早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2024年12月

川名晋史編『世界の基地問題と沖縄』明石書店、2022年7月30日、254頁、2500円+税、ISBN978-4-7503-5412-5

 沖縄の基地をめぐる問題は、「13の国と地域を比較分析」することで解決するのか。そんな期待をもって読んだが、答えはノーだった。基地問題の基本は2国間交渉で、「最恵国待遇」はない。ほかの国・地域と同等のものを求めても、それはかなわないので、比較してもすぐに直接役に立つわけではない。それでも、比較することは無駄ではない。

 本書の目的は、「はしがき」で、つぎのように述べられている。「本書は、基地問題に関心があるもののどこから勉強を始めたら良いのかわからない読者を対象に、あるいは特定の政治的立場にとらわれずにこの問題をフラットに考えてみたい読者を対象に、他国で起きている基地問題がいかなるもので、それと沖縄の基地問題がどのように違うのかを考える視点を示したい。本土復帰から50年を迎えた今、この問題を論じるうえで決定的に欠けているのは、他国との比較だろう」。

 つづけて「なぜ比較するのか」と編者は問い、つぎのように答えている。「どれだけ沖縄について学んでも、「沖縄」にとどまる限りは、この問題の全体像を理解することは難しい。問題の性質が沖縄に固有のものなのかそうでないのか、あるいは問題の程度が深刻なのかそうでないのかは、他との比較によらなければ十分に判断できないからである。日本政府の政策を批判したり(リベラル派)、擁護しようとする(保守派)場合も、その主張の根拠を日米安保や地位協定に見出すのか、あるいは日本本土の人々の態度に問題があるとみなすのかは、結局のところ他との比較の視点がなければ確かなことは言えないだろう」。

 「はしがき」の最後で、「本書の構成」がつぎのようにまとめられている。「本書は比較を容易にするために、共通する4つのテーマを置いている(ただし、基地が置かれる国や地域の性質上、一部の章では異なる設定をしている)。第1が基地の歴史であり、第2が当該国での基地問題の性質とその解決に向けた政策である。第3は地位協定であり、最後が沖縄への合意である」。

 「以下、序章[基地と世界]ではまず米国の世界的な基地ネットワークの全体がどうなっているのかを概観する。それをふまえて、第1章[沖縄]では、本書の土台となる沖縄の基地問題の性質を確認する。その後、第Ⅰ部「欧州」、第Ⅱ部「中東・アフリカ」、第Ⅲ部「アジア・太平洋」、第Ⅳ部「米領」に分割し、米軍基地を受け入れる計13の国と地域を取り上げる。そのなかには、日本の山口(岩国基地)、そして日本の海外基地であるアフリカのジブチの事例も含まれる。また、米国の海外領土であるグアム(準州)とプエルトリコ(自治連邦区)も取り上げる」。

 「あとがき」では、まず編者が強調したかったことを、つぎのように述べ、ついで「結論の章」を設けなかったことを説明している。「沖縄の基地問題は複数の人文・社会諸学、たとえば社会学、歴史学、地域研究、経済学、政治学などの専門家の協力によってはじめてその全体像を描写できるものである。このことはいくら強調してもしすぎることはない。それは本書が対象とする読者に、沖縄の基地問題の理解にはあたかもすでに確立された「何か」があり、それを他の社会問題と同じように特定の本や論文を通じて学ぶことができると誤解させないためにである」。

 「その意味からして、本書はなるほど外交史、地域研究、社会学、国際政治学の専門家による学際的な試みだったかもしれないが、それでも沖縄の基地問題の全体的な理解には及ばないだろう。読者には本書に足りないものは何かを考えてもらい、そこから次の本、そしてまた次の本へと手を伸ばしてもらいたい。本書があえて結論の章を設けなかったのも、編者のそうした意図によるものである」。

 比較にも限界があることは、「はしがき」の最後で、NATOと比較して、つぎのように説明している。「NATO軍地位協定と日米地位協定の最大の違いは、その互恵性にある。NATO軍地位協定では、米国を含めた加盟国は軍を派遣する(派遣国)にも受け入れる国(接受国)にもなりうる。他方、日米地位協定では、派遣国が米国、接受国が日本と固定されている。後者の場合、立場の逆転が起こらないため、地位協定は派遣国に有利なものになりやすいと考えられる」。

 「本書のベースとなっているのは専門書、『基地問題の国際比較-「沖縄」の相対化』(同編者、明石書店、2021年)で」、「実は、こちらには比較の視座から得られた基地問題の解決策のメニューが示されている」という。「本書は一般の読者に向けて「森」を描こうとした」。

 基地問題が、2国間関係だけでなく国際関係のなかにあり、「沖縄の問題」だけではなく「日本の国内問題」として考えないと、国際関係のなかで考えることができないことがわかった。「本書に足りないものは何かを考えてもらたい」という編者の意図をくむと、足りないのは社会史的アプローチだろうか。基地を「問題」として扱うだけでなく、功罪複雑に絡みあって人びとに影響を与えてきたことから、ひとりひとりの声を聞いてみたい。基地が簡単になくならないことは、本書から充分に伝わった。対話をつづけることで、「問題」は軽減されていくことだろう。そのためにも、比較は必要だ。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

柴田直治『ルポ フィリピンの民主主義-ピープルパワー革命からの40年』岩波新書、2024年9月20日、251頁、1000円+税、ISBN978-4-00-432032-6

 独裁者の息子が、大統領になった。選挙で選んだフィリピン人の意思を尊重したいが、わからない。フィリピンの「民主主義」とは、どのようなものなのか。その疑問に答えてくれると思い、本書を開いた。

 表紙カバーの見返しに、つぎのようにまとめてある。「アジアや東欧の民主化の先駆けとなったピープルパワー革命から約40年。国を追われた独裁者の息子が大統領に当選し、父の戒厳令下で行われた人権侵害や蓄財の記憶が消されようとしている。SNSが偽情報を拡散し、伝統メディアが衰退する今、フィリピンの民主主義の姿とは。長年の現地取材をもとに描く渾身のルポ」。

 本書は、序章、全9章、あとがきなどからなる。時系列にシニアからジュニア(ボンボン)まで歴代大統領の統治を追い、最後の第9章で東南アジアのなかでボンボンの登場を理解する。

 序章は、つぎのパラグラフで終えている。「本書では、この間に見聞きした彼らの姿と盛衰を追いながら、フィリピンの政治・社会の現状と課題について、現場を踏まえた検証を試みる。同時に報道の自由や世襲、SNSが選挙に及ぼす影響といった、日本の民主主義にとっても重要なテーマについて分析する。近年、権威主義への回帰が目立つアジアのなかで、フィリピンがどのように位置づけられるかといった点についても考察を進めたい」。

 フィリピンに限らず、地元の人びとの感覚がなければ理解し得ないことが多々ある。カトリック教徒の多いフィリピンでは、教父・教子など疑似親族関係が発達していて、その関係は表には出てこないが、地元の人びとは常識として知っている。フィリピンの空港に降り立ち、タクシーの運転手と世間話するだけで、謎が解けることがある。本書で、インタビューやSNSを重視するのは、そのような背景があるからだろう。

 その数々の謎の答えについて、各章の見出しから拾ってみよう。序章では、「交わることのない被害者と支援者」。第1章「フィリピンの「発見」から独立、独裁まで」では、「殺人事件で無罪を勝ち取ったシニア」「利益誘導で培った忠誠」。第2章「エドサ政変からふたつめのアキノ政権まで」では、「高支持率下で蓄積したフラストレーション」。

 第3章「ドゥテルテの登場と麻薬撲滅戦争」では、「治安の改善が支える「戦争」への支持」「警察、税関、刑務所が麻薬汚染の震源地」「無法がまかり通る収容施設」「矯正局長がジャーナリスト殺害を指示」「コインの表裏の美徳と悪徳」。第4章「政敵排除と報道の抑圧」では、「脆弱な「司法の独立」」「人権委員会の予算を一〇〇ペソに」「機能しない政党」「最大放送局の免許はく奪と免許の行き先」「指名手配教祖の宗教団体に放送免許」「伝統メディア攻撃に溜飲を下げる人々」。第5章「史上最高のドゥテルテ人気とその秘密」では、「任期後半でも下がらぬ支持率」「経済では成果上がらず」「「汚職追放」にも疑問符」「父娘そろって派手な政府予算の使いっぷり」「人気の秘密は、アンチ・ポリコレ?」「エリートへの嫌悪に乗じたポピュリスト」「連発するセクハラ発言」「批判する女性には厳しく」。

 第6章「ボンボン政権の誕生とソーシャルメディア選挙」では、「マルコス陣営を支えたデジタル・クローニー」「「黄金のシニア時代」という言説」「マラカニアン復帰へ向け周到だったデジタル戦略」「世界一のSNS利用国」「ティックトックが主戦場」。第7章「ピープルパワー神話の終焉と新たな物語の誕生」では、「変わらない貧困と格差」「アジアの発展に取り残されるフィリピン」「奇跡の革命物語の敗北」。第8章「歴史修正と政権交代の意味」では、「「マルコス独裁」を消す指導要領の変更」「巨額相続税の滞納」「消えた祝日・革命記念日」。

 第9章「東南アジアで広がる権威主義と民主主義の衰退」では、「民主主義から権威主義までのグラデーション」「後退するアジア太平洋地域の民主主義」「中国の勃興が支える強権」「米国の無関心と衰退、そしてご都合主義」「アジアの病、政治世襲」「アジアに民主主義は根付かなかったのか」。

 「あとがき」で、著者は本書執筆のきっかけを、つぎのように述べている。「かつて自分たちの力(ピープルパワー)で独裁者一家を追い出した人々が、それによって得られた選挙の自由をもって一家を再び権力の座に就かせた光景を見て、民主主義とはなにかを考えさせられたことだ。無血の民主革命に酔ったはずのフィリピン人を取り巻く状況はどこでどう変わったのか」。

 つづけて、著者はつぎのように述べている。「一連の出来事について、できるだけ事実に照らして経緯を追うように努めた。しかしながらその「事実」を当事者であるフィリピン人に伝えると、強く反発されることも多い。もちろんどのような「事実」を選択するかは私の主観である。彼らの慈しむ物語と私が伝える「事実」の平仄が合わないからだろう」。「ジャーナリズムにとって厳しい時代だ。事実に重きが置かれない状況は、世界的な傾向だが、フィリピンもまたしかりである」。

 著者は、フィリピン社会をつぎのように理解している。「職業や学歴、貧富、階層、立場などにかかわらずフィリピン人は概しておしゃべり好きで、外国人に対してもさまざまな話をしてくれる。その自由闊達さが私は好きだ。取材するのも楽しい。しかしここ数年、フィリピン人と政治の話をするのがときに億劫になる。私に限らずフィリピン人同士、家族間でも政治や選挙について話すことを避ける傾向があるという。政治状況を語る共通の基盤が失われているからだろう。基盤を事実の積み重ねと言い換えてもよい」。

 そして、つぎのように展望している。「ボンボン政権は二〇二五年には折り返しを迎える。マルコス・ドゥテルテの蜜月が過去のものとなり、二〇二八年の次期大統領選挙へ向けて政局も波乱含みだ。独裁者の息子は権威主義的な傾向を強めるのか、あるいは父の政権末期の反省に立ち、民主的にバトンを後任に引き継ぐのか、予断を許さない」。

 結局、疑問は解けなかった。だが、その基盤に、貧富の差があることは歴然としている。富の代表と貧が期待するリーダーのせめぎあいのなかで、ポピュリスムが横行しSNSが力を持った、ということだろうか。民主主義にもいろいろあることはわかるが、フィリピンの民主主義は貧富の差が解消されないかぎり、現実には機能しないだろう。

 ドゥテルテ前大統領の娘で、副大統領のサラ・ドゥテルテの人気に陰りが見えるようになった今日、次期大統領候補として放送ジャーナリスト、メディアパーソナリティとして人気を博し、2022年から上院議員を務めているラファエル・テシバ・トゥルフォRafael (Raffy) Teshiba Tulfo(1960- )が浮上してきた。日系二世の母( -2024)をもつ10人兄弟姉妹の半数が著名人になっている。戦後反日感情の強かったフィリピンで、日系人というのもハンディにならないようだ。

 フィリピンで現地調査をはじめた1980年代のイメージが、よくも悪しくも、その後のフィリピン観に影響している。それが今日では通用しなくなっていることは、すこしフィリピンに滞在して肌で感じればわかるが、それにかわるものがわからない。グローバル化のなかでわかることもあるが、その受けとめ方はそれぞれの基層社会によって違いがあるだろう。そう考えると、いまの感覚で調査し、従来にない新しさを発見している若手研究者とは違う考察ができるかもしれない。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

持田洋平『移民社会のナショナリズム-シンガポール近代華人社会史研究』風響社、2024年10月20日、420頁、3200円+税、ISBN978-4-89489-330-6

 本書のキーワードは、「ネイション・ナショナリズム」である。著者は、「序章」でつぎのように定義している。「本書ではネイション・ナショナリズムという用語を、国家とネイションが結びついた国民国家という形態を前提としないものとして定義する。具体的には、ネイションという用語を、特に近代ヨーロッパに起源を持ち、言語・文化・宗教・出身地・服飾などの文化的特徴・性質などを本質的に共有しているものとして想像された、均質かつ一体化した文化的共同体という概念として定義する。またナショナリズムについては、ネイションという概念を用いて行われる多種多様な文化・社会・政治活動として定義する」。

 本書の目的は、「まえがき」で、まずつぎのように述べられている。「本書は、植民地統治期におけるシンガポール華人社会史のうち、一九世紀から二〇世紀前半、日本統治期までの時期における歴史的な展開の概要を示すと共に、特に重要な変容期に当たる一八九六年から一九〇九年を詳しく議論する。言い換えると、本書は一八九六年から一九〇九年のシンガポール華人社会における社会的な変容を詳述するというミクロな課題と、この課題を一九世紀から二〇世紀前半の時期におけるシンガポール華人社会史の中に位置付けるというマクロな課題の二つに取り組むものとなる」。

 この2つの解題について、それぞれ説明した後、本書が目指すものをつぎのようにまとめている。「宗主国イギリスと「祖国」中国の政治的な影響を受けながらも、独自の自律性・主体性を持った場としてシンガポール華人社会を位置付けたうえで、そこに生きた人々がいかに近代的なネイション観念を認識し、自分たちが居住・生活する華人社会にこの概念を投影させ、現地で普及させていったのかということを、生き生きと描き出すことである。これは、ネイション・ナショナリズムといった概念を、国民国家の問題として限定せずに、移民社会の問題として捉えようとする観点だともいえる」。

 つまり、中国本土、台湾につぐ第3の「中国」でもなければ、イギリス連邦(コモンウエルス)に従属する国でもないと言いたいのか。では、シンガポールという国には、どこに帰属意識があるのか。その位置づけを気にしながら、読みはじめた。

 本書は、まえがき、序章、全8章、終章、あとがき、人物略歴などからなる。各章の内容は、序章「五 本書の構成」で、紹介されている。まず、全体をつぎのように紹介している。「本書は、序章・終章と、本論となる第二章から第七章と、その内容を通史的な観点から補足するものとして機能する議論を行う第一章と第八章により構成される。本論は、前半部である第二章から第四章と、後半部である第五省[章]から第七章に大きく分けられる」。

 第一章「一九世紀のシンガポールにおける華人社会の形成と発展」では、「第二章以降に続く本論の前提として、イギリスによる植民地統治が開始されて以降、シンガポールにて華人社会が形成されていく歴史的な過程について」まとめる。

 第二章「林文慶らの出現と辮髪切除活動に起因する騒動(一八九六-一八九九年)」では、「一九世紀後半における秘密結社への法的規制の進展をきっかけとして、一九世紀末において林文慶を代表とする進歩主義的な華人リーダーたちである「現地の改革主義者たち」が台頭した経緯について議論する」。

 第三章「康有為のシンガポール来訪とその社会的影響(一九〇〇年)」では、「「立憲派」の著名な政治活動家であった康有為が一九〇〇年にシンガポールへ来訪・滞在した事件と、その植民地政庁や華人社会の反応について検討する」。

 第四章「孔廟学堂設立運動の展開(一八九八-一九〇二年)」では、「一八九八年から一九〇二年にかけて、林文慶ら「現地の改革主義者たち」により主導される形で展開された孔廟学堂設立運動について論じる」。

 第五章「シンガポール中華総商会の社会的機能の形成過程(一九〇五-一九〇八年)」では、「二〇世紀前半のシンガポール華人社会における最大の商業団体である中華総商会を対象として、その幇派のとりまとめや華人社会全体を代表するリーダーシップの発揮などに関わる、社会的な機能がどのように形成されたのかという点について論ずる」。

 第六章「「国語」教育を標榜する初等学堂の設立ラッシュ(一九〇六-一九〇九年)」では、「一九〇〇年代後半のシンガポール華人社会において、「国語」を標榜する中国語教育が、複数の幇派によって展開されたことを論じる」。

 第七章「「満州人蔑視」言説の系譜と「革命派」の出現」では、「シンガポール華人社会における「満州人蔑視」言説の系譜と、中国国内政治に関わる政治的な党派の出現について論じる」。

 第八章「中華民国期における展開」では、「まず、本論として第二章から第七章まで述べてきた内容をまとめ、一九世紀末から一九〇〇年代のシンガポール華人社会における「移民社会のナショナリズム」の形成に関する歴史的な展開を具体的に提示する。その後に、中華民国期以降におけるシンガポール華人社会史の展開について、政治史・社会経済史・教育史の三つの観点から整理することにより、その概要を示す」。

 「終章では、本書全体の内容を整理すると共に、本書の議論をシンガポール華人社会史の研究史上に位置付け、新たな論点を提示する」。

 その終章の「一 通史的な観点からの位置付け」は、つぎのようにまとめられている。「一九世紀末から二〇世紀初頭のシンガポール華人社会において形成され始めた「移民社会のナショナリズム」は、中華民国期に至り、中国国内におけるナショナリズムとは違った形ではあるものの、より中国国内政治との結びつきを深めた形で発展していくこととなった。そして、このような「中華総商会の時代」と中華民国との親密な関係性の構築という社会的な傾向は、日本統治期まで継続していくこととなった」。

 「二 研究史上における位置づけと新たな論点の提示」では、3つの新たな論点を整理している。「第一に、シンガポール華人社会の内部構造に注目しながら、一九世紀末から二〇世紀初頭までの時期のシンガポール華人社会におけるナショナリズムの形成過程に関する議論に新たに提示したことがあげられる」。

 「第二点として、本書は一九世紀におけるシンガポールの植民地構造の形成・繁栄と、二〇世紀前半の華人社会における「中華総商会の時代」の到来と政治的なナショナリズムの高揚という現象を、一九世紀末から二〇世紀初頭の「移民社会のナショナリズム」という観点からつなぎ合わせて議論することにより、戦前(より詳しく言うと、イギリスによる植民地統治の開始から日本統治期以前まで)のシンガポール華人社会に関する新たな通史を提示した」。

 「第三に、本書が提示した通史的な議論は、従来のシンガポール華人社会史の先行研究がこれまで議論してきた、中国国内の政治的党派の対立関係を中心とした観点に基づくナショナリズムの形成の歴史的過程についての説明に対する、批判的な検討として機能している」。

 そして、これら新たに提示した3つの論点の説明を踏まえて、つぎのパラグラフで本書を結んでいる。「本書が「移民社会のナショナリズム」という言葉を使い、長い紙幅を割いて説明しようとしたのは、一九世紀末から二〇世紀初頭のシンガポール華人社会における、この極めて重要な社会構造の変容に他ならない。そして、この変容を可能としたのは、林文慶ら「現地の改革主義者たち」による高い理想を掲げた社会改革活動と、植民地社会の現実に直面しての苦闘と数々の失敗であった。「進歩」と「改革」の時代における、林文慶ら「現地の改革主義者たち」による数々の試みと、またその試みと同等かそれ以上に重要であろう苦闘と失敗が持つ歴史的意義は、アジア史上、あるいは世界史上においても、より強調されてしかるべきであろう」。

 本書の試みは、台湾、香港、マカオなどと比較すると、より明確になるだろう。国民国家と結びつきやすかったか否かが、時代や社会によってまちまちであったことがわかる。ほかにも、クルド人など現在国民国家をもたない民族の考察にも役に立つだろう。ナショナリズムを、社会史研究から考察することによって、国際関係ではみえてこないひととひとの結びつきがみえてくる。

 ただ、本書は全体通して繰り返しが多く、ひとつのパラグラフのなかに同じ表現が出てくるなど、文章があまり整理されていなくて、著書の主張がすんなり頭のなかに入ってこなかった。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

野入直美編『引揚エリートと戦後沖縄の再編』不二出版、2024年2月22日、368+5頁、3700円+税、ISBN978-4-8350-8534-0

 本書の概要と成果は、「終章 戦後東アジア再編と「引揚エリート」」の「おわりに-戦後東アジアにとって「引揚エリート」とは」に、つぎのようによくまとめられている。引揚研究の新たな展開として、「「悲惨な引揚者」というステレオタイプの相対化であり、戦前と戦後における「引揚者」の職業階層や生活階層の「連続性」をクローズアップするという研究の新たな指針を提示」している。

 つづけて、終章の執筆者である蘭信三は、つぎのように説明している。「「悲惨な引揚者」と「引揚エリート」は、ある意味、アジア・太平洋戦争に関する「断絶論」と「連続論」と関連して捉えることもできよう。すなわち、帝国の崩壊、軍隊の解体、憲法改正、天皇の象徴化、財閥解体という戦後民主化の流れのなかで、戦前と戦後は多く変わったという「断絶論」が先行した。それは、単にそれらの戦後改革による社会の大きな変化だけでなく、戦前と決別して戦後は平和で民主的な社会を築くべきであるという人々の強い想いや決意をも反映したものであったと考えられよう」。

 本書は、序章、2部全11章、3コラム、終章などからなる。本書の構成は、序章「いま、戦後社会における引揚者を問う」の最後で、つぎのようにまとめられている。「本書の第一部[定量分析篇]では台湾、満洲からの沖縄引揚者の計量分析を、第二部[事例分析篇]ではその事例研究を展開する」。

 第一部第一章「戦後沖縄経済の牽引者としての台湾・満洲引揚者-引揚者の共通性と多様性」と第二章「一九五六年沖縄引揚者の類型化と職業移動」では、「戦争研究に計量分析をもたらしてきた渡邊勉が、在外事実データを用いて引揚者の均質性と多様性を論ずる。また、外地時代と引揚後の職業移動を解明する」。

 第三章「沖縄と本土の満洲引揚者の比較-職業移動を中心に」と第四章「外地就学と戦後就労-沖縄の台湾、満洲引揚者をめぐって」では、「野入が、沖縄と本土の満洲引揚者を比較し、とくに公務就労をめぐる沖縄引揚者の特徴を明らかにする。また、外地における就学が戦後のキャリア継続や階層上昇に及ぼした影響を考察する。さらに、軍雇用、引揚援護施策についてのふたつのコラム[「軍雇用と引揚者」「米占領下沖縄への日本政府による引揚者援護の適用」]を設けた」。

 「第二部の事例研究が扱う領域は、糖業、スポーツ、パイン農業、八重山、記憶、政治、そして労働問題である。うち糖業から記憶までの論考が台湾引揚者を、政治と労働運動の論考が満洲引揚者を対象としている。さらに最後の二論考は、奄美の引揚者が来沖した事例であり、外地-沖縄の単線だけではとらえることのできない複合的な人の移動を扱っている」。

 第五章「戦後沖縄における糖業復興-製糖経験と沖縄ディアスポラの連続性」では、「戦後沖縄の基幹産業として経済再編を牽引してきた糖業に光をあて、沖縄糖業の復興を人の移動の文脈で読み解きなおす。飯島真里子の論考は、台湾引揚者のみならずハワイ移民が沖縄糖業の戦後史に関わっていたことを解明しており、沖縄産業史に新たな知見をもたらしている」。

 第六章「剣とペンと台湾引揚者-松川久仁男にみる戦後沖縄の再建」では、「菅野敦志が、戦後の琉球商工会議所で指導的役割を果たした台湾引揚の実業家、松川久仁男を論ずる。松川は新聞業を営むかたわら、米軍統治下の沖縄で剣道を復活させた。菅野論考は、本土との往来が制限されていた時代に、剣道がいかにして沖縄-本土交流の突破口となり、引揚者がどのように関与したかを示している」。

 第七章「玉井亀次郎とパインアップル-台湾経験を複眼的に読み解く」では、「松田良孝が台湾引揚者の玉井亀次郎が、沖縄本島における最初の商業的パインアップル栽培に成功した経緯を明らかにする。松田は、引揚後も「開拓者」であり続ける玉井を、県立農林学校の人脈を中心とする「地元性」を支えてきたと指摘する」。松田は、あわせて「コラム3 リアルを起点にウェヴを活用する-取材執筆私論」を執筆している。

 第八章「台湾引揚をヘテロトピアとしての八重山から捉えなおす」の「八尾祥平は、多くの台湾渡航者を出した八重山を焦点化し、沖縄選出の国会議員であった白保台一の祖父・英喜と父・英行の代からの家族史、さらに石垣島にパイン産業をもたらした林発の事例を用い、「ヘテロトピア」としての八重山を論ずる」。

 第九章「台湾引揚を支えた縁の下の力持ち・琉球官兵とその戦後」では、「中村春菜が、戦後の台湾で引揚(送還)事業の実務を担った沖縄籍の軍人・軍属、「琉球官兵」をとりあげ、彼らの戦後における足跡から、戦後の沖縄における復員兵の位相を考察する」。

 「それに続く二つの章では、満洲引揚者の事例分析を行う。第十章[奄美籍の引揚者・泉有平と沖縄の「自立」]では野入が奄美出身の朝鮮・満州引揚者で、琉球政府副主席を務めた泉有平をとりあげる。泉は、外地経験に根ざして戦後沖縄の振興開発を構想したが、そこには現代の沖縄にも続く矛盾と葛藤が見いだせる」。

 第九[十一]章「林義巳と「満洲経験」-戦後沖縄労働運動の出発点」では、「佐藤量が、大連で職業訓練校に学び、労働運動の洗礼を受けて奄美に引揚げ、沖縄で基地建設労務者のストライキを率いた活動家・林義巳をとりあげる。佐藤論考は職業訓練校の機能に光をあて、労働運動と満洲引揚という新たなフレームを打ち出している」。

 「そして終章では、蘭信三が戦後の東アジア再編に照らして本書を俯瞰し、引揚エリートに着目することの意義を提示する」。

 そして、「あとがき」で編者、野入直美は、つぎのように総括している。「本書では、引揚者の専門性と能動性をとらえるという指針に共鳴した練達の研究者たちが、多彩な各論を展開した。定量・定性アプローチの併用により、ある程度、引揚エリートと戦後沖縄の再編を明らかにできたように思う。しかし、戦後沖縄に引揚者が及ぼした影響についてはまだ課題が残されている」。

 「はじめに」で、「本書における「引揚エリート」とは、専門職引揚者を中心に、地域社会のリーダー、労働運動の活動家、国際交流の担い手、政治家、実業家など、さまざまな領域で社会を担ってきた引揚者を意味する。本書では、外地における職業経験をひとつの資源として社会の中間・上層に位置づき[け]、戦後社会の再編をすすめた台湾、満洲引揚者に着目する。「引揚エリート」は、社会的な成功者のみに光をあてるためではなく、むしろ引揚者の多様性を階層の視点によって明らかにするためのフレームである。それはまた、援護対象とされてきた引揚者を、戦後社会の再編に関与してきた能動的なアクターとしてとらえなおすための枠組みである」と説明している。岸信介のような超エリートの「革新官僚」とは違う、なにかローカルな社会に密着した「エリート」のようだ。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

スヴェン・ベッカート著、鬼澤忍・佐藤絵里訳『綿の帝国-グローバル資本主義はいかに生まれたか』紀伊國屋書店、2022年12月28日、848頁、4500円+税、ISBN978-4-314-01195-2

 真田の居城があった上田は、「蚕都」であった。通りの並木は桑で、「信州上田ふるさと先人館」では「経済産業」を支えた人びとが紹介されている。そして、1900年に開業した常田(ときだ)館製糸場が国指定重要文化財として保全され、公開されている。64年には昭和天皇皇后が「国の重要産業蚕糸業」の製糸工場を視察している。国の政策によって84年に製糸事業は生産を終了したが、それから30余年たった2016年に平成天皇皇后が「国指定重要文化財笠原工業旧製糸場施設」を視察した。天皇皇后両陛下の行幸啓をもって、いかに製糸業が近代日本にとって重要だったかがわかる。

 「本書はヨーロッパ人が支配した<綿の帝国>の興亡の物語である。とはいえ、綿が中心的なテーマであることから、この物語はグロ-バル資本主義の構築と再構築の物語でもあり、それとともに現代世界の物語でもある」。

 帯の表では、「綿の歴史は資本主義の歴史であり、常に暴力と強制を伴っていた-」と大書され、つぎのように説明している。「奴隷制、植民地主義、強制労働……社会的・経済的不平等や差別は資本主義の歴史の例外ではなく、その核心だった。膨大な資料のもとに5000年、5大陸にわたる綿とそれにかかわる人々の歩んだ道をたどり、現代世界の成り立ちを追求した、バンクロフト賞受賞作」。

 本書は、はじめに、全14章、謝辞、訳者あとがき、原注などからなる。原注は828ページから692ページまで137頁に及ぶ。本書は、時系列的に5大陸を行き来し、「畑から貨物船へ、商館から工場へ、摘み手から紡ぎ手、織り手、さらには消費者へと、綿がたどった足跡を追う。ブラジルの綿の歴史とアメリカのそれ、イギリスの綿の歴史とトーゴのそれ、あるいはエジプトの綿の歴史と日本のそれを切り離して論じたりはしない。<綿の帝国>とその影響下にある現代世界を理解するには、多くの場所や人びとを切り離すのではなく結びつける必要がある。つまり、この<帝国>を形づくり、さらにはその<帝国>によって形づくられた場所や人びとを」。

 本書の特色は、「はじめに」の随所で記されている。たとえば、資本主義の歴史について、「大半の書物とは異なり、本書は世界の一部にのみ通用する説明を探求するのではなく、それを正しく理解できる唯一の方法で-つまり、グローバルな枠組みのなかで-資本主義をとらえていく。資本、人間、商品、原料の地球規模での動きと、世界の遠く離れたさまざまな地域のあいだで築かれた諸々の関係が、資本主義の大変革のまさに中核にあるものだ。それはまた、本書の中核にあるものでもある」とある。

 さらに、つぎのように記している。「多くの歴史家はこの時期を「商人」資本主義ないし「商業」資本主義の時代と称してきた。だが、「戦争資本主義」という言葉のほうがその苛酷さと暴力性のみならず、ヨーロッパの帝国主義的拡大との密接な関係をよく表わしている。戦争資本主義は、資本主義の発展の過程においてとりわけ重要な段階だが、往々にして認識されていない段階でもある。それは、絶えず変化する諸関係に組み込まれた、絶えず移り変わる一連の地域で展開し、世界の一部の地域では一九世紀に入っても長く存続したのだ」。

 これまで綿の歴史が軽視されてきたことについては、つぎのように説明している。「綿の重要性を理解するのが難しい理由のひとつは、われわれの集合的記憶のなかで、炭鉱や鉄道、巨大な製鋼所といった、産業資本主義をより明瞭かつ印象的に象徴するイメージの影に隠れてしまいがちだったことにある。われわれは往々にして、地方を無視して都市を重視する。欧米の近代産業の奇跡に目を奪われるいっぽうで、世界各地に存在する原料生産者や市場と産業との結びつきには目を向けない。ややもすれば、より高貴で清潔な資本主義を切望するあまり、資本主義の歴史から奴隷制や収奪、植民地主義の事実を消し去ろうとする。産業資本主義は男性が支配していたと思われがちだが、<綿の帝国>を生み出したのはほとんど女性の労働だった。資本主義はさまざまな意味で物事を解放する原動力だったし、現代生活の多くの側面がよって立つ基盤だった。われわれは単に経済的のみならず、感情的にもイデオロギーの面からも資本主義にどっぷり浸かっている。不都合な真実は時として容易に無視されやすいのだ」。

 『女工哀史』(細井和喜蔵著、岩波文庫、1954年)を読み直してみた。それほど悲惨な印象を受けなかった。わたしの感覚が麻痺していることは、「エピローグ」のつぎの文章からわかる。「暴力と強制は、それらが可能にする資本主義と同様に適応力に富み、今日まで<綿の帝国>で主要な役割を果たしつづけている。綿作農家は相変わらず、綿花の栽培を強いられている。労働者は相変わらず、実質的に工場の囚人として拘束されている。そのうえ、彼らの活動の成果は相変わらずきわめて不平等に分配されている。たとえば、ベナンの綿花栽培者が稼ぐのは一日に一ドルかそれ以下であるいっぽう、アメリカの綿花栽培会社のオーナーたちが一九九五年から二〇一〇年のあいだに受け取った政府の補助金は総額三五〇億ドルにのぼる。バングラデシュの労働者がひどく危険な環境で、きわめて低い賃金のために衣類を縫い合わせているいっぽう、アメリカとヨーロッパの消費者はその衣服をいくらでも、しばしば信じられないほど安い価格で購入できる」。

 そして、最後のパラグラフは、「とはいえ、この支配と搾取の大きな物語の内部では、解放と創造の物語も同時進行している」ではじまり、「甘い夢物語」に希望をつないでいる。本書のキーワードである「暴力と強制」がなくなることを期待できるのだろうか。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

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