根本敬・粕屋祐子編著『アジアの独裁と「建国の父」-英雄像の形成とゆらぎ』彩流社、2024年2月16日、337頁、2800円+税、ISBN978-4-7791-2954-4
本書のキーワードは、主題にあるとおり「独裁」と「建国の父」である。この2つのキーワードの関係を、編著者のひとり、粕屋祐子は序章「権威主義体制における正統性問題と「建国の父」-比較分析試論」で、つぎのようの説明している。
「本書では、独裁(政治学用語では権威主義体制)における正統性問題を検討する手がかりとして、「建国の父」に着目する。どのような統治者も、何らかの形で統治の正統性、すなわち、統治される側から統治にふさわしいリーダーであるとみなされる状況を確保する必要がある。民主主義体制においては、選挙を経ることでリーダーには統治の正統性が付与される。一方で独裁においては、選挙以外の正統性訴求手段が重要になる。選挙があったとしても、その結果が公正なものとは認識されないことが多いからである。こうした状況において、権威主義リーダーにとっての正統性訴求手段の一つとして存在するのが「建国の父」シンボルである、というのが本書の基本的スタンスである」。
そして、「「建国の父」という権威主義体制における体制正統性の訴求手段は、本人及びその後の後継エリートにとってどのように構築・継承され、変容しているのか。これが、本書を貫く基本的な検討課題である」。
本書は、はじめに、序[章]、3部全10章、おわりに、からなる。「本書の骨格を紹介する」「序章では、正統性という概念を簡潔に定義したのち、権威主義体制研究における正統性分析の状況を示した上で「建国の父」に焦点をあてることの有用性を示す。こうした理論的位置づけののち、本書で事例分析の対象とする国と人物を紹介する。後半では、本書の各国分析で出された知見を比較するなかで浮かび上がってくる論点を検討し、今後の研究に向けての示唆を提供する」。
「はじめに-なぜ、アジアの独裁における建国の父に注目するのか」は、「本書の特徴」と「本書の構成」の2つの見出しからなり、後者では各部、各章の内容が紹介されている。
第Ⅰ部「神格化される「建国の父」」は3章からなり、「建国以来一党支配体制が続く国での建国の父を取り上げる。中国の毛沢東、北朝鮮の金日成、ベトナムのホー・チ・ミンである」。
第一章「中国 毛沢東のふたつの神話-「二万五千里長征」と「抗米援朝」」では、「一九三四年から二年間にわたる共産党とその軍の約一万二〇〇〇キロに及ぶ大移動」である「長征」と「朝鮮戦争の中国における呼称」である「抗米援朝」「の際の大衆運動を題材に、これらにおいて毛沢東の役割が党の方針によりいかに神格化されていったのかを分析する」。
第二章「北朝鮮 金日成-「偉大な首領様」の神話化」では、「北朝鮮国民に事実上の講読義務が課されている朝鮮労働党中央委員会機関紙『労働新聞』を詳細に検討する。同新聞における金日成の「業績」、肖像画や敬称の扱いをたどり、金日成の正統性根拠が「建国の父」であるのに対し、金正日と金正恩は金日成の「業績」を継承する者として正当化を図っていることを示す」。
第三章「ベトナム ホー・チ・ミン-偶像化が進む民族の慈父」では、「ホー・チ・ミンがベトナムの「国父」であるとのイメージがどのように作り出され、利用されてきたのかについて検討する」。「ホー・チ・ミン自身は自らを偶像崇拝の対象とすることを望んでいなかったが、ベトナムに社会主義を建設するため、さらには、党の指導の下に新たな国民国家を形成するためにあえて伝記等を通じた個人崇拝を本人と党が創っていった」。
第Ⅱ部「権威主義リーダーの交代と「建国の父」」は4章からなり、「建国後、民主主義から権威主義へ移行した国、または、建国以来の権威主義体制は継続しているが、異なるリーダー集団が政権の座についた国における国父を扱う。ミャンマーのアウンサン、カンボアジア[カンボジア]のシハヌーク、パキスタンのジンナー、そして、中央アジアに位置する国のうちカザフスタンのナザルバエフ、ウズベキスタンのカリモフ、トルクメニスタンのニヤゾフである」。
第四章「ミャンマー アウンサン-三二歳で暗殺された指導者の歩みと、独立後の顕彰のゆらぎ」では、「独立直前に暗殺されたアウンサンに関して、歴代の体制エリートがそれぞれの政治環境に応じて異なる扱いをしてきたことを示す。「建国の父」であるだけでなく「ビルマ国軍の父」という位置付けがされるアウンサンは、独立後の軍政期には顕彰が進んだが、一九八八年に生じた全土的民主化運動で彼の娘であるアウンサンスーチーがそのリーダーとして出現してからは、アウンサンの顕彰が控えられるようになった。二〇一六年から二〇二一年の軍事クーデターまでのアウンサンスーチー政権期には再び国父として称えられるようになる」。
第五章「カンボジア シハヌーク-復活を繰り返した長命な「建国の父」」では、「王家に生まれ独立直前には国王であったシハヌークが、独立後に独裁を確立するにあたりいかに自らの立場を「建国の父」とする制度化を進めていったのかを詳細する。これを受け、シハヌーク後の体制エリートたちが、シハヌークとの関係性に応じて彼の国父としての扱いを変えていったことが分析される」。
第六章「パキスタン ムハンマド・アリー・ジンナー-ムスリムの自由を求めた「建国の父」」では、「パキスタンのジンナーを分析する。英領インドの独立運動はパキスタン・インド分離独立という結末を迎えたが、その過程でムスリムのための政治的単位が必要だと主張したジンナーは、現在のインドでは「インドを割った男」であるが、パキスタンにおいては「建国の父」として揺るぎない地位にある。ジンナー死後の各政権では、軍政期を含め、ジンナーの建国理念であった立憲主義を否定するエリートは(イスラーム国家を理念としたジアーウル・ハク軍事政権の九年間を例外とし)現れていないと指摘する」。
第七章「中央アジア諸国 ナザルバエフ、カリモフ、ニヤゾフ-「建国の父」の威光はなぜ失われるのか」では、「中央アジアなかでもカザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンの三カ国における初代大統領の「建国の父」としての浮き沈みを検討する。彼らに共通するのは、ソ連解体後に個人独裁型の権威主義体制を長期にわたって敷いた一方で、死後・辞任後には後継者により比較的早急にその威光が剥がされたという点である」。「ソ連時代から引き継がれたある程度発達した官僚制が大統領権限と結びついていることから、後継者にとっては前大統領を国父として正統性訴求をする誘因に欠けていることがその主要な理由である」。
第Ⅲ部「民主化と「建国の父」」は3章からなり、「権威主義体制から民主主義への移行したコンテクストを扱う。具体的には、韓国の李承晩、台湾の蒋介石、インドネシアのスカルノである」。
第八章「韓国 李承晩-失墜した韓国の「建国の父」」では、「韓国の独立運動を主導し、初代大統領となって一九六〇年まで統治した李承晩の生涯と、彼の退陣後の軍政期及びそれに続く民主化後の時代における李承晩への評価に焦点を当てる。李承晩は選挙によって選ばれた大統領でありながら個人独裁化を進めたことで、その後に経済開発を正統性訴求手段とした軍政からも、また自由な選挙を重視する民主化運動からも否定されたと分析する」。
第九章「台湾 蒋介石-中華民国在台湾の「建国の父」」では、「一九四九年から台湾を統治することになった中華民国(国民党)政府の蒋介石に関し、自身がどのように「建国の父」像を演出したのか、さらには、民主化後に国民党から民進党政権に政権交代したのちに「移行期正義」の文脈でどのように蒋介石の評価が変化したのかを」分析する。
第一〇章「インドネシア スカルノ-インドネシアが求めた政治的役割」では、「インドネシアの国父スカルノに対する評価の変遷を辿る。一九四九年のオランダからの独立後に初代大統領となったスカルノであるが、一九五九年からは個人独裁に移行し、一九六五年のクーデタにより退陣した。その後実権を握ったスハルトは、スカルノの遺産を利用しつつも脱スカルノ化を進めたこと、また、民主化後には再びスカルノの功績を讃える動きが出てきていることを示す」。
「序章」の「おわりに」で、本書の「結論」にかわるのものが、つぎのようにまとめられている。「限られた事例からの抽出ではあるが、「建国の父」という体制エリートにとっての正統性訴求手段の創り方と使い方には、ある程度パターンがあることがわかる。国際的な体制の閉鎖性や権限の一極集中といった条件が「建国の父」の神格化を可能にするかも知れないこと。権威主義リーダーが別の権威主義リーダーに代わる際の政権掌握手段にその後の「国父」の扱い方は依存する傾向があること。また、独裁を敷いた「建国の父」であっても、その退陣の形態により民主化によって悪者にされる場合と、民主化と親和性を持って迎えられる場合に違いがあることなどである。これらの論点は、今後より多くの事例検討とともに精査される必要がある。同時に、本章で検討した以外のパターンの抽出も、今後の研究の課題として残されている」。
本書を通して読むと、「アジア諸国の近現代史を横断的に理解」することができる。南アジアのパキスタンや中央アジア諸国を加えることによって、東南アジアを含む東アジアの近現代史とは違うアジア史の一面が見えてくる。1840-42年のアヘン戦争にはじまる東アジア近現代史とも、1945-89年の冷戦期を背景としたものとも違う。権威主義体制のなかにも民主的なものが見え隠れし、民主主義体制のなかにも強いリーダーシップの必要性が感じられる。温帯の定着農耕民世界だけでなく、熱帯の海域世界から沙漠の遊牧民世界まで含んでいるアジアの多様性を理解するためにも、本書の横断的理解は役に立つ。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月(近刊)。
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第一期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。