早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2024年04月

今村祥子『統治理念と暴力-独立インドネシアの国家と社会』東京大学出版会、2024年1月31日、292+xvi頁、7400円+税、ISBN978-4-13-036288-7

 本書は、つぎの文章ではじまる。「インドネシアで三十余年にわたり大統領の座に座り独裁的支配を築き上げた第二代大統領スハルト(Soeharto)が、経済破綻と各地での大規模な抗議デモ、さらには主要都市での暴動発生という混乱の中で退陣したのは、一九九八年五月のことである。独裁者の退場と民主化の始まりからすでに四半世紀が経過し、現在のインドネシアでは制度としての民主主義が定着している。だが他方で、二〇〇〇年代半ばより、民主主義の欠陥や民主主義の後退を指摘する研究が増えてきた。実際、民主主義に対する市民の支持は高い一方で、国家権力から個々人の自由を守ろうとするリベラリズムを拒絶し、強いリーダーシップのもとで国家全体の利益を尊重しようとする主張が、無視しえない支持を集めているのも事実である。このような非自由主義的な主張は、あたかもスハルト体制から引き継がれたかのように見える」。

 この記述は、1971年生まれの著者が20代から四半世紀余にわたって見続けてきたインドネシアの風景である。つづけて、つぎのように問いかけている。「民主化の帰結として、なぜこのような状況が生まれているのか。この問いへの答えを探るには、スハルトの統治に今一度立ち返り、考察する必要がある。スハルト体制はどのような国家・社会関係を目指し、いかなる統治手法でそれを実現しようとしたのか。さらにはこの体制がどのような壊れ方をして民主化に至ったか。これらの問題を究明することは、インドネシアの現在を理解する上で避けて通れないものである」。

 そして、つぎの2点に着目し、本書の主張を述べる。「第一にインドネシア独立より一貫して維持されてきた、調和を尊ぶ国家原則パンチャシラ、第二にスハルト体制下における国家による無法の暴力、とりわけ民衆の暴力性を敢えて利用した暴力のあり方である。この一見異質にも見える二つの要素が、実のところ深く結びつき、スハルト体制における統治の特徴をなしていたとするのが本書の主張である」。

 本書は、はしがき、全6章、終章などからなる。第一章「無法の暴力が支える調和」では、「はしがき」でまとめられたことをくり返しながら、本書の「序章」の役割を果たす。第二章「パンチャシラ-変動する体制、変わらない国家原則-」では、「スカルノが生み出した、包摂を目指すパンチャシラが、いかなる変遷をたどって、スハルト体制のパンチャシラ、すなわち敵の排除を正当化する根拠としてのパンチャシラへと変貌していったかを考察する。両者ともにリベラリズムの拒絶という点では連続性がある一方で、スハルト体制のパンチャシラは、イデオロギーへの強い警戒、さらにはイデオロギーが動員しうる民衆の力への脅威観と結びついていた」。

 「第三章から第六章は、スハルト体制下で苛烈な国家の暴力が行使された事例を四つ検討する」。第三章「九・三○事件」で「取り上げるのは、スハルト体制の誕生の契機となった一九六五年九・三○事件の直後に各地で発生した、「共産主義者」に対する大虐殺である。九・三○事件は、スハルト体制が貫いた反共政策を正当化する揺るぎない根拠として位置づけられた。同時に、事件に引き続いて起こった大虐殺は、ひとたび「共産主義者」と見なされればどのような事態が待っているか、国民に見せつけることにもなった。この大弾圧に見られる暴力は、陸軍が主導した点において、狭い意味での国家の暴力でもあった。だが他方で、民間人もまた暴力の担い手として不可欠の役割を担った」。

 第四章「タンジュンプリオク事件」では、「すでに共産主義勢力を殲滅したスハルト体制が、次なる脅威として認識したイスラーム勢力に対する暴力的弾圧、タンジュンプリオク事件を取り上げる。ここで標的とされたのはイスラーム勢力の中でも、とりわけスハルト体制のパンチャシラ政策に抵抗していた勢力であった。この事件が共産主義者への弾圧と明白に異なるのは、標的がイスラーム勢力であるがゆえに、虐殺を行うために正当化が必要だという事実であった。そこで利用されたのが、理念上の民衆の暴力性だった。デモ行進を行っていたムスリムたちは「暴徒」と位置づけられ、虐殺され、パンチャシラ政策に反対していた勢力の一斉弾圧の根拠として利用された」。

 第五章「「謎の銃殺」事件」で「検討するのは、一九八〇年代前半に数千人のゴロツキが超法規的に殺害された「謎の銃殺」事件である。この事件は市民の安全を守るための超法規的な犯罪掃討作戦であったと同時に、この作戦の標的の中には、それまで諜報機関のもとで工作員として利用され、民衆の暴力を扇動し、引き出す任務を負ってきたゴロツキ勢力が含まれていた。市民の多くは、次々発見される遺体に衝撃を受けつつも、「われわれ」の生活を脅かす犯罪者を国家が法にも縛られない圧倒的な力で倒していると理解し、無法の暴力を概して歓迎したばかりか、時としてリンチによって暴力に加担した」。

 第六章「一九九八年五月暴動-体制崩壊と残された分断-」で「取り上げる一九九八年五月暴動は、民衆の怒りの暴動であったと同時に、国家の暴力そのものであった。このように両義的な五月暴動とともにスハルト体制が終焉したことの意味は何だったのか」。

 終章「統治理念と暴力」では、「本書の議論をまとめるとともに、五月暴動とともに実現した民主化が、その後のインドネシアにどのような遺産を残したのかを考察する」。そして、著者は、つぎのように結論している。「独裁者が去り、自由な選挙が定期的に実施されるようになった現在、スハルト体制期のように国家権力がパンチャシラを利用して自在に敵を定義し、その弾圧のために民衆の暴力を大規模に動員する可能性は、確実に小さくなったと言える。他方で、そのような統治を支えていた要素が消え去ったとは言いがたい」とし、「以下、三点に整理して」いる。「第一にスハルト体制下での暴力事件に関する清算の行方、第二にプラボヴォ・スビアントの復権に見るスハルト体制との連続性、第三にパンチャシラをめぐるスハルトの遺産である」。

 第一にたいして、著者は「国軍改革が実現した一方で、スハルト体制期の人権侵害事件について、真相究明と責任追及は民主化後も実現していないという事実は、国軍がいまだに正義の実現を阻む力を維持していることを示している」、第二にたいしては「民衆の力を国軍が動員することに歴史的な正当性があるという、ナスティオンに始まりスハルト体制期に強化された論理が、変わらず維持されているように見える」、第三にたいしては「民主化後もインドネシアにおける絶対不可侵の国家原則であり続けている」と答えている。

 本書で取りあげた「国家による無法の暴力」は、インドネシアに限ったことではない。フィリピンのドゥテルテ政権期(2016-22年)の「麻薬戦争」など、東南アジア各国で見られる。アセアン(東南アジア諸国連合)では、加盟国の内政に干渉しない内政不干渉原則を重視していることから議題としないできた。本書で何度も言及されたように、各国には近代の制度が及ばない固有の価値観に基づく規範があるからであり、インドネシアでは「パンチャシラ」に集約されている。そして、軍が力を持っている限り、暴力をともなう。プラボヴォの復権も、フィリピンでマルコス・ジュニアが大統領になったことと通じるものがあるのか。民主化勢力が打倒したはずのものが、なぜ復活するのか。近隣諸国とともに考えることで道が開けるかもしれない。アセアンもいつまでも内政不干渉を理由に、なにもしないわけにはいかないだろう。

 蛇足だが、冒頭の1行に「座」が2度、「大統領」が2度出てくる。すっきりしないと思いながら読みはじめたら、全体を通して繰り返しの多いことが気になった。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

蘭信三など編『シリーズ戦争と社会5 変容する記憶と追悼』岩波書店、2022年4月22日、241頁、3400円+税、ISBN978-4-00-027174-5

 5巻から成る「シリーズ戦争と社会」は、つぎのような問題意識をもって、企画された。「戦後七五年を過ぎてもなお、「記憶の継承」が叫ばれることは多い。体験者への聞き取りは、新聞やテレビでもたびたび行われ、戦時下にも今と変わらぬ「日常」があったのだと驚きをもって語られる。戦争大作映画においても、「現代の若者」が体験者に深く共感するさまが美しく描かれる。だが、軍隊内部や占領地、ひいては社会の隅々に至るまで、それこそ「日常」的に偏在していた暴力の実態とそれを生み出した権力構造、好戦と厭戦の両面を含む人々の意識などについては、十分に議論が尽くされているとは言い難い。「日常」や「継承」への欲望のみが多く語られ、ときにそこに感動が見出される一方で、その背後にあるはずの史的背景や暴力を生み出した組織病理は見過ごされてきた。新型コロナと社会をめぐる議論が深化しない状況を、戦争の暴力を生んだ社会構造を掘り下げてこなかったことの延長上に考えてみることができるのではないか」。

 この問題意識をもって、本シリーズは「戦争と社会の関係性が戦時から戦後、現代に至るまで、どのように変容したのかを、社会学、歴史学、文化人類学、民俗学、思想史研究、文学研究、メディア研究、ジェンダー研究など、多様な観点から読み解き、総合的に捉え返そうとするものである」。

 シリーズ最後の本巻は、つぎのような位置づけになる。「第一巻総説で示された、「暴力を用いた紛争解決の手段」としての戦争理解を議論の出発点に置きたい。近代戦では一般に、軍隊による武力行使は敵軍を照準にすえ、友軍の兵力や自国の国力を極力たもちつつ効率的な破壊がめざされた。しかし、二〇世紀以降の戦争の実態は、そのような計画・計算された範囲にとどまらない暴力の拡散もみた(そこには軍事テクノロジーや総力戦体制の問題も関わるが、そうした戦争と同時進行的に展開された事態をめぐる論点は、第一巻や第三巻に譲ろう)。シリーズの最後となる本巻で問題とするのは、そのように拡散傾向にあった一連の暴力としての戦争そのものと、それに関与した(加担しあるいは巻き込まれた)生者と死者をめぐって、社会と個人がどのような反応を示すのか、さらに、そうした反応はその後の社会にどのような影響をおよぼすのだろうかということである。つまり、戦争によって引き起こされる記憶・記念、追悼・慰霊といった情動をともなう一連の営みの「戦後的」展開と、未来も見すえた現在がこの巻のテーマである」。

 本巻は、総説、3部全9章、4コラムから成る。各部はそれぞれ3章、コラムは各部のおわりにある。総説「戦争を記憶し、戦争死者を追悼する社会とそのゆくえ」では、「戦争(体験)の記憶・記念と、戦争で亡くなった者たちへの追悼・慰霊に分けて基本的な論点を概観」している。

 第Ⅰ部「記憶する人々」では、「戦争の記憶をめぐるさまざまな主体に注目し、その相互関係をみる。記念や追悼はつねに事後的・遡及的に行われるという性格上、対象とする戦時のみならず、その時々の社会状況の影響をこうむる。そうした時間の幅における、人々の関係性に注目し、その変容や展開をとらえる」。

 第一章「シドニー湾特殊潜航艇攻撃をめぐる日豪の記憶とその変遷」が「詳述するのは、真珠湾攻撃と同じく太平洋戦争開戦時の出来事をめぐる、日豪両国の人々による記憶の交換の展開である。そこにはまた別様の地政学的な力学も働いており、真珠湾の事例とも違った関わりも示されている」。第二章「憲兵と暴力-マニラBC級裁判の記録を中心に」においては、「暴力行為が法に則って行われたものであったとしても、受け手としては理不尽な暴力となる」ことを「丹念に整理して示し」ている。第三章「死者と生者を結びつける人々-パプアニューギニアにおける戦地慰霊と旅行業者」では、「旧戦地では慰霊や追悼の営みが観光化への回路を開くこともあり、その際に、遺族や戦友などの当事者ではなく、観光エージェントがその思いを受け継ぐことがある」ことを論じている。コラム①「朝鮮人特攻隊員という問い」では、「朝鮮半島出身の特攻兵が戦後の日韓両国において「時代の犠牲者」として忘却にさらされていく過程」に焦点を当てている。

 第Ⅱ部「記憶の支点-想起をもたらす場所とモノ」では、「記憶と追悼の維持・継承を支える空間と物質文化に注目し、それらがどのように記憶のあり方に影響をおよぼすのかを問う。戦後復興と時間の推移は戦争の痕跡を消し去るかに見えて、その場所や遺物・表象物が記憶を喚起・再活性化し、追体験をうながすこともある」。

 第四章「「原爆の絵」が拓く証言の場」は、「絵が、それを描いた被爆者の体験を伝えるばかりではなく、絵を見る側を作中の負傷者や死者たちと出会わしめ、絵が生み出す証言の場に立ち会わせるという事態である」ことを教えてくれる。第五章「空襲の死者を想起する場所-遺骨・モニュメント・写真」では、「空襲犠牲者の遺骨埋葬地やモニュメントのように、死者と遺族の関係が持続する場所やモノばかりではなく、現代の写真家がかつての仮埋葬地で撮った写真を通じて、従来とは違う形で死者を記憶しようとする営みも生まれている状況である」ことを論じている。第六章「アジア系アメリカと「慰安婦」碑-国境を超える共感と批判」が「主題化しているのは、マルチ・エスニックな想起と忘却のアリーナとなっている(むしろ戦場とも言うべき)さらに複雑化した状況である」。コラム②「花岡町と鉱山と「花岡事件」をめぐる人々」で「紹介しているのは、鉱山のあり方の構造的問題から地元の人が語らない花岡事件の記憶が、「外」から次々とやってくる人々によって再発見されていく様子である」。コラム③「戦後天皇と慰霊-「靖国型追悼路線」からの展開」では、「靖国問題とは異なる方向で展開された戦後的な死者儀礼への天皇の関わりに迫っている」。

 第Ⅲ部「記憶・記念の実践と冷戦後の社会」が「問題にするのは、記憶・記念することや追悼するということは結局どういう営みであるのかということである。過去の出来事としての戦争や死者たちに向きあう行為を、現代社会の同時代的文脈に置き直してみることで何が見えてくるだろうか」。

 第七章「戦争記憶の世代間継承と社会-「選択されたトラウマ」と山西省盂県の記憶」では、「傷ついた自己像の世代間継承によって悲劇的なイメージが共有される事態を概念化したヴァミク・ヴォルカンの「選択されたトラウマ」を参照しながら、中国でのオーラルヒストリー調査によってトラウマ的記憶と社会の関係を論じている」。第八章「「沖縄の精神衛生実態調査」にみる戦争と軍事占領の痕跡」で「問うているのも、沖縄戦後の「トラウマ的記憶」の置かれた社会的文脈である」。第九章「なぜ私たちは黙祷するのか?-近代日本における黙祷儀礼の成立と変容」においては、「イギリスで第一次大戦の戦死者追悼の形式として登場した黙祷は、日本を含めた世界各地に拡散し定着していく過程で、国家的性格や政治的意図を強く帯びた時期もありながら、それを超えて死者に対する哀悼の表現として共有されていった」。コラム④「戦争の記憶を共有すること-記憶表現の現場から」で「紹介しているのは、戦争の記憶をめぐる表現を世に問うことと、それを受けた視聴者側の応答がどのようなその後の展開を生み出しているのかについての実践例である」。

 表紙見返しでは、本巻をつぎのようにまとめている。「敗北に終わった戦争を記憶・記念し、無残な死を遂げた者を追悼する営みは、時の流れにともない困難さを増し、変質を余儀なくされてきた。戦後日本社会の歴史の中で記憶と追悼が変容してゆく過程をたどるとともに、過去の出来事を眼差すそれらの営みが、未来を開く可能性を秘めていることを明らかにする」。

 本巻の3部は、「巻の全体の問いがもつ複雑さに分け入るための三つの窓口と考えるとよいだろう」と「総説」で述べられている。多様なテーマが複雑に絡みあって議論が展開されているからだろう。長年の変容の過程を経た結果ともいえるが、まだまだ議論されていないことがある。たとえば、わたしのこの1年のフィールド調査だけでも、いろいろ考えさせられた。下関には神葬された高杉晋作が吉田松陰と並んで祀られている桜山招魂場がある。松陰のが少し高いだけで同じ大きさの墓標が並んでいる。姫路護国神社すぐ近くの播磨国総鎮寺の片隅には祖霊社があり維新の志士12柱、日清日露戦争の英霊121柱が祀られている。会津若松には西軍と東軍の墓地があり、藩ごとに埋葬されたことから廃藩後はみるものがなく荒れていたという。これら3つの例からも、靖国神社とはなになのかを考えさせられ、日本が近代国家成立時から戦死者と真摯に向きあってこなかったことがわかる。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

脇村孝平編著『近現代熱帯アジアの経済発展-人口・環境・資源-』ミネルヴァ書房、2024年3月30日、317頁、5500円+税、ISBN978-4-623-09732-6

 本書でいう「熱帯アジア」とは、東南アジアと南アジアのことである。なにかしら、西の方からみたインド、さらにその向こうという感じがする、と思いながら読みはじめた。

 本書の概要は、表紙見返しにつぎのように書かれている。「今日、東南アジアおよび南アジア、すなわち「熱帯アジア」における経済発展は目覚ましい。いまや経済活動の「フロンティア」とされる一方、通説的には従来、「低開発地域」「発展途上地域」と位置づけられてきた。本書は、近現代における熱帯アジアの経済発展の様相を、「人口変動」および「環境・資源」の視点を入れつつ歴史的な視野から考察する。アジア経済史研究に新しい問題提起をなす試み」。

 本書の目的は、「近現代、具体的には19世紀から20世紀半ばまでの時期に限定して、東南アジアと南アジア、すなわち熱帯アジアの経済発展の様相を論じること」で、「半ば通説的な歴史像」では「これら熱帯アジア地域の多くは、19世紀において西欧諸国の植民地支配を受け、搾取と収奪の帰結として、貧困かがもたらされたという」。それにたいして、「本書では、人口変動に着目しつつ、かかる歴史像では見落とされてきた経済発展という視野からこの時代の経済史的な事象を再検討することを意図している」。

 「本書全体を通して、「熱帯」と「人口」という2つのキーワードが、いわば通奏低音として流れている」。したがって、序章「近現代の熱帯アジアにおける「人口変動」と「資源制約の壁-経済史と環境史の架橋-」では、 この2つのキーワードを中心に「発展著しいフロンティア」を論じることになる。そして、3つめのキーワードとして、「資源制約の壁」が最後に出てくる。「ここでもっぱら資源として考えているのは、土地という資源である」とし、「「資源制約の壁」という場合、もっぱら「土地の希少化」を考えている」と説明している。

 そして、その意義を「K.ポメランツの「大分岐」仮説」と「W.A.ルイスの要素交易条件論」に求めている。まず、前者との関係では、つぎのようにまとめている。「19世紀後半の熱帯アジアにも当てはまる現象ではないだろうか。急激な人口増加とその帰結としての資源制約の壁は、熱帯アジアの場合、特に食糧生産の側面に顕著に現れた。インボリューションに関して述べたように、顕著な人口増加の帰結として、労働集約化がある程度進めども、一人当たりの食糧生産が停滞するか、場合によっては低下するような事態は、ポメランツが中国に関して述べた事態と類似している」。

 後者については、つぎのようにまとめている。「近現代の熱帯アジアの人口変動が、「外延的な経済成長」の一事例として積極的な評価に値するという点と、その帰結として「資源制約の壁」に直面したがゆえに、近現代のグローバルな経済格差につながったという構図が、まさにルイスの「熱帯の発展」論と「要素交易条件」にそれぞれ符合することを、ここで強調しておきたい」。

 以上の「本書全体の基調的なテーマを踏まえて書かれている」各章を、「その基調的なテーマとの関係を示すつつ、各章の位置づけを」、つぎのように試みている。本書は、はじめに、序章、2部全11章からなる。

 第Ⅰ部「熱帯アジアにおける自然環境と歴史的前提」は5章からなり、「「近現代の熱帯アジアにおける経済発展」を論じる前提として、熱帯アジアの自然環境と近代以前の歴史的な発展径路を論じる章が配置されている」。

 第1章「熱帯アジアの自然環境と稲作」(佐藤孝宏)は、「その前半で、熱帯アジアの空間的な広がりに対して、地形、降雨、土壌の三条件を基にして、地域類型化を行っている」。後半では、「19世紀に熱帯アジアの一定地域で顕著な人口増加が可能となったのは、稲作において、新開地の開発および集約化によって、その生産を飛躍的に増加させたことが決定的な基盤として理解されるべき」であることを明らかにした。

 第2章「小人口世界における生業変化と人口動態-ボルネオ島北西部の事例」(祖田亮次)は、「典型的な熱帯アジアの低肥沃地域とされてきた熱帯雨林地域における人口の問題を扱っている」。「この地域の住民は、焼畑のみならず、移動を常としながら狩猟や採集など「多生業」による生活様式が一般的であることを明らかにしている」。

 第3章「南アジア型発展径路の基層-「人口小規模世界」の人類史的位置について」(小茄子川歩)は、「熱帯アジアの中で唯一、古代文明にまで遡ることのできる南アジア(インド亜大陸)の歴史的な特質を探る試みである」。「インダス文明の場合には、大規模灌漑は存在せず、しかも麦作のみならず豆類・雑穀類も主要作物とする多様な食糧でまかなう「人口小規模世界」であったとし、それに加えて、その「散在性」が顕著な特徴であったとしている」。

 第4章「中世初期の北インドにおける貨幣状況」(谷口謙次)は、「貨幣史の視角から、インドの中世初期(6世紀後半から12世紀末頃までの時期)における北西部インドを中心とする貨幣経済の状況を、先行研究に依拠しつつ論じている」。「熱帯アジアと「アフロ・ユーラシア大乾燥地帯」をつなぐ位置にある南アジア型発展径路の特質(田辺 2015)を、貨幣史の視角から明らかにしている」。

 第5章「多様性の展開と接合-南アジア型発展径路の近世」(田辺明生)は、「「南アジア型発展径路」の特質を、近世のオリッサの事例の中に探っている」。「オリッサの事例を基に「南アジア型発展径路」を、生産性の向上を一元的に目指すというよりは、生存基盤の確保を図るために、自然や社会の多様性を接合するようなパターンとして特徴づけ、熱帯的な自然環境における経済発展の一つの有り様を明らかにしている」。

 第Ⅱ部「近現代の熱帯アジアにおける経済発展」は6章からなり、「19世紀以降の熱帯アジアにおける経済発展の様相を、人口変動に留意しつつ各論的に論じた章が配置されている」。

 第6章「インド洋交易圏の形成と構造、1800~1950年-ハブ・後背地・人口扶養力」(杉原薫)は、「近現代のインド洋における国際分業の展開を、①遠隔地貿易、②インド洋内の地域交易、③港市ハブとその後背地との交易という、およそ3つのレベルに分解して、それぞれの規模とその変化(1840年と1910年がベンチマーク)を、数量的に明らかにしている」。

 第7章「海へ下るコーヒーと山を登るココヤシ-19世紀ミナハサにおける商品作物栽培と人口増」(太田淳)は、「19世紀のスラウェシ北部ミナハサにおけるコーヒー栽培およびココヤシ栽培の展開を論じている」。「こうしたミナハサの事例から明らかになるのは、植民地政庁による強制栽培、そしてそれに付随して建設された道路などが、この地域の農民の市場志向性を強めたことである。また、それにともなって、顕著な人口増加が起こったことも明らかにされている」。

 第8章「植民地期ベンガルの米生産と市場」(神田さやこ)は、「ガンガー川をはじめとする大河川のデルタ地帯に位置するベンガルの米生産とそれに関する交易を論じている」。「ベンガルの米生産の中心となったベンガル東部では、米だけでなくジュートの生産も盛んになり、農業は成長し、大幅な人口増加が起こった」。「しかしながら、20世紀になるとベンガルの米生産は停滞した。水文環境の悪化、すなわち鉄道の敷設による自然排水の阻害は、土壌の肥沃さを奪い、さらにマラリアによる疾病環境を悪化させたのである」。

 第9章「植民地時代までの西アフリカ経済-比較研究のための覚書」(小林和夫)は、「西アフリカの経済発展の様相を、貿易を中心に明らかにした論考である」。「一貫してこの地域の経済を特徴づけたのが労働力不足の問題であり、それから帰結したのが奴隷制であった」。「このような歴史像を、熱帯アジアの状況と比較するならば、19世紀以降に関しては、熱帯アジアにおいては、著しい人口増加によって労働力不足という状況はほとんど見られなかったという対照的な歴史像が浮かび上がる」。

 第10章「南アジア海運の定量的比較研究-1874~1913年」(木越義則)は、「1874~1913年の時期における海運統計の分析に基づいて、南アジアの海運(物流)の構造的特質を、東アジアとの比較によって、明らかにした試みである」。「地域内における農工間の国際分業が、貿易とそれにともなう物流の規模を大きくしたという事情が浮かび上がる」。

 第11章「「緑の革命」とは何だったのか?」(藤田幸一)は、「20世紀後半、特に第四四半期以降の熱帯アジアにおける持続的な経済発展にとって、「緑の革命」が決定的な意義を有することを明らかにしている。1970年代以降の東南アジアと南アジアにおいて、20世紀後半の急激な人口増加にもかかわらず、食料問題の制約を克服しえたことが、本格的な工業化を進めるうえで、必要な前提であったことが明らかとなる。そのことは、「緑の革命」の恩恵を受けなかったサハラ以南アフリカとの対照の中で明らかとなる」。

 本書を通じて、「東南アジア」「南アジア」の順になっているにもかかわらず、アフリカなど西の比較はあるが北や東との比較はなく、議論の順は「南アジア」「東南アジア」だろう。近代はとくにイギリスとの関係が深いことからこれでいいかもしれないが、現代を踏まえると東南アジアの向こうのインドを考える必要があるだろう。インド洋を航海する船が西から東へ行くイメージはあるが、東から西へは浮かびにくかった。「東南アジア」が西へ及ぼした影響についても考えてみたい。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

川島博之『歴史と人口から読み解く 東南アジア』扶桑社新書、2024年1月1日、303頁、1000円+税、ISBN978-4-594-09584-0

 概説書のまえがきなどを読むと、よく学生や社会人など、そのテーマに関心のある幅広い層の読者を想定している、などと書かれている。学生を対象とした教科書であるといいながら、とてもじゃないが授業では使えないものや、社会人を対象としているといいながら、実社会のことなどなにも考えていないようなものがある。

 本書は、「東南アジアで既にビジネスを行っている、また行いたいと考えている人々の役に立つ」をことを考えて書かれたものである。「東南アジアについて〝日本人として〟知っておきたい知識を書き連ねたもの」で、「本書では〝日本人〟が重要なキーワードになっている。そんなわけで、必ずしも客観的に東南アジアを紹介する本ではない。もちろん、独りよがりになってはいけないから、努めて客観的に書いたつもりだが、それでも研究者が書く東南アジアの本とは少々毛色が異なっている」。そんななかで、著者が重視したのが、本書の半分を占める歴史である。

 著者は「現在ベトナムに住んでいる」。「アジアの農業について研究し」「過去30年間にわたりアジアの農村部を訪ねて歩いてきた。初期は農業と環境の関係を研究していたが、農業や環境問題を考える上で経済が果たす役割が極めて大きいことに気づいたために、後半は農業から見たアジア経済の研究に力点を移した。学問分野で言えば開発経済学になる」。

 そんな著者が、「アジアの農村部を調査していると、都市を見ているだけでは知ることができない、その国の〝地〟とも言える感情に出合うことがある。そんな経験を重ねるにつれて、東南アジアの人々と付き合う際にも、〝あの戦争〟のことを知っておく必要があると考えるようになった」。「東南アジアでは、中国や韓国のように歴史認識が表面に出ることはまずない。ただし、〝地〟の部分では〝あの戦争〟は意外に大きな意味を持っている。インドネシアとタイは比較的親日的だが、シンガポール、フィリピン、ミャンマー、ベトナム、マレーシアの東南アジア5か国との間に歴史認識問題があることは、ほとんど知られていない。日本人が忘れてしまった歴史を東南アジアの人々は、心のどこかに引きずっている。それを無視しては、東南アジアの人々と深い付き合いはできない」。

 「現在、多くの日本人は〝あの戦争〟と東南アジアとの関係について、全くと言ってよいほど知識を持ち合わせていない。それは小学校から大学まで、学校では東南アジアについてほとんど何も教えてくれないからだ」。「一方、私たちがすっかり忘れてしまった〝あの戦争〟を東南アジアの人々は意外によく覚えている。その理由は、自分の住んでいる町や村が戦場になったからだけではない。〝あの戦争〟が東南アジア諸国の独立と深く関わっているためである」。

 本書は、はじめに、全4章、おわりに、などからなる。第1章「日本人が知っておくべき東南アジアの歴史」では、「東南アジアの歴史を概説した。特に〝あの戦争〟と東南アジアの関係については、少々脱線気味になった部分もあるが、若い人にも興味を持ってもらえそうなエピソードを交えて書いてみた」。

 第2章「人口から読み解く東南アジア」では、「多くの図表を用いて東南アジアの人口や経済について概説する。そこでは、よく見かけるビジネスパーソンのための東南アジア入門のように無味乾燥なデータを羅列して説明を加えるだけでなく、現代日本との関連で興味を持ってもらえるように書いたつもりである」。

 第3章「世界が注目する東南アジアの経済発展」では、「東南アジア経済の現状について、特に筆者が専門にしてきた農業との関係から記述した。また、原発や新幹線など日本の産業界が関心を持っているテーマについても触れた」。

 第4章「華僑を知らなければ東南アジアは語れない」では、東南アジアを語る上で外すことができない華僑について、国別にその肝になる部分を書いてみた」。

 「多くの日本人が東南アジアの人々と付き合う上で役立つ知識」は、つぎのように帯の裏に「日本人が知らない東南アジアの歴史と社会!」としてまとめて箇条書きしてある。「実は“中国嫌い”で“アメリカ好き”なベトナム」「北と南に分断された国家ベトナムと朝鮮半島比較」「ミャンマーの歴史とスーチー氏失脚の理由」「日本の同盟国だが敗戦国にならなかったタイの外交」「インドネシアとマレーシアを「解放」した日本」「なぜフィリピンは「隠れ反日国」なのか」「カンボジアの人口ピラミッドがいびつな理由」「少子高齢化が進むタイ・シンガポール」「森林開発と人口増加を阻んだマラリア」「東南アジア経済を牛耳る華僑の歴史」「世界が注目する東南アジアの経済発展」「東南アジアは日本人が最もビジネスしやすい地域」。

 本書を読んでみると、事実誤認や確証のないものが散見されるが、これも「日本人が東南アジアに行ってビジネスを行おうとする場合」と考えると、多々納得するものがある。著者は、「体験を基にして、東南アジアの人々と心の奥底で触れ合うには何が重要か」を書いている。読者対象をビジネスパーソンとするなら、知っておきたい基本的なことが書かれているだけではない。東南アジア各国を「親日国」だと安心して、いまだに政治的経済的に「優位」に立っていると勘違いして圧力をかける日本の政治家や外交官にも、ぜひ読んでもらいたい著者の経験にもとづいたことが書かれている。あら探しをして目くじらを立てるより学べることを探すと、「研究者が書く東南アジアの本」の参考になる点を多々みつけることができる。 


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

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