佐藤考一『「海洋強国」中国と日・米・ASEAN-東シナ海・南シナ海をめぐる攻防-』勁草書房、2023年12月10日、504頁、8200円+税、ISBN978-4-326-30335-9
帯に「海洋強国を目指す中国の海洋進出の狙いは何か。」「南シナ海で起きている中国の海洋進出にまつわる事件を詳細に分析し、いずれは起きるであろう、東シナ海での中国の行動に対する対処法を提案する。」とある。「解決法」ではなく「対処法」である。序章のタイトルは「本書の主張と内容構成」で、「目的」ではなく「主張」である。
序章は、つぎの文章ではじまる。「中国の海洋進出が著しい。筆者は、戦争を避けたいという願いをもって、長年研究を進めて来たが、現状は戦争未満ギリギリの海洋紛争と呼ぶべきで、かなり厳しいところに来ている」。著者の佐藤考一は、もう中国の海洋進出を止めることはできず、「対処法」を提案するしかないというところまできているというのである。
つづけて、本書の特徴をつぎのように3点、あげている。「本書では、2012年11月の第18回中国共産党全国代表大会で「海洋強国」を目指すことを公表した中国政府の海洋政策と、それに対する東シナ海、南シナ海の周辺諸国の2021年までの対応の比較を中心に扱う。特徴としては3点挙げられる。第一に、中国の海洋政策を扱った文献は少なくないが、東シナ海と南シナ海の双方を比較して論じた研究書はあまりない。東シナ海と南シナ海では、中国の主張と海軍・海上法執行機関の展開の仕方はかなり異なる。南シナ海で起きている衝突事件が現在は比較的穏やかな東シナ海でも、いずれは起きるであろうことを考えれば、前者での事例を研究して対策を立てることは極めて重要である。第二に、中国の海上法執行機関の抱えてきた問題と、その発展を体系的に迫った書籍が少ないことが挙げられる。本書では5竜と呼ばれた中国の5つの海上法執行機関のうち、交通部海巡を除く4つが統合され、中国海警局ができあがった過程を明らかにした。第三に、南シナ海での、アメリカの「航行の自由」作戦(FONOP)と、中・米の主張の違いを迫った論考が少ない。本書では、知り得る限りの事例を取り上げた」。
本書は、序章、全7章、各章末のコラム、付属資料などからなる。第1章「中国はなぜ、海に進出するのか」では、「その理由を明らかにする。具体的には、巨大な人口を抱える中国がエネルギー・漁業資源を海に求めていることと、戦略潜水艦の核巡航などの安全保障上の要求があり、さらにそれらと結びつく、経済大国化によってもたらされたナショナリズムの高揚が生んだ海洋強国志向が、その理由である」。
第2章「中国海軍と中国の海上法執行機関・海上民兵の発展」では、「「海洋強国」を目指す中国が、周辺諸国から東シナ海・南シナ海の海域と島礁を奪取するために発展させた、中国海軍と海上法執行機関、海上民兵について明らかにする。ただし、中国海軍についての記述は、筆者の業績というよりは、これまでの内外の先行研究者の業績の整理に近い内容である。艦船の専門家ではない筆者にできる分析には限界があるからである」。
第3章「東シナ海をめぐる国際関係」では、「尖閣諸島を中心とする東シナ海での紛争に焦点を当てる。現在の日本にとって深刻な問題は、日本の海上保安庁の巡視船と中国海警局の巡視船及び中国漁船の間の尖閣諸島をめぐる対峙である。中国政府は1971年12月30日以来、東シナ海の尖閣諸島の主権を要求し続けており、日本の海上保安庁と中国海警局の尖閣諸島(中国名:釣魚島)をめぐる東シナ海での対峙は、2012年9月の日本の尖閣国有化以降、続いている。中国(中華人民共和国)が尖閣諸島にこだわる理由は4つあると考えられる。第一は中国の天然資源に対する需要、第二は中国人民の対日戦争の記憶とも若干関係する日本との尖閣諸島をめぐる歴史的紛争、第三は尖閣諸島問題の中国共産党の内部の権力闘争の道具としての側面、第四は尖閣諸島問題の中国の国民統合の道具としての側面、である」。
第4章「南シナ海をめぐる国際関係」では、「スプラトリー諸島、パラセル諸島、マックレスフィールド堆を中心とする南シナ海での紛争に焦点を当てる。基礎的情報、紛争の歴史的経緯、9段線と国際法の関係に触れた後、南シナ海紛争について分析する。1988年3月のジョンソン南礁での中越の海戦で衝撃を受けたASEAN諸国は、1990年にトラックⅡレベルで南シナ海紛争ワークショップを設立、さらに1991年以降、中国をASEANの会議外交に引き込み、1994年にASEAN地域フォーラム(ARF)を設立して、外交の場での紛争鎮静化の試みを始めた」。いっぽう、「中国は、2008年以降、ASEAN側の交渉力を殺ぐため、会議外交より二国間交渉を重視するようになった」。
第5章「南シナ海紛争とASEANの会議外交・仲裁裁判」では、「ASEANの会議外交と南シナ海紛争の関わりに焦点を当てる。ASEAN諸国は1967年のASEAN結成以来、域内紛争の鎮静化、経済協力、そして対域外集団交渉のために、持ち回りの全会一致制の会議外交を利用してきた」。「ASEANは1991年以降、これらの会議外交を用いて、中国と南シナ海紛争の協議を進めてきた」。
第6章「中国の南シナ海進出とアメリカの対応-島礁埋め立てと「航行の自由」作戦(FONOP)を中心に-」では、「中国の南シナ海進出とアメリカの対応、特に島礁の埋め立てと「航行の自由」作戦について焦点を当てる。米国務省は、「1983年に始まったアメリカの航行の自由プログラム政策は、合衆国に、世界規模での航行と上空飛行の権利と自由を行使し、主張することを可能にしたが、これは海洋法条約が示している諸権益のバランスと一致している」。
第7章「東シナ海と南シナ海における対峙状況のまとめと南シナ海紛争に関する提言」では、まず、東シナ海と南シナ海における中国と周辺諸国の対峙状況をまとめる。東シナ海では、日本は海上法執行機関として中国海警に次ぐ勢力を持つ海上保安庁が尖閣諸島の警備に従事しており、中国は簡単にはその堅固な守りを崩せない。中国漁船も南シナ海の海上民兵の乗る大型漁船ではない。だが、中国海警局は大型で抗堪性があり、数も多い。いずれ、南シナ海でやっているように船を衝突させて来る荒っぽい法執行を仕掛けて来る可能性があり、日本側は対策を考えなければならない」。「日本は、「高強度紛争に係る側面」には手を出せないが、中強度紛争である「航行の自由」作戦には参加を検討すべきである。そして、最も深刻な低強度紛争については、海洋安全保障情報共有センターを設立して、紛争の視角化を図り、予防外交の側面でも貢献を図るべきである」。
最後に、付属資料「ASEAN中国南シナ海紛争重要合意文書抄訳と分析」で、「中国とASEAN諸国、及び組織としてのASEANの間で、過去に何度か結ばれてきた、紛争緩和のための目標や取り決めを記した、拘束力の弱い合意文書の内容を紹介する」。
中国にもASEANにも、近代国際法の通用しない面がある。中国には徳治・教化という考えがあり、皇帝の徳が普く天下に広がり、臣下の礼をとれば教化された者とみなされた。版図を超えて周辺諸国との朝貢関係に適用され、中国の安寧を脅かすものでなければ内政に干渉することはなかった。中国が南シナ海を歴史的固有の領土とみなすのは、周辺諸国がかつて朝貢国であったことからで、その「朝貢国」が領有権を主張することは中国の安寧を脅かすものと考えられている。
いっぽう、流動性が激しく制度が発達していない海域世界に属すASEAN諸国は、土地の支配よりヒトの支配に重きを置き、合議制で決定する。ASEAN Wayと制度が発達した国ぐにから揶揄されることもある。国際仲裁裁判所が裁定した恒常的に居住できない島礁にも、歴史的に海洋民は杭上家屋に住み、数万人が街を形成して居住している。農耕民の中国人には住めなくても、海洋民のASEAN諸国民は歴史的に住んできた。
ともに自分たちの都合がいいときだけ近代国際法をもちだし、都合が悪くなればそれぞれの慣習法をもちだして、いっこうに議論は噛みあわない。このようなことをくりかえしていることから、著者は「解決」を放棄し、「対処法」を提言することになった。短期的には、それでしかたがないかもしれない。だが、いっぽうで長期的に考える必要がある。それには、議論できる人材を育てるしかない。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。