早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2026年03月

小関隆『中立という選択肢-エーモン・デ・ヴァレラとアイルランドの第二次世界大戦』人文書院、2026年3月20日、196頁、2500円+税、ISBN978-4-409-51125-1

 「本書は、京都大学人文科学研究所の共同研究班「人物で見る第二次世界大戦」(班長:林田敏子)が立案・刊行するシリーズ「レクチャー 第二次世界大戦を考える」の最初の一冊である。本書を皮切りとして、これから数年にわたり、分量は手頃ながらも、旧来の第二次大戦のイメージに修正を迫るだけのインパクトのある単著を、研究班の班員が次々と送り出すことになっている」。本シリーズは、「かつて全一二冊を刊行したシリーズ「レクチャー 第一次世界大戦を考える」」の続編でもある。

 本シリーズが目指したものは、つぎのようにまとめられている。「第二次世界大戦は、参戦国の数においても、その影響を受けた国や地域の広がりにおいても、第一次世界大戦を凌駕する規模をもつ。その政治的・社会的・文化的影響は戦時期にとどまらず、冷戦期、さらには現代まで及んでおり、きわめて多層的かつ長期的な射程を有している。戦争が国家を単位として遂行される以上、その歴史叙述もまたナショナルな枠組みに回収されがちである。しかし、このような大戦の全貌を単一の視点から把握することには、自ずと限界がある。そこで本シリーズではあえて特定の人物に焦点を当て、個々の経験と大文字の「大戦史」との関係性を問うことで、通説的な第二次世界大戦像に再考を促す視座を提示することを目指した」。

 その最初の本書では、アイルランド首相のエーモン・デ・ヴァレラに焦点をあて、「中立という選択肢」を俎上に載せた。帯には、「チャーチルを苛立たせたアイルランド首相デ・ヴァレラ」と大書され、「大国の戦争に巻き込まれまいとする小国にとって、中立は実践可能な選択肢なのか? ナチズムとの「聖戦」に背を向けるのは正当なのか? 中立の光と影を描く」とある。大国とは、具体的にはドイツ、イギリス、アメリカなどをさす。

 本書は、はじめに、時系列的に全6章、おわりに、あとがきなどからなる。

 当時南アイルランドの国号であった「エール政府が公式に中立を宣言したのは一九三九年九月二日、ドイツ軍のポーランド侵攻が開始された翌日である」。「中立の選択を導いた重要な文脈は三つある」。「第一に、国際連盟の権威失墜に伴う集団安全保障という選択肢の無効化である」。そこには、「身勝手な大国が引き起こす戦争に翻弄されることを拒否する「小国の論理」」があった。第二の文脈は、「主権国家のステータスの追求である」。「イギリスの意向にかかわりなく、大戦に参戦するか否かを自ら決定することには、「事実上の共和国」の主権の行使という意味が込められていた。参戦か不参戦かを決定できてこそ主権国家」だった。「第三の文脈は、一九二二~二三年の内戦とその後も根強く残った対立関係である。独立戦争をともに戦った同志が凄惨な抗争を繰り広げた内戦はトラウマ的な経験であり、自由国(エール)は内戦による人的損失と対立のしこりという重い負の遺産に苛まされていた」。

 だが、「実際にはエールとイギリスの間には既に多岐にわたる協力関係(あくまでも非公式の)が成立しており、エールの中立は等距離中立からは程遠かった」。この「「友好的中立」のスタンスに、概してイギリス政府は理解を示した。参戦によってエール国民の分断が表面化し、結果的に生じかねない騒乱に対処する必要に迫られる可能性を考えれば、また、そもそも弱体なエール軍には軍事的貢献はほとんど期待できないことを考えれば、エールには中立の形式を保ったまま粛々と「友好的」に便宜を図ってもらう方がありがたい、イギリス政府ではこうした見方が段々と強まっていった。中立放棄を無理強いするよりも中立のエールからできるだけの協力を引き出す方が賢明だ、という判断である」。

 第4章「「友好的中立国」の戦争協力」では、「情報共有」「施設・領域の使用」「イギリス軍への入隊」「イギリスでの就労」などの見出しのもとに、具体的に「両国政府の協力」が描かれている。だが、その負債は大きく「南北分割の固定化」が決定的になった。「エールの中立はイギリスへの背信行為に他ならず、そんな愚挙に及んだエールがイギリスと一体の北アイルランドと統一されることなど」ありえなかった。

 比較的長い35頁に及ぶ「おわりに」の最後の「4 結語」には、「代案はあったのか?」と「中立国から見た大戦」の2つの見出しがある。前者では、「「もっと積極的な支援」に踏み出さなかったのは、それが国内の分断を招くことを懸念したためだろう。換言すれば、内戦のトラウマはそれほど痛切であって、デ・ヴァレラは徹頭徹尾内向きの姿勢で大戦に対処するのが最善だと判断したのである」と結んでいる。

 後者では、つぎのようにまとめている。「道徳的優位を自負する中立国に視点を据えることは大戦像の修正にもつながりうる。たとえば、大戦は今でもしばしば「反ファシズム戦争」として描かれるが、これは多分に後知恵に基づく戦勝国史観である。大戦はファシズムないしナチズムという巨悪に対抗する正義の戦争だったとどんなに喧伝しても、そこに自国の利益の増進という狙いが介在していたことは隠しきれない。連合国も枢軸国もどっちもどっちだったとの言い分には同じえないにしても、大戦が「善」と「悪」の対決だったとは言い切れないことを指摘し、中立の方が道徳的に優越していると主張することには、戦勝国史観を相対化し、戦争よりもマシな選択肢がなぜとれなかったのか、との問いを突きつける力が備わっている。こうした問いは、たとえばチャーチルが味わっていたに違いない達成感、自分は歴史の審判に耐えうる偉大な成果を収めたとの満足感に冷や水をかける。だからこそ、プライドの高いチャーチルはエールに中立にあれほど苛立ちを募らせたのだと思われる」。

 つづけて著者は、「エールの中立の是非について、明快な結論は出しがたい」と述べ、「中立のコストのいくつかは、仕方がなかったなどと軽々に片づけてよいものではない。それでもなお、最も重く見られるべきはやはり「中立の決算」の最初に挙げた「戦禍の最小化」だろう」と結論している。そして、つぎの文章で結んでいる。「エールの大戦経験は、決してバラ色だけでは描けないにせよ、安易に捨てるべきではない選択肢=中立の実践可能性を示す歴史的先例として、幾度でも振り返られるに値する」。

 「中立は決してバラ色ではないものの、充分に実践可能な手許に置くべき選択肢である」という結論は、「戦禍の最小化」につながるからであるが、実際に戦争がはじまると、この当たり前のことが当たり前に考えられなくなる。敵の「戦禍の最大化」を願うことが、戦勝につながるからである。その意味で、「戦勝国史観」の修正を迫るための「中立」国史観は重要である。また、ヨーロッパの博物館では、すべてをナチズムの責任にし、自国の責任を回避する展示がまま見られる。「戦勝国史観」のナショナル・ヒストリーを超えるためにも、「中立という選択肢」を考える意味は大きい。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
『アジア太平洋討究』第52号(早瀬晋三教授退職記念号)、2026年1月、462頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://www.jstage.jst.go.jp/browse/wiapstokyu/list/-char/ja)

早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期東南アジア海域における日本人漁業活動の基礎資料』(研究資料シリーズ12)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2026年2月、179頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2007415)
早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるfile:///C:/Users/shaya/Downloads/KenkyuShiryoSeries_10_02.pdf)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/records/78131)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

永井均編『総決算 対日戦犯裁判』講談社選書メチエ、2026年1月14日、377頁、2600円+税、ISBN978-4-06-542364-6

 本書は、第二次世界大戦の「対日戦犯裁判-東京裁判とBC級戦犯裁判-を主な検討対象に据え、国際的な視野と比較史的な観点に立って分析を加えるものである」。

 「東京裁判の被告人はA級戦犯と通称されることもあるが、それは裁判を律した裁判所憲章が規定する三つの犯罪類型に由来する呼び方である。裁判所憲章は、管轄する戦争犯罪を三つのカテゴリーに分け、それぞれ侵略戦争の計画、開始などの犯罪と捉える「平和に対する罪」(いわゆるA級犯罪)と、一九〇七年のハーグ陸戦条約および同条約に附属する陸戦規則、二九年のジュネーヴ捕虜条約など従来の戦争法規の違反である「通例の戦争犯罪」(B級犯罪)、そして自国民を含む文民に対する戦前・戦時中の非人道的行為である「人道に対する罪」(C級犯罪)と命名した」。

 「BC級戦犯を訴追した裁判は、アメリカ、中華民国、イギリス、オーストラリア、フランス、オランダ、フィリピンの七ヵ国が、アジア太平洋地域の五一ヵ所に特設した軍事法廷で実施し(一九四五年一〇月-五一年四月)、日本軍将兵ら約五七〇〇名の残虐行為の刑事責任を追及、九〇〇名以上もの被告人に死刑が科された。このほか、ソ連と中華人民共和国も独自に対日戦犯裁判を行った」。

 「本書の特徴は、戦犯裁判研究の第一人者(歴史家や国際法学者、裁判官や会議・法務通訳者など)が一堂に会して、この世界規模で展開した「戦争の裁き」の内実と遺産をグローバルな視点から読み解いた点にある。海外各国で公開された一次資料と最新の研究に基づいて裁判の実態を明らかにし、今日に与える影響をも観察した、いわば現時点での対日戦犯裁判史の決定版であり、『総決算 対日戦犯裁判』と題した所以である」。

 本書は、はじめに、5部全15章、各部終わりのコラム、おわりに、あとがきなどからなる。第Ⅰ部「国際軍事裁判」では、「東京裁判とその先例になったニュルンベルク裁判という、日本とドイツの戦争指導者を裁いた二つの国際軍事裁判を論じる。そこでは、開廷に至る経緯や被告の選定、公判審理の争点や判決の特徴など、二つの国際法廷の法的、歴史的な意義と課題が描き出される」。

 第Ⅱ部「BC級戦犯裁判」では、「連合国七ヵ国によるBC級戦犯裁判の実相を浮き彫りにし」、続く第Ⅲ部「その他の対日戦犯裁判」では、「長くヴェールに包まれていたソ連と中華人民共和国による対日戦犯裁判に光を当て、それら裁判の実像に迫る。連合国諸国は国際法を意識しつつ、それぞれ独自の法と制度で「戦争の裁き」に取り組んだ。そこには各国固有の政治・外交的、そして社会・文化的な側面が投影されていたが、共通点もあった。第Ⅱ部と第Ⅲ部ではともに、裁判の背景や訴追準備、戦犯処罰の法と制度、公判と判決、訴追の終結など、共通の比較分析軸を意識しつつ叙述を進め、そのことによって読者に新たな視点や素材を提供した」。

 第Ⅳ部「責任の所在をめぐって」では、「対日戦犯裁判がはらむ「責任の所在」という争点について、上官責任と実行者責任の問題、そして朝鮮人、台湾人戦犯など日本の植民地出身者が訴追された背景と構造を分析する」。

 そして最後の第Ⅴ部「後世に託された遺産」では、「対日戦犯裁判の終結以降、国際社会は戦争犯罪概念と訴追の制度、メカニズムをいかに練り上げていったのか、現在における到達点を確認し、その意義と残された課題を見定める」。

 「このほか、コラムとして、東京裁判に対する日本国民の受け止めや、戦犯裁判における通訳の役割、戦犯裁判と性暴力の問題、そしてアメリカによる広島・長崎への原爆投下を含む核兵器をめぐる国際法上の位置づけについて、それぞれ専門家が解説を加えている」。

 「おわりに」では、「総決算」の結果、浮かびあがってきた問題点をまとめている。「諸国の対日戦犯裁判は、固有の歴史や文化、社会、法と制度を投影し、全体として画一的ではなかったものの、それぞれが国際法を意識し(ほとんどの国がハーグ陸戦条約やジュネーブ捕虜条約に加入していた)、裁判手続きに則って取り組んだ。各国は、戦犯裁判という未曽有の計画を、検察官や弁護人、通訳などの裁判関係スタッフの不足、証拠の確保の困難さといった不安定な要素を抱えながら遂行することを余儀なくされた」。「戦勝国による処遇や事件をめぐる認識の枠組みに対して、敗者(被告側)の抵抗感は強かったのである。そこには「勝者の裁き」の限界を見て取ることができる」。「他方で、これらの裁判がその後、戦争犯罪概念の普遍化を促し、戦後の国際法整備の方向性を定める契機になったことも確かである」。

 そして、つぎのように総括している。「本書は、第二次世界大戦後に連合国と関係諸国が行った対日戦犯裁判の全体を俯瞰した研究の、現時点における一つの到達点である。各国に所蔵される一次資料に基づき、共通の分析軸を意識しながら考察を加えた日本で初めての、そして世界的にもユニークな包括的研究書といえる。近年、(日本を含む)各国で戦犯裁判の関連資料が公開されたことが追い風となって、戦後八〇年、裁判終結から約七〇年の歳月を経て刊行が実現した。特に、従来不鮮明だった裁判主催国の考え方や対応、取り組み-裁判実施の経緯や基本方針、体制、処罰方法などの制度面、そして捜査や裁判の展開、結果といった運用面-を、ある程度明らかにしたことが本書の特長だが、分析が十分に行き届かなかった点もある」。

 本書は「総決算」であって「現時点における一つの到達点である」。これまで、日本占領下、戦時下にあった国・地域でそれぞれの状況がかなり異なり、比較は困難であった。それが、共通の分析軸を用いることによって糸口が開かれたといえよう。「総決算」が「出発点」になったのである。それにしても、多くの人びとの長年の努力にもかかわらず、第Ⅴ部を読むと、それがあまり報われていないことがわかる。「平和創造の礎」になっていない現実が、いまのわれわれの目の前にある。それだけに、この「総決算」の意味は大きい。「平和創造の礎」になる研究を、いまここからはじめることができる。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
『アジア太平洋討究』第52号(早瀬晋三教授退職記念号)、2026年1月、462頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://www.jstage.jst.go.jp/browse/wiapstokyu/list/-char/ja)

早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期東南アジア海域における日本人漁業活動の基礎資料』(研究資料シリーズ12)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2026年2月、179頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる)
早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるfile:///C:/Users/shaya/Downloads/KenkyuShiryoSeries_10_02.pdf)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/records/78131)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。


南川高志『ローマ人の心-古代帝国の実像に迫る』講談社選書メチエ、2026年2月10日、336頁、2200円+税、ISBN978-4-06-542065-2

 「困難を承知で挑戦した」が「執筆は難渋を極めた」と、著者は「あとがき」で書いている。

 本書の概要は、裏表紙に、つぎのようにまとめられている。「「人類が最も幸福だった時代」と称された紀元二世紀のローマ帝国。人々は美食に舌鼓を打ち剣闘士の闘いに熱狂して、満ち足りた日々を送っていたと言われる-本当にそうだったのだろうか? 帝国の基本構造、ローマ人の一日、そして一生から始まり 帝国エリートはもちろん、奴隷や属州の民にいたるまで、どのような思いをもって、古代人が帝国を生きていたのかに迫る。広大な帝国の統合を支えたものこそ、人々のある「思い」だった。政治史を中心に研究を重ねてきた著者が、新たな視点で描き出す 古代帝国のもうひとつの姿」。

 著者は、「プロローグ」の最後の見出し「ローマ人の心に迫る」で、つぎのように本書の目的を述べている。「ローマ人の「心」に関わるいくつかの問いをたてて、彼らの世界を考えようとする試みである。そこから、大帝国の実像が見えてくるかもしれない。古代ゆえ、「心」を考えるための史資料は多くはないが、挑戦してみよう」。

 と書いたものの、著者はまだ自信がもてなかったのか、序章「ローマ人の心を碑銘に読む」で具体的事例をあげていきながら、本書の構想を練っていったのであろう。最後の見出し「ローマ人の生き方、考え方、感じ方を問う」で、本書の目的を再確認して、つぎのパラグラフで締めくくっている。

 「ローマ帝国史の研究を長らく行ってきた私自身も、政治史や属州の歴史、そして帝国の衰亡史などを論じてきたが、帝国に生きた住民の「心」を正面から取り上げる研究はしてこなかった。しかし、帝国の形成、「ローマの平和」の名で知られる帝国の繁栄、そして帝国の衰亡など、ローマ史研究の重要なテーマはいずれも、事象の分析だけでなく、その時代を生きた人々、有名な個人だけでなく一般住民も含めて、彼らの「思い」も解明しなければ真の歴史像構築には至らないのではないか。私は近年、そう強く感じるようになった。本書は、こうした問題意識の下、ローマ人の生き方や考え方、そして感じ方などを追求しようとする私の初めての、ささやかな挑戦である」。

 本書は、序章、全5章、終章、エピローグなどからなる。第Ⅰ章「ローマ人はどんな世界に生きていたのか」では、「ローマ人の生き方や考え方、そして感じ方などを考察するための前提的知識となる情報を整理したい。この本の主たる舞台はローマ帝国の最盛期となるので、この時期を中心に社会の仕組みと都市に暮らすローマ市民の日常生活、そしてその一生を概観しよう。まず、ローマ人の歴史の全体を眺めることから始めたい」。

 第Ⅱ章「帝国エリートたちの生きざま」では、「元老院議員ら帝国エリートの生き方や生きがいに関する考え方、感じ方をみて」、つぎのように最後のパラグラフでまとめている。「歴史とは記録の集積である。その意味で、最盛期のローマ帝国は膨大な記憶を貯め込んだ「記憶の帝国」と呼んでよい状態にあった。帝国エリートの生きざまも生きがいも帝国のこうした性格に即して形づくられ保持されたといってよいだろう」。

 第Ⅲ章「生と死から見る家族の肖像」では、「対象とする社会層を拡大して、ローマ社会に暮らす「普通の人々」のケースを検討してみたい。最盛期ローマ帝国の住民は、都市市街地か田園地帯かなど居住環境の違い、出自、経済力、威信の有無や信仰などの点で異なる、実に多様な人々であり、また「普通の人々」とか「庶民」というような範疇はあまりにも曖昧で、歴史学研究のための分析概念としては到底使えない。しかし、ローマ帝国の世界史的意義が先進的な都市的生活の創造に認められてきた点を考慮し、ここでは資産のある都市上層市民から首都の下層住民まで、最盛期ローマ帝国の都市に生きた人々をやや広く「普通の人々」と捉えて観察したい」。

 第Ⅳ章「属州の人々の心」と第Ⅴ章「平穏な帝国の暮らし」では、「帝国は支配地域を統合し得たのかという」「大問題を遠望しつつ、身近な問いを考察したい。ローマ帝国のイタリアの外の支配領域、すなわち属州において、人々は自分たちの暮らしや生きることに関してどのように考え、感じていたかを問いたいのである」。その結果、第Ⅳ章では「彼らのアイデンティティを、「ローマ人」か「ガリア人」かというような単純な二項対立ではなく、多様性と重層性を検討の基礎に置いて考察することの必要性を確認できた」。第Ⅴ章では、「観察したのはガリアに限られるが、この地域の人々も、したたかであるかどうかはともかく、普及してきたローマ風生活環境の中で自らの存在と生の意味を考え、支配権力におもねらない独自の生き方を作り上げていったといえそうである」と結論した。

 そして、終章「帝国の危機とローマ人の心」では、つぎのようにまとめている。「人々が碑銘で自身の「心」を表現することが最盛期帝国の重要な特徴であったこと、それは「ローマ人」のアイデンティティ形成の結果であること、そして広大なローマ帝国に統合をもたらしたのがこの「ローマ人」のアイデンティティであったことである」とした。

 最後に、著者は「あとがき」で、このテーマの難しさにもかからず、「挑戦」した意味を、つぎのように述べている。「本書では敢えて哲学者たちの作品を使わないことにした。この本では、哲学的で思弁的な性格の議論ではなく、「普通の」ローマ人の考え方、感じ方を問題にしたかったからである。この方針をとることによって、必然的に本書の作業は史料的に一層厳しい状態になった」。「加えて、本書を単なる生活史の本に留めたくないという、私自身の身勝手な希望もあった。「ローマ人の心」に関わる議論をしても、それがローマ帝国の特質や世界史的意義の問題に繋がらなければ、生活史のトリビアルな情報を提供するだけの本で終わってしまうことになる。ゆえに、「心」の探究に努めながらも、自分自身の研究成果と関連させつつ、議論をローマ帝国の特質や意義を問う次元へと整序する努力をしなければならなかった」。

 「執筆は難渋を極め」「とくに史資料の乏しい属州住民の「心」の探究に際しては、考察が可能なトピックを探して放浪しているような状態が続き、問題点の周囲を固めるだけで精一杯で、核心にまで迫ることができずに終わってしまった箇所もある」。にもかかわらず、「刊行までたどり着けたのは」、「様々なローマ史の研究文献、とくにわが国のローマ史研究者の優れた研究成果であった」。その後につづく謝辞からも、層の厚さが感じられる。

 本書を読むと、最新の研究状況を把握したうえで、執筆していることがわかるが、それは著者ひとりでできることではないだろう。マイナーなわたしの分野では、海外の書店の目録を送ってもらうことはもちろん、調査のたびに書店、大学出版会めぐりをし、地方では図書館で見つけた本をたよりに出版社に行きほかの出版物を探すという「フィールドワーク」を繰り返した。

 著者が「挑戦」できたのも、碑銘などの史料が残っており、研究蓄積があったからであるが、それにもまして著者は「ローマ帝国の実相を語ることに徹し」、「帝国に生きた人々の「心」を問題にすると、時代の違いを一気に飛び越えて現代に迫ることがある」ことを知っていたからだろう。「現代日本と酷似した事情、現代人と同じような問題や苦悩」を読者が発見したなら、著者の「挑戦」は報われることになる。

 長年研究をつづけていると、本や論文にはならないが書いておきたいテーマが、どこか片隅に居つづけるようになる。だが、それをかたちにできる研究者はそれほどいない。いたとしても晩年に回顧録やエッセイでメモ書きする程度だろう。著者が「挑戦」と繰り返し述べていることの意味がわかると、一書にしたことの偉大さがわかってくる。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
『アジア太平洋討究』第52号(早瀬晋三教授退職記念号)、2026年1月、462頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://www.jstage.jst.go.jp/browse/wiapstokyu/list/-char/ja)

早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期東南アジア海域における日本人漁業活動の基礎資料』(研究資料シリーズ12)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2026年2月、179頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる)
早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるfile:///C:/Users/shaya/Downloads/KenkyuShiryoSeries_10_02.pdf)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/records/78131)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

林博史『沖縄戦-なぜ20万人が犠牲になったのか』集英社新書、2025年6月7日、348頁、1130円+税、ISBN978-4-08-721360-7

 「県民の4人の1人が犠牲になった沖縄戦」。1944年7月にサイパン島の日本軍が全滅したとき、アメリカ軍はフィリピンや沖縄に回り道することなく、日本本土を目指せば、この20万の犠牲はなかった。本書は、日本軍の責任を問う視線で書かれ、さらに今日の有事に際しての歴史的教訓抜きの沖縄の防備を問うている。

 本書の概要は、表紙見返しに、つぎのようにまとめられている。「一九四五年三月末から約三か月間にわたり、米軍と激しい地上戦が繰り広げられた沖縄戦。軍民あわせ約二〇万人もの命が失われた。戦後、日本は平和憲法を制定したが、沖縄は米軍の軍事支配に委ねられ、日本に返還後、今なお多くの米軍基地が存在している」。

 「また、近隣国を仮想敵とし、全国で自衛隊基地の強靱化や南西諸島へのミサイル配備といった、戦争準備が進行中である。狭い国土の日本が戦場になるとどうなるのか?八〇年前の悲劇から学び、その教訓を未来に生かすために、国土防衛戦の実相を第一人者が膨大な史料と最新の知見を駆使し編み上げた、沖縄戦史の決定版」。

 本書は、序、全5章、おわりに、あとがきなどからなる。序で「なぜ今、沖縄戦か」と問い、冒頭、つぎのように説明している。「近代の日本は戦争に次ぐ戦争の時代だったが、その最終盤に大きな地上戦としておこなわれたのが沖縄戦だった。一九四五年三月末から沖縄に米軍が上陸し、三か月にわたって住民を巻き込んで激しい地上戦がおこなわれた。当時の沖縄県の人口は約六〇万人、約八万人は県外に疎開していたと見られるので約五〇万人が巻き込まれた。日本全体(朝鮮、台湾、樺太を除く)では人口は七〇〇〇万人あまりだったが、もし戦争が長引いていれば、その日本本土でも同じような地上戦がおこなわれていたかもしれない。そういうことを考えると、沖縄戦はけっして沖縄だけの問題ではない」。

 つづけて、つぎのように今日の問題に言及している。「今日、日本が戦場になることを想定した準備が次々になされている。ミサイル・アラートによる避難、攻撃されても司令部機能は生き残ることができるようにする自衛隊基地の強靱化対策、南西諸島への自衛隊配備と住民の避難計画、それらを進めるための軍事予算の倍増など、沖縄が真っ先に戦場にされるだけでなく、日本全体の戦場化が想定された施策が次々に実施されてきている」。

 だが、日本人一般には、歴史的教訓という意識も現実の危機感もない。著者はさらに、つぎのように問いかけている。「沖縄戦における重要な出来事のひとつは、日本軍が多くの沖縄県民を殺害したことだが、歴史教科書にこの事実を書こうとした時、文部省(略)は教科書検定で削除させた」。「現在にいたるまで、日本政府も自衛隊も旧日本軍を称え、住民を犠牲にしたことを隠し続けているのはなぜだろうか」。「沖縄の人々を本土防衛の捨て石(捨て駒)、つまり本土のための犠牲にしたのが沖縄戦だったが、そのことを認めず、そうした犠牲を繰り返さないような施策を抜きにしたまま、南西諸島の軍事化、戦争の準備が進められている」。「そうしたことは沖縄だけのことではない。現在、日本全国では約三〇〇地区の自衛隊基地などの「強靱化」計画が進められようとしている」。

 そして、「おわりに」では、日本政府、メディア、世論にたいして、つぎのように問いかけている。「日本の戦争責任や植民地責任、近年では日本軍「慰安婦」問題や朝鮮人の強制連行・強制労働問題、靖国神社問題を例に挙げると、日本政府もほとんどのメディアも世論も、韓国や中国が批判しているから対応するという議論の仕方ばかりである。日本という国家がなぜそうしたことをおこなったのか、それを改革し二度と起こさないような国・軍(自衛隊)・社会をつくることができているのか、など自らの問題として考えようとはしない。少女の性を広範に利用し搾取している今の日本社会は、日本軍「慰安婦」制度を本当に反省した社会なのだろうか。労働力不足に対処するための方策としか考えず、外国人労働者の人権を踏みにじるような入国管理や外国人技能実習生制度などを当たり前のように維持している日本国家・社会は、朝鮮人や中国人の強制連行・強制労働についていったいどのように反省し、そうしたことを繰り返さない社会をつくったなどと言えるのだろうか」。

 また、沖縄の視線から、つぎのように振り返ってまとめている。「沖縄の近代を振り返ると、琉球王国が廃されて日本に併合され、日本本土への同化政策が進められるなかで、それに対する疑問、問いかけ、模索がなされ、本土から差別される沖縄という枠組みを変えようとする試みもなされた。移民もそうしたこととは別の道の模索だったと言えるだろう。残念ながらそうした営みは日本国家によって圧殺され、日本がおこなう侵略戦争に沖縄全体が駆り立てられていった」。

 「しかし、沖縄戦において、国家や軍・行政・教育の教えに従っていれば死ぬしかない状況に追い込まれるなかで、天皇のために命を捧げよ、それが帝国臣民の名誉だという国家の教義を拒否して、生きようとする人たちがたくさん生まれた。お上の言うことに従っていれば死ぬしかない状況のなかで、自分たちの頭で考え判断し行動する人々がたくさん生まれてきた。この沖縄戦の経験は沖縄社会を、沖縄の人々を大きく変えただろう。その姿はすぐに現れたわけではなかった。米軍は沖縄の人々を従順だと判断して、暴力的に土地を取り上げ、軍事基地建設を推し進めた。それに対して、一九五〇年代に島ぐるみ闘争と呼ばれる広範な抗議運動が繰り広げられた。日本国家から犠牲にされて捨てられ、米軍からも圧政を受けるなかで、自らの人権を自らの意思と行動で勝ち取る運動を粘り強くおこない、日本復帰を勝ち取った。これは植民地の独立あるいは自国の軍事支配からの民主化に匹敵する運動の成果だったと言ってよいだろう。もちろん基地のない沖縄を目指した日本復帰だったにもかかわらず、ここでもまた日本政府とアメリカ政府によって裏切られ米軍基地を押し付けられているが、それでもあきらめずに平和と人権を希求する努力を続けている」。

 そして、「おわりに」を、つぎのパラグラフで締めくくっている。「なお本土からは、「癒しの島」沖縄のイメージが観光と結び付いて広がっているが、他方で、沖縄社会が抱えている暴力/性暴力、性搾取、女性差別、貧困、共同体からの排除・差別などが不可視化されてしまっている。近年、沖縄ではそうした問題が取り上げられてきているが、それらは沖縄戦とその後の米軍軍事支配が残し、あるいは生み出した問題でもある。また基地を維持し続けるために日本政府がおこなっている経済政策の問題でもある。本書ではこうした問題に触れることはできないが、沖縄戦から現在にいたる、日本とアメリカというふたつの国家と軍事支配が生み出してきた問題を全体として認識し考えることが-特に日米両国が南西諸島の軍事化、戦場化をともにそろって推し進めている現在-、ますます必要になっているのではないだろうか」。

 沖縄の問題は、日本の国内問題である、とだけ考えればいいのだろうか。本書を読むと、日本軍が占領地でおこなったことと同じことが語られている。たとえば、沖縄でも日本軍は各地に軍慰安所を設置しただけでなく、将校は「愛人」を求めた。沖縄を占領地同様に見た日本軍は、国軍ではなかった。天皇のために死ぬことを強いられた皇軍だった。はたして、自衛隊は沖縄を含む日本国の「軍隊」なのだろうか。もしそうでないなら、著書が強調するように、沖縄だけでなく日本のどこにでもおこりうることを考えなければならない。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
『アジア太平洋討究』第52号(早瀬晋三教授退職記念号)、2026年1月、462頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://www.jstage.jst.go.jp/browse/wiapstokyu/list/-char/ja)

早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期東南アジア海域における日本人漁業活動の基礎資料』(研究資料シリーズ12)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2026年2月、179頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる)
早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるfile:///C:/Users/shaya/Downloads/KenkyuShiryoSeries_10_02.pdf)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/records/78131)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

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