朴敬珉『朝鮮引揚げと日韓国交正常化交渉への道』慶應義塾大学出版会、2018年5月30日、244頁、5000円+税、ISBN978-4-7664-2520-8
本研究と先行研究の違いを、著者は、序章「「在韓日本財産の数字」から請求権問題への連続性」「一 歴史学と政治学の接点にある「空白」」の最後で、つぎのように述べている。「概して先行研究では、引揚げ問題の研究は民間レベルの引揚げ者に焦点を当て、日韓会談の研究は政府レベルに分析の重点を置く傾向にあった。そこで本研究は、「政府と民間のはざま」に朝鮮縁故者を位置づけ、先行研究における分析対象のアクターおよび分析期間に関する欠落を補う。その考察から、朝鮮縁故者と日本政府の在韓日本財産に関する認識と対応が「在韓日本財産の数字」に収斂したことが明らかになり、そこにこれまで埋もれてきた戦後日韓関係史の一つの側面が新たに浮かび上がるであろう」。
ここで、耳慣れないことばである「朝鮮縁故者」と「在韓日本財産の数字」がでてきた。この2つのことばについて、つづく「二 朝鮮縁故者(個人/法人)と「在韓日本財産の数字」」で説明されている。
「朝鮮縁故者とは、植民地朝鮮において職歴もしくは学歴を持ち知識と情報を蓄積した有力者であり、その知識と情報を日本政府と共有するアクターである。彼らは、京城日本人世話会(一九四五年八月設立)の首脳部を筆頭とする朝鮮在留日本人が日本に引揚げてから合流した朝鮮引揚同胞世話会(一九四六年三月設立)が、同和協会(一九四七年七月設立)に統合される際に、「朝鮮縁故者」と自らを定義づけた」。
「あえて朝鮮縁故者という呼称を選ぶ理由は、次のとおりである。植民地時代の朝鮮在留者(在朝日本人)は、戦後において朝鮮引揚げ者、朝鮮関係者などとも呼ばれるが、一九四五年八月のポツダム宣言受諾後の時点で、ある者は朝鮮半島に在留し、ある者は朝鮮縁故者でありながら日本列島に在留していた。つまり、敗戦直後において日本に在留していた者については、朝鮮引揚げ者と呼称するに適しない。それと同時に、朝鮮関係者と呼ぶには、やや漠然としすぎるきらいがある。したがって、本書では、呼称の一貫性を保つために、「朝鮮縁故者」という呼称を使用する」。
「朝鮮縁故者は、個人と法人に分類される」。「個人には、第一に、朝鮮総督府(以下、総督府)の官僚出身者が該当する」。「第二に、京城日報の言論出身者である」。「第三に、京城帝国大学の学識経験者である」。「法人としては、朝鮮事業者会(一九四五年一一月設立)が挙げられる」。
「在韓日本財産の数字」は、「二つの側面から構成される」。「第一に、朝鮮引揚同胞世話会の個人財産の数値化と、朝鮮縁故者である穂積真六郎、鈴木武雄をはじめ朝鮮事業会が外務・大蔵両省の共管機関である在外財産調査会(一九四六年九月設置)に所属し、在韓日本財産を算出した植民地朝鮮の統治実績の数値化である」。
「第二の側面は、国内外における植民地統治への批判を念頭に、朝鮮引揚同胞世話会と在外財産調査会で算出された在韓日本財産の「数字」に妥当性を持たせようとしたことであった。そのため、日本政府と朝鮮縁故者は、『日本人の海外活動に関する歴史的調査』(一九四八年大蔵省印刷)を作成した」。
本書は、序章、全5章、終章などからなる。「三 本書の構成と史資料について」「(1)本書の構成」で、つぎのようにまとめられている。第一章「一九四五年の敗戦-朝鮮縁故者の定着志向から引揚げへ」では、「一九四五年八月のポツダム宣言の受諾後、朝鮮半島における日本政府(総督府)の初期方針であった「出来得る限り定着の方針」と「生命財産の保護」に対して、朝鮮縁故者がその方針に沿って立ち上げた、京城日本人世話会(一九四五年八月設立)の認識と対応を分析する」。
第二章「引揚げ後の朝鮮縁故者(個人)-朝鮮引揚同胞世話会と鈴木武雄の没収財産への対応」と第三章「引揚げ後の朝鮮縁故者(法人)-朝鮮事業者会の没収財産への対応」では、「引揚げ後の朝鮮縁故者(個人/法人)の在外財産問題に対応する補償要求の過程と、それに連動する植民地認識に着目して分析する。第二章では、まず、引揚げ後の本国日本で、朝鮮関係残務整理事務所(旧総督府東京事務所)と朝鮮縁故者(個人)の間で、官民協調の観点から設置された、朝鮮引揚同胞世話会(一九四六年三月設立)の認識と対応に焦点を絞る」。「第三章では、引揚げ後の朝鮮縁故者(法人)として、朝鮮事業者会に焦点を定める」。
第四章「日韓交渉における請求権問題の顕在化-予備会談・第一次会談(一九五一~一九五二年)」、第五章「日韓交渉における請求権問題の深刻化-第二次会談・第三次会談(一九五二~一九五三年)」では、「日韓国交正常化交渉における請求権問題と植民地認識に焦点を当てて、日本外交史の実証分析を進める」。
「第四章では、請求権問題をめぐる日本政府の政策決定過程で、在外財産調査会の調査結果である『日本人の海外活動に関する歴史的調査』朝鮮篇で表出した認識に基づき、在韓日本財産の「数字」が対韓請求権の主張を補強した側面を分析する」。「第五章では、第一次会談後に交渉中断期を迎えた日本政府の外務省が請求権問題を見直し始めたことに着目して、どのような代案が準備されたのかを分析する」。
終章「朝鮮縁故者から岸信介・親韓派へ-対韓請求権の取り下げと国交正常化交渉の再開」では、まず章ごとに明らかになったことをまとめ、「日韓両国の激しい植民地認識の衝突の末」、日韓交渉が頓挫した過程を追っている。「日韓会談が長年漂流する渦中」の1957年2月に内閣総理大臣に就いたのが岸信介であった。
「日本政府は、「引揚者等に対する給付金の支給に関する措置要綱」(一九五七年三月七日)を閣議決定した。その上で、五月一七日に「引揚者給付金等支給法」(昭和三二年法律第一〇九号)が制定され、引揚げ者一人当たり二万八、〇〇〇円を限度とする給付金を支給(記名国債)することになった」。朝鮮縁故者もその対象に含まれた。岸内閣は、「対韓請求権を取り下げることによって、ようやく第四次日韓会談(一九五八年四月一五日開始)に臨むことができた」。
その後について、つぎのようにまとめている。「岸は一九六〇年の安保騒動により退陣したが、それ以降、彼は表舞台から自民党内に舞台を移し日韓国交正常化への意欲を持ち続けていた。それは、自民党外交調査会において石井光治郞を座長に岸派を主要メンバーとする日韓問題懇談会を設置することに表れており、自民党議員団訪韓まで実現させた。それに加えて、日韓基本条約の締結間際に岸の実弟・佐藤首相および同じ満州縁故者の椎名外相による劇的な交渉展開、「一九六五年日韓条約体制」以降には岸自ら日韓協力委員会の会長を務めるなど、以上の経緯から岸・親韓派が誕生するのである」。
そして、つぎのパラグラフで、本書を終えている。「本来の「親韓派」として存在感を示すこともできたであろう朝鮮縁故者と岸を筆頭とする政治集団がその「親韓派」を自任することになる転換がいかに起きたのか、そして日韓関係を取り巻く国際政治経済環境の要因も踏まえながら分析することが、今日の日韓関係の複合的構造を解き明かす重要なカギになるであろう」。
日本は、1945年から52年まで7年間、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領下にあった。その期間におこなわれた日韓会談において、日本は「植民地支配」の意味を理解しないまま交渉をつづけた。戦争だけでなく、植民地支配にたいしての認識が甘いままに日本の戦後が始まったことが読みとれる。これが、今日に至る歴史認識問題の始まりの一要因である。著者のいう「一九四五年八月の敗戦から一九五一年一〇月の交渉に至る」「空白期」は、日韓関係だけでなく、敗戦後の日本にとって重要な期間で、取り返しのつかないものを残した。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
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早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。
早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.