早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2025年02月

牧野百恵『ジェンダー格差-実証経済学は何を語るか』中公新書、2023年8月25日、230頁、900円+税、ISBN978-4-12-102768-9

 本書の執筆動機を、著者はつぎのように述べている。「ジェンダー平等を声高に叫ぶだけではそれは実現しないし、政策議論も深まらないのではないかという問題意識にあります。筆者は経済学が専門なので、エビデンスを示したジェンダーにまつわる研究を取り上げることで、ジェンダー平等に関する議論に深みをもたらすことができればと思っています」。

 著者は、「ジェンダーの専門家」ではなく、「ジェンダーにまつわる問題」を「実証経済学による最新の知見」によって考察し、「女性が活躍し、かつ幸せを感じることができる社会を実現する」ための一助になることを願っている。

 副題にもある「実証経済学」とはなにか。著者は、「はじめに」で、その有効性をつぎのように説明している。「実証経済学でいうエビデンスとは、統計学を使って因果関係を厳密に示した研究成果を指します」。「この本では、因果関係のエビデンスを示したジェンダー格差についての研究を、端的に紹介していきます」。「この本でも、女性の労働参加や社会進出を中心にみていきます」。「実証経済学が示すエビデンスは、とても強いメッセージになるはずです」。

 さらに、中絶を例に具体的に説明している。「中絶をめぐっては、女性のプライバシー権、胎児の生存権、宗教的価値観などさまざまな争点が絡み合っており、主義や信条、倫理規範=「○○するべき」をもとにすると議論が収拾しません」。「ところが、実証経済学では主義や信条はさておき、中絶が合法化されることの効果を、エビデンスとして明快に示すことができます」。「実証された効果には、中絶が合法化されたことで、とりわけ黒人の貧困層の女性が恩恵を受けたこと、中絶が違法なら生まれていたはずの子どもが生まれなかったことで、二〇年後の犯罪率が明らかに低下したことなど、少々ショッキングなものも含まれます」。

 本書は、はじめに、序章、全8章、終章、あとがき、などからなる。本書の全体像については、表紙折り返しに、つぎのようにまとめられている。「歴史・文化・社会的に形成される男女の差異=ジェンダー。その差別には近年批判が強く集まる。本書は、実証経済学の成果から就業、教育、歴史、結婚、出産など様々な事柄を取り上げ、格差による影響、解消後の可能性について、国際的視点から描く。議員の女性枠導入=クォータ制が、質の低下より無能な男性議員排除に繋がる、女性への規範が弱い国ほど高学歴女性が出産するなどエビデンスを提示。旧来の慣習や制度を問う」。

 序章「ジェンダー格差の実証とは」では、「まずジェンダー格差を測る指標を詳しく紹介します。世界的にみても格差の大きい日本の人びとは、ジェンダー格差についてどのように思っている」のか、「そのうえで実証経済学では、果たしてどのようにジェンダー格差を研究対象としてきたのか、ジェンダー格差に関するエビデンスとは何か、エビデンスを実証する方法について、この本で紹介する研究が使ってきた手法」についてみる。

 第1章「経済発展と女性の労働参加」では、「経済の発展と女性の労働参加との関係についての研究を紹介していきます。なお、少子化との関係については、女性の結婚、性や出産に関する権利、育児と労働参加との関連で、第6章[高学歴女性ほど結婚し出産するか]、第7章[性・出産を決める権利をもつ意味]、第8章[母親の育児負担-制度はトップランナーの日本]でより詳しく扱います」。

 第2章「女性の労働参加は何をもたらすか」では、「さまざまなエンパワーメントの指標と、女性の労働参加との関係、因果関係のエビデンスを紹介していきます」。第3章「歴史に根づいた格差-風土という地域差」では、「社会が形成されるにつれて、どのようにジェンダー格差が生まれてきたのか、データを使って実証した研究を紹介」する。第4章「助長する「思い込み」-典型的な女性像」では、「とくにステレオタイプのもたらす影響についての実証研究を紹介」する。第5章「女性を家庭に縛る規範とは」では、「女性が外で働くべきでないという規範が、女性の労働参加にどのような影響を与えてきたのか、各国の研究を紹介」する。

 終章「なぜ男女の所得格差が続くのか」では、「経済学で伝統的に扱われてきた男女の賃金もしくは所得格差について、すでに本書で紹介した論文にも触れつつ、締めくく」り、「ミクロ経済学実証研究のなかで、最新の研究によってわかってきたことを中心に紹介」、「とりわけ、ランダム化比較試験(RCT)や自然実験を用いて、因果関係のエビデンスを示すことにこだわったものを中心に紹介して」いる。

 そして、つぎのように結論している。「たしかに学歴の差がなくなり、差別が少なくとも表向きには禁止された先進国については、それら伝統的な要因のもたらす影響は小さくなっているようにみえます。代わりに、社会規範のもたらす影響がますます無視できなくなっていると言えるでしょう」。「男女が就業する職種や産業の違いが、男女の所得格差の大きな要因であることは研究者の間で異論がないようです。では、なぜ典型的に男性が就くとされている職業、たとえばエンジニアや金融業に女性が少ないのか。女性がそもそもこのような職業に就くための専攻をしないのはなぜか。ここでもステレオタイプや社会規範の影響が大きいのです」。

 「また、女性のほうが柔軟な働き方や短い通勤時間を望むことが男女の所得格差につながっているとしても、その背景には家事や育児との両立があるでしょう。仮に男性と女性が、家事や育児の負担を本当に折半するとしたら、それでも女性のほうが柔軟な働き方を望むのでしょうか」。

 「日本では、男女を問わずキャリアの中断は所得格差に結びつく傾向にあります。では、キャリアを中断しなければならない理由は何でしょうか」。

 「柔軟な働き方にしろ、キャリアの中断にしろ、家事や育児を女性が負担すべきという社会規範が大きく働いているのではないでしょうか。この社会規範に真面目に目を向けることが、日本のジェンダー格差解消の鍵となるかもしれません」。

 さらに、「あとがき」で、少子化について具体的につぎのように述べている。「少子化に歯止めをかけるには、さまざまな政策が考えられます。出産一時金の拡充、待機児童の解消、保育士の労働環境・賃金の改善、幼保や教育の無償化の拡充、婚活のサポート、今回の改正にみられるような育児休業制度の充実などです。これらのわかりやすい制度とは別に、この本は少子化の元凶かもしれない視点についてエビデンスを提示しました」。

 「それは「女性は家、男性は外」といったジェンダー規範です。先進国に限れば、少子化に悩む国ほど女性の労働参加が進んでいないことはデータから明らかです。少子化に歯止めをかけるには、このようなジェンダー規範を真剣に考える必要があるでしょう」。

 著者は、「毎週、有志の経済学者たちと英文経済学のトップジャーナルに掲載された論文の勉強会」に参加し、「そのなかで読んだ論文を、アジ研[日本貿易振興機構アジア経済研究所]のウェブサイト、『IDEスクエア』の「途上国研究の最先端」というコラムで一般向けに紹介して」きた。「本書では、そこで紹介した論文を含め、もっと多くの読者にこれらの知見を知ってもらうために、さらに平易な表現を心がけ」た。

 近年、英文経済学のトップジャーナルへの寄稿をめざす日本人研究者が増えてきている。その結果、日本語の学会誌や大学の紀要への寄稿が減って、発行に苦慮しているところがある。だが、英語と日本語の論文の読者は明らかに違い、内容も自ずから違ってくる。英語ではマクロな理論研究が多くなり、日本語ではミクロな個別研究が多くなる。両方が絡みあって、マクロ・ミクロ双方に貢献するダイナミズムな研究に繋がる。本書の著者も、本書を出版したことで、勉強会で読む「トップジャーナルに掲載された論文」の理解力が高まり、優れた英文論文を寄稿できるようになることだろう。英語と日本語では発想が違い、論理的展開もまったく違ったものになる。柔軟な論文を書くためにも、また具体的事例を身近な社会から得るためにも、世界的に通じる英語論文と身近な事例から解決策を探る日本語論文の両方を書く必要がある。日本語学術雑誌の発展は、英文トップジャーナルへの寄稿に繋がると思うのだが、どうも日本語論文を「格下」とみて、英語論文を優先する者がいるようだ。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるようになる)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

平井健介『日本統治下の台湾-開発・植民地主義・主体性』名古屋大学出版会、2024年6月28日、346+29頁、3600円+税、ISBN978-4-8158-1158-7

 「信頼できる通史の決定版」と、帯にある。「本書の目的は、日本統治時代の台湾に関する学術研究の成果を通じて、玉石混淆の情報を批判的に検討する「視点」を提供することにある」。その理由を、序章「なぜ日本統治時代の台湾なのか」「一 植民地としての台湾」で、つぎのように説明している。

 「さまざまなメディアを通して配信されている情報のなかには、それが植民地支配に対してどのような立場をとるかによらず、史実にもとづいていないもの、あるいは史実の一部を切り取ったり、さまざまな解釈の存在を無視して意見したりしたものが多く含まれていることに注意しなければならない。たとえば、日本統治前の台湾は米不足であり、日本統治下の農業開発によって米不足が解消されたという記述がときおり見られるが、これは史実の誤認である(第1章)。また、農業開発にまつわる記述でも日本人技術者の役割が過剰にクローズアップされ、実際に農作物の栽培に従事する農民(第5・8章)が登場しないことがある。つまり史実の一部を切り取っているため、このような議論では日本人技術者の役割が過大に評価されることになる(第8章)。こうした点に端的に示されるように、私たちの身近にある「植民地」に関する情報は、台湾史研究の専門家から見れば「正確」でないことが多いのである」。

 さらに、序章「二 植民地経済史の視角」では、つぎのように述べている。「本書では、日本統治時代の台湾を主に経済の視点から見ていく。それは、日本の植民地統治の主要な目的が、植民地の富源の開発と利用によって日本の経済問題を解決することにあったからである。ただし、経済と深くかかわる法、政治、教育、衛生などさまざまな隣接領域も扱う」。

 本書は、序章、4部全13章、終章、あとがき、などからなる。序章「三 本書の視角と構成」で、まず「日本統治時代の台湾を、日本の領有以前も含む四つの時代に分ける」と述べ、4つの時代、つまり各部ごとに説明している。

 第Ⅰ部「「台湾統治の開始-一九世紀後半」は、「台湾の割譲を規定した日清講和条約(下関条約)の台湾関連条項を糸口に、台湾統治の前史を扱う。当該期は中国を中心とする東アジアの国際秩序に対して日本が挑戦していく時代であり、そのなかで日本と台湾の関係が徐々に形成され、最終的に日清戦争の結果として結ばれた日清講和条約の第二条において台湾割譲が取り決められたのであった(第1章[台湾領有の系譜-日清講和条約第二条])。そして、日清講和条約第五条で取り決められた台湾住民の国籍選択権の処理によって被統治主体が決定されることで、日本による台湾統治が本格的に開始するのである(第2章[統治者の交代、被治者の選別-日清講和条約第五条])」。

 「第Ⅱ~Ⅳ部では、それぞれの時代に何が課題として意識されたのか、それらの課題にどのような対応がなされたのか、その結果何が解決され、どのような問題や摩擦が新たに引き起こされたのかという一連の歴史過程を跡づけていく。そして、それぞれの時代を、①台湾を取り巻く内外の環境の変化、②政府や総督府による統治政策や開発政策、③企業や農民など被治者の活動、という三層について、各層内および各層間の関係の諸相を意識しながら説明していく」。

 具体的に各部ごとに、つぎのように説明している。第Ⅱ部「「対日開発」の時代-一八九五~一九一〇年代前半」は、「一八九五年から一九一〇年代前半までを扱う。当該期間は、政治面では台湾統治の手法が模索される時代であり、台湾を日本とは異なる制度で統治する「特別統治主義」という手法が採られた(第3章[統治の開始-特別統治主義と対日開発])。経済面では、内地が抱える貿易赤字・財政難という二つの経済問題の緩和・解消を目的とする開発(対日開発)が進められた時代であり、内地と台湾の経済的関係を緊密化させるための制度やインフラの整備(第4章[帝国経済圏の形成])、内地の貿易赤字の主要因であった砂糖を輸入代替するための製糖業の保護育成(第5章[近代製糖業の移植])、歳入増大のための専売事業や鉄道事業などの官業(第6章[官業-専売と鉄道])が行われた」。

 第Ⅲ部「「総合開発」の時代-一九一〇年代後半~一九三〇年代前半」は、「一九一〇年代後半から一九三〇年代前半までを扱う。当該期間は、政治面では国際協調あるいは民族自決の思想や、内地における政党政治の登場といった新たな動きが見られた時代であり、植民地統治の手法として「特別統治主義」に代わって日本・台湾間の制度の同一化を目指す「内地延長主義」が導入された(第7章[統治の再編-内地延長主義と総合開発])。経済面では、前時代の「対日開発」の一定の成功を受けつつ、そこから生まれた課題の克服を目指す開発(総合開発)が進められた時代であり、製糖業に偏重した農業を是正するための稲作の育成(第8章[農業の多角化-科学的農業の普及と負担])、農業偏重・対日関係偏重を是正するための南進工業化政策(第9章[工業化の進展-政策的工業化と自生的工業化])、総督府主導の開発を是正するために[民意]を考慮した地方開発(第11章[地方開発-植民地における「民意」])が行われ、そのなかで対外関係も大きく変容した(第10章[アジアのなかの台湾])。

 第Ⅳ部「「軍事開発」の時代-一九三〇年代後半~一九四五年」は、「一九三〇年代後半から一九四五年までを扱う。当該期間は、政治面では満洲事変(一九三一年)、日中戦争(一九三七年)、アジア太平洋戦争(一九四一年)と相次ぐ戦争のなか、政党政治が終焉して軍部が台頭した時代であり、台湾でも皇民化政策が行われた(第12章[統治の黄昏-皇民化政策と軍事開発])。経済面では、日本の南進政策や経済の軍事化の進展に呼応するための開発(軍事開発)が進められた時代であり、戦略物資の開発のほか南進工業化がいっそう推進されていった(第13章[戦時下の台湾経済])。

 最後に、終章「日本統治時代の開発の評価」は、「以上を振る返るかたちで、「植民地」についてさまざまなメディアで配信されている玉石混淆の情報を批判的に検討できる「視点」とはどのようなものかについてまとめる」。

 その「終章」では、まず「一 日本統治時代の台湾開発史」で、「対日開発」「総合開発」「軍事開発」、それぞれの時代をまとめ、つぎに「二 開発の植民地性」で「内地の利害の優先」「内地人の利害の優先」といった植民地性をまとめ、「日本統治時代はNIEsの起源か」を問うて否定している。その根拠を「三 台湾人の主体性、アジアへの開放性」で、「日本統治時代の台湾の開発や経済成長は日本の市場、資本、技術だけで達成されたわけではない」と述べ、「台湾開発における「日本」の影響力を相対化する」。

 そして、最後のパラグラフで、つぎのように総括している。「日本統治下で台湾経済が近代化されたことは疑いない。しかし、内地や内地人の利害が第一に追求されたがゆえに、一七世紀以来の農業社会が工業化社会へと転換するには至らなかったし、経済成長がもたらす利益が台湾人やその大部分を占めた農民にも均しく配分されたわけでもなかった。また、開発政策には限界もあれば副作用もあり、それを緩和・解消したのは経済環境の変化に主体的に対応する台湾人の経済活動であった。さらに、内地を中心とする帝国内地域との経済関係の強化は、アジアを中心とする帝国外地域との経済関係なしには不可能であった。植民地経済を評価するに際して、利益配分における不平等性(植民地性)を無視したり、被治者の主体性や帝国外地域の影響力を過小評価したりすると、日本の影響力を過大に評価することにつながり、甚だしきに至っては、植民地統治は良かったという短絡的な結論に陥ってしまう危険性を最後に指摘して、本書を閉じたい」。

 著者は、日本で流布する「さまざまなメディアを通して配信されている情報」による「日本統治下の台湾」像に疑問を持ち、「信頼できる通史の決定版」を出そうとした。ここで教えてほしいのは、台湾人はこのような「日本統治下の台湾」像についてどのように思っているのか、台湾ではどのように教科書などで語られているのか、である。本書は、台湾でどのように評価されるのかも知りたい。大切なことは、日本と台湾の双方で共有できる「日本統治下の台湾」像である。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるようになる)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

福武慎太郎編著『東ティモール-独立後の暮らしと社会の現場から』彩流社、2025年2月4日、438頁、3000円+税、ISBN978-4-7791-3022-9

 「情報が20年以上前から更新されていない」と「あとがき」にある。わたしの東ティモールに関する情報もまさにその通りで、「平和になると私たちの関心は薄れてしまう」。だが、どうも結構なことだらけだけではないようだ。「フィールドワークによる最新事情」をみることにしよう。

 本書のねらいは、序章「ワニと十字架の国を歩く」で、つぎのように書かれている。「独立から20年が経過した今、この国の出来事が、日本で報道され話題にのぼることはほとんどない。パレスチナやウクライナのことがこれだけ報道されていることを考えると、平和であるということはそういうことなのかもしれない。しかし、平和になると無関心になるというのも寂しい。この20年間、独立を達成し平和になったことで、私を含めた多くの研究者がこの国を訪れ、人類学、歴史学、政治学、国際協力、平和構築など、さまざまな分野から多数の研究論文が発表されている。他方で、学生や一般向けに書かれたものは、独立前後の時期をのぞきほとんどない。そのような現状から、独立から20周年を迎え、理想と夢をかかげて独立したこの国が今、平和をいかに実現しているのか、多くの人々に知ってもらうことを本書のねらいとした」。

 1991年に起こったインドネシア軍が平和的なデモ隊に無差別発砲し、400人近くが殺害されたサンタクルス事件後、インドネシアの辺境の常駐医師のいない島で調査していたわたしは、巨大パラボラアンテナで世界中のニュースを見ていた島民がこの事件についてよく知っていることに知った。「世界的に知られるようになった」とは、隠しても隠しきれないことが津々浦まで知れ渡ることを意味した。

 本書は、序章、4部全15章、各部1コラム、あとがきからなる。第Ⅰ部「アジアの果ての新しい景色」は3章からなり、「東南アジア海域世界の辺境の島の新たに誕生した国家、東ティモールの自然と人々を紹介する。執筆者が共通して述べていることは、マクロ経済や開発援助の文脈では語られることのない東ティモールの豊かさである」。

 第Ⅱ部「復興する文化、創造される文化」は3章からなり、「独立後に復活し、新たに形成されつつある国民文化について紹介する。執筆者が観察し記述するのは儀礼の現場である」。

 第Ⅲ部「教育と開発の現場から」は4章からなり、「教育現場、コミュニティ開発の現場に関わる研究者、実践者の視点から国家建設の歩みに目を向ける」。「東ティモールは若者の国だ。独立して20数年という国家としての若さだけ[で]なく、30歳未満の若い年齢層が総人口の64.6%を占める「若者たち」の国である。その意味において、教育は東ティモールにとって重要な課題の一つである」。

 第Ⅳ部「歴史のなかのネイションと政治」は5章からなり、「東ティモールのネイションとナショナリズムをめぐる諸問題について、歴史と政治の視点から迫る。東ティモールのネイション形成についての従来の語りは、ポルトガルからの脱植民地化にともない形成された民族意識を所与とすることが支配的だった。本書の執筆者に[が]共通して試みるのは、脱植民地化によるネイション形成とは異なる東ティモールのネイションの語り方である」。

 そして、序章をつぎのパラグラフで締めくくっている。「東ティモールの人々にとって、「主権」の回復、「独立」の回復とはなんであったのか。「東ティモール人」とは誰なのか。そのような問いは、次世代の研究者であるからこそ、生まれてきたものであろう。本書における議論から、東ティモール研究にとどまらず、21世紀におけるナショナリズムの問題に、新たな視座を提供する議論が生まれることを期待したい」。

 このような「ねらい」を踏まえて、「あとがき」ではつぎのように総括している。「その理想を掲げた試みが、すべてが喜ばしい結果につながっているわけではない。国家財政の石油ガス資源への依存、低い食料自給率と輸入依存、産業の欠如、世代交代が進まない政治、若者の失業率の高さなど、私たちの常識的な国家ガバナンスの評価の基準に照らせば、けっして良い成績ではない。しかし、東ティモール社会には、持つ者が持たざる者に手を差しのべる相互扶助の文化が強く残っている。政府の政策を批判することが可能な言論の自由がある。そして何よりも重要なのはこの20年間、東ティモールでは多くの人々が巻き込まれ多くの人々が命を落とすような紛争や内戦は起こらなかった。この20年、子どもたちは平和な日常のなかで育ち、そしていまや彼らは選挙権をもつ大人になった。彼らの親となったかつての若者たちが望んでいたことは間違いなく実現したのだ」。

 だが、つづけて編著者は、つぎのように吐露している。「平和について書くことは難しい。平和を定義しようとすると「戦争のない」状態などと、消極的な定義に頼らざるを得ない。平和であることに関心の目を向けてもらうことも意外に難しい」。

 さらに、つぎのパラグラフで、本書を閉じている。「長期にわたる植民地支配、そして独立にいたるプロセスで不条理な暴力を経験した東ティモールの、独立後の20年は、いかなるものであったのか。本書が、東ティモールに関心のある人たちだけでなく、パレスチナのガザ地区、そしてこの世界のどこかで、今なお戦争のさなかで苦境にある人たちのことを想う人々にも読まれ、「平和」とは何かを考える機会となれば幸いである」。

 医師で詩人で、苛酷な戦場を経験した丸山豊(1915-89)は、戦後、戦争の反省を示すものとして軽々しく使われた「平和」ということばが使えなかった。「平和」をもたらすことがいかに困難であるかを知っていたからである[早瀬晋三『すれ違う歴史認識』(人文書院、2022年)参照]。東ティモールの人びとにとって、「平和」という意味は、われわれが考えるものとずいぶん違うものだろう。本書からそれが読み取れれば、軽々しく「平和」ということばを使うこともなくなるだろう。責任がともなうことばだから。

 つまらないところで誤植がちょこちょこある。おそらく出版社の編集者は、まともにゲラ(校正紙)に目を通さなかったのだろう。信頼のおける出版社では、編集者とは別に校正する者や内容をすくなくともウィキペディアくらいはチェックする者がいる。ウィキペディアで間違っているものを根拠に指摘されて苦笑することもあるが、ありがたい。だがひとりでなにもかもしている編集者は執筆者任せになってしまう。本書のように若手、中堅が多いと、時間的余裕がなく、こんなことになってしまう。編集者個人だけでなく、出版社の体質でもあるのだろう。出版社に任せるわけにはいかなくってきている。研究者の編者がカバーするしかない。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるようになる)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

渡辺将人『台湾のデモクラシー-メディア、選挙、アメリカ』中公新書、2024年5月25日、324頁、1080円+税、ISBN978-4-12-102803-7

 ウィキペディアをみると、以下のようにすごい職歴、受賞歴である。なかでも、本書ので充分生かされているのが、シカゴ大学修士課程と重なるアメリカでの議員事務所、選挙事務所での経験である。この2年間が、著者のその後の人生を決めたように思える。

学歴
1998年 早稲田大学文学部英文科卒業(米政治思想)
2000年 シカゴ大学大学院国際関係論修士課程修了(MA, International Relations)。指導教員はブルース・カミングス
2015年 早稲田大学大学院政治学研究科にて博士(政治学)学位取得。主査 副査は吉野孝、田中愛治、久保文明
職歴
1999年 米国連邦議会ジャン・シャコウスキー下院議員事務所(外交担当立法調査・報道官補担当)
2000年 ヒラリー・クリントン上院選挙事務所本部、米大統領選挙アル・ゴア=ジョー・リーバーマン陣営ニューヨーク支部アウトリーチ局(アジア系統括責任者)
2001年 テレビ東京に入社。「ワールドビジネスサテライト」ディレクター、報道局政治部記者(総理官邸、外務省、野党キャップ)、社会部記者(警察庁担当)
同社退社後、2008年 コロンビア大学ウェザーヘッド研究所フェローを経て、2010年までジョージ・ワシントン大学ガストン・シグール・センター客員研究員
2010年 北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院准教授。
2019年 台湾国立政治大学社会科学学院政治学系訪問学者・同大学国際事務学院訪問学者。
2019年-2020年 ハーバード大学国際問題研究所客員研究員(Academic Associate)。
2020年 北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院准教授。
2023年 慶應義塾大学総合政策学部、大学院政策・メディア研究科准教授。
受賞歴
2009年 - 第5回中曽根康弘賞優秀賞
2014年 - 第50回日本翻訳出版文化賞(『アメリカ西漸史』)
2016年 - 平成27年度北海道大学研究総長賞奨励賞
2016年 - 第4回アメリカ学会斎藤眞賞(「バラク・オバマと人種をめぐる選挙戦略の変容」『アメリカ研究』48号)
2017年 - 第33回大平正芳記念賞(『現代アメリカ選挙の変貌』)
2024年 - 第46回サントリー学芸賞(『台湾のデモクラシー』)

 本書の概要は、表紙見返しおよび帯の裏に、つぎのようにまとめられている。帯の裏では、「アメリカの影響、大陸との葛藤」という見出しがついている。「権威主義体制が長く続いた台湾。1996年に総統の直接選挙が始まり、2000年には国民党から民進党への政権交代が実現した。今や「民主主義指数」でアジアの首位に立つ。中国の圧力に晒されながら、なぜ台湾の民主主義は強靱なのか。また弱点はどこにあるか。白熱する選挙キャンペーン、特異なメディア環境、多様な言語と文化の複雑さ、そしてあらゆる点で大きな影響を及ぼすアメリカとの関係に注目し、実態を解き明かす」。

 序章「危機のデモクラシー」の最後で、著者は本書の目的をつぎのように述べている。「本書では、メディアと選挙に注目して、台湾デモクラシーを考えてみたい」。「まず、アメリカの台湾認識から数十年の変容を確認し、台湾式選挙の発展過程、テレビ全盛期に民主化した台湾のジャーナリズム、商業主義と政治介入に揺れるメディアの「世論選」を見る。また、豊潤な言語や文化の多様性と、それゆえの政治的ジレンマ、そして在米「台湾系」移民から、アイデンティティの問題の複雑さを考えたい」。「最後に、台湾が直面するデジタル民主主義の可能性と危機についても論じる。台湾政治史に偏在する「アメリカ」は、どのようなインスピレーションを与えてきたのか。台湾のデモクラシーの分厚い成熟と思わぬ死角の双方に迫る」。「タイムマシーンの「時計」をまずは一九七〇年代にセットすることから、「見えない台湾」を可視化する旅を始めてみたい」。

 本書は、序章、全7章、終章、あとがきなどからなる。1970年代にセットされたタイムマシーンに乗って、副題の3つのキーワード「メディア、選挙、アメリカ」を念頭に台湾とアメリカを往き来し現在に辿り着く。

 終章「デモクラシーの未来図」では、「国連非加盟で外交的に孤立している台湾」の強靱さを、「選挙が民主主義の成熟と連動」していることに注目し、つぎの4つにまとめている。「第一は、健全なオルタナティブによる二大政党の緊張関係」、「第二にジャーナリズムの権力批判の成熟」、「第三に、その持続性ある政治参加を、単なる投票率以上のものに花開かせていく力」、「そして、第四に海外ネットワークと移民社会の存在である」。

 つぎに、死角を2つあげている。ひとつは「政党幹部の都合次第でコロコロと方法を変える融通無碍な予備選挙制度だ」。2024年選挙で、「国民党は予備選挙の開催の有無で荒れた。新北市長としてコロナ対策などで活躍した侯友宜に実業家の郭台銘が挑戦する構えで、郭台銘による「乗っ取り」を阻止することに躍起だった国民党は、予備選挙のための世論調査なしに侯友宜を候補に決めてしまった」。
 もうひとつの死角は、「政策をめぐる政党間の論争が難しいことだ」。つぎのような一例をあげている。「二〇二四年選挙で国民党はアメリカのサンダース議員を参考に大学無償化を訴え、民進党と「再配分」を競うなど、経済政策では毎回どちらの政党も大盤振る舞いの経済ポピュリズムを乱発するばかりで、違いを明確にした政策議論が難しい」。

 そして、「ソフトパワーとしての選挙」「選挙広告を超えたメッセージ」「偏在するアメリカ、そして終わりなきプロジェクト」の見出しが並び、つぎの3つのパラグラフで「終章」を結んでいる。「民主化は終わりと完成のないプロジェクトである。台湾人ジャーナリストの友人は「俺たち台湾人はこんなにもピュアで、マニピュレート(操作)されやすい」と自虐的に呟く」。「だが、この言葉は、デモクラシー防衛のためのサイバー・リテラシーをさらに深める必要性を浮き彫りにすると同時に、さまざまな外部の変化に適応してきた台湾の柔軟性の証でもある」。「ピュアさがなければ民主主義を信じられない。ピュアで素朴なことは大きなうねりのエネルギーにもなる。民主化のダイナミズムを経験している社会だけにある「熱」のようなものが、この「麗しの島」には間違いなくある」。

 「あとがき」で、著者は本書をつぎのように総括している「一〇年越しとなった台湾の調査では、アメリカで数十年用いてきたフィールドワークの手法を応用した。選挙陣営に入り込み観察を行い、政治インサイダーのオフレコの声に耳を傾け、世論調査など可視化される情報との隙間を埋める作業である。本書は終わりの見えないその調査のごく一部ではあるが、ある種の中間的なエッセンスでもある」。「本書は倍の分量の原稿を大幅に縮小している。今回いったんお蔵入りになった一つは、アメリカの二大政党の対中政策の類型学、大統領選挙や米内政に与える分析である」。

 台湾というところは、不思議なところだ。被災者支援やコロナ対策では、日本よりはるかに優れているようにみえたいっぽうで、台北のホテルのトイレでは紙を流せないで紙入れが置いてある。「麗しの島」とはなになのか、だれのためなのか。ひとつ言えることは、「台湾有事」のときに台湾人を受け入れる日本人が多くいるだろうということである。それは、大陸の中国語より優しく聞こえる台湾語のせいかもしれない。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるようになる)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

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