早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2026年04月

ジェームズ・R・ブランドン著、小田中章浩・岩井眞實訳『歌舞伎の戦争-十五年戦争とその影-』名古屋大学出版会、2025年10月20日、344+29頁、6300円+税、ISBN978-4-8158-1212-6

 本書の結論は、「序章」の最後にある。「歌舞伎界が心底から日本の戦争努力に参加したこと、とりわけ戦時の日本についての新作歌舞伎を絶え間なく作り出したことにより、一九三〇年代および四〇年代初期の歌舞伎が、埃をかぶった古典劇とはまったく異なるものだったことである」。

 「十五年に及んだ日本の「聖戦」は、この国の文化史において決定的に重要な時期であった」。にもかかわらず、「戦争中の歌舞伎に関する専門的な研究は、日本国内においても国外においても、これまでおこなわれてこなかった。日本人の手による歌舞伎の歴史の大半では、戦時中は単に消し去られている」。「全般的に見て、十五年戦争において歌舞伎が果たした役割は、これまで〔本書執筆まで〕の六〇年間ほぼ完全に無視されてきた」。

 「序章」は、つぎの言葉ではじまっている。「本書はもともと私の計画になかった」。だが、「第二次世界大戦後のアメリカ占領期の歌舞伎の検閲について調べてきたとき」、著者は「厄介な問題に直面した」。著者の疑問は、「日本の占領が始まった一九四五年九月の時点で、歌舞伎俳優によって演じられていた芝居がすべて伝統的なものであったとしたら、歌舞伎の演目の固定化はいつから始まったのだろう」ということだったが、「それまでに私が読んだもののなかで、戦時下の歌舞伎に触れたものはほぼ皆無だった」。

 その疑問への解答は、最終章である第12章「古典歌舞伎の創造(一九四五~四七年)」の「まとめ」の前にある。「一定の範囲において、歌舞伎は日本の戦時内閣による反米プロパガンダを加速させた。戦争が終わっても、歌舞伎はアメリカのイデオロギー上の目標に反対するというお気に入りの役を続けた。アメリカの演劇検閲官が用いた主な強制手段、すなわち一部の望ましからぬ芝居の上演禁止は、確かに占領初期の時代には有効であった。しかし松竹の担当者は、アメリカの上演禁止の基盤にあるイデオロギーを決して受け入れず、上演可能な芝居の伝統的な演目に常に戻ろうとした。アメリカの演劇検閲官は、一九四七年十一月に、松竹に完全に降伏したということができる。すわなちフォービアン・パワーズがあらゆる歌舞伎劇のなかでもきわめて「封建的」なことで知られる『忠臣蔵』の東京劇場での上演について、検閲を解除したときである。アメリカのプロパガンダの敗北は一九四九年半ばに完全なものとなる。検閲は占領軍の目的にとって無用だとマッカーサー将軍が認めたのである。こうして一九四九年十一月一日、彼はCCD[民間検閲支隊]を完全に廃止した。日本が第二次大戦に負けてから四年後、歌舞伎はアメリカに「勝った」。大谷社長とその支持者は、占領軍のイデオロギーを機略で切り抜け、その裏をかくことで、もちこたえた。今や松竹は、永遠に「古典」歌舞伎を上演する自由を手に入れたのである」。

 「本書の特徴と意義」を、「訳者解題」で、つぎのようにまとめている。「ブランドンのすぐれているところは、単に歌舞伎の戦争劇を時系列的に扱うのではなく、それを当時の日本をめぐる経済・社会・思想的な幅広い文脈のなかで論じていることである。その視点はときに世界史的に拡大され、日本の演劇文化をファシズムやナチズムのそれと対比させる。また歌舞伎とのかかわりにおいて新派、新国劇、新劇、能、人形浄瑠璃について触れることにより、本書は一定の限界はあるとはいえ、日本の戦時演劇の通史となっている。あるいは著者は微視的な視点もとり、演劇人の日記や回想、さらに新聞広告からも印象的な話題を拾い上げていく。それらを織りまぜて一つの歴史=物語を作り上げていくブランドンの語り口は見事である」。

 そして、訳者代表の小田中章浩は、「翻訳について」、つぎのように述べている。「アメリカの人文研究の王道ともいうべきこの種の総合的研究では、膨大な資料を扱うために、細かな事実の誤認や、過度の単純化という弊害も生まれる」。「開き直るわけではないが、この種の誤読(あるいは解釈の相違)は異文化研究においてあるていどは避けられない(そうでなければ、そもそも異文化を研究する意味もないわけである)」。

 翻訳をしたことのない者にはわからないだろうが、英語学術書・論文と日本語学術書・論文は、論理的にも構成においても、まったく違うもので、そのまま直訳しても執筆者の意図は充分に伝わらない。原資料の扱いについても、外国語の場合、論旨に従って意訳する必要が出てくる。わたしは、日本語の論文を英訳しても英語論文にならず、英語で書かれた日本語論文だといっている。しかし、それが無駄だとは思っていない。日本語の資料を日本語の発想で使うことを英語読者に伝えることができるからである。いずれにせよ、要は以上のような状況を踏まえて、読者がどこまで読解力をもっているかである。その意味で、「訳者解題」が大切である。本書は、それを充分に理解している訳者によっているので、安心して読めた。「開き直る」必要はない。


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評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
『アジア太平洋討究』第52号(早瀬晋三教授退職記念号)、2026年1月、462頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://www.jstage.jst.go.jp/browse/wiapstokyu/52/0/_contents/-char/ja)

早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期東南アジア海域における日本人漁業活動の基礎資料』(研究資料シリーズ12)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2026年2月、179頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2007415)
早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるfile:///C:/Users/shaya/Downloads/KenkyuShiryoSeries_10_02.pdf)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/records/78131)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

長谷川健二『日本資本主義と地域漁業-三重県漁業の歴史に見る』北斗書房、2024年10月29日、360頁、4000円+税、ISBN978-4-89290-072-3

 本書出版のきっかけは、著者が「地域という場から漁業という産業の成り立ちと今日に至るプロセスを総体として明らかにする必要性を感じたからで」、つぎのようなことを意識していた。「とくに近代の漁業の歴史は、日本資本主義体制の確立・変遷との関係性が強く投影されている。すなわち鳥瞰的なマクロの視点から地域のミクロの動きを見ることである。さらに地域のミクロの視点から全体マクロの視点では隠れた動きを抉り出す必要がある。こうした作業を経て初めて地域漁業の歴史の全体像を明らかに出来ると考え」た。本書は、その「抉り」出した成果である。

 先行研究からは、つぎのことがわかった。「三重県漁業・漁村の歴史を全体的な日本資本主義と漁業という構造的規定性から地域漁業の発展との関係で論じた著作・論文は、私が知る限り、これまでのところ見当たらない。三重県漁業・漁村を扱った諸著作、諸論文は対象とする時期、地域を限定した個別分析がほとんどであり、社会学的・民俗学的なものが多く、経済学を土台に据えた構造分析ではない」。

 本書の視点と方法は、つぎの3点である。「第一に、地域漁業と言う概念」を、著者は「次のように考えている。漁業生産と漁民生活において自然条件を生かした多様な性格を持つ“場としての地域の漁業”、あるいは“地域産業(必ずしも資本制的企業を指しているものではなく)としての漁業”の展開であり、本著では近世漁業の形成から近代漁業の成長-発展-戦時体制下の危機、そして戦後の復興-成長-縮小-構造的危機という今日に至る長期間の歴史的な地域漁業のプロセスを日本資本主義の展開と国内漁業の規定性において把握するという方法をとった」。

 「第二には、地域漁業が持つ国内漁業一般からの規定性=影響を受ける側面と地域の独自性、特殊性に焦点を当てた。こうした“一般性と特殊性”というアプローチから地域漁業の変容を考察した。とくに三重県漁業と漁村は、前述した明治以降の近代化の中で日本資本主義の工業集積・集中からの影響を強く受けた北部の伊勢湾地帯、リアス式の複雑な岩礁地帯の入り江を利用した、あま漁業の伝統的漁業、また様々な沿岸漁業も営まれ、カツオ一本釣漁業、明治以降は海外市場への輸出産業として発展を遂げた真珠養殖漁村が存在する志摩・度会地帯、かつては村落共同体的なブリ定置網、ボラ漁業、および志摩・渡[度]会地域と同様なカツオ一本釣り漁業などの特色ある熊野灘地帯などの、次に述べる3つの漁業地帯が存在し、明治以降の近代化の過程においては、その歴史的変容が際だっている」。

 「第三は、漁業生産の中心を小規模な生業的漁民層に置いていることである。その理由は、近世の幕藩体制においては言うまでもなく、彼らが生産の主体であり、明治以降の日本の近代化=資本主義化における資本制漁業の成立(ただし、日魯漁業、大洋漁業、日本水産などのビッグスリーは財閥系の別な系譜であり除く)の発酵母であり、現在においても経営体数の9割以上を占める漁業生産の担い手であるからである。歴史的経済的範疇として考察した場合において農業と同じく家族労働力の再生産を目的とした小生産者として性格づけることができる」。

 「本書で具体的な対象となる漁業地帯は、明治以降の近代化の中で行政区分として確立する三重県の伊勢湾の北勢、中・南勢(度会郡の伊勢湾内海側)、志摩(答志郡、英虞郡)、そして太平洋に臨む度会外海側、熊野灘(北牟婁郡・南牟婁郡)の各漁村と漁業である。こうした3つの地帯区分は、置かれた自然条件に規定され異なった漁業で成り立っており、また近世の幕藩体制の下で異なった藩支配を受けていたという事情、その後の国内漁業の資本主義化=近代化という影響の受け方も異なっていたという歴史的条件も付け加わる」。

 本書は、はじめに、時系列に全12章、むすび、あとがきからなる。むすび「三重県漁業の歴史的概観」では、つぎの見出しのもとにまとめている:「漁業・漁村の確立期-近世から近代へ-」「漁業の近代化と漁民層の分化・分解」「「昭和恐慌」から戦時体制へ」「戦後復興から確立へ」「高度経済成長下の三重県漁業・養殖業」「オイルショック・200カイリ問題と三重県漁業・養殖業」「「平成不況」下の三重県漁業・養殖業」「構造的危機=漁業経営の再生産の困難性と新たな方向」。そして、「今後、三重県の漁業・養殖業は、このような地域の特色を基盤とした対応がどのようにして生き残るかが問われていると言っても過言ではない」と結んでいる。

 本書に挿入された「明治期三重県漁村位置図」の地名から、伊勢湾に面した北部とリアス式海岸の中部、そして熊野灘の南部の顕著な違いがわかる。南部のほとんどの地名に「浦」がついており、その独自性がうかがえ、近代への対応がいかに困難であったかが想像される。

 本書から、地域だけではどうしようもない近代日本の歩みのなかの地域があり、それでも地域から発しないとどうしようもない現実があることがわかる。著者が、めざしたミクロとマクロの関係性のなかで、今後の日本の漁業を考えていかなければならない。「地域」という単位は、いまだ無視できない。


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評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
『アジア太平洋討究』第52号(早瀬晋三教授退職記念号)、2026年1月、462頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://www.jstage.jst.go.jp/browse/wiapstokyu/52/0/_contents/-char/ja)

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早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/records/78131)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

小松正之『日本漁業・水産業の復活戦略-最新データに拠る日経調水産業改革委員会「提言」と改正「漁業法」概説』雄山閣、2021年6月20日、175頁、2000円+税、ISBN978-4-639-02762-1

 本書は、2つの「推薦の言葉」、1つの「監修者の言葉」、全2章、付篇「2018(平成30)年一部改正『漁業法』(抜粋)」、あとがきからなる。

 2つの「推薦の言葉」は、豊洲市場協会長/中央魚類株式会社代表取締役会長 伊藤裕康と日本水産株式会社代表取締役社長 的埜明世による。「監修者の言葉」は一般社団法人日本経済調査協議会「第2次水産業改革委員会」委員長 元農林水産事務次官 高木勇樹による。

 第1章「日本漁業・水産業の現状と課題・再生策について」の最後に、つぎの「本書の目的」がある。「漁業・水産業は日本人にとって大切な産業である。日本人にとって大切なたんぱく源を供給する。また、日本人にとって心のよりどころであり、精神的な安定感を支え、魚食の文化的豊かさと魚食文化の多様性を提供しているのが日本の漁業と水産業である。そして、漁業と水産業はとても小さくなった産業(1.46兆円:2019年)であるが、流通加工業とスーパーマーケット・小売店での販売と、レストラン・居酒屋・寿司店での売り上げと雇用を含めれば28兆円の規模に達する膨大な産業である。そのほかにも、海洋と生物資源は美しい景観と日本の国土の原風景と日本人の源を提供する。また、海と魚は海水浴や釣りなどのレジャーの場も提供する。600~900万人の釣り人がいるが、この人たちも海洋生物資源の豊かさを享受している」。

 「漁業の改革と将来は、このようなあらゆる日本人にとって大切なのである。しかし、漁業者も国民も活発ではない。しかし、正しい情報が提供されればこれは改善される。今も漁業・水産業の衰退は継続している。かかる状況に対して、漁業と水産業の明日への理解を促進することを目的に編集・執筆されたのが本書である。誰もが手に取ってわかる、漁業・水産業の将来への実践的な理解書として役割を果たすことを目的とした。読者の座右において執務参考書として、ご活用いただきたい」。

 第2章「日経調第2次水産業改革委員会の最終報告と提言」は、つぎの第3節「我が国の漁業・水産業のあるべき姿」「(3)あるべき姿での漁業・水産業の経済指標」で総括している。「漁業・養殖業生産量は、5年後には431万トンの1.2倍の510万トン(うち養殖業は120万トン)、10年後には1.5倍の650万トン(うち養殖業は150万トン)を目標とする」。「漁業・養殖業生産金額は、5年後には1.6兆円の30%アップの約2兆円(うち養殖業は6,500億円)、10年後には2倍の3兆円(うち養殖業は1兆円)を目指す」。「水産加工品の生産量は、2017年では293万トンで3.4兆円であるが、これらも漁業・養殖業生産量と同様に、生産量の増大と、生産金額の増大を目指す」。

 「卸売市場の取扱量は、国内の漁業・養殖業生産の増大と品質の向上、その効果による輸入水産物の低下などにより、5年後には現在の1.2倍に増加し、10年後には1.5倍を目指す。例えば、東京都中央卸売市場豊洲市場では39.1万トン(2017年)の取扱量であるが、それを5年後には約48万トン、10年後には60万トンを目指すこととなる。これらの達成は、我が国の水産資源管理と養殖業の制度と生産システムの近代化が図られ、流通業者による積極的な水産資源管理の推進活動が前提となる」。

 日本の近代漁業は、技術力向上に努め、その結果、濫獲、漁場の荒廃をもたらした。優れた技術を持つ漁民は、新たな漁場を求めて沿岸漁業から沖合漁業、さらに他県、北洋、植民地となった朝鮮、台湾、内南洋(太平洋)、そして外南洋(東南アジア)、インド洋、アフリカ沿岸、南極まで進出して遠洋漁業に従事した。政府は、海外進出の先兵となる漁業活動を全面的にバックアップし、水産講習所などを通して技術力向上を支援しただけでなく、造船、航海士養成などにも多額の補助金を注いだ。漁業活動においても、濫獲による一時的「不漁」にたいして補助金を投入し、持続可能な漁業への道筋を示さなかった。このように、日本の近代漁業は自立的産業として発達することなく、略奪的、侵略的漁業として発展した。

 このような漁業政策は、戦後、そして1970-80年代に200カイリ排他的経済水域内に押し込められてからも変わらず、縮小する補助金で命脈をつなぎ、今日までごまかしごまかしつづけ、自立した漁業への改革を怠ってきた。本書で、日本漁業の衰退の原因が追求され、改革が提言されているが、それは日本の近代漁業の歴史を理解していれば、わかっていたことだった。遅きに失したとはいえ、それに気づいたのであれば、それを実践するためにどうすればいいのかを考えるのが、つぎの段階である。そのためには、明治以来の日本の近代漁業の成り立ちを充分に理解する必要がある。そうでなければ、既得権益にしがみつく人びとによって妨害されることになるだろう。

 もうひとつ問題なのは、日本国内で漁業改革が進み、自立した産業の体裁が整えられても、問題は解消されないということである。海外から掠奪漁業・奴隷労働など「違法操業」によって獲られた安価な魚が日本市場に流れ込んでくれば、国内漁業はもたない。かつて略奪的・侵略的漁業をおこなって、海外の漁場を荒らし、魚の市場価格を混乱に陥れた日本には、国際漁業の秩序を保つ責任がある。国内だけでなく、国際的な「提言」も必要である。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
『アジア太平洋討究』第52号(早瀬晋三教授退職記念号)、2026年1月、462頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://www.jstage.jst.go.jp/browse/wiapstokyu/52/0/_contents/-char/ja)

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早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

金山泰志『近代日本の対中国感情-なぜ民衆は嫌悪していったか』中公新書、2025年2月25日、216頁、860円+税、ISBN978-4-12-102842-6

 著者は、「はじめに」の冒頭で「あの悲惨な戦争を二度と繰り返してはならない」と述べている。本書の目的は、この一語に尽きる。つづけて、著者はつぎのように説明している。「アジア・太平洋戦争の日本にとっての終戦月である八月、そのような趣旨のテレビ番組が連日放送される。戦争の記憶の継承は大事である。同時に、どうしてあのような戦争の惨禍が起こったのか、その要因を問い直し続けることが必要であり、それは日本近現代史研究が担う大きな役割でもある」。

 つぎに、著者は「なぜ中国か」と問い、つぎのように答えている。「周知の通り、近代日本の軌跡は、日清戦争・北清事変・対華二十一ヵ条の要求・満洲事変・日中戦争などに象徴されるように、中国との対立の歴史でもあった。日本の近現代を通して、中国は「大いなる他者」「忘れ得ぬ他者」であり、中国の存在を抜きにして、日本の過去も将来も語ることができない」。そして、「日中関係史を紐解こうとする場合、焦点となるのが日本人の中国観だ」。「本書では、この中国に対する日本人の一般民衆の眼差しを、「好き・嫌い」「良い・悪い」といった感情レベルで見ていきたい」。

 そのため「本書では近代日本で刊行された少年雑誌のビジュアル表現(挿絵・漫画・写真)に注目する。少年雑誌は、歴史学の領域であまり注目されてこなかった史料であり、民衆感情を捉えるうえで有用な史料であることはあまり知られていない。子ども向けの娯楽メディアである少年雑誌には、わかりやすい善悪二元論でエンターテイメント化されたものが溢れかえっている。特に中国との敵対時には、きわめて先鋭的な形で敵愾心や蔑視感情が誌面に表出し、中国・中国人に対する感情的な表現を読み取ることができる」。

 本書は、はじめに、全3章、おわりに、あとがきなどからなり、時系列の3章は明治、大正、昭和期である。本書の特徴は、つぎの3つにまとめられている。「①従来の中国観研究が対象にしてきた知識人層ではなく民衆の対中感情に着目する」。「②知識人層が執筆した記事や書物といった文字史料ではなく、少年雑誌の挿絵や漫画、写真といった非文字史料=ビジュアル表現に着目する」。「③明治・大正・昭和戦前期という長期間(一九世紀後半~二〇世紀前半)にわたる一般民衆の対中感情の包括的把握を行う」。

 全3章の関係は、第2章「「一等国」意識の大正期-「負」の象徴と「日中親善」の声」の最後の見出し「燻り続けたネガティブ感情」で、つぎのようにまとめられている。「第1章[「日清・日露戦争の明治期-同時代中国への蔑視」]で見てきた、一八九〇年代から一九一〇年代初頭の明治期は、日清戦争という直接的な敵対関係を経て、日本の対中感情を大きく変容させた時代だった。同時代の中国人のネガティブ感情は、日本社会一般に浸透・定着し、特に日清戦争中は、敵愾心の宣揚のため、激しい蔑視表現も見られた」。

 「その後の一九二〇年代に至る大正期でも、日清戦争後に定着した悪人描写、滑稽化などが、変わらず続いていた。日清戦争ほどの敵愾心の高揚ぶりは少年雑誌や映画にはなかったが、ネガティブ感情がつねに燻り続けていた。大正期も、辛亥革命や第一次世界大戦における日中間の確執など、明治期と同様に、日中間でいざこざが起き、明治期以来のネガティブな対中感情が、違和感なく存在できた時代だったといえる」。

 「他方、古典世界の中国偉人に対するポジティブな感情も、明治期と同じ傾向にあった。日本社会一般の対中感情に劇的な変化をもたらした戦争を経てもなお、古典世界の中国の扱いは変わらなかった。ただ、同時代の中国人との違いは、メディア露出の差にあった。同時代のネガティブな中国描写は圧倒的な量だった」。

 「日露戦争期の少年雑誌にも表れ、明治期の知識人層のなかで「支那保全論」、つまり東アジアを列強の侵略から守るために日本と中国は連帯すべきという考え方にも表れていた。次章[「満洲事変・日中戦争の昭和期-慢心と嘲笑」]の昭和戦前期にも、似たような中国に対する日本の優越意識が継承されていく」。

 第3章の最後の見出しは「戦争正当化に使用される中国古典」で、つぎのように結論している。「古典世界の中国・中国人は、近代日本を通しポジティブな評価の傾向にあったが、その日本人の「親しみ」「敬愛」すら、戦争を正当化する道具と化していたのである」。

 そして、「おわりに」冒頭で、つぎのように結論を述べている。「ここまで見てきたように、少年雑誌などから読み取ってきた大衆の近代日本の対中感情は、大きく分けると「同時代の中国へのネガティブ感情」と「古典世界の中国へのポジティブ感情」だった。もちろん、数量の傾向であり例外がないわけではない」。

 「本書で、あらためて強調したいのは、近代日本における中国・中国人が、日本人にとって息の長い「娯楽コンテンツ」だったことである」。「近代日本人は自分にとって都合のよい、されるがままのおもちゃの人形のように、中国・中国人を消費してきた。戦時中は、戦争プロパガンダのなかで、敵愾心を煽り戦争へ向かう熱を高める役目を負わされた。平時でも、小説など創作物の引き立て役である悪人として舞台に上げられた。あるいは、子どもたちの「嘲笑」の対象として滑稽に描かれ続けた。一九世紀末の日清戦争以降、中国人は日本人にとって身近な外国人であるとともに、中国人に間違われること、中国人役をさせられることに嫌悪感を抱く、そのような存在となった」。

 そして、つぎのパラグラフで「おわりに」を閉じている。「今後のよりよい日中関係を考えていくうえで、相手国への感情の歴史的変遷を知っておくことは決して無駄ではない。相手国に抱いている感情は、歴史の積み重ねのなかから生まれているからだ。戦後日本の対日感情については、さまざまな世論調査研究があるが、数値化された「親しみがある・ない」の内実は、もちろん同時代の政治・経済的影響が強いだろうが、それだけではないことを、本書が示した対中感情の軌跡が示唆すると思っている」。

 ただ、著者はつぎのような危惧を「あとがき」に加えている。本書の内容は、「中国の人々に強い不快感を与えるものだろう。日本人にも中国人にもショックを与えるような歴史をわざわざ掘り起こしているようにも思われるかもしれない。しかし、目を背けたくなるような表現をオブラートにつつんだところで、決して問題の解決にはならない。臭い物に蓋をするような姿勢は一見穏便に見えるが、「日本人は差別をしない」といったような、ネット空間を中心に語られる歪んだ歴史認識を助長してしまう恐れがある」。

 もし、本書で語られた中国人像が訪日中国人観光客や労働者などと重なるのなら、日本人の対中国感情は、いまも同じということになる。「つり眼・出っ歯」を誇張したアメリカ映画の日本人像の例を出すだけでなく、そういうものを変えたのはなにかを紹介してもよかったのでないだろうか。「嫌悪していった」民衆を変えるにはどうしたらいいのか、残された課題は大きい。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
『アジア太平洋討究』第52号(早瀬晋三教授退職記念号)、2026年1月、462頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://www.jstage.jst.go.jp/browse/wiapstokyu/52/0/_contents/-char/ja)

早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期東南アジア海域における日本人漁業活動の基礎資料』(研究資料シリーズ12)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2026年2月、179頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2007415)
早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるfile:///C:/Users/shaya/Downloads/KenkyuShiryoSeries_10_02.pdf)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/records/78131)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

藏本龍介・土佐桂子編著『現代ミャンマーにおける社会支援の人類学-「協会(アティンアポェ)」をつくる』明石書店、2026年3月31日、273頁、3500円+税、ISBN978-4-7503-6092-8

 まず、この地味な学術書が出版されたことに驚いた。本書は、驚くだけの価値がある貴重な研究成果であり、まずは出版に漕ぎつけたことに敬意を表し、心からお慶びを申しあげたい。

 驚いた理由は、いまのミャンマー情勢のなかで、まともな研究調査はできないと思っていたことに拠る。したとしても、その成果をまともなかたちで公表することは難しいと思っていた。それを、本書執筆者たちは見事に克服し、こんな情勢でもできる基礎研究テーマを慎重に選び、現地調査をおこない、かなり制限はあっただろうが、本書にまとめたことは、研究の継続をいう1点だけを考えても、計り知れない貢献をしたことになる。

 本書は、2つの研究プロジェクトの成果報告である。そのきっかけを、「あとがき」でつぎのように紹介している。「2010年代以降のミャンマーでは、社会的な福祉活動を主眼とする協会が急激に増加しつつあった。我々は、こうした協会が宗教を核とすることが多いことに着目し、当初はこれらを「宗教NGO」と位置付けて調査研究を開始した。欧米などでは、NGO活動は宗教と福祉とを切り離す形で法的に整備されることが多い。一方で、近年世界銀行の動きもあって、人道支援に対する宗教の役割への期待や再評価が高まっていたことも背景の一つであった。こうしたミャンマーの「協会」は、市民が宗教を核として自発的に形成している「非政府系組織(略)」でもあり、宗教NGOという切り口は、必ずしも的外れではなかったと思う」。

 「本書の主要な問い」は、第1章「序論」の冒頭で、つぎのように説明されている。「ミャンマーでは2000年代以降、草の根レベルでの様々な支援事業-葬式支援、医療、教育支援、災害援助、宗教・言語・文芸文化の保護など-に従事する諸組織の活動が活性化している。ミャンマーではこれらの支援組織は一般的に「協会(アティンアポェ)」と呼ばれる。それではこうした協会の組織的特徴とはどのようなものか」。

 本書のキーワードは、副題にある「協会」である。「はしがき」では「本書の射程」の見出しの下、つぎのように整理している。「協会とは実態上(組織形態や自称など)、国際・国内NGO、政府系NGOとは区別される(区別が難しい場合もある)。ただしミャンマーの行政資料で用いられている組織区分は、この実態上の区別と重なりながらもズレている。本書(特に第1部)では、①実態上の区分と②行政登録上の区分の2種類が並列して登場することになるため、ここで整理しておきたい」。「ミャンマーの行政資料では、福祉活動に従事する組織は「社会組織(略)」と総称され、その下に①「INGO」、②「NGO」、③「協会(アティンアポェ)」という3つのカテゴリーが区別されている(略)。実態上の諸組織が、行政登録上どのように分類されているかは、以下のように整理できる」。「・国際NGOは、登録上「INGO」に分類される」。「・国内NGOは、登録上の「INGO」もしくは「協会」に分類される」。「・政府系NGOは、登録上の「NGO」もしくは「協会」に分類される」。「・協会は、登録上の「協会」もしくは「INGO」に分類される」。「・いずれの組織も、どのカテゴリーにも登録されていない場合も多い」。

 「本書の意義」は、4つ挙げられている。「第1に、ミャンマー地域研究に貢献しうる点にある。軍政期(1962~2011年)においては、ミャンマーでの現地調査は長らく限定的であり、2011年の民政移管後の変化についても、政治経済的なイデオロギー体制の分析が優先され、また、連続性よりも分断が強調される傾向にある。それに対して本書は、国家権力とは異なる回路で進行する社会福祉的な各種の支援事業のメカニズムを、軍政期からの連続性において探求しようとするものである。こうした作業は、2021年のクーデター以降の抵抗運動の組織的広がりや、少数民族地域や軍統治地域内に民主化勢力によって作られる「解放区」とその統治技術を考える上でも重要な手がかりとなるだろう」。

 「第2に、協会についての分析を通じて、ミャンマーの民主主義論にも新たな光を当てうる点である。民主主義に関する政治学・哲学的な議論では、討議を基礎とした「民主主義」概念の普遍性、討議できる市民の存在が前提とされる傾向にある」。「本書が対象とする協会は」、「「実践としての民主主義」の一例として捉える」。

 「第3に、ミャンマーにおける市民社会論を批判的に再検討しうる点にある。ポストコロニアル人類学においてコマロフ夫妻が強調したように、市民社会は国家の外部に自律的に存在する自由の領域ではなく、植民地主義・資本主義・宗教の諸力が交錯する編成として現れる」。「しかしこの議論は、市民社会を「西洋的普遍語彙の翻訳と変形」として捉える傾向が強く、現地の倫理や制度が公共性を自生的に生成する契機を十分に捉えていない」。「本書が対象とする協会は、その限界を乗り越える視角を提供する。協会の運営を支えるのは、人権言説や監査規範の翻訳ではなく、「布施」や「利他」を核とする仏教的倫理経済である」。

 「第4に、開発と宗教をめぐる人類学的研究に対しても理論的な貢献をもたらしうる点にある。2000年代後半以降、開発・社会福祉に果たす宗教の役割があまりにも軽視されてきた反省から、「宗教的転回(略)」と呼ばれるような潮流が生まれ、「信仰にもとづく組織(略)」など、宗教的な背景をもつ組織が、多くの注目を集めるようになっている」。「ただしこれらの分析対象は、キリスト教やイスラームが中心となっており、仏教組織の福祉的・ボランタリー的な動向についての研究はまだその端緒についたばかりである。それに対し本書は、事例として仏教組織を多く取り上げており、その点において国際開発研究の分野において重要な比較対象を提供することになるだろう」。

 本書は、2部全10章、あとがきなどからなる。第1章「序論」を含む「第1部 協会の概要」は4章からなり、「関連する先行研究、協会の歴史的経緯、統計資料を分析することによって、協会についての大まかな見取り図を提供することを目的としている」。第2部「事例編」は6章からなり、「フィールドワークに基づく事例分析を行う」。

 第2章「ミャンマーにおける仏教協会の歴史」(藏本龍介)は、「ミャンマーにおいて「仏教協会(略)」と呼ばれる組織がどのように形成され、宗教支援のあり方と社会秩序の再編に関与してきたのかを、植民地期から現代に至る長期的視野から検討する」。その結果、「仏教的規範と近代的組織技術が相互に介入し続けることで、ミャンマー社会において宗教と福祉の新たな接続様式が自己組織的に生成されてきたことを明らかにする」。

 第3章「登録された『協会』の分布と特徴」(土佐桂子)は、「ミャンマーにおける協会の分布とその特徴を明らかにするために、内務相総務局が作成しMIMU[The Myanmar Information Management Unit]によって公開された各郡の『地域関連事項』2019年版を用いて、登録情報にもとづく量的整理を行う」。その結果、「協会の分布と組織名称の比較を通じ、ミャンマーにおける社会組織の状況を把握するためには、制度上の区分だけではなく、地域差や活動内容の細やかな検討が不可欠であることを指摘する」。

 第4章「ミャンマーにおける『政府系NGO』」(飯國有佳子)は、「従来一括して語られてきた「政府系NGO」について、総務局『地域関連事項』で全国共通に把握される5つの「政府公認NGO](赤十字社、補助消防団、退役軍人協会、母子福祉協会、女性問題連盟)に絞って実証的に検討する」。その結果、「「国家の手先」という単線的な理解を超え、民主移行期を含むミャンマーの社会支援組織を、動員・協働・自律が交錯する制度構造として再定位する」。

 第2部第5章「国家と市民社会のはざまからみえるもの-地域社会における政府公認NGOと協会のガバナンス」(飯國有佳子)は、「民主移行期のミャンマーの地方都市ピィにおける、政府公認NGO(補助消防団)と市民的結社(協会)の活動を民族誌的に比較し、地域社会におけるガバナンスの実態を検討する」。その結果、「国家と市民社会を対立的に捉える従来の二元論を乗り越え、ミャンマーにおける地域ガバナンスを、行政制度と宗教的倫理が交錯する日常生活の中で「善き行い」が競合・調整される動態的なプロセスとして提示している」。

 第6章「功徳と倫理のあいだ-ミャンマー葬式支援協会の展開」(土佐桂子)は、「ミャンマーにおいて葬式支援協会がいかに立ち上がり、受け入れられ、拡大していったのかを、功徳と倫理の交差に注目して検討する」。その結果、「葬式支援協会の普及を、道徳の自明性が揺らぐ局面における倫理的判断と情動的応答の積み重ねが、説法・制度・資源の整備と重なり合いながら地域社会に根づいていくプロセスとして位置づける」。

 第7章「『協会』としてのダバワ瞑想センター」(藏本龍介)は、「ミャンマーに広く見られる布施の集積と再配分の仕組みとしての「協会」が、2007年に設立されたダバワ瞑想センターにおいてどのように再編されているかを検討する」。その結果、「仏教的修行と福祉的実践、そして組織運営が相互に影響し合いながら、「協会」としてのセンターの形が生成され続けていることを明らかにしている」。

 第8章「ムスリム社会支援組織-同胞のための活動と地域社会に開かれた貧困者支援」(斎藤紋子)は、「ヤンゴンとマンダレーにおけるムスリムが運営する社会支援協会の活動と、その地域社会との関係を検討する」。その結果、「地域社会に開かれた支援が、反ムスリム運動の高まりの中で、ムスリムが地域住民との関係を築き、社会の一員として生きるための生存戦略となっていると指摘する」。

 第9章「シャン文芸文化協会考」(髙谷紀夫)は、「ミャンマー各地に展開するシャン文芸文化協会(SLCA) に注目し、シャン系住民がいかに文化的紐帯と相互扶助の仕組みを築いているかを検討する」。その結果、「SLCAを固定的な民族組織としてではなく、地域状況と歴史的文脈に応じて変化し続ける動態的な社会組織として描き出している」。

 第10章「少数民族地域の貧困者支援の再編-タアン社会における『支援』と『協会』」(生駒美樹)は、「シャン州パラウン自治区ナムサン郡のタアン(パラウン)社会を対象に、茶生産という生業に根ざした伝統的な互酬関係である「支援(略)」と、近年台頭した「協会」による実践を比較し、地域社会における貧困者支援がいかに再編されつつあるかを検討する」。その結果、「義務的な互酬性と「パラヒタ(利他)」という異なる道徳的価値が接触・補完し合うことで、少数民族地域におけるセーフティネットが重層的に再構築される過程を描き出している」。

 政権が安定せず、継続的な福祉が望めない社会にあって、いかに市民が奮闘して対応しているかがよくわかる。だが、いっぽうでむなしい気になる。そんななかで、執筆者たちは「二つの大きな出来事」を乗り越えて、調査したことが、「あとがき」に書かれている。「2019年末から始まったコロナ感染症は世界中に広がり、2020年度は調査のためのミャンマー渡航が不可能となった。さらに、2021年2月1日には、軍司令官ミンアウンフラインによる軍事クーデターが起こった。数日後には公務員や大学生などを中心に市民的不服従運動(略)が広がり、若者を中心として多くの町で街頭デモが行われたが、そうした抵抗運動への締め付けは強まり、徐々に厳しい弾圧が行われ、多数の死者が出る事態となった」。

 「コロナ感染症以降、SNSやオンラインや電話を通じての聞き取りが主な情報源になっていった。海外調査そのものは、コロナ感染症が徐々にコントロール可能となっていくにつれ、再び現地調査ができる環境にはなっていったが、ミャンマー国内はクーデター以降不安定な状況が続き、我々は主にミャンマー国外での調査を重ねることとなった。一方、今回の出版に当たっては慎重に議論を重ね、本書ではクーデター以前の時期を主に扱うこととした。クーデター後の政治状況を鑑み、調査協力者の安全を最優先すべきと判断したためである」。

 本ブログ冒頭で「驚いた」と書いたのは、多少なりとも、ミャンマーにおけるこのような調査がひじょうに困難であることを知っていたからである。このような状況下にもかかわらず、本書を出版したことに、どれほどの苦労があったのか、想像すらできない。そして、「調査協力者の安全を最優先」したために、本書で書けなかったことが、気兼ねなく書ける日が来ることを願っている。また、3つめの共同研究プロジェクトに期待している。

 本書は、ナショナル・スタディーズの成果であり、ミャンマーに関心のある人向けに書かれたものである。本ブログでは、ミャンマーになじみのない者に読みやすいよう、ミャンマー語などは「(略)」とした。とくにミャンマー国内での調査が困難なときに調査したタイなど近隣諸国の状況を書いてくれると、よりミャンマーの事情が理解できたかもしれない。ミャンマーは多民族国家であり、国境を越えて暮らしている同系列の民族も多い。その意味で、ミャンマー研究者以外へのメッセージも、いっしょに考えるためにほしかった。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
『アジア太平洋討究』第52号(早瀬晋三教授退職記念号)、2026年1月、462頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://www.jstage.jst.go.jp/browse/wiapstokyu/52/0/_contents/-char/ja)

早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期東南アジア海域における日本人漁業活動の基礎資料』(研究資料シリーズ12)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2026年2月、179頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2007415)
早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるfile:///C:/Users/shaya/Downloads/KenkyuShiryoSeries_10_02.pdf)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/records/78131)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

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