早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2024年05月

関口広隆『ミンダナオに流れる祈りのハーモニー-イスラム教徒・キリスト教徒を結び広がるシルシラ対話運動』明石書店、2024年4月10日、266頁、3500円+税、ISBN978-4-7503-5728-7

 フィリピンは「NGO(非政府組織)のパラダイス」と呼ばれることがあるほど、たくさんのいろいろなNGOが、各種問題に取り組んでいる。政府が弱く、貧富の差が激しい社会でカトリック信仰にもとづくチャリティーが日常的になっているのが一因である。だが、はじめやすいが、長続きしないものが多い。その原因のひとつは、あまりにも多くの人が殺されるからである。とくに、イスラーム教徒、文化的少数民族の多いミンダナオでは、暴力的事件が頻繁に起こり、NGO関係者が誘拐されたり殺害されたりしている。「パラダイス」どころか「地獄」である。そんなミンダナオで、長年キリスト教徒とイスラーム教徒との対話を呼びかけているNGOにシルシラ対話運動があるという。

 著者は、本書執筆に至った経緯を「あとがき」で、つぎのように述べている。「シルシラがイスラム教徒とキリスト教徒の対話を主旨とするNGOで、一九八四年から活動しているとダンブラ神父[創設者]から聞いたときには、正直驚きました。第二バチカン公会議でカトリックが異教徒との対話をすることを決めたというのは、話として知っていましたが、遠くイタリアから派遣されてきたカトリック神父が、ザンボアンガでイスラム教徒と宗教間対話を進めているという事実は、自分にとって何か異次元のできごとのように思われました。その後四半世紀にもわたってダンブラ神父とやり取りを続け、そして今回本書を書くことになるとは、当時は想像だにしませんでした」。

 「「宗教間対話」と言っても、異なる宗教の修行方法を体験してみるとか、宗教者や宗教学者が参加した会議を開催するとか、いわば「平時」の対話しか頭に浮かばなかった筆者にとって、紛争対立最前線での正に命を賭した対話が実在することがダンブラ神父のやわらかな口調から語られたときは、奇跡を目の当たりにした思いがあり、それ以来、いつか日本にこのストーリーを伝えたいものだと考えていました」。「本書は、ダンブラ神父の著書やシルシラの出版物などとともに、インタビューや現地調査、他参考資料などを交え構成しました」。

 本書は、はじめに、全16章、おわりに、あとがき、などからなる。最終16章「シルシラの対話を客観的に見る」の冒頭で、著者はつぎのように説明している。「これまでシルシラが続けてきた宗教間対話を、現地の人びとの情熱を伝える形で、執筆してきましたが、この章では、生活や人生の導きとしての宗教から距離を置いている日本にいる身として、少々クールにシルシラの対話を考えてみたいと思います」。

 そして、4つの項目を立てている。まず、「シルシラの影響力」について、「シルシラ対話運動の影響力を疑問視する」者にたいして、つぎのように答えている。「宣教・伝道でなしに、「対話の広がり」という側面で影響力を測るというのは可能かもしれません。サマーコースの参加者数三〇三九人などという実績は、効果を測る指標ではないですが、広がりを測る数値としては意味を持ったものでしょう。例えば、ミンダナオにあるカトリック教区・小教区のなかで、サマーコースを受けた司祭や助祭のいる割合、サマーコースに参加した司祭・助祭・修道女・修道士がいるフィリピンの修道会・宣教会の数なども参考になるかと思います」。

 つぎに「ダンブラ神父がイタリア人であることのインパクト」にたいしては、つぎのように答えている。「フィリピンは、以前スペイン・アメリカの植民地で、白人支配下にあったということもありますが、カトリック大国であるため、白人司祭がミサを執り行うのは、日常の情景です。キリスト教徒のフィリピン人は、親族が欧米に渡っていることもよくある話で、「白人がいる」ということのインパクトは、日本とは比べ物にならないほど小さいでしょう」。

 3つめの「対話はアヘン?」にたいしては、つぎのように答えている。「「対話」を一般化して分析せず、個々の団体の活動主旨と内容に焦点を当てることで答えが出やすくなります。創設者が「テロリスト」とともに森林で逃避行する、反感を買われて相棒が射殺される、事務所に爆発物を送りつけられる、誘拐が未遂に終わる、といった活動史を振り返ると、このような言説をする人びとにとって、シルシラはパウダーシュガーではなく、コショウかセンブリのような味をしていることを示しているようです」。

 最後に「キリスト教徒に偏した対話ではないか?」にたいしては、つぎのように答えている。「シルシラの副会長や理事はイスラム教徒であるものの、そもそも創設者自身がカトリック宣教会に所属しており、初代、二代の会長ともカトリックです。シルシラの一翼を担う在俗信徒からなる「エマオ」と冠名がついた諸組織も、カトリック信徒のグループです。これに対置するはずのイスラム教女性のグループ「ムスリマ」は、組織立った活動ができていません。「熱心な設立者に賛同して、多数のイスラム教徒が参加・参画している」というのが、現時点の状態かと思います」。「キリスト教徒のイニシアティブは否めないが、青年の活動などイスラム教徒の参画が当然のことになっていることを指摘するとともに、今後の展開を見守りたいと思います」。

 そして、「おわりに」でつぎのように述べて、結論としている。「シルシラが取り組んでいるのは、宗教を原因とする疑惑・不信、それによる両教徒の不一致ですが、社会には世俗的な事柄を原因とする疑惑・不信、それによる人びとの不一致が無数にあります。シルシラの運動が人類の一つの汚点をアジアの一地域で取り除きつつあることは、その他の汚点も人類が取り除けるという希望を抱かせてくれます」。

 とにかくミンダナオでは、人が容易に殺されすぎる。人を人と思っていない人がいるからである。キリスト教徒もイスラーム教徒も神を信じ、祈りを捧げる。そのことが人の証であるはずで、シルシラ対話運動のサマーコースを受けると、それがわかるはずだ。神を信じなければ祈りも捧げない日本人より、よっぽどわかりあえるはずだ。対話を続ける環境をつくることが重要であるが、すでに活動がはじまって40年が過ぎた。まだまだ時間が足りないというのか。

 解決案をひとつ。ミンダナオから世界一を出そう。すでにミンダナオからはプロボクサーのマニー・パッキャオ(Emmanuel Dapidran Pacquiao, 1978- )がいる。スポーツでも文化でも、なんでもいい。世界一を出すと、世界から注目され、地元の人の意識も変わる。ゴルフやテニスといった注目されやすいもののほうがいいだろうが、M(ミンダナオ)-POP、チェスやビリヤードでもいい。盛りあげるために、定期的な大会を催し、それを政府がNGOなどがサポートする。そこに人びとの対話が生まれ、紛争解決への一歩が踏み出せる。流動性の激しい海域世界に属している東南アジアでは、制度的なのものはあまり意味をなさず、非公式な対話が大きな意味をもつ。これまでの問題は、いろいろ試みても、その利益が偏ったり、一般の人に伝わらなかったりしたためだろう。経済発展も教育や医療も人びとに恩恵をもたらすが、意識を変えるという意味では盛りあがるなにかが必要だ。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

渡辺延志『関東大震災「虐殺否定」の真相-ハーバード大学教授の論拠を検証する』ちくま新書、2021年8月10日、233頁、820円+税、ISBN978-4-480-07419-5

 ハーバード大学教授が、「学術的には論争になりえない領域」と考えられていた「関東大震災における朝鮮人虐殺はなかった/少なかった」「正当な自衛行為だった」という「虐殺否定」論を書いて、ケンブリッジ大学出版局刊行の書籍に収録される」という、そんな情報が著者に寄せられた。「主張の根拠とされているのは当時の日本の新聞だった。震災直後の混乱のなかで紙面に躍ったフェイクニュース」だった。フェイクニュースは「なぜ、どのように生まれたのか。長年新聞社に勤めた著者が、報道の責任を総括する」必要を感じた。

 著者が手に入れたマーク・ラムザイヤー教授の論文は、「日本語にすると「警察の民営化:日本の警察、朝鮮人虐殺、そして民間警備会社」がタイトルである。二〇一九年六月と執筆の日付があり、インターネット上の学術論文サイトで公開されていた。A4判で二七ページあり、表紙や要旨、附表、参考文献を除くと本文部分は一七ページである。表紙には「HARVARD」の文字がひときわ大きく掲げられ、「ケンブリッジ・ハンドブックで刊行予定」と記されていた」。ケンブリッジ・ハンドブックは、学生にも論文執筆前に目を通すよう薦めているシリーズである。

 「「慰安婦は契約による売春婦だった」という趣旨の論文を発表したとして物議を醸していた」教授が、今度は「大震災の混乱の中、朝鮮人を虐殺した日本人の自警団は、機能を失った社会における警察民営化の一例だったとの考えを示すものだという。そして、虐殺の原因となった「朝鮮人が放火した」「井戸に毒を投げ入れた」などの流言は実体のない嘘ではなかったとしたうえで、殺された朝鮮人の数はこれまで語られてきたほどには多くはないと主張する内容」だった。

 「論文の構造はすぐに分かった。主張の大きな論拠となっているのは当時の新聞記事なのだ。「この記事に朝鮮人の犯罪が書かれている」「同じような記事は全国にあふれている」と指摘し、独自の主張を展開しているのだ」。著者は、この「論文を検討するために、かなりの量の新聞記事を集めて読むことになった。それなりに当時の事情を知っているつもりだったのだが、その作業を通して思い知ったのは、知らなかった事実や事情のあまりに多いことだった。流言とはどのようなものか。虐殺とはどのような事態だったのか。当時の記憶や経験が日本社会に伝わっていないことをあらためて痛感した」。「流言とはフェイクニュースだったのだ。それを報じた新聞もフェイクニュースだった。何よりも、政府の処理そのものがフェイクニュースだったのだ」。

 この論文は、当然のことながら韓国から激しい非難が起こった。日本でも、具体的にこれまでの研究や原資料を示して批判した。その結果、論文は改訂され、「A4の用紙で一二ページと分量は半減し、タイトルは「警察の民営化/日本の事例から」に変わっていた。関東大震災についての記述は「一九二〇年代の日本」という半ページほどのセクションに押し込まれ、朝鮮人虐殺についてはわずか四行」になった。

 ハンドブックの編集者は、韓国の聯合ニュースのインタビューに、つぎのように答えた。「数多く届いた疑問のリストを添えて論文の再考を求めたところ、ラムザイヤー教授が書き直すことに応じた」。「「とても不運な間違いだった」「日本が朝鮮半島を支配した時期の歴史に、私たちよりもラムザイヤー氏は詳しいものだと思っていた」」。改訂したからといって、執筆者も編集者も責任がなくなったわけではない。研究者としては、みながみな同じことを言えば、一度は疑ってみる必要がある。根拠が同じならば、その根拠を検証してみることは、研究の基本である。「前科」があるだけに、なぜ執筆を依頼したのか、公表する前に原稿を点検しなかったのか、編集者にも出版社にも責任がある。

 改訂版が出されたことで、このいわく付きの論文そのものを検証する必要はなくなったが、著者は「虐殺否定」論の正体を突き止め、つぎのようにまとめた。「関東大震災当時の新聞記事を読み進めるうちに、日本社会を揺るがした大混乱の基本的な構図が浮かび上がってきた。自警団などによる朝鮮人の虐殺は流言というフェイクニュースが原因だった。荒唐無稽な流言を信じさせた大きな要因は、「不逞鮮人」と対峙した朝鮮戦線からの帰還兵の抑圧された戦争体験にあったのだろうと思わせるものがあった」。

 「日本社会で弱い立場の人たちが兵士として「不逞鮮人」との戦いの前線に送られ過酷な戦いを強いられた。兵役を終えて郷里に戻ると、在郷軍人として管理され、米騒動の反省から警察が自警団を発足させる際に、その核として組み込まれた。そこへ震災が発生し流言が流れた。その内容は朝鮮戦線での体験を思い起こさせるリアリティーがあった。どうにかしなくては、身を守らなくてはとの思いから武器を求め、ためらうことなく朝鮮人を殺したのではなかったのか。震災に遭遇すると自警団には多くの地域住民が参加した。数の上では在郷軍人よりも多かったのだろう。そうした点をとらえ政府は、自警団は震災直後に突然誕生したことにして、責任を押し付けようとしたが反発が強かった」。

 「フェイクニュースに振り回されメディアの主役だった新聞は大混乱に陥り、今になって記事を読んだだけでは、何が事実であったのか、なにが原因でそのような事態が引き起こされたのかが見えなくなっていた。同時に、あまりにも残忍であり、そのようなことがあったという事実でさえ、日本社会はいつしか信じられなくなり、信じたくなくなっていた」。

 そして、著書は、つぎのように最終章の「第六章 虐殺はなぜ起きたのか」を結んでいる。「「虐殺否定」論の正体とは、曖昧なままの方が快適だという、おそらくは日本社会の姿そのものなのだろう」。「そう思えてならない」。

 「集団的な精神異常が引き起こしたハプニング」などでは、かたずけられない社会の問題が、当時もいまも潜んでいる。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

中村満紀男『日本統治下の台湾と朝鮮における特殊教育-発展と停滞の諸相』明石書店、2022年8月15日、314頁、5800円+税、ISBN978-4-7503-5453-8

 著者のような仕事が、評価される学界であって欲しい。

 本書は「補遺」でもあるという。「まえがき」は、つぎのような文章ではじまる。「本書は、「大東亜戦争」終結以前の日本統治下の植民地であった台湾と併合国(以下、植民地と表記」)であった朝鮮における盲学校・聾啞学校教育の実態および特殊教育への発展に関する歴史的意義の究明を意図した研究の成果であり、『日本障害児教育史 戦前編』(二〇一八年、明石書店)の補遺でもある」。

 『日本障害児教育史 戦前編』(編著)は、1352頁の大書である。これだけではない。同じ出版社から出版されたこともあり、もう2冊の大書の広告が最後に載っている。『日本障害児教育史 戦後編』(編著、2019年、1232頁)と『障害児教育のアメリカ史と日米関係史-後進国から世界最先端の特殊教育への飛翔と失速』(2021年、1032頁)で、いずれも本体価格17000円である。「補遺」の意味がわかった。そして、「本書をもって著者の計画は完了する」。

 本書の結論は、「まえがき」に、つぎのように書かれている。「以上の方法による検討と考察から、台湾では盲啞教育が成功し、朝鮮では不振あるいは停滞した理由と背景が、単純に日本の統治政策のみに還元できないことが理解されるであろう。さらに、日本の統治下の台湾と朝鮮における盲啞教育・特殊教育が植民地全体のなかで異例だった事実も把握されるはずである(むろん、日本の植民地統治を正当化する意図は毛頭ない)。本書が、台湾および朝鮮を含めて、植民地における盲啞教育と特殊教育の歴史的意義に関する研究の緒として指摘できるのはこの点までである」。

 「以上の方法による検討と考察」については、その前のパラグラフで、つぎのように説明されている。なお、本書は、まえがき、「序論」と「結論」を含め全6章からなる。「単純な結論は主張として強力にみえても、研究方法が一面的で、歴史的事実の把握と分析に偏りがある場合、十分な説得力をもつことは期待できない。本書では、可能な限り入手した台湾と朝鮮の盲啞学校の関連資料に基づいて個別に検討するとともに、それとアジア・オセアニアの欧米植民地の盲啞学校事業および特殊教育とを多元的に比較対照することによって、台湾と朝鮮の盲啞教育ないし特殊教育が、いかなる位置づけと評価を付与されるべきかを究明しようとするものである。すなわち、第一段階として台湾と朝鮮における盲啞学校の成立と展開および特殊教育への発展を植民国・日本と対照しながら比較する。第二段階として同時期のアジア・オセアニアにおける欧米植民地、そして植民地本国における盲啞教育と特殊教育について比較し、植民国特殊教育から植民地特殊教育への反映度も探る。第三段階として、台湾と朝鮮の盲啞教育の実態と特殊教育への発展状況を欧米のアジア植民地全体のそれと参照する。ここで、学校の対象、教育の目的と目標、教育成果および社会的効用の変容は、これら三つの段階における共通の検討事項である。この三つの段階の検討によって、植民地と植民国における盲啞教育および特殊教育への展開に関する全体的な状況がある程度把握可能となり、台湾と朝鮮の盲啞教育の歴史的意義についてより妥当な結論を得ることが可能となる」。

 「補遺」があって、総合的研究が「完了」する。マイナーな研究から、マクロなものがみえてくることがあり、植民地の問題から宗主国の本質が明らかにされることがある。その意味において、著者の研究を「仕上げる」ためには「補遺」が必要だったことがわかる。それだけに、著者はこの「補遺」の「結論」に71ページを費やしている。

 「結論-台湾・朝鮮の盲啞教育および特殊教育とアジア等植民地との比較」は3節と「4.むすび」からなり、つぎの「はじめに」ではじまる。「最後に、日本の統治下にあった台湾と朝鮮の盲啞教育の到達点と相違、その理由について、台湾と朝鮮間の比較、そして日本との対照、さらには、東南アジア・南アジアおよびオーストラリア・ニュージーランドの欧米植民地における聾学校・盲学校教育を総合的に参照することにより、台湾と朝鮮の盲啞教育が、どの程度植民地としての問題を共有し、あるいは独自な点があったのか、いかなる意義があったのかを明らかにする。この場合、聾学校・盲学校創設と発展および特殊教育の祖型である欧米モデルを考慮に入れる必要がある」。

 最後の「4.むすび-現代との関連」では、まず「「大東亜戦争」終結による植民地支配からの解放が、台湾・朝鮮の盲啞教育の問題解決あるいは特殊教育への劇的な発展を保証したわけではなかった」と述べて、戦後の変化をたどり、「明らかに植民地時代の盲啞教育が築いたものであり、つぎに述べる台湾・朝鮮の現代的対応も戦前の盲啞教育の遺産とは無縁ではない」としている。

 そして、つぎのように結論している。「台湾・韓国・日本を問わず、今後の聾児と盲児(障害児)の教育の在り方を考える場合、四つの要素を検討することが不可欠である。①盲・聾教育の近代モデル、②欧米先進国が到達した理念と現実、③自国の過去の歴史と資源(近代への対峙の有り様を含む)、そして④対象児数の減少と大きな個人差である(他の障害児についても、原則は同じである)。現代はグローバリズムと新自由主義に翻弄されて、インクルージョンが唯一の解と目される傾向があるが、その実体は国によってかなり異なる。しかも、その実体は周到に計画された結果であるよりは、上記の国際的なトレンドおよび保護者の要望という現実の力学ゆえに、特別学校よりも通常学校におけるインクルージョン形態を採用せざるを得ないことが多い。その結果、採用されたインクルージョンは、合理的であるよりは形式的となる傾向がある。また、インクルージョン選択にあたっては、経費上の低廉が最大の(潜在的)要素になっていくかもしれない(先進国からの脱落が確実視されている日本はその典型例である)。トレンドに盛られた言辞だけによるのではなく、障害児(者)の生涯の生活を見通した教育計画に必要な資源を確保しつつ、対象者数は少ないが個人差の大きい視覚障害・聴覚障害児に適切な教育を提供するシステムの確立という相当に困難な課題への解を案出するに際して、自国の特殊教育の歴史的特質の再検討を回避することは不可能である」。

 本書は、つぎの文章で結ばれている。「「特殊教育」は学術体系の一端に位置しているだけに、その有り様はいつの時代にあっても国力を反映する指標となっている」。日本の学界は、このような「刺激的な経験」にもとづく「研究活動の成果としては微であり寡である」と著者が自認するものをいかに評価するのだろうか。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

原田信男『豆腐の文化史』岩波新書、2023年12月20日、236+22頁、1100円+税、ISBN978-4-00-431999-3

 「美味しいだけでなく歴史も文化も味わい深い」と、帯にある。いいキャッチコピーだ。

 「はじめに-豆腐という食品」では豆腐のいいとこだらけの説明をした後、つぎのパラグラフで終えている。「歴史的にみて豆腐がどのように登場したのか、またいつごろ日本に伝わったのか、といった問題については、残念ながら詳細は不明とするほかはない。ただ日本への伝来には仏教、つまり僧侶や寺院が深く関与したことにほぼ疑いはなく、いくつかの文献にも豆腐記事が登場する。そこで本書では、この非常に魅力的な豆腐という食品について、文献史料を中心とした上で、日本各地に伝わるさまざまな豆腐の現地調査をふまえ、トータルな観点から、その文化史を描いてみたいと思う」。

 本書は、はじめに、全9章、おわりに、などからなる。時系列に第7章までいった後、第8章「豆腐と生活の知恵」で「各地で食べ継がれている特徴的な豆腐」を紹介し、第9章「沖縄の豆腐」でとくに沖縄を取りあげている。さらに、「おわりに-健康食志向と海外展開」では海外にまで及んでいる。

 食生活史研究を標榜する著者が、「一つぐらいは特定の食べ物について調べてみようと思って」執筆を引き受けたが、「身から出た錆の如く、実際の執筆作業には多くの苦しみが伴った。調べて書くという行為自体は基本的に面白くはあるのだが、いつも苦しみの連続でもある。とくに、この仕事のきつさは格別だった」。

 「身近な食品だけに、史料は想像以上に多かった」。「ところが豆腐に関する歴史的研究となると、信頼に足る論文は数えるほどで、論拠が曖昧でかつ不正確な多くの論考に悩まされた」。

 「本書は、これまで経験したことのないような産みの苦しみではあったが、書き上げてみると、豆腐の歴史には学ぶところが大きかった。豆腐とは、かつては自前も可能で、もっとも身近でかつ栄養があり美味しい食べ物であったからこそ、その製造や保存さらには調理に人々の知恵が豊富に込められている。まさに歴史のなかで育まれてきた食べ物なのである。とくに、それぞれの時代状況のなかで、階層の如何にかかわらずさまざまに楽しまれてきたことを、多くの文献が教えてくれた。そして、それ以上に、それぞれの地域で豆腐に対する工夫がいかに数多く積み重ねられてきたかを、現地調査で実感的に学んだ」。

 政治史や経済史と違い、社会史や文化史ではあやふやな史料から多くのことを学ぶことになる。たとえ間違っていても、なぜ間違ったのかを考察することで、本質がみえてくることもある。身近であるだけにだれでもが知っていて、簡単に情報が得られると勘違いするが、社会史や文化史の考察から「味わい深い」「歴史も文化も」みえてくる。「美味しいだけ」に、著者は調査も考察も楽しんだことだろう。

 だが、そんな呑気なことも言っておられない現実がある。農林水産省のホームページには、「みんなで支える日本の食卓」で「身近な食べ物なのに作るところは減っている?」の見出しのもとに、つぎのような説明がある[https://www.maff.go.jp/j/shokusan/think-food-agri/soy.html]。「スーパーなどの食品売り場にはたくさんの種類が並んでいる豆腐ですが、製造事業者が最も多かったのは60年ほど前(昭和30年代)という情報が紹介されていました。多い時には全国に5万件[軒]以上もあったけれど年々少なくなっていき、今では10分の1近くまで減っているということでした」。

 その原因を説明し、それでも豆腐屋さんは頑張っているという姿を紹介している。そして、つぎのように結んでいる。「さあおいしい豆腐を買いに行きましょう。さまざまな食べ方、料理法がある万能食品、しかも健康な体づくりにも役立つんですから、少しくらいは多めに買って大丈夫です!」。

 「ふざけるな!」と叫びたくなった。消費者に購買を促して解決するような問題ではない。われわれの日常の食生活や日本の食文化を守ることを、農林水産省はどう考えているのか、他人事のように紹介するのはやめて、「みんなで支える」前にまずは政策として真剣に取り組んでいる姿勢を示してほしい。食生活史研究を標榜している著者にも、ひと言言ってほしかった。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

高畑幸『在日フィリピン人社会-1980~2020年代の結婚移民と日系人』名古屋大学出版会、2024年5月10日、317頁、5800円+税、ISBN978-4-8158-1153-2

 帯に「繁華街から介護の現場、芸能界まで」と大書された横に、つぎの要約がある。「バブル期に毎年数万人の流入をみたエンターテイナー世代から、ブラジル人に代わり急増する日系人まで、いまや幅広い世代と領域に広がり日本社会の一部となったフィリピン人たち。外国人労働者の先駆でもある一大エスニック集団の暮らしと語りに密着し、全体像を活き活きと描き出す」。たしかに、統計的に存在はわかっても見えずらかった日本在住フィリピン人が、芸能界、スポーツ界などで目立つようになってきた。それは、日本で生きるフィリピン人の自信の表れかもしれない。

 序章「在日フィリピン人とは誰か」の冒頭で、著者は「本書は、「在日フィリピン人とは、どのような人たちか」「彼女ら/彼らはいかにして日本社会の一部となってきたか」を明らかにする試みである」と述べ、その存在が大きくなったのにはつぎの5つの画期があったと説明している。

 「第一に、1990年の改正入管法施行である。在留資格「定住」が新設され、海外在住の日系三世が来日し長期滞在が可能になった」。「第二に、1996年の法務省入国管理局通達「日本人の実子を扶養する外国人の取扱いについて」である。この通達は、日本で超過滞在中の外国人女性と日本人男性との間の婚外子が胎児認知により日本国籍を取得した場合、外国人母は定住資格を得るというものである」。「第三に、2005年の法務省令改正である。2004年にアメリカ国務省から「興行ビザは人身取引の温床となる」との指摘を受けた日本政府が、翌年から「興行ビザの発給基準を厳格化した」。「第四に、2006年の法務省による在留特別許可ガイドライン策定である。その後、2009年に改定されたガイドラインでは、10年以上の滞在、および子どもが日本の学校に通学していることを条件として、定住資格が与えられるようになった」。「第五に、2009年の改正国籍法施行である。改正後の国籍法第3条により、国際婚外子が生後認知によっても日本国籍を取得できるようになった」。

 「本書の独自性は、約30年にわたる筆者の参与観察と質的・量的調査によること、日本およびフィリピンの労働政策外で入国し滞在する人びとを対象にしていること、研究対象者の母語であるフィリピン語による聞き取りを通じて彼女ら/彼らの主観的世界を理解しようとしていること、調査対象者と日本の地域社会との関係性に焦点を当てていること、以上の4点である」。

 「本書の限界は、調査実施が2000年代前半から2020年代までと長期にわたるため、いくつかの章ではデータが古くなっていることである。また、序章と終章以外は既刊の論文をもとに大幅に加筆修正したものであり、全体に関連はしているが各章の内容は独立性が高い」。

 本書は、序章、2部全11章、2資料、終章、参考文献、あとがき、などからなる。第Ⅰ部「結婚移民」は、イントロダクションと第1-8章、資料1からなり、「労働(典型的な職種としての興行労働と介護労働)、子育て(フィリピン系日本人、呼び寄せた子ども)、地域社会への参加(栄東地区の事例、生活構造と集団参加)、そして高齢化(家族との関係の変化、老後の帰国計画)の4側面について、彼女らのライフコースに沿って質的・量的調査をもとに論じていく」。

 第Ⅱ部「日系人」は、イントロダクションと第9-11章、資料2からなり、「移住過程(日比を結ぶ雇用と移住の経路)、地域社会への参加(静岡県焼津市での就労と集住の事例)、教育と雇用(ブラジル日系人との比較から)の3側面にわたり、親族集団の生活と地域社会への参加を論じる」。

 終章「移動と共同性の生存戦略」では、「冒頭の2つの問いに沿うかたちでまとめ、日本における他の定住外国人との比較、およびフィリピンから諸外国への移住者との比較における、在日フィリピン人の社会統合のあり方の特殊性と普遍性を明らかに」する。

 第1の問い「在日フィリピン人とは、どのような人たちか」については、つぎのように答えている。「学歴と日本語能力を問わず、日本人との血縁および婚姻関係により来日・定住できるため、結婚移民と日系人は人的資本に乏しい人たちを含む。彼女ら/彼らは日本語を体系的に学ぶ機会もその時間的余裕も少ない。2000年代から介護研修を受けて介護職でキャリアを積む結婚移民たちがいたが(第2章)、それができたのはある程度の日本語能力や研修を受ける経済的・時間的余裕があった人たちで、多くは最低賃金に近い賃金での工場労働等、非正規雇用の繰り返しである」。

 第2の問い「彼女ら/彼らはいかにして日本社会の一部となってきたか」にたいしては、つぎのように答えている。「生活構造から社会統合のあり方を考えて」みると、「結婚移民は家族的地位を媒介とする親族・地域構造との接合、日系人は職業を媒介とする産業構造との接合」といえる。「新たな家族関係の形成と日本での生活が同時にスタートした結婚移民たちはその後、否が応でも日本語を覚え、「日本人」の家族との同居生活が始まる。そこではまず夫、そしてその家族、その親族、地域社会へと、社会関係を広げていく」。「夫と離婚したり死別すると、結婚移民たちが主役となり、自力で子どもの学校、自分の職場、地域の日本人たちと対話をして交渉」して社会的統合を進めた。いっぽう、日系人は「フィリピンでは日系社会内で日本語と文化の世代間継承がほとんど行われず、日系人といっても言語・文化的には「普通のフィリピン人」である」。「派遣会社が住居と職を用意する」。「派遣会社が作り上げた外国人仕様の職場では日本語を話す必要がなく、勤労世代のフィリピン日系人の日本語習得は概して遅い」。今後「日本社会への参加および統合が進むためには、何らかの形で日本社会からの働きかけを行う必要がある」。

 そして、つぎのように結論している。「結婚移民と日系人では日本社会への統合、特に地域社会への参加につながる生活構造は異なることがみえてきた。在日フィリピン人は一括りに捉えることはできず、来住経緯により家族、労働と生活の実態は異なる。それを丁寧に調べた上で彼女ら/彼らの社会統合への水路付けをする必要がある。そのさい、彼女ら/彼らが世界および日本各地にもつ親族ネットワークと、それにもとづく流動性(移動可能性)も考慮に入れる必要がある。言い換えると、彼女ら/彼らは日本以外で生活する選択肢を常に維持しているのである」。

 戦前のフィリピンで、混血児の日本人父がこどものために当然のごとく日本国籍をとったという思い込みは、どうもやめたほうがよさそうだ。多くの混血児は先住民族のフィリピン人を母にもち、3分の2は日本国籍をとっていなかった。本書でも、「日本領事館が居住地から遠いため」日本国籍をとっていなかったと書かれているが、日本人父は毎年徴兵延期願いを領事館に提出しなければならなかったから、そのついでに婚姻や出生届が出すことができたはずで、それをしなかった。日本国籍がなくても、日本人小学校に入学できた。積極的にフィリピンを選んだ者もいれば、考えあぐんで必要なときに届ければいいとそのままにしていた者もいただろう。記録に残るのは日本国籍を選んだ者ばかりで、日本国籍を選ばなかった者の記録はほとんどないためよくわからない。戦後、フィリピン人の反日感情が激しいなか、日本人の血が混じっていることを公表できない状態が続いたが、1970-80年代に経済大国になった日本との交流が復活し、日本で就労できることもあって日本国籍を求めるようになった。だが、その多くは、戦争で書類がなくなったわけではなく、元々日本国籍をとっていなかったため、就籍には困難をともなった。いっぽうで、日本国籍を求めなかった者もおり、日本国籍を取得後第三国へ行くことを希望する者もいる。本書で明らかになったことは、フィリピン側の研究によって、その位置づけがはっきりしてくるが、巻末の「参考文献」を見る限り、その数は少ないようだ。また、著者の客観的な考察にもかかわらず、日本人の一般読者は、フィリピンより日本国籍をもち、日本で働くほうがいいに決まっているという思い込みで、本書を読むかもしれない。戦前も1980年代以降も、「選ばれない日本」を念頭に置く必要がある。それは、「彼女ら/彼らは日本以外で生活する選択肢を常に維持しているのである」という本書の結論にも通ずる。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
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早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

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