早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2024年09月

柳原正治『帝国日本と不戦条約-外交官が見た国際法の限界と希望』NHKブックス、2022年12月25日、252頁、1400円+税、ISBN978-4-14-091276-8

 2024年の「8月ジャーナリズム」として、NHKは安達峰一郎を選んだ。シリーズ「英雄たちの選択」のエピソードのひとつとして取りあげたのだが、おそらく地元山形県以外、視聴者どころか、出演者のひとりである本書の著者を除いて、この番組の司会者、出演者のなかにも知らなかった人がいただろう。

 「昭和の選択 戦争なき世界へ ~国際司法の長・安達峰一郎の葛藤~」と題した番組は、つぎのように紹介されている。「満州事変が起きた昭和6年、一枚の風刺画がオランダの新聞に掲載された。「軍国日本」をあらわす鎧武者を、素手で取り押さえようとする一人の侍。侍の名は、安達峰一郎。国際連盟の日本代表で、アジア人で初めて国際司法裁判所の所長になった人物だ。法の下での紛争解決を使命とした安達は、祖国の暴走を止めることを国際社会から期待される。しかし満州事変が法廷で裁かれれば、日本にとって極めて不利な結果になりかねない…」。「司会 磯田道史、浅田春奈」「出演 薮中三十二、柳原正治、小山淑子」「語り 松重豊」「2024年8月12日放送」。

 本書はNHKブックスの1冊として出版されたことから、番組制作者の目にとまったのかもしれない。だが、主題にも副題にも「安達峰一郎」の名前はない。帯の表に、「ペンを持つ安達峰一郎」の写真があり、「稀代の外交官・安達峰一郎の軌跡から解く、国家自存と平和構築の狭間の苦闘」「世界の法はなぜ戦争を防げないのか」とある。商業的出版社は、インターネットの検索にかかるよう主題、副題の用語を選定する。「安達峰一郎」は、それから漏れるほど、知られていない存在だった。番組を視聴したり、本書を読んだりした者は、なぜここまで知られていないのか、不思議に思ったことだろう。もっともっと世に知られていいだけの「仕事」をした人で、評価されるべき人だ。NHKが「8月ジャーナリズム」の1番組として放送した英断に拍手を送りたい。もちろん本書の著者にも。

 本書の目的は、「はじめに」で、つぎのように説明されている。「満州事変・日華事変・大東亜戦争については、日本の国内政治状況、軍部の策略など、「戦争」に至った政策決定過程に焦点を当てた優れた研究が多く存在する。本書は、そうした過程を分析することではなく、そうした「戦争」と不戦条約との関係を、国際法の観点からいかに説明できるか、また、当時の関係者たちがいかに説明しようと努力していたかを明らかにすることを第一の目的としている」。

 「こうした点を説明するに当たって、安達峰一郎(一八六九-一九三四)を手がかりとする」。「本書の副題の「外交官」とは主として安達のことを念頭に置いている」。安達は、「駐メキシコ公使、駐ベルギー公使・大使、駐仏大使などを歴任した職業外交官である。かれはしかし、それにとどまらず、常設国際司法裁判所所長・裁判官を四年間務め、国際法学者といってもよい活動も行った。各時代を優れた先見性と鋭敏な国際的感覚を持って生き抜いた稀有な日本人であり、その安達にそれぞれの時代の「象徴」としての役割をもたせるというのが本書の狙いである」。

 本書は、はじめに、序章、全5章、などからなる。「本書の構成」は、序章「満州事変の勃発と安達峰一郎の苦悩」のなかで、「各時代の「象徴」としての安達峰一郎」と題して、つぎのようにまとめられている。「本書では、幕府や明治政府が幕末から明治初期にかけて近代国際法を修得して欧米諸国に並び立つ「一等国」となるためにどのような努力をし、二十世紀初頭には「強大なる国」としての地位を占めるようになったかを説明した後で(第一章[「「強大なる国」を目指して-近代国際法の受容」])、第一次世界大戦後に、新しい国際法秩序の中核となる、集団安全保障体制と国際裁判所が構築され発展していく過程に、日本や日本人がどのようにかかわったかを取り上げる(第二章[「新しい国際法秩序構築に向けて-集団安全保障体制と国際裁判」])。ついで、集団安全保障体制の軸となる戦争違法化について、近世以降のヨーロッパでの戦争観を踏まえたうえで説明し、一九二八年の不戦条約成立までの過程を描く。また、その不戦条約を日本が批准する過程で、天皇主権との関連で陥った、大きな国内混乱にもふれる(第三章[「戦争違法化運動と日本の対応」])。そして、国際紛争を解決するために戦争に訴えることを否定したはずの不戦条約があるにもかかわらず、なぜ日本は満州事変、日華事変、大東亜戦争といった「戦争」(事実上の戦争と国際法上の戦争)に走ってしまったか、逆に言えば、不戦条約はなぜ「戦争」を防げなかったかという点を取り上げる(第四章[「不戦条約はなぜ「戦争」を防げなかったのか」])。最後に、二〇二二(令和四)年二月からのロシアによるウクライナ軍事侵攻という、戦後国際法秩序の最大の危機のなかで、国際社会の平和の実現のためになにをすればよいか、そして日本はどのような役割を果たすべきかについて考えてみたい」(第五章[「世界万国の平和を期して-安達峰一郎の遺したもの」])。

 そして、「序章」はつぎのパラグラフで終えている。「世界中を巻き込んだ初の世界大戦後の一九二〇年代、さらに新たな世界戦争への足音が聞こえはじめた三〇年代に、外交官や裁判官としてだけではなく、学者としても国際法のあり方の根源について深い洞察を行った安達の軌跡に照らして、それらの時代を描いていくことには意味があるはずである。それと同時に、「先憂後楽依仁持正 以期万邦之平和(先憂後楽、仁にもとづいて正義を維持し、それによって国際平和を実現する)」(一九三〇年四月)との書を残した安達の真意がどこにあったのかを、多くの人に知ってもらいたい」。

 NHKの番組を知って本書を読んだわけではなく、読んでいる最中に放送されることを知って慌てて録画予約をした。このような日本人がいたからこそ、憲法9条の「戦争の放棄」が生まれたのだろう。その水脈のひとつとしても、評価したい。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』晃洋書房、2023年3月29日、398+5頁、6800円+税、ISBN978-4-7710-3741-0

 『社会経済史学』90巻2号(2024年8月)に掲載された本書の書評は、「副題に「新視点」、帯に「視点の大転換」とある」ではじまる。一言で言えば、「新視点」や「視点の大転換」と言うのであれば、研究史を丁寧に洗う必要があるという内容だ。

 だが、この書評が掲載されるまでに、不可解なことがあった。2024年5月に「「社会経済史学」第 90 巻 2 号に掲載させていただくことになりました」という通知が、メールの添付ファイルで届いた。びっくりした。2023年6月に社会経済史学会事務局から書評執筆の依頼があり、「「12月末ごろまでに最終稿を頂戴できれば、来年の新年号(2月下旬に刊行予定)に掲載させていただく予定」とのことだった。だが、12月22日に原稿を送ってから、なんの連絡もなかった。刊行予定の2024年2月に発行された『社会経済史学』89巻4号を見てびっくりした。「海域アジア経済史研究の回顧と展望」と題した特集号で、第91回全国大会(2022年5月1日)のパネル・ディスカッションで報告された論考が並んでいた。もし、このことを知っていれば、書評の内容も変わっていた。実際、パネルでも研究史を基本に議論が展開されているので内容がダブっていた。この特集の2号後に、この書評が掲載されれば、なにか2番煎じのような印象を受ける。わたしの書いたことは、2003年に出版した『海域イスラーム社会の歴史』(岩波書店)などに基づいていて、この特集を参考にしたわけではない(学会員ではないので、もととなったパネルについておこなわれたことも知らなかった)。内容がダブっているだけに、この書評はボツになったのだろうと思い、なんの連絡もないことに憤りを感じていた。そんなときに「掲載通知」がなんの断り書きもなく届いたのである。一度は、原稿を引き揚げようとも思った。ここで問題となるのは、意図的であってもなくても、同じようなテーマであれば、同じような内容になり、場合によっては「盗作」と受けとられることがあるということだ。特集の2号後に掲載されることに、いい気はしなかった。

 分野が同じならば、無意識であれ「盗作」ととられることは、先行研究を充分に把握していなかったことで、執筆者に責任がある。ところが、分野が近いと判断が分かれることがある。たとえば、インドネシアとフィリピンの日本占領期研究の場合、研究の進んでいるインドネシアについて、フィリピン研究者が参考にし、参考文献にあげずに持論として展開したらどうなるのだろうか。激戦地フィリピンでは日本兵の戦死者は51万8000人、それにたいしてインドネシアは3万1400人であった。インドネシアで多くの資料が残されているのにたいして、フィリピンでは残っていないだけでなく、生存者はあまりに悲惨な体験をしただけに多くを語らない。文献資料も口述資料も圧倒的に豊富なインドネシア研究は、フィリピン研究にとって参考になる。インドネシアの事例を参考文献にあげずに、フィリピン研究者があたかもオリジナリティであるかのように議論すれば、インドネシアの事例を知っている者は「盗作」と受けとらないまでも、新鮮味を感じないものとして読み、当然評価は低くなる。

 逆もあるかもしれない。フィリピンのようなマイナーな分野の研究を参考に、メジャーな分野の者が「オリジナリティ」として書けば、それが一般に評価され、フィリピンのオリジナリティは後景に退いて評価されないことになるかもしれない。

 わたしも、反省することがある。『戦争の記憶を歩く 東南アジアのいま』(岩波書店、2007年)の帯には、「いまを再び「戦前」にしないために」と大書してある。ところが、後日、佐藤喜徳編『集録「ルソン」』(全70号、1987-95年)に書かれていたことに気づいた。おそらく、わたしはここからとったのだろうが、『戦争の記憶を歩く 東南アジアのいま』を書いたときには、すっかり忘れていた。どこかで、書いておくべきだった。

 このような経験をすれば、いかに「新視点」や「視点の大転換」と書くことに、慎重にならなければならないかがわかる。キャッチフレーズにはいいが、安易に使うべきではない。雑誌の編集委員会も、その号だけでなく、前後の号の内容にも気を配らなければならないだろう。この特集号にあてて、この書評を依頼し、それを知らせなかったのであれば、さらにいい気はしない。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

柴田幹夫『大谷光瑞の研究-アジア広域における諸活動』勉誠出版、2014年5月30日、365+7頁、4500円+税、ISBN978-4-585-22080-0

 1914-41年にシンガポールで発行された『南洋日日新聞』を、最初から読んでいると、大谷光瑞の記事に出くわした。本願寺・浄土真宗本願寺派第22世法主であった大谷光瑞(1876-1948)は、大谷探検隊(1902-14年)を率いたことで知っていたが、はじめ往復の途次にシンガポールに寄港したのだろうくらいにしか思っていなかった。ところが、ゴム栽培など開発にも関心があり、実際に投資していたことがわかってきた。もっと知りたいと思って探した学術書が、本書である。

 「大谷探検隊」の研究は以前から進んでいたが、大谷光瑞その人の研究はあまりなかったようだ。それが、没後50年を契機として注目されるようになった。「従来の「大谷探検隊」一辺倒の研究ではなくて、アジアの中で、あるいは日本国内で大谷光瑞をいかに位置づけるかという研究である。いわば歴史的存在としての大谷光瑞の研究が始まったといえよう」。

 本書は、序章、3部全10章、終章、付録からなる。1999年から2012年に出版された論考をまとめて博士論文とし、受理されたものを、加筆修正して出版されたものである。章ごとの要約は、終章でおこなわれている。「本書第一部第一章から第六章においては、大谷光瑞のアジア諸地域における活動と展開について述べ、さらに第二部第一章から第二章では、大谷光瑞の中国認識について述べてきた。第三部においては、大谷光瑞の周辺の人々ということで、水野梅暁と中島裁之を取り上げた」。

 「第一部第一章「大谷光瑞とロシア-ウラジオストク本願寺」をめぐっては、ウラジオストク本願寺について、敷地問題と布教場建設を軸にして、論を展開したわけであるが、その過程で、太田覚眠の奮闘と大谷光瑞の外務大臣への「上申書」提出などという興味深い問題が明らかとなった」。

 「第二章「大谷光瑞と満洲」は、大連本願寺関東別院の創設から活動まで詳細に紹介し、また光瑞の満洲観を述べたものである。関東別院の発展については、二つの方向から考える必要があろう。一つは、日露戦争期の軍事行動との関係であり、他方、関東別院内に創設した「仏教青年会」、「仏教婦人会」や「幼稚園」などの教育機関が、大連日本人社会の中で欠くことのできない存在として認知され、発展していったことである」。

 「第三章「大谷光瑞と上海」は、光瑞は「上海」を世界有数の都市であり、中国の中心点と考えていた」。「また魔都と呼ばれた上海で「ハウスボート」「無憂園」そして「本願寺上海別院」などで様々な階層の人たちと出会い、交流することによって、本願寺の存在を不動のものにした」。

 「第四章「大谷光瑞と漢口」は、光瑞にとって漢口は、「国家の前途」を考える場所であり、また「国家の近代化を学ぶ」ところでもあった。時の実力者張之洞に関心を寄せ、製鉄所、教育機関などを視察したのは、そのためであった」。

 「第五章「大谷光瑞と台湾-「逍遙園」を中心にして」は、台湾高雄に現存する「逍遙園」について、大谷光瑞、本願寺の台湾開教などと相関させて論じた」。「光瑞は、台湾を「如意宝珠」の島と呼び、産業開発を中心にして、政策を開陳したり、また自ら産業を興したりもしていた」。

 「第六章「大谷光瑞とシンガポール本願寺」は、海外開教(とくにアジア開教)は、明治以降、日本の対外膨張政策にともなって積極的に行われ、軍部の海外進出と軌を一にしている場合が多く、また軍部の海外進出の先鞭役を果たしているものも少なくないことを明らかにした」。

 「第二部は、大谷光瑞が中国をどのように認識していたかということを論じたものである」。「第一章「辛亥革命と大谷光瑞」は、辛亥革命期に遭遇した日本の一仏教教団・本願寺とその法主大谷光瑞は、教団という特異な存在形態を背景として辛亥革命・官革両勢力と関わったことを明らかにした」。

 「第二章「大谷光瑞と『支那論』の系譜」は、竹越与三郎、山路愛山の『支那論』から大谷光瑞、内藤湖南の『支那論』を概括したが、ここで明らかになったのは、竹越、山路は中国の地を履むことなく、ある種観念的な物言いで、中国を論じていたが、光瑞は、中国で生活した体験から、現実を注視すべきだと考え、著したのが『支那論』であった」。

 「第三部は、大谷光瑞と周辺の人々を取り上げ、具体的には水野梅暁と中島裁之に注目した。第一章「水野梅暁と日満文化協会」は、大谷光瑞の中国におけるある種指南役であった水野梅暁について記した論文である」。

 「第二章「『萬里獨行紀』と中島裁之」は、中国で初めて本格的な日本語学校(「北京東文学堂」)を建設した中島裁之に注目した論文であるが、中島は、一八九九年の大谷光瑞の「清国巡遊」に随行した人物であり、又四川成都や北京において日本語学校を創設するなど中国通でもあった」。

 そして、つぎのようにまとめて、結論としている。「大谷光瑞は、明治維新の激動期に本願寺の一連の改革を成し遂げた父大谷光尊(明如上人)の影響を受け、開明にして進取の精神を受け継いだ。一八九九(明治三十二)年、初めての清国外遊は光瑞をして「国家の前途」を充分に考えせしめた。独り本願寺だけの資力を以て「大谷探検隊」(アジア広域調査活動)を組織したのも「国家の前途」を考え「日本の天職」を明らかにするためであった。「仏子にして、アジア人」であった時代は、精神的に中国に関わり、「大谷探検隊」は言うに及ばず、孫文たちへの支援運動を軸にして活動を行っていたが、「対華二十一ヶ条要求」、それに「五・四運動」を経て中国の政治状況は、軍閥・匪賊が支配するようになり、安心して生活できる場所ではなくなった。そこで南洋にひとまず退散する形をとり、中国から距離を置くようになる。南洋では、「ゴム園」、「コーヒー農園」、「香料の栽培」など「産業振興」に力を注ぎ、「実業家」としての一面を持つことになる。その後、「内閣参議」や「大東亜審議会」委員、「内閣顧問」等を歴任する中で「帝国の相談役」となった。海外生活に終止符を打ち、日本(東京築地本願寺)で生活するようになった。ただ戦局が激しさを増した一九四五(昭和二十)年六月には、大連に渡った。当地で日本の敗戦を迎えたのである。「骨は中国大陸に撒いてほしい」と語った時期である」。

 「本研究では、大谷光瑞が常に「国家の前途」について考えていたことを具体的に明らかにした。それはまた「アジア主義者」としての一面でもある。仏教を紐帯としてアジア各地を一つにしようとしたのではあるまいか。このことは今後の検証に委ねたい」。

 海外在住日本人社会にあって、宗教家の存在は軽視できない。心のよりどころにしたことはもちろんだが、教育や文化活動にも大きな役割を果たした。だが、なかには「生臭坊主」もいたようで、娼館に入り浸っていたような者はゴシップの的になった。東アジアからインド・ヨーロッパへの寄港地で、周辺でフロンティア開発が進んでいたシンガポールでは、娼館が発達していただけでなく、早くから新聞や雑誌が発行されていた。そんななかにあって、法主大谷光瑞にも関心が向けられ、しばしば報道された。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

鈴木早苗『ASEANの政治』東京大学出版会、2024年7月19日、211頁、3900円+税、ISN978-4-13-030192-3

 カバー写真の、つぎのような説明が見返しにある。「ASEAN事務局に2019年完成した新ビル1階エントランスの天井の照明である。そのデザインは、ASEANのロゴの中心にある10本の線を束ねたものがもとになっている。これは稲穂の束をイメージしており、それぞれの線(稲の茎)は加盟国を示している。東南アジア地域が稲作文化圏であることから稲穂のイメージが使われたと考えられ、束は友好と連帯を象徴する。ちなみに、ASEANのロゴには、全加盟国の国旗に採用されている主な色が使われており、青は平和と安定、赤は勇気とダイナミズム(力強さ・活力)、白は純潔、黄色は繁栄を表現しているとされる」。

 本書の目的は、序章「ASEANをどうとらえるか」で、つぎのように書かれている。「東南アジア地域に関する記事にたびたび登場するようになったASEANは、1967年に設立され、50年以上存続する地域機構である。その歴史は、加盟諸国の対立や協調の政治である。本書では、ASEANの名の下に、加盟諸国がどのような対立を抱え、協力を進めていったのかを分析することで、ASEANが東南アジアの代名詞になっていくその過程を追う」。

 本書は、序章、全6章、終章などからなる。「序章」の最後に「4. 本書の構成」がある。第1章「脱植民地化・冷戦とASEAN」では、「ASEAN諸国が置かれた国際環境を把握するため、歴史的な視点として、脱植民地化が地域協力に与えた影響を取り上げる。第二次世界大戦後、地域主義の波が起き、その様相には多かれ少なかれ植民地の遺産が反映されていた。タイを除く東南アジア諸国の脱植民地化を経験し、国家建設に邁進する中で、ASEANに何を期待したのかを描く」。

 第2章「ASEANの政策決定」では、「ASEANの組織的特徴を主権制約の観点から説明する。ASEANや他の多くの地域機構は、EUのモデルを少なからず参照する一方で、政府間主義的性格も保持してきた。この点についてASEANの経験を示しつつ、特に、ASEANの政策はどのように策定されているかを深掘りする」。

 第3章「政治安全保障」第4章「経済統合」第5章「非伝統的安全保障」第6章「域外国・地域との関係」では、それぞれ「協力のあり方と主権の制約との関係を分析する。政治安全保障は、主権の制約が起きにくい分野である。ここでは、ミャンマーへの関与など具体的な例を使って、加盟各国の政治体制の変動が地域機構の内政不干渉原則にもたらす影響を検討する。一方、経済統合は比較的、主権の制約がみられる分野である。経済統合は深化すればするほど、主権の制約が求められる。政府間主義からの逸脱例として、ASEANの経済統合はどの程度、主権を制約しているのか、また、その動きをもたらしたものは何かを検討する」。

 「一方、非伝統的安全保障と域外国・地域との関係は、政府間主義に基づく地域協力を基本としながら、一部でその変化の兆しが確認できる分野である。両分野とも、ASEAN憲章の発効後に作られた制度・組織が一定の役割を果たしており、主権の制約との関連性が議論される。非伝統的安全保障は、越境的な問題ではあるが、その影響が主権国家の排他的支配の対象である人々に及ぶというジレンマを抱えている。ASEANでは、一部の加盟国の要請により、環境や移民労働者などの問題で協力が進められているが、さまざまな課題があることを示す。域外国・地域との関係においては、相手の域外国・地域の戦略や、地政学的な観点も大きく作用するため、加盟各国の利害も多様化しやすい。域外に対して地域機構としての統一姿勢がとれるかなどの観点から、ASEANと域外国・地域との関係を具体的な事例とともに考察する」。

 終章「ASEANはどこに向かうのか」では、「主権国家体系と共存する地域主義のあり方を総括し、ASEANの将来について展望を示す」。

 そして、つづけてASEANの政治を学ぶ意義を3つにまとめて、序章を締めくくっている。「第1に、国際政治における基本的な構造や相互作用の理解を深めることにつながる。対立と協調の政治は、ASEANに特有というよりは、国家間関係の基本的な特徴である」。「第2に、地域主義と主権制約の関係について学ぶことができる」。「ASEANは他の地域機構と比べ、主権制約の少ない機構である」。「第3に、地域の平和共存や経済的繁栄における地域機構の役割について考える機会となる。さまざまな制約や批判がありながらも、ASEANは設立から50年以上、存続してきた。その歩みは、短期的にみれば、対立の歴史だったのかもしれない。しかし、長期的にみれば、合意の蓄積ということができる。このことは、程度の差はあれ、加盟諸国にとってASEANが重要であり続けたことを意味している。その役割はEUや他の地域機構とは異なるものなのか。こうした問題についてASEANという事例は、読者の関心を惹きつけてくれるものと考える」。

 この問いにたいして、終章「1.政府間主義モデルの可能性」の最後で、つぎのように答えている。「ASEAN諸国は対立と協調を繰り返しながら、長期的にはさまざまな合意を蓄積し、協力を拡大してきた。その歴史には、ASEANという地域機構に多くを期待せず、できるところから協力していくという姿勢が貫かれている。ASEANに過度な期待を抱いているのは、むしろ域外のアクターであり、域外からは、ASEANには問題解決能力がないなどの批判はよく聞かれる。地域機構は広く国際機構、さらにいえば国際制度の一つである。国際制度は本来、国家間の相互作用を管理するが、管理の形態や仕方はさまざまである。ASEANの事例は、地域機構のような国際制度が国家間協力を深化させるのにどのような役割を果たすのかについて一つの答えを提供する。それは、あくまで主権国家体系を中核に置いた政府間主義に立脚するものであり、国家に似たガバナンスを目指すEUとは異なる」。

 「2.ASEAN共同体と協力の深化」では、つぎのように結論して、本書を閉じている。「設立以来、ASEANの協力は加盟国政府主導である。その性質はこれからも基本的に維持される。妥協できる限りの主権制約に合意し、その方法を工夫することにより、協力を深化させるという方向性も変わらないだろう。しかし、人の交流は活発になり、ASEANの協力は、人々の生命や生活、経済活動にまで及ぶようになった。政治指導者の意図はさておき、結果として、こうした変化が、人々の相互交流や相互理解、認識の共有にどう影響するか(あるいはしないのか)。主権国家体系と共存しながら、加盟国間、および、人々の間の平和的紛争解決の規範共有や共通のアイデンティティの醸成に向けて、ASEANの挑戦は続いていく」。

 国際制度でありながら、制度化が進んでいないASEAN加盟諸国では、制度を軽視することがある。事前の非公式対話で合意していなければ、態度を保留する。そんなASEANウェイに翻弄される域外国・地域はいらだつ。制度的に理解しようとする社会科学者にとっても、ASEANは厄介だ。だが、そんなASEANにたいして、著者は楽観的で、1階エントランスの天井の照明を見上げている。非公式対話の場になっている2年おきに開催される東南アジアゲームに加盟国が揃って参加している限り、「ASEANの挑戦は続いていく」だろう。ASEANにとっての東南アジアゲームの重要性は、なかなか社会科学者にはわかってもらえないのだが、著者にはわかってもらえたようだ。もし、本書にわかりづらいところがあるなら、それこそがASEANウェイの結果で、読者は著者が言わんとしたことを理解したことになる。ASEANウェイ満載で開催される東南アジアゲームを人びとは、なんだかんだといいながら愉しんでいる。域外国・地域にわからないことこそ、50年以上存続してきた核心であり、「わからない」ことからASEAN研究ははじまる。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

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