早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2024年08月

岡真理・小山哲・藤原辰史『中学生から知りたいパレスチナのこと』ミシマ社、2024年7月23日、216頁、1800円+税、ISBN978-4-911226-06-3

 瓦礫の山となったガザを見て、思い出したのは1945年2月以降のマニラだった。日本軍主力部隊が北部山岳地帯に「転進」し、統率のとれない敗残日本兵に向けてだけでなく無差別に容赦なくアメリカ軍の砲弾が降り注ぎ、フィリピン市民10万人が犠牲になったとされる。41年12月の開戦時に、マニラはオープン・シティ(無防備都市)が宣言され、日本軍が無傷でマニラ市内に入ってきたのとはまったく違う状況が、多くの市民を犠牲にした。その責任は、日米双方にあった。

 本書は、「あらゆる人が戦争と自分を結びつけ、歴史に出会い直すために」「新しい世界史=「生きるための世界史」」を構想している3人の研究者が、パレスチナ問題に取り組んだものである。

 「本書成立の経緯」については最後で述べられているが、本書の冒頭で「原点回帰の出版社」の「編集部より」、つぎのように説明されている。「『中学生から知りたいパレスチナのこと』と題した本書は、二〇二四年二月十三日に京都大学で開催された「人文学の死-ガザのジェノサイドと近代五百年のヨーロッパの植民地主義」(第Ⅰ部)、二月二十八日のオンライン講座MSLive!「中学生から知りたいウクライナのこと-侵攻から二年が経って」(第Ⅱ部)、その後(四月十日)非公開でおこなった鼎談「『本当の意味での世界史』を学ぶために」(第Ⅲ部)を収録しています。三回を通して、アラブ、ポーランド、ドイツ、それぞれ違う地域を専門とする三人が共通して抱いていた危機感は、西洋を中心とする「歴史の捉え方」に対するものです。むろんそれは、日本史、世界史と二区分することを当然としてしまっている日本の「歴史」の現状と無関係ではありません。その意味で、これからを担う中学生からの「世界史」の捉え方をアップデートしてもらいたい、と強く思い、本タイトルに至りました。簡単な内容ではないかもしれませんが、じっくり向き合っていただければと希望します」。

 したがって、本書は3部からなり、その前後に「はじめに」と「おわりに」があり、最後に「本書成立の経緯」がある。それぞれの部、執筆者のいわんとすることをまとめるのは難しい。幸い、帯の裏に「世界史は書き直されなければならない」と題して、つぎのように3人それぞれの要点をまとめてくれている。岡「今、必要なのは、近代500年の歴史を通して形成された『歴史の地脈』によって、この現代世界を理解するための「グローバル・ヒストリー」です」。小山「西洋史研究者の自分はなぜ、ヨーロッパの問題であるパレスチナの問題を、研究領域の外にあるかのように感じてしまっているのか」。藤原「力を振るってきた側ではなく、力を振るわれた側の目線から書かれた世界史が存在しなかったことが、強国の横暴を拡大させたひとつの要因であるならば、現状に対する人文学者の責任もとても重いのです」。

 わたしは、2007年に出版した『戦争の記憶を歩く 東南アジアのいま』(岩波書店)の終章の最後の方で、つぎのように書いている。「歴史認識の問題に、日本の歴史学界が対応できないのは、日本史(国史)、東洋史、西洋史に分断された学問体系に原因があります。歴史認識の問題を歴史学共通の問題ととらえる意識がないだけでなく、日本の中国史研究者と日本史研究者が共通の認識をもって研究するという状況にないということが言えます。それどころか、前近代の中国史を専門とする研究者だけでなく、近現代中国史を専門とする日本人研究者のなかにも「専門が違う」ということで、歴史認識の問題に関心を示さない者がいます。また、歴史認識の問題は、歴史学ではなく、政治学の分野の研究だと思っている人もいます。いっぽう、中国では日本史は世界史の一部で外国史ですから、国史である中国史とは研究水準・意識の大きな差があります。これだけ問題になっている歴史認識の問題に、なんとかしなければと考えているさまざまな分野の研究者・知識人がいるいっぽうで、中国に行く機会があり、中国人と接する機会が多いにもかかわらず、無関心でいる日本人研究がいることは、ひじょうに残念なことです」。同じことが、東アジア史についても言えます。

 たしかにヨーロッパ側の事情はすこしわかったが、イスラエルと敵対するハマス、イラン、ヒズボラ、フーシ派だけでなく、仲介しているカタール、エジプト、負傷者などを難民として受け入れているマレーシアなどのイスラーム国・地域・グループとの関係がさっぱりわからなかった。2015年にガザ地区で開院したインドネシア病院は、インドネシア人の寄付のみによって建てられた。その病院が、イスラエルから総攻撃を受けておびただしい数の死者・負傷者を出したことを、2億人を超える世界一のイスラーム教徒人口をかけるインドネシアの人びとはどのように思っているのだろうか。まったく伝わってこなかった。「新しい世界史」も、西洋中心史観や価値観から抜け出せないのだろうか。3億人の中東・北アフリカのイスラーム教徒人口をはるかに超える7億人のイスラーム教徒が居住する南・東南アジアのイスラームの専門家が加わると、アジアからの視点を加えたもうすこし「新しい世界史」になったのではないだろうか。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

平田晶子『ラオス山地民とラム歌謡-内戦を生き抜いた宗教芸能実践の民族誌』風響社、2023年2月20日、365頁、5000円+税、ISBN978-4-89489-336-8

 帯に、「在来音楽にとってオンライン化とは!」「歌い継がれてきた在来音楽の電子媒体化は、音楽を楽しむ人間の身体経験に劇的な変革を要求している-。五感統合の従来型から視聴覚に傾斜した今日の受容のあり方は、大衆と芸能者の「場」をどのように変えていくのだろうか」とある。

 変化中心のものかと思いきや、「はじめに」はつぎの文章で締めくくられていた。「たとえ視聴覚に限定された身体経験へと一変してしまったかのようにみえたとしても、誰かと共に聴く音楽の愉しみ方は根本的な部分で何も変わらないのではないだろうか」。表面上の変化を追いながらも、その基層にあるものをしっかりおさえながら議論がすすむものと、期待しながら読みはじめた。

 「本書が扱うカップ・ラムないしモーラム歌謡と呼ばれる芸能音楽は、東南アジア大陸部のラオスという小さな国で歌い継がれ、この半世紀のうちに政治的・経済的な社会変化の中で奏でられてきた。1986年に打ち出された「チンタナカーン・マイ(新思考)」以降、ラオス国内は市場経済化が進み、カップ・ラム歌謡ないしモーラム歌謡は新たな展開を迎えた。この政策以降、国内の市場化は、音楽業界における在来音楽の商品化を促した」。まずは、インターネットで聴いてみた。どこか懐かしさとともに、力強さも感じられた。

 第1章「序論」冒頭で、つぎのように本書の目的が書かれている。「本書を貫く問いは、ラム歌謡の音楽芸能とは人びとにとって一体何なのか、というものである。具体的に述べるならば、ラム歌謡の音楽芸能が経済的および宗教的活動の一環として営まれるなかで、多様な民族間関係がありながらも、いかにエスニシティの交渉されるアリーナが形成されているかを明らかにすることである。そのうえで、山地ラオの人びとにとってラム歌謡の音楽的行為にみる感覚を活かした経験がオンライン化の力と伝統文化の維持とのせめぎ合いのなかでいかに機能しているかを論じていく」。

 本書は、はじめに、3部全8章、あとがき、などからなる。本書の概要は、第1章「序論」最後の「3 本書の構成」で、つぎのようにまとめられている。第Ⅰ部「オンライン状況下の在来音楽の民族誌的記述に向けて」は2章からなり、第1章「序論」では、「理論的枠組みと問題意識、研究目的を提示」する。第2章「民族誌的探求の背景-調査村の概観」は、「民族誌的探求の背景を描くことで、第3章以降の議論に向けて布石を打つ章とする」。「具体的には、サワンナケート県の歴史と調査村の形成史を概観しつつ、ラムの担い手たちが暮らす多民族混住地におけるエスニシティ、言語環境、生業、宗教状況について、県の地方史に関する文献資料やフィールドワークで収集した一次資料を用いながら記述する」。

 第Ⅱ部「五感統合の軸-伝統文化の維持」は4章からなり、「オーストロアジア系のカトゥ語群に属するブルー・ソーのラム歌唱の担い手たちの音楽芸能活動を事例に取り上げ、聴覚重視の感覚経験に加え、五感統合を重視する感覚経験について論じるものである」。まず、第3章「ラムとは何か」では、「サワンナケート県を舞台に山地ラオのラム歌謡の担い手が、低地ラオと出会い、低地ラオが牽引するモーラム歌謡の音楽産業社会に適応してきたことを歴史的に概観する」。つづく第4章「民間治療とラム歌唱-紡がれる祖先と子孫の社会関係」は、「ラム歌謡が行われる民間治療の文脈を検討する。そこで紡がれるのは娯楽芸能でも用いられていたラム歌謡の旋律であることは変わりない。ソーのラム歌謡の担い手たちは、民間治療儀礼で用いる言語や旋律に加えて供物も組み合わせ、諸感覚を共鳴させ合うような感覚的経験をしている」。第5章「感覚器間相互作用を活かした創造的な調整行為」は、「聴覚だけではなく、一見、音楽とは無関係に捉えられる視覚、触覚、嗅覚といった感覚器間の相互作用に着目し、ソーの人びとの音楽的行為がいかに感覚を活かしたラム歌謡の音楽実践であるかを記述する」。第6章「五感統合の音楽的行為-複数の精霊との遊びの事例」では、「ソーの統合された五感を意識的に有効活用する創造的な音楽的行為を更に理解するために、なかでも最多の旋律数を奏でる精霊儀礼を事例に取り上げる。ソーの人びとは、言語、旋律、供物だけではなく、五感を刺激する草花や玩具など取り込んだ、遊びの要素を含んだ音楽を楽しむ」。

 第Ⅲ部「五感分断の軸-在来音楽配信のオンライン化」は2章からなり、「ソーの人びとやラム歌謡を鑑賞する音楽関係者やファンなどの五感の分断をめぐる音楽の感覚経験を論じる」。具体的に、第7章「多感覚の減縮に伴う音楽経験」は、「第6章までの村落社会の社会的文脈から離れ、グローバルに展開するワールドミュージックの音楽市場へと参画する山地ラオの人びとの音楽創作・生産、および消費・流通の場ならびにその形成プロセスへと視点を変える。革命期前後に国外へと逃亡したディアスポラの存在に着目すると、ラム歌謡の流通・消費の販路を形成していく過程では、在来音楽の脱領域化が進んでいる」。最終章の第8章「総括と討論」では、「どのような状態に置かれても人間は音楽を楽しむ心を持ち続け、楽しむ場を創りだす生き物であることが明らかになるだろう」とまとめている。

 第8章「総括と討論」では、第1節「各章のまとめ」で「各章での議論における主要なポイントを簡潔にまとめ」、そのうえで第2節「民族共同体を超えた社会関係やコミュニティの形成にみる身体の動き」第3節「五感統合の身体的な感覚経験を活かした音楽」では、「既存のエスニシティ研究および在来音楽の配信がオンライン化する状況下において人間の身体経験を、ラム歌謡という事例から例証し、新たな知見を加えるような考察を巡らすことにする」。

 第2節は、つぎのような文章で締めくくられている。「ソーの歌い手は、決して無垢な存在ではなく、むしろグローバルな音楽市場で効果的に売りだせる旋律を選び、民族衣装で視覚情報への訴えを意識するなど彼ら自身がエスニシティと交渉する術を身につけていた。動画配信するファンやYouTuberの存在は、統合失調症のエスニシティの分裂によって生じた社会関係の破壊の代償として、オンライン上において新たな音楽活動の磁場を形成し、緩やかな音楽ファンのコミュニティを生成し始める」。

 第3節では、結論として、まずつぎのような視聴者像を示している。「伝統的な慣習をラム歌唱の映像で鑑賞する視聴者は、故郷の言語を聴き、風景に映し出された草木の香り、血縁・地縁関係に基づく友好的な家族・村びとの姿から、母国を思い出す。視聴者になかには、仏領インドシナの植民地や闘争の歴史という過酷な時代を生き、移住先国で生活を営んでいる者もいるため、筆者が録画したラム旋律が流れ続ける精霊儀礼の視聴覚資料は単なる視聴覚資料なのではなく、それ以上の生きる活力を与える可能性も秘めている」。

 「他方で、ソーのラム歌謡は、欧米などに住むディアスポラだけではなく、タイ東北地方のグローバルな音楽市場で聴かれるモーラム音楽を知る視聴者たちにとって、たとえ言語の壁があったとしても、ブルーやソーのラム歌謡として好意的に視聴されていた」ことから、「そこに集まる人びとのなかには、ブルーやソーの言葉を理解できない者も多く、民族というアイデンティティによる求心力が働いているからだと説明するだけでは不十分である。むしろ、視聴者がオンライン上に集い、ラム歌謡に耳を傾けるのは、自分ではない他の誰かと共に音楽を聴き、ラム歌謡を鑑賞する愉しさを味わいにきているからではないだろうか。山地ラオや低地ラオという括りさえも超えて、ラム歌謡の好きなファンが世界中から集まり、ラム歌謡をオンライン・コミュニティ上で愉しむ。ディアスポラの視聴者たちにとってのオンライン・コミュニティ上でのラム鑑賞は、戦争で失った他者との刹那的な交流を愉しむこともできる。ディスプレイ越しに鑑賞する視聴覚情報と共振する経験的身体は、いかなる状況に於いても音楽を愉しむ人類の普遍性と、村落社会からオンライン・コミュニティへと移行したとしても五感統合を活かした身体経験に基づく山地ラオの個別性を理解する一つの糸口となる」。

 本書は、ポストモダン社会を理解するためのローカル、ナショナル、リージョナル、グローバルの4つの視点から考察した研究の好事例であろう。ひとつ気にかかったのは、リージョナルな視点で、タイとの関係はわかったが、歴史的な仏領インドシナという枠組みがみえなかったことである。みえないならみえないで、意味があるのではないだろうか。それは社会主義国家になった後とも関係することではないのか。ラオスにかんして原資料をみつけることは難しいかもしれないが、カンボジアでは1936-42年に発行された民間のクメール語新聞『ナガラワッタ』があり、日本語に翻訳されている(坂本恭章・岡田知子訳、上田広美編、めこん、2019年)。利用できないだろうか。

 章節項が3つとも算用数字で表記され、読んでいて「節」なのか「項」なのかわからなくなることがあった。「楽しむ」と「愉しむ」は区別して使われているのだろうか。ほかにも漢字表記とひらがな表記が不統一で気になるときがあった。五感を重視するなら、このような視感にも注意を払ってほしかった。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

パトリシア・大久保・アファブレ編、森谷裕美子訳『フィリピンの山岳地帯に渡った日本人移民-北部ルソン開拓の100年の軌跡 1903~2003年』晃洋書房、2024年3月30日、280頁、6500円+税、ISBN978-4-7710-3798-4

 「本書の目的は、ルソン島北部の高原地帯に渡った日本人移民労働者の先駆者たちの生活や彼らがここで過ごした日々の様子について語ることであり、それはまた、第二次世界大戦前の数十年間で日本人移民たちがいかにコルディリェラ地域やフィリピン社会の発展に貢献したかを記述することでもあったが、この調査を進めるなかで、私たちは、この日本人移民についての話をその子や孫たちから聞くことがこれまで困難であったのは、彼らのほとんどが「日系人」だというだけで第二次世界大戦中や戦後に謂われのない汚名を着せられていたからだということを改めて気づかされた。しかも、彼ら日系人たちはただ汚名を着せられただけでなく、その生涯について語ることさえタブーとされ、これを秘密にしてきたのである」。

 「本書の執筆にあたっての調査では、フィリピンでの日本人移民の子や孫、近隣に住んでいた人々による「語り」の記録と、アメリカ合衆国に保存されている資料の収集、フィリピンと日本での図表などの収集を中心に進めた」。「日本人移民のライフ・ヒストリーを集める調査のため」、「ルソン島北部に住む500人を超える日系二世についての情報」提供を受け、「結局、私たちはそのうちの100名以上にインタビューをすることができた」。

 「本書で取り上げた日本人移民のライフ・ヒストリーのほとんどはその子や孫の女性が語ったものであるが、男性の語りが少ないのは、現在、生存している二世のほとんどが女性であるためである。このうち一番年長の女性は1910年頃の生まれだが、それ以外の女性の多くは1940年代に子供時代を過ごした戦争経験者である」。

 本書は、序章、6部全13章、エピローグなどからなる。本書の概要は、序章の「本書の構成An overview」でまとめられている。「初期のフィリピンへの日本人の移住は、アメリカがフィリピンでの植民地支配を確固たるものとするために進めたルソン島北部の高原地帯の開発と直接関係している」。バギオを「夏の首都」に決定し、そこに至る「ベンゲット道路」を1905年に開通させた。この道路工事に、日本人労働者が1903年から集団で雇われ、開通後も残ったり、新たに職を求めてやってきたりした日本人が、本書の主人公である。「1910年代になるとバギオでは、町の目抜き通りとして発展したセッション道路(Session Road)で日本人移民の多くが商売に携わるようになり、その後の10年間で、日本人移民の経営するバザール(百貨店)やホテル、写真館、薬局、理髪店、食料雑貨店などがここに軒を連ねた。いっぽう日本人大工たちは建築の請負を業とし、新たな雇用の需要に対応するため、自分たちの故郷の福岡県や福島県、広島県、熊本県、山梨県から親族や友人を呼び寄せるようになった」。

 「1910年代末には、バギオで生産した野菜のマニラ市場への出荷も始まり、1920年代にはトリニダッドに日本人移民の協同組合が設立され、これによってバギオ・ベンゲット地域での商品作物の栽培はさらに拡大することとなった」。

 「1920年代末に始まったバギオ周辺の金鉱山の開発は、バギオ・ベンゲット地域で日本人が活躍した時期の最後の10年間に拡大された。この少し前、バギオでは「日本人会」が組織され(1920年)、その会員たちはそれから5年もたたないうちに日本人学校を開校しているが、このことは、この時期、彼らがもはや単なる「出稼ぎ労働者」ではなく、バギオに生涯留まることを決意していたことを意味していた」。

 「1930年代は、新たな日本人移民の大工や事業経営者が小売業や製材所、建築現場、鉱山などさまざまな現場で働くためにバギオにやってきて定着するという「新たな移民の流れ」が起こった時期である」。

 「1939年のバギオの総人口は2万4117人、そのうちの[日本人を除く]外国人は1269人であったが」、「日本人家族が多く住むバギオ・ベンゲット地域の日本人の総人口は1064年にものぼり、日本人学校の生徒数も150人近かったという」。

 「序章」は、つぎのことばで締めくくられている。「私たちは、この本を執筆することで、戦後、長い時間が経過したことで朧げになっていた人々の記憶を辿ることができ、それによって何年もの間、周囲の人々から忘れられ、語られることのなかった人たちに「名前」を与えることができたことをうれしく思うとともに、それを可能にしてくれたすべての人たちに深く感謝している」。「ただ、ここでの日本人移民の子や孫たちの語りは1940年で止まってしまっており、そのあとの話についてはまた別の機会に譲らなければならないだろう」。

 まず、編者パトリシア・大久保・アファブレほか、本書の出版に尽力された人びとに感謝したい。これまで闇とはいえないまでも深いベールに包まれていた人びとの人生が明らかになり、いかに懸命に生き、地域の人びとと共生してきたかがみえてきた。そして、それは編者たちが、自信をもって本書を出版したことの証であり、つぎの文章からもよくわかる。「1900年代初めにバギオやベンゲット、その周辺の山岳地帯など、さまざまな地域で現地の人たちと家庭を築いた先駆者たちの暮らしやその仕事ぶりを初めて紹介するものであり、ここに書かれていることは、その子や孫たちが「日系人であることの誇りと大いなる憧憬」をもって私たちに語ってくれたものであるが、本書では、こうした彼らの戦前の両親や祖父母についての思い出を通して、初期の日本人移民がルソン島北部のコルディリェラ山岳地域の歴史の形成にいかに重要な役割を果たしたかについても書き記すことで、彼らの偉業に敬意を表したいと思う」。

 文書と「語り」によって書き記された本書は、学術的にも高く評価できるもので、今後の研究の基本となろう。いっぽう、「誇りと大いなる憧憬」を前提としているだけに、客観性に欠ける面があることは否めない。本書で、「見習いapprentice大工」と訳されているものは、日本語文献では「にわか大工」として知られ、大工としての修業をまったく積んでいない者が「安請けあい」して評判を落としたことが初期にあったことは書かれていないし、アギナルド将軍と「懇意」にしていたとされる写真家の古屋正之助は軍の工作員で各地をめぐり情報収集していたことも書かれていない。フィリピン内外の研究者によるバギオ史のなかに、とくに日本人の貢献を書いたものはない。1930年代にバギオを視察した商工省嘱託の渡辺薫は蔬菜栽培はフィリピン人との競争が激しく「自然立枯れ」になったなど、本書とは違う評価をしている。アメリカの文書館の史料でも、ベンゲット移民の死亡率1000人あたりを%と間違えたため、10倍になってより悲惨な印象を与えている。海外在住日本人の基礎資料である外務省が編修した「職業別人口表」や「実業者の調査」とどう絡むのかの考察がないなど、多くの学術的課題を残している。なにより二世、三世に寄り添った記述から、四世、五世...や先住民、移住してきた低地キリスト教徒フィリピン人、同じころやってきた中国人とも共有できるバギオの歴史をどう構築していくか、大きな課題を残している。それも、これだけの本が出版できたから言えることで、戦前2万人の日本人が在住していたダバオでは、二世や三世のよってこのような本は出版されていない。

 訳者にも感謝しなければならない。訳者が「2011年から行ってきた「フィリピンにおける日本人移民の先住民社会への適応とその影響」」の成果とも言える。現地社会と人びとを知悉しているからこそ、訳すことができたのだろう。ただ、ひとつ大きな誤訳は、原著は2004年の出版であるが、1903~2003年の100年の歴史であって、「現時点」とは2003年のことである。100年目にあたる2004年に出版されたと訳されているが、原文には「2004年」はなく、「初めて日本人がベンゲット道路建設の労働者としてバギオに到着してからちょうど100年目にあたる」としか書かれていない。本書を通じて、1904年に日本人が初めて来たような印象を受ける。そして、A4版の原著では写真が大きく臨場感が伝わってくるが、B5版の訳本では写真がA4からB5に縮小された以上に小さくなって伝わってくるものがあまりない。まことに残念である。ずいぶんイメージが違うものになって、本書の価値が大幅に減少している。

 本書が日系人によって企画され、優れた学術書として出版できたことで、なにかホッとしている。「この本の出版をきっかけに、彼らの「日系人」としてのさらなる奮起を期待している」という編者のことばから、「謂れのない汚名を着せられ」、「語ることさえタブーとされ」秘密にする必要があった過去から決別できた自信が感じられる。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

河合弘之・猪俣典弘『ハポンを取り戻す-フィリピン残留日本人の戦争と国籍回復』ころから、2020年7月15日、207頁、1600円+税、ISBN978-4-907239-50-3

 1981年にフィリピン南部ミンダナオ島のダバオで、博士論文執筆のための調査をして以来、気になることがあった。戦前2万人の在住日本人がいたダバオには、敗戦後取り残された日系人が住んでおり、「棄民」扱いされていた。1990年になって日本の改正入国管理法が施行され、外国籍の日系2世、3世などが、日本で長期滞在し、職種に制限なく就労できるようになって、日本政府は労働者不足を補うためというはなはだ身勝手な理由だったが、フィリピンの残留日系人にも目を向けるようになり、95年に外務省による初の調査がおこなわれた。

 そして、2024年4月29日に、以下のような「お知らせ」が外務省から出され、調査がおこなわれている。

 第二次大戦後の残留日系人/日系2世の方々へのお知らせ
 令和6年4月29日
 在フィリピン日本国大使館、在セブ日本国総領事館、在ダバオ日本国総領事館
 フィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC)
 1 問題の背景
 第二次大戦後、在フィリピン日本人は日本へ強制送還され、日本人と結婚していたフィリピン人妻とその子供(「残留日本人」「日系2世」などと呼称されています)の多くが取り残されました。彼らの多くは、フィリピンの山中などに身を隠し、困窮生活を余儀なくされ、身元確認や国籍取得もままならない状況に戦後長きにわたっておかれ続けてきました。
 2 日本国籍取得に向けた調査と個別面談
 これまでも、日本国籍の取得を希望される方々への支援が継続されてきましたが、今般、日本政府の委託を受けてPNLSCが実施する本年度の「第18次フィリピン日系人2世調査」の一環として、今春から今夏にかけて、以下の地域において日本国籍の取得のための個別面談の実施を予定しています。
 今回実施する地域に限らず、残留日系人の方々で日本国籍の取得を希望される方は、下記連絡先にいつでもご連絡・ご相談いただければ幸いです。(ご希望に応じて、下記の地域以外においても、可能な限り多くの面談を実施できるように努めて参ります。)
 また、個別面談に向けて、身元確認に役立つ書類(本人の出生証明書(または遅延登録)、一世の両親の婚姻証明書(または遅延登録)、一世の両親の死亡証明書(または遅延登録)、証人による宣誓供述書、洗礼証明書、無国籍認定証明書、捕虜としての記録、日本人との血縁がわかる写真、学生期の成績証明書、部族間の婚姻証明書等)を可能な限りご用意いただきますよう、宜しく御協力願います。
 「第18次フィリピン日系人2世調査」(予定)
 パラワンでの面談(リナパカン及びコロン) 2024年5月2日~6日
 ルソンでの面談(マニラ) 2024年5月27日
 ビサヤでの面談(セブ)  2024年7月25日
        (パナイ) 2024年8月頃
 ミンダナオでの面談(場所は調整中) 2024年7月頃(※)
上記に限らず、追加のご要望がある場合には、ご遠慮なく下記4の連絡先までお願いいたします。
 3 日本国籍取得後、フィリピンのパスポートを所持せずに、日本に出国・フィリピンに再入国する際の罰金・手数料の支払いを猶予するために必要とされるフィリピン入国管理局(Bureau of Immigration)の認定(BI Order)の事前取得手続き
 残留日系人のうち既に日本国籍を取得された方々についても、これまでは、フィリピンのパスポートを所持せずにフィリピンを出国及びフィリピンに再入国する際に罰金及び手数料の支払いが求められることがあり、日本国籍の取得と訪日の障害となってきました。
 しかしながら、フィリピン政府の理解と協力により、令和5年7月5日、フィリピン司法省は、「フィリピン日系人に関するガイドライン」を発出し、同ガイドラインが規定する「フィリピン日系人」であるとのフィリピン入国管理局(Bureau of Immigration)の認定(BI Order)を事前に受けることにより、これらの罰金及び手数料の支払いが猶予されることとなりました。
 当該フィリピン入国管理局(Bureau of Immigration)の認定の取得手続きに関しては、、在フィリピン日本大使館の以下のHPをご参照いただくか、同じく下記4の連絡先にいつでもご連絡・ご相談いただければ幸いです。
(Filipino) https://www.ph.emb-japan.go.jp/itpr_ja/11_000001_01221.html
(English) https://www.ph.emb-japan.go.jp/itpr_ja/11_000001_01223.html
(Japanese) https://www.ph.emb-japan.go.jp/itpr_ja/11_000001_01222.html
 なお、同ガイドラインが適用された最初のケースとして、9月10日、日系2世の方が当該罰金及び手数料を支払うことなく、無事にフィリピンを出国されました。
(English) https://www.ph.emb-japan.go.jp/itpr_en/11_000001_01251.html
(Japanese) https://www.ph.emb-japan.go.jp/itpr_ja/11_000001_01250.html
 4 連絡先在フィリピン日本国大使館
2627 Roxas Boulevard, Pasay City, Metro Manila, 1300
Tel. No.(02)8834-7514
Email: ryoji@ma.mofa.go.jp
Philippine Nikkei-jin Legal Support Centre Inc. (PNLSC)
Rm 322 ASI Bldg. #1518 Leon Guinto St. cor. Escoda St.
Malate, Metro Manila 1004
Tel. no. (02) 8-353-3096   / Cellphone no. 0999 881 5358
Email: pnlsc_mla@yahoo.com / pnlscmla@gmail.com」

 本書は、外務省から調査の委託を受けているNPO「フィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC)」代表理事と事務局長が、2020年に公開したドキュメンタリー映画「日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人」(企画・製作:河合弘之/脚本・監督:小原浩靖)の劇場上映にあわせて出版したものである。

 本書は、「まえがき」にあたる「ハポン<日本人>を取り戻すために」、全3章、「いま動かないと「解決」はない-「あとがき」にかえて」からなる。

  「ハポン<日本人>を取り戻すために」で概略を述べた後、第1章「残留日本人問題を理解するQ&A」で基本的な質問14に答え、第2章「残留者たちの肖像」で9人の「人生における困難さについて」の「リビング・ヒストリーを示し、現在どのような状況にあり、そして何を求めているのか、ということについても、できる限り整理して提示」している。そして、第3章「ハポン<フィリピン残留日本人>問題の解決にむけて」では、「戦前戦中のできごとについて補足を加えて思考を深め、戦後の残留日本人たちの道のり、そして問題解決に向けた私たちの取り組みをご紹介しつつ、どのような課題に直面しているのか、それを乗り越える選択肢はどのようなものがあるのか、といったことを紐解いて」いる。

 本書で強調していることは、「厚生労働省が主張しているような「自己の意思で残留した」と言えるような主体的な選択の余地が当時あった」とは、とても思えないような状況で取り残された、日本人を父に持つ日本人である2世たちに、希望すれば日本国籍を与えるべきであるということである。そして、もはや高齢化した2世にとって、時間的余裕はない。

 もうひとつ大切なことは、帯に書かれている「<ハポン=日本人>と憎まれた人たちが恋い焦がれる父の国<日本>はいま彼らの愛にふさわしい国となっているのだろうか」という問いかけである。

 気になりながらも、積極的に支援できなかったことには理由がある。はたしてかれらが日本国籍を取得することが、かれらの父親の願いだったのだろうかということである。この「事実」を書けば、かれらの「国籍取得」に影響が出るのではないかと危惧していた。だが、いまの日本政府の政策の流れから、妨げにならないと判断した。

 本書の副題にある「国籍回復」は、多くの混血2世にとってあてはまらない。戦中戦後の混乱のなかで日本国籍を証明するものがなくなったということは事実であるが、もともと日本の領事館に出生届を出しておらず国籍を取得していなかった。その理由はいろいろあるが、父親がフィリピンで生きようとしていたこと、日本に家族がおりフィリピン人「妻」との間にできた子どもの出生届を出せば実家に知られてしまうこと、将来日本人の妻をめとることを考えていたこと、フィリピン妻の地位が低く一時的と考えていたことなどである。

 出生届を出さなかった理由として、遠隔地であったからといわれることがあるが、海外在住日本人にとってもっとも大切なことのひとつは、毎年徴兵延期願いを出すことであった。適齢の日本人男子である限り、それを怠ることはできず、提出しなければ実家に通知が届き、世界中を探しまくることになる。徴兵延期願いを提出するときに、出生届を出すことができたから、遠隔地であったなどの理由は成り立たない。わかっていて出生届を提出しなかったのである。日本国籍を取得しなくても日本人小学校に入学できたこともあり、子どもの生活に支障はなかった。母親がフィリピン人の場合、成年(満21才)になったとき、フィリピン国籍を選択すれば、フィリピン市民になることができた。そうすれば、無国籍になることもなかった。日本人の父親もフィリピン人の母親も、フィリピン人として生きてほしいという願いがあったのではないだろうか。

 本書で気になるのは、参考文献がまったく付されていないことである。2世の国籍取得のために、2世のことばに真摯に耳を傾けることを優先すべきである。だが、3世、4世、...のことを考えるとき、フィリピン人と共有できる歴史的事実に向きあうことも重要である。日本人の父親が、フィリピン人として生きてほしいと願っていたなら、なおさらである。2世にとって時間がないことはよくわかるが、まだ時間のあるつぎの世代のことを考える必要があるだろう。

 もうひとつ気になるのは、国籍を取得した後のことである。もし取得後のケアが充分でなく、家族離散や貧困化などで、2世が描いていたようなものではないとすれば、またまた国家に翻弄された「棄民」になったことを意味する。そのことを知悉している著者らだけに、日本は「いま彼らの愛にふさわしい国になっているのだろうか」という問いかけには重みがある。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

高榮蘭『出版帝国の戦争 不逞なものたちの文化史』法政大学出版局、2024年6月1日、333+10頁、3200円+税、ISBN978-4-588-60373-0

 本書は、はじめに、全8章、初出一覧、おわりに、人名索引・事項索引からなり、「はじめに」「おわりに」を含め第三章を除いてすべて既発表論文を、「「出版帝国の戦争」というテーマに合わせて、流れのある本を作るために、大幅な加筆修正を施した」ものである。各章には「はじめに」「おわりに」がなく、本全体の「はじめに」「おわりに」も、もともと独立した論文であるため、本全体の導入部や結論になるようなものではない。

 本書の目的は、「はじめに」の最後に、つぎのように書かれている。「抵抗と協力という線引きではとらえきれない動きである。こうしたステレオタイプとは違う形で、重層的な日本語の読書空間を明らかにしたい。さらにこの問題を、日本の帝国大学や朝鮮総督府をはじめとする各種の図書館、古本、露店など、情報を広げる空間と接合させ、検閲などの情報統制と駆け引きしながら、どの空間でどのような媒体が排除され、どのような媒体が移動・拡散していたのかについて議論する。媒体・読者・空間に介在する民族・階級・資本の問題を論じ、「戦後」という枠組みに内在している、日本中心の内向きの構図とは異なる、新たな議論の土台作りを提案したい」。

 「おわりに」の「謝辞」の前にも、本書の目的のようなものが、つぎのように書かれている。「本書はわたしがこれまで研究を進めるなかで頻繁に遭遇した言葉の捉え直しを通して、日本の近現代文化史に新たな問いを立てるための準備作業である。研究はこれからも続く」。

 具体的なことは、このパラグラフの最初から読めばわかる。「『出版帝国の戦争』の目次を見て驚いている方もいるかもしれない。プロレタリア・図書館・不逞鮮人・検閲・資本・植民地・翻訳・戦争など、誰もが意味くらいは知っていると考える言葉が各章のタイトルとして並んでいるからである。先述した通り、「シベリア抑留」という同じ出来事を経験したとしても、いま・ここの状況により、異なる意味づけがされたり、記憶自体が沈黙によって抹消の危機にさらされたりすることがある。そのため特定の言葉が日本語や朝鮮語、韓国語においてどのような磁場に置かれているのかを意識しなければならない。それと同時に、帝国崩壊以降の領土的、言語的な境界に囚われ、実際は民族・人種・ジェンダー・言語・階級を綺麗に線引きできないほど、複雑に交錯しながら作り出された近代の文化史の大切な断面を見落としてきた可能性も合わせて考えなければならない。「その言葉はよく知っている」という思い込みが死角を作るからである」。

 本書で、1920-30年代をおもな研究対象とすることについては、「はじめに」でつぎのように説明している。「従来の研究ではいわゆる「日本人」にだけ適用された義務教育制度を軸に議論の枠組みが作られてしまったために、当時のひらがな、カタカナがわからない、数字の計算ができない被植民者の読者のレベルにまで、思考の領域を広げることはほとんどなかった。そのような「読者」が、日本語メディア空間を支えていた可能性について考慮しないのである。それと同時に、これまでの日本語空間をめぐる人文学の研究では、当時、日本の合法/非合法的な出版資本が、日本語も朝鮮語も読み書きできない朝鮮人読者までをみずからの商品を購入する読者として想定していた可能性、しかもそのような読者が主体的に日本語メディアの読者共同体の一人としての自己認識を持っていた可能性を視野に入れていない」。

 本書の各章のタイトル「プロレタリア・図書館・不逞鮮人・検閲・資本・植民地・翻訳・戦争」は、それぞれ日本人が思い浮かべるものと違うものを、朝鮮人は「帝国日本」を介して思い浮かべる。「「その言葉はよく知っている」という思い込みが死角を作る」。

 本研究は、中国人研究者とも共有できるだろう。日中韓3国の共同研究も、日本語でできるだろう。欧米の研究者ともできるかもしれない。だが、東南アジアとの研究者とはできない。そこまで日本語の文献を読解できる研究者がほとんどいないからである。社会科学は英語を介してできるかもしれないが、人文学では無理だ。本書は、その意味でアジアのことばを介する人文学研究の重要性を示している。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

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