早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2024年03月

佐藤考一『「海洋強国」中国と日・米・ASEAN-東シナ海・南シナ海をめぐる攻防-』勁草書房、2023年12月10日、504頁、8200円+税、ISBN978-4-326-30335-9

 帯に「海洋強国を目指す中国の海洋進出の狙いは何か。」「南シナ海で起きている中国の海洋進出にまつわる事件を詳細に分析し、いずれは起きるであろう、東シナ海での中国の行動に対する対処法を提案する。」とある。「解決法」ではなく「対処法」である。序章のタイトルは「本書の主張と内容構成」で、「目的」ではなく「主張」である。

 序章は、つぎの文章ではじまる。「中国の海洋進出が著しい。筆者は、戦争を避けたいという願いをもって、長年研究を進めて来たが、現状は戦争未満ギリギリの海洋紛争と呼ぶべきで、かなり厳しいところに来ている」。著者の佐藤考一は、もう中国の海洋進出を止めることはできず、「対処法」を提案するしかないというところまできているというのである。

 つづけて、本書の特徴をつぎのように3点、あげている。「本書では、2012年11月の第18回中国共産党全国代表大会で「海洋強国」を目指すことを公表した中国政府の海洋政策と、それに対する東シナ海、南シナ海の周辺諸国の2021年までの対応の比較を中心に扱う。特徴としては3点挙げられる。第一に、中国の海洋政策を扱った文献は少なくないが、東シナ海と南シナ海の双方を比較して論じた研究書はあまりない。東シナ海と南シナ海では、中国の主張と海軍・海上法執行機関の展開の仕方はかなり異なる。南シナ海で起きている衝突事件が現在は比較的穏やかな東シナ海でも、いずれは起きるであろうことを考えれば、前者での事例を研究して対策を立てることは極めて重要である。第二に、中国の海上法執行機関の抱えてきた問題と、その発展を体系的に迫った書籍が少ないことが挙げられる。本書では5竜と呼ばれた中国の5つの海上法執行機関のうち、交通部海巡を除く4つが統合され、中国海警局ができあがった過程を明らかにした。第三に、南シナ海での、アメリカの「航行の自由」作戦(FONOP)と、中・米の主張の違いを迫った論考が少ない。本書では、知り得る限りの事例を取り上げた」。

 本書は、序章、全7章、各章末のコラム、付属資料などからなる。第1章「中国はなぜ、海に進出するのか」では、「その理由を明らかにする。具体的には、巨大な人口を抱える中国がエネルギー・漁業資源を海に求めていることと、戦略潜水艦の核巡航などの安全保障上の要求があり、さらにそれらと結びつく、経済大国化によってもたらされたナショナリズムの高揚が生んだ海洋強国志向が、その理由である」。

 第2章「中国海軍と中国の海上法執行機関・海上民兵の発展」では、「「海洋強国」を目指す中国が、周辺諸国から東シナ海・南シナ海の海域と島礁を奪取するために発展させた、中国海軍と海上法執行機関、海上民兵について明らかにする。ただし、中国海軍についての記述は、筆者の業績というよりは、これまでの内外の先行研究者の業績の整理に近い内容である。艦船の専門家ではない筆者にできる分析には限界があるからである」。

 第3章「東シナ海をめぐる国際関係」では、「尖閣諸島を中心とする東シナ海での紛争に焦点を当てる。現在の日本にとって深刻な問題は、日本の海上保安庁の巡視船と中国海警局の巡視船及び中国漁船の間の尖閣諸島をめぐる対峙である。中国政府は1971年12月30日以来、東シナ海の尖閣諸島の主権を要求し続けており、日本の海上保安庁と中国海警局の尖閣諸島(中国名:釣魚島)をめぐる東シナ海での対峙は、2012年9月の日本の尖閣国有化以降、続いている。中国(中華人民共和国)が尖閣諸島にこだわる理由は4つあると考えられる。第一は中国の天然資源に対する需要、第二は中国人民の対日戦争の記憶とも若干関係する日本との尖閣諸島をめぐる歴史的紛争、第三は尖閣諸島問題の中国共産党の内部の権力闘争の道具としての側面、第四は尖閣諸島問題の中国の国民統合の道具としての側面、である」。

 第4章「南シナ海をめぐる国際関係」では、「スプラトリー諸島、パラセル諸島、マックレスフィールド堆を中心とする南シナ海での紛争に焦点を当てる。基礎的情報、紛争の歴史的経緯、9段線と国際法の関係に触れた後、南シナ海紛争について分析する。1988年3月のジョンソン南礁での中越の海戦で衝撃を受けたASEAN諸国は、1990年にトラックⅡレベルで南シナ海紛争ワークショップを設立、さらに1991年以降、中国をASEANの会議外交に引き込み、1994年にASEAN地域フォーラム(ARF)を設立して、外交の場での紛争鎮静化の試みを始めた」。いっぽう、「中国は、2008年以降、ASEAN側の交渉力を殺ぐため、会議外交より二国間交渉を重視するようになった」。

 第5章「南シナ海紛争とASEANの会議外交・仲裁裁判」では、「ASEANの会議外交と南シナ海紛争の関わりに焦点を当てる。ASEAN諸国は1967年のASEAN結成以来、域内紛争の鎮静化、経済協力、そして対域外集団交渉のために、持ち回りの全会一致制の会議外交を利用してきた」。「ASEANは1991年以降、これらの会議外交を用いて、中国と南シナ海紛争の協議を進めてきた」。

 第6章「中国の南シナ海進出とアメリカの対応-島礁埋め立てと「航行の自由」作戦(FONOP)を中心に-」では、「中国の南シナ海進出とアメリカの対応、特に島礁の埋め立てと「航行の自由」作戦について焦点を当てる。米国務省は、「1983年に始まったアメリカの航行の自由プログラム政策は、合衆国に、世界規模での航行と上空飛行の権利と自由を行使し、主張することを可能にしたが、これは海洋法条約が示している諸権益のバランスと一致している」。

 第7章「東シナ海と南シナ海における対峙状況のまとめと南シナ海紛争に関する提言」では、まず、東シナ海と南シナ海における中国と周辺諸国の対峙状況をまとめる。東シナ海では、日本は海上法執行機関として中国海警に次ぐ勢力を持つ海上保安庁が尖閣諸島の警備に従事しており、中国は簡単にはその堅固な守りを崩せない。中国漁船も南シナ海の海上民兵の乗る大型漁船ではない。だが、中国海警局は大型で抗堪性があり、数も多い。いずれ、南シナ海でやっているように船を衝突させて来る荒っぽい法執行を仕掛けて来る可能性があり、日本側は対策を考えなければならない」。「日本は、「高強度紛争に係る側面」には手を出せないが、中強度紛争である「航行の自由」作戦には参加を検討すべきである。そして、最も深刻な低強度紛争については、海洋安全保障情報共有センターを設立して、紛争の視角化を図り、予防外交の側面でも貢献を図るべきである」。

 最後に、付属資料「ASEAN中国南シナ海紛争重要合意文書抄訳と分析」で、「中国とASEAN諸国、及び組織としてのASEANの間で、過去に何度か結ばれてきた、紛争緩和のための目標や取り決めを記した、拘束力の弱い合意文書の内容を紹介する」。

 中国にもASEANにも、近代国際法の通用しない面がある。中国には徳治・教化という考えがあり、皇帝の徳が普く天下に広がり、臣下の礼をとれば教化された者とみなされた。版図を超えて周辺諸国との朝貢関係に適用され、中国の安寧を脅かすものでなければ内政に干渉することはなかった。中国が南シナ海を歴史的固有の領土とみなすのは、周辺諸国がかつて朝貢国であったことからで、その「朝貢国」が領有権を主張することは中国の安寧を脅かすものと考えられている。

 いっぽう、流動性が激しく制度が発達していない海域世界に属すASEAN諸国は、土地の支配よりヒトの支配に重きを置き、合議制で決定する。ASEAN Wayと制度が発達した国ぐにから揶揄されることもある。国際仲裁裁判所が裁定した恒常的に居住できない島礁にも、歴史的に海洋民は杭上家屋に住み、数万人が街を形成して居住している。農耕民の中国人には住めなくても、海洋民のASEAN諸国民は歴史的に住んできた。

 ともに自分たちの都合がいいときだけ近代国際法をもちだし、都合が悪くなればそれぞれの慣習法をもちだして、いっこうに議論は噛みあわない。このようなことをくりかえしていることから、著者は「解決」を放棄し、「対処法」を提言することになった。短期的には、それでしかたがないかもしれない。だが、いっぽうで長期的に考える必要がある。それには、議論できる人材を育てるしかない。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

金成玟(キム・ソンミン)『日韓ポピュラー音楽史-歌謡曲からK-POPの時代まで』慶應義塾大学出版会、2024年1月30日、308頁、2500円+税、ISBN978-4-7664-2935-0

 2023年大晦日のNHK紅白歌合戦に、K-POPグループ6チームが出場した。なかにはメンバー全員が日本人というものもある。歌詞はまったく知らず、わからず、ダンスコンテストをみていたようだとの感想をもった、紅白のオールドファンもいたことだろう。こうなったのも、日本と韓国が「境界を共有しながら互いにポピュラー音楽を形づくってきた隣国同士」であったからである。

 著者は、まず「グローバル市場における日韓の大きな役割と密接な相互関係」を数字で示し、つぎのようなさまざまな問いを投げかけている。「K-POPと日本の音楽市場の密接な関係は、いつどのようにして築かれたのか。J-POPの多様なジャンルは、韓国ではどのように受容・融合されてきたのか。日韓特有のアイドル文化は、どのようにつくられてきたのか。日韓のポピュラー音楽の類似性と差異は、どのように生まれたのか。ポピュラー音楽をめぐる「日韓関係」は、世界の文化秩序のなかでどのように変化してきたのか」。

 「本書の目的は、こうしたグローバルな文脈のなかで浮かびあがる問いの答えを探りながら、これまで断片的に語られてきたポピュラー音楽をめぐる日韓関係を歴史化することである。そのため、一九六五年の日韓国交正常化から今日に至るまでの日韓の音楽市場、メディア、音楽批評、生産・消費主体に関わる資料や文献を渉猟し、一つの「ポピュラー音楽史」として描いていく」。

 本書は、はじめに、3部全9章、おわりに、あとがき、などからなる。各部は3章からなる。「第Ⅰ部「歌謡曲の時代」では、日韓国交正常化がなされた一九六〇年代から日本が世界第二位の音楽大国になった七〇年代を経て、韓国が民主化、自由化、国際化に向かう八〇年代までを扱う」。

 「第Ⅱ部「J-POPの時代」では、日本の音楽市場が「歌謡曲」から「J-POP」を中心としたシステムに転換した一九八〇年代末から、日韓の音楽的差異が顕著になっていった九〇年代を経て、「韓流」ブームとともにK-POPが誕生した二〇〇〇年代前半までを対象とする」。

 「第Ⅲ部「K-POPの時代」では、韓国において「J-POP解禁」がなされた二〇〇〇年代から、日本のK-POPブームがグローバルな文脈で加速した二〇一〇年代を経て、日韓の相互作用・融合がより活発化した二〇二〇年前後までをたどる」。

 本書のキーワードは、「カテゴリー(範疇)」である。3部の流れは、歌謡曲からJ-POP、K-POPへと時系列に変遷したことをあらわしている。著者は、つぎのように説明している。「七〇年に近い歴史を辿るためには、いずれの時代にも適用可能で、全体の歴史的変容を俯瞰できる概念が必要であった。本書で用いられたのは、「カテゴリー」(範疇)という概念である。音楽市場において「カテゴリー」という言葉は、日頃「同じ種類のものの所属する部類・部門」という意味で頻繁に使われる。消費者は、音楽チャートのリストやレコードショップのCD棚にあるカテゴリーを地図にして、自分の好きな音楽を探す。二〇世紀を通して生産された膨大な量の音楽を、カテゴリーなしで把握するのはそもそも不可能である」。「しかし、「カテゴリー」を本書の基本概念とした理由はそれだけではない。この概念の興味深い点は、それが「自己と他者を区別する認識」とともにつねに変化することにある」。

 「本書では、この「認識=カテゴリー」を基本概念とし、一九六五年の国交正常化以降、日韓における相互の「認識=カテゴリー」がどのように変容してきたのかを探ることで、先述した問いに答えを見出していく。「邦楽」と「洋楽」のように、まったく変化が起こらない不動・不変にみえるカテゴリーもじつは流動的であることを、本書は明らかにしていく。そういう意味で、本書はポピュラー音楽が媒介する日韓相互認識の歴史ともいえるであろう」。

 「おわりに」では、まず本書であきらかになったことを、つぎのようにまとめている。「今日のグローバルな音楽市場から見えてくる「日韓」が、数十年にわたるコミュニケーションと物理的移動、音楽をめぐる自己・他者認識の変容(カテゴリー化)、アメリカの音楽と市場に対する欲望の発現、東アジアにおける文化権力の移行、ナショナルとグローバルをめぐる普遍と特殊の衝突などが複雑に絡みあってできた歴史的産物であることを明らかにした」。

 「二〇二三年に入ってからも、グローバルを視野においた「日韓ポピュラー音楽」をめぐる状況の変化はさらに加速している」。だが、「「グローバル化」が、単に海外市場のパイを増やすことではなく、ナショナルとグローバルのあいだの普遍と特殊に対する認識の再構築が求められることである事実」も突きつけられている。「産業・文化としてのJ-POPとK-POPを日韓の特殊な文脈のなかだけで捉えると、グローバルな動向の中核をなしている日韓の相互作用と融合は覆い隠され、そのかわりに排他的なナショナリズムが生産主体と消費主体両方を抑圧することになってしまう。もちろん逆の見方も可能である」。

 このことを意識して、「本書は、「政治と音楽」「歴史と文化(交流)」「社会とエンターテインメント」のような、これまで二項対立的に語られてきた諸空間の関係を通じて、普遍と特殊としての「日韓」の歴史的変遷を探った。これらの関係は、決して互いを巻き込んではいけないものではなく、むしろ国家、資本、生産・消費主体の欲望と交差し合い、せめぎ合いながら「ポピュラー音楽の日韓」を総体的に構築してきた」。

 そして、つぎのパラグラフで「おわりに」を閉じている。「もちろん本書の目的は、「日韓の正しい向きあい方」のような規範的な議論を展開することではない。この「ポピュラー音楽史」から見えてきたのは、ある局面を切り取り、規範的枠組みのなかで捉えることがいかに難しくて、危ういのかということでもある。「はじめに」にも書いたように、だからこそ「これまで断片的に語られてきたポピュラー音楽をめぐる日韓関係を歴史化すること」が必要であった。矛盾と葛藤に満ちている個々の物語を、一つの大きな物語として読み直したとき、それらの矛盾と葛藤よりも大きな欲望と抑圧が浮き彫りになると思ったからである。もし本書が日韓のポピュラー音楽をめぐるこれまでの強固な二項対立的認識に少しでも亀裂を与えられたのであれば、それを可能にしたのは、興味深い類似性と差異を生み出しながらナショナルとグローバルのあいだを行き来した日韓の音楽(家)と、それを愛しつづけた人びとにほかならない」。

 「グローバル市場における日韓の大きな役割と密接な相互関係」は、「はじめに」で数字で示された。本書で扱った問いは、すぐさま数字となって返ってくる。ナショナルとグローバルだけではない。リージョンといった地理的なものもあれば、民族、宗教、言語など集団としてのものもある。数字となってすぐにあらわれてくるだけに、ほかの分野の多様性のなかの統一を考えるためにも役に立つ。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月(近刊)。
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第一期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

姫岡とし子『ジェンダー史10講』岩波新書、225+8頁、960円+税、ISBN978-4-00-432009-8

 2023年度版「ジェンダーギャップ・レポート」(世界経済フォーラム(WEF)発表)の男女平等度ランキングで、日本は146か国中125位だった。前年の116位から9つ順位を落とした。いっぽう、分野別では「教育」(99.7%)と「医療へのアクセス」(97.3%)が100%近くで、男女間の平等をほぼ達成している。ただ、前年は100%で1位だった教育は、高等教育(大学・大学院)就学率が加わったために順位を47位に落としている。これまで教育は1位で、日本は男と同様に教育を受けているにもかかわらず、社会で有効に活用できていないと思っていたが、高等教育就学率を加えたことで別に問題があることがわかった。もっとほかにも問題がありそうだ。たとえば、医学部の女性比率は40.2%(2023年度)でも、女性医師は19.7%(2024年)で、年齢とともに低下する。世界的にみても最低レベルだ。医師の資格をもっていても、実際に医療現場で働いている女性の割合は男性より低い。教育を受けても、女性をいかせない日本社会がある。著者の専門がドイツ・ジェンダー史であることから、世界のなかの日本の問題がみえてきそうだ。

 本書の概要は、表紙見返しにつぎのようにまとめられている。「暗黙のうちに男性主体で語られてきた歴史は、女性史研究の長年の歩みと「ジェンダー」概念がもたらした認識転換によって、根本的に見直されている。史学史を振り返りつつ、家族・身体・政治・福祉・労働・戦争・植民地といったフィールドで女性史とジェンダー史が歴史の見方をいかに刷新してきたかを論じる、総合的入門書」。

 歴史研究者にとっては当然であるはずだが、「女性史・ジェンダー史に限らず、歴史研究は全体として社会変化に敏感であり、社会の要請に応える形で、新たな研究テーマを取りあげ、あらたな視角から研究を推進し、方法論を刷新し続けている。女性史・ジェンダー史は、その歴史学全体の動向と連動しながら自らの研究方法を変化させていった」。「本書は、こうした歴史学全体の歩み、史学史を背景にしながら、女性史・ジェンダー史の軌跡とその成果を読者に紹介することを目的にしている」。

 それは、著者が本格的に研究をはじめた1980年代はじめからの自身の研究者としての経歴を踏まえたもので、つぎのように語っている。1980年代はじめは「ちょうど「新しい女性史」の興隆の時期にあたっている。それから四〇年以上たった現在まで、女性史・ジェンダー史は多くの論争を経験し、研究方法も変化を重ねてきた。本書は、同時代人としてそれらの過程を見てきた私が、研究者人生が終盤となった今、自分の体験を重ね合わせながら書いたものである」。

 本書は、「はじめに」と10講からなる。その構成は2部で、「女性史・ジェンダー史の史学史を扱っている」第1-4講と「これまでの女性史・ジェンダー史の成果を個別テーマに則して紹介している」第5-10講からなる。

 第1講「女性史研究の始動-世界と日本」では、「先駆的な女性史研究からはじめて、日本でのアカデミズム女性史研究登場以前の女性史研究とその広がりについて背景となった歴史方法論と絡めて考察した」。第2講「第二波フェミニズムと新しい女性史」では、「第二波フェミニズムの影響ではじまった欧米の「新しい女性史」を取りあげ、その目的、それが切り拓いた地平、その日本での受容について記した」。第3講「ジェンダー史」では、「女性史の歴史学界での孤立を回避するための「ジェンダー史」の導入と、叙述から分析への考察方法の変化、ジェンダー史と構築主義の相互作用および構築主義歴史学における主体の問題について言及した」。「女性史・ジェンダー史が歴史叙述に及ぼした影響の考察を目的とした」第4講「歴史叙述とジェンダー」では、「高等学校歴史教科書と『岩波講座』の世界史・日本史を分析し、歴史の見方の変化が何をもたらすのかについても言及した」。

 第5-10講でも、「史学史を重視し、女性・ジェンダーをめぐって歴史学以外の場で展開された議論や研究動向の変化にも触れながら、女性史・ジェンダー史研究の関心やテーマ、考察視角が時代とともに、どのように変遷してきたのか、理解できるような叙述を試みた」。

 第5講「家族を歴史化する」は、「家族の歴史的変化について、階層や地域による違いを考慮しながら考察した」。第6講「近代社会の編成基盤としてのジェンダー」は、「「自然の性差」論が歴史的に形成され、男性性/女性性の差異が強調されるとともに、それが近代社会の編成基盤となったことを、性別原理にもとづく制度化、ナショナリズムと国民国家形成、軍隊などの例を通じて検討した。比較のために、前近代の例も記している」。第7講「身体」は、「身体把握の歴史性、性と生殖、同性愛について取りあげている」。第8講「福祉」は、「啓蒙期から慈善活動に参加していた女性が、福祉活動を通じて社会参加していく様相や、戦争が女性の福祉活動に及ぼした影響について論じた」。第9講「労働」では、「中世から近代にいたる女性労働とその捉え方の歴史的変化、労働と労働者のジェンダー化について考察した」。第10講「植民地・戦争・レイシズム」は、「異文化間接触の過程での文明/野蛮の差異の強化とこれをめぐる女性の活動、戦争が女性に及ぼした影響、植民地・占領下を含めた戦時性暴力について述べた」。

 残念ながら、各講のまとめはないし、本書全体のまとめもない。この本をもとに受講した学生は、講義ごとのまとめも期末レポートもどう書きはじめていいのか戸惑うだろう。各講ごとに、ところどころにあるようだがはっきりしない「はじめに」と「おわりに」、第10講の後に「あとがき」かなにかほしい。とりあえず、表紙見返しの概要を参考にしてレポートを書いてみるか。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月(近刊)。
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第一期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

波多野澄雄『「徴用工」問題とは何か-朝鮮人労務動員の実態と日韓対立』中公新書、2020年12月25日、246頁、820円+税、ISBN978-4-12-102624-8

 「帯」裏の本書の要約の前に、「日韓和解の糸口はあるか」とある。多くの日本人が「糸口はない」と諦観しているからだろう。本書を読んでも、その諦観は変わらないだろうが、「糸口」を考えるための準備はできる。従来国内問題と考えられていたものが、国内で完結せず、突然海外から訴えられることもある。国際問題として政府間で解決したと思っていたものが、蒸し返されることもある。予期せぬことが、個人にも降りかかる。個々人がそれにたいする予備知識をもつことが必要になった。日本人にとって、そのひとつが朝鮮人「徴用工」問題である。

 要約は、つぎのようにまとめられている。「2018年秋、韓国最高裁は「徴用工」訴訟で韓国人被害者への賠償を日本企業に命じた。日本の最高裁でも、韓国の高裁でも原告敗訴だったが、なぜそれが一転したか-。本書は、日本統治下の朝鮮人労務者の実態から、今なぜ問題が浮上したかまでを描く。この問題は、歴史的事実、総動員体制、戦後処理、植民地主義、歴史認識、国際法理解、司法の性格など多岐にわたる。それらを腑分けして解説、日韓和解の糸口を探る」。

 本書は、はじめに、全5章、終章、あとがきなどからなる。『日本の歴史問題-「帝国」の清算から靖国、慰安婦問題まで』(中公新書、2022年)などの著書がある波多野澄雄は、この「韓国にとっては、見過ごせぬ問題」を「できるだけ幅広い観点から考える題材とするため、次のような構成」をとった。

 第1章「帝国日本の朝鮮統治」では、「日本の朝鮮統治の変遷と特徴を素描し」、第2章「移住朝鮮人、労務動員の実態」では、「いわゆる「徴用工」問題を発生させた総動員体制下の労務動員の実態について」、第3章「日韓会談と請求権問題-国交正常化までの対立」と第4章「日韓請求権協定への収斂-「一括処理方式」へ」では、「日韓会談(日韓国交正常化交渉)で、この問題がどのように議論されたのかを会談記録に基づいて叙述している。「徴用工」問題の起原でもあるので、やや詳しく議論の経過をたどっている」。

 そして、第5章「韓国最高裁判決の立論と歴史認識」では、「大法院判決の「特異性」について日韓会談の議論を踏まえて検証している」。終章「「徴用工」問題の構図-歴史と法理」は、「各章の検討に基づき、あらためて大法院判決の意義、その背景や波紋などを検討する」。

 終章最後で、まず問題の基本的前提をつぎのようにまとめている。日韓国交正常化を目指す「日韓会談は、[賠償]請求権の名目はともあれ、統治時代の被害の回復や補償を最大限獲得することをめざす韓国と、法的整合性に固執しながらも、それに応えようとする日本との粘り強い交渉と譲歩的アイデアの結果、「一括処理」の概念を柱とする請求権協定という果実を生んだのである」。「その一方、そもそも請求権協定は、日本統治の清算という難問を「経済協力」をもって「解決されたこと」にして、問題を顕在化させる行動を双方が慎むという「暗黙の合意」によって維持されてきたということができる」。

 つづけて、つぎのように結論を述べて、終章を結んでいる。「それを覆して過去を政治紛争化してしまった大法院判決を嘆くより、その背景には、韓国の国際的地位の上昇、国際法における個人の尊重気運、国際的な人権・人道意識の高まり、植民地主義に対する歴史的批判といった、今世紀の新たな潮流が存在することに広く目を向け、対話の糸口を探る必要があろう」。

 だが、これで終わらず、著者は「あとがき」で補足説明をしている。まず、日韓の不安定な現状をつぎのように説明している。「日本と韓国の人々の日常的な交流が盛んとなったのは、一九八七年の韓国の民主化以後であるが、いまなお成熟した関係にあるとはいえない。国交正常化時に結ばれたいくつかの協定のほかには、それらを補強するような特別の取り決めはないに等しい。閣僚会議や実務者協議が時折り開かれているが常設化されたものではない。東アジアに広がっているFTA(自由貿易協定)の取り決めも日韓の間では進んでいない」。

 「こうした不安定な二国間関係を埋めてきたのがアメリカであった。とりわけ安全保障の面では、二〇一九年のGSOMIA(軍事情報包括保護協定)の問題で明らかになったように、アメリカを媒介として日米同盟と米韓同盟とは事実上、一つのシステムとして結びつき、日・米・韓の擬似的な「同盟」が形成されているのである。言い方を換えれば、日韓はさまざまな利害を共有し、協力すべき分野が広がっているにもかかわらず、二一世紀の現在でも、アメリカの媒介的な役割に頼っている。そこには、二〇世紀前半の日本の植民地支配という「負の歴史」が、大きな影を落としている」。

 その「負の歴史」は、「その制度や実態を含めて国際的な比較が可能であるかもしれないが、日韓の間には国際比較や問題の相対化を許さない「壁」がある」という。「その一つは、本文でも触れたように、日本が重視する歴史の事実関係や法的な正当性よりも、それらの背景にある正義や道義を重んずる韓国の独特の歴史観である」。

 「また、大法院判決が頻繁に用いる「不法な植民地支配」という用法は、日本による併合や統治が「違法」であるばかりか、統治政策全体を朝鮮民族に対する「抑圧と搾取の体系」として否定する意味を持っている。したがって、朝鮮人労務者の問題についても、動員枠組みの多様性、労務者の主体的な行動様式、統治政策や社会経済の変化、開発と近代化への日本の貢献といった要素に着目する余地はないように見える」。

 そして、「結論」として、つぎのように述べている。「立ち帰るべきは「暗黙の合意」ではなく、一九九八年の日韓共同宣言であろう。過去の清算より「未来志向的な関係」を築くため、次世代の交流や対話に託そうとする共同宣言は、幅広く和解の糸口を示している」。「幸い、本文で紹介したように、大法院判決の「個別意見」や「反対意見」に目を向けるならば、韓国内の歴史認識は、本質論的な「不法な植民地支配」という一色に塗りつぶされているわけではないことがわかる。そこに日韓対話の余地がある」。

 そこには政府間の交渉だけでなく、民間人の意思疎通が必要だ。「あとがき」冒頭で「日韓両国間の人の往来は、二〇一八年には一〇〇〇万人に達している」とある。韓国から多くの若い人が日本を訪れていることは幸いである。それに対応する日本人の若者に、ぜひ本書を読んでもらいたい。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月(近刊)。
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第一期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

↑このページのトップヘ