岡真理・小山哲・藤原辰史『中学生から知りたいパレスチナのこと』ミシマ社、2024年7月23日、216頁、1800円+税、ISBN978-4-911226-06-3
瓦礫の山となったガザを見て、思い出したのは1945年2月以降のマニラだった。日本軍主力部隊が北部山岳地帯に「転進」し、統率のとれない敗残日本兵に向けてだけでなく無差別に容赦なくアメリカ軍の砲弾が降り注ぎ、フィリピン市民10万人が犠牲になったとされる。41年12月の開戦時に、マニラはオープン・シティ(無防備都市)が宣言され、日本軍が無傷でマニラ市内に入ってきたのとはまったく違う状況が、多くの市民を犠牲にした。その責任は、日米双方にあった。
本書は、「あらゆる人が戦争と自分を結びつけ、歴史に出会い直すために」「新しい世界史=「生きるための世界史」」を構想している3人の研究者が、パレスチナ問題に取り組んだものである。
「本書成立の経緯」については最後で述べられているが、本書の冒頭で「原点回帰の出版社」の「編集部より」、つぎのように説明されている。「『中学生から知りたいパレスチナのこと』と題した本書は、二〇二四年二月十三日に京都大学で開催された「人文学の死-ガザのジェノサイドと近代五百年のヨーロッパの植民地主義」(第Ⅰ部)、二月二十八日のオンライン講座MSLive!「中学生から知りたいウクライナのこと-侵攻から二年が経って」(第Ⅱ部)、その後(四月十日)非公開でおこなった鼎談「『本当の意味での世界史』を学ぶために」(第Ⅲ部)を収録しています。三回を通して、アラブ、ポーランド、ドイツ、それぞれ違う地域を専門とする三人が共通して抱いていた危機感は、西洋を中心とする「歴史の捉え方」に対するものです。むろんそれは、日本史、世界史と二区分することを当然としてしまっている日本の「歴史」の現状と無関係ではありません。その意味で、これからを担う中学生からの「世界史」の捉え方をアップデートしてもらいたい、と強く思い、本タイトルに至りました。簡単な内容ではないかもしれませんが、じっくり向き合っていただければと希望します」。
したがって、本書は3部からなり、その前後に「はじめに」と「おわりに」があり、最後に「本書成立の経緯」がある。それぞれの部、執筆者のいわんとすることをまとめるのは難しい。幸い、帯の裏に「世界史は書き直されなければならない」と題して、つぎのように3人それぞれの要点をまとめてくれている。岡「今、必要なのは、近代500年の歴史を通して形成された『歴史の地脈』によって、この現代世界を理解するための「グローバル・ヒストリー」です」。小山「西洋史研究者の自分はなぜ、ヨーロッパの問題であるパレスチナの問題を、研究領域の外にあるかのように感じてしまっているのか」。藤原「力を振るってきた側ではなく、力を振るわれた側の目線から書かれた世界史が存在しなかったことが、強国の横暴を拡大させたひとつの要因であるならば、現状に対する人文学者の責任もとても重いのです」。
わたしは、2007年に出版した『戦争の記憶を歩く 東南アジアのいま』(岩波書店)の終章の最後の方で、つぎのように書いている。「歴史認識の問題に、日本の歴史学界が対応できないのは、日本史(国史)、東洋史、西洋史に分断された学問体系に原因があります。歴史認識の問題を歴史学共通の問題ととらえる意識がないだけでなく、日本の中国史研究者と日本史研究者が共通の認識をもって研究するという状況にないということが言えます。それどころか、前近代の中国史を専門とする研究者だけでなく、近現代中国史を専門とする日本人研究者のなかにも「専門が違う」ということで、歴史認識の問題に関心を示さない者がいます。また、歴史認識の問題は、歴史学ではなく、政治学の分野の研究だと思っている人もいます。いっぽう、中国では日本史は世界史の一部で外国史ですから、国史である中国史とは研究水準・意識の大きな差があります。これだけ問題になっている歴史認識の問題に、なんとかしなければと考えているさまざまな分野の研究者・知識人がいるいっぽうで、中国に行く機会があり、中国人と接する機会が多いにもかかわらず、無関心でいる日本人研究がいることは、ひじょうに残念なことです」。同じことが、東アジア史についても言えます。
たしかにヨーロッパ側の事情はすこしわかったが、イスラエルと敵対するハマス、イラン、ヒズボラ、フーシ派だけでなく、仲介しているカタール、エジプト、負傷者などを難民として受け入れているマレーシアなどのイスラーム国・地域・グループとの関係がさっぱりわからなかった。2015年にガザ地区で開院したインドネシア病院は、インドネシア人の寄付のみによって建てられた。その病院が、イスラエルから総攻撃を受けておびただしい数の死者・負傷者を出したことを、2億人を超える世界一のイスラーム教徒人口をかけるインドネシアの人びとはどのように思っているのだろうか。まったく伝わってこなかった。「新しい世界史」も、西洋中心史観や価値観から抜け出せないのだろうか。3億人の中東・北アフリカのイスラーム教徒人口をはるかに超える7億人のイスラーム教徒が居住する南・東南アジアのイスラームの専門家が加わると、アジアからの視点を加えたもうすこし「新しい世界史」になったのではないだろうか。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。