円+税、ISBN978-4-7664-2858-2

 カトリック教徒が大多数を占めるフィリピンの南部にかつてイスラーム王国があり、仏教徒が大多数を占めるタイの南部にかつてイスラーム王国があって、ともに分離独立や自治権を要求する武装勢力がテロをおこない治安が悪く、行けないときがあった。フィリピンは日本の「援助」もあって自治権が拡大しようとしているが、タイはこのところあまり聞かれなくなってどうなっているのか。そんなことを考えながら、本書を開いた。

 本書の目的は、「はじめに」で、つぎのようにまとめられている。「思想的な背景や運動に着目するイスラーム主義研究の成果と、人びとのイスラームをめぐる価値観を社会や国家とのつながりにおいて理解しようとする人類学者の問題意識をふまえたうえで、タイにおけるイスラーム改革派の特徴と、改革派が深南部にもたらした変化について考察することである」。

 本書は、はじめに、全6章、おわりに、などからなる。

 第1章「タイ・ムスリムの創造」では、「まず、歴史、政治、社会的な背景をふまえつつ、タイによる統治と、マレー・ムスリムによる抵抗の側面から、深南部問題を概観して」いく。「タイでは、ムスリムを示す言葉としてケーク(客)がもちいられることがあるが、この言葉がタイ国家にとってムスリムがいかに他者であったかを象徴するものでもある。近代国家としての歩みをはじめたタイは、深南部のムスリムを統治するにあたって「タイ・ムスリム」を創造しようとしてきた。しかし深南部のムスリムの帰属意識は、歴史のなかで社会的に構築されてきたパタニ・マレーとしての帰属意識と深く結びついた概念でもある。本章では、タイ・ムスリムとパタニ・マレーのせめぎあいの変遷について検討する」。

 第2章「イスラーム伝統派と改革派」では、「タイにおけるイスラーム改革派の特徴を明らかにするため、ナショナリズムとイスラームをめぐる用語や概念を深南部の文脈をふまえつつ整理する。イスラーム復興のなかでも、とくにサラフィー主義は、世界のムスリム社会内部での対立の最前線として注目されている。タイにおいても例外ではなく、1970年代にイスラーム諸国に留学した指導者が率いたサラフィー主義が、マレー・ナショナリズム運動と対峙するようになっていった。本章ではさらに、サラフィー主義の信条や、その信条を実現する方法の違いに応じた類型を参考にしつつ、深南部のサラフィー主義、そしてイスラーム改革派を位置づける」。

 「伝統派か改革派かにかかわらず、タイのイスラーム指導者にとって大きな問題となってきたのは、イスラームをめぐる法制度と教育であった」。第3章では法制度を、第4章では教育を考察する。

 第3章「イスラームの管理統制とその限界」では、「タイにおけるイスラーム行政、イスラーム法制度の構築と、その限界について検討する」。「実際に紛争が生じたときに裁定が求められるのは村のモスクのイマーム(指導者)や県イスラーム委員会であり、参照される教義にたいする見解は、地域で著名なイマーム、バーボー(寄宿型のイスラーム塾であるポーノの指導者)によるものなど多岐にわたっている」。「人びとが参照する「見解」が、改革派と一部の伝統派で鋭く対立している例として、文献上でみられるジハードの解釈を比較」する。

 第4章「ポーノから学校へ-イスラーム改革派と教育の近代化」では、「タイ政府と深南部との相互関係のもとで構築されてきたイスラーム教育制度について検討していく。1960年代以降、伝統的なポーノの管理が強化され、タイ語での普通教育をおこなう私立イスラーム学校への改編が義務づけられた。このことが、一般的に分離独立運動が興隆した一因であると理解されている。1970年代以降、タイ南部国境地域のムスリムのニーズに対応するため、政府は公立学校における部分的なイスラーム教育の導入に踏み切った。タイ語でイスラーム教育をおこなうカリキュラムや、大学レベルでのイスラーム教育がしだいに整備されてきた。イスラーム教育の場が多様化するとともに、イスラームをめぐる価値観も変化している」。

 「世界のムスリム社会で観察されたイスラーム復興にかんして、女性のスカーフ着用やイスラーム政党、イスラーム銀行の増加から、イスラーム系武装組織の台頭に至るまで、さまざまなテーマが扱われてきた。第5章と第6章では、タイにおけるイスラーム復興を社会と政治の側面から検討していく」。

 第5章「イスラームが生み出す社会の亀裂」では、「まず、タイにおけるイスラーム復興を象徴する出来事であったスカーフ運動を中心に検討する」。さらに「改革派の影響が問題視されるとともに人びとに認知されるようになった「ビドア」という言葉を手掛かりに、改革派と伝統社会の関係について考察する」。

 第6章「イスラーム復興と政治」では、「深南部のムスリムによって結成された政治派閥やイスラーム政党のこころみについて述べたのち、あらためてジハードのとらえ方についてインタビュー調査をもとにみて」いく。「深南部の武器による闘争がジハードなのかという点についての考えを通して、人びとと国家やマレー・ナショナリズム運動との距離感について検討していく」。

 「終章」にあたる「おわりに-イスラーム改革派と伝統派の接近?」では、イスラームをめぐる価値観が変化していくことを意識しながら、「タイ深南部において、イスラーム改革派が変えた人びとと社会、国家との関係について本書の結論を述べるとともに、それを他のイスラーム地域や社会にどの程度敷衍できるか若干の考察を加え」る。

 その「結論」は、「おわりに」の端々で述べられている。まず、歴史的につぎのようにまとめている。「19世紀後半にはじまったシャム(タイの旧称)の行政改革を経て、1909年に締結されたシャムとイギリスとの領土確定条約をもって、マレー系のスルタン王国パタニが解体された。近代的な領域国家をめざすタイがこころみてきたのは、タイ・ムスリムの創造であった。しかしパタニ・ナショナリストの抵抗が成功したことによって、パタニ・マレーはタイの歴史に埋没することを免れた」。

 つぎに、教育においては「1980年代、ムスリムの海外流出を防ぐことを目的にイスラーム高等教育の導入が検討されはじめ、1990年代から2000年代にかけて、しだいに大学レベルのイスラーム教育が整備された」。

 そして、重要なことは、「ジハードをめぐる解釈」が「よりニュアンスに富んでいる」ことで、つぎのようにまとめている。「ジハードの解釈は、パタニ・マレーとしての帰属意識を表明することを可能にすると同時に、イスラームを強調することによってマレー・ナショナリズム運動から距離を取ることも可能としてきた。分離独立運動に何らかのかたちでかかわる人はもちろんのこと、市井の人びとは分離独立運動にたいしてマレー・ムスリムとしての共感を抱きつつも、さまざまなジハードがあり、そのための選択肢が与えられていると認識している。パタニ・マレーとしての帰属意識をもち、分離主義の理念に共鳴していたとしても、深南部における闘争がかならずしも宗教や信仰の側面からとらえられているわけではない」。

 最後に、「おわりに」の副題である「イスラーム改革派と伝統派の接近」について、つぎのように述べて、本書の結論としている。「深南部において、一見すると改革派と伝統派は、交わることのない世界に住んでいるかのようではある。タイ国内だけでなく、国外にいるマレー・ムスリムのあいだでも改革派と伝統派の違いが存在し続けていることも事実である。しかしイスラームの教えを実現することやムスリムの地位を向上させるという点において双方の目的に違いはなく、乗り越えられないほどの断絶ではないことも人びとのあいだで意識されるようになってきた。伝統派の一部を占める分離主義者が独立や自治を遂げてからイスラームに基づく統治の実現を目指すのにたいして、改革派はまず国家に浸透したうえでイスラーム化を目指そうとしてきたといえるかもしれない。一時コミュニティの断絶をもたらした改革派は、時間をかけてローカル化し、伝統社会の漸進的な変化をともないながら、しだいに村落部においても受け入れられるようになっている。イスラームの原典への回帰を志向する改革派の動きは、タイの文脈において紛争を回避し、マレー・ムスリムの社会統合を促進する方向で働いてきたといえる」。

 本書を読んで、すこし安心した。ジハードを武装闘争だけにこだわらず、平和裏に進めようとしていることで、それは近年のアセアンの経済成長と関係しているだろう。タイ国内での内戦になれば、経済的後退は避けられない。豊かさを知った人びとは、タイ国民国家の経済的豊かさを失うことの意味を理解しているのだろう。それは、ムスリムだけでなく、仏教徒も深南部の政治的不安定がタイ国家にとってマイナスのなることを理解しているからだろう。フィリピンでの成否のかぎは、キリスト教徒がどれだけ理解しているかにかかっているだろう。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第一期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

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