林英一『南方抑留-日本軍兵士、もう一つの悲劇』新潮選書、2025年7月15日、236頁、1650円+税、ISBN978-4-10-603933-1
「「シベリアもの」は二〇〇〇点以上あるとされ、その書誌情報はほぼ把握されているのに対して、「南方もの」は筆者が現物確認できているものは一〇〇点にも満たず、文献目録もない」。本書は、「シベリア抑留の陰で繰り広げられていた「もう一つの悲劇」」である「南方各地で抑留された日本軍兵士の歴史を個人の経験から問い直すことを目的としている」。
「敗戦の屈辱に耐えながら炎天下で過酷な労働を強いられた彼らは、飢えと望郷の日々のなかでいかなる自己変容を遂げたのか」。著者は、「この問いを明らかにするために、本書では連合軍の没収を免れた貴重な日本軍人軍属ら一三名の日記類を読み解いていく。そうした体験記は客観性や大局観に欠けるという指摘もあるが、一方で個人の内面の変化を垣間見ることのできる自己語り史料である。しかも複数の史料を読み比べれば、軍隊が解体する過程で新たな自己が生まれた理由も知れる。本書ではすでに公刊、公開されている史料だけでなく、筆者が新たに発掘した未公開の一次史料も用いて叙述する」。
本書は、まえがき、全5章、終章、あとがきからなる。各章の概要は、「まえがき」の最後で、つぎのようにまとめられている。第一章「タンジュン・プリオク港-インドネシア・ジャワ島」では、「インドネシアのジャワ島で最悪といわれたタンジュン・プリオク港の作業隊にいた陸軍主計中尉の自己語りに着目する。そこには作業を監督するイギリス人将校とインド兵、オランダ人船員との交流のなかで、不愉快な扱いや何気ない言動に対して敗者の屈辱を味わったことや、思わぬ好意に心を慰められた経験が描かれている」。
第二章「レンパン島-シンガポール沖・リアウ諸島」では、「シンガポールで敗戦を迎え、無人島のレンパン島に送られた陸軍軍属二人と陸軍伍長の自己語りに着目する。そこには入島してほどなく栄養失調で青膨れし、日本軍とイギリス軍の補給を命綱としながら、日本軍上層部の指導で農耕をすることになった彼らの葛藤が記されている」。レンパン島は、シンガポール沖でインドネシアに属する。
第三章「コカイン収容所-ビルマ・ラングーン」では、「ビルマ南部の収容所で抑留された陸軍中尉二人と陸軍軍曹の自己語りに着目する。帝国大学で哲学を学んだ陸軍中尉が周囲と群れずに自己の内面と向き合っていたのに対して、もう一人の陸軍中尉と陸軍軍曹はきつい石切作業に従事し、演劇で心を和ませていたことが述べられている」。
第四章「カンルバン収容所-フィリピン・ルソン島」では、「ルソン島マニラ郊外のカンルバン収容所などに抑留された陸軍軍属ら三人の自己語りに着目する。日本軍組織を解体したアメリカ軍は、抑留者を将校と下士官・兵に分けて管理した。将校側に入れられた軍属も、下士官・兵側に入れられた軍属も、いずれも暴力によって収容所内の権力を握った実力者の支配を経験していたことが言及されている」。
第五章「ラバウル戦犯収容所-南太平洋・ニューブリテン島」では、「ニューギニア・ニューブリテン島北方の要であるラバウルで抑留された陸軍中佐、陸軍主計中尉、陸軍軍医大尉の三人の自己語りに着目する。このうち、中佐は第八方面軍司令官の今村均陸軍大将を弁護するために残留したのに対して、軍医大尉は日本軍上層部に批判的だったことが明かされている」。
終章「歴史対話」 では、「抑留を「する側」にも様々な事情や困難があったことを知り」、「戦後四〇年以上を経て対話」した例が紹介されている。そして、つぎのように結論している。「南方抑留は、国家間だけでなく個人の内面にも禍根を残したが、このように市民レベルでそれを乗り越えようとの努力もなされていた」。
本書は5章にわたって、「ジャワ、シンガポール、ビルマ、フィリピン、ラバウルで抑留された日本軍人軍属の自己語り史料を用いて、南方抑留を個人の経験から問い直し、歴史と対話する試み」を綴った。そして、終章で抑留を「する側」の視点から「歴史対話」をしたことで、一方的な「された側」の「悲劇」だけでなく、戦争そのものがもつ「悲劇」を語ることができた。だが、日本軍兵士が抑留されたところには、「された側」と「する側」だけではない人びとがいた。「された側」の目にも「する側」の目にも、その存在が見えていなかったことが、本書からも明らかになった。
日本兵のなかに朝鮮人や台湾人がいて、敗戦後分離されたことは容易に想像できるだろうが、日本軍占領後9万余が自給自足していたというラバウルには「一般外人勤務部隊」があった。中隊に「「ネシア」印度」人609人、「印度」人2854人のほか、「印度労務隊」に2609人、「馬来労務隊」に688人、「支那労務隊」に1397人、合計8155人がいて、計375人が死亡し、「支那」人13人が逃亡していた。これらの労働者が、どのような経緯で来たのか、なにをしていて日本兵との関係はどうだったのか、敗戦後どうなったのか等々、本書ではその存在さえ書かれていないので、まったくわからない。また、ラバウル周辺に約3万の住民が居住していた。本書の目的は、「知られざる実態を解明する」ことにあるが、知られていないことはまだまだある。わかったことから書いていった近代とは違い、知らない・わからないことに気づき、書けないことも含め全体史のなかで語ることが、今日重要になっている。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるfile:///C:/Users/shaya/Downloads/KenkyuShiryoSeries_10_02.pdf)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/records/78131)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。
早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.
早瀬晋三最終セメスター「単著単行本を振り返る」
早稲田大学早稲田キャンパス19号館608号室、17:00~
10月14日『「ベンゲット移民」の虚像と実像-近代日本・東南アジア関係史の一考察』(同文舘,1989年11月)292頁。
10月21日『海域イスラーム社会の歴史:ミンダナオ・エスノヒストリー』(岩波書店,2003年8月)265頁。
10月28日『歴史研究と地域研究のはざまで-フィリピン史で論文を書くとき』(法政大学出版局,2004年12月)188頁。
11月4日『戦争の記憶を歩く-東南アジアのいま』(岩波書店、2007年3月)216頁。
11月11日『歴史空間としての海域を歩く』(法政大学出版局、2008年10月)268頁。
11月18日『未来と対話する歴史』(法政大学出版局、2008年10月)290頁。
11月25日『未完のフィリピン革命と植民地化』(山川出版社、2009年2月)90頁。
12月9日『マンダラ国家から国民国家へ-東南アジア史のなかの第一次世界大戦』(人文書院、2012年6月)170頁。
12月16日『フィリピン近現代史のなかの日本人-植民地社会の形成と移民・商品』(東京大学出版会、2012年10月)282+26頁。
1月13日『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』(岩波現代全書、2018年3月)224+22頁。
1月20日『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES・SEA GAMES 1959-2019』(めこん、2020年7月)383頁。
1月27日『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』(人文書院、2022年1月)412頁。