村上繁樹編著『幕末勤王志士と神葬-洛東霊山・靈明神社の歴史』ミネルヴァ書房、2022年10月30日、299+6頁、3500円+税、ISBN978-4-623-09397-7
下関に櫻山招魂場(市指定記念物(史跡))があり、つぎのような説明文がある。「櫻山招魂場は、奇兵隊の嘆願により、元治元年(1864)5月に尊皇攘夷に倒れた隊士らを身分の区別なく慰霊する施設として創設され、翌年の慶応元年8月に招魂祭が挙行された。のちに全国に設けられる招魂社の先がけであり、幕末維新における奇兵隊、ひいては長州藩の思想理念を象徴する史跡である」。
「現在の招魂場には、吉田松陰をはじめ391基の招魂碑が整然と立ち並ぶ。その初期の姿は、招魂碑が社殿をコの字状に囲む形態であったが、明治40年代前半には神社拝殿裏に整然と集約配置された。その後も数度の改変を経て今に至っており、現在の配置形態からは、史料や石碑の色合いにより一つ前の配置形態(昭和34年)を読み解くことができる。また、吉田松陰の碑は戦前のある時点で、他と区別すべく一段高く最前列中央に据えられ、その左右には松下村塾四天王と称される高杉晋作、久坂玄瑞、入江九一、吉田稔麿が配され、吉田松陰に対する当時の時代背景が映し出される」。
「櫻山招魂場は、幕末から近代にかけての戦死者の慰霊・追悼・顕彰のあり方などを明らかにするうえでも、大きな意味を持つ」。
「※招魂祭 尊皇のもとに戦死した者を慰霊し、変革成就を誓う祭祀。その起源は、文久二年(1862)に京都霊山(りょうぜん)で在京各藩有志により行われたことに始まるとされる」。
写真の通り、吉田松陰の碑が一段高くなっているが、高さ、大きさは同じである。
[写真略]
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「長州藩の思想理念」を知るための論文として、津田勉「白石正一郎の神道信仰-桜山招魂社創建を巡って」『山口県神道史研究』(第14号、2002年7月、40-56頁)がある。高杉晋作の神式葬をめぐる経緯もわかる。
史跡説明文の最後の註にある「京都霊山」について書かれた研究書について調べてみたところ、本書が2022年に出版されていることがわかった。
本書の概要は、表紙見返しにつぎのようにまとめられている。「本書は、洛東霊山・霊明神社の初世神主から五世神主までの歴史と神社に深いかかわりをもった幕末勤王志士の船越清蔵・松浦松洞・久坂玄瑞・吉田玄蕃らを取り上げる。彼らが眠る墓地がいつ頃どのようにしてできたのかを明らかにする。また、神葬祭そのものの歴史を紐解き、国学との関連、靖国神社の源流とされる招魂祭と霊明神社の神葬祭についても解説。創建二百数年の歴史で初公開の史料が多く、幕末史をより深く知ることができる一冊」。
本書は、はじめに、2部、あとがき、資料編、人名・事項索引からなる。第1部「霊明神社の歴代神主」では、「霊明神社初世から五世神主の歴史について述べる。町人の神葬を隠れて始めていた時代から、尊王攘夷志士を埋葬し招魂社が建立される時代、明治維新と東京遷都以後、霊山の神葬地が忘れられていく時代、そして大正時代へと推移する」。
第Ⅱ部「幕末志士の招魂と神葬祭の歴史」では、「まず歴史研究家舟久保藍氏が神社に深いかかわりを持った志士として、船越清蔵・松浦松洞・吉田玄蕃・久坂玄瑞を取り上げるとともに、靖国神社の源流とされる招魂祭について述べる」。「次に皇學館大学教授松本丘氏が神葬祭そのものを解説し、その歴史を紐解き、国学との関連、招魂祭の発生と当社における神葬祭について述べる」。
「一 志士の埋葬と招魂祭」は、つぎのようにまとめている。「維新の思想的源泉となったものに、国学があり水戸学があり、山崎闇斎に始まる崎門学がある」。「勤王の精神を鼓舞した」崎門学派の「若林強斎の「神道大意」によると、神道とは日本の国の道を示すものとある。水や火、草木の一本にも神が宿っており、天照大神の神孫である天皇は、天の神を斎き奉らせられ、天下泰平・万民安穏を祈らせらるる御心のみである。我々は八百万の神の下座に連なり、君上を護り奉り国土を鎮むる神霊となる志以外はなく、その道を神道、国を神国という」。現在、「霊明神社では、霊明神社崇敬奉賛会主催により、全国からの参列者を得て七月十九日には秋湖祭(久坂玄瑞命日祭)、秋には幕末維新殉難志士祭が執り行われる」。
「二 神葬祭の歴史と霊明社」は、つぎのようにまとめている。「近代に至る神葬祭の歩みは平坦ではなく、多くの人々の研究と実践によって、少しずつその地歩を固めて来た」。「しかし、神葬祭をめぐっては、神官と教派神道との競合関係、神社の宗教性を払拭しようとする内務省の姿勢、神道界内部における伊勢神宮派と出雲大社派との教学をめぐる対立(祭神論争)など、神葬祭普及を阻害する諸々の要因により、内務省は明治十五年、官国弊社神官に教導職分離・葬儀不関与を達するに至った」。「戦後、神社神職は国家の管理から離れ、神葬祭の執行も自由となった。しかし、その広がりは限定的であり、儀礼の内容も地域差や、神葬墓地確保の問題等、今度[後]も検討されるべき神葬祭の課題は少なくない」。
津田勉「白石正一郎の神道信仰-桜山招魂社創建を巡って」は、つぎのパラグラフで終え、結論としている。「それにしても興味深いのは、奇兵隊戦死者の遺骸が埋葬された墓が寺院に在るという事実である。この事実は今日の靖国神社・護国神社に祭られている大多数の祭神と寺院との関係に於いても全く変わってはいないのではないかと思われる。この点で、近世・近代の日本に於ける神仏の在り様も相互補完的であったと思われる」。
さらに、兵庫県姫路護国神社近くにある播磨国総社射楯兵主神社の租霊社には、「日清日露戦争の英霊百二十一柱」「維新の志士十二柱」がまつられている。
いったい死者は、どこで安らかにされているのだろうか。また、碑が同じ大きさではなく階級が高い将校のが大きくなったり、集合的になって一般兵士個々人が軽んぜられるようになったりしたのは、いかなる「思想理念」からなのだろうか。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。