早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2024年07月

村上繁樹編著『幕末勤王志士と神葬-洛東霊山・靈明神社の歴史』ミネルヴァ書房、2022年10月30日、299+6頁、3500円+税、ISBN978-4-623-09397-7

 下関に櫻山招魂場(市指定記念物(史跡))があり、つぎのような説明文がある。「櫻山招魂場は、奇兵隊の嘆願により、元治元年(1864)5月に尊皇攘夷に倒れた隊士らを身分の区別なく慰霊する施設として創設され、翌年の慶応元年8月に招魂祭が挙行された。のちに全国に設けられる招魂社の先がけであり、幕末維新における奇兵隊、ひいては長州藩の思想理念を象徴する史跡である」。

 「現在の招魂場には、吉田松陰をはじめ391基の招魂碑が整然と立ち並ぶ。その初期の姿は、招魂碑が社殿をコの字状に囲む形態であったが、明治40年代前半には神社拝殿裏に整然と集約配置された。その後も数度の改変を経て今に至っており、現在の配置形態からは、史料や石碑の色合いにより一つ前の配置形態(昭和34年)を読み解くことができる。また、吉田松陰の碑は戦前のある時点で、他と区別すべく一段高く最前列中央に据えられ、その左右には松下村塾四天王と称される高杉晋作、久坂玄瑞、入江九一、吉田稔麿が配され、吉田松陰に対する当時の時代背景が映し出される」。

 「櫻山招魂場は、幕末から近代にかけての戦死者の慰霊・追悼・顕彰のあり方などを明らかにするうえでも、大きな意味を持つ」。

 「※招魂祭 尊皇のもとに戦死した者を慰霊し、変革成就を誓う祭祀。その起源は、文久二年(1862)に京都霊山(りょうぜん)で在京各藩有志により行われたことに始まるとされる」。

 写真の通り、吉田松陰の碑が一段高くなっているが、高さ、大きさは同じである。
 [写真略]

 「長州藩の思想理念」を知るための論文として、津田勉「白石正一郎の神道信仰-桜山招魂社創建を巡って」『山口県神道史研究』(第14号、2002年7月、40-56頁)がある。高杉晋作の神式葬をめぐる経緯もわかる。

 史跡説明文の最後の註にある「京都霊山」について書かれた研究書について調べてみたところ、本書が2022年に出版されていることがわかった。

 本書の概要は、表紙見返しにつぎのようにまとめられている。「本書は、洛東霊山・霊明神社の初世神主から五世神主までの歴史と神社に深いかかわりをもった幕末勤王志士の船越清蔵・松浦松洞・久坂玄瑞・吉田玄蕃らを取り上げる。彼らが眠る墓地がいつ頃どのようにしてできたのかを明らかにする。また、神葬祭そのものの歴史を紐解き、国学との関連、靖国神社の源流とされる招魂祭と霊明神社の神葬祭についても解説。創建二百数年の歴史で初公開の史料が多く、幕末史をより深く知ることができる一冊」。

 本書は、はじめに、2部、あとがき、資料編、人名・事項索引からなる。第1部「霊明神社の歴代神主」では、「霊明神社初世から五世神主の歴史について述べる。町人の神葬を隠れて始めていた時代から、尊王攘夷志士を埋葬し招魂社が建立される時代、明治維新と東京遷都以後、霊山の神葬地が忘れられていく時代、そして大正時代へと推移する」。

 第Ⅱ部「幕末志士の招魂と神葬祭の歴史」では、「まず歴史研究家舟久保藍氏が神社に深いかかわりを持った志士として、船越清蔵・松浦松洞・吉田玄蕃・久坂玄瑞を取り上げるとともに、靖国神社の源流とされる招魂祭について述べる」。「次に皇學館大学教授松本丘氏が神葬祭そのものを解説し、その歴史を紐解き、国学との関連、招魂祭の発生と当社における神葬祭について述べる」。

 「一 志士の埋葬と招魂祭」は、つぎのようにまとめている。「維新の思想的源泉となったものに、国学があり水戸学があり、山崎闇斎に始まる崎門学がある」。「勤王の精神を鼓舞した」崎門学派の「若林強斎の「神道大意」によると、神道とは日本の国の道を示すものとある。水や火、草木の一本にも神が宿っており、天照大神の神孫である天皇は、天の神を斎き奉らせられ、天下泰平・万民安穏を祈らせらるる御心のみである。我々は八百万の神の下座に連なり、君上を護り奉り国土を鎮むる神霊となる志以外はなく、その道を神道、国を神国という」。現在、「霊明神社では、霊明神社崇敬奉賛会主催により、全国からの参列者を得て七月十九日には秋湖祭(久坂玄瑞命日祭)、秋には幕末維新殉難志士祭が執り行われる」。

 「二 神葬祭の歴史と霊明社」は、つぎのようにまとめている。「近代に至る神葬祭の歩みは平坦ではなく、多くの人々の研究と実践によって、少しずつその地歩を固めて来た」。「しかし、神葬祭をめぐっては、神官と教派神道との競合関係、神社の宗教性を払拭しようとする内務省の姿勢、神道界内部における伊勢神宮派と出雲大社派との教学をめぐる対立(祭神論争)など、神葬祭普及を阻害する諸々の要因により、内務省は明治十五年、官国弊社神官に教導職分離・葬儀不関与を達するに至った」。「戦後、神社神職は国家の管理から離れ、神葬祭の執行も自由となった。しかし、その広がりは限定的であり、儀礼の内容も地域差や、神葬墓地確保の問題等、今度[後]も検討されるべき神葬祭の課題は少なくない」。

 津田勉「白石正一郎の神道信仰-桜山招魂社創建を巡って」は、つぎのパラグラフで終え、結論としている。「それにしても興味深いのは、奇兵隊戦死者の遺骸が埋葬された墓が寺院に在るという事実である。この事実は今日の靖国神社・護国神社に祭られている大多数の祭神と寺院との関係に於いても全く変わってはいないのではないかと思われる。この点で、近世・近代の日本に於ける神仏の在り様も相互補完的であったと思われる」。

 さらに、兵庫県姫路護国神社近くにある播磨国総社射楯兵主神社の租霊社には、「日清日露戦争の英霊百二十一柱」「維新の志士十二柱」がまつられている。

 いったい死者は、どこで安らかにされているのだろうか。また、碑が同じ大きさではなく階級が高い将校のが大きくなったり、集合的になって一般兵士個々人が軽んぜられるようになったりしたのは、いかなる「思想理念」からなのだろうか。 


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

植田展大『「大衆魚」の誕生-戦間期における水産物産業の形成と展開』東京大学出版会、2024年2月26日、240頁、ISBN978-4-13-046141-2

 日本人が古くから魚を食べてきたことは、海に囲まれ急峻な地形で河川が発達していたことから容易に想像がつく。しかし、それが自給自足で獲れたときだけでなく、日常生活のなかに入ってくるのは、都市が形成され消費社会が出現してからになる。日本では、北陸の鯖を京に運ぶ鯖街道など、遠距離輸送も前近代からおこなわれていた。

 著者は、1969年に放映がはじまった「サザエさん」のオープニング・テーマソングに鮮魚店から魚を盗む猫が出てきて、すでに魚が日常の食材になっていたことから議論をはじめている。そこには、日常的に安定して供給される「大衆魚」の存在があった。

 本書の目的は、序章「本書の目的とアプローチ」のなかに何度も出てくる。その最後は、つぎの文章で終わっている。「本書では戦間期の大都市で成立した日常生活に水産物を食べる消費生活と、大手水産会社や地理的条件に恵まれた他地域と競合しながら形成された水産食品生産地域の双方を分析し、その相互作用のなかで「大衆魚」が誕生していくメカニズムを明らかにしたい」。

 本書のキーワードのひとつは、「大衆魚」である。著者は、「高度成長期に連なるような戦間期の消費生活のなかで購入されていた水産物を、「大衆魚」と定義したい」とし、「一般的に明確な定義をせずにイワシやアジ、サバ、サンマなどの多獲性魚種の総称として用いることが多い」としている。

 本書は、序章、2部全5章、終章、などからなり、序章最後の「3.本書の分析の特徴と構成」で、まずつぎのように概略を述べている。「本書では大都市の新たな水産物需要の実態を第1部の第1章、第2章で検討し、その上で第Ⅱ部の第3章、第4章、第5章では、消費の変化を前提に魚種の選択や漁場の利用方法の変更、動力船・冷蔵庫などの新技術の導入、製品の品質改善・新製品開発などを行いながら展開した北海道・樺太の生産地域の対応を確認する」。

 その後、各章毎に説明しているが、終章「「大衆魚」の誕生とは」の「1.本書の内容」のほうが、より詳しく、成果を加えてまとめている。まず、全体をつぎのようにまとめている。「本書は消費地における需要の変化と、中小漁業・水産加工業経営を主体とした北海道・樺太の供給側の対応を一貫して把握することで、戦後の大衆消費社会の原型となる消費生活、すなわち「大衆魚」の誕生が両者の相互関係のなかで形成されてきたことを明らかにしてきた。北海道のような遠隔地の水産物の生産に関わる地域は、産業構造を変えながら、大都市の消費生活の変化に対応した水産食品生産地域を形成していった」。

 第1部「変わる大都市の水産物需要」では、「大都市・東京を中心に、新たな水産物需要の特質を2つの章で分析した。まず、大都市で水産物の需要が1910年代以降に拡大していたことを確認し、大都市の水産物供給の仕組みを明らかにすると同時に、「家計調査」を用いたミクロレベルの消費生活の実態に迫った。次に、東京に設置された北海道水産会の販売斡旋所の活動実態から、大都市の消費生活の変化を水産団体がどのように把握し、情報の非対称性の克服に向けてどのような役割を果たしたのかを確認した」。

 第1章「大都市における新たな水産物需要の拡大-1910年代以降の東京市の消費動向を中心に」では、「1910年代以降、日本の水産物消費が増加傾向にあり、昭和恐慌期においても根強い水産物消費があったことを指摘した。その上で農村・都市で水産物の消費量に明確な違いがあり、大都市で水産物消費の著しい増加がみられることを「家計調査」や各種統計を用いて説明した」。

 第2章「大都市市場に対応する遠隔生産地域-北海道水産会の東京での活動を中心に」では、「北海道の水産業関係者が組織する北海道水産会の東京での活動に着目し、消費生活の変化を供給側である地域がどのように把握していたのかを確認し、その役割についても評価した」。

 第Ⅱ部「新たな需要に対応する生産地域」では、「大都市の需要の変化を踏まえ、戦間期に供給地として存在感を増す北海道の水産食品生産地域の形成・展開過程を、樺太との関係を示しながら分析した。農村地域向けに魚肥や塩乾魚を主として供給してきた北海道では、第1次大戦期以降、整備された流通網を生かしながら、従来と比べて鮮度や味に優れた製品を供給していくことで、新たな需要を捉えた水産食品生産地域の形成が進んだ」。

 第3章「漁場利用の積極的変容と生産地域の再編-余市のニシン定置漁業を事例として」では、「北海道の日本海側に位置する余市を事例に、在来の貯蔵性に優れた本乾身欠ニシンから、味や鮮度に重点を置いた半乾物や鮮魚に近い生身欠ニシンへの転換を進めて水産食品生産地域が形成されていく過程を明らかにした」。

 第4章「水揚物の効率的活用と水産食品生産地域の展開-岩内のタラコ取引とスケソ製品を事例として」は、「「ニシンの余市」とともに「スケソウダラの岩内」と称された、岩内における水産食品生産地域の形成・展開過程を、製品構成の変化や漁船の所有関係に着目して分析した。岩内では第1次大戦期以降のタラコ需要の拡大に伴って、スケソウダラの漁獲を目的とした動力船漁業が展開したものの、動力船の参入が相次ぐなかで、操業の継続が困難となる経営が増加して漁場の利用調整は必要となった。水産加工業を兼業した動力船の船主が主導して漁場の利用調整を協調して行うと同時に、タラコの品質改善や共同購買事業を強化し、地場の水揚物を効率的に活用しながら事業の存続を目指すための再編が進んだ」。

 第5章「条件不利地における需要への対応とその限界-樺太におけるニシン漁業を事例として」では、「水産食品生産地域の原料供給地として再編される樺太のニシン漁業の実態を分析している。北海道以上に地理的な条件不利地であり、同時に労働力の確保も困難であった樺太は、余市や岩内のような水産食品生産地域への再編が進まず、水産食品生産地域向けの加工原料供給地域に組み込まれていった」。

 以上を総括して、つぎのように「1.本書の内容」を結んでいる。「本書では戦間期の大都市消費地市場と生産地域との有機的なつながりのなかで把握してきた。分析を通じて、戦間期の大都市で生まれた新たな消費生活への対応が、水産食品生産地域の独自の発展を可能にし、その相互作用のなかで「大衆魚」が誕生してきたことを明らかにした」。

 そして、終章をつぎのパラグラフで終えている。「本書は「大衆魚」の誕生という分析視覚をとることで、水産物を日常的に消費する新たな生活の実態を明らかにし、後に連なる大衆消費社会の萌芽的な形成が戦間期にみられることを確認してきた。「大衆魚」の誕生は、地域の主体的な対応を伴いながら、現在も地域経済を支える水産食品生産地域が形成されていく過程でもあった。一方、同時にそれは消費の論理によって必要な水産物を安定的に調達していく、食のグローバル化に連なる変化であったとみることもできるだろう。本書は供給側の対応として北海道・樺太という限定された地域の事例から、その一端を明らかにしたに過ぎない。「大衆魚」の誕生という枠組みを他の生産地域にもあてはめ、さらなる精緻化を図る作業は今後の課題としたい」。

  本書は、東京市場と遠隔生産地域として北海道・樺太を事例に、「大衆魚」の誕生という社会史研究にとって重要なテーマを扱っている。これを、西日本を事例にすると、もっと違った分析になっただろう。北海道・樺太は、日本の外縁ではあるが「国内」である。いっぽう、西日本の「大衆魚」の誕生は、植民地であった朝鮮や台湾と密接に結びついており、さらに中国沿岸への侵漁を無視するわけにはいかない。帝国日本の姿が現れてくる。消費と生産の、さらに向こうをみる必要がでてくる。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

石津朋之・立川京一・齋藤達志・岩上隆安編著『ランド・パワー原論-古代ギリシアから21世紀の戦争まで』日本経済新聞出版、2024年4月12日、448頁、4000円+税、ISBN978-4-296-11816-8

 このような本が市販されると、一瞬戸惑ってしまう。実践に役立つということは、人を「合法的に」殺すことを意味する。人を殺すことを避けるための「実践」と思い直して、読みはじめた。

 本書は、「防衛大学校や防衛研究所など、防衛省・自衛隊の各種教育機関での教科書として」書かれた、「ランド・パワーについてその歴史を踏まえながら包括的な解説を試みた啓蒙書である」。各章の終わりには、「キーポイント」と「読書ガイド」がある。

 本書は、序文、はじめに、3部全17章、おわりに、からなる。全体の内容は、帯の表と裏からわかる。表には、「軍事ドクトリン、ロジスティクス、インテリジェンス、連合・統合作戦、国民総武装、水陸両用戦争・作戦、エアランド・バトル、デジタル化などからランド・パワーの本質に迫る」「理論、歴史、実践、将来像を解説する軍事戦略の必読書」「最後の勝敗を決するのは陸上戦力。戦史を題材に運用の論理を解明する」とある。

 裏では、つぎのように概要を説明している。「ランド・パワーは、地上を主たる領域として行動する軍事力(ミリタリー・パワー)である。地上での戦いとは、「ランド(土地、領土あるいは陸地)」という領域に関連した軍事力の行使であり、そこには敵の物理的な破壊を意図した「強制」や「抑止」といった概念が含まれる。伝統的に、軍事力(ミリタリー・パワー)は陸軍力(ランド・フォース、さらにはランド・パワー)とほぼ同義として理解されてきた。その結果、軍事戦略は陸軍戦略とほぼ同義と認識されたものである」。

 章ごとの内容は、「はじめに」で紹介されている。各章で気になったことを、キーワードから拾ってみると、つぎのようになる。第1部「ランド・パワーの理論」は6章からなり、第1章「ランド・パワー-1900~2000年」(ブライアン・ボンド)では、「いわゆる「先進国」の政府は、死傷者が多く出るのを嫌い、理想的には、味方の戦力にまったく被害のない戦争を追求する」。第2章「ランド・パワー-その過去、現在、将来」(石津朋之)では、「ランド・パワーの本質的な機能あるいは役割は人間の支配であり、その手段としての「ランド」の支配である」。第3章「軍事ドクトリン-知性の戦力化」(齋藤大介)では、「軍事ドクトリンは、軍事問題を解決する一定期間有効なパラダイムであり、ある因果関係をもとにした「勝利の理論」である」。第4章「ランド・パワーとロジスティクス」(石津朋之)では、「ランド・パワーを効果的に運用するためには、ロジスティクスの確保および維持が不可欠である」。第5章「ランド・パワーにおける指揮」(齋藤大介)では、「指揮を構成する要素には、意思決定、統御、統制があり、時には情報処理や管理などがそこに含まれるが、その本質はなすべきことを決定する意思決定である」。第6章「ランド・パワーにおけるインテリジェンス-日本陸軍を事例として」(井上嘉史)では、「軍事インテリジェンスの目的は、敵の意図と能力および地形等の環境を明らかにすることである。軍事インテリジェンスは、指揮官の意思決定を支援するものであり、戦闘力の発揮を効率化する戦闘力の要素の1つである」。

 第Ⅱ部「ランド・パワーの歴史」は8章からなり、第7章「古代ギリシア・ローマの戦争-戦いの叡智と知られざる銃火器以前の戦争」(フィリップ・セイビン)では、「古代の戦いにおいては、近代と異なり、数的優勢よりも精神要素が重要であった」。第8章「西部戦線での統合あるいは諸兵科協同作戦-1918年」(デイヴィッド・スティーヴンソン)では、「連合国側の協同(統合)が始まったのはインテリジェンス(情報)活動が最初である」。第9章「第二次世界大戦における連合・統合作戦-イギリスとアメリカを中心に」(ウィリアムソン・マーレー)では、「第二次世界大戦中の英米両軍の経験から、現代を生きる私たちは連合・統合作戦に関する数多くの有益で重要な教訓を学ぶことができる」。第10章「国民総武装-ヴェトナム戦争を中心に」(齋藤達志)では、「国民総武装は、ランド・パワーにおける重要な要素となりうる。いかに国民を総武装させるかがランド・パワーを成功させる鍵である」。第11章「シー・パワー的ランド・パワーとしての水陸両用戦争・作戦-日本軍を事例として」(二宮充史)では、「陸軍主導陸海軍協同の日本軍の水陸両用戦争・作戦は、日本列島周辺の大陸沿岸での戦争において発展したものであり、第二次世界大戦の太平洋戦域において広大遠隔の海洋での戦争・作戦には適応できず、アメリカ軍の強力な海空軍と統合作戦の前に敗退することとなった」。第12章「日本陸軍による水陸両用師団の運用-太平洋戦争期の第5師団の場合」(立川京一)では、「部隊を有効に運用するには、その能力を発揮しうる条件が整った戦場で用いるべきである」。第13章「内戦作戦と外線作戦-ランド・パワーとビルマ防衛作戦」(齋藤達志)では、「ランド・パワーとは何か、またその基幹的構成要素の陸戦とは何か」。第14章「日本陸軍の宣伝戦-南方軍の『宣伝戦』を中心に」(岩上隆安)では、「総力戦となった第一次世界大戦では、戦線の膠着状態を打開するために宣伝が活用された」。

 第Ⅲ部「ランド・パワーの現在と将来」は3章からなり、第15章「エアランド・バトルと現代戦」(カーター・マルケイジアン)では、「エアランド・バトルは現代の戦略環境には適していない」。第16章「陸軍のデジタル化とイラク戦争-戦場の情報化」(阿部昌平)では、「アメリカ陸軍のデジタル化は、情報化時代の到来と冷戦終結に伴う軍縮の圧力のなかで始まり、情報技術の活用による戦闘指揮能力の向上を通じて部隊の戦闘力、機動力、そして生存性を高めることを狙いとして始まった」。第17章「ランド・パワーの将来構想の軌跡と展開-アメリカ陸軍マルチ・ドメイン・オペレーション構想を中心に」(小橋史行)では、「ランド・パワーの将来構想は陸海空といった各軍種の将来構想を併せて統合のレベルで将来構想を総合的に見積もり、最終的には、その検討結果が陸軍種に反映される」。

 本書は、15年前に「エア・パワー」「シー・パワー」に続く第3弾として企画されたという。その間の変化について、「おわりに」でつぎのように述べている。「湾岸戦争以来、全盛を誇っていたエア・パワーが対テロ戦争の長期化とともに、その独り勝ちの様相に陰りが見え始め、ランド・パワーの価値は次第に見直されるようになった。加えて、陸海空3軍種の統合運用や諸兵科の協同作戦が世界的にますます重要視されるようになった。防衛省・自衛隊における統合幕僚監部の創設や、のちの陸上自衛隊水陸機動団の編成などは、そうした傾向を象徴する事象である」。

 「さらに、ハイブリッド戦やマルチ・ドメインといった新たな形態が将来戦の中心をなすかが論じられる半面、ウクライナやガザ地区における実際の戦闘では、塹壕戦や地下陣地の構築といった先祖返りの様相が見られる。同時に、認知戦という言葉は現代風であるが、宣伝戦(プロパガンダ)」の重要性も再認識させられている状況である。つまり、今日のランド・パワーは一段と多様性を求められるようになっているわけであり、そうした点は本書の構成にも表れている」。

 そして、15年前に「想定していた執筆者は内外の文官研究者が大半」であったのにたいして、「本書の執筆者は、半分以上が現役の自衛官、もしくは、退官後間もない元自衛官である。文官研究者は半数に及んでいないのである」。「まだほんの一部ではあるにせよ、軍事史における自衛官による研究成果は、従前とはかなり様子を異にするものとなってきている」。

 本書から、よくいわれる戦争が科学技術の発展に貢献するということだけでなく、さまざまな分野に貢献することがわかった。だが、それが戦争を肯定する理由になってはいけない。現役自衛官が増えたいうことが、「実践」が迫っていることを意味するものではないことを願う。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

諸岡康子『ヘイト・スピーチとは何か』岩波新書、2013年12月20日、222頁、760円+税、ISBN978-4-00-431460-8

 「何より考えるべきは、差別によりもたらされるマイノリティ被害者の自死を選ぶほどの苦しみをどう止めるかということではないだろうか」と、帯の裏にある。本書は、ヘイト・スピーチが激しさを増していた2013年に書かれたものである。しばらく、ヘイト・スピーチを見聞きする機会が減っていたと感じていたが、つばさの党の選挙妨害の映像を見て、いまどうなっているのか気になった。本書が出版されてから10年がたったが、進展したのだろうか。

 法務省のホームページには、「ヘイトスピーチ、許さない。」がある。3つの項目を立て、つぎのように説明している。

    ◆「ヘイトスピーチ」って何?
     特定の国の出身者であること又はその子孫であることのみを理由に、日本社会から追い出そうとしたり危害を加えようとしたりするなどの一方的な内容の言動が、一般に「ヘイトスピーチ」と呼ばれています (内閣府「人権擁護に関する世論調査(平成29[2017]年10月)」より)。
     例えば、
     (1)特定の民族や国籍の人々を、合理的な理由なく、一律に排除・排斥することをあおり立てるもの
      (「○○人は出て行け」、「祖国へ帰れ」など)
     (2)特定の民族や国籍に属する人々に対して危害を加えるとするもの
      (「○○人は殺せ」、「○○人は海に投げ込め」など)
     (3)特定の国や地域の出身である人を、著しく見下すような内容のもの
      (特定の国の出身者を、差別的な意味合いで昆虫や動物に例えるものなど)
    などは、それを見聞きした方々に、悲しみや恐怖、絶望感などを抱かせるものであり、決してあってはならないものです。
     ヘイトスピーチは、人々に不安感や嫌悪感を与えるだけでなく、人としての尊厳を傷つけたり、差別意識を生じさせることになりかねません。
     多様性が尊重され、不当な差別や偏見のない成熟した共生社会の実現を目指す上で、こうした言動は許されるものではありません。
     民族や国籍等の違いを認め、互いの人権を尊重し合う社会を共に築きましょう。
    ◆どんな法律があるの?
     ヘイトスピーチについて、マスメディアやインターネット等で大きく報道されるなど、社会的関心が高まっていたことを受けて、国会において、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(平成28[2016]年法律第68号)」、いわゆる「ヘイトスピーチ解消法」が成立し、平成28年6月3日に施行されました。
     ヘイトスピーチ解消法は、「本邦外出身者」に対する「不当な差別的言動は許されない」と宣言しています。
     なお、同法が審議された国会の附帯決議のとおり、「本邦外出身者」に対するものであるか否かを問わず、国籍、人種、民族等を理由として、差別意識を助長し又は誘発する目的で行われる排他的言動は決してあってはならないものです。
     ヘイトスピーチ解消法の解釈など、地方公共団体がヘイトスピーチの解消に向けた施策を行うに当たって参考となる情報を、法務省人権擁護局において取りまとめたものです。
    ◆法務省はどのような取組をしているの? 
     ヘイトスピーチをなくすためには、ヘイトスピーチが許されるものではないという意識が、広く深く社会の間に浸透することが重要です。
     法務省の人権擁護機関では、こうした認識の下、ヘイトスピーチを他人事ではなく自分自身の問題として捉えていただけるよう、ヘイトスピーチに焦点を当てた様々な啓発・広報活動を行っています。 

そして、解消法施行8年の2024年6月、つぎのコラムを掲載した。

    ヘイトスピーチ解消法施行8年
     「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」(平成28年法律第68号)、いわゆるヘイトスピーチ解消法が施行されて8年が経過しました。
     法務省の人権擁護機関では、同法の趣旨を踏まえ、「ヘイトスピーチ、許さない。」をキャッチコピーとして、様々な啓発活動に取り組んできました。また、国連においても、ヘイトスピーチと闘うための文化間、宗教間の対話を呼びかける決議を採択し、毎年6月18日を「ヘイトスピーチと闘う国際デー」と宣言しています。
     しかし、ヘイトスピーチは依然として後を絶たず、近時は、その主な態様が街頭デモなどの示威行動から、選挙運動や政治活動の体裁を採るものやSNSや掲示板等のインターネット上での表現行為によるものに変化するなど、多様化しています。選挙運動や政治活動等の自由の保障は民主主義の根幹をなすものではありますが、選挙運動や政治活動等として行われたからといって、直ちにその言動の違法性が否定されるものではありません。また、インターネット上の書き込みは、情報の拡散やアクセスが容易であるだけに、深刻な被害を招きかねません。
     ヘイトスピーチを解消するためには、ヘイトスピーチが、人々に不安感や嫌悪感を与えるだけでなく、人としての尊厳を傷付けたり、差別意識を生じさせるものであり、決して許されるものではないという意識が、広く深く社会に浸透することが重要です。
     こうした認識の下、法務省の人権擁護機関では、法施行から8年を迎える本年6月に、「ヘイトスピーチ、許さない。」のポスター掲示強化やインターネットバナー広告を実施するなどヘイトスピーチの解消に向けた啓発活動を集中的に実施しています。
     これらに加えて、全国の法務局等で、スポーツイベント等とタイアップした取組などの様々な人権啓発活動を展開するとともに、人権擁護局公式SNS(https://www.moj.go.jp/JINKEN/index_keihatsu.html)等でも、様々な情報を発信していく予定です。
      私たち一人一人が「ヘイトスピーチ、許さない。」という思いを持ち、お互いの人権と尊厳を尊重し合える共生社会を共につくっていきましょう。

 本書の概要は、表紙見返しにつぎのようにまとめられている。「差別と侮辱、排除の言葉をマイノリティに向けて路上やネット上で撒き散らす-ヘイト・スピーチとは差別煽動である。差別も「表現の自由」として、当事者の深刻な苦しみを放置するのか。民主主義社会をも破壊する「言葉の暴力」と向き合う国際社会の経験と制度を紹介し、法規制濫用の危険性も考えながら、共に生きる社会の方途を探る」。

 「はじめに」は、つぎのように基本的な説明ではじまる。「二〇一三年に日本で一挙に広まった「ヘイト・スピーチ」という用語は、ヘイト・クライムという用語とともに一九八〇年代のアメリカで作られ、一般化した意外に新しい用語である。日本では「憎悪表現」と直訳されたこともあり、未だ一部では、単なる憎悪をあらわした表現や相手を非難する言葉一般のように誤解されている。そのことが、法規制をめぐる論議にも混乱を招いている」。

 「本書では現在最も焦点化している新大久保、鶴橋などにおける排外主義デモに代表される人種主義的ヘイト・スピーチracist hate speechについて中心的に取り上げる。それは「人種的烙印の一形態としての攻撃」であり、標的とされた集団が「取るに足りない価値しか持たない」というメッセージであり、それ自体が言葉の暴力であると同時に、物理的暴力を誘引する点で、単なる「表現」を超える危険性を有し、「人種的偏見、偏見による行為、差別、暴力行為、ジェノサイド」の五段階の「憎悪のピラミッド」の一部としてしばしば説明される」。

 本書は、はじめに、全5章、あとがき、などからなる。構成と概要は、「はじめに」の最後のほうで、つぎのようにまとめられている。「筆者は、ヘイト・スピーチの悪質なものは法規制すべきとの立場に立っているが、反対論・慎重論も検討しながら、法規制の必要性と許容性、その在り方について丁寧に論じていきたい」。「1章[蔓延するヘイト・スピーチ]では、日本のヘイト・スピーチの現状とその背景を、2章[ヘイト・スピーチとは何か]では、ヘイト・スピーチの本質とその害悪、国際社会が共有する認識を、3章[法規制を選んだ社会]では、諸外国がどのようにヘイト・スピーチに対処し、人種差別撤廃政策を展開してきたかに注目する。4章[法規制慎重論を考える]では、ヘイト・スピーチの法規制をめぐる議論とそれが示唆するものを、アメリカの例を参照しつつ検討し、5章[規制か表現の自由かではなく]では、現在の日本が取り組むべき対策について整理し、具体的な提案を試みる」。

 そして、「あとがき」は結論でもあり、つぎのように日本政府の姿勢を総括している。「このような排外的な日本政府の姿勢が、ヘイト・スピーチを生み出し、悪化させている。冒頭の、排外主義デモをやっている人たちはどのような人たちなのかとの問いは、彼らは自分とは違う特異な人たちだということを前提にしている。しかし、彼らは政府の排外性を反映した日本社会の一部であり、その醜さを露骨に表現しているにすぎない」。

 「日本社会が真に問われているのは、法規制か「表現の自由」かの選択ではなく、マイノリティに対する差別を今のまま合法として是認し、その苦しみを放置しつづけるのか、それともこれまでの差別を反省し、差別のない社会を作るのかということではないだろうか」。

 本書を読むと、まずしなければならないことは政治家と官僚の教育だということがわかる。日本のリーダーが潜在的にでもヘイト・スピーチの温床になっているなら、いくら法規制しても表面的なものに終わり、つばさの党の選挙妨害のように、姿を変えてわれわれの前に現れるだろう。選挙のときに公約として掲げてもらい、現職はその実績を選挙民に問うことだ。心底理解している者だけ、選挙で選べばいい。

 本書が出版されてから「ヘイトスピーチ解消法」が成立するまで2年半かかった。それから8年して、法務省はまだまだ努力をつづけているという「コラム」を掲載した。努力の矛先はどこか、明確にする必要があるだろう。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

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