早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2025年04月

朴敬珉『朝鮮引揚げと日韓国交正常化交渉への道』慶應義塾大学出版会、2018年5月30日、244頁、5000円+税、ISBN978-4-7664-2520-8

 本研究と先行研究の違いを、著者は、序章「「在韓日本財産の数字」から請求権問題への連続性」「一 歴史学と政治学の接点にある「空白」」の最後で、つぎのように述べている。「概して先行研究では、引揚げ問題の研究は民間レベルの引揚げ者に焦点を当て、日韓会談の研究は政府レベルに分析の重点を置く傾向にあった。そこで本研究は、「政府と民間のはざま」に朝鮮縁故者を位置づけ、先行研究における分析対象のアクターおよび分析期間に関する欠落を補う。その考察から、朝鮮縁故者と日本政府の在韓日本財産に関する認識と対応が「在韓日本財産の数字」に収斂したことが明らかになり、そこにこれまで埋もれてきた戦後日韓関係史の一つの側面が新たに浮かび上がるであろう」。

 ここで、耳慣れないことばである「朝鮮縁故者」と「在韓日本財産の数字」がでてきた。この2つのことばについて、つづく「二 朝鮮縁故者(個人/法人)と「在韓日本財産の数字」」で説明されている。

 「朝鮮縁故者とは、植民地朝鮮において職歴もしくは学歴を持ち知識と情報を蓄積した有力者であり、その知識と情報を日本政府と共有するアクターである。彼らは、京城日本人世話会(一九四五年八月設立)の首脳部を筆頭とする朝鮮在留日本人が日本に引揚げてから合流した朝鮮引揚同胞世話会(一九四六年三月設立)が、同和協会(一九四七年七月設立)に統合される際に、「朝鮮縁故者」と自らを定義づけた」。

 「あえて朝鮮縁故者という呼称を選ぶ理由は、次のとおりである。植民地時代の朝鮮在留者(在朝日本人)は、戦後において朝鮮引揚げ者、朝鮮関係者などとも呼ばれるが、一九四五年八月のポツダム宣言受諾後の時点で、ある者は朝鮮半島に在留し、ある者は朝鮮縁故者でありながら日本列島に在留していた。つまり、敗戦直後において日本に在留していた者については、朝鮮引揚げ者と呼称するに適しない。それと同時に、朝鮮関係者と呼ぶには、やや漠然としすぎるきらいがある。したがって、本書では、呼称の一貫性を保つために、「朝鮮縁故者」という呼称を使用する」。

 「朝鮮縁故者は、個人と法人に分類される」。「個人には、第一に、朝鮮総督府(以下、総督府)の官僚出身者が該当する」。「第二に、京城日報の言論出身者である」。「第三に、京城帝国大学の学識経験者である」。「法人としては、朝鮮事業者会(一九四五年一一月設立)が挙げられる」。

 「在韓日本財産の数字」は、「二つの側面から構成される」。「第一に、朝鮮引揚同胞世話会の個人財産の数値化と、朝鮮縁故者である穂積真六郎、鈴木武雄をはじめ朝鮮事業会が外務・大蔵両省の共管機関である在外財産調査会(一九四六年九月設置)に所属し、在韓日本財産を算出した植民地朝鮮の統治実績の数値化である」。

 「第二の側面は、国内外における植民地統治への批判を念頭に、朝鮮引揚同胞世話会と在外財産調査会で算出された在韓日本財産の「数字」に妥当性を持たせようとしたことであった。そのため、日本政府と朝鮮縁故者は、『日本人の海外活動に関する歴史的調査』(一九四八年大蔵省印刷)を作成した」。

 本書は、序章、全5章、終章などからなる。「三 本書の構成と史資料について」「(1)本書の構成」で、つぎのようにまとめられている。第一章「一九四五年の敗戦-朝鮮縁故者の定着志向から引揚げへ」では、「一九四五年八月のポツダム宣言の受諾後、朝鮮半島における日本政府(総督府)の初期方針であった「出来得る限り定着の方針」と「生命財産の保護」に対して、朝鮮縁故者がその方針に沿って立ち上げた、京城日本人世話会(一九四五年八月設立)の認識と対応を分析する」。

 第二章「引揚げ後の朝鮮縁故者(個人)-朝鮮引揚同胞世話会と鈴木武雄の没収財産への対応」と第三章「引揚げ後の朝鮮縁故者(法人)-朝鮮事業者会の没収財産への対応」では、「引揚げ後の朝鮮縁故者(個人/法人)の在外財産問題に対応する補償要求の過程と、それに連動する植民地認識に着目して分析する。第二章では、まず、引揚げ後の本国日本で、朝鮮関係残務整理事務所(旧総督府東京事務所)と朝鮮縁故者(個人)の間で、官民協調の観点から設置された、朝鮮引揚同胞世話会(一九四六年三月設立)の認識と対応に焦点を絞る」。「第三章では、引揚げ後の朝鮮縁故者(法人)として、朝鮮事業者会に焦点を定める」。

 第四章「日韓交渉における請求権問題の顕在化-予備会談・第一次会談(一九五一~一九五二年)」、第五章「日韓交渉における請求権問題の深刻化-第二次会談・第三次会談(一九五二~一九五三年)」では、「日韓国交正常化交渉における請求権問題と植民地認識に焦点を当てて、日本外交史の実証分析を進める」。

 「第四章では、請求権問題をめぐる日本政府の政策決定過程で、在外財産調査会の調査結果である『日本人の海外活動に関する歴史的調査』朝鮮篇で表出した認識に基づき、在韓日本財産の「数字」が対韓請求権の主張を補強した側面を分析する」。「第五章では、第一次会談後に交渉中断期を迎えた日本政府の外務省が請求権問題を見直し始めたことに着目して、どのような代案が準備されたのかを分析する」。

 終章「朝鮮縁故者から岸信介・親韓派へ-対韓請求権の取り下げと国交正常化交渉の再開」では、まず章ごとに明らかになったことをまとめ、「日韓両国の激しい植民地認識の衝突の末」、日韓交渉が頓挫した過程を追っている。「日韓会談が長年漂流する渦中」の1957年2月に内閣総理大臣に就いたのが岸信介であった。

 「日本政府は、「引揚者等に対する給付金の支給に関する措置要綱」(一九五七年三月七日)を閣議決定した。その上で、五月一七日に「引揚者給付金等支給法」(昭和三二年法律第一〇九号)が制定され、引揚げ者一人当たり二万八、〇〇〇円を限度とする給付金を支給(記名国債)することになった」。朝鮮縁故者もその対象に含まれた。岸内閣は、「対韓請求権を取り下げることによって、ようやく第四次日韓会談(一九五八年四月一五日開始)に臨むことができた」。

 その後について、つぎのようにまとめている。「岸は一九六〇年の安保騒動により退陣したが、それ以降、彼は表舞台から自民党内に舞台を移し日韓国交正常化への意欲を持ち続けていた。それは、自民党外交調査会において石井光治郞を座長に岸派を主要メンバーとする日韓問題懇談会を設置することに表れており、自民党議員団訪韓まで実現させた。それに加えて、日韓基本条約の締結間際に岸の実弟・佐藤首相および同じ満州縁故者の椎名外相による劇的な交渉展開、「一九六五年日韓条約体制」以降には岸自ら日韓協力委員会の会長を務めるなど、以上の経緯から岸・親韓派が誕生するのである」。

 そして、つぎのパラグラフで、本書を終えている。「本来の「親韓派」として存在感を示すこともできたであろう朝鮮縁故者と岸を筆頭とする政治集団がその「親韓派」を自任することになる転換がいかに起きたのか、そして日韓関係を取り巻く国際政治経済環境の要因も踏まえながら分析することが、今日の日韓関係の複合的構造を解き明かす重要なカギになるであろう」。

 日本は、1945年から52年まで7年間、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領下にあった。その期間におこなわれた日韓会談において、日本は「植民地支配」の意味を理解しないまま交渉をつづけた。戦争だけでなく、植民地支配にたいしての認識が甘いままに日本の戦後が始まったことが読みとれる。これが、今日に至る歴史認識問題の始まりの一要因である。著者のいう「一九四五年八月の敗戦から一九五一年一〇月の交渉に至る」「空白期」は、日韓関係だけでなく、敗戦後の日本にとって重要な期間で、取り返しのつかないものを残した。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

吉見俊哉『アメリカ・イン・ジャパン-ハーバード講義録』岩波新書、2025年1月17日、274頁、1060円+税、ISBN978-4-00-432048-7

 本書は、著者がハーバード大学教養学部の東アジア言語文明学科で、2018年春学期におこなった講義が基になっている。講義から出版まで数年かかった理由について、著者は「はしがき」で、つぎのように述べている。「最初に正直に告白しておけば、ハーバードでの実際の講義が、本書ほどの完成度でできたわけではない。毎週、それなりに長い講義をすべて英語でするのは結構高いハードルで、下手な発音は諦めるとしても、少なくとも自分が考えていることの骨格を英語で表現できるようにするのにも、日本語ではなく英語でアクセス可能な文献や資料と講義内容が結びつくようにするのにも事前準備が必要だった。私の時間的余裕と語学の力量では、毎週、こうした準備をしていくのが精一杯で、個々の議論の粗さは我慢をするしかなかった。他方、学生たちも、この講義が当初に想定していた白人アメリカ人はやや少数派で、多くがアジアや中南米からの留学生だった」。

 著者の言うように、日本語の講義を英語ですれば、それですむわけではない。参考文献や資料が違うだけでなく、日本語と英語では発想が違う。日本語で書いた論文を英語にしようとすれば、まったく違う論文になってしまう。わたしはずいぶん前に、下手で時間のかかる英語で書くことを諦め、日本語の論文を翻訳することにした。日本語の論文・著書の執筆に集中し、時間をかけることで生産性は高まった。英語の授業で使うわたしが書いたものは、英語で書かれた「日本語の文献」だといい、「日本語の講義」を英語でおこなっていると開き直っている。幸い日本の大学で講義をおこない、8割が留学生なので、英語で「日本の大学の講義」をおこなっていると説明している。だが、著者はアメリカの大学で英語で講義をおこなったのだから、こんな開き直りは通用しなかっただろう。

 本書は、はしがき、イントロダクション「アメリカ・イン・ジャパン-非対称的なクラインの壺」、全9講、参考文献からなる。「イントロダクション」の最後で、本書の構成がまとめられている。

 まず、全体の流れを、つぎのように説明している。「日米のこの表裏の関係、「アメリカの中の日本」と「日本の中のアメリカ」の相互関係が一九世紀から二〇世紀にかけての地政学的布置の中で変容していくプロセスが、この講義の焦点です。講義の序盤では、「アメリカの中の日本」について論じるところから話が始まりますが、だんだん話の力点は「日本の中のアメリカ」に向かっていくでしょう」。

 「第1講から第3講までは、一九世紀半ば以降の日米の出会いの考察です。第1講[ペリーの「遠征」と黒船の「来航」-転位する日本列島]では、ペリー遠征と「黒船」来航との関係を論じ、第2講[捕鯨船と漂流者たち-太平洋というコンタクトゾーン]では同時代、西太平洋で展開されたアメリカ捕鯨と日本人漂流民の関係を考えます。第3講[宣教師と教育の近代-アメリカン・ボードと明治日本]では、アメリカ東部のプロテスタントたちによる宣教が、どれほど深く近代日本の高等教育の基盤を形作ったかを論じます」。

 「続く第4講から第6講までは、二〇世紀前半の「日本の中のアメリカ」」に焦点を当てます。第4講[反転するアメリカニズム-モダンガールとスクリーン上の自己]で論じるのは、戦前期日本における消費的なアメリカの受容です。「モダンガール」がその焦点ですが、そこに内在した複雑さを考えたいと思います。続いて第5講[空爆する者 空爆された者-野蛮人どもを殺戮する]では、戦時期に日本人を大量殺戮していったアメリカの暴力的まなざしと、そのアメリカに向けられていた日本側のまなざしの非対称性を論じます。そして第6講[マッカーサーと天皇-占領というパフォーマンス]では、占領期、マッカーサーと昭和天皇の間にどのような相補的な関係が結ばれていたのかを検証します」。

 「第7講から第9講までは、二〇世紀後半における「日本の中のアメリカ」を考えます。第7講[アトムズ・フォー・ドリーム-被爆国日本に<核>の光を]では、一九五〇年代、日本がアイゼンハワー政権の「アトムズ・フォー・ピース」戦略を積極的に受け入れ、原子力開発への道を歩む過程を示します。第8講[基地から滲みだすアメリカ-コンタクトゾーンとしての軍都]では、米軍基地がアメリカン・カルチャーを若者文化の中に浸透させていく主要な発信源だったことを論じます。最後に第9講[アメリカに包まれた日常-星条旗・自由の女神・ディズニーランド]で、現代日本人の日常がどれほど深く「アメリカ」に包まれているかを、この国における「自由の女神」や「ディズニーランド」の受容を通じて示していきたいと思います」。

 そして、最後に日本人読者向けの参考文献が、章ごとにある。個人的には、アメリカでの講義録ならば、受講生に示した英語の参考文献リストをみてみたい。

 著者が、講義のイントロダクションとして強調したのは、「一九世紀半ばの日本で起きた」「「世界の見え方」の一八〇度の転換を、同時代のアメリカで展開してきた西へのまなざし、すでに述べた大陸での西漸運動の延長としての太平洋への「西漸」過程の中に位置づけ直してみること」で、つぎのような結論に相当することが、「イントロダクション」で述べられている。

 「この私の講義では、近代世界の中で「日本」と「アメリカ」が、それぞれ独立の国家としてまずあり、その間に日米関係が営まれていったという仕方で問題を捉えてはいきません。むしろ、一八五〇年代にペリー提督の「遠征」=「黒船来航」という形で始まった「アメリカ・イン・ジャパン」は、一方では一八世紀末からすでに北米大陸で始まっていた西漸運動の帰結であり、他方では、長い間、中華文明との微妙な関係を保ち続けてきたユーラシア大陸東端の国が、東方から到来したグローバルな運動を「過去」から脱出する好機とした結果でもあるという両国を含みます。それはいわば、非対称的なクラインの壺のようなもので、裏返る孔のなかで「アメリカ」も「日本」も、どの位置から見るかによって見え方が違ってきます」。

 日本が高度成長しているとき、日本のことを知りたければ日本語で得ろ、と言っても傲慢ではなかっただろう。しかし、「失われた○年」のあいだに、日本語は国際言語、研究・教育言語としての地位を失った。日本のことを知りたい者がいれば、英語など外国語で説明しなければならなくなった。アメリカ人に、日本語を母国語とする者が英語で説明するのと、英語を母国語とする者が英語で説明するのとでは、ずいぶん違ったものになるだろう。日本語を母(国)語とする者がアメリカで英語で講義する意味はなになのか、考えてみる必要がある。日本でも、英語で講義する大学、科目が増えてきている。分野によっては、日本で英語で講義する意味、内容は、ほかの国で英語でするものと同じかもしれないが、人文学ではずいぶん違う。そして、それができる日本人・外国人教員は限られている。テキストとする参考文献も少ない。本書の著者の苦労は、想像を超えるものであっただろう。本書は、日本人向けに日本語で書かれたものであるが、アメリカ人にどう「日米200年史」を語るかを示したことになる。その意味で、「コペルニクス的転回!」の書と言える。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
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早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
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早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

吉田裕『続・日本軍兵士-帝国陸海軍の現実』中公新書、2025年1月25日、240頁、900円+税、ISBN978-4-12-102838-9

 本書は、2017年に刊行された『日本軍兵士-アジア・太平洋戦争の現実』の続編で、その出版の理由を「はじめに」で、著者はつぎのように述べている。前著では「さまざまな史料に基づいて」「無残な大量死の実態を明らかにした。しかし、大量死の歴史的背景、なぜ大量死が引き起こされたのか、という問題については、陸海軍の軍事思想の特質、統帥権の独立、日本資本主義の後進性などについて、ごく簡単に言及するにとどまった」。「そこで本書では、無残な大量死が発生した歴史的背景について、明治以降の帝国陸海軍の歴史に即しながら、できる限り具体的に明らかにしたい」。

 そして、つぎの3つの視角を重視するという。「第一は、いまふうに言えば、「正面装備」(直接戦闘に使用される兵器や装備)の整備・充実を最優先にしたため、兵站(人員や軍需品の輸送・補給)、情報、衛生・医療、給養(兵員への食糧や被服などの供与)などが著しく軽視されたことである」。「帝国陸海軍自体も、間口ばかりが立派で、奥行きのない軍隊となった。そのことが兵士にとって、何を意味したのか、という問題を本書では具体的に考えてみたい」。

 「第二には、帝国陸海軍は、将校が温存・優遇される半面で、下士官、そして誰よりも兵士に過重な負担を強いる特質を持っていたのではないか、という問題である」。「経済的にも恵まれた家庭に育った」「若者たちも、兵役を平等に担ったのだろうか。そうした問題も検討したい」。

 「第三には、兵士の「生活」や「衣食住」を重視するという視点である」。本書では、「兵士の「生活」や「衣食住」に焦点を合わせて、帝国陸海軍の生態を分析してみたい」。

 本書は、序章「近代日本の戦死者と戦病死者-日清戦争からアジア・太平洋戦争まで」、全4章、おわりに、5つのコラム、あとがき、などからなる。第1-3章では、時系列に第1章「明治から満州事変まで-兵士たちの「食」と体格」、第2章「日中全面戦争下-拡大する兵力動員」、第3章「アジア・太平洋戦争末期-飢える前線」で兵士の生態を理解した後、第4章「人間軽視-日本軍の構造的問題」で考察を深めていく。

 「おわりに」では、「日中全面戦争下、野放図な軍拡」「宇垣一成の陸軍上層部批判」「騎兵監・吉田悳の意見書」「日本陸軍機械化の限界」「追いつかなかった軍備の充実」の見出しの下で、議論を展開し、つぎの最後の2つのパラグラフを結論としている。

 「結局、日本の国力では、臨時軍事費の転用などによって、「正面装備」の充実はある程度実現したものの、軍の機械化・自動車化、兵站の整備、軍事衛星や軍事医療、給養の充実などの課題はすべて先送りとなった。「奥行き」のある軍備は、最後まで実現できなかったのである。そのことは兵士にいっそう過重な負担を強いることを意味した」。

 「同時に、射程をさらに伸ばして考えれば、アジア・太平洋戦争における「大日本帝国」の悲惨な敗北を準備したのは、軍事史的にみれば、日中全面戦争の長期化と戦略的見通しを欠いた無統制な軍拡だった、と言うことができるだろう」。

 「あとがき」では、著者が本書執筆に至った背景を、つぎのように吐露している。「歴史研究者としての私が、やってきたことは、この戦史研究の分野に歴史学研究の分野から割って入り、戦闘や戦場の実態を、民衆史、社会史、地域史などの手法でとらえ直すこと、そして、そのことによって、戦場や戦闘のリアルで凄惨な現実を明らかにすることだった。その最初の試みが前著『日本軍兵士』である」。「その続編である本書では、アジア・太平洋戦争における大量死の歴史的背景を、明治時代にまで遡って明らかにすることを課題とした」。

 だが、著者のおもいは、大きな壁にぶちあたることになった。「残された史料があまりにも少ないことに最後まで悩まされ続けた。私がいままでに書いた本のなかで、今回ほど「空振り」の多かった本は他にないように思う。先行研究が少ないため、自分でいわば「ヤマカン」であたりをつけて調べ始めることになるが、なかなかいい史料に到達できないのである」。

 ここに現在の社会科学中心の研究・教育に問題があることがわかる。制度に関係する資料を使って考察すると、当然ながらパワーポリティクス中心の国際関係研究に陥りやすくなり、人間軽視になる。だが、人文学では資料があっても、なかなか使いこなせず「ヤマカン」が頼りになる。したがって、社会科学教育は理論的にわかりやすく説明できるが、人文学教育はなんとなくわかってもらうしかない。その結果、学生の授業アンケートでは、社会科学の授業は評価が高くなり、人文学は低くなる。人文学で、学生に「よくわかった」と評価されれば大失敗であるが、そんなことわかってもらえない。本書のような、いい具体例があれば、なぜ社会科学だけではダメで人文学が必要であるかを説明できる。社会科学だけでは戦争は止められない。社会科学で基礎教育を受けた後の人間重視の人文学教育を受けた者が、国際的に活躍することを願っている。


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早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
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早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

加納寛『盟邦タイよ、日本を見よ!-「大東亜戦争」期、日本の宣伝戦と対外商業広告』あるむ、2025年3月25日、222頁、2700円+税、ISN978-4-86333-214-0

 台湾、韓国の植民地支配、南洋群島の委任統治、満洲国、中国占領地、「大東亜共栄圏」とつづく日本の異民族支配のための文化政策のなかで、「大東亜共栄圏」内の「独立国」タイにたいして日本はどのような「宣伝」をおこなったのだろうか。日本側からみた研究は、近年発展してきているが、それを受けた側の現地語の資料による考察は、それほど多くない。その意味で、近年公開され利用できるようになってきたタイ語資料を使った本書は、この分野の包括的研究のためにも大きく貢献することになるだろう。そのために、著者が発見・収集し、本書で使われたプロパガンダ誌がデジタル化され、「愛知大学貴重資料デジタルギャラリー」で閲覧できる意義はきわめて大きい。

 タイは、戦前期ほかの東南アジア地域に比べ桁違いに在留日本人人口が少ないにもかかわらず、比較的研究が進んでいる(1940年現在、米領フィリピン28731人、英領マライ7119人、蘭領東インド6384人、タイ587人、仏領インドシナ206人)。そのため、序章「「大東亜戦争」期における日本からみたタイ」では、先行研究に10頁余を割いて、「先行研究の現状と課題」を論じ、つぎのようにまとめている。

 「日本による対外宣伝は、全体としては文化関係や文化政策の研究において扱われてきている。また、宣伝手段や宣伝内容によって、日本語教育史やメディア史、写真史、美術史、映画史など、様々な研究分野から、それぞれの領域に関する研究がなされてきた」。「しかし、各メディアの専門性の関係から、時として各メディア分野間の研究上の連携がなされないままに個別に研究が進められる場合も多く」、「また、対外宣伝についての研究において政治的・文化的な側面の分析が重要であることは論を俟たないが、一方で宣伝媒体に掲載された商業広告等を通した経済的側面の分析については、ほとんど検討されておらず、より立体的な日タイ関係の理解においては、商業広告への着眼も必要である」。

 「より大きな問題としては、「大東亜共栄圏」各地を日本側からの宣伝工作の客体の一部として位置付けている研究群において、現地語を用いてなされた対外宣伝の内容それ自体については、いまだほとんど分析がなされておらず、さらに重要なことには現地の政府や人々の反応についても十分な検討はされてきていない」。

 「日本側の宣伝に対して、タイ政府やタイの人々がどのように反応したかについても、従来の研究では一次史料に基づく十分な分析がなされていないといえる。とくに20世紀までの業績については、タイ国立公文書館がまだ十分に整備されていなかったこともあって、タイ政府側の史料を検討できていないものも多く、少なくとも日本の宣伝活動に対するタイ側の動きについては十分に明らかになっていない」。

 以上のことから、本書の目的は、以下のようになった。「本書は、「大東亜戦争」期の日本が、同盟国であるタイに向けて展開したプロパガンダの展開過程と内容を、日本側の史料にあわせてタイ政府側の史料やタイ語で書かれた宣伝媒体を分析することによって明らかにし、そこに読み取れる当時の日本の対タイ宣伝のねらいを読み取りながら描き出すことによって、「大東亜戦争」の性格の一端を照射し直すことを目的とする」。

 本書は、序章、2部全8章、2つのコラム、2つの付表、結章などからなる。各部4章からなる。序章最後に「本書の構成」としてまとめられている。

 第1部「日本の対タイ宣伝」においては、「日本からタイへの宣伝活動について、日本側とタイ側の双方の史料に依拠しつつ全体像を俯瞰していく」。第1章「日タイ関係」では、「近代における日本とタイとの関係について、その変遷を概観する」。つづく第2章「日タイ両国の文化政策と日泰文化協定」では、「「大東亜戦争」期日本の対タイ宣伝の基盤となった1942年日泰文化協定の締結過程とその特徴について、両国の外交文書を突き合わせて双方の狙いと軋轢に着目しながら観察する」。また、第3章「日本の対タイ宣伝機関」では、「日本の対タイ宣伝機関の展開を、日泰文化研究所から1943年3月設立の日泰文化会館への移行過程を中心として跡付け」、第4章「タイ側からみた日本の対タイ宣伝活動」では、「タイ政府の宣伝局が残した報告書に表れた日本による各宣伝媒体によるプロパガンダ活動に着目しながら観察していく」。

 第2部「日本の対タイ宣伝雑誌」においては、「日本の対タイ宣伝のうち、これまでほとんどタイ語による分析がなされていない対タイ宣伝雑誌を扱い、その記事や写真、商業広告といった内容から、日本の狙いについて考察していく」。第5章「『日泰文化』」では、「日泰文化会館が刊行した『日泰文化』誌の分析を通して、日本の対タイ文化宣伝の矛盾や日タイ間のせめぎ合いを浮き上がらせる」。第6章「『カウパアプ・タワンオーク』の内容分析」では、「タイのみを訴求対象としたタイ語グラフ誌である『カウパアプ・タワンオーク』の内容分析を通して、日本がタイに対してどのような姿をアピールしようとしていたかを実証していく」。第7章「『カウパアプ・タワンオーク』広告分析」では、「同じく『カウパアプ・タワンオーク』を対象として、これまでほとんど着目されてこなかった日本のプロパガンダ誌における商業広告の分析を行い、プロパガンダ誌における政治的な宣伝と商業的な広告との関係を論じる」。第8章「『フジンアジア』分析」では、「大東亜共栄圏の女性を訴求対象として刊行され、タイにおいても流通していた『フジンアジア』の内容分析と広告分析を行い、日本による宣伝の意味を『カウパアプ・タワンオーク』とは異なる視座から描き出す」。

 終章「宣伝からみた日タイ関係」では、まず各部、各章のまとめをおこなって「「大東亜戦争」期における日本の対タイ宣伝の諸相について総括し」、つぎに「全体に関わる論点についていくつかの考察を提示」している。

 まず、「全体として浮かび上がってくる「大東亜戦争」期の日タイ関係」から、「日本のタイに対する宣伝は、一方向的なものであり、タイ側が望んだ双方向的なものにはならなかった」ことを明らかにしている。そして、つぎのようにまとめている。「日本側のこのような傍若無人さが、宣伝活動のみならず様々な局面で顕在化し、両国間の緊張を高めていったことを考えるならば、ことは必ずしも宣伝の側面に限ったことではなく、日本側からタイ側に対する根本的な姿勢そのものに起因する問題であったということもできる。その点で、本書は、これまでの研究によって明らかにされてきた「大東亜戦争」期の日タイ関係について、日タイ両国側の史料に依拠しながらも、宣伝の面においても同様のことが言えることを指摘したに過ぎない」。

 つぎに、「日本側はタイに対する宣伝を通じて、どのような日本像を誰に見せようとしたのかについては、新たな発見といえるものがあったように考える」と述べ、つぎのようにまとめている。「まず、本書で紹介した日本の宣伝に登場する日本の姿は、欧米向けの宣伝において示された「伝統」と「躍進」の対極的なイメージからなる日本像とは異なるものであった」。「タイに対する宣伝において示されているのは、日本の「躍進」に重点があるものであり、日本が欧米に見せようとした自画像と、タイを含む「大東亜共栄圏」に見せようとした自画像には大きな乖離があった」。「次に、日本側は、タイに対する宣伝において、女性を訴求対象として重視していたことが明らかになった」。「さらに三つ目の発見としては、宣伝雑誌における商業広告の豊富さに関するものである。宣伝雑誌を見ていくと、その商業広告の多さに驚かされるが」、「商業広告からは、日本がタイを含む「大東亜共栄圏」を、日本製品のマーケットとしても重要視していたことは、明らかにできたと考える」。

 そして、つぎのようにまとめて本書を閉じている。「今後、さらに「大東亜共栄圏」に対する日本の宣伝と広告との関係を考えていくためには、広告表現や広告デザインの観点からの分析によって、対外プロパガンダ誌上の商業広告に表象された意図や意味についての理解を深めていく努力も必要だろう。また、「大東亜戦争」期の日本がフィリピンやジャワなど他地域向けに発行したプロパガンダ誌の広告とも比較していくことで、対タイ宣伝の特色をより相対的に捉え、それぞれの地域への関わりの同質性と異質性をより大きな視角から明らかにすることも今後の課題である」。

 自由貿易を進めていたイギリス、オランダ、アメリカの植民地と違い、保護貿易を進めていたフランスの植民地などでは、戦前の日本人の商業活動は活発ではなく、在留日本人人口も少なかった。1939年にヨーロッパで第二次世界大戦がはじまり、41年に「大東亜戦争」がはじまると、欧米勢力が後退したタイで新市場を求めて日本人の商業活動が活発になり、宣伝雑誌にも多くの商業広告を出すようになった。タイと東南アジア島嶼部の地域との違いは明白である。著者の、最後の「対タイ宣伝の特色をより相対的に捉え、それぞれの地域への関わりの同質性と異質性をより大きな視角から明らかにすることも今後の課題である」は、まさにその通りです。

 本書は、著者が2012年から27年まで16年間におよぶ科学研究費補助金の成果で、2001年から23年まで序章を含め9つの論考をまとめたものである。あまりにも長期にわたったせいか、「結章」に物足りなさを感じた。激務の校務をこなしながら出版にこぎつけたことに敬意を払いながらも、じっくり腰を落ち着けて「総括」できなかったことを残念に思う。それは、著者本人がいちばんわかっていることだろう。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

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