早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2025年05月

佐々木太郎『コミンテルン-国際共産主義運動とは何だったのか』中公新書、2025年2月25日、299頁、1050円+税、ISBN978-4-12-102843-3

 なぜ、いまコミンテルン(1919-43年)なのか。著者は、「まえがき」でつぎのように述べている。「コミンテルンが結成されて約百年を経た節目にある今こそ強く求められるのは、バランスを欠いた極端な史観に囚われず、等身大の姿を描く努力である。革命の時代である二〇世紀はもちろん、グローバル資本主義と排他的なナショナリズムを特徴とする二一世紀のあり様を深く見据え、また現在のロシアや東欧のみならず世界各地で大きく変化を起こしている国際秩序の動きについてその歴史的な淵源を探るうえでも、この特異な国際組織に対する正確な知識は少なからず必要であろう」。

 本書の概要は、表紙見返しに、つぎのようにまとめられている。「ロシア革命後の一九一九年、コミンテルン(共産主義インターナショナル)は、世界革命のために誕生。各国共産主義政党の国際統一組織として、欧州のみならずアジアなど各地に影響を及ぼすべく、様々な介入や工作を行った。本書は、レーニンやスターリンら指導者の思想も踏まえ、知られざる活動に光をあてる。一九四三年の解体にいたるまで、人々を煽動する一方、自らも歴史に翻弄され続けた組織の軌跡を描き出す」。

 本書は、まえがき、序章、全7章、あとがき、などからなる。その構成は、「まえがき」でつぎのようにまとめられている。

 序章「誕生まで-マルクスからレーニンへ」では、「第一及び第二インターを経て、第三インター、すなわちコミンテルンが誕生するまでの経緯を追う」。そのうえで、第1章「孤立のなかで-「ロシア化」するインターナショナル」では、「産声を上げたコミンテルンがヨーロッパ各国の労働運動に対して第二インターとの決別を迫り、各地に共産党が結成されていく様子をたどる」。

 第2章「東方へのまなざし-アジア革命の黎明」は、「ロシア十月革命に刺激を受けてヨーロッパ各地で発生した革命が次々と頓挫するなか、レーニンがヨーロッパとアジアを結びつける形で構想した独自の国際革命理論を取り上げる」。

 第3章「革命の終わりと始まり-ボリシェヴィズムの深層」は、「第一次世界大戦中にレーニンが一九世紀ドイツの思想家ヘーゲルの哲学に接近したことなどに注目し、彼の革命思想の深層に迫る。そのうえで、とりわけ一九二〇年のコミンテルン第二回大会以後、ロシア内外で革命が行き詰まりを見せるなか、レーニンが厳しい現実との格闘を通じて自らの思想をいかに適用したのか、またそれが以後の革命運動に与えた影響についても見ておきたい」。

 第4章「大衆へ-労働者統一戦線の季節」は、「二〇年代初頭から後半にかけてヨーロッパで実践された「労働者統一戦線」戦術を中心に、当時のコミンテルンの動向を取り上げる」。

 第5章「スターリンのインターナショナル-独裁者の革命戦略」は、「党内闘争を制し共産主義世界の最高指導者に上り詰めるスターリンが、若かりし頃から取り組んできた民族論などに目を配りつつ、彼とコミンテルン及び国際共産主義運動の関係性がどのように形成されたかを探る」。

 第6章「「大きな家」の黄昏-赤い時代のコミンテルン」は、「一九三一年の満州事変や三三年のヒトラー政権誕生など、三〇年代に入ってソ連を取り巻く国際環境が一層緊迫するなか、コミンテルンが着手した大規模なフロント組織活動を取り上げる」。

 第7章「夢の名残り-第二次世界大戦とその後」は、「三九年の独ソ不可侵条約締結や四一年の独ソ戦勃発など、独ソ間をはじめとする国際関係の激変に翻弄されるコミンテルンの姿を追う。そして、スターリンがコミンテルンの解散を決断した顛末とともに、その後のソ連のインターナショナリズムについても一瞥する」。

 本書に、終章や結論にあたるものはなく、副題の「国際共産主運動とは何だったのか」に、簡潔に答えた箇所はないようだが、最終章の第7章でつぎのように述べている。「コミンテルンやコミンフォルムの枠組みは、各国共産党のあり方をロシアの党に合わせてきわめて厳格に形づくる「鋳型」のようなものだった。レーニンとスターリンはそのロシア製の鋳型に世界各地のマルクス主義者たちを入れて数十年にわたって激しく熱を加え続けた。結果、各国の共産党組織はときに壊滅的な状況に追い込まれつつも、ボリシェヴィキの組織原理を自らに刻み込むという点では目を見張るべき成果を上げた」。

 「厳格な中央集権と鉄の規律を身に付けた集団として鍛えあげられたからこそ、他のイデオロギー集団に飲み込まれずに自らを保ち、権力の獲得と維持に独占に徹底的な集中を向けることができたと言える。しかしその革命モデルは、結局のところ国家を手に入れたうえで有無を言わせぬ強制力をもってして産業革命を惹き起こすというものであり、国家主導での資本主義の猛烈な追求でしかなかった」。

 そして、この最終章をつぎの1行で終えている。「しかし、もはや共産主義世界の一体性の喪失を押しとどめることはできなかったのである」。

 宗教と違い、近代的組織であるコミンテルンに地域性はないように思うのだが、現実には各国・地域で、近代化の程度は違い、その捉え方も違っていた。「共産主義世界の一体性」は夢物語に終わった。だが、資本主義と一線を画す点で、いまなお共産主義は国家のなかにもいきているようだ。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

櫻田智恵『国王奉迎のタイ現代史-プーミポンの行幸とその映画』ミネルヴァ書房、2023年6月20日、323+20頁、6000円+税、ISBN978-4-623-09494-3

 1967年の東南アジア半島スポーツ大会(SEAP GAMES)でタイのプーミポン国王が、セーリング競技で娘の王女とともに優勝した。メダルを授与するにあたって、国王より上位の者がいないため王妃が授与し、家族的な雰囲気のなかでセレモニーがおこなわれた。大会は12月に開催され、国王の12月5日の誕生日を盛りあげるイベントのひとつであった。このころから、国王の地方行幸がさかんにおこなわれるようになった。

 本書の概要は、表紙見返しにつぎのように記載されている。「二〇一六年に没した、タイ前国王プーミポン・アドゥンヤデート(一九二七-二〇一六、在位一九四六-二〇一六)。タイ王国では君主制が政治・経済・社会に大きな影響力を持ち、特に前国王の「お言葉」は絶対であった。そうした強大な権威は、一体誰が、どのように創出し、人々に定着していったのか、本書は、彼が国民からの敬愛を集め、絶大な政治的権威を獲得する過程を、行幸の奉迎セレモニーと映画という観点から包括的に分析する」。

 プーミポン国王がもっていた絶大なる権威について、著者は序章「「プーミポン国王」とは何だったのか」で、つぎのように説明している。「憲法において、タイの政治体制は「国王を元首とする民主主義」であると明文化されており、国王の発言は時に超法規的影響力を持っていた。国王の「ご意向」にそぐわない行動を取る政治家は、激しく糾弾され、選挙という正式な手続を踏まない形で退陣させられた。こうした体制は、「プーミポン体制」[略]や「国王が政治の上にいる民主主義」[略]などと呼ばれ、タイの特徴であると言われている」。

 「それだけではない。プーミポン前国王の特筆すべき特色は、その社会的権威の大きさにある。国王の誕生日は「父の日」とも呼ばれ、その日の国王スピーチは国民の生活指針になってきた」。「タイ人の定義のひとつに「国王を敬う人々」」があり、「逆に言えば、国王を敬わない人々はタイ人ではないということである」。

 「しかし、国王は即位当初から、こうした権威を持っていたわけではない」。「国王の権威は、一体いつ、どのように形成されたのだろうか。また、国王の崩御後「魔女狩り」が発生するほどに、王制や国王に対して民衆が大きな関心を寄せるようになったのは、いつからなのか。本書の大きな問いは、ここにある。この問いは、治世が変わって王制に対する人々の考え方も変化しつつあるプーミポン国王亡き後においても、そうした人々の意識変化やタイで起こっている社会対立の理由の根幹を知るために必要なものである」。

 本書は、序章、3部全7章、補論、終章、結びに、などからなる。第一部「「国王神話」の黎明」第一章「プーミポン国王が背負った「使命」」では、「まず、プーミポン国王が即位した時代背景を整理した上で、タイにおける理想的な「国王像」がどのように語られているのかを概観し、そこからプーミポン国王はなぜ地方行幸を重視する必要があったのかをみていく。そして、実際に地方行幸がどれほど重視された公務だったのかについても、一次資料から確認する」。第二章「行幸開始前夜」では、「行幸実施に先立って「陛下の映画」を使ったイメージ戦略が展開していたことを明らかにした上で、なぜ地方行幸の実施が可能になったのかをみていく」。

 第二部「「国王神話」の揺籃」は、「本書の核である」。第三章「プーミポン国王が行く」と第四章「膨らむ国王の存在感」では、「プーミポン国王自身が初めて行った大規模な地方行幸の奉迎風景がどのようなものだったのか、それがいかに演出されたのかをみた上で、そのドタバタの舞台裏についてみていく」。つづく第五章「分身化する映画、奉迎の「完成」」では、「「陛下の映画」が行幸を補完する意味で果たした重要な役割について言及する」。

 第三部「「国王神話」の佳境」では、第六章「生身の国王が行く」において、「爆発的に行幸回数が増加した一九七〇年代について、その内容や家族内分担などについて分析している」。そして第七章「御簾の奥へ」で、「行幸が下火になったあと、国王が御簾の奥から影響力を行使するようになる過程を描き出す」。

 補論「タイにおける映画の歴史」では、「タイの映画について論じている。本書全体のまとめに入る前に目を通してもらえれば、プーミポン国王の「陛下の映画」が制作・上映された時代背景理解の一助となろう」。

 終章「神話「プーミポン国王」の誕生」においては、「これまで論じたプーミポン国王神話の形成過程についてまとめた上で、プーミポン亡き後の現国王ワチラーロンコーン(略)の下で起こっているタイの変化について概観し、結びとする」。

 これまで「プーミポン前国王に関する研究の多くは、国王の政治的権威の盛衰に焦点を当ててきた」が、「この一〇年ほどで議論されるようになってきた新しい観点」は、「本書が分析対象とする社会的権威、つまり民衆の中で王室の存在が重要になった理由と経緯について」である。

 著者は、「これらの研究が見落としている重大な視点がある」と述べ、つぎのように指摘している。「民衆が国王という存在に対し、一体いつから意識を向け始めたのかという点である。また同時に、民衆の関心を国王に向けるため、国王やその周辺の人物らがいかなる試みを行ったのか(または何もしなかったのか)という点についても不明である。言い換えれば、外国育ちでタイの人々には馴染みがなかったであろうプーミポン国王は、マス・メディアが未発達の時代にどのようにして自身の存在を人々に根付かせたのかという問題である」。また、「多くの先行研究では、一九七三年を境にプーミポン国王が政治的ヘゲモニーを握るようになったと指摘して」いるが、「国王と民衆との直接的紐帯の起点がどのようなものであったかが明らかにされていないのである」。

 終章第一節「神話は如何に創出されたか」にたいして、つぎのように答えている。「プーミポン国王は絶大な権威を、その七〇年という長い治世の中でゆっくりと確立した。そしてそれは、戴冠直後から行われた一貫したメディア戦略の賜物であった」。「プーミポン国王はまさに国家を人格化したものであったと言えよう」。「行幸や映画を始めとするイメージ戦略で、人々の心を掴んできたプーミポン国王とタイ王制」である。

 だが、第一節最後で「人間理性が成長してきたタイ社会において、その地位は健全なままでいられるのだろうか」と問いかけ、第二節「「国王神話」の薄暮」をつぎのパラグラフで結んでいる。「今、タイの人々は長い間魅せられてきた「国王神話」の幻影から目覚めつつある。目覚めた人々は、どこに向かうのか。「プーミポン国王」を思いうかべる時、人々は「古き良き」時代の象徴として彼を思うのか、それとも現在起こっている政治的問題の「根源」として思うのか。そして王室は、再び、そして新たに夢を見せることができるのか。タイは今、まさに大きな転換期に立っている」。

 そして、「結びに」で、「本書が残した課題」について、「まず、冷戦期アメリカによる、国王のメディア戦略への介入という点について、十分に分析できなかった」と述べている。また、本書を執筆する過程で、「プーミポン国王が持つ王室内ネットワークに関する疑問」が新たに生まれた。さらに、「本書中にも登場する、ピン・マーラークンや各親王の動向、また、プーミポン国王が即位した当初最も力をもったランパイパニー妃(ラーマ七世の妻)の人脈などがプーミポン国王の権威形成に与えた影響はどのようなものだったのだろうか。今後は、これらの点についても分析を進めていきたい」としている。

 ひとつの疑問から出発し、ある程度疑問は解けたが、新たにつぎつぎと疑問が沸いてきたというのは、研究が成功した証拠である。今後が楽しみである。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

瀬田真『海洋法』弘文堂、2025年2月25日、295頁、3200円+税、ISBN978-4-335-36015-2

 表紙に、荒波にもまれる舟に身を低くしてへばりつく人びとを、遠くから富士山が見守る様子が描かれている。ご存じの葛飾北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」である。富士山を国家の象徴ととらえるならば、海は国家が管理するもののようにみえる。本書で扱う海洋法は、「国際法の一分野であるため、海洋法の法源は国際法と同様、主として慣習国際法(慣習法、customary international law)および条約(treaty)」となり、国家が主体となる。

 だが、海域を生活の場とする海洋民からみると、陸域定着農耕民が主体的につくった近代国民国家は海への権利を拡大し、国際法に則って分けあい、海洋民の生活を圧迫してきたようにみえる。海洋民は、遊牧民同様、ヒトが移動しモノを動かして富を得ていたが、流通網の発達や国際法の規制によって行動範囲が縮小し、貧困化した。海賊やテロの遠因とされる。

 南シナ海をめぐる問題で、仲裁裁判所は、人間が居住し独自の経済活動を維持できるところはどこにもないとしたが、海洋民は浅瀬に居住してきた歴史があり、現にフィリピン南部のシタンカイ島には数万人が海上集落を形成し、国境を越えてマレーシア人、インドネシア人が行き交い「国際結婚」も頻繁におこなわれ、物資も行き交っている。生活圏としての海があるが、慣習として認められているのは、インドネシアのラマレラ村の生活捕鯨くらいである。そんな海洋民も、いまは国籍をもち、国際法に照らした国内法の適用をうける(処罰の対象となる)。海洋民にとって国際間で決められた海洋法は無視できないものであり、海洋民を対象とする研究者にとっても無関心ではいられない。

 本書は「海にかかわる国際法=「海洋法」の新たなスタンダード」になると、帯に大きく書かれている。小さい字では、つぎのように書かれている。「船舶運航、海洋環境保全、漁業、資源開発、海底ケーブル、科学的調査、安全保障-。四方を海に囲まれた日本にとって死活的に重要な海洋法。平易な説明に加え、充実した相互参照や図表・写真の多用で、海洋法の世界をわかりやすく掴める、海にかかわるすべての人にとって必携の新定番テキスト」。

 著者は、「はしがき」で、「海洋法の魅力」について、2つ説明している。「1つは、国家を中心とする様々なアクターの思惑により大きく動く国際社会において、法たる性格を有する国際法がどのように発展し、機能しているか(あるいは発展できなかったり、機能しなかったりするか)、その動態的な性格の面白さである」。「もう1つは、上述の性格もあり、学問としての海洋法は、実務との関係が非常に近い、という点である」。「国際法学者が各国政府や国際機関と協働し、実務家としての役割をも果たしていることに、魅力を感じた」。「海洋法も例外ではなく、とりわけ、情報量が多く動態的なこの分野は、専門家が社会に直接貢献できる機会が少なくない」。

 本書は、14-15コマで単位となる大学でテキストとして使うことを想定して13章からなり、「読みやすく、伝わりやすくするために、以下の5つの工夫を設けている。①パラグラフ番号を用いての相互参照、②条約・判例・略語などの個別整理、③勉強を深めることができるように関連書籍を主要参考文献として章ごとにリスト化、④判例へのアクセスを容易にするためにQRコードを掲載、⑤図や表を多用、である」。このほかにも、巻末に年代順の「条約・文書一覧」があり、「事項索引」は日本語と英文で英文には日本語訳が付してある。さらに裁判所別・年代順の「判例索引」がある。本文では、随所に「判例事例研究」があり、具体的に理解できる。

 最終章の第13章「海洋法による法の支配:紛争解決制度を中心に」では、「第1節 国際法における紛争解決制度とその限界」で「限界」について語っている。国益が複雑に絡み、罰則をともなわない国際法だけに、いくら法を整備しても、その実効性には疑問が残る。たとえば、近代漁業は、漁業者の教育・訓練、造船などにも多額の国家予算が注ぎ込まれ、最後は軍隊まで出てきて「保護」する、自律した産業ではない。本書でも紹介されている奴隷的労働などの違法操業による漁獲物でも洋上で積みかえるなどして「合法」的に日本にも入ってきて、食卓にのぼっている。

 「慣習国際法と条約」だけではなく、国際社会を超えたグローバル社会のなかのヒトに重点をおいた海洋法を考えると、もっともっとおもしろくなり、社会に貢献できるようになるのではないだろうか。「違法」を取り締まるだけでは、解決にならない。海洋民からみた「慣習法」にも注意を向ける必要があろう。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)電子版の発行は中止。
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早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
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早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

山口淳『軍都久留米近代都市への転換と地域の人々』花乱社、2024311日、306頁、2500+税、ISBN978-4-910038-88-9

 

 久留米市立中央図書館で見つけ、市内の書店で探したがなかった。地方に行くと地元の書店で店員に地元の書籍コーナーはないか尋ねる。ないところもあり、あっても観光ガイド本しかないところが多い。そんななかで地元で出版された本があると、その街の文化が伝わってくる。本書は、福岡市で発行されており、博多駅前の本屋にはあった。その前に、「日本の古本屋」で、早稲田の古書店にあることがわかり、「帰宅途中に受けとります」とメッセージを入れておいた。定価よりだいぶ安く購入することができた。

 本書は、久留米に生まれ育ち、久留米市の埋蔵文化財発掘調査員を定年近くまで勤め、その後6年間市立図書館に勤めた著者が、元職場の人びとの協力を得て書いたもので、久留米が文化都市でもあることがわかる。

 本書の概要は、表紙見返しに、つぎのようにまとめられている。「日清・日露戦争後の師団・聯隊増設の国策に伴い、軍隊を誘致した久留米。広大な土地の献納と多額の寄附金をもっての、官民挙げての活動の成果であった」。「建設工事や各種手配などで国・軍部の意向に時に翻弄されながらも、街は道路や通信などインフラが急速に整備され、活況を呈してゆく。そして物価高騰や地域・業種間など様々な格差、農地減少と離農、水源枯渇など〝負〟の代償も」。「藩政末期から戦後の軍部解体期まで、資料で辿る国内有数の軍都の姿」。

 本書の目的は、「はじめに」でつぎの3つであったことが書かれている。まず「全国に展開した陸海軍と地域との課題を論究していこうとする」もので、「久留米という地域が、どのように「軍都」に成っていったのか、どのように変貌したのか、ここで、今一度、軍部としての発展の具体的な姿を都市形成の観点も含めて見つめ直そうとするものである。次に、久留米の人々は、どのように軍・兵隊たちと接してきたのかを論じていく。三つ目に、ややもすると、「軍都」に成ったことによって、その都市は発展した、との考えを見つめ直すこととする。軍からの利益を享受し、発展したことに相違はない。しかし、確かにそうではあるものの、「陰」となった点も多く存在する。軍都として発展したということのみに気をとられてはなるまい。兵営の「表」になれば新たな町が形成もされた。だが、「裏」になればそうはならない。兵営、あるいは演習場が設置されることは、土地を奪われることでもある。このような「陰」をも含めて、「軍都久留米」を見つめ直していく」。

 本書は、はじめに、全9章、終章などからなる。前半の5章(「軍都の舞台・久留米」「軍隊の誘致」「軍は地域に何を求めたか」「兵営の建設」「かくして軍都となった」)は時系列に軍都となる過程を追い、後半の4章(「久留米への選地理由」「軍は何をもたらしたか 久留米市の発展」「地域の人々と軍隊」「発展の陰で」)で故郷久留米を見つめ直している。そして、終章「「軍都久留米」の終焉」で、戦後の久留米を辿る。

 終章「3 その後の久留米」で、つぎのように総括している。「明治維新を迎えるまでの久留米は「城下町」と称される。明治三十年からは「軍都」と称された。それ以降、『久留米市史』を始め、その時の久留米市に関して定型的に形容する呼称は見かけない。しかし、「ゴム三社」という言葉に代表されるように、久留米を代表する産業は、このゴム産業である。戦時中、久留米のゴム産業は軍需産業に指定されることによって、生き残った。それ以上に戦争による需要によって拡大した。そして、戦後、民需への転換を果たした。高度成長期の頃まで、国鉄久留米駅の通勤風景は、駅を出た集団が大きく右と左に分かれたと聞く。駅を背にして左がブリヂストンとアサヒ、右が月星である。この時期、「ゴムの町」と一定は形容されていた。軍隊無き後、久留米に育ったゴム産業が、確かに久留米のその後を牽引したのである」。

 著者は、「はじめに」の最後に、「本書は、軍都について幾つもに分散して書かれていたものを、一つにまとめたもの程度であるかもしれない。ただ、それはそれで、便利な本となっていればよい」と述べている。「便利な本になっている」ことはたしかで、著者はそれに自信をもっているから、「おわりに」でも繰り返し書いている。

 そして、つづけてつぎのように心配している。「本文中に多くの資料を引用した。このことが読みづらさとなったのではないかとも思うが、できるだけ「生」の資料を提示して、後の考究の一助になればと願ったからである。意のあるところをお汲みいただければ幸いである」。歴史研究者にとっては信頼の証であるが、一般読者には「邪魔」だっただろう。一般読者は、引用文を飛ばして読めばいい。そのためにも、著者は引用の前後にかいつまんで内容を紹介する必要がある。

 副題に「地域の人々」とある。ひとが見えるものはいい!

 

 

評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書

早瀬晋三『すれ違う歴史認識戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800+税、ISBN978-4-409-51091-9

早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズムSEAP GAMESSEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000+税、ISBN978-4-8396-0322-9

早瀬晋三『グローバル化する靖国問題東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200+税、ISBN978-4-00-029213-9

 

早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、20252月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、20243月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909

早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、20233月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)電子版の発行は中止。

早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、20214月~231月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、202312月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』191544年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、20181月)全2巻。

早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、201819年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(194245年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

 

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(202410月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja

早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(20243月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja

早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(20247月)pp. 43-46.

早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交1920世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.220248月)pp.160-64.

林初梅、所澤潤、石井清輝編著『二つの時代を生きた台湾-言語・文化の相克と日本の残照』三元社、2021年12月25日、279頁、3800円+税、ISBN978-4-88303-541-0

 3人の編著者のひとり、石井清輝は序論となる「本書を読むために」の「多元社会台湾の歴史的積層」冒頭で、本書の目的をつぎのように述べている。「本書は、日本統治時代と一九七〇年代後半の民主化以前の国民党政権時代を主な対象とし、この「二つの時代」を経験した「台湾人」が、どのような社会で、どのように生きてきたのか、を明らかにすることを中心的な課題としている。そしてこの問いには、先行した日本時代に形成された「日本的なるもの」(ここには当然それ以前の清の時代に形成された「清的なるもの」が存在していた)と、国民党政権が持ち込んだ「中華民国的なるもの」がどのような関係を取り結んでいったのか、という問いが潜在的にはらまれることになる」。

 もうひとりの編著者の所澤潤は「本書を読むために」の「台湾の中の日本語世界」で、「本書の論文の多くの部分は、台湾がまだ日本語のよく通じる世界であった時に起こっていたことを探求したものである」とし、「本書を読むにあたっては、台湾で日本語が排除されたときのことも知っておいていただきたいと思う」と述べ、つづけてつぎのように説明している。「一九四五年一〇月二五日の台湾接収の後、わずか一年後の一九四六年一〇月二五日、新聞雑誌の日文欄(日本語欄)が廃止された。台湾省公署の決定が断行され、台湾のほとんどの出版物から日本語が姿を消したのである。その前後の状況は、日本語と中国語ほぼ半々で誌面を構成していた雑誌『新新』(新新月報社発行)から知ることができる。そしてそのことがどのぐらい台湾人の思考を抑圧したかが想像できるだろう」。

 本書は、「本書を読むために」2篇、4部全8章、あとがきなどからなる。各部、2章からなる。第Ⅰ部「経済統制下の台湾」第1章「戦時体制下台湾の「デパート」-全体主義と個人の軋轢」の李衣雲は、「台湾の戦前・戦後のデパートの盛衰に注目し、「消費」と節約の消長という角度から大衆生活を検討している」。第2章「戦後台湾女性のよそおい文化-社会現象としての日本嗜好」の王耀徳・林容慧は「引き続いた経済統制の中でも、人々の「消費」行動が完全に断たれていたわけでは」なく、「その実態を女性のよそおい文化に焦点を当てて明らかにしている」。

 第Ⅱ部「高等教育制度の転換をめぐって」第3章「台北高等学校の戦後-日本が過去になった時に起こったこと」の所澤潤は、「台北高等学校の後身である台北高級中学校の誕生から廃校までの過程を、委託生との出会い、高級中学への改組、台湾大学進学問題、学校行事、進路指導などの項目を中心に、当事者たちの視点から描き出している」。第4章「台北帝国大学の接収と延平学院の設立-省籍問題を伴う台湾本省人の対日感情の変化」の林初梅は、「台北帝国大学の台湾大学への接収過程と私立延平学院の成立過程を、台湾本省人と外省人のそれぞれの立場から検討している」。

 第Ⅲ部「文筆家・作家としての人生を読む」第5章「黄得時による日本文化ならびに日本語に対する戦後の態度」のThilo Diefenbach(蒋永学)は、「文筆家黃得時の戦前、戦後の著作を通して、日本文化が彼にとってどのような意義を有していたのかを明らかにしている」。第6章「植民地の記憶-鐘理和「原郷人」の広がり」の今泉秀人は、「作家鐘理和の自伝的小説『原郷人』を中心に据え、台湾文学における創作言語の問題と「植民地の記憶」を紐解いていく」。

 第Ⅳ部「日本社会における台湾の位相」第7章「華僑から「台湾人」へ-一九六〇-七〇年代在日台湾人の歴史的自己省察の試み」の岡野翔太(葉翔太)は、「在日台湾人の戦後史を主題とし、石蔵江(一九一七-一九七七?)を対象として、彼が自らを「華僑」から「台湾人」へと再定位していく過程を跡づけている」。第8章「植民地同窓会における戦後日本の台湾記憶-台北市・樺山小学校の事例から」の石井清輝は、「戦前に台湾で生まれ育った日本人(=湾生)が多く通った小学校の同窓会活動を対象に、そこで台湾がどのように想起されてきたのか、またそこに台湾人同窓生がどのように関与してきたのかを探求している」。

 そして、「以上の各章の議論を通して」、つぎのように総括している。「日本統治時代から国民党政権時代へという「二つの時代」の転換の具体的な様相が、そして先行する日本時代の残照の中で戦後を生きた台湾人の姿が浮かび上がってくるはずである。それと同時に、そこで形成された「二つの時代」の関係性が、現在の社会に伏在していることにも気付かされるのではないかと思う。ただし、本書で取り上げられる領域、テーマは幅広く、本序論での紹介の枠内にとどまるものではない。読者のそれぞれの関心から個別の対象、テーマについて新たな知見を得ることが出来るものと確信している」。

 「最後に、本書では取り上げることができなかった課題について確認」し、つぎのように述べている。「まず、本書で議論の中心となっている台湾人は中・上流層を主要な対象としているが、彼ら/彼女らによって台湾社会を代表させることは出来ないだろう。本書とは異なった社会層によって担われた台湾が存在していた可能性については、十分に注意しておく必要がある」。

 「また本書では、一九七〇年代後半から始まる民主化の過程が台湾社会にもたらした影響はほとんど議論されていない。これは本書の中心的なテーマがそれ以前の社会に置かれているためやむを得ない側面もあるが、民主化の過程には、台湾人が日本の植民地統治、戦後の過程までを主体的に捉え返す契機が多分に含まれていた。本書の問いを民主化期まで含めて敷衍していくことが求められよう」。

 筆頭編著者の林初梅は、「あとがき」で本書のような議論ができるようになった背景を、つぎのように説明している。「周知の通り、台湾の戦後には、二二八事件と白色テロが発生したという暗黒の時期があった」。「終戦から一九九〇年頃まで、彼らの青春時代、すなわち日本時代は否定的に捉えられていた。また日本的慣習行動も奴隷化されたというレッテルを貼られ、戦後世代との溝が深かった」。「ようやく転機が訪れたのは九〇年代以降である。民主化社会の台湾では新たな歴史研究が始まり、「日本統治による近代化」の提起及び日本語世代の人たちの歴史が注目されるようになった。その影響は学問の分野のみならず、映画制作、書籍出版の分野にまで及んでいる。ただし「日本統治による近代化」の提起と日本語世代の日本的慣習行動などをどのように評価するのかは、常に議論の的になった。すでに先行研究によって指摘されているが、こうした「日本」の内部化の背後には、半世紀もの間、国民党政府の圧政下に沈黙を余儀なくされた戦前世代の台湾人の、声をあげたいという思いがある」。

 日本人として理解しておかなければならないことは、台湾の人びとの日本にたいする好意的なものは、戦前・戦後の日本人のよるものではなく、台湾の人びとの努力の結果であるということだ。本書でも、随所に湾生ら日本人が台湾の人びとに甘えていることが明らかにされている。その奥にある台湾の人びとの微妙な感情を知ることが、さらなる日本と台湾のひととひととの交流の発展に繋がる。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

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