風間計博・丹羽典生編『記憶と歴史の人類学-東南アジア・オセアニア島嶼部における戦争・移住・他者接触の経験』風響社、2024年3月25日、370頁、3600円+税、ISBN978-4-89489-355-9
本書でなにが議論されているのか、「序論-不確実性の時代における記憶と歴史の人類学」から、「本書」ということばを拾ってみよう。「二 相互浸透する二つの記憶形態」に、4つあった。
まず、冒頭につぎの文章があった。「本書は、オセアニアと東南アジア島嶼部を対象地域とした、記憶と歴史に関する人類学の論集である。両地域は、人文学・社会科学において人為的に切り離されて論じられる傾向があった。しかし本書では、両者の地理的連続性や歴史的共通性ならびに差異に着眼したい。そして、在地住民を軸に据えて、アジア太平洋戦争の経験とその痕跡、国家内の暴力的な弾圧、ナショナリズムに関わるモノの展示、世代を超えた移住や出稼ぎ経験、オセアニアにおける数世紀を遡るヨーロッパ人との初期接触、核実験による被曝等の事例をとりあげる」。
つぎに、3パラグラフつづけて、「本書」が出てきた。「本書で扱うのは、個人の脳内に電気的・物質的に蓄積された神経情報としての心理学・生理学的記憶ではない。むしろ、個に閉じた狭隘な記憶概念を解放し、複数の人間によって共有された歴史・文化的な記憶を主題化する」。
「そして、本書では、過去の経験を想起した語りのみならず、過去に生起した出来事の遺物や写真等、モノの形態をとる記憶、環境のなかで間身体的に生成・伝達される歴史記憶を想定する。ここで歴史記憶を焦点化するにあたり、両極にある二つの記憶形態を便宜的に想定しておく」。「(一)集合的記憶:国民やエスニック集団を統合する首尾一貫した公的な記憶形態(二)ヴァナキュラーな記憶:人々の日常生活に根差した矛盾や曖昧さを含む記憶形態」。
「本書では集合的記憶を切り詰めて、近代国家やエスニック集団の統合、政治的論争の場に強固に絡みつく概念としておく。狭義の集合的記憶は、集団を内閉化させて外部に敵対者を作り上げ、国家間の戦争やエスニック集団間の紛争において自己正当化の主張に根拠を与える。ただし、たいていの場合、これは政治的意図をもって構築あるいは歪曲された記憶であり、他集団あるいは自集団の一部からの信任が得られず、異議申し立てが行われることもしばしばみられる」。
さらに、「五 不確実な現代世界における「史実性」」の最後で、つぎのように述べている。「本書では、集合的記憶とヴァナキュラーな記憶の切り結ぶ相互浸透的な関係を見据えながら、多様な歴史経験の具体的事例を提示し、強い力能をもつ多義的な歴史記憶の実践を通して、虚偽と真実のあわいに「史実性」がいかに現前するのか、詳細に検討する。そして歴史記憶は、人々に何をもたらし、人々をいかに駆動させるのか、いかにして忘却されるのか、序論に続く三部から構成される事例研究において展開していく」。
つづく「六 本書の構成」では、3部全15章が紹介されている。第一部「戦争・紛争と植民地の記憶」[目次、扉では「戦争・紛争の記憶と国家」]は6章からなり、「記憶論の主流といいうる戦争経験や戦死者に関わる語りや遺物、国家による記憶の抑圧と強制をとりあげる」。各章のタイトルは、以下の通りである:第一章「沖縄シャーマニズムにおける「記憶の倫理」と痛みの民族誌」第二章「遺骨収集活動におけるつながりの辿り方と飛び越え方-戦没者と生者の関係の生成をめぐって」第三章「ペリリュー島における太平洋戦争の記憶とモノのエイジェンシー」第四章「記された記憶、刻まれた歴史-台湾東海岸の抗日事件記念碑から考える」第五章「九・三○事件後のインドネシア地方社会と社会的記憶の現在」第六章「想像の記憶と記憶の創造-インドネシアの博物館展示をめぐる一考察」。
第二部「移住と定着の記憶」[目次と扉では「移動と定着の記憶」]は4章からなり、「植民地期から現在にかけて起こった移住を取り巻く諸事象をとりあげる。移民の経験と感情、移民と先住の人々の関係に関する議論が展開される」。各章のタイトルは、以下の通りである:第七章「<南洋群島>という植民地空間における沖縄女性の生を辿る-「実践としての写真論」を手がかりに」第八章「ディアスポラの家族史と民族の語り-フィジーの首都近郊におけるヴァヌアツ系少数民族の祖先語りの分析から」第九章「記憶の不安-フィジー・キオア島において「移民」であること」第一〇章「「キーシナリオ」の不在-イタリア在住のフィリピン系第一・五世代のあいまいな未来イメージをめぐって」。
第三部「他者接触と記憶の媒体」は5章からなり、「オセアニアと東南アジア島嶼部との顕著な歴史的差異は、ヨーロッパ人との接触の経緯である。オセアニア島嶼部はヨーロッパから遠隔の地にあり、比較のうえで接触時期は遅く、関係は希薄だった。同時に、小規模な島社会の受けた衝撃は大きかった」。各章のタイトルは、以下の通りである:第一一章「皮膚から紙へ刻み移す-ビーチコマ-と民族学者によるマルケサス諸島のイレズミの記憶」第一二章「モノのやりとりをめぐる齟齬と擦りあわせのプロセス-西洋人とトンガ人の歴史的出会い」第一三章「パプアニューギニア、アンガティーヤの他者接触と世界の拡大をめぐる「記憶」」第一四章「西洋人にルーツを求める系譜語り-ミクロネシア連邦ポーンペイ島の親族関係にみる他者接触と史実性」第一五章「クリスマス島での英米核実験をめぐる記憶-キリバス人の被ばくの「語り」による再構築」。
そして、「序論」を、つぎの2パラグラフで締めくくっている。「本書の各章において、戦争の遺物や遺骨、石碑といったモノ、残された写真、語りや歌謡、身体に刻まれた文様やふるまい等、多様な形態による歴史記憶が、人々を駆動させ感情を喚起させることが示される。苦難の戦争体験により引き起こされる憑依現象は、苛烈な記憶が生者のみならず、死者をも賦活する好例である。一方、国家的意思が博物館展示を通じて集合的記憶を民衆に植え付けるよう作動し、ヴァナキュラーな記憶を抑圧する事例もみられる。また、人類の普遍的事象というべき移住経験や他者接触に関する記憶は、ときに親族集団を結び付ける想起を促す。あるいは集合的な不安や茫漠とした未来イメージといった、個別の文脈において異なる感情を伴った特異な相貌を呈することになる」。
「実証的に史実と認めることが困難な歴史記憶であっても、多様な媒体を通じて継承され、「史実性」を帯びることがある。そして、歴史記憶は行為遂行的に繰り返し現前し、それを取り巻く人々に強く働きかけ、過去・現在・未来、生者/死者とモノを取り結び、それらの複合的な関係を活性化する力能を発揮するのである」。
本書は、国立民族学博物館共同研究「オセアニア・東南アジア島嶼部における他者接触の歴史記憶と感情に関する人類学的研究」の成果である。「オセアニア・東南アジアというさしあたりの地域的区分を設けているが、実際には幅広い地域とトピックを扱って」いる。目次の後にある地図を見ると、「東南アジア・オセアニア島嶼部」からはみ出ているのが、第一章の沖縄と第四章の台湾であることがわかる。このことは、案外重要なことなのかもしれない。いまいちど、沖縄と台湾の熱帯の島嶼部を問う必要があるかもしれない。ASEAN wayやMicronesian wayということばが頭に浮かんだ。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。