早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2025年03月

藤井誠一郎『ごみ収集の知られざる世界』ちくま新書、2024年10月10日、234頁、880円+税、ISBN978-4-480-07652-6

 「はじめに」の最後で、著者は本書の目的を、つぎのように述べている。「この本を通じて、多くの人が清掃事業について興味を持ってもらえることを期待している。そしてごみの向こうにいる人たちが日々あくせく働いていることを理解し、自らの排出行為を振り返ることを入り口として、多岐にわたる清掃事業に参加していくようになることを祈っている」。

 本書の概要は、表紙見返しにつぎのようにまとめられている。「あなたが今捨てたそのごみはどう集められ、どう処理され、最終的にどこへいくか知っていますか? 自宅、会社、外出先それぞれで、実はごみの扱いも異なってくる。地域によっても特色があり、様々な工夫がなされているが、それには従事する人の頭と力が必要となる。もちろん環境や持続可能性を考えるなら、掘り下げる余地はまだまだある。自ら北へ南へ赴いて体験することで見えてきた、奥深い世界を紹介する」。

 その「奥深い世界」は、著者自らの体験を通したものである。著者は、「二〇一六年六月から翌三月までの一〇ヵ月間、新宿区の新宿東清掃センターに週一回通い、清掃車に乗務して現場を学んでいった。雨の中の収集、炎天下での収集、寒空の中での収集を経験した。ごみ汁を被ったこともあるし、怪我をしかけたこともあった。ごみについては全くの素人であったが、この調査で業務や業界にかなり精通するようになり、清掃行政について語れるまでになった」。

 その後も、機会あるごとに自分で体験し、「二〇二一年一〇月から二〇二二年三月まで神奈川県座間市のクリーンセンターにてタブレットを利用したごみ収集を体験」している。それらの体験にもとづいた記事を、2021年から「東洋経済オンライン」に「ごみ収集の現場から」と題して月1回連載している。著者が、「清掃業界を勉強した成果を発信する場となっており、清掃行政の研究を進めていくための情報収集や視野を広げる上で絶好の機会になっている」。

 本書は、それらの記事から「多岐にわたる清掃事業を五つの側面から整理」したもので、はじめに、全5章、おわりに、などからなる。5章のタイトルは、つぎの通りである:「「あなたが出したごみがどうなるか」知ってますか」「ごみ収集にかかわる仕事はいろいろありすぎる」「ごみと地域は表裏一体」「一緒に考えるごみと持続可能性」「これからのごみの話をしよう」。

 著者は、「おわりに」で、「全体を通じて二つの大きな流れに沿って話が展開されていたのではないかと考えている」と総括している。「第一は、私たちのごみの排出について再考を促すという流れである。ほとんどの記事には、ごみが排出された先にいる清掃労働者がそれぞれの職場でどのような気持ちで自らの業務に向き合っているのかを現場目線で可能な限り描いている。よって、自らの排出行為が現場労働者を苦しめ落胆させるのみならず、杜撰な排出行為によってごみが排出できなくなる可能性や、自治体の福祉サービス水準を低下させることもありうると認識して頂けたのではないかと思っている。「自治体が定めるルールに基づいて排出する」という単純明快な決まり事をふつうに実践していくことが、清掃労働者の現場での苦労を緩和し、持続的な清掃事業が展開されていくもととなる」。

 「第二は、清掃事業従事者へのリスペクトを促すという流れである。ごみ収集や屎尿収集といった清掃労働には臭いが伴う。圧倒的に皆さんの認識が欠けている点としては、清掃労働者が臭いのではなく排出されたごみや屎尿が臭うのである」。「にもかかわらず、臭いものや不要なものを扱うということからその従事者が見下げられるという社会的風潮がある。本書では屎尿収集に携わっている方々の努力により職業差別を乗り越えようとしている状況を述べたが、その前に私たちの清掃労働者へ向ける意識を変えていく必要がある。今後も人口減少が進み労働力不足に陥ると推測されているが、私たちの生活にとって必要不可欠な清掃従事者をしっかりと確保して持続可能な公共サービスにしていくためにも、清掃従事者を大切にし、しっかりと護っていく必要がある。その意味で清掃従事者の労働実態や業務への思いを理解してもらうことで、彼ら彼女らへのリスペクトが促されればと思っている」。

 そこで提案である。いま高校授業料無償化が議論されているが、それは高校生の勉学を国や社会が支えていこうということを意味している。ならば支えられる高校生自身が、国や社会がなにを期待しているのかを理解しなければならない。「他人事じゃない 課題が山積み!」のなかで、高校生のときに肌で感じてほしいことが、介護やこのごみの現状と未来である。すぐに義務化、単位化とはいかないだろうが、ごみパト(パトロール)などできることからボランティアでおこない、さらに発展して夏休みなどでアルバイトするというのはどうだろうか。

 具体的に管轄する行政としては、都道府県となるだろう。都道府県立高校が多く、県内でも都市と地方では事情が異なるので、県内をひとつの単位として取り組んではどうだろうか。高校生は1年を通じて活動をすることが困難であるから、シニア・ボランティアと組んではどうだろうか。シニア・ボランティアが指導役となり、年間を通じた活動ができ、日ごろできないことを高校生とともにおこなう。さらにアルバイトで通常の業務を補うことができれば、職場にも余裕が生まれる。シニアと高校生の世代間交流の場ともなる。もちろん、体験した高校生のごみの出し方は変わり、清掃従事者へ向けるまなざしも変わってくる。なにより、国や社会が高校生に期待していることが伝われば、授業料を無償化する意味が充分に理解される。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

飯島真里子『コナコーヒーのグローバル・ヒストリー-太平洋空間の重層的移動史』京都大学学術出版会、2025年2月25日、333頁、3200円+税、ISBN978-4-8140-0567-3

 職場にも自宅にも、コーヒー豆のマトリックスを貼っていた。コナは香りと酸味が強い特徴がある。キリマンジャロに近いがともにキリマンジャロに勝っている。ブルーマウンテンは香りでコナに匹敵するが、酸味と真逆のコクが強い特徴がある。ジャワやモカなどはブルーマウンテン同様香りとコクが特徴だが、ブルーマウンテンにはるかに及ばない。コクと苦味を特徴とするのがトラジャやベネズエラで、苦味と酸味を特徴とするのがクリスタルマウンテンやケニアである。それぞれ特徴があり、好みによって選ぶことになるが、万人受けにブレンドするのが無難で、専門店でなければ一般にはブレンドになる。スターバックスなどでは、必ずドリップコーヒーを渡すときにスペシャリティを言ってくれる。

 著者は、本書を愉しんで書いている。コナコーヒーとそれを取り巻く人びとから、グーローバルなつながりが見えてきたからである。各章末のまとめはわかりやすく、終章「太平洋史の結節点としてのコナ」の節の見出しである「多方向的移動」「植民地主義」「人種主義」からなにがわかったかがわかり、最後の節「「没背景」から浮かび上がるグローバル化の落とし穴」から課題が見えてくる。

 本書の目的は、序章「コナコーヒーをめぐる歴史叙述」で、つぎのようにまとめられている。「本書は既存のコーヒー(史)研究において周縁化されてきたハワイ島コナを中心に据えることにより、コーヒーのグローバル・ヒストリーに新たな転換を提示する。ただし、コナを表舞台に出すことは、必ずしもヨーロッパ中心的叙述から遠ざかるのではない。太平洋地域に位置するコナからのコーヒー史は、ヨーロッパ帝国の植民地膨張に伴うコーヒー栽培地拡大のストーリーに、日米帝国の影響も加えることで、累積される複数帝国の植民地主義や人種主義を描き出すことを可能にするといえる」。

 その手法は、つぎの通りである。「本書は複数の移民史を束ね合わせることで、一集団に着目し、その移民背景・過程や移民先社会との関係を解明してきた従来の移民史研究とは異なるアプローチの実践を目指す。複数の移民史の集約作業には二つの目的がある。一つは、太平洋空間の東西から流入した移民集団の移動経路を複眼的に検討することで、コナコーヒー産業のグローバル・ヒストリーを人の国際移動の視点から掘り下げていくことである。それは、入植者・移民たちが辿った移動経路や経験によって作り出された、送出地域や中継地域とコナ間の地域的連携を描き出し、太平洋空間の歴史的叙述に新たな空間枠組みを与える。もう一つは、コナに移住・定住した複数の集団間の関係を200年という長い時間軸のなかで捉えることで、コーヒー産業内の人種秩序の変容を考察することである。長期にわたって一移民集団を考察する手法とは異なり、コナコーヒー産業を主軸に人種/エスニック集団間の関係を明らかにしていくことは、多民族社会の複雑なリアリティを描き出すことを可能にする」。

 本書は、序章、全6章、終章、1つの補論、3つのコラムなどからなる。序章「4 本書の構成」で概要が示されている。第1章「ハワイ諸島へのコーヒー移植-英帝国の植物帝国主義と米国宣教師の活動」では、「その移植が、英帝国の太平洋航海、植物学者による世界的収集の実践、ハワイ王国における西洋的嗜好の需要といった要素が密接に絡む状況のなかで行われたことを論じる」。「本章は乗船者それぞれの思惑に着目しつつ、大西洋と太平洋を跨いだコーヒーの移植過程をハワイ王国の西洋化と英帝国の植物帝国主義の文脈から考察する」。

 第2章「誰がコーヒーを産業化するのか-王国の主権と農業振興政策」では、「ハワイにおけるコーヒー栽培の産業化過程を見ていく。コーヒーがハワイ諸島に移植された約30年後から、ハワイでは農業振興による基幹産業の設立が重要課題として議論されるようになった。その象徴的な存在として、ハワイ王立農業協会(Royal Hawaiian Agricultural Society)の成立がある」。「外部からの植民地化は避けられたものの、ハワイ在住の欧米系政治家や宣教師による「内からの植民地化」により、ハワイは急速に近代化を経験していくこととなる」。

 第3章「米国への併合とコーヒー産業-ハワイ共和国の移民・入植政策」では、「ハワイ王国が転覆し、欧米系白人による共和国が成立した時代に着目し、新政府が米国併合を実現するために推進した欧米系白人農業入植者の誘致計画とコーヒー栽培の関係を明らかにする。まず、農業・入植計画を論じたうえで、19世紀末にコナにコーヒー栽培のために逃亡してきた日系移民の存在を取り上げ、ハワイにおいて逃亡移民が「国際問題化」したことを論じる」。つぎに「国際化するほど重要な問題となった反面、逃亡移民に頼らざるを得なかったコナコーヒー産業の実情を描く出す」。

 第4章「コナ「日本村」とコーヒー-日本帝国の「国産」コーヒー誕生」は、「日系移民がマジョリティの移民集団となった戦前コナコーヒー産業と社会に着目し、コナ「日本村」論の形成とその影響について考察する」。本章では「コナ日系移民による日本帝国統治領への人と資金の移動を明らかにし、コナ日本村論を批判的に考察するとともに、ハワイ(元)日系移民によってコナから南洋群島、そして台湾へと拡大されたコーヒー栽培のグローバル・ヒストリーを展開する」。

 補論「グローバル・ヒストリーを紡ぎ出す」では、「多様な移動に焦点を当てたグローバル・ヒストリーを展開[に]するにあたり、筆者が行ってきた調査方法について言及する。執筆にあたって、日本、ハワイ、台湾、米国、英国に保管されている資料(日記、新聞記事、報告書、インタビュー、マテリアルなど)の収集はもちろん、それらをどう繋げていくかという作業が非常に重要となった」。「本論では、アーカイブ化された資料から移動をどう再構築しグローバル・ヒストリーを実践したのか、そしてその限界とは何かについて論じる」。

 第5章「コナ「哀史」とそれを継ぐ者たち-日系、ラテン系、新たな担い手のゆくえ」では、「1970年代から衰退し始めたコナコーヒー産業が、スペシャルティコーヒー市場の開拓により大きく変化し、それを受けて産業内及びコナ社会の人種構造に変容が起きたことを見ていく。具体的には、スペシャルティコーヒーとしてのコナコーヒーに価値を見出した欧米系白人農家や日米コーヒー企業の参入によって引き起こされた一連の変化である。これにより、コナ社会を構成する人種/エスニック集団にも変化は見られたが、移民労働者の搾取的状況は継続されてきた」。「しかし、人種主義的経験に屈することなく生き抜いてきたラテン系移民はコナコーヒー産業の基盤を支える主要労働力であり、本章では彼ら彼女らの排除と受入が交差する現状を明らかにする」。

 第6章「スペシャルティとは何か-「コナコーヒー」のアイデンティティ」では、「「コナコーヒー」の名称が持つ今日的問題について考察する」。本章では「1959年のハワイ立州に伴うハワイ政治家とコナコーヒー栽培者たちの主体的取り組みによって始まったことを論じる」。「ところが、産地重視型のこのブランド化は、偽コナコーヒーの製造や10%か100%かのコーヒー論争など、コナコーヒーの本質を[と]問うような問題を引き起こす結果となった。つまり、高級コーヒーとしてのコナコーヒーの評者は栽培者の期待通りグローバルな評価を確立しつつも、それは栽培者を経済的に潤すものではなく、新たな問題を突き付けたのである」。

 そして、つぎのように序章を結んでいる。「このように、本書は、コナコーヒー産業が経験してきた、時代、規模、内容の異なるグローバル化を「移動」をキーワードに読み解くことにより、産地名に固定されてしまったコナコーヒーを解放し、栽培者と消費者、産地と消費地が新たに繋がることができる歴史的知と、グローバルな視座を提供することを目指す」。

 「以上が本書がたどる「物語」だが、実際には歴史はそう単純に図式化できるものでもない。第1章から始まる各章には、北太平洋の真ん中に浮かぶハワイ島コナで生きた栽培者の生の声、チェリーを摘み取る手の感覚、励まし合う日々の営み、そうした姿が各所に生き生きと登場する。それを現在に伝えるのを手助けしてくれるのが、史料である。過去に埋もれてしまった人びとのリアリティを、ぜひ読み取っていただきたい」。

 終章では、「浮かび上がってきた没背景について、多方向的移動、植民地主義、人種主義の観点からまとめて」いる。まず、多方向的移動については、つぎのように総括した。「本書では、日欧米地域やラテンアメリカ地域からコナ、コナからアジアの亜熱帯地域(南洋群島や台湾)やラテンアメリカ地域へと、コナが200年にわたり、太平洋空間の多方向的移動の結節点となったことが浮き彫りとなった」。

 つぎに、植民地主義については、「地域間や集団間の支配構造を作り出した多様な植民地主義の展開」から、コナではつぎのようなことが明らかになった。「コナ日系移民の立場から浮き彫りとなる植民地主義は、コーヒーが栽培された地政学的空間、移民が置かれた法的環境や人種関係、栽培地の土地所有をめぐる先住民との関係によって、同時進行的に複数の状況と地域で発揮されたのである」。

 3つめの人種主義について、「逃亡移民を含む日系移民を積極的に受け入れてきた」コナコーヒー産業は、「欧米系白人が所有するコーヒー生産・加工会社(兼土地管理会社)が彼らが収穫したコーヒーの実や借地の管理を行っていたため、経済面において」、日系移民が従属的立場にあったことを明らかにし、さらに「コナコーヒーの信憑性や商品名保護のための裁判や法律制定に対して主導権を握ってきたのは白人コーヒー栽培者であり、日系農家が積極的に関わることはほとんどない」状況であったことを明らかにした。そして、新たな労働力として期待されたラテン系移民は、「社会的偏見や差別」を受けた。「非白人の移民集団間の関係は、ハワイに移住した時期、もしくはいかに長くハワイに定住しているか、によって左右され、新たな移民集団が加わることで先住の移民集団の社会的地位が上昇していく現象」が顕著化した。

 最後の第4節は、つぎのように結んでいる。「本書が、商品名やイメージによって創出されたファンタジーから脱却し、少しでも、産地の人びと、社会、生態系のリアリティを投影したグローバル・ヒストリーとなっていれば幸いである」。

 著者は、最後まで人間重視で本書を書いている。「移植、収穫、輸出されるコーヒー 入植、定住、再移住する人びと」を通して、「栽培者と消費者、産地と消費地が新たにつながることができる歴史的知を目指す」試みは、成功したといっていいだろう。だが、専門書としてはこれでいいかもしれないが、専門外の読者を想定すると、背景となる政治、経済が最小限しか説明されていないことが気になる。統計資料などももっとグラフ化して使ってよかったのではないか。冒頭で示したコナコーヒーの特徴も、なにが高級なのか、スペシャルティなのか、わからずじまいだった。

 また、本書の内容とはまったく関係ないが、製本がしっかりしすぎていて、開いて中央が歪曲して読みづらく、集中して読む妨げになったのが残念だった。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

萬代悠『三井大坂両替店-銀行業の先駆け、その技術と挑戦』中公新書、2024年2月25日、270頁、1000円+税、ISBN978-4-12-102792-4

 日本近世史は、豊富な史料に支えられ、社会史研究が発展している。だが、史料があれば、研究ができるわけではない。とくに社会史研究は、制度史と関係する「一級」の史料ではなく、普通の人びとの日常を描くため「二級」「三級」の史料をいかに使うかが問われる。よほどの予備知識だけでなく、歴史をみるセンスが必要とされる。本書では、「顧客の信用情報(提供できる担保、年齢、人柄、業種、家計状態など)が書き留められた史料群(「聴合帳」)」を使いこなす。

 本書は、プロローグ、全5章、エピローグ、あとがき、などからなる。その概要は、表紙見返しと帯の裏に、つぎのようにまとめられている。「元禄四年(一六九一)に三井高利が開設した三井大坂両替店。当初の業務は江戸幕府に委託された送金だったが、その役得を活かし民間相手の金貸しとして成長する。本書は、三井の膨大な史料から信用調査の技術と法制度を利用した工夫を読み解く。そこからは三井の経営手法のみならず、当時の社会風俗や人々の倫理観がみえてくる。三井はいかにして栄え、日本初の民間銀行創業へと繋げたか。新たな視点で金融史を捉え直す」。

 帯の裏には「江戸時代の人々は本当に誠実だったのか?」という問いがあり、「プロローグ」では本書の目的が、つぎのように説明されている。「筆者は江戸時代の日本人が誠実か不誠実か、その割合はどの程度であったかを議論したいのではない。重要なのは、不誠実な顧客がいたなかで、三井大坂両替店は誠実な融資先をどのようにして獲得、拡大したのか、万が一、不誠実を働かれてもどのようにして貸金を回収したのか、という点にある。三井大坂両替店の工夫をこらした技術と、法制度や経済状況に順応した挑戦の解明こそが本書の目的である」。

 「エピローグ」では、3つの見出しを設けて、本書の結論としている。まず、「三井銀行へ-連続と断絶」では、つぎのように結んでいる。「近年の研究では、江戸時代から明治時代への、人の系譜的な連続性が強調されることがある」。「ただし、仕事の中身にまで分け入って検討を加えると、大阪御用所のように、江戸時代からの技術や人脈が活かされていなかった事例もあることに注意したい」。

 「では、江戸時代のノウハウがまったく活かされなかったかというと、そうとも限らない。明治九年の抵当増額令の危機を回避した三井組であったが、放漫な融資体制を反省したのか、明治一〇年頃には江戸時代の掟書類を倉庫から引っ張りだし、筆写していた。三井銀行大阪分店の場合、数十通に及ぶ掟書類の複製書が現存している。江戸時代の経験を継承する従業員が少なくなった当時、かつての掟書類から、もう一度そのノウハウを再確認しようとしたのではないか。実際、明治一〇年代の三井銀行の業績は改善していた」。

 つぎの「大坂両替店の金融業は近代的か?」については、つぎのように答えている。「大坂両替店は、近代的な要素を多分に含んだとはいえ、江戸時代特有の保護のもとに位置した」。「大まかにまとめると、江戸時代の政治・社会体制は、幕府(または准幕府)権力に接近し保護を得た特権的商人や特権的豪農が富を得やすい構造であったといってよい。大坂両替店の金融業も、このような前近代的構造のなかで成り立っていた」。

 3つめの「信用調査からみえる社会構造」は、まず、「最後に、金融史と社会史の架橋を試みたい」と述べ、つぎのようにまとめている。「仮に、江戸時代の人びとの多くが誠実に生活を営んでいたとすれば、それは、生来の気質であったという説明のみですべて片づけてよいものではない。むしろ現実的には、低利かつ比較的大口の融資を得るためでもあったことに目を向ける必要がある」。

 「そして、これらは、不誠実な人びとに着目することでみえてきた視点である。不誠実な人びとがいたからこそ、大坂両替店のような大手の金貸し業者は、厳しい信用調査を繰り返し、不誠実な顧客を排除しようとしてきた。このような信用調査の実施と審査の諾否は噂になり、顧客には品行方正な言動が求められるという認識も生まれたはずだ。誠実な人びとだけをみていては、なぜ誠実な人びとが存在したのかを十分に明らかにすることはできない」。

 そして、「エピローグ」を、つぎのパラグラフで閉じている。「本書で明らかにしたように、とある家族の遊興や不祥事まで、様々なことを隣人や取引先、町役人らが詳細に知っていた。ひとたび重大な不品行や経営悪化が漏れ聞こえれば、その家族は不評のレッテルを貼られ、途端に大坂両替店をはじめとする大手の金貸し業者から融資を得られなくなった。このような監視社会を、果たして皆が真面目で温厚なユートピア的世界だったと片づけてよいのだろうか。本書を読んで、考えてもらえれば幸いである」。

 「あとがき」では、「本書の最も大きな特徴は、信用調査の実態を明らかにしたことにある」と述べ、「私からすれば、経済史研究の醍醐味とは、単に経済活動や経済成長の歴史を明らかにすることだけにとどまらない。人びとの行動を制約した要因を明らかにしつつ、人びとがどのようにして特定の制約下で経済活動を営んだのか、あるいは、経営拡大を果たした人びとは、制約を生んだ法制度や慣習をどのように利用したのか、という点にあると思っている。本書では、とくに後者に焦点をあて、三井大坂両替店の躍進を支えた歪な構造に目配りした」。

 「金融史と社会史の架橋」と言えるのも、史料があり研究者がいてのことである。ならば、ここで考えてもらいたいのは、史料がなく研究者がいない分野で、この研究はどのように活かせるかである。言い換えると、限られた史料、限られた研究成果から、いかに想像力を発揮して時代や社会をみていくかである。著者はすでにある程度わかっているようだ。「不誠実な人びと」がいるから「人びとの真面目で誠実な行動」がわかるというのは、その一例であろう。豊富な史料と言いながら、だれもまだ使いこなせていない史料は山とある。研究者が多くいると言いながら、手つかずのテーマは山ほどある。著者はそのことに気づいたから、本書が書けた。同時に研究工具を出版したことで、ほかの時代、社会にも応用が利くなにかを期待したい。 


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

牧野宏美『春を売るひと-「からゆきさん」から現代まで』晶文社、2024年6月15日、226頁、2000円+税、ISN978-4-7949-7425-9

 著者が取材をつづけた理由を、つぎのように語っている。「当初は女性が置かれた状況を少しでも理解し、苛酷な実態を伝えたいという思いが強かった。理解ができたとは思っていないが、次第にからゆきさんが語る辛さや生き様に、そして生きるためになりふりかまわず街頭に立ち続けたパンパンのたくましさに、心を揺さぶられたのも事実だ。なぜ彼女たちの生き方に引き付けられるのか。そう考えたことも取材を続けた大きな理由のひとつである」。

 それが、帯にある「共感を呼ぶまったく新しい女性史の誕生」のことであるなら、ジャーナリスト界はずんぶん遅れていたことになる。本書で参考にされているワレン『阿姑とからゆきさん』は、女性の力強さを描いた優れた社会史研究で、英文原著初版が出版されたのが1993年、すでに30年が過ぎている。日本でも、「からゆきさん」ブームのきっかけとなった山崎朋子『サンダカン八番娼館』(1972年)は「底辺女性史」として描いたが、単行本の出版は後になったが森崎和江(『からゆきさん』1976年)は、早くから本書に通じる「普通」の女性を描いていた。

 本書が「新しい女性史の誕生」として評価されるのは、「島原半島からの密航。米軍基地の脇で、そして現代の夜の新宿で。彼女たちは何を思い、どう生きて来たのか。「からゆきさん」、「パンパン」-娼婦、売春。最後の証言者たちの声を追い、一二〇年にわたるその真実の姿と命に迫る」120年の歴史と連続性と、このような女性にたいする無知・無関心、蔑視・偏見を追求したことによる。

 本書は、はじめに、全4章、おわりに、などからなる。第1章「からゆきさんの声」、第2章「「パンパン」と呼ばれて」の2章で全体の70%以上を占める。

 第3章「娼婦はどう見られてきたか」は、つぎのパラグラフで締めくくられている。「性風俗に従事する女性たちを支援したり、搾取される状況から救おうとしたりする動きもある一方で、先述のように根強い蔑視がうかがわれる事情もあり、社会全体のまなざしが大きく変化したようには見えない。その蔑視のまなざしはむしろ固定化しているようにさえ思える」。

 第4章「分断を越えるために」では、つぎのようないくつもの「分断」があることを認めている。「主に近代から続く娼婦への蔑視は、男性だけでなく娼婦ではない女性たちもかかわってきた。現代においてもなお、男性や女性、性的少数者の人々という線引きに加え、娼婦と呼ばれる女性たちとそれ以外の女性たちとの間にも分断があるように思う」。

 そして、第4章をつぎのように締めくくって、本書の結論としている。「日本ではジェンダーに基づく差別や格差が色濃く残る。現在はそれが改善すべき状況としてようやく可視化されてきた段階で、格差をなくす動きは緒に就いたばかりだといえる。本書でこれまで見てきたように、近現代の娼婦に対するこうした差別的なまなざしは、男性が優位にある社会が常に影響力を及ぼし、形成してきたと言えるだろう。そこには「買う」側の男性の存在と意識が大きく関わっているのは言うまでもないが、男性の意識を内面化した女性も存在する。貧困や経済格差の拡大という、娼婦を生む構造的問題も依然として横たわる。また、長く続く蔑視をなくすことは容易ではないだろう。ただ、ジェンダー差別や格差、性暴力をなくすという新しい段階の声が高まる今だからこそ、この蔑視の問題に真摯に向き合うことが重要であり、分断を乗り越えるための転機のひとつになる可能性があると考える」。

 「消えゆく「娼婦の声」を追ってきて感じたのは、声にはその時々の多様で複雑な社会の問題が凝縮されているということだ。それらは決して過去に片付けられた問題ではない。だからこそ記録に残す必要があり、今を生きる私たちはその突きつけられた課題にひとつひとつ、取り組んでいかなければならないと思う」。

 あまり期待しないで読みはじめたが、しだいに「新しい女性史」としての読み応えを感じるようになった。ジャーナリストがここまで書くと、今度は研究者の側の遅れが目立つようになる。巻末の「主な参考文献・資料一覧」を見ても、すぐに読みたくなる最新の研究書は見あたらない。今後も、社会史研究者にはできない取材とその成果を期待したい。


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早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるようになる)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

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