早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2025年10月

林英一『南方抑留-日本軍兵士、もう一つの悲劇』新潮選書、2025年7月15日、236頁、1650円+税、ISBN978-4-10-603933-1

  「「シベリアもの」は二〇〇〇点以上あるとされ、その書誌情報はほぼ把握されているのに対して、「南方もの」は筆者が現物確認できているものは一〇〇点にも満たず、文献目録もない」。本書は、「シベリア抑留の陰で繰り広げられていた「もう一つの悲劇」」である「南方各地で抑留された日本軍兵士の歴史を個人の経験から問い直すことを目的としている」。

 「敗戦の屈辱に耐えながら炎天下で過酷な労働を強いられた彼らは、飢えと望郷の日々のなかでいかなる自己変容を遂げたのか」。著者は、「この問いを明らかにするために、本書では連合軍の没収を免れた貴重な日本軍人軍属ら一三名の日記類を読み解いていく。そうした体験記は客観性や大局観に欠けるという指摘もあるが、一方で個人の内面の変化を垣間見ることのできる自己語り史料である。しかも複数の史料を読み比べれば、軍隊が解体する過程で新たな自己が生まれた理由も知れる。本書ではすでに公刊、公開されている史料だけでなく、筆者が新たに発掘した未公開の一次史料も用いて叙述する」。

 本書は、まえがき、全5章、終章、あとがきからなる。各章の概要は、「まえがき」の最後で、つぎのようにまとめられている。第一章「タンジュン・プリオク港-インドネシア・ジャワ島」では、「インドネシアのジャワ島で最悪といわれたタンジュン・プリオク港の作業隊にいた陸軍主計中尉の自己語りに着目する。そこには作業を監督するイギリス人将校とインド兵、オランダ人船員との交流のなかで、不愉快な扱いや何気ない言動に対して敗者の屈辱を味わったことや、思わぬ好意に心を慰められた経験が描かれている」。

 第二章「レンパン島-シンガポール沖・リアウ諸島」では、「シンガポールで敗戦を迎え、無人島のレンパン島に送られた陸軍軍属二人と陸軍伍長の自己語りに着目する。そこには入島してほどなく栄養失調で青膨れし、日本軍とイギリス軍の補給を命綱としながら、日本軍上層部の指導で農耕をすることになった彼らの葛藤が記されている」。レンパン島は、シンガポール沖でインドネシアに属する。

 第三章「コカイン収容所-ビルマ・ラングーン」では、「ビルマ南部の収容所で抑留された陸軍中尉二人と陸軍軍曹の自己語りに着目する。帝国大学で哲学を学んだ陸軍中尉が周囲と群れずに自己の内面と向き合っていたのに対して、もう一人の陸軍中尉と陸軍軍曹はきつい石切作業に従事し、演劇で心を和ませていたことが述べられている」。

 第四章「カンルバン収容所-フィリピン・ルソン島」では、「ルソン島マニラ郊外のカンルバン収容所などに抑留された陸軍軍属ら三人の自己語りに着目する。日本軍組織を解体したアメリカ軍は、抑留者を将校と下士官・兵に分けて管理した。将校側に入れられた軍属も、下士官・兵側に入れられた軍属も、いずれも暴力によって収容所内の権力を握った実力者の支配を経験していたことが言及されている」。

 第五章「ラバウル戦犯収容所-南太平洋・ニューブリテン島」では、「ニューギニア・ニューブリテン島北方の要であるラバウルで抑留された陸軍中佐、陸軍主計中尉、陸軍軍医大尉の三人の自己語りに着目する。このうち、中佐は第八方面軍司令官の今村均陸軍大将を弁護するために残留したのに対して、軍医大尉は日本軍上層部に批判的だったことが明かされている」。

 終章「歴史対話」 では、「抑留を「する側」にも様々な事情や困難があったことを知り」、「戦後四〇年以上を経て対話」した例が紹介されている。そして、つぎのように結論している。「南方抑留は、国家間だけでなく個人の内面にも禍根を残したが、このように市民レベルでそれを乗り越えようとの努力もなされていた」。

 本書は5章にわたって、「ジャワ、シンガポール、ビルマ、フィリピン、ラバウルで抑留された日本軍人軍属の自己語り史料を用いて、南方抑留を個人の経験から問い直し、歴史と対話する試み」を綴った。そして、終章で抑留を「する側」の視点から「歴史対話」をしたことで、一方的な「された側」の「悲劇」だけでなく、戦争そのものがもつ「悲劇」を語ることができた。だが、日本軍兵士が抑留されたところには、「された側」と「する側」だけではない人びとがいた。「された側」の目にも「する側」の目にも、その存在が見えていなかったことが、本書からも明らかになった。

 日本兵のなかに朝鮮人や台湾人がいて、敗戦後分離されたことは容易に想像できるだろうが、日本軍占領後9万余が自給自足していたというラバウルには「一般外人勤務部隊」があった。中隊に「「ネシア」印度」人609人、「印度」人2854人のほか、「印度労務隊」に2609人、「馬来労務隊」に688人、「支那労務隊」に1397人、合計8155人がいて、計375人が死亡し、「支那」人13人が逃亡していた。これらの労働者が、どのような経緯で来たのか、なにをしていて日本兵との関係はどうだったのか、敗戦後どうなったのか等々、本書ではその存在さえ書かれていないので、まったくわからない。また、ラバウル周辺に約3万の住民が居住していた。本書の目的は、「知られざる実態を解明する」ことにあるが、知られていないことはまだまだある。わかったことから書いていった近代とは違い、知らない・わからないことに気づき、書けないことも含め全体史のなかで語ることが、今日重要になっている。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるfile:///C:/Users/shaya/Downloads/KenkyuShiryoSeries_10_02.pdf)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/records/78131)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

早瀬晋三最終セメスター「単著単行本を振り返る」
 早稲田大学早稲田キャンパス19号館608号室、17:00~
10月14日『「ベンゲット移民」の虚像と実像-近代日本・東南アジア関係史の一考察』(同文舘,1989年11月)292頁。
10月21日『海域イスラーム社会の歴史:ミンダナオ・エスノヒストリー』(岩波書店,2003年8月)265頁。
10月28日『歴史研究と地域研究のはざまで-フィリピン史で論文を書くとき』(法政大学出版局,2004年12月)188頁。
11月4日『戦争の記憶を歩く-東南アジアのいま』(岩波書店、2007年3月)216頁。
11月11日『歴史空間としての海域を歩く』(法政大学出版局、2008年10月)268頁。
11月18日『未来と対話する歴史』(法政大学出版局、2008年10月)290頁。
11月25日『未完のフィリピン革命と植民地化』(山川出版社、2009年2月)90頁。
12月9日『マンダラ国家から国民国家へ-東南アジア史のなかの第一次世界大戦』(人文書院、2012年6月)170頁。
12月16日『フィリピン近現代史のなかの日本人-植民地社会の形成と移民・商品』(東京大学出版会、2012年10月)282+26頁。
1月13日『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』(岩波現代全書、2018年3月)224+22頁。
1月20日『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES・SEA GAMES 1959-2019』(めこん、2020年7月)383頁。
1月27日『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』(人文書院、2022年1月)412頁。

和田敦彦『戦下の読書-統制と抵抗のはざまで』講談社選書メチエ、2025年7月8日、253頁、1900円+税、ISBN978-4-06-540336-5

 本書では、「統制の幻像を超えて」、「戦時下の「読書調査」から」「人々の読書と生のリアル」を掘り起こす。戦時下といっても、考察の対象としたのは1904年から44年までで、本書のタイトルは「戦時下」ではなく「戦下」である。

 「なぜ読書調査か」、著者は「はじめに 思想統制という幻像」で、つぎのように説明している。「当時の出版物を、そのまま当時の読書の実態と見なす、あるいは出版物の統制を、そのまま読者の統制と見なすことはできない。それは統制の幻像に過ぎない」。「むろん統制自体はあったのだが、それは単に出版物だけで見えてくるものではなく、読者との関わりの中で問われなくてはならないのだ。出版物が出ただけでは、それがどう読まれ、またどう人々を変えていったかは分かりはしない。読者の側で何が起こったのかに目をこらすのはそれゆえであり、本書が読者の側の資料に目を向けるのはそれゆえである。これまでの読者調査をもとにあらためてその時代を見直しながら、出版する側のみならず読者側の多様な手がかりを掘り起こしていけば、今までとは違った光景がそこに立ち上がってくるに違いない」。

 だが、これまで「戦前、戦中の読書調査を体系的にまとめた研究はほとんどなされていない」。その理由を、つぎのようにまとめている。「読書調査は多様な領域で時には参照されたり、引用されたりもするのだが、全体として非常に扱いづらく、かつ、まとまってもいないのである。戦前の読書調査は、目的や方法、規模がばらばらで、そのほとんどが単発的な調査である。規模や方法もまちまちな読書調査を単純に比較したり、くっつけたりするのは無理があるし、かといって規模の大きな一つの調査のみで、その時代の読者がすべてそうであったと見なすこともできまい。それでは様々な階層や地域、場であったであろう読書の実態は見えなくなり、特定の書物や思想が、あたかも日本中の読者を操作、統制していたかのような単純な像に陥ってしまう」。本書を一読した後でこの部分を読むと、著者の言わんとせんことがよくわかる。

 著者は、つぎのようにつづけている。「本書では、ある読書調査をそのままその時代の読者全体に広げるのではなく、できるだけ多くの読書調査を集め、それらを通してこの時期の読書をとらえたい。読書調査を、その時代を鳥瞰する唯一のまなざしとしてではなく、いわば異なる様々な場所、高さ、角度からの眺望として用いていくことを試みたい。それはまた、多様な場、人々に読まれながらも、今日忘れられた,あるいは顧みられなくなった数多くの書物を見出していくことにもなるだろう」。

 本書は、はじめに、序章、全4章、終章、おわりに、などからなる。「はじめに」の最後に「本書の構成」があり、序章から終章まで、つぎのように説明している。「序章[読書は国家のために?-読書調査と思想統制]ではまず、こうしたアプローチの鍵ともなる読書調査について、それがいつ頃からどのように広がり、またどういった役割を担っていったのかを描き出していく。読書調査という資料の特性は、児童や勤労青年、あるいは中学生、大学生といったそれぞれの層の読者を浮かび上がらせてくれるところにある。本書の構成はこうした特性を生かして、その後の各章で戦時下のそれぞれの読者層に踏み込んでとらえていきたい」。

 「第一章[子供は見てはいけない-「悪書」の誕生]では児童の読者へと目を向ける。児童は読書調査が早くは明治期から関心を向けていた読者でもある」。「おそらく読書と言えば児童とともに、旧制中学校や大学生の知識人読者層が想起されようが、実際に戦前の読者層の大きな部分を構成していたのは小学校と高等教育との間の層、つまり小学校を終えて進学せずに働く、あるいは働きながら学ぶ膨大な青年男女の層である」。

 「第二章[勤労青年は何を求めたか-娯楽と修養のはざまで]、第三章[銃後女性の読書とその動員-忘れられた小説と忘れてはならない小説]は主に彼/彼女らの読書を掘り起こしていく。書く側の歴史で言えば高等教育を受けた人々、あるいは男性が戦前の主役になろうが、読む側の歴史で圧倒的な部分を占めてその主役となるのはこの勤労青年層や女性読者たちである。実際に読者調査でも大きな部分を占めているのが、この層なのである」。

 「児童や、勤労青年層と比べれば、戦前の高等学校、大学生はごく限られた読者にすぎない。しかし、多くの書き手が生まれ、教育、指導者層が作られていく点でも、重要な読者層である。第四章[ファシズムとエリート学生との回路-愛と認識との行方]ではその読書に分け入っていくことで、戦時下における読書の統制とそれに抗い、あるいは馴致されていくその様相をとらえていくこととしたい」。

 「いずれの章でも、読書調査を重要な手がかりとしてはいるが、それだけで読書の歴史が浮かび上がってくるわけではない。読者の歴史をうかがううえで役立つ資料は各種各様で、本書でも様々な手がかりとあわせて読者をとらえている。終章[読書を掘り起こす-「見えない」読者を追って]では、読者の歴史をとらえていく方法や資料について整理し、読書調査との関係を含めてまとめておくこととした」。

 そして、終章の最後の見出し「なぜ読書を問うのか」で、つぎのようにまとめている。「読者を通したアプローチは、思想統制への新たな視界を開いてゆく可能性をもっている。内務省や文部省、さらには軍部による上からの命令や統制として戦争を語ることはむろん重要だが、それは一部指導者にのみ戦争責任を負わせてしまうことでもある。国民一人一人が戦争の中で担っていた役割から目をそらし、忘却することにもなりかねない。なるほど戦時下に出版された書籍や雑誌からは、天皇の神性や、戦争と自民族の価値を声高に主張する書き手たちの言葉をいくらでも見出すことができよう」。

 「しかし、繰り返しになるが、出版物はそのまま読者に読まれたことを意味するものではない。また読者がそうした思想や教義をそのまま信じるわけでも、また内面に転写するわけでもない。戦時下の読書を掘り起こしていくことは、読者の中で、それぞれの地域や階層の中で、何が起こっていたのかを解明することなのだ。戦時下の思想や指導、統制に読者がどう抗い、あるいはそれらを逆に信奉、協力し、それに殉じるための工夫を生み出していたのか。そのあり様を見直し、掘り下げていくうえで、読書への問いは不可欠のアプローチとなろう」。

 さらに「おわりに 読書傾向調査の系譜」で、今後の課題を述べている。「方法や規模は統一されておらず、データの扱いや信頼性がかなり危ういものも数多い」「色々な難点を抱えた資料」は、悉皆調査のうえで議論していくしかなく、「読書傾向調査一覧」を11頁にわたって掲げている。この5年間に、著者は関連する3冊の本(『読書の歴史を問う-書物と読者の近代 改訂増補版』『「大東亜」の読書編成-思想戦と日本語書物の流通』『読書調査の歴史と資料-戦前・戦中』)を出している。「戦前戦中のこれら読書傾向調査をすべて集め、それらを批判的に検討するということがこれまで一度もなされてこなかった」ことには理由がある。この不確かな資料を扱えるだけの研究者がいなかったからである。しかし「色々な難点を抱えた資料」だからこそ、研究者の腕の振るいどころである。著者の挑戦に拍手を送りたい。

 ところで、冒頭で「本書のタイトルは「戦時下」ではなく「戦下」である」と書いたが、本書で出てくるのは「戦時下」「戦時中」「戦時期」「戦前」「戦中」であって、目次にも「戦下」ということばはなく、裏表紙の概略のなかに出てくるくらいである。「戦下」とは、どういう意味で使ったのか、説明してほしかった。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/records/78131)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

早瀬晋三最終セメスター「単著単行本を振り返る」
 早稲田大学早稲田キャンパス19号館608号室、17:00~
10月14日『「ベンゲット移民」の虚像と実像-近代日本・東南アジア関係史の一考察』(同文舘,1989年11月)292頁。
10月21日『海域イスラーム社会の歴史:ミンダナオ・エスノヒストリー』(岩波書店,2003年8月)265頁。
10月28日『歴史研究と地域研究のはざまで-フィリピン史で論文を書くとき』(法政大学出版局,2004年12月)188頁。
11月4日『戦争の記憶を歩く-東南アジアのいま』(岩波書店、2007年3月)216頁。
11月11日『歴史空間としての海域を歩く』(法政大学出版局、2008年10月)268頁。
11月18日『未来と対話する歴史』(法政大学出版局、2008年10月)290頁。
11月25日『未完のフィリピン革命と植民地化』(山川出版社、2009年2月)90頁。
12月9日『マンダラ国家から国民国家へ-東南アジア史のなかの第一次世界大戦』(人文書院、2012年6月)170頁。
12月16日『フィリピン近現代史のなかの日本人-植民地社会の形成と移民・商品』(東京大学出版会、2012年10月)282+26頁。
1月13日『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』(岩波現代全書、2018年3月)224+22頁。
1月20日『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES・SEA GAMES 1959-2019』(めこん、2020年7月)383頁。
1月27日『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』(人文書院、2022年1月)412頁。

八代拓『蘭印の戦後と日本の経済進出-岸・池田政権下の日本企業』晃洋書房、2020年2月29日、224頁、3300円+税、ISBN978-4-7710-3320-7

 本書は、博士論文が基になっているため、序章「バタヴィアとジャカルタの狭間」で研究目的、研究動向、構成と概略を述べ、各章ごとに「はじめに」と「おわりに」で問題の設定とまとめ、終章「経済外交の構図と実態」で全体のまとめと課題を述べており、ひじょうにわかりやすい。

 序章で、「本書では戦後の国交正常化の時期を主たる分析対象としつつ、19世紀末から1960年代後半に至る長期的視野に立ち、日尼政治経済関係」を、つぎの3つの視点から分析していると述べている。

 「第一には、「インドネシアの脱植民地化と日本の経済進出」という視点に基づき、日尼二国間での経済関係構築過程を分析する」。「第二には、「東南アジア冷戦と日本の経済進出」という視点を導入し、戦後日本の対インドネシア経済進出を取り巻いた国際環境要因を分析する」。「第三には、「産官軍の連携とその継承」という視点を導入し、日本企業と日本政府の戦前戦後を通じた連携の様相を分析する」。

 序章の最後「3 本書の構成」で、各章ごとにつぎのようにまとめている。第1章「脱植民地化の胎動と近代日本」では、「19世紀末から軍政期までの日本による蘭印への経済進出を産業界、日本政府、軍政監部の連携の観点から論じる。具体的には、戦後に経済協力として復権するスマトラ島の石油開発、スラウェシ島のニッケル開発、ボルネオ島の森林開発の戦前期における取り組みを分析する」。

 第2章「インドネシアにおける「冷戦」と「経済」」では、「冷戦の論理と経済の論理が交錯する中での日尼国交正常化を論じる。具体的には、インドネシアの経済停滞と英米蘭の対応を述べるとともに、戦後日本が産・官連携の下で賠償交渉とプラント輸出に着手した過程を分析する」。

 第3章「「経営の真空」と日尼国交正常化」では、「インドネシアで経済的ナショナリズムが勃興し、対蘭国交断絶と外国資本排斥が進んだ1957年~1960年を対象に、「経営の真空」によって日本の資本がインドネシアに引き寄せられていく過程を論じる」。

 第4章「経済協力と産官軍の遺産」では、「戦後日本の対インドネシア経済協力案件である北スマトラの石油開発、スラウェシのニッケル開発、カリマンタンの森林開発の事例を比較分析する。その際、戦前戦後の継続性と軍政期人脈、インドネシアがこれら経済協力を受容した背景、米国の冷戦戦略との関係、日本における産官の連携の様相といった観点から分析を行う」。

 第5章「日尼関係の深化と政権移行」では、「スカルノによる「指導される民主主義」期を中心に、池田政権がインドネシアの経済領域のみならず政治領域にも積極関与し、西側諸国も日本への期待を高める過程を論じる。具体的には、イギリスの撤退や、米国のスカルノに対する寛容姿勢の撤回が進む中、池田政権がマレーシア紛争の仲裁を積極化する過程やその背景を明らかにする」。

 終章「経済外交の構図と実態」においては、「戦後日本のインドネシアへの経済進出の歴史的意義について、脱植民地化、冷戦、産官の連携と軍政期人脈という観点から総括」し、つぎの5つの試論を試みている。「第一に、アジア諸国における脱植民地化が戦後日本の経済進出の契機となった可能性である」。「第二に、図らずも日本企業が米国の冷戦遂行を担う主体となった可能性である」。「第三に、日本の産官の「阿吽の呼吸」とでも言うべき連携が日本企業の海外進出を進めたという可能性である」。「第四に、上記の産官の連携に軍政期人脈が埋め込まれていた可能性である」。「第五に、インドネシアへの経済進出が、戦後日本が経済大国としてアジア国際社会と関係を樹立するモデルケースとなった可能性である」。

 そして、「本研究の成果は、インドネシアへの日本企業の進出過程のみならず、戦後日本のアジアとの経済関係に議論の射程を広げる可能性を有するものである。今後、実態解明と比較研究を踏まえ、その現代的意義についてさらなる研究と吟味が求められる」と述べた後、つぎのように課題を3パラグラフにわたって挙げて本書を閉じている。

 「本研究にも制約や残された課題は存在する。例えば、戦後日本の資本を受容したインドネシアの事情である。本書では、脱植民地化に伴う「経営の真空」や軍政期人脈の存在を挙げたが、ほかにもスカルノという極めて個性的な政治指導者の存在や、開発独裁といった政治形態も要因として考えられる。これら複数の要因の軽重を分析することで、インドネシアをはじめ諸外国に戦後日本が経済進出を果たしていく過程が明らかになると思われる」。

 「また、インドネシアの政権横断的な比較に基づく分析も必要であろう。本書は、脱植民地化を主導したスカルノが失脚するとともに、米国の対東南アジア冷戦戦略の転換が生じた1965年までを主な分析対象とした。一方、スカルノ路線からの転換を目指したスハルト政権期との比較分析が進めば、日本の産官連携の構図や埋め込まれた軍政期人脈の影響と限界もさらに解明できるものと考えられる」。

 「さらに、入手できた史料上の制約もある。政府機関とは異なり、民間企業には文書の長期保存は義務付けられていないため、企業個社や財界人の意思決定過程を具体的に追うことは難しかった。第二次世界大戦の終結までに青年期を過ごした財界人の胸中には、大アジア主義的な膨張主義への懐古や反省もあっただろう。こうした認識がどこまで企業活動に反映されていたかという点についても解明が望まれる。そのためにも、これまで重視されてこなかった企業史料のアーカイブス化を願う。また、本書ではオランダの史料入手ができずにオランダ側の思惑を十分に反映できなかった。オランダのインドネシアからの撤退は、米国の冷戦政策に大きく影響されたとはいえ、より実相に迫るためにもオランダ政府文書の分析に基づく精緻化が課題である」。

 オランダ政府文書だけでなく、日本語文献もまだまだある。日本占領下のジャカルタにあった海軍武官府に勤務していた西嶋重忠は、本書にも何度か出てくるが、1950年代にアメリカのロックフェロー財団から資金を得て収集した資料を早稲田大学社会科学研究所に寄贈している。そのなかに進出した日本企業が出てくる。また、早瀬が収集・編集した『南方開発金庫調査資料』(龍渓書舎、全17巻+附巻)が2015年に出版されている。これらの史料から戦前・戦中の日本企業の活動がより詳細にわかる。

 本書のテーマについては、以前から気になっていた。本書によって、「脱植民地化と冷戦の力学が交差する」戦後の日本企業の再進出の実態がわかり、「政府と企業の相互作用の視点から捉えなおす」ことが可能になった。だが、副題にある「岸・池田政権」の意味はよくわからなかった。なお、早稲田大学には、1960年代前半のインドネシアの資料を集めた増田与コレクションもある。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

早瀬晋三最終セメスター「単著単行本を振り返る」
 早稲田大学早稲田キャンパス19号館608号室、17:00~
10月14日『「ベンゲット移民」の虚像と実像-近代日本・東南アジア関係史の一考察』(同文舘,1989年11月)292頁。
10月21日『海域イスラーム社会の歴史:ミンダナオ・エスノヒストリー』(岩波書店,2003年8月)265頁。
10月28日『歴史研究と地域研究のはざまで-フィリピン史で論文を書くとき』(法政大学出版局,2004年12月)188頁。
11月4日『戦争の記憶を歩く-東南アジアのいま』(岩波書店、2007年3月)216頁。
11月11日『歴史空間としての海域を歩く』(法政大学出版局、2008年10月)268頁。
11月18日『未来と対話する歴史』(法政大学出版局、2008年10月)290頁。
11月25日『未完のフィリピン革命と植民地化』(山川出版社、2009年2月)90頁。
12月9日『マンダラ国家から国民国家へ-東南アジア史のなかの第一次世界大戦』(人文書院、2012年6月)170頁。
12月16日『フィリピン近現代史のなかの日本人-植民地社会の形成と移民・商品』(東京大学出版会、2012年10月)282+26頁。
1月13日『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』(岩波現代全書、2018年3月)224+22頁。
1月20日『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES・SEA GAMES 1959-2019』(めこん、2020年7月)383頁。
1月27日『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』(人文書院、2022年1月)412頁。

髙杉洋平『帝国陸軍-デモクラシーとの相剋』中公新書、2025年7月25日、291頁、1100円+税、ISBN978-4-12-102863-1

 本書の概要は、つぎのように表紙見返しと帯の裏にある。「陰湿、粗暴、狂信的……と語られてきた大日本帝国陸軍。しかし実際には、建軍当初から、国際的視野を持つ開明的な将校などは多く存在していた。一九四五年の解体までの七十余年で、何が変化したのか-。本書は、日露戦争勝利の栄光、大正デモクラシーと軍縮、激しい派閥抗争、急速な政治化の果ての破滅まで、軍と社会が影響を与え合った軌跡を描く。陸軍という組織を通し、日本の政軍関係を照らす、もう一つの近現代史」。

 著者は、「あとがき」で本書執筆の問題意識を2つ、述べている。「一つは本書の副題にもなっているデモクラシーと陸軍との歴史的関係性の解明です。もちろん、「大正デモクラシー」の経験が「昭和陸軍」の政治的先鋭化の潜在的要因になったという指摘は、私のオリジナルというわけではありません」。「しかし、一口に「大正デモクラシーの経験」と言っても、軍縮、新思想、アンチ・ミリタリズム、経済不況、社会不安など様々です。陸軍軍人の反応も、反発、共感、逃避と区々でした。こうした諸経験や諸反応が相互作用を起こしながら、どのように陸軍の政治的先鋭化につながるのか、そして泥沼の日中戦争と無謀な対米戦争につながるのか、自分なりの見取り図を描いてみたいと考えてきました」。

 「今一つの問題意識は、ロシア・ウクライナ戦争です。二〇二二年二月に勃発したロシアによるウクライナ全面侵略は、多くの政治学者を驚かせました。それがあまりに非合理的な政治選択だと感じられたからです。しかし、それはあくまで西側諸国の認識に基づく評価であり、ロシアの主観的認識からすれば、おそらく、それは打ちのめされ、侮辱された軍事老大国が選択できる、極めて「合理的」で「防衛的」な政治判断の帰結だったのでしょう」。「ロシア・ウクライナ戦争は、我々日本人にとっては一〇〇年の時空を超えたデジャブであり、歴史的経験に基づく学習の成果が試される事件です。国際紛争を如何にして抑止し、起きてしまった衝突を如何にして収束させるか。正義と平和は如何にバランスさせるか。凄惨な歴史体験を持つ日本人だからこそ、壊れたレコードのように「平和」を連呼して自己満足の思考停止に陥るようなことは避けるべきだと思います」。

 本書は、はしがき、時系列に全8章、終章、あとがきなどからなる。その構成は、「はしがき」の最後で、つぎのように紹介されている。

 第1章「栄光からの転落」では、「日露戦争に勝利し、栄光の頂点に上り詰めた陸軍が直面した新たな「戦い」が描かれる。それは急速に台頭してきた政党勢力との政治対立であった。軍拡予算をめぐって、陸軍と政党内閣は政治闘争を繰り広げる。この戦いは、陸軍にとって、ある意味では日露戦争以上に困難なものになっていく」。

 第2章「第一次世界大戦の衝撃」では、「第一次世界大戦を契機に生じた軍事技術や社会風潮の急激な変化が描かれる。大戦は日本陸軍の装備、戦術を一夜にして陳腐化し、近代化は急務の課題となった。他方で、社会では大正デモクラシーと称される風潮が興隆しつつあった。特に、大戦を契機として勃興した平和主義やアンチ・ミリタリズムの世論は、陸軍への強烈な逆風として吹きつける」。

 第3章「ポスト大戦型陸軍への挑戦」では、「大正デモクラシーのなかで興隆した軍縮要求に対して、陸軍が如何に対応したかが描かれる。宇垣一成というカリスマの下、陸軍は政党や世論との対立ではなく、自己変革を選択し、「政軍協調路線」という新たな政軍関係を生み出す。そして軍縮と近代化を両立させた「宇垣軍縮」を実行する」。

 第4章「「大正陸軍」の隘路」では、「政軍協調路線の行き詰まりと国際環境の変動によって、陸軍内に既存の政軍関係への不満と社会改革への欲求が興隆する過程が描かれる。大正デモクラシーの爛熟のなかで陸軍は急速に変質していく。「昭和陸軍」は大正デモクラシーの「落とし子」として誕生するのである」。

 第5章「「昭和陸軍」への変貌」では、「軍事と政治の抜本的改革を目指す陸軍革新運動の実態と、その帰結である満洲事変が描かれる。宇垣軍政を否定する革新派軍人たちは結集し、軍隊内のヘゲモニー(政治的主導権)を掌握すると、満洲事変を決行する。満洲事変は甘美な成功体験として、陸軍軍人の記憶に刻み込まれることになる」。

 第6章「陸軍派閥抗争」では、「陸軍革新運動が熾烈な派閥抗争へと発展する過程が描かれる。革新派軍人たちは「統制派」と「皇道派」に分裂し、血で血を洗う苛烈な闘争を展開する。激しい派閥対立はなぜ生まれ、陸軍に何をもたらすのだろうか」。

 第7章「政治干渉の時代」では、「二・二六事件後に加速する陸軍による政治干渉が描かれる。広田弘毅内閣の組閣に陸軍は露骨に干渉し、部内ヘゲモニーを掌握した石原莞爾は、世界最終戦争を見据えて国家改造を試みる。クーデターという不祥事にもかかわらず、なぜ露骨な政治干渉は止まらなかったのだろうか。そして陸軍は政治を支配することに成功したのだろうか」。

 第8章「日中戦争から対米開戦へ」では、「日中戦争の勃発と太平洋戦争への発展が描かれる。石原に代わる新たな実力者となった武藤章は、日中戦争拡大を主導し、後には、その終結と対米戦回避に奔走する。なぜ陸軍は泥沼化する日中戦争に突き進んだのだろうか。そして、なぜ対米戦争へと続く歴史の隘路にはまってしまったのだろうか」。

 終章「歴史と誤り」では、司馬史観にはじまり、陸軍、政党、国民、アメリカ合衆国の過誤を問うている。「帝国陸軍はなぜ「暴走」したのか?」という問いにたいして、著者はつぎのように、ときの実力者であった武藤章の言説から考察している。「希代の政治将校であった武藤章は、日中戦争の泥沼化という十字架を背負いながら、日米戦争回避を目指して対米交渉に奔走した。彼は対米戦争が軍事的にまったく無謀な試みであることをよく理解していた」。だが、かれは「戦うべきときに戦っていない国は、たとえ敗れなくても無条件で屈服した場合には、その国の民族が再起をしたという歴史はない。戦うべきときに戦って敗れても、そうした民族は後世必ず復活する」。「将来日本民族がいつの日にか再起するときの一つの根性になり得るものであれば、もって瞑すべきだと考えた。それ以外になんにもない」と述懐している。「武藤の胸裏にあったのは、自惚れでも傲慢でもない。名誉に殉じ、滅びゆく者の美学であった」。「しかし、軍の面子が、二〇〇万人の戦死者や光輝ある帝国陸海軍の解体に釣り合うものだとは、当の武藤とて考えなかったに違いない」。「陸軍は、国防や陸軍自身に関する不安や焦燥感を克服しようと、もがき苦しんだ果てに、過誤に過誤を重ね、最後は国家と組織の面子のために、歴史の隘路に迷い込んでいったのである」。

 著者は、つづけて「過誤を犯したのは陸軍だけではない」と述べ、「政党、国民の過誤」を問うている。「政党勢力は「帝国国防方針」の策定に当たって、国防政策に政党内閣が介入するチャンスを見す見す逃してしまった。その後は政軍協調路線の惰性のなかで、統帥権独立に係る制度改革の機会を逸してしまう。政党勢力は統帥権独立の是正を求め続けたが、それは結局、「軍に言う事を聞かせる」権能を欲したからであって、「軍事に責任を持つ」ためではなかった。だから政軍協調路線によって、とりあえず「軍が言う事を聞く」限り、制度改革の必要性をさまで認めなかったのである」。

 「国民もまた大きな過誤を犯した」。「国民の軽薄な平和主義は、対外危機の勃発によって四散することになる。軽薄な平和主義は軽薄なショーヴィニズム(排外的愛国主義)に一夜にして転換した。しかし、こうした国民の軽薄さを軍人が見逃すことはなかった。国民の賞賛を受けながら、軍人の潜在意識のなかでは、国民は「内なる敵」であり続けた。昭和の軍国主義の背景に「永年にわたって蔑視され、無視され、のけ者にされて来た軍人の、つもりつもった怨恨の感情がこめられていなかったといえるだろうか?」。

 「軍人であれ民間人であれ、人は自分自身に正義があり、被害者であると確信するとき、無慈悲になれるのだろう」。

 そして、つぎのように歴史の役割を述べて、終章を閉じている。「「歴史」は我々が政治行動を選択するにあたって、参照可能な数少ないデータである。好むと好まざるとにかかわらず、自覚的か無自覚かにかかわらず、我々は歴史を参照してきたし、これからもし続けるだろう。そして無数の成功例、失敗例を歴史のデータ・ベースに蓄積していくことになるだろう。蓄積されたデータをいかに解釈するかはそれを参照する者の責任である。適切に使いこなせれば、我々の命を守る強力な武器となろう。誤れば、我々自身を傷つけるだろう」。

 かつての「政党、国民の過誤」を、いまの日本人はどれだけ認識しているだろうか。著者が、最後に「歴史」をとりあげたのも、今日の「政党、国民」があまりに歴史を軽視しているからにほかならない。帯にある「なぜ組織は暴走し、破滅したのか」を問い詰めなければ、「平和」だけを唱えればいいと思っている軽薄な「平和主義」が、また「暴走」を生んでしまう。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

予告
早瀬晋三最終セメスター「単著単行本を振り返る」
 早稲田大学早稲田キャンパス19号館608号室、17:00~
10月14日『「ベンゲット移民」の虚像と実像-近代日本・東南アジア関係史の一考察』(同文舘,1989年11月)292頁。
10月21日『海域イスラーム社会の歴史:ミンダナオ・エスノヒストリー』(岩波書店,2003年8月)265頁。
10月28日『歴史研究と地域研究のはざまで-フィリピン史で論文を書くとき』(法政大学出版局,2004年12月)188頁。
11月4日『戦争の記憶を歩く-東南アジアのいま』(岩波書店、2007年3月)216頁。
11月11日『歴史空間としての海域を歩く』(法政大学出版局、2008年10月)268頁。
11月18日『未来と対話する歴史』(法政大学出版局、2008年10月)290頁。
11月25日『未完のフィリピン革命と植民地化』(山川出版社、2009年2月)90頁。
12月9日『マンダラ国家から国民国家へ-東南アジア史のなかの第一次世界大戦』(人文書院、2012年6月)170頁。
12月16日『フィリピン近現代史のなかの日本人-植民地社会の形成と移民・商品』(東京大学出版会、2012年10月)282+26頁。
1月13日『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』(岩波現代全書、2018年3月)224+22頁。
1月20日『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES・SEA GAMES 1959-2019』(めこん、2020年7月)383頁。
1月27日『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』(人文書院、2022年1月)412頁。

藤原辰史『食権力の現代史-ナチス「飢餓計画」とその水脈』人文書院、2025年9月30日、322頁、2700円+税、ISBN978-4-409-51108-4

 「あとがき」に「本書の最大の意図」が、つぎのように書かれている。「「ナチスからイスラエルへ」という一本の線を、歴史の大海原にスキャンダラスに引くことではありません。食権力を行使して胃袋を掌握することこそが、政治権力掌握の条件であることを実証し、歴史と現状を「腹の底」から理解できる道筋をつけることを私は目標としました」。

 その前の2パラグラフで、もうすこし具体的に説明している。「かつては、ホロコーストのような悲劇が二度と起こらないようにナチス研究をすることが研究者の大きなモチベーションのひとつでした。けれども、ホロコーストに比するほど人間性が剥奪された事件は、ナチス崩壊後も繰り返されてきた、というのが私の歴史研究の基本的認識にほかなりません。沖縄戦、原爆投下、ナクバ、済州島の四・三事件、朝鮮戦争、水俣病、ヴェトナム戦争、チェルノブイリ、イラク戦争、どの事件をとってみても、そのように思えてなりません」。「現在も、アメリカやイスラエルや日本をはじめ世界中の大国で、ナチス顔負けの露骨な差別が公言され、ヘイトクライムも公然となされ、虐殺を助長するような政治家の発言が終わることはありません。飢餓を通じた殲滅政策も、本書で述べたとおり、ナチスにせよ、イスラエルにせよ、性質としてはほとんど変わりありません」。

 本書の第一のキーワードは、「食権力」である。序章「歴史概念としての食権力」「3 食権力という概念」で、つぎのように説明されている。「本書では、「食権力food power」を、「食料や食料生産に必須のものを一局に集中し、それらを根拠に人間や自然を統治したり、管理したりする諸力の束」と定義する。金銭やエネルギーを根拠に発動される権力よりも根源的かつ恒常的に人や自然を変化させる。その身体的根源は、乳児の母乳への渇望である。空腹を覚えると、体を震わせ、顔を真っ赤にして泣き叫び母乳を求める。乳児が発話による人間関係構築を意識しはじめると飢えへの恐怖は外見上薄くなるが、恐怖自体は別のかたちで残る。余剰作物を蓄える倉庫が恐怖をなだめ、食権力の社会的根源となる。余剰農作物は、古代国家の誕生以来、もっとも重要な財のひとつであった。権力一般の源であり、税収の源だ。ある集団の構成員の生命維持必要量以上に生産された作物、とくに麦や米など保存の効く炭水化物の食物は、災厄や飢饉に備えて、害獣や害虫が侵入しないように設計された共同穀物倉庫に蓄えられる。ちなみに、ハワイの統治首長が保有する大きな穀物倉庫の場合、首長が民から容認できないほど穀物を徴収しすぎると、高圧的と受け取られた。あくまで、穀物倉庫は「人民を満足させておく手段」にすぎなかったからである。だが、結論めいたことを述べれば、近現代史の穀物倉庫は人びとの不安を軽減し、満足させるというよりは、人びとから過剰の穀物を徴収し、倉庫の持ち主の権力を拡張させていくために用いられたのだった」。

 もうひとつ、確認しておかなければならないことばは、マーシャル・サーリンズが用いた「施設」である。「邦訳では「制度」と訳されており冒頭の引用もそれに倣ったが、原語はinstitution、つまり「施設」という意味合いも多分に含まれる。また、彼は明示していないが、構成員全員を食べさせる分はあるのに、一部の人を餓死させる収容所、というイメージが浮かぶ」。「飢餓が起こりつづける世界を「施設」としてみる見方は、飢餓マシーンと化したナチスの強制収容所やゲットー、ソ連のラーゲリの暴力と収容所以外の暴力を包括的に理解するのに役立つ。しかし、それだけでは十分ではない。本書で明らかにしようとしているのは、飢餓こそが施設の運営を根底で支え、飢餓に陥っている人びと以外を生かしてきた歴史と現在である」。

 本書は、序章、全4章、終章、あとがきなどからなる。帯の裏にあるように、時系列に「第一次大戦から第二次大戦を経て、イスラエルのガザの虐殺までの現代史を、食を通じた権力の歴史、そして「施設化」した飢餓の歴史として描く!」。

 終章「ナチスとイスラエルと現在の飢餓をつなぐもの」の冒頭で、つぎのように本書をまとめている。「本書は、第一次世界大戦の飢餓からナチス・ドイツの飢餓政策と入植政策を経て、世界食糧委員会の挫折とイスラエルの飢餓政策と入植政策まで、食権力をめぐる歴史、とりわけその暴力の精神史的水脈をたどってきた。食権力の暴威は、とりわけ子どもたちや女性たちのように大きな力を持ちえない人びとや、権利を剥奪された捕虜や被収容者に向けられた。その根源に、カカオから砂糖を経てバナナにいたるまで、換金作物から多大な利益を得てきたヨーロッパ植民地主義の水脈があることもたびたび確認してきた。その水脈は、現在、生産者に自社製の農薬を効率よく販売するために遺伝子組み換え品種やゲノム編集品種を売るバイオ産業、そうした産業と提携して恒常的利益を得つつ、穀物をカントリーエレベーターに集中させ、情報を詳細に分析して投機し、穀物を生産せずして利益を得る巨大穀物商社、さらには高度な農業技術を独占して利益を得ようとするフードテックにまで通じている」。

 巨大穀物商社については、終章「7 来るべきテーブルのために」で、つぎのように説明されている。「現代の食糧と最先端の農業技術を連関させて利益を得る巨大穀物商社は、生産者から農作物を安く買い、生産者に高い農薬、肥料、機械を売る誘惑から逃れることはできない。生産費高騰に苦しむ農民たちが飢餓に陥ることがジャーナリストのあいだで繰り返し指摘されている。つまり、近代農業を諦めれば飢餓になるという私たちにしばしばつきつけられる図式自体が誤っているのだ。グローバルなフードシステムでは、近代農業の推進と飢餓の進行は密接に関連している。さらに、巨大穀物商社は世界中の生産者の食物を大型倉庫に管理し、国際価格の上下にあわせて売り買いする投機心からも逃れることができない。それによって高騰した食料が購入できない人間を切って捨てる冷徹さも持ち合わせている。購買力の弱い国の住人は、容易に飢餓に向かわされるが、「砂時計のくびれ」の権力の担い手たちは責任をとらない。二〇〇九年の世界の食糧危機のとき、少女[少年]の乳児死亡率よりも少年[少女]の乳児死亡率は四倍から八倍も高かった。少年たちよりも命を優先されない少女たちは、人びとの差別意識にもとづいて飢餓の危機にさらされたことになる。これこそが、現代は、「石器時代」と異なり、飢餓が「施設」であるとサーリンズが言ったことの意味であった。もちろん、砂時計のくびれの支配は戦争遂行のためではない。食権力はビジネスに組み込まれていく。良心の呵責の消し方もナチスよりもますます洗練されていく」。

 「砂時計のくびれ」とは、「砂時計の上部は生産者、砂時計の下部は消費者で、くびれの部分が一握りの巨大穀物商社やアグリビジネスである。企業が砂時計のくびれを支配する事例はいくらでもある」。ここでは、ネスレが取りあげられている。

 そして、終章を、つぎのパラグラフで結んでいる。「本書も試みは、その居場所を探すことだった。現在の世界規模の飢餓の問題に心痛める多くの人びとでさえ、その原因の大きな部分が、食のはらむ暴力の歴史、とりわけ植民地主義の歴史からの逃避、そして積み残しであることにあまり関心がない。現在の世界規模の戦争に心痛める人びとでさえ、その背景に食の統治の問題があることに思い至らない。こうした状態が放置されてきた代償は大きい。歴史化されなければ対象化できず、対象化されなければ解決にはいたらない。食権力そのものを歴史の根源から問わないかぎり、施設化した飢餓の命脈を断つことはできない」。

 気になっているのは、食糧支援物資は、どのくらいの価格で、どうやって集めているのだろうか、ということである。現地調達には限界があり、巨大穀物商社が絡んでいるように思える。だとすると、食権力は飢餓を通して、ますます巨大化していくことになる。国内でも、巨大スーパーマーケットが進出すると、地元の産業が潰れていく。典型的な食品として豆腐がある。食を通した問題は、国際問題から地域のコミュニティの問題まで大小さまざまあるが、現代社会の根源の問題である。そのわりに議論がすすまないのは、食権力よりさらに大きな権力、構造が働いているからだろうか。

 東南アジアでは、インドネシアで1965年の9・30事件後に各地で大虐殺が起こり、70年代後半にカンボジアで大虐殺が起こった。日ごろ目にする村びとが同じ村の住民を殺し、殺した村びとと殺された村びとの遺族が、その後も同じ村に暮らすという理解しがたいことが起こった。異質なものを排除するだけでは説明がつかないことが起こり、半世紀経ったいまでも謎だらけである。

 いずれにせよ、人が死ぬということに鈍感になった社会では、なにが起こるかわからない。その予兆をすこしでも早くキャッチする以外に、悲劇は食い止めることができないのだろうか。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

予告
早瀬晋三最終セメスター「単著単行本を振り返る」
 早稲田大学早稲田キャンパス19号館608号室、17:00~
10月14日『「ベンゲット移民」の虚像と実像-近代日本・東南アジア関係史の一考察』(同文舘,1989年11月)292頁。
10月21日『海域イスラーム社会の歴史:ミンダナオ・エスノヒストリー』(岩波書店,2003年8月)265頁。
10月28日『歴史研究と地域研究のはざまで-フィリピン史で論文を書くとき』(法政大学出版局,2004年12月)188頁。
11月4日『戦争の記憶を歩く-東南アジアのいま』(岩波書店、2007年3月)216頁。
11月11日『歴史空間としての海域を歩く』(法政大学出版局、2008年10月)268頁。
11月18日『未来と対話する歴史』(法政大学出版局、2008年10月)290頁。
11月25日『未完のフィリピン革命と植民地化』(山川出版社、2009年2月)90頁。
12月9日『マンダラ国家から国民国家へ-東南アジア史のなかの第一次世界大戦』(人文書院、2012年6月)170頁。
12月16日『フィリピン近現代史のなかの日本人-植民地社会の形成と移民・商品』(東京大学出版会、2012年10月)282+26頁。
1月13日『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』(岩波現代全書、2018年3月)224+22頁。
1月20日『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES・SEA GAMES 1959-2019』(めこん、2020年7月)383頁。
1月27日『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』(人文書院、2022年1月)412頁。

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